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「ルイズと無重力巫女さん-85」(2017/09/25 (月) 00:38:54) の最新版変更点
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#navi(ルイズと無重力巫女さん)
夏季休暇真っ最中のトリスタニアがチクトンネ街の一角にある、居酒屋が連なる大通り。
夜になれば酒と安い料理…そして女目当てに仕事帰りの平民や下級貴族達でごったがえすここも、今は静まり返っている。
繁華街という事もあって人の通りは多いものの、日が暮れた後の喧騒を知る者たちにとっては静か過ぎると言っても過言ではない。
それこそ夜の仕事に備えて日中は洞窟で眠る蝙蝠の様に、夕方までぐっすり快眠できる程に。
そんな通りに建っている居酒屋の中でも、一際売り上げと知名度では上位に位置するであろう『魅惑の妖精亭』というお店。
比較的安くて美味く、メニューも豊富な料理に貴族でも楽しめる数々の名酒、際どい衣装で接待してくれる女の子達。
この周辺に住む者達ならば絶対に名前を知っているこの店も、日中の今はシン…と静まり返っている。
しかし、その店の二階にある宿泊用の部屋では、数人の少女達が別室で寝ている者たちを起こさない程度の声で話し合っている。
そしてその内容はこの店…否、このハルケギニアという世界に住む者達には理解し難いレベルの会話であった。
シングルのベッドにクローゼットとチェスト、それにやや大きめの丸テーブルに椅子が置かれた部屋。
その部屋の窓際に立つ霊夢は、ニヤニヤと微笑む紫を睨みながら彼女に質問をしている。
いや、それは窓から少し離れたベッドに腰掛けるルイズから見れば、゙質問゙というよりも゙尋問゙や゙取り調べ゙に近かった。
「全く。アンタっていつもいないないって話してる時に鍵って平気な顔して出てくるわよね」
「あら?酷い言い方ね霊夢。貴女たちが困っているのを、私が楽しんで眺めていたって言いたいのかしら?」
「あの式の式の文句が丸聞こえだった…ってことは、そうなんじゃないの?」
「失礼しちゃうわね。私は橙が文句を言っているのに気が付いたから、結果的に出てくるのが遅れちゃったのよ」
「それじゃあ結局、私達がいないないって騒いでたのを傍観してたんじゃないの!」
「こらこら、ダメよ霊夢?そんなに怒ってたら若いうちから色々と苦労する事になるわよ」
怒鳴る霊夢に対して冷静な紫はクスクスと笑いながら、ついでと言わんばかりに彼女を茶化し続ける。
自分に対し文句を言っていた橙に勉強と言う名の説教をしていた時も、その笑顔が変わる事は一瞬たりとも無かった。
そして、あの霊夢をこうして怒らせている間も彼女はその余裕を崩すことなく、笑いながら巫女と話し合っている。
あれが強者が持つ余裕というものなのだろうか?
いつもの冷静さを欠いて怒る霊夢と対照的な紫を見比べながら、ルイズは思っていた。
きっと彼女ならば、ハルケギニアの王家やロマリアの教皇聖下が相手でもあの余裕を保っていられるに違いない。
そんな事を考えながらジーっと二人のやり取りを見つめていると、壁に立てかけていたデルフが話しかけてきた。
『よぉ娘っ子、そんなあの二人をまじまじと見つめてどうしたんだい?嫉妬でもしてんのか?』
「嫉妬?なにバカな事言ってるのよアンタ、そんなんじゃないわよ」
『じゃあ何だよ』
「いや…ただ、ユカリの余裕っぷりがちょっと羨ましいなぁって感じただけよ」
『…?あぁー、成程ねぇ』
留め具を鳴らす音と共に、デルフは彼女が凝視していた理由を知った。
確かに、あの金髪の人外はちょっとやそっとじゃあ自身の余裕を崩す事はないに違いない。
人によってはその余裕の持ち方が羨ましいと思ったりしてしまうのも…まぁ分からなくはなかった。
しかし、それを羨ましいと目の前で言うルイズが彼女の様になれるかと問われれば…。
本人の前では刀身に罅が入るまで口に出せない様な事を考えながら、デルフは一人呟く。
『…けれどまぁ、ああいうのは経験だけじゃなくて持って生まれた素質も関係するしなぁ』
「どういう意味よソレ?」
『いや、お前さんには関係ない事だ。忘れてくれ』
どうやら聞こえていたらしい、こりゃ迂闊な事は言えそうにない。
自分の短所を暗に指摘してきた自分を睨み付けてきたルイズを見て、デルフは改めて実感する。
幸いルイズ自身は昨晩から連続して発生している想定外の事態に疲れているのか、自分の真意には気が付いていないようだ。
このまま追及されずに、何とかやり過ごせそうだと思った矢先、
「要するにデルフは、短気で怒りっぽいルイズが紫みたいになるのは無理だって言いたいんだろ?」
「へぇ、そう……って、はぁ?ちょっと、デルフ!」
『魔理沙、テメェ!』
そんな彼に代わるのようにして、ルイズたちのやりとりを見ていた魔理沙が火付け役として会話に割り込んできたのだ。
椅子に座って自分たちと霊夢らのやり取りを眺めていた魔法使いは、何が可笑しいのかニヤニヤと笑っている。
恐らくは暇つぶし程度でルイズを煽ったのだろうが、デルフ本人としては命に関わる失言なのだ。
「いやぁー悪い、悪い。今のルイズにも分かるように丁寧に言い直してやったつもりなんだがな」
『だからっておま――――…イデッ!』
反省する気ゼロな笑顔でおざなりに頭を下げる彼女にデルフは文句を言おうとしたものの、
ベッドから腰を上げて近づいてきたルイズに蹴飛ばされ、金属質な喧しい音を立てて床に転がった。
「この馬鹿剣!人が朝からヘトヘトな時に馬鹿にしてくるとかどういう了見なの!?」
『いちち……!お前なぁ、そうやって一々激怒するのが駄目だってオレっちは言ってんだよ!』
「何ですって?言ってくれるじゃないのこのバカ剣!」
床に転がった自分を見下ろして怒鳴るルイズに対し、流石のデルフも若干怒った調子で文句を言い返す。
伊達に長生きしていない彼にとって、短所を指摘して一方的に怒られることに我慢ならなかったのだろう。
意外にも言い返してきたデルフに対しルイズも退く様子を見せる事無く怒鳴り返して、床に転がる彼を拾い上げる。
「今すぐこの場で訂正しなさい、じゃなかったらアンタの刀身をヤスリで削るわよ!」
『ヤスリだと?へ、面白れぇ!やれるもんならやってみやがれ、そこら辺の安物じゃあオレっちは傷一つつかないぜ!』
もはやお互い一歩も引けず、一触即発寸前の危ない空気。
どちらかが折れるかそれとも最悪な展開に至ってしまうのか、という状況の中で。
この争いを引き起こした張本人であり、最も安全な場所にいる魔理沙は驚きつつもその笑顔を崩していない。
むしろ二人の言い争いを楽しんでいるのか、楽しそうにお茶を啜っている。
「ははは、喧嘩は程々にしとけよおま―――…ッデ!」
「争いを引き起こした張本人が何観戦に洒落込もうとしてんのよ!」
しかし、始祖ブリミルはそんな魔法使いの策略に気付いていたのだろう。
ルイズの使い魔としで神の左手゙のルーンを持つ霊夢からの、容赦ない鉄拳制裁が下された。
死なない程度に後頭部を殴られた魔理沙は殴られた場所を手で押さえて、机に突っ伏してしまう。
頭に被っていた帽子が外れて床に落ちるものの、今はそれを気にせる程の余裕は無いらしい。
呻き声を上げながら机に顔を伏せる彼女を見下ろし、鋭い目つきで睨む霊夢は魔理沙を殴った左手に息を吹きかけている。
「全く、アンタってヤツは目を離した途端にこれなんだから」
「イテテ…!だからって、おま…!あんなに強く殴る必要があるのかよ…」
「私はそんなに強く殴った覚えはないわよ」
今にも泣きそうな魔理沙の抗議に対し、しかし霊夢は涼しい表情で受け流す。
どうやら殴った加害者である巫女と、被害者の魔法使いとの間には認識の違いがあるらしい。
しかし、第三者から見てみればどちらが正しい事を言っているのかは…まぁ一目瞭然と言うヤツだろう。
「さっきの一発、絶対普段からのうっぷん晴らしで殴ったわよね」
『だろうな。流石のオレっちでも、あんな風に殴られたら怒るより先に泣いちゃうかも』
突然の殴打に一触即発だったルイズとデルフも、流石にアレは酷くないかと魔理沙に同情してしまっている。
その魔理沙のせいで言い争いをする羽目になった二人から見ても、霊夢の殴打は間違いなぐやり過ぎ゙の範囲なのだ。
霊夢の一撃で先ほどまで騒がしかった部屋が静まり返る中、紫が三人と一本へ話しかける。
それは、ちょっとした諸事情で部屋にいないこの部屋の主とその従者に代わっての注意喚起であった。
「朝から賑やかな事ね。けど、あんまり騒がしいと後で藍に怒られますわよ。
あの娘も色々とここで人間相手に信用を築いているし、その努力がパァになったら流石の彼女も怒るわよ?」
笑顔を絶やさず自分たちを見つめて喋る紫に、霊夢は面倒くさそうな表情で「分かってるわよ」とすかさず返す。
ルイズも同様に、紫の式が静かに怒っていた時の事を思い出してコクリと頷いて見せる。
魔理沙は未だ机に突っ伏して呻いているが、頭を押さえていた両手の内右手を微かに上げた。
大方「分かってるよ」と言いたいのだろうが、さっきルイズ達を煽っていた所を見るに理解していないようにも見える。
最後に残ったデルフは三人がそれぞれ答えを返して数秒ほど後に、留め具を鳴らして言葉を出した。
『んな事、百も承知だよ。最も、レイムが殴るのを止めなかったお前さんも大概だがな』
「あら、随分と口が悪い剣なのね。まぁそのお蔭でこの娘たちと仲良くやれてるんでしょうけど?」
「それどういう意味よ?」
デルフの冷静な指摘に対しても、その笑みを崩さぬ紫が彼に返した言葉にすかさず霊夢が反応し、
再び嫌悪な空気が流れ始めたのを感じ取ったルイズは、たまらずため息をついてしまいたくなってしまう。
そして彼女は願った。できるだけ、藍と橙の二人が自分と霊夢たちの荷物を手に速く帰ってこれるようにと。
現在このハルケギニアを訪問している八雲紫の式である八雲藍とその式の橙。
本来この部屋を借りている彼女たちは今、ルイズたちが言い争うこの部屋にはいない。
二人は紫からの命令を受けて、昨晩ルイズたちが大きな荷物を預けた店『ドラゴンが守る金庫』へと足を運んでいる。
理由は勿論、その店に預けているルイズ達三人の荷物を取りに行って貰ってるからだ。
念のため藍がルイズの姿に化けて荷物を出してもらい、その後で橙と一緒に運んでくるらしい。
ルイズ本人としては不安極まりなかったが、今の状況ではやむを得ない選択であった。
本当ならば任務の為に長期宿泊する宿を見つけてから荷物を取り出しに行く予定であったが、肝心の資金が盗まれてそれは不可能。
とはいえ一度出された任務はこなさなければと考えていたルイズに、話を盗み聞きしていた紫がこんな提案をしてきたのである。
―――ならここに泊まれば良いんじゃないのかしら?丁度他の部屋は余裕があるんでしょう?
―――――えぇ?ルイズはともかく、博麗の巫女たちと一緒に…ですか?
―――別に貴女には彼女たちを手助けしろだなんて言ってないわ、寝泊まりできる場所を確保してあげなさいって事よ
当初は主の提案に難色を示した藍であったが、結局は主からの命令に従う事となった。
橙も何か言いたそうな顔をしていたが、その前にされていた説教が大分効いたのか何も言うことは無かった。
「けれども、今の私達なんて文無しでしょう?泊まりたくても泊まれないじゃないの」
「いや、お金に関してなら私の口座に…少しだけなら残ってたと思うわ」
とはいえ、荷物はあっても任務をこなす為に必要な経費が無くなってしまった事に代わりは無い。
霊夢がそれを指摘すると、ルイズはこの夏季休暇に使う事は無いだろうと思っていた手札を彼女に明かす。
本来ならどん詰まりの状況なのだろうが、幸いルイズには財務庁の方で口座を開いていたのである。
口座…といっても実際には実家から送られてくる月々のお小遣いで、大した金額は入っていない。
それでも並みの平民にとっては半年分働いて稼いだ額と同じ金額であり、宿泊代は何とか捻出できる程にはある。
「あるといっても、三人分で一週間泊まれるかどうかの金額しかないけどね」
「それまでは並の人間らしい生活は遅れるけど、それ以降は物乞いデビューってところね」
「……冗談のつもりなんでしょうけど、今はマジで洒落にならないから言わないでよ」
今の自分たちにとって最も笑えない霊夢の冗談に突っ込みを入れつつ、ふと紫の方へと困った表情を向けてみる。
ここに自分たちを泊まらせるよう式に命令した彼女なら、きっと自分の手助けをしてくれるかもしれない。
そんな甘い期待を胸に抱いたルイズは手に持っていたままのデルフをベッドに置くと、いざ紫に向かって話しかけた。
「ゆ―――」
「残念ですが、お金の事に関しては貴女と霊夢たち自身の手で解決しなさい」
「うわ最悪、読まれてたわ」
『そりゃお前さん、あたりめーだろ』
すがるような表情から一転、苦虫を踏んだかのような苦しい表情を浮かべてしまう。
まぁダメで元々…という感じはしていたが、こうもストレートかつ百パーセントスマイルで拒否されるとは思ってもいなかった。
ついでと言わんばかりに放たれるデルフの突っ込みを優雅にスルーしつつ、ルイズは紫へ話しかけていく。
「どうして駄目なのよ?アンタなら自分の能力でいくらでも金貨を出せそうじゃないの」
「その通りね。私のスキマが…そう、゙王宮の金庫゙とここを繋げば…それこそ貴女に巨万の富を授ける事はできるわ」
「……成程、その代わり私が世紀の大泥棒になるって寸法ね」
自分の質問に目を細めてとんでもない返答をした紫に、ルイズは彼女を睨みながら冗談で返す。
大抵の人間が言えば冗談になるような例えでも、目の前にいるスキマ妖怪が言うと本気に思えてしまう。
「ちょっとアンタ、ルイズに何物騒な事吹き込んでるのよ」
そこへ紫の事は…少なくとも自分より詳しいであろう霊夢がすかさず彼女へと噛みついてくる。
まぁ妖怪退治を本業とする彼女の目の前であんな事を言ったのだ、そりゃ警戒するつもりで言うのは当たり前だろう。
そんな事を思って霊夢の方へと視線を向けたルイズは、そのまま彼女と紫の会話を聞く羽目になった。
「冗談よ霊夢。貴女ってホント、いつまで立っても人の冗談とかジョークに対して冷たいわよね」
「アンタは人じゃないでしょうが。それにアンタの性格と能力を知ってる私の耳には、本気で言ってるようにしか聞こえないわ」
「まぁ怖い!このか弱くてスキマしか操れない様な私が、そんな怖ろしい事をしでかすとでも…」
「しでかすと思ってるから、こうして警戒してるのよ私は」
ワザとらしく泣き真似をしようとする紫にキツイ調子でそう言った霊夢の言葉に、ルイズ達も同意であった。
ルイズ自身彼女と知り合って行こうしょっちょうちょっかいを掛けられていたし、デルフは幻想郷に拉致されている。
魔理沙も紫の能力がどれだけ便利なのかは間近で見ていた人間であり、そして彼女が最も油断ならない妖怪だと知っている。
霊夢に至っては、いわずもがな…というヤツだ。
結果的にスキマ妖怪の言葉に誰一人信用できず、霊夢は疑いの眼差しを紫へと向けている。
二人の近くに立つルイズに、殴られたダメージが癒えつつ魔理沙も顔を上げて紫を見つめていた。
流石に分が悪いと感じたのか、それともからかうのはそろそろやめた方が良いかと感じたのか…。
三人の視線を直に受けていた紫はその顔に薄らと微笑みを浮かべると、両肩を竦ませた。
「流石にそんな事はしないわ霊夢。…けれど、貴女たちにお金の支援をすることはできないと再度言っておくわ。
私の能力を使えば確かに楽に集まるけれど、それを長い目で見たら決して貴女たちに良い結果をもたらさないしね」
ようやく聞けた紫からのまともな返答に、ルイズは「…まぁそうよね」と渋い表情を浮かべて納得する。
昨晩は霊夢が荒稼ぎして手に入れた大金を盗まれたせいで、とんでもないどんちゃん騒ぎに巻き込まれてしまった。
変に荒稼ぎせずに、アンリエッタが支給してくれた経費で長期宿泊できる宿を探していればこうはならなかったに違いない。
というか、あの少年は自分たちが派手に稼いだのを何処かで見ていたに違いないだろう。
そんなルイズの考えている事を読み取ったのか、紫は笑顔を浮かべたまま考え込んでいるルイズへと話しかける。
「藍の話を聞いた限りでは、貴女たち…というか霊夢が賭博で色々と派手にやらかしたそうね?」
思い出していた最中に不意打ちさながらに入ってきた紫の言葉に、ルイズは思わず頷いてしまう。
「…そうよね。よくよく考えてみたら、昨日あんだけド派手な大勝してたら…そりゃ寄ってくるわよね」
「ちょっとルイズ、それはアンタの我儘を叶える為に張ってあげた私の苦労を台無しにする気?」
「いや、お前さんはそんなに苦労してないだろうが」
反省しているかのようなルイズに、昨日稼いだ大金を即日盗まれた霊夢が苦言を漏らすも、
ようやく後頭部の痛みが和らいできた魔理沙が恨めしそうな目で彼女を睨みつけながら突っ込みを入れられてしまう。
そこへデルフもすかさず『だな』と、短くも魔法使いの言葉に便乗する意思を見せる。
流石に魔理沙デルフにまでそんな事を言われてしまった霊夢は機嫌を損ねたのか、口をへの字に曲げてしまう。
「何よ、昨日は一発勝負大金稼いでやった私に対する仕打ちがこれなの?失礼しちゃうわね」
「…というか、博麗の巫女としての勘の良さを賭博で使う貴女が巫女としてどうかと思うわよ…霊夢?」
そんな時であった、昨日の事を思い出していた彼女へ紫がそう言ってきたのは。
さっきまでと同じ調子に聞こえる声は、どこか冷たさと鋭さを併せ持ったかのような雰囲気を霊夢は感じてしまう。
それを機敏に感じ取った霊夢の表情がスッ青ざめたかと思うと、ゆっくりと紫の方へと顔を向ける。
そこに八雲紫は佇んでいたが、帽子の下にある笑顔には何故か陰が差している気がする。
他の二人とデルフも先ほどの彼女の声色が微妙に変わっているのに気が付いたのか、怪訝な表情を浮かべて二人を見つめている。
「あれ?どうしたのかしら二人とも…何かおかしいような」
青ざめる霊夢と微笑み続ける紫を交互に見比べていたルイズが言うと、そこへ魔理沙も続いて呟く。
「あちゃ~…何か良くは知らんが、あれは紫のヤツ…今にも怒りそうだな」
『まぁ声の色にちょっとドスが入っているっぽいからな…ありゃ相当カッカしてると思うぜ』
これまでの経験から何となくスキマ妖怪が起こるっているであろうと察した魔理沙がそう言うとデルフも同じような言葉を呟き、
両者の意見を聞いた後でもう一度紫の笑顔を見たルイズは、 「え、え…何ですって?」と軽く驚いてしまう。
一瞬にして部屋の空気が代わった事に気が付かず、微笑み続けている紫は霊夢に喋り続けていく。
「貴女、昨日は随分と荒稼ぎしたそうね?それこそ、店の人間を泣かすくらいに」
「あ、あれはルイズが良い宿に泊まりたいって言うから、それでまぁ…ん?」
珍しく焦った表情を霊夢が若干慌てた様子で昨日の事を説明する中、紫がふと自分の頭上にスキマを開いた。
人差し指で何もない空間に入れた線がスキマとなり、数サント程度の真っ暗な空間が二人の間に現れる。
そのスキマと微笑み続ける紫を見て直感で゙ヤバい゙と感じたのか、更に焦り始めた霊夢が説明を続けていく。
「だ…だってしょうがないじゃないの!ルイズのヤツには、色々と借りがあっ――――…ッ!!」
言い切る前に、突如聞こえてきた鋭くも激しい音で紫とデルフを除く三人が身を竦ませて驚いた。
傍で聞いていたルイズと魔理沙、そして言い訳を述べようとした霊夢の目に音の正体が移り込む。
霊夢の足元へ勢いよく突き刺さったのは、普段から紫が愛用している白い日傘であった。
折りたたまれた状態のソレの先はフローリングの床に突き刺さり、僅かにだが横にグワングワンと揺れている。
まず最初に口が開けたのは意外にも霊夢ではなく、現在彼女の主であるルイズであった。
「は?日…傘?」
一体どこから…?と一瞬思ったルイズは、すぐに紫の頭上に開いたスキマへと視線を向ける。
彼女の予想通り、日傘を投げ槍の様に出したであろうスキマの゛向こう側゙にある幾つもの目が霊夢を睨んでいる。
明らかにその目は不機嫌そうな様子であり、それが今の紫の心境を明確に物語っているかのようだ。
『おぉ…こいつはちょっと、洒落にならんってヤツだな』
「いやいや、これは相当怒ってるぜ…?」
流石の魔理沙も今まで見たことないくらい怒っている紫に戦慄しているのか、自然と後ずさり始めている。
とある異変の後で紫と知り合った彼女にとって、紫がこれ程怒る姿を見るのはここで初めてであったからだ。
そして、その怒りの矛先である霊夢は…ただただこちらを見下ろす紫を見上げている。
まるで蛇に睨まれた蛙の様に身動き一つ取れないまま、こちらへスキマを向ける彼女の言葉を待っていた。
「あの、ゆ…――」
「――そういえば、ここ最近は貴女の事を色々と甘やかし過ぎていたかしらねぇ?」
自分の名前を呼ぼうとした霊夢の言葉を遮って、紫はわざとらしい調子で言う。
これまで幾度となく妖怪と戦い退治し、異変解決もこなしてきた博麗霊夢はそれで何となく察した。
久しぶり…というか多分、十年ぶりに八雲紫からのありがたーい゙御説教゙を受ける羽目になるのだと。
「久しぶりねぇ。私がこうして、あなたに博麗の巫女とは何たるかを教えるのは」
そう言って紫は先ほど自分の日傘を射出したスキマから一本の扇子を出し、それを右手で受け取る。
紫が愛用しているそれは何の変哲もない、人里にあるちょっとお高い品を扱う店で購入できるような代物。
キッチリと閉じている扇子で自分の左手のひらを二、三回と軽く叩いてみせた。
「藍が帰ってくるまで、私と昔教えた事の復習をしてみましょうか?霊夢」
「――…と、いうわけで今も゙御説教゙は継続中と言うワケなのよ」
――――そして時間は過ぎ、もうすぐお昼に迫ろうとしている時間帯。
ルイズたちの荷物を橙と共に持って帰ってきた八雲藍は、ルイズから何が起こったのか聞かされた。
彼女たちのすぐ近くでは、今も閉じた扇子を片手に持つ紫が拗ねたように顔を晒している霊夢に説教している。
最初は昨晩の博打において、巫女としての勘の良さを博打で使ってボロ儲けした事について話していた。
そこから次第に発展して、ルイズや魔理沙にデルフからこの世界での彼女の不躾な行動を聞き出し、
それを説教のネタにして長々と喋り続け、かれこれ藍と橙が戻ってきてからも彼女の゙御説教゙は続いていた。
今はルイズから部屋に隠していたお菓子を無断で食べたことについての説教をされているところである。
「…大体、貴女は普段から巫女としての心を持たないから…そうやって安易に手を出しちゃうのよ」
「むぅ~…だってあのチョコサンド、凄く美味しそうだったのよ?それをすぐに食べないなんて勿体ないじゃない」
「その食い意地だけは認めますけど、やっぱり貴女はまだまだ経験不足なのねぇ」
そんな二人の説教…と言うにはどこか緩やかさが垣間見えるやり取りを眺めつつ、
ルイズから事のあらましを聞き終えた八雲藍は呆れた…とでも言いたいかのように天井を一瞥した後、その口を開く。
「成程、帰ってきたときに見た時はかなり驚いたが……まぁ身から出た錆と言う奴だな」
「まぁ、アンタの言葉は外れてはいないわね。…それにしても、あのレイムがあんな大人しくなるなんて」
重い荷物を担いで戻ってきた彼女はベットに腰かけながら、横で話してくれたルイズに向けて開口一番そう言ってのける。
ついでルイズもそれに同意するかのように頷き、あの霊夢がマジメに説教を受けている事に驚いていた。
何せ召喚してからといもの、傍若無人かつそれなりに強かった博麗霊夢が借りてきた猫の様に小さくなっている。
召喚してからというものほぼ彼女と一緒に過ごし、彼女がどういう人間なのか知ったルイズにとって意外な発見であった。
「ルイズの言う通りだな。アイツなら誰が相手でも居丈高な態度を見せるもんだとばかり思ってたが…」
更に…自分よりも霊夢と一緒にいた回数が多いであろう魔理沙もルイズと同じような反応を見せている。
きっと彼女も、大人しく紫の説教を受けている霊夢の姿なんて一度も見たことがないのだろう。
今はその両腕で抱えているデルフも鞘から刀身を出して、魔理沙に続くようにして喋りはじめる。
『まぁレイムのヤツには丁度いいお灸になるだろ。…それで性格が直るワケはないと思うがな』
「そりゃーあの博麗霊夢だからねぇ、むしろあの性格は死ぬまで直らないんじゃないかなー」
やや鼓膜に障る程度の喧しい金属音混じりの言葉に、今度は式の式である橙がクスクスと笑いながら言う。
先ほど藍と一緒にルイズの荷物を持って帰って来た彼女は、叱られている霊夢の姿を見てざまぁ見ろとでも思っているのだろうか?
まぁさっきまで散々掴まれられたり文句を言われたりもしていたので、まぁそういう気持ちになっても仕方ない。
そう思っているのか藍も彼女を窘める事はせず、見守る事に徹していた。
そんな橙は今、紫が来るまで来ていた洋服ではなく霊夢達が見慣れている赤と白が目立つ服に着替え直している。
元は変装用にと藍が服を与えたのだが、今回の説教で紫から甘やかしてると判断されて没収されていた。
まぁ元々着ていた服も一部分を除けば洋服であるし、尻尾と耳をどうにか隠せれば何とか誤魔化せるだろう。
藍ならば自分の力でそれ等を極小に縮める事は出来るが、まだまだ力不足な橙にそれ程の芸当はできない。
その為荷物を取りに行った時はフードつきのコートを頭からすっぽり被り、上手く隠して日中の街中へと出ていた。
ただ本人曰く…「帰るときには気絶しそうなくらい暑かった」とも言っていたが…。
「あの服なら尻尾をスカートの中に入れてても痛くなかったし、便利だったのにな~…」
「確かに…あんなコートを頭から被って真夏日の街中で出るなら、あの服を着ていく方がいいと思うぜ」
『だな。夏真っ盛りの今にあんなん着てて歩いたら、その内日射病でバタンキューだ』
橙が羽織り、今は入口の傍に設置されているコートハンガーに掛けられているそれを見て、魔理沙とデルフも頷くほかない。
あれを着れば確かに耳と尻尾は隠れるのだろうが、間違いなく体中から滝の様な汗が流れるのは間違いないだろう。
何せ外は涼しい格好をした平民たちもしきりに汗を流し、日射病で倒れぬようしきりに水分補給をする程の暑さ。
それに加えて狭い通りを大勢の人々が歩き回ってるのだ。汗をかかない方が明らかにおかしいのである。
当然、橙の傍にいて彼女の様子を見ていた藍も魔理沙と同じことを思っていたようで、腕を組んで悩んでいた。
「う~ん、私は甘やかしたつもりはないのだがなぁ。ただ、あの子の事を思って服を用意しんだが…」
「そういえば、甘やかす側は偶に違うと思いつつも他の人から見ると甘やかしてるって見える時があるらしいわね」
真剣に悩んでいる彼女の姿を見て、ルイズは現在行方知れずの二番目の姉との優しい思い出を振り返りつつ、
常に厳しくキツい思い出しかない一番目の姉が彼女に言っていた言葉を思い出していた。
そんな風にして四人と一本が暇を潰している間、いよいよ霊夢と紫の楽しい(?)お話が終わろうとしていた。
「…まぁその分だとあまり反省してなさそうだけど…これに懲りたらちょっとは自分を見直しなさい。いいわね?」
「そんなの…分かってるわよ。何かしたら一々アンタの説教を聞くのも億劫だし」
長い説教をし終えた紫は最後にそう言って、目を逸らしつつも大人しく話を聞いていた霊夢へ説教の終わりを告げる。
対する霊夢も相変わらず顔を横に反らしたまま捨て台詞を吐いてから、クルッと踵を返して紫に背を向けてしまう。
一目見ただけでご立腹な巫女の背中に、紫は苦笑いしつつ彼女の左肩にそっと自分の左手を乗せた。
ついで、幾つものスキマを作り出せるその指で優しく撫でられると流石の霊夢も何かと思ってしまう。
「まぁ貴女は貴女でちゃんと頑張っているし、人間っていうのは叱られてこそ伸びるものよ」
そんな彼女へ、紫はまるで教え子を諭す教師になったかのような言葉を送る。
さっきまであんなに説教してきたというのに、しっかりフォローを入れてきたスキマ妖怪に霊夢は思わず彼女の方へ顔を向けてしまう。
そして自分だけでなく、それを傍目で眺めていたルイズと魔理沙もそちらの方へ顔を向けているのにも気づいていた。
途端に何か、得体のしれぬ気恥ずかしさで頬に薄い赤色が差した巫女はそれを誤魔化すように紫へ話しかける。
「……その言葉と、今私の肩を撫でまわしてる事にはどういう関係があるのよ」
「あら?肩じゃなくて頭のほうが 良かったかしら。昔みたいに…」
「まさか……もう子供じゃああるまいし」
そう言って霊夢は右手で紫の左手を優しく肩から離して、もう一度踵を返して今度は紫と向き合う。
既に気恥ずかしさは何処へと消え去り、いつもの調子へと戻った彼女は腰に手を当ててご立腹な様子を見せている。
「第一、ルイズや式はともかくとして魔理沙のヤツがいる前で昔の事なんか言わないでよ。からかいの種になるんだからさぁ」
「おぉ、こいつはひどいなぁ。私だけのけものかよ」
「でも不思議よね?霊夢の『ともかく』って実際は『どうでもいい』って事だからあんまり嬉しくないわ」
「まぁその通りだな」
『でもぶっちゃけ、この巫女さんに関われるよかそっちの方が幸せな気がするとオレっちは思うね』
自分の言葉に続くようにして魔理沙とルイズ、それに藍とデルフが相次いで声を上げる。
その光景に紫がクスクスと小さく笑いつつ、キッと三人と一本を睨み付ける霊夢へ話を続けていく。
「あら?そうは言っても過去は否定できませんわよ。今も私の頭の中には、幼少期の可愛い貴方の姿が…」
「だーかーらー!!昔のことは言わないでって言ってるでしょうが!」
「あぁ~ん、ダメよ霊夢ぅ~!公衆の面前よぉ~」
今となっては相当恥ずかしい昔の思い出を掘り返されたことに、霊夢は紫へ怒鳴りながら迫っていく。
紫自身も慣れたもので、今にも掴みかからんとする妖怪退治の専門家に対しての余裕っぷりを見せつけている。
一方で霊夢からのけもの扱いされた魔理沙は、紫の口からきいた意外な事実にほぉ~…と感心していた。
彼女としてもあの博麗霊夢がどのような幼少期を過ごしたのか気になってはいたが、それを聞いたことが無かったのである。
以前ふとした時に思いついて聞いてみたのだが上手い事はぐらかされてしまい、聞けずじまいであった。
妖精や天狗たちの噂で、自立できるまであの八雲紫が世話をしていたという話は耳にしていたが、あまり信用してはいなかった。
だが、その噂の中に出てくる大妖怪本人が言った事ならば…まぁちょっとは信用できるだろうと思うことができた。
「へぇ~、やっぱ噂は本当だったんだな。幼い頃の霊夢と一緒に過ごしたっていうのは」
魔理沙がそう言うと、紫と同じく幼少期の霊夢を知る藍が「…まぁ事実だしな」と主人の言葉が正しいと証明する。
「まぁ我々からしたらほんの一瞬であったが、幼いアイツへ紫様が直々に色んな事を教えていたのは覚えてるよ」
「へぇ~…それって意外ねぇ?あんな他人に冷たいレイムにそんな過去があるなんてね」
『どんなに冷酷、狡猾、残酷な人間でも乳飲み子や物心ついたばかりの時ってのは可愛いもんなんだぜ?』
「ちょっとデルフ、まるで私が犯罪者みたいな事言ってたら刀身にお札貼り付けて封印してやるわよ」
藍からの証言を聞いたルイズは自分の使い魔の意外な過去に驚き、デルフがとんでもない事を言ってしまう。
そして変に耳の良い霊夢がすかさず釘を刺しに来ると、彼はプルプルと刀身を震わせて笑っている。
これまで何度も同じような脅し文句を言われてきたのだ、彼女が冗談混じりで言っているのかどうか分かっているようだ。
実際霊夢自身も半分程冗談で言ったので、それを読み取って笑っているデルフに「全く…」と苦笑するしかない。
「すっかり慣れちゃってるわね。この喧しい魔剣モドキは…ったく」
そう言いながら彼女は魔理沙が抱えている彼の元へ近づくと、中指の甲で軽く鞘の部分を勢いよく叩いた。
カンカン…という軽い音ともに鞘は僅かに揺れ、またも刀身を震わせたデルフが霊夢に向かって言葉を発する。
『おっ…と!鞘はもっと大事に扱ってくれよな、それがなきゃオレは黙れないし一生抜身のままなんだぜ』
「別にアンタがそうなら構わないわよ。だって私はアンタじゃないんだしね」
『こいつは手厳しいや。こりゃ暫くは黙っておいた方が身のためだね』
「あら?アンタも大分懸命になったようね。感心感心」
互いに軽口で返した後で霊夢は微笑み、デルフもまた笑うかのようにまた自らの刀身を震わせた。
偶然だったかもしれないが、デルフのお蔭で部屋に和やかな空気が戻った後…思い出したように魔理沙が口を開く。
「まぁアレだな。これを機に霊夢も昔の可愛い自分を思い出して私達に優しくしてくれればそのう―――…デデデデッ!」
空気が和んだところで、通り過ぎたばかりの地雷原へと突っ込んだ魔理沙の頬を霊夢が容赦なく抓った。
デルフを持っていたことが災いしてか、避けるヒマもなく攻撃を喰らった彼女の目の端へ一気に涙が溜まっていく。
対して霊夢の表情は先ほどの微笑みを浮かんだまま止まっており、それが異様な雰囲気を作り出している。
「それ以上口にしたら、アンタにはもう一度痛い目に遭ってもらうわよ。いいわね?」
「も、もうとっくにされてる…ってア…ダァッ!」
「ちょっとレイム、マリサを擁護するつもりは無いけれどこれ以上騒がしくしたらスカロンたちが起きちゃうわよ」
自分の過去を茶化そうとする黒白に個人的制裁を加える霊夢に、流石のルイズが止めに入った。
今までちょっとだけ忘れていたが、一応この階では今夜の営業に備えてスカロンやジェシカ達が寝ているのである。
もしも変に騒ぎ過ぎて起こしてしまえば、怒りの形相でこの部屋へ殴りこんでくるかもしれない。
人間の中には寝ている途中に起こされる事を極端に嫌い、憤怒する者たちがいる事を彼女は知っているのだ。
しかし、そんな理由で少し慌てているルイズにそれまで黙っていた紫が「あら、それは大丈夫よ」と言葉を発した。
「こんな事もあろうかと、この部屋の中だけ静と騒の境界を弄っておいたから多少騒いでも問題ないわ」
紫の発したその言葉に「え?」と言いたげな表情を向けたルイズは、意味が良く分からなかった為に彼女へ質問する。
「つまり…それって霊夢を特に止める必要は無いって事?」
「まぁ、そうなるわね。あくまでも多少だけど」
自分の質問に対する紫の答えを聞いた後、ルイズはもう一度霊夢達の方へ顔を向けて言った。
「………というわけよ。だから…まぁ程々にしてあげてね」
「いや、ルイズ…程々って―――イダダダダダタァッ…!」
あっさりとルイズに見捨てられた魔理沙は彼女へ向けて右手を差し出そうとするが、
それを許さない霊夢の容赦ない攻撃によって宙を乱暴に引っ掻き回し、涙目になって悲鳴を上げてしまう。
そんな彼女の左腕の中に抱えられたデルフは鞘越しの刀身を震わせていたが、それは恐怖から来る震えであった。
――やっぱり今の『相棒』はとんでもなくおっかないと、そんな再認識をしながら。
その後、魔理沙が解放されたのは一、二分ほど経った後だった。
流石にこれ以上耐えるのは無理と判断したのか、両手を上げて霊夢に降参を伝えると彼女はあっさりと手を放したのである。
「まぁこんだけやればアンタも今だけは懲りてるだろうし、なにぶん私の手がつかれちゃうわ」
「……機会があったら、是非とも昔の事を話してもらいたいぜ」
抓られていた頬を押さえる涙目の魔理沙がそう言うと、霊夢は「まぁその内ね」と彼女の方を見ずに言葉を返す。
最も、彼女の言う「その内」というのはきっと…いや絶対に訪れることは無いのだろう。
そう確信した魔理沙はいずれ紫本人から話を聞いてみようと思いつつ、
頬を抓ってくれた霊夢と共犯者のルイズには、いずれとびっきりの『お返し』をしてやろうと心の中で固く誓った。
さっきあれ程酷い事をしたというのに平然としている霊夢に、心の中で何かよからぬ事を企んでいそうな魔理沙。
そんな二人をベッドに腰掛けて見つめるルイズは、相変わらず仲が良いのか悪いのか良く分からない彼女たちにため息をついてしまう。
思えばこんな二人と同じ部屋で暮らして寝ている何て事、一年前の自分には想像もつかない事だろう。
あの頃は『ゼロ』という不名誉な二つ名と共に苛められて、何度挫けそうになりながらも必死に頑張っていた。
実家から持ってきた荷物の中に入っていたくまのぬいぐるみと、それに付いていたカトレアからの手紙だけを頼りに文字通り戦ったのである。
――『あなたならできるわ。自分を信じて』という短い一文は、自分に戦えるだけの活力を与えてくれた。
それから一年後の春。今こそ見返してやろうと挑戦した使い魔召喚の儀式を経て―――ご覧の有様となったわけである。
(何度も思ってきたけど、ハルケギニアの中でこれ程波乱万丈な青春を過ごしてる女の子何て私ぐらいなものなんじゃない?)
今やこのハルケギニアと繋がってしまった異世界での異変を解決する側となったルイズは、思わず我が身の不幸を呪ってしまう。
確かに使い魔は召喚できたのだが、始祖ブリミルは一体何の因果で自分に霊夢みたいな巫女を押し付けてきたのだろうか?
更にそれから暫くして今度は彼女の世界へ連れ去られ、ワケあって魔理沙という騒がしい魔法使いとも暮らしていく羽目になってしまった。
(あの二人の相手をするだけでも忙しいのに、しまいには私があの『虚無』の担い手なんてね…)
そして、どうして自分が始祖の使いし第五の系統の担い手として選ばれたのか…?
『虚無』に覚醒して以降、これまで何度も思った疑問を再び思い浮かべようとした直前、
それまで三人を無視して自分の式から長い長い話を聞いていた紫の声が、思考しようとするルイズの耳の中へと入ってきた。
「ふふふ…どうやら私が顔を見せていない間に、随分と進展があったようねルイズ。それに霊夢も、ね」
明らかに自分へ向けられたその言葉に気づくまで数秒、ハッとした表情を浮かべたルイズが声のした方へと顔を向ける。
案の定そこにいたのは、何やら満足気な笑顔を浮かべて自分を見下ろす紫の姿があった。
「この世界で伝説と呼ばれている『ガンダールヴ』の力に、系統魔法とは違う第五の系統『虚無』の覚醒。
私の思っていた通り、霊夢を使い魔として召喚しただけの力量はちゃんと持っていたという事なのね」
閉じた扇子で口元を隠し、笑顔で話しかけてくる紫にルイズは多少困惑しつつも「あ、当たり前じゃない」と弱々しく言葉を返す。
「この私を誰だと思って…って本当は言いたいところだけど、正直『虚無』の事は喜んでいいたのかどうか…」
「…?珍しいわねルイズ。いつものアンタなら胸を張って喜ぶだろうって思ったのに…紫が褒めたからかしら」
「早速失礼な事を言ってくる霊夢は置いておいて…確かに彼女の言うとおり、もう少し胸を張ってもバチは当たらないと思うわよ?」
さっき叱られたばかりだというのにいきなり自分に喧嘩を売ってくる霊夢に肩を竦めつつ、紫はルイズにそう言ってあげる。
『虚無』に目覚め、アルビオン艦隊を焼き払ってこの国を救った人間にしては、ルイズはやけに謙虚であった。
アンリエッタから無暗な公表は避けろと言われてるからなのだろうが…、そうだとしても変に謙虚過ぎる。
霊夢の言うとおり、いつもの彼女ならば前もって自分がどういう人間なのか知っている彼女や紫に対して、
「どう、スゴイでしょ?」とか「ようやく私の時代が来たわ!」とか強気になって言いそうなモノなのだが……。
「今まで苛められてた分を強気になってやり返してやろう…とかそういう事言いそうだと思ってたのに」
「失礼ね、私がそんな事すると思ってたの?…っていうか、姫さまに公にするよう禁止されてるからどっちにしろ不可能だし」
勝手な自分のイメージを脳内で組み立てていた霊夢を軽く注意した後で、ルイズは他の皆に向かってぽつぽつと喋り始めた。
それは『虚無』の担い手として覚醒し、初めて『エクスプロージョン』詠唱から発動しようとした時の事である。
「レイム、マリサ。私がタルブ村でアルビオンの艦隊に向けて『エクスプロージョン』を放った時のこと、憶えてる?」
突然話題を振ってきたルイズに霊夢と魔理沙は互いの顔を一瞬見遣った後、二人してルイズの方へ顔を向けて頷く。
あれから少し経ったが、今でもあの村で感じたルイズの力はそれまで感じたことがない程のものであった。
それまで彼女の失敗魔法を幾度となく見てきた霊夢でさえも、魔法を発動する直前に思わず身構えてしまったのである。
極めつけはあの威力、魔理沙もそうだがあの小さな体のどこにあれだけの爆発を起こせる程の力があったのだろうか。
「正直あれは驚いたわね。まさか土壇場であんな魔法をぶっつけ本番で発動して片付けちゃうなんてね」
「全くだぜ。おかげで私の活躍する機会が無くなってしまったが…まぁその分あんな爆発魔法を見れたから十分満足してるよ」
「成程。魔理沙はともかくとして、霊夢ともあろう者がそれ程感心するのならさぞやすごい魔法なのでしょうね」
思い出していた霊夢に魔理沙も同調して頷くと、藍から『虚無』の事を聞いたばかりの紫は興味深そうな表情を見せている。
まだ実物を見ていない為に詳しい事は分からないが、あの霊夢と魔理沙が多少なりとも感心しているのだ。
是非とも近いうちに生で見てみたいと思った紫は、尚も浮かばぬ表情をしているルイズの方へと顔を向けて話しかける。
「でも見た所、貴女自身はその『エクスプロージョン』という魔法を、あまり撃ちたくはなさそうな感じね」
「…姫さまの前では虚無の力を役立てたいって言ったけど、またあれだけの規模の爆発を起こせと言われたら…ちょっとね」
アルビオンの艦隊を飲み込んだあの光が脳裏に過らせて、ルイズは自分の素直な気持ちを彼女へ伝える。
ふとある時、ルイズは口にしないだけでこんな事を考えるようになった。
もしもアンリエッタの身か…トリステインに大きな危機が訪れるというのならば、止むを得ず虚無を行使するかもしれない。
しかし、そうなれば次に唱えて発動する『エクスプロージョン』は何を飲み込み…そして爆発させるのだろうか?
そして何よりも怖いのは―――タルブの時と同じように上手く『エクスプロージョン』を操れるかどうかであった。
「何だか怖くなってきたのよ。もしも次に、あの魔法を使う時には…タルブの時みたい上手ぐコントロール゙できるのか…って」
「あら?それは初耳ね」
顔を俯かせ、陰りを見せるルイズの口から出た言葉に紫はすかさず反応する。
先ほどの藍の話では『エクスプロージョン』の事は出たが、その中に彼女が口にした単語は耳にしていなかった。
しかし霊夢にはルイズの言う事に少し心当たりがあったのか、以前デルフが言っていた事を思い出す。
――あぁ…―――まぁそうだなぁ~…。娘っ子が『虚無』を初めて扱うにしても、手元を狂わせる事は…しないだろうなぁ
――不吉って言い方は似合わんぜマリサ。もし娘っ子が『エクスプロージョン』の制御に失敗したら…
―――――俺もお前らも、全員跡形も無く消えちまう…文字通りの『死』が待っているんだぜ?
エクスプロージョンを唱えていたルイズを前にして、あのインテリジェンスソードはそんなおっかない事を言っていた。
その後、しっかりと発動できたルイズを見て少々大げさだったんじゃないかと思っていたが…。
まさか彼の言う通り、下手すればルイズがあの魔法のコントロールに失敗していた可能性があったのだろうか。
今更ながらそう思い、もしも゙失敗しだ時の事を想像して身震いしかけた霊夢はそれを誤魔化すようにデルフへ話しかける。
「ちょっとデルフ、アンタあの時…ルイズの『エクスプロージョン』が制御に失敗したらどうとか言ってたけど…まさか――」
『あぁ、みなまで言わなくても言いたい事は分かるぜ?』
霊夢の言葉を途中で遮ったデルフは、自身が置かれているテーブルの上でカチャカチャと音を鳴らしながら喋り始めた。
『お前さんと娘っ子が考えてる通り、確かにあの『エクスプロージョン』は下手すると制御に失敗してたと思うぜ?
何せ体の中の精神力――まぁ魔力みたいなもんを一気に溜め込んで、発動と共にそれを大爆発に変換するからな。
詠唱して十秒も経ってないのなら大した事無いがな、あの時の娘っ子みたいに長々と詠唱した後で失敗してたとするならば…
そうだな~、娘っ子を除くありとあらゆる周囲のモノが文字通りあの爆発に呑み込まれて、消えてただろうな。それだけは間違いないぜ』
軽々と、まるで街角で他愛もない世間話をするかのようにデルフがおっかない事を言ってのける。
その話を聞いていた霊夢はやっぱりと言いたげにため息を吐くと、同じく話を聞いていたルイズたちの方へと顔を向けた。
「だ、そうよ?…まぁあの魔力の集まり方からして相当危ないってのは分かってたけど…」
話を聞き終わり、顔色が若干青くなっていた魔理沙とルイズにそう言うと、まず先に魔理沙が口を開いた。
「し…周囲のモノって…うわぁ~、何だか聞いただけでもヤバそうだな」
『でもまぁ、虚無の中では初歩中の初歩だしな。詠唱してた娘っ子もそうなると分かってたと思うぜ…だろ?』
今になって狼狽えている黒白向かってそんな事を言ったデルフは、次にルイズへと話しかける。
デルフの意味ありげな言葉に霊夢達が彼女の方へと視線を向けると、ルイズは青くなっている顔をゆっくりと頷かせた。
「まぁ…ね。……あの時、呪文を唱え終えて…いざ杖を振り上げようとしたときにね…浮かんできたの」
「浮かんできた?何がよ?」
最後の一言に謎を感じた霊夢が怪訝な顔をして訊ねてみると、ルイズはゆっくりと喋り始めた。
あの時、『エクスプロージョン』を放とうとした自分には『何が視えていた』のかを。
いざ呪文を発動しようとした時に『エクスプロージョン』どれ程の規模なのか理解したのだという。
それは自分を中心に周囲にいる者たちを焼き払い、遥か上空にいるアルビン艦隊をタルブごと一掃する程の大爆発を引き起こすと。
だからこそ彼女は選択した。これから解放するべき力を何処へ流し込み、そして爆発させるのかを。
勿論その目標は頭上の艦隊であったが、そのうえでルイズは更に攻撃対象から゙人間゛を取り除いたのである。
そこまで話したところで一息ついた彼女に、おそるおそるといった様子で魔理沙が話しかけてきた。
「じゃああの時、うまいこと船の動力と帆だけが燃えて墜落していったのって…まさかお前が?」
「えぇ、その通りよ。…ぶっつけ本番だったけど、思いの外うまくいくものなのね」
彼女からの質問にルイズは頷いてそう答えると、あの時の咄嗟の判断を思い出して安堵のため息をつく。
どうやら彼女自身も、そんな土壇場で良く船だけを狙って攻撃できた事に驚いているらしい。
以前アンリエッタの前で、この力を貴女の為に使いたいと申し出た時とはまた違う印象を感じるルイズの姿。
やはり虚無の担い手である前に一学生である彼女にとって、人を殺すという事は極力したくないようだ。
まぁそれは私も同じよね…霊夢はそんな事を思いながら、ベッドに腰掛けている彼女に向かって言葉を掛ける。
「にしたってアンタは大した事やってるわよ?何せあれだけの爆発魔法を使っておきながら、船だけを狙ったんだから」
「そうそう…って、ん…んぅ?」
突如、あの博麗霊夢の口から出た賞賛の言葉で最初に反応したのは、言葉を掛けられたルイズ本人ではなく魔理沙であった。
思わず相槌を打ったところでその言葉を霊夢が言ったことに気が付いたのか、丸くなった目を彼女の方へと向けてしまう。
黙って話を聞いていた藍と橙もまさかと思っているのか、怪訝な表情を浮かべている。
ただ一人、八雲紫だけは珍しく他人に肯定的な言葉をあげた霊夢を見てニヤついていた。
「え…う、うん…?ありがとう…っていうかどうしたのよ、急に褒めたりなんかして?」
そして褒められたルイズもまた魔理沙たちから一足遅れて反応し、怪訝な表情を浮かべて聞いてみる。
基本他人には冷たい言葉を向ける彼女が、どういう風の吹き回しなのだろうかと疑っているのだ。
そんなルイズから思わず聞き返されてしまった霊夢は「失礼するわね」と少し怒りつつも、そこから言葉を続けていく。
「特に深い意味なんて無いわよ。…ただ、アンタはあの時ちゃんと自分の力をコントロールして、船を落としたんでしょ?
そりゃ失敗した時のもしもを聞いて青くなったりしたけど、そこまでできてたんなら心配する必要なんか無いでしょうに。
アンタはしっかりあの『虚無』をちゃんと扱えてたんだし、変にビクついてたらそれこそ次は失敗するかも知れないじゃない」
霊夢の口から送られたその言葉に、ルイズはハッと表情を浮かべて彼女の顔を見つめる。
いつもみたいにやや厳しい口調ではあったが、要点だけ言えばあの時『虚無』をうまく扱えたと彼女は言っているのだ。
珍しく他人である自分を褒めた霊夢に続くようにして、目を丸くしていた魔理沙もルイズに言葉を掛けていく。
「まぁちょっと意外だったが、霊夢の言うとおりだぜ?自分の力なのに使う度に一々ビクビクしてたら、気が持たないしな」
「…あ、ありがとう。励ましてくれて…」
あの魔理沙にまで言葉を掛けられたルイズは、気恥ずかしそうに礼を言うとその顔を俯かせる。
まさか霊夢だけではなく、あの魔理沙にまで優しい言葉を掛けられるとは思っていなかったルイズは嬉しいとは感じていたが、
二人同時に優しくされるという事態に今夜は雨どころか、雪と雷とついでに槍まで降ってくるのではないかと思っていた。
そんな三人のやり取りを少し離れた位置で眺めていたデルフも、カチャカチャと刀身を揺らしながら彼女に言葉を掛ける。
『まぁ初めてにしちゃあ上々だったぜ。味方はともかく、敵の命まで奪わないっていう芸当何て誰にでもできることじゃない。
そこはお前さんの隠れた才能があったからこそだと思うし、ちゃんと目標を決めて魔法を当てたってのは大きいぜ?
娘っ子、お前さんにはやっぱり『虚無』の担い手として選ばれる素質がちゃんとあるんだ。そこは確かだと思っといてくれ』
「……もう、何なのよさっきから?揃いも揃って私を褒め称えてくるだなんて」
デルフにまでそんな事を言われたルイズの顔がほんのり赤くなり、それを隠すように顔を横へと向ける。
しかし、赤くなった顔は薄らと笑っており、霊夢達は何となく彼女が照れているのだと察していた。
そんな微笑ましい光景を目にしてクスクスと笑いながら、紫は同じく静観していた藍へと小声で話しかける。
「ふふ…どうやら私が思っていたより、仲が良さそうで安心したわ」
「ですね。霊夢はともかくあの霧雨魔理沙とあそこまで仲良く接するとは思ってもいませんでしたが…」
主の言葉に頷きながら、藍もまたルイズと仲良く付き合っている二人を見て軽い驚きを感じていた。
照れ隠しをするルイズを見てニヤついている魔理沙と、顔を逸らした彼女を見て小さな溜め息をついている霊夢。
そして鞘から刀身を出したまま三人を見つめるデルフという光景に、不仲な空気というものは感じられない。
先程ルイズから聞いた話では大切にとっておいたお菓子を食べられたとかどうかで揉み合いになったらしいが、
そこはあの喋る剣が上手い事彼女を説得して、何とかやらかしてしまった霊夢達と和解させたのだという。
剣とはいえ伊達に長生きはしてないという事なのだろう。彼曰く自身への扱いはあまりよろしくないらしいが。
「ちょっとは心配してたけど、今のままなら異変が解決するまで不仲になる事はないと思うわね」
「仰る通りだと……あっ、そうだ!紫様、少々遅れましたが…これを」
まるで成長した我が子を遠い目で見るような親のような事を言う紫の「異変解決」という言葉で何か思い出したのか、
ハッとした表情を浮かべた藍は懐に入れていた一冊のメモ帳を取り出し、それを紫の方へと差し出した。
最初は何かと思った紫は首を傾げそうになったものの、すぐに思い出しのか「あぁ」とそのメモ帳を手に取った。
「ご苦労様ね、藍。いつまで経っても渡されないから、てっきりサボってたものかと思ってたわ」
「滅相もありません。紫様が来てから少しドタバタしました故、渡すのが遅れてしまいました」
「あら、頭を下げる必要は無いわ。私だって半分忘れかけてたもの」
紫はそう言って手に取ったメモ帳をパラパラと捲ると、偶然開いたページにはハルケギニアの大陸図が描かれていた。
その地図にはハルケギニアの文字は見当たらず、紫にとって見慣れた漢字やひらがなで幾つもの情報が記されている。
国や地方、そして各街町村の名前まで……。
紫の掌より少しだけ大きいメモ帳に『びっしり』と、それこそ虫眼鏡を使えば分からぬほどに。
王立図書館に保管されている大陸図と比べると怖ろしい程精密であったが、見にくい事このうえない大陸図である。
もしもここにその大陸図が置いてあれば、紫は迷うことなくそちらの方を手に取っていただろう。
一通り目を通した紫はメモ帳を閉じると、ニコニコと微笑みながら藍一言述べてあげた。
「藍…書いてくれたのは嬉しいけどもう少し他人に分かるように書いてくれないかしら?」
「すみません、書いてる途中に色々調べていたら恥ずかしくも知的好奇心が湧いてしまいまして…」
申し訳なさそうに頭を下げた藍にため息をついた後、気を取り直して紫は他のページも試しに捲ってみる。
その他のページにはハルケギニアで広く使われているガリア語で書かれた看板等を書き写し等、
一般の人から聞いたであろ与太話やその国のちょっとした事に、亜人達のおおまなかスケッチまで描かれている。
特に魔法関連に関しては綿密に記されており、貴族向けの専門書と肩を並べるほどの情報量が載っていた。
最初に見た地図を除けば、自分のリクエスト通りに藍はこの世界の情報を収集していた。
その事に満足した紫はウンウンと満足気に頷くと、こちらの言葉を待っている藍へと話しかける。
「…まぁ概ね良好の様ね。…しかも、この世界の魔法については結構調べてるんじゃないの?」
「はい。この世界の魔法は広く普及しています故、情報収集には然程時間はかかりませんでした」
「それにしてもこの短期間で良く調べたられたわ。さすが私の式という事だけあるわね」
「いえ、滅相も無い。紫様が渡してくれたあの『日記』があったからこそ、効率よく進められたものです」
藍はそう言って視線を紫からベッドの下、その奥にある一冊の本へと向ける。
今から少し前…霊夢達の居場所を把握し紫が連れ帰った後、藍もまた幻想郷に呼び戻されていた。
暇してただろうから…という理由で博麗神社の居間に座布団を用意した後、紫直々にあの『日記』渡されたのである。
その『日記』こそ、とある事情でアルビオンへと赴いた霊夢がニューカッスル城で手に入れた一冊。
本来ならハルケギニアには存在しない日本語で書かれた、誰かが残したであろう『日記』であった。
――『ハルケギニアについて』…?紫様、これは…
霊夢と侵食されていた結界へ応急処置を施した後、彼女の見ていない場所で藍はその『日記』を渡された。
表紙の日本語で書かれた見慣れぬ単語が、あの異世界のものだと知った彼女を察して、紫は先に口を開いて行った。
―――霊夢が召喚したであろう娘の部屋に置いてたわ…後は喋る剣もあったけど、そっちは私が調べておくわ
そう言って彼女は右手に持っていた剣――デルフリンガーを軽く揺すってみせた。
その後、藍をスキマでハルケギニアに戻した紫は霊夢とまだ狼狽えていたルイズから詳しい話を聞き出す事となった。
異世界人であり、尚且つ学生としても優等生であろう彼女のおかげであの世界についての大まかな事はわかったらしい。
しかし所詮は一個人だ。あの世界の事を全て知っているという事はないだろう。
だから藍は橙と共にハルケギニアに居続け、現在も情報収集を継続して行っている。
『日記』のおかげで国や地方の名前も比較的速くに分かったし、何より危険な情報も事前に知る事ができた。
「あの『日記』のおかげで、この世界では危険視されている亜人と下手に接触せずに済んだのは良い事だと私は思ってます」
亜人のスケッチを興味深そうに眺めている紫を見て、藍は苦虫を噛み砕くような顔で呟く。
「あら?このオーク鬼やコボルドはともかく、翼竜人…や吸血鬼なんかとは話が通じそうな感じだけど…」
「とんでもありません。ハッキリ言って、彼奴らの宗教観では我々妖怪との共存も不可能ですよ」
スケッチに書かれている翼人を目にして、藍はゲルマニアの山岳地帯で奴らに追いかけ回された事を思い出してしまう。
最初は人の姿をして友好的なコミュニケーションを取ろうとしたが、かえってそれが仇となってしまったのである。
悠々と大きな翼を使って飛ぶ翼人たちが自分に向けてどんな事を言ったのかも、無論覚えていた。
―――立ち去れ下等な人間よ。さもなくば我々は精霊の力と共にお前の命を奪って見せようぞ
こちらの言葉に全くを耳を貸さない姿勢に、あの地面を這う虫を見るかのような見下した表情と目つき。
きっと自分が来る以前に、大勢の人間を殺してきたのだろう。それこそ畑を荒らす虫を踏みつぶすようにして。
「まぁ無理に波風立てる必要は無いと思い戦いはしませんでしたが、あんな態度では人との共存など不可能かと…」
「そう。……あら?」
命からがら逃げた…というワケでもない藍からの話を聞いていた紫は、ふとルイズ達の方で騒ぎ声がするのに気が付いた。
先ほどまで和気藹々とルイズを褒めていた二人の内魔理沙が、何やら彼女と揉め事になっているらしい。
…とはいっても、その内容は至ってシンプルかつ非常に阿呆臭いものであった。
「だから、私の虚無が覚醒した記念とやらで飲み会をしたい気持ちは分かるけど…何で私がアンタ達の酒代まで負担しなきゃいけないのよ!」
「まぁ落着けよルイズ、そう怒鳴るなって」
先ほど照れていた時とは打って変わり、顔を赤くして怒鳴るルイズに魔理沙は両手を前に突き出して彼女を宥めようとする。
彼女の言葉が正しければ、恐らくあの魔理沙が持ち金の無い状態で今夜は一杯…とでも言ったのだろう。
ルイズもまぁ、それくらいなら…という感じではあるが、どうやらその酒代に関して揉めているらしかった。
「何もお前さんにおごらせるつもりはないぜ?ちょっとの間酒代を貸してもらうだけで……―――」
「だーかーらー!結局それって、私のなけなしの貯金を使って飲むって事になるじゃないの!」
とんでもない事を言う魔理沙を黙らせるようにして、ルイズは更なる怒号で畳み掛けていく。
すぐ傍にいる霊夢は思わず耳を塞ぎ、至近距離で怒鳴られた魔理沙はうわっと声を上げて後ろに下がってしまう。
しかし、幻想郷では霊夢に続いて数々の弾幕を潜り抜けてきた人間とあって、それで黙る程大人しくはなかった。
思わす後ずさりしてしまった魔理沙はしかし、気を取り直すように口元に笑みを浮かべる。
まるで我に必勝の策ありとでも言いたげな顔を見てひとまずルイズは口を閉じ、それを合図に魔理沙は再び喋り出す。
「なぁーに、昨日の悪ガキに奪われた金貨を取り返せればすぐにでも返してやるぜ。やられっ放しってのは性に合わないしな」
「…!魔理沙の言う通りね。忘れてたけど、このままにしておくのは何だかんだ言って癪に障るってものよ」
彼女の言葉で昨晩の屈辱を思い出した霊夢の『スイッチ』が入ったのか、彼女の目がキッと鋭く光る。
思えば…もしもあの少年をしっかり捕まえる事ができていれば、今頃上等な宿屋で快適な夏を過ごせていたはずなのだ。
そして何よりも、自分がカジノで稼いだ大金を世の中を舐めているような子供盗られたというのは、人として許せないものがある。
「今夜中にあの悪ガキの居場所を突きとめてお金を取り戻して、この博麗霊夢が人としての道理を教えてあげるわ!」
「その博麗の巫女として相応しい勘の良さで乱暴な荒稼ぎをした貴女が、人の道理とやらを他人に教える資格は無くてよ」
「え?…イタッ」
左の拳を握りしめ、鼻息を荒くして宣言して霊夢へ…紫はすかさず扇子での鋭い突っ込みを入れた。
それほど力は入れていなかったものの、迷いの無い速さで自身の脳天を叩いた扇子が刺すような痛みを与えてくる。
思わず悲鳴を上げて脳天を抑えた霊夢を眺めつつ、紫はため息をついて彼女へ話しかける。
「霊夢?貴女とルイズ達からお金を奪ったっていう子供から、そのお金を取り戻す事に関して私は何も言わないわ。
だけど、取り戻す以上の事をしでかせば―――勘の良い貴女なら、私が何も言わなくとも…理解できるわよね?」
「……分かってるわよ、そんくらい」
先ほどまで浮かべていた笑顔ではなく、少し怒っているようにも見える表情で話しかけてくる紫の方へ顔を向けた霊夢は、
流石に反省…したかはどうか知らないが、少し拗ねた様子を見せながらもコクリと頷いて見せる。
一度ならず二度までも霊夢が大人しくなったのを見て、ルイズは内心おぉ…と呻いて紫に感心していた。
どのような過去があるのか詳しくは知らないが、きっと彼女にとって紫は特別な存在なのだろう。
子供の様に頬を膨らませて視線を逸らす霊夢と、それを見て楽しそうに微笑む八雲紫を見つめながらルイズは思った。
少し熱が入り過ぎていた霊夢を落ち着かせた紫は、若干拗ねている様にも見える彼女へそっと囁いた。
「まぁ…これからはダメだけど、手に入れちゃったものは仕方ないしね…貴女なら五日も掛からないでしょう?」
紫が呟いた言葉の意味を理解したのか霊夢はチラッと彼女を一瞥した後、再び視線を逸らしてから口を開く。
「…う~ん、どうかしらねぇ?この街って結構広いから…。でもま、子供のスリっていうなら大体目星が付くかも」
「お!霊夢がいよいよやる気になったか?こりゃ早々に大量の金貨と再会できそうだぜ」
「だからっていきなり今夜から飲むのは禁止よ。私の貯金だと宿泊代と食事代で精一杯なんだから」
昨晩自分に負け星をくれた少年を捕まえ、稼いだ金貨を取り戻そうという意思を見せる霊夢。
そんな彼女を見て早くも勝利を確信したかのような魔理沙と、そんな彼女へ忘れずに釘を刺すルイズ。
仲が良いのか悪いのか、良く分からない三人を見て和みつつ紫は最後にもう一度と三人へ話しかける。
「霊夢…それに魔理沙。ルイズがこの世界の幻と言われる系統に目覚めた以上、この世界で何らかの動きがある事は間違いないわ。
それが貴女たちにどのような結果をもたらすかは知らないけれど、いずれは貴女たちに対しての明確な脅威が次々と出てくる筈よ」
紫の言葉に三人は頷き、ルイズと霊夢は共にタルブで姿を現したシェフィールドの事を思い出していた。
あの場所で起きた戦いの後に行方をくらませているのなら、いずれ何処かで出会う可能性が高いのである。
最初に出会った時は森の仲であったが、もし次に出会う場所がここ王都の様な人口密集地帯であれば、
けしかけてくるであろうキメラが造り出す、文字通りの『惨劇』を食い止めなければならないのだ。
「その時、最も頼りになるのが貴女たち二人…その事を忘れずにね?無論、その時はルイズも戦いに加わってもいい。
前にも言ったように脅威と対峙し、戦いを積んでいけばいずれは…今幻想郷で起きている異変の黒幕に辿り着く事も夢じゃないわ」
その事、努々忘るるなかれ。最後に一言、やや格好つけて話を終えた紫は右手に持っていた扇子で口元を隠してみせる。
これで私からの話は以上だ。…というサインは無事に伝わったのか、ルイズたちは暫し互いを見合ってから紫へと話しかけていく。
「あ、当たり前じゃない。何てったって私は霊夢を召喚した『虚無』の担い手なんだから!」
「ふふふ…貴女の事は楽しみだわ。その新しい力をどこまで使いこなせるか…結構な見ものね」
腰に差していた杖を手に取り、恰好よく振って見せたルイズの勇ましい言葉に紫は微笑んでみせる。
「まぁ異変解決は私の仕事の内の一つでもあるしな。最後の最後で私が黒幕とやらを退治していいとこ取りして見せるぜ」
「相変わらず勇ましさとハッタリが同居してるわねぇ?でも…ルイズと霊夢の間に何かあったら、その時は頼みましたわよ?」
「そいつは任せておいてくれ。気が向いた時には私が助け船を出してあげるよ」
頭に被っている帽子のつばを親指でクイッと上げる魔理沙に苦笑いを浮かべつつ、紫は彼女に再度『頼み込んだ』。
自分の手があまり届かぬこの異世界で、唯一自分の代わりに二人を手助けしてくれるかもしれない、普通の魔法使いへと。
そして最後に、面倒くさそうな表情で紫を見つめる霊夢が口を開いた。
「まぁ…今年の年越しまでには終わらせてみせるわよ。いい加減にしないと、神社がボロボロになっちゃいそうだしね」
恥かしそうに視線を逸らす霊夢を見て、それまで黙っていたデルフが鞘から刀身を出して喋り出した。
『まぁそう焦るなって。そういう時に限って、結構な長丁場になるって決まってんだからよ』
「誰が決めたのか知らないけど、決めた奴がいるならまずはソイツの尻を蹴飛ばしに行かないとね」
デルフの軽口に霊夢が辛辣な言葉で返した後、そんな彼女へクスクスと紫は笑った。
彼女にとっては初めてであろう自分以外と一緒に暮らすという体験を得て、ある程度変わったと思っていたが…。
そこは流石に我が道を行く霊夢と行ったところか、今回の異変をなるべく早くに終わらせようという意思はあるようだ。…まぁ無ければ困るのだが。
とはいえ、藍と霊夢達の情報を合わせたとしても…解決の道へと至るにはまだまだ知らない事が多すぎる。
デルフの言うとおり、長丁場になるのは間違いないであろうが…それは紫自身も覚悟している。
だからこそ彼女は何があっても、霊夢達の帰る場所を無くしてはならないという強い意志を抱いていた。
例えこの先…――――自分の体が言う事を聞かなくなってしまったとしても、だ。
「じゃあ…言いたい事も言って貰いたいもの貰ったし、私はそろそろ退散するとするわ」
そんな決意を抱きながら、ひとしきり笑い終えた紫はそう言って部屋の出入り口へと向かって歩き出す。
手に持っていた扇子を開いたスキマの中に放り、靴音高らかに鳴らして歩き去ろうとする彼女へ霊夢が「ちょっと」と声を掛けた。
「珍しいわね、アンタが私の目の前で歩いて帰ろうとするなんて」
首を傾げた巫女の言葉は、ルイズとデルフを除く者達もまた同じような事を思っていた。
いつもならスッと大きなスキマを開いてその中へ飛び込んで姿を消す八雲紫が、歩いて立ち去ろうとする。
八雲紫という妖怪を知り、比較的いつもちょっかいを掛けられている霊夢からしてみれば、それはあり得ない後姿であった。
霊夢だけではない。魔理沙や紫の仕える藍と、彼女の式である橙もまた大妖怪の珍しい歩き去る姿に怪訝な表情を向けている。
「あら?偶には私だって地に足着けてから帰りたくなる事だってありますのよ。それに運動にもなるしね」
「そうかしら?そんな恰好してて運動好きとか言われても何の説得力も無いんだけど、っていうか熱中症になるんじゃないの?」
怪訝な表情を向ける二人と二匹へ顔を向けた紫がそう言うと、話についていけないルイズが思わず突っ込んでしまう。
彼女の容赦ない突込みに魔理沙が軽く噴き出し、紫は思わず「言ってくれるわねぇ」と苦笑してしまう。
これには流石の霊夢も軽く驚きつつ、呆れた様な表情を浮かべてルイズの方を見遣った。
「アンタも、結構私よりエグイ事言うのね。…っていうか、私以外にアイツへあそこまで言ったヤツを見たのは初めてよ?」
「そうなの?ありがとう。でもあんまり嬉しくないわ」
「別に褒めちゃあいないわよ」
そんなやり取りを始めた二人を見て、藍は「お喋りは後にしろ」と言って止めさせた。
苦笑して部屋を出れなかった紫は一回咳払いした後、突っ込みを入れてくれたルイズへと最後の一言を掛けてあげた。
「まぁ偶には歩きたいときだって私にもあるのよ。丁度良い運動にもなって夜はぐっすり眠れるしね?
ルイズ…それに霊夢も偶には魔理沙みたいにたっぷり外で動いて、良い夢の一つでも見て気分転換でもすればいいわ」
ちょっと名言じみていて、全然そうには聞こえない忠告を二人に告げた紫は右でドアノブを掴む。
外からの熱気を帯びていても未だに冷たさが残るそれを捻り、さぁ廊下へと出ようとした――その直前であった。
「………あ、そうだ。ちょっと待って紫!」
捻ったドアノブを引こうとしたところで、突如大声を上げた霊夢に止められてしまう。
突然の事にルイズと魔理沙もビクッと身を竦ませ、何なのかと驚いている。
一方の紫はまたもや部屋を出るのを止められてしまった事に、思わず溜め息をつきそうになってしまうが、
だが何かと思って顔だけを向けてみると、いつになく真剣な様子の霊夢が自分の前に佇んでいるのを見て何とかそれを押しとどめる。
何か自分を引きとめてまで言いたい…もしくは聞きたい事があったのか?そう思った紫は霊夢へ優しく話しかけた。
「どうしたの霊夢?そんな大声上げてまで私を引きとめるだなんて…もしかして私に甘えたいのかしら?」
「違うわよバカ。…ちょっと聞いてみたい事があるから引き止めただけよ」
「聞きたい事…?」
ひとまず軽い冗談を交えてみるもそれを呆気なく一蹴した霊夢の言葉に、紫は首を傾げる。
そして驚いたルイズや魔理沙、式達もその事については何も知らないのか巫女を怪訝な表情で見つめていた。
「どうしたのよレイム、ユカリに聞きたい事って何なの?」
そんな彼女たちを勝手に代表してか、一番近くにいたルイズが思わず霊夢に聞いてみようとする。
ルイズからの質問に彼女は暫し視線を泳がせた後、恥ずかしそうに頬を小指で掻きながらしゃべり始めた。
「いや、まぁ…ちょっと、何て言うか…藍には話したから知ってると思うけど、私の偽者が出てきたって話は覚えてる?」
「それは、まあ聞いたわね。でもその時は痛手を負わせて、貴女も気絶して御相子だったのよね」
以前王都の旧市街地で戦ったという霊夢の偽者の話を思い出した紫がそう言うと、霊夢もコクリと頷いた。
「まぁ実は…それと関係しているかどうか知らないけれど…タルブで私達を助けてくれたっていう女性の話も聞いたわよね」
「それも聞いたわね。確か…キメラを相手に共闘したのでしょう?」
霊夢からの言葉に紫は頷きつつ、彼女が何を聞きたいのか良く分からないでいた。
いつもはハキハキとしている彼女が、こんなにも遠回しに何かを聞こうとしている何て姿は始めて見る。
「そういえば…確かにあの時は色々助かったわよね。結局、誰なのかは分からなかったけど」
「だな。何処となく霊夢と似てた変なヤツだったが、アイツがいなけりゃお前さんは今頃ワルドに拉致されてたかもな」
「やめてよ。あんなヤツに攫われるとか想像しただけで背すじが寒くなるわ」
あの時、タルブへ行こうと決意したルイズと彼女についていった魔理沙も思い出したのかその時の事を語りあっている。
しかしこの時、魔理沙が口にした『霊夢と似ていた』という単語を聞いた藍が、怪訝な表情を浮かべて霊夢へ話しかけた。
「ん?…ちょっと待て霊夢。私も始めて耳にしたぞ、どういう事なんだ?」
「…んー。最初はその事も言うつもりだったんだけど、結局この世界の人間かも知れないから言わずじまいだったのよ」
藍の言葉に対し彼女は視線を逸らして申し訳なさそうに言うと、でも…と言葉を続けていく。
しかし…その内容は、話を聞いていた藍と紫にとっては到底『信じられない』内容であった。
「実はさ…昨晩の夢にその女が出てきて、妖怪みたいな猿モドキを殴り殺していくのを見たのよ。
何処か暗い森のひらけた場所で…四角い鉄の箱の様な物が周囲を照らす程の炎を上げてる近くで…
赤ん坊の面をした黒い毛皮の猿モドキたちが奇声を上げて出てきた所で…私と同じような巫女装束を着た、黒髪の巫女が――…キャッ!」
言い切ろうとした直前、突如後ろから伸びてきた手に右肩を掴まれた霊夢が悲鳴を上げる。
何かと思い顔だけを後ろに振り向かせると、目を見開いて驚くルイズと魔理沙の間を通って自分の肩を掴んでいる誰かの右腕が見えた。
そしてその腕の持ち主が八雲藍だと分かると、霊夢は何をするのかと問いただそうとする。
「こっちを向け、博麗霊夢!」
「ちょ……わわッ!」
しかし、目をカっと見開き驚愕の表情を浮かべる式はもう片方の手で霊夢の左肩を掴み、無理矢理彼女を振り向かせた
その際に発した言葉から垣間見える雰囲気は荒く、先程自分たちに見せていた丁寧な性格の持ち主とは思えない。
思わずルイズと魔理沙は霊夢に乱暴する藍に何も言えず、ただただ黙って様子を眺めるほかなかった。
橙もまた、滅多に見ない主の荒ぶる姿に怯えているのか目にも止まらぬ速さで部屋の隅に移動してからジッと様子を窺い始める。
そして藍の主人であり、霊夢に手荒に扱う彼女を叱るべき立場にある八雲紫は―――ただ黙っていた。
まるで機能停止したロボットの様に顔を俯かせて、その視線は『魅惑の妖精亭』のフローリングをじっと見つめている。
『おいおい一体どうしんだキツネの嬢ちゃん、そんな急に乱暴になってよぉ?』
「今喋られると喧しい、暫く黙っていろ!」
この場で唯一藍に対して文句を言えたデルフの言葉を一蹴した藍は、未だに狼狽えている霊夢の顔へと視線を向ける。
一方の霊夢は突然すぎて、何が何だか分からなかったが…流石に黙ってはおられず、藍に向かって抗議の声を上げようとした。
「ちょっと、いきなり何を―――」
するのよ!?…そう言おうとした彼女の言葉はしかし、
「お前!どうしてその事を『憶えている』んだ…ッ!?」
それよりも大声で怒鳴った藍の言葉によって掻き消された。
突然そんな事を言い出した式に対し、霊夢の反応は一瞬遅れてしまう。
「え?――……は?今、何て――」
「だから、どうしてお前は『その時の事』を『まだ憶えている』と…私は言っているんだ!」
しかし…今の藍はそれすらもどかしいと感じているのか、何が何だか分からない霊夢の肩を揺さぶりながら叫ぶ。
紫が境界を操っているおかげで部屋の外へ怒鳴り声は漏れないが、そのせいなのか彼女の叫び声が部屋中へ響き渡る。
目を丸くして驚く霊夢を見て、これは流石に止めねべきかと判断した魔理沙が彼女と藍の間に割り込んでいった。
「おいおいおい、何があったかは知らんが少しは落ち着けよ。…っていうか紫のヤツは何ボーっとしてるんだよ?」
「あ…そ、そうよユカリ!アンタが止めなきゃだれ…が……―――…ユカリ?」
仲介に入った魔理沙の言葉にすかさずルイズは紫の方へと顔を向けて、気が付く。
タルブで自分たちを助け、そして霊夢の夢の中にも出て来たというあの巫女モドキの話を聞いた彼女の様子がおかしい事に。
ルイズの言葉からあのスキマ妖怪の様子がおかしい事を察した霊夢も何とか顔を彼女の方へ向け、そして驚いた。
霊夢が話し出してから、急に凶暴になった藍とは対照的に沈黙し続けている八雲紫はその両目を見開いてジッと佇んでいる。
その視線はジッと床へ向けられており、額から流れ落ちる一筋の冷や汗が彼女の頬を伝っていくのが見えた。
今の彼女の状態を、一つの単語で表せと誰かに言われれば…『動揺』しか似合わないだろう。
そんな紫の姿を見た霊夢は変な新鮮味を感じつつ、言い知れぬ不安をも抱いてしまう。
これまで藍に続いて八雲紫という妖怪を永らく見てきた霊夢にとって、彼女が動揺している姿など初めて目にしたのである。
あの八雲紫が動揺している。その事実が、霊夢の心に不安感を芽生えさせる。
そして土の中から顔を出した芽は怖ろしい速さで成長を遂げ、自分の心の中でおぞましい妖怪植物へと変異していく。
妖怪退治を生業とする彼女にもそれは止められず、やがて成長したそれが開花する頃には――心が不安で満たされていた。
「ちょっと、どういう事?何が一体どうなってるのよ…」
押し寄せる不安に耐え切れず口から漏れた言葉が震えている。
言った後でそれに気づいた霊夢に返事をする者は、誰一人としていなかった。
文明がもたらした灯りは、大多数の人々に夜と闇への恐怖を忘れさせてしまう。
暗闇に潜む人ならざる者達は灯りを恐れ、しかしいつの日か逆襲してやろうと闇の中で伏せている。
だが彼らは気づいていない。その灯りはやがて自分達を完全に風化させてしまうという事を。
東から昇ってきた燦々と輝く太陽が西へと沈み、赤と青の双月が夜空を照らし始めた時間帯。
ブルドンネ街の一部の店ではドアに掛かる「OPEN(開店)」と書かれた看板を裏返して「CLOSED(閉店)」にし、
従業員たちが店内の掃除や今日の売り上げを纏めて、早々に明日の準備に取り掛かっている。
無論、ディナーが売りのレストランや若い貴族達が交流目的で足を運ぶバーなどはこれからが本番だ。
しかしブルドンネ街全体が明るいというワケではなく、空から見てみれば暗い建物の方が多いかもしれない。
その一方で、隣にあるチクトンネ街はまるで街全体が大火事に見舞われたかのように灯りで夜空を照らしている。
街灯が通りを照らし、日中働いてクタクタな労働者たちが飯と酒に女を求めて色んな店へと入っていく。
低賃金で働く平民や月に貰える給金の少ない下級貴族たちは、大味な料理と安い酒で自分自身を労う。
そして如何わしい格好をした女の子達に御酌をしてもらう事で、明日もまた頑張ろうという活力が湧いてくるのだ。
酒場や大衆レストランの他にも、政府非公認の賭博場や風俗店など労働者達を楽しませる店はこの街に充実している。
ブルドンネ街が伝統としきたりを何よりも重んじるトリステインの表の顔だとすれば、この街は正に裏の顔そのもの。
時には羽目を外して、こうして酒や女に楽しまなければいずれはストレスで頭がどうにかなってしまう。
夜になればこうしてストレスを発散し、翌朝にはまた伝統と保守を愛するトリステインへ貴族へと戻る。
古くから王家に仕える名家の貴族であっても、若い頃はこの街で羽目を外した者は大勢いることだろう。
そんな歴史ある繁華街の大通りにある、一軒の大きなホテル…『タニアの夕日』。
主に外国から観光にきた中流、もしくは上流貴族をターゲットにしたそこそこグレードの高いホテルである。
元は三十年前に廃業した『ブルンドンネ・リバーサイド・ホテル』であり、二年前までは大通りの廃墟として有名であった。
しかし…ここの土地を購入した貴族が全面改装し、新たな看板を引っ提げてホテルとしての経営が再開したのである。
ブルドンネ街のホテルにも関わらず綺麗であり、外国から来るお客たちの評価も上々との事で売り上げも右肩上がり。
この土地を購入し現在はオーナーとして働く貴族も今では宮廷での政争よりも、ホテルの経営が生きがいとなってしまっている。
そんなホテルの最上階にあるスイートルームに、今一人の客がボーイに連れられて入室したところであった。
ロマリアから観光に来ているという神官という事だけあって、ボーイもホテル一のエースが案内している。
「こちらが当ホテルのスイートルームの一つ…『ヴァリエール』でございます」
「……へぇ、こいつは驚いたね。まさか他国でもその名を聞く公爵家の名を持つスイートルームとは、恐れ入るじゃないか」
ドアを開けたボーイの言葉で、ロマリアから来たという若い客は満足げに頷いて部屋へと入った。
白い絨毯の敷かれた部屋はリビングとベッドルームがあり、本棚には幾つもの小説やトリステインに関係する本がささっている。
談話用のソファとテーブルが置かれたリビングから出られるバルコニーには、何とバスタブまで設置されていた。
勿論トイレとバスルームはしっかりと分けられており、暖炉の上に飾られているタペストリーには金色のマンティコアが描かれている。
荷物を携えて入室してきたボーイは、その後このホテルに関するルールや規則をしっかりと述べた後に、
「それでは、何が御用がございましたらそちらのテーブルに置いてあるベルをお鳴らし下さい」
「あぁ、分かったよ。夏季休暇の時期にこのホテルへ泊まれた事は何よりも幸運だとオーナーに伝えておいてくれ」
「はい!それでは、ごゆっくり御寛ぎくださいませ」
自分の説明を聞き終えた客の満足気な返事に彼は一礼して退室しようとした、その直前であった。
「……アッ!忘れてた…おーい、そこのボーイ!ちょっと待ってくれ」
「?…何でございましょうか、お客様」
部屋を後にしようとするボーイの後ろ姿を見て何かを思い出した客は、手を上げてボーイを引きとめる。
閉めていたドアノブを手に掛けようとした彼は何か不手際があったのかと思い、急いで客の所へと戻っていく。
「すまない、コイツを忘れてたね……ホラ」
「え?」
自分の所へと戻ってきたボーイにそう言って客は懐から数枚のエキュー金貨を取り出し。彼のポケットの中へと忍ばせる。
最初は何をしたのか一瞬だけ分からなかったボーイは、すぐさま慌てふためいてポケットに入れられた金貨を全て取り出した
「ちょ、ちょっと待ってください!いくら何でも、神官様からチップを貰うのは流石に…!」
ハルケギニアでは今の様に客がボーイやウエイトレスにチップを渡す行為自体は、然程珍しい事ではない。
しかし、ボーイにとってはお客様の前にロマリアから来た神官という立場の彼からチップを貰うなと゛、大変失礼なのである。
だからこそこうして慌てふためき、何とか理由を付けてエキュー金貨を返そうと考えていた。
しかし、それを予想してかまだまだ青年とも言える様な若い神官様は得意気な表情を浮かべてこう言った。
「なーに、安心したまえ。それは日々慎ましく働いている君へ始祖がくれたささやかな糧と思ってくれればいいだろう。
それならブリミル教徒の君でも神官から受け取れるだろう?この金貨で何か美味しい物でも食べて自分を労うと良いよ」
少し無理やりだが、いかにも宗教家らしい事を言われれば敬虔なブリミル教徒であるボーイには反論しようがない。
それによく考えれば、このチップは彼が行為で渡してくれたものでそれを突き返すのは逆に不敬なのかもしれない。
暫し悩んだ後のボーイが、納得したように手にしたチップを懐に仕舞ったのを見て客はクスクスと笑った。
「そうそう、世の中は酷く厳しいんだから貰える物は貰っておきなよ?人間、ちょっとがめつい程度が生きやすいんだから」
「は、はぁ…」
そして、とても宗教家とは思えぬような現実臭い言葉に、ボーイは困惑の色を顔に出しながらコクリと頷いた。
今までロマリアの神官は指で数える程度しか目にしていない彼にとって、目の前にいる若い神官はどうにも異端的なのである。
自分とほぼ変わらないであろう年齢にややイマドキな若者らしい性格…そして、左右で色が違う両目。
俗に『月目』と呼ばれハルケギニアでは縁起の悪いものとして扱われる両目の持ち主が、ロマリアの神官だと言われると変に疑ってしまう。
とはいえ身分証明の際にはちゃんとロマリアの宗教庁公認の書類もあったし、つまり彼は本物の神官…だという事だ。
まだ二十にも達していないボーイは世界の広さを実感しつつ、改めて一礼すると客のフルネームを告げて退室しようとする。
「そ…それでは失礼いたします―――…ジュリオ・チェザーレ様」
「あぁ、君も気を付けてな」
若い神官の客―――ジュリオは手を振って応えると、ボーイはスッと退室していった。
ドアの閉まる音に続き、扉越しに廊下を歩く音が聞こえ、遠ざかっていく頃には部屋が静寂に包まれてしまう。
ボーイが退室した後、 ジュリオはそれまで張っていた肩の力を抜いて、ドッとソファへと腰を下ろす。
金持ちの貴族でも満足気になる程の座り心地の良いソファに腰を下ろして辺りを見回すと、やはりここが良い部屋だと思い知らされる。
生まれてこの方、これ程良い部屋に泊まった事が無いジュリオからしてみればどこぞの豪邸の一室だと言われても納得してしまうだろう。
ロマリアでこれと同等かそれ以上のグレードのホテルなど、海上都市のアクイレイアぐらいにしかない。
ひとまず寛ごうにも部屋中から漂う豪華な雰囲気に馴染めず、溜め息をつくとスッとソファから腰を上げた。
そんな自分をいつもの自分らしくないと感じつつ、ジュリオはばつが悪そうな表情を浮かべて独り言を呟いてしまう。
「ふぅ~…あまり褒められる出自じゃない僕には身に余る部屋だよ全く…」
「仕方がありません。何せ宗教庁直々の拠点移動命令でしたからね」
直後、自分の独り言に対し聞きなれた女性の声がバルコニーから突拍子もなく聞こえてくる。
何かと思ってそちらの方へ顔を向けると、丁度半開きになっていたバルコニーの窓から見慣れた少女が入ってくるところであった。
長い金髪をポニーテールで纏め、首に聖具のネックレスを掛けた彼女はジュリオの゙部下゙であり゙友達゙でもある。
変な所から現れた知人の姿にジュリオはその場でギョッと驚くフリをすると、ワザとらしい咳払いをして見せた。
本来なら先程までの落ち着かない自分を他人に見せるというのは、彼にとっては少し恥ずかしい事であった。
自分を知る大半の人間にとって、ジュリオという人間ばクールでいつも得意気で、ついでにジョークが上手い゙と思い込んでいるのだから。
幸い目の前の少女は自分が本当はどんな人間なのか知っていたから良かったが、それでも見られてしまうのは恥ずかしいのだ。
「あ~…ゴホン、ゴホ!…せめて声を掛ける前に、ノックぐらいしてくれよな?」
「ふふ、ジュリオ様のばつの悪そうな表情は滅多に見られませんからね、少し得した気分です」
「おやおや、そこまで言ってくれるのなら見物料金を取りたくなってくるねぇ~」
僕は高いぜ?照れ隠しするかのようにおどけて見せるジュリオの言葉に、少女がクスクスと笑う。
一見すればジュリオと同年代の彼女はバルコニーからホテル内部へ侵入したワケだが、当然どこにも出入り口は見当たらない。
このホテルは五階建てで中々に高く、外付けの非常階段は格子付きで出入り口も普段は南京錠で硬く閉ざされており、外部からの侵入は出来ない。
本当ならば堂々と入り口から行かなければ、中へ入れない筈である。
しかし、ジュリオは知っていた。彼女には五階建ての建物の壁を伝って登る事など造作も無いという事を。
幼い頃に孤児院から引っ張られて来て、自分の様な神官をサポートする為に血反吐も吐けぬ厳しい訓練を乗り越え、
陰ながら母国であるロマリア連合皇国の要人を援護し、時には身代わりとして死ぬことをも厭わぬ仕事人として彼女は育てられた。
そんな彼女にとって、五階建てのホテルの壁を伝って移動する事なんて、平坦な道を走る事と同義なのである。
「…にしたって、良くバルコニーから入ってこれたね。このホテルって、通りに面しているんだぜ」
「幸い陽は落ちていましたし、通行人に気付かれなければ最上階までいく事など簡単ですよ。…ジュリオ様もやってみます?」
「いや、僕は遠慮しておく」
やや悪戯っぽくバルコニーを指さして言う彼女に対し、ジュリオはすました笑顔を浮かべて首を横に振る。
それなりに鍛えているし、体力には自信はあるがとても彼女と同じような真似はできそうにないだろう。
その後、部屋の中へと入った少女が窓を閉めたところで再びソファに腰を下ろしたジュリオが彼女へと話しかけた。
「…それにしても、一体どういう風の吹き回しだろうね?僕たちをこんな豪勢な部屋に押し込めるだなんてね」
「確かにそうですね。上の判断とはいえ、この様な場所に拠点を移し替えるとは…」
彼の言葉に少女は頷いてそう返すと、今朝ロマリア大使館から届いた一通の手紙の事を思い出す。
まだそれほど気温が高くない時間帯に、ジュリオと少女は宿泊していた宿屋の主人からその手紙を受け取った。
母国の大使館から届けられたというその封筒の差出人は、ロマリア宗教庁と書かれていた。
ハルケギニア各国の教会へと神父とシスターを派遣し、ブリミル教の布教を行っている宗教機関であり、
その裏では特殊な訓練を施した人間を神官として派遣し、異教徒やブリミル教にとっての異端の排除も行っている。
ジュリオと少女も宗教庁に所属しており、共に『裏の活動』を専門としている。
…最もジュリオはかなり゙特殊な立場゙にある為、厳密には宗教庁の所属ではないのだが…その話は今置いておこう。
ともかく、自分たちの所属する機関から直々に送られてきた手紙に彼は軽く驚きつつ何かと思って早速それに目を通した。
そこに書かれていたのは自分と少女に対しての移動命令であり、指定した場所は勿論今いるホテルのスイートルーム。
突然の移動命令で、しかもこんな場末の宿屋から中々立派なホテルへ泊まれる事に彼は思わず何の冗談かと疑ってしまう。
試しに手紙を透かしてみたり逆さまにしてみたが何の変化も無く、どこからどう見ても何の変哲もない便箋であった。
しかもご丁寧にロマリア宗教庁公認の印鑑とホテルの代金用の小切手まで一緒に入っていたのである。
――――う~ん、これってどういう事なのかな?
―――――どうもこうも、私からは…宗教庁からの移動命令としか言いようがありません
正式に所属している少女へ聞いてみるも彼女はそう答える他無かったが、納得しているワケではない。
何せ手紙には肝心の理由が不可解にも掛かれておらず、命令だけが淡々と書かれているだけなのだから。
とはいえ命令は命令であり、移動先のホテルも豪華な所であった為拒否する理由も得には無い。
二人は早速荷造りをした後で宿屋をチェックアウトし、ジュリオは小切手をお金に変える為にトリステインの財務庁へと向かった。
少女は今現在も遂行中である『トリステインの担い手』の監視を夕方まで行い、夜になってジュリオと合流して今に至る。
手紙が届いてから半日が経ったが、それでも二人にはこの移動命令の明確な理由が分からないでいた。
「明日、大使館へ赴いて移動命令の理由が聞いた方がいいかと思いますが…」
「いやいや、所詮大使館で働いてる人達は宗教庁の裏の顔なんて知らないだろうさ」
少女の提案にジュリオは首を横に振り、ふと天井を見上げると右手の指を勢いよくパチンと鳴らす。
その音に反応して天井に取り付けられたシーリングファンが作動し、豪勢なスイートルームを涼風で包み始める。
ファンそのものがマジックアイテムであり、一分と経たぬうちに部屋の中に充満していた熱気が消え始めていく。
「流石は貴族様御用達のスイートルームだ、シーリングファンも豪勢なマジックアイテムとはねぇ」
ヒュー!っとご機嫌な口笛を吹いて呟いた後に、ジュリオはソファからすっと腰を上げてから少女に話しかけた。
「まぁ理由は色々と考えられるが…もしかすれば゙担い手゙ど盾゙と接触する為…なんじゃないかな?」
「…ジュリオ様もそうお考えでしたか」
「トリステインの゙担い手゙はタルブで見事に覚醒できたんだ、ガリアだってもう黙ってはいないだろうしね」
少女の言葉にジュリオはそう返してから、監視対象であったトリステインの担い手――ルイズの行動を思い出していく。
ワケあってトリステインの王宮で保護されていた彼女が行った事は、既にジュリオ達もといロマリアは周知していた。
使い魔であるガンダルールヴと、イレギュラーである通称゙トンガリ帽子゙こと魔理沙と共にタルブへ赴いたという事。
そしてそこを不意打ちで占領していたアルビオン艦隊を、あの『虚無』で見事に倒してしまったという事も勿論知っている。
無論アルビオンの侵略作戦において、あのガリア王国が密かに関わっている事も…。
「まだ見かけてはいませんが、ガリアも担い手の動向を確かめる為に人を派遣する可能性は高いですね」
「だろうね。…しかも今の彼女は、このハルケギニアにおいては最も特殊な立場にある人間でもあるんだから」
ジュリオはそう言って懐から小さく折りたたんだ一枚の紙を取り出し、それを広げて見せる。
その紙には一人の少女の姿が描かれていた。本屋で参考書を漁っているであろうトリステインの担い手ことルイズの姿が。
ロマリア宗教庁がルイズをトリステインの担い手と睨んだのは彼女がまだ学院へ入る前の事。
トリステインのラ・ヴァリエールにある教会の神父が、領民たちの話からこの土地を治める公爵家の三女が怪しいと踏んだのである。
すぐさま神父の報告を受けて宗教庁は人を派遣し調査させた結果、可能性は極めて高いという結論に至った。
系統魔法はおろかコモン・マジックすら成功せず、集中すると唱えた魔法は全て爆発魔法に変わってしまう特異な失敗例。
当時彼女の教育を担当した家庭教師は彼女を不真面目と決めつけ、ロマリアの聖アルティリエ神学校に入れようという話さえ出た程である。
ハルケギニアでも屈指のスパルタ魔法学校として有名であるが、宗教庁からしてみれば正に願ったり叶ったりのチャンスであった。
結局のところその話はお流れになってしまったものの、以後ロマリアはルイズを要監視対象と定めて監視し続けている。
魔法学院への入学が決まった際に、『学院へ入学したくない!』と駄々を捏ねた事。
そんな彼女へ両親は『せめて、貴族の作法と社交を覚えていらっしゃい』と言って娘を無理やり馬車へ押し込んだ事。
授業開始早々に゙着火゙の呪文を唱えて大爆発を起こし、それ以後他の生徒達から『ゼロ』という二つ名をつけられ嘲られた事。
ありとあらゆるルイズの動向を何人もの人間が監視し続け、そして進級試験を兼ねた使い魔召喚の儀式で宗教庁は大きく揺れた。
―――――トリステインの担い手が人間、それも゙博麗の巫女゙を召喚した。
この報告が当時学院で監視任務を行っていたコックから送られてきた直後、長く続いた疑問がようやく確信へと変わったのである。
伝説が正しければ人間を使い魔として召喚できるのは虚無の担い手だけであり、召喚された者は虚無の使い魔としての恩恵を授かる。
だが…それ以上に宗教庁が揺れたのは彼女の使い魔となっだ博麗の巫女゙―――即ち霊夢の存在が大きかった。
この世界に住む人々の多くは知らない。かつて大昔、始祖とその使い魔たちと共に戦った巫女の話を。
始祖とは明らかに異なる力でもって魔を祓い、使い魔たちと共に始祖の詠唱を守ったと言われる伝説の巫女。
何者かによって意図的に隠蔽され、ブリミル教の本拠地であるロマリアにおいてもそれ相応の権力を持たぬ者しか知る事のできぬ『真実』。
宗教庁の裏の顔を知る者でも、六千年も隠蔽され続けている真実を知っているのは幹部クラスの神官達だけだ。
一介の工作員であるコックがそれを知っていたのは、彼が以前博麗の巫女に関する記述を集める任務に就いていたからである。
今も尚発掘される大昔の遺跡からは、時折博麗の巫女に関する本や巻物等の記録媒体が発見されている。
その多くが六千年前の伝説を元にした創作話であるが、ロマリア側はそれを秘密裏に回収し続けているのだ。
ともあれ、トリステインの担い手であるルイズが博麗の巫女をガンダールヴとして召喚したのは重大な事であった。
ジュリオや少女をはじめとした人員と予算の増加が決定され―――、そして今に至る。
「それにしても…博麗の巫女だけではなく全く想定外のイレギュラーまで出て来るとはね」
「゙トンガリ帽子゙の事ですか?彼女は゛盾゙と比べて非常にフレンドリーですから、此方のペースに―――…ん?」
そんな時であった、先程自分が入ってきたバルコニーへと続く窓から小突くような音が聞こえてくる事に気が付いたのは。
ジュリオもそれに気づいたのか二人してそちらの方へ顔を向けてみると、そこには小さなお客様がいた。
嘴でコツン、コツンと窓を小突いているのを見るに、どうやら先ほどの音はこのフクロウが出していたようである。
「…ふ、フクロウ?」
「んぅ?あぁ、何だネロじゃないか!」
少女には見覚えがなかったが、どうやらジュリオとは縁のあるフクロウだったらしい。
彼はそのフクロウの名前を呼ぶと窓を開けて、小さなお客様を優しく抱きかかえて見せる。
フクロウも彼に触られるのは悪くないとか感じているのか、腕の中で大人しくしている。
互いに慣れている様子を見て、思わす少女は質問してしまう。
「ジュリオ様、そのフクロウは…」
「ん?あぁ、紹介がまだだったね。こいつはネロ、ペット…かと言われればちょっと違うけどね」
そう言ってジュリオは、ネロとの出会いを彼女へと軽く説明し始めた。
ネロは今から一、二ヶ月ほど前にとある山道の脇で蹲っていたのを仕事の帰りで歩いていたジュリオが見つけたのだという。
怪我をしていた為、このままでは助からないと思ったらしい彼はそのフクロウを抱きかかえて山を下りた。
それから獣医の話を聞いて適切に治療して傷が治った後、今ではすっかりジュリオのペットとして良く懐いている。
とはいえケージに入れて飼ってるワケではなのだが、それでも彼とは一定の距離をおいて傍にいるのだ。
ジュリオが呼びたいと思った時に口笛を吹けば、どこからともなくサッと飛んでくるのである。
「今じゃあこうして好きな時に抱えられるし、フクロウってこうして見てみると可愛いもんだろう?」
「は、はい…」
まるで縫いぐるみの様に抱きかかえられる猛禽類を見て、思わず唖然としてしまう。
恐らく、ふくろうをここまで我が子の様に手なずけてしまうのはハルケギニアでも彼だけだと、そう思いながら。
そんな少女の考えを余所に、ジュリオは急に自分の元を訪ねてきたネロの頭を撫でながら話しかける。
「それにしても、お前はどうしてここへ来たんだ?念の為大使館には置いてきたけど………ん?」
頭を撫でながら返事を期待せずに聞いてみると、ネロはおもむろにスッと右脚を軽く上げた。
何だと思って見てみたところ、猛禽類特有のそれには小さな筒の様な物が紐で括りつけられているのに気が付く。
思わず何だこれ?と呟いてしまうと、傍にいた少女もまたネロの脚に付けられた筒を目にして首を傾げてしまう。。
「どうしました…って、何ですかソレ?」
「ちょっと待ってくれ…今外す。……よし、外した」
ジュリオは慣れた手つきでネロの脚に巻かれていた紐を解き、掌よりも一回り小さい筒をその手に乗せる。
筒は見た目通りに軽く、試しに軽く振ってみるとカラカラカラ…と中で何かが動く音が聞こえてくる。
暫し躊躇った後、ジュリオはその筒を開けてみると中から一枚の手紙が丸められた状態で入れられていた。
「……手紙?」
思わず口から出てしまった少女の呟きにジュリオは「だね」と短く答えて、それを広げて見せる。
広げられた便箋の右上に、見慣れた宗教庁とロマリア大使館の印鑑が押されているのがまず目につく。
つまりこれは宗教庁が大使館を通し、ネロを使って自分たちへ手紙を送ってきたという事になる。
ネロの脚に手紙を取り付けたのは大使館だろうが、よくもまぁフクロウの脚に手紙入りの筒を取り付けられたなーと感心してしまう。
まぁそれはともかく、手紙の差出人についてはジュリオも何となく分かっていたので早速手紙の本文を読み始めてみる。
内容は今日届いた拠点の移動命令に関する事が書かれていとの事らしい。
ワケあってその理由はギリギリまで伏せられ、ようやくこの手紙を送る許可が下りた事がまず最初に書かれていた。
(やれやれ…僕の見てぬ所で勝手に決めてくれちゃって…下の人間ってのは辛いもんだよ全く)
自分達の都合など考えてもくれない宗教庁上層部への悪態をつきつつ、ジュリオはその『理由』に目を通し―――そして硬直した。
それはジュリオや少女…否、ロマリアの国政に関わる者にとっては信じられないモノであった。
例えればこの国の王女が誰の許可も無しに変装して、王宮を飛び出すくらい信じられない事態と同レベルである。
いや、こっちの場合は無理に周りの者たちの首を縦に振らせてるので質の悪さでは勝ってるのだろうか?
どっちにせよ、最悪な事に変わりはない。
そんな事を思いつつも、手紙の内容で頭の中の思考がグルグルと掻き混ぜられる中、
「全く…!よりにもよって、何でこう忙しいときにコッチへ…――!」
「ど…どうしたんですか?急に怒りだしたりして…」
ジュリオは悪態をつくと、突然の豹変に驚く少女へ読んでいた手紙を差し出した。
彼女は慌ててそれを受け取るとサッと素早く目を通し―――瞬間、その顔が真っ青になってしまう。
「じ…ジュリオ様、これって―――」
「皆まで言うなよ?言われなくたって分かってるさ。けれど、もう誰にも変えられやしないんだ…」
少女の言葉にそこまで言った所で一旦一呼吸入れたジュリオは、最後の一言を呟いた。
―――゙聖下゙が御忍びでトリスタニアへ来るっていう、事実はね
その一言は少女の顔はより青ざめ、思わず首から下げた聖具を握りしめてしまう。
ジュリオはこれから先の苦労と心配を予想して長いため息をつくと、自分を見つめる少女から顔を逸らす。
二人が二人とも、この手紙に書かれだ聖下゙の急な訪問と、身分を省みぬ彼の行動にどう反応すればいいか分からぬ中――
ジュリオの腕の中に納まるフクロウは、自分がその手紙を運んで来てしまったことなど知らずして暢気に首を傾げていた。
#navi(ルイズと無重力巫女さん)
#navi(ルイズと無重力巫女さん)
夏季休暇真っ最中のトリスタニアがチクトンネ街の一角にある、居酒屋が連なる大通り。
夜になれば酒と安い料理…そして女目当てに仕事帰りの平民や下級貴族達でごったがえすここも、今は静まり返っている。
繁華街という事もあって人の通りは多いものの、日が暮れた後の喧騒を知る者たちにとっては静か過ぎると言っても過言ではない。
それこそ夜の仕事に備えて日中は洞窟で眠る蝙蝠の様に、夕方までぐっすり快眠できる程に。
そんな通りに建っている居酒屋の中でも、一際売り上げと知名度では上位に位置するであろう『魅惑の妖精亭』というお店。
比較的安くて美味く、メニューも豊富な料理に貴族でも楽しめる数々の名酒、際どい衣装で接待してくれる女の子達。
この周辺に住む者達ならば絶対に名前を知っているこの店も、日中の今はシン…と静まり返っている。
しかし、その店の二階にある宿泊用の部屋では、数人の少女達が別室で寝ている者たちを起こさない程度の声で話し合っている。
そしてその内容はこの店…否、このハルケギニアという世界に住む者達には理解し難いレベルの会話であった。
シングルのベッドにクローゼットとチェスト、それにやや大きめの丸テーブルに椅子が置かれた部屋。
その部屋の窓際に立つ霊夢は、ニヤニヤと微笑む紫を睨みながら彼女に質問をしている。
いや、それは窓から少し離れたベッドに腰掛けるルイズから見れば、゙質問゙というよりも゙尋問゙や゙取り調べ゙に近かった。
「全く。アンタっていつもいないないって話してる時に鍵って平気な顔して出てくるわよね」
「あら?酷い言い方ね霊夢。貴女たちが困っているのを、私が楽しんで眺めていたって言いたいのかしら?」
「あの式の式の文句が丸聞こえだった…ってことは、そうなんじゃないの?」
「失礼しちゃうわね。私は橙が文句を言っているのに気が付いたから、結果的に出てくるのが遅れちゃったのよ」
「それじゃあ結局、私達がいないないって騒いでたのを傍観してたんじゃないの!」
「こらこら、ダメよ霊夢?そんなに怒ってたら若いうちから色々と苦労する事になるわよ」
怒鳴る霊夢に対して冷静な紫はクスクスと笑いながら、ついでと言わんばかりに彼女を茶化し続ける。
自分に対し文句を言っていた橙に勉強と言う名の説教をしていた時も、その笑顔が変わる事は一瞬たりとも無かった。
そして、あの霊夢をこうして怒らせている間も彼女はその余裕を崩すことなく、笑いながら巫女と話し合っている。
あれが強者が持つ余裕というものなのだろうか?
いつもの冷静さを欠いて怒る霊夢と対照的な紫を見比べながら、ルイズは思っていた。
きっと彼女ならば、ハルケギニアの王家やロマリアの教皇聖下が相手でもあの余裕を保っていられるに違いない。
そんな事を考えながらジーっと二人のやり取りを見つめていると、壁に立てかけていたデルフが話しかけてきた。
『よぉ娘っ子、そんなあの二人をまじまじと見つめてどうしたんだい?嫉妬でもしてんのか?』
「嫉妬?なにバカな事言ってるのよアンタ、そんなんじゃないわよ」
『じゃあ何だよ』
「いや…ただ、ユカリの余裕っぷりがちょっと羨ましいなぁって感じただけよ」
『…?あぁー、成程ねぇ』
留め具を鳴らす音と共に、デルフは彼女が凝視していた理由を知った。
確かに、あの金髪の人外はちょっとやそっとじゃあ自身の余裕を崩す事はないに違いない。
人によってはその余裕の持ち方が羨ましいと思ったりしてしまうのも…まぁ分からなくはなかった。
しかし、それを羨ましいと目の前で言うルイズが彼女の様になれるかと問われれば…。
本人の前では刀身に罅が入るまで口に出せない様な事を考えながら、デルフは一人呟く。
『…けれどまぁ、ああいうのは経験だけじゃなくて持って生まれた素質も関係するしなぁ』
「どういう意味よソレ?」
『いや、お前さんには関係ない事だ。忘れてくれ』
どうやら聞こえていたらしい、こりゃ迂闊な事は言えそうにない。
自分の短所を暗に指摘してきた自分を睨み付けてきたルイズを見て、デルフは改めて実感する。
幸いルイズ自身は昨晩から連続して発生している想定外の事態に疲れているのか、自分の真意には気が付いていないようだ。
このまま追及されずに、何とかやり過ごせそうだと思った矢先、
「要するにデルフは、短気で怒りっぽいルイズが紫みたいになるのは無理だって言いたいんだろ?」
「へぇ、そう……って、はぁ?ちょっと、デルフ!」
『魔理沙、テメェ!』
そんな彼に代わるのようにして、ルイズたちのやりとりを見ていた魔理沙が火付け役として会話に割り込んできたのだ。
椅子に座って自分たちと霊夢らのやり取りを眺めていた魔法使いは、何が可笑しいのかニヤニヤと笑っている。
恐らくは暇つぶし程度でルイズを煽ったのだろうが、デルフ本人としては命に関わる失言なのだ。
「いやぁー悪い、悪い。今のルイズにも分かるように丁寧に言い直してやったつもりなんだがな」
『だからっておま――――…イデッ!』
反省する気ゼロな笑顔でおざなりに頭を下げる彼女にデルフは文句を言おうとしたものの、
ベッドから腰を上げて近づいてきたルイズに蹴飛ばされ、金属質な喧しい音を立てて床に転がった。
「この馬鹿剣!人が朝からヘトヘトな時に馬鹿にしてくるとかどういう了見なの!?」
『いちち……!お前なぁ、そうやって一々激怒するのが駄目だってオレっちは言ってんだよ!』
「何ですって?言ってくれるじゃないのこのバカ剣!」
床に転がった自分を見下ろして怒鳴るルイズに対し、流石のデルフも若干怒った調子で文句を言い返す。
伊達に長生きしていない彼にとって、短所を指摘して一方的に怒られることに我慢ならなかったのだろう。
意外にも言い返してきたデルフに対しルイズも退く様子を見せる事無く怒鳴り返して、床に転がる彼を拾い上げる。
「今すぐこの場で訂正しなさい、じゃなかったらアンタの刀身をヤスリで削るわよ!」
『ヤスリだと?へ、面白れぇ!やれるもんならやってみやがれ、そこら辺の安物じゃあオレっちは傷一つつかないぜ!』
もはやお互い一歩も引けず、一触即発寸前の危ない空気。
どちらかが折れるかそれとも最悪な展開に至ってしまうのか、という状況の中で。
この争いを引き起こした張本人であり、最も安全な場所にいる魔理沙は驚きつつもその笑顔を崩していない。
むしろ二人の言い争いを楽しんでいるのか、楽しそうにお茶を啜っている。
「ははは、喧嘩は程々にしとけよおま―――…ッデ!」
「争いを引き起こした張本人が何観戦に洒落込もうとしてんのよ!」
しかし、始祖ブリミルはそんな魔法使いの策略に気付いていたのだろう。
ルイズの使い魔としで神の左手゙のルーンを持つ霊夢からの、容赦ない鉄拳制裁が下された。
死なない程度に後頭部を殴られた魔理沙は殴られた場所を手で押さえて、机に突っ伏してしまう。
頭に被っていた帽子が外れて床に落ちるものの、今はそれを気にせる程の余裕は無いらしい。
呻き声を上げながら机に顔を伏せる彼女を見下ろし、鋭い目つきで睨む霊夢は魔理沙を殴った左手に息を吹きかけている。
「全く、アンタってヤツは目を離した途端にこれなんだから」
「イテテ…!だからって、おま…!あんなに強く殴る必要があるのかよ…」
「私はそんなに強く殴った覚えはないわよ」
今にも泣きそうな魔理沙の抗議に対し、しかし霊夢は涼しい表情で受け流す。
どうやら殴った加害者である巫女と、被害者の魔法使いとの間には認識の違いがあるらしい。
しかし、第三者から見てみればどちらが正しい事を言っているのかは…まぁ一目瞭然と言うヤツだろう。
「さっきの一発、絶対普段からのうっぷん晴らしで殴ったわよね」
『だろうな。流石のオレっちでも、あんな風に殴られたら怒るより先に泣いちゃうかも』
突然の殴打に一触即発だったルイズとデルフも、流石にアレは酷くないかと魔理沙に同情してしまっている。
その魔理沙のせいで言い争いをする羽目になった二人から見ても、霊夢の殴打は間違いなぐやり過ぎ゙の範囲なのだ。
霊夢の一撃で先ほどまで騒がしかった部屋が静まり返る中、紫が三人と一本へ話しかける。
それは、ちょっとした諸事情で部屋にいないこの部屋の主とその従者に代わっての注意喚起であった。
「朝から賑やかな事ね。けど、あんまり騒がしいと後で藍に怒られますわよ。
あの娘も色々とここで人間相手に信用を築いているし、その努力がパァになったら流石の彼女も怒るわよ?」
笑顔を絶やさず自分たちを見つめて喋る紫に、霊夢は面倒くさそうな表情で「分かってるわよ」とすかさず返す。
ルイズも同様に、紫の式が静かに怒っていた時の事を思い出してコクリと頷いて見せる。
魔理沙は未だ机に突っ伏して呻いているが、頭を押さえていた両手の内右手を微かに上げた。
大方「分かってるよ」と言いたいのだろうが、さっきルイズ達を煽っていた所を見るに理解していないようにも見える。
最後に残ったデルフは三人がそれぞれ答えを返して数秒ほど後に、留め具を鳴らして言葉を出した。
『んな事、百も承知だよ。最も、レイムが殴るのを止めなかったお前さんも大概だがな』
「あら、随分と口が悪い剣なのね。まぁそのお蔭でこの娘たちと仲良くやれてるんでしょうけど?」
「それどういう意味よ?」
デルフの冷静な指摘に対しても、その笑みを崩さぬ紫が彼に返した言葉にすかさず霊夢が反応し、
再び嫌悪な空気が流れ始めたのを感じ取ったルイズは、たまらずため息をついてしまいたくなってしまう。
そして彼女は願った。できるだけ、藍と橙の二人が自分と霊夢たちの荷物を手に速く帰ってこれるようにと。
現在このハルケギニアを訪問している八雲紫の式である八雲藍とその式の橙。
本来この部屋を借りている彼女たちは今、ルイズたちが言い争うこの部屋にはいない。
二人は紫からの命令を受けて、昨晩ルイズたちが大きな荷物を預けた店『ドラゴンが守る金庫』へと足を運んでいる。
理由は勿論、その店に預けているルイズ達三人の荷物を取りに行って貰ってるからだ。
念のため藍がルイズの姿に化けて荷物を出してもらい、その後で橙と一緒に運んでくるらしい。
ルイズ本人としては不安極まりなかったが、今の状況ではやむを得ない選択であった。
本当ならば任務の為に長期宿泊する宿を見つけてから荷物を取り出しに行く予定であったが、肝心の資金が盗まれてそれは不可能。
とはいえ一度出された任務はこなさなければと考えていたルイズに、話を盗み聞きしていた紫がこんな提案をしてきたのである。
―――ならここに泊まれば良いんじゃないのかしら?丁度他の部屋は余裕があるんでしょう?
―――――えぇ?ルイズはともかく、博麗の巫女たちと一緒に…ですか?
―――別に貴女には彼女たちを手助けしろだなんて言ってないわ、寝泊まりできる場所を確保してあげなさいって事よ
当初は主の提案に難色を示した藍であったが、結局は主からの命令に従う事となった。
橙も何か言いたそうな顔をしていたが、その前にされていた説教が大分効いたのか何も言うことは無かった。
「けれども、今の私達なんて文無しでしょう?泊まりたくても泊まれないじゃないの」
「いや、お金に関してなら私の口座に…少しだけなら残ってたと思うわ」
とはいえ、荷物はあっても任務をこなす為に必要な経費が無くなってしまった事に代わりは無い。
霊夢がそれを指摘すると、ルイズはこの夏季休暇に使う事は無いだろうと思っていた手札を彼女に明かす。
本来ならどん詰まりの状況なのだろうが、幸いルイズには財務庁の方で口座を開いていたのである。
口座…といっても実際には実家から送られてくる月々のお小遣いで、大した金額は入っていない。
それでも並みの平民にとっては半年分働いて稼いだ額と同じ金額であり、宿泊代は何とか捻出できる程にはある。
「あるといっても、三人分で一週間泊まれるかどうかの金額しかないけどね」
「それまでは並の人間らしい生活は遅れるけど、それ以降は物乞いデビューってところね」
「……冗談のつもりなんでしょうけど、今はマジで洒落にならないから言わないでよ」
今の自分たちにとって最も笑えない霊夢の冗談に突っ込みを入れつつ、ふと紫の方へと困った表情を向けてみる。
ここに自分たちを泊まらせるよう式に命令した彼女なら、きっと自分の手助けをしてくれるかもしれない。
そんな甘い期待を胸に抱いたルイズは手に持っていたままのデルフをベッドに置くと、いざ紫に向かって話しかけた。
「ゆ―――」
「残念ですが、お金の事に関しては貴女と霊夢たち自身の手で解決しなさい」
「うわ最悪、読まれてたわ」
『そりゃお前さん、あたりめーだろ』
すがるような表情から一転、苦虫を踏んだかのような苦しい表情を浮かべてしまう。
まぁダメで元々…という感じはしていたが、こうもストレートかつ百パーセントスマイルで拒否されるとは思ってもいなかった。
ついでと言わんばかりに放たれるデルフの突っ込みを優雅にスルーしつつ、ルイズは紫へ話しかけていく。
「どうして駄目なのよ?アンタなら自分の能力でいくらでも金貨を出せそうじゃないの」
「その通りね。私のスキマが…そう、゙王宮の金庫゙とここを繋げば…それこそ貴女に巨万の富を授ける事はできるわ」
「……成程、その代わり私が世紀の大泥棒になるって寸法ね」
自分の質問に目を細めてとんでもない返答をした紫に、ルイズは彼女を睨みながら冗談で返す。
大抵の人間が言えば冗談になるような例えでも、目の前にいるスキマ妖怪が言うと本気に思えてしまう。
「ちょっとアンタ、ルイズに何物騒な事吹き込んでるのよ」
そこへ紫の事は…少なくとも自分より詳しいであろう霊夢がすかさず彼女へと噛みついてくる。
まぁ妖怪退治を本業とする彼女の目の前であんな事を言ったのだ、そりゃ警戒するつもりで言うのは当たり前だろう。
そんな事を思って霊夢の方へと視線を向けたルイズは、そのまま彼女と紫の会話を聞く羽目になった。
「冗談よ霊夢。貴女ってホント、いつまで立っても人の冗談とかジョークに対して冷たいわよね」
「アンタは人じゃないでしょうが。それにアンタの性格と能力を知ってる私の耳には、本気で言ってるようにしか聞こえないわ」
「まぁ怖い!このか弱くてスキマしか操れない様な私が、そんな怖ろしい事をしでかすとでも…」
「しでかすと思ってるから、こうして警戒してるのよ私は」
ワザとらしく泣き真似をしようとする紫にキツイ調子でそう言った霊夢の言葉に、ルイズ達も同意であった。
ルイズ自身彼女と知り合って行こうしょっちょうちょっかいを掛けられていたし、デルフは幻想郷に拉致されている。
魔理沙も紫の能力がどれだけ便利なのかは間近で見ていた人間であり、そして彼女が最も油断ならない妖怪だと知っている。
霊夢に至っては、いわずもがな…というヤツだ。
結果的にスキマ妖怪の言葉に誰一人信用できず、霊夢は疑いの眼差しを紫へと向けている。
二人の近くに立つルイズに、殴られたダメージが癒えつつ魔理沙も顔を上げて紫を見つめていた。
流石に分が悪いと感じたのか、それともからかうのはそろそろやめた方が良いかと感じたのか…。
三人の視線を直に受けていた紫はその顔に薄らと微笑みを浮かべると、両肩を竦ませた。
「流石にそんな事はしないわ霊夢。…けれど、貴女たちにお金の支援をすることはできないと再度言っておくわ。
私の能力を使えば確かに楽に集まるけれど、それを長い目で見たら決して貴女たちに良い結果をもたらさないしね」
ようやく聞けた紫からのまともな返答に、ルイズは「…まぁそうよね」と渋い表情を浮かべて納得する。
昨晩は霊夢が荒稼ぎして手に入れた大金を盗まれたせいで、とんでもないどんちゃん騒ぎに巻き込まれてしまった。
変に荒稼ぎせずに、アンリエッタが支給してくれた経費で長期宿泊できる宿を探していればこうはならなかったに違いない。
というか、あの少年は自分たちが派手に稼いだのを何処かで見ていたに違いないだろう。
そんなルイズの考えている事を読み取ったのか、紫は笑顔を浮かべたまま考え込んでいるルイズへと話しかける。
「藍の話を聞いた限りでは、貴女たち…というか霊夢が賭博で色々と派手にやらかしたそうね?」
思い出していた最中に不意打ちさながらに入ってきた紫の言葉に、ルイズは思わず頷いてしまう。
「…そうよね。よくよく考えてみたら、昨日あんだけド派手な大勝してたら…そりゃ寄ってくるわよね」
「ちょっとルイズ、それはアンタの我儘を叶える為に張ってあげた私の苦労を台無しにする気?」
「いや、お前さんはそんなに苦労してないだろうが」
反省しているかのようなルイズに、昨日稼いだ大金を即日盗まれた霊夢が苦言を漏らすも、
ようやく後頭部の痛みが和らいできた魔理沙が恨めしそうな目で彼女を睨みつけながら突っ込みを入れられてしまう。
そこへデルフもすかさず『だな』と、短くも魔法使いの言葉に便乗する意思を見せる。
流石に魔理沙デルフにまでそんな事を言われてしまった霊夢は機嫌を損ねたのか、口をへの字に曲げてしまう。
「何よ、昨日は一発勝負大金稼いでやった私に対する仕打ちがこれなの?失礼しちゃうわね」
「…というか、博麗の巫女としての勘の良さを賭博で使う貴女が巫女としてどうかと思うわよ…霊夢?」
そんな時であった、昨日の事を思い出していた彼女へ紫がそう言ってきたのは。
さっきまでと同じ調子に聞こえる声は、どこか冷たさと鋭さを併せ持ったかのような雰囲気を霊夢は感じてしまう。
それを機敏に感じ取った霊夢の表情がスッ青ざめたかと思うと、ゆっくりと紫の方へと顔を向ける。
そこに八雲紫は佇んでいたが、帽子の下にある笑顔には何故か陰が差している気がする。
他の二人とデルフも先ほどの彼女の声色が微妙に変わっているのに気が付いたのか、怪訝な表情を浮かべて二人を見つめている。
「あれ?どうしたのかしら二人とも…何かおかしいような」
青ざめる霊夢と微笑み続ける紫を交互に見比べていたルイズが言うと、そこへ魔理沙も続いて呟く。
「あちゃ~…何か良くは知らんが、あれは紫のヤツ…今にも怒りそうだな」
『まぁ声の色にちょっとドスが入っているっぽいからな…ありゃ相当カッカしてると思うぜ』
これまでの経験から何となくスキマ妖怪が起こるっているであろうと察した魔理沙がそう言うとデルフも同じような言葉を呟き、
両者の意見を聞いた後でもう一度紫の笑顔を見たルイズは、 「え、え…何ですって?」と軽く驚いてしまう。
一瞬にして部屋の空気が代わった事に気が付かず、微笑み続けている紫は霊夢に喋り続けていく。
「貴女、昨日は随分と荒稼ぎしたそうね?それこそ、店の人間を泣かすくらいに」
「あ、あれはルイズが良い宿に泊まりたいって言うから、それでまぁ…ん?」
珍しく焦った表情を霊夢が若干慌てた様子で昨日の事を説明する中、紫がふと自分の頭上にスキマを開いた。
人差し指で何もない空間に入れた線がスキマとなり、数サント程度の真っ暗な空間が二人の間に現れる。
そのスキマと微笑み続ける紫を見て直感で゙ヤバい゙と感じたのか、更に焦り始めた霊夢が説明を続けていく。
「だ…だってしょうがないじゃないの!ルイズのヤツには、色々と借りがあっ――――…ッ!!」
言い切る前に、突如聞こえてきた鋭くも激しい音で紫とデルフを除く三人が身を竦ませて驚いた。
傍で聞いていたルイズと魔理沙、そして言い訳を述べようとした霊夢の目に音の正体が移り込む。
霊夢の足元へ勢いよく突き刺さったのは、普段から紫が愛用している白い日傘であった。
折りたたまれた状態のソレの先はフローリングの床に突き刺さり、僅かにだが横にグワングワンと揺れている。
まず最初に口が開けたのは意外にも霊夢ではなく、現在彼女の主であるルイズであった。
「は?日…傘?」
一体どこから…?と一瞬思ったルイズは、すぐに紫の頭上に開いたスキマへと視線を向ける。
彼女の予想通り、日傘を投げ槍の様に出したであろうスキマの゛向こう側゙にある幾つもの目が霊夢を睨んでいる。
明らかにその目は不機嫌そうな様子であり、それが今の紫の心境を明確に物語っているかのようだ。
『おぉ…こいつはちょっと、洒落にならんってヤツだな』
「いやいや、これは相当怒ってるぜ…?」
流石の魔理沙も今まで見たことないくらい怒っている紫に戦慄しているのか、自然と後ずさり始めている。
とある異変の後で紫と知り合った彼女にとって、紫がこれ程怒る姿を見るのはここで初めてであったからだ。
そして、その怒りの矛先である霊夢は…ただただこちらを見下ろす紫を見上げている。
まるで蛇に睨まれた蛙の様に身動き一つ取れないまま、こちらへスキマを向ける彼女の言葉を待っていた。
「あの、ゆ…――」
「――そういえば、ここ最近は貴女の事を色々と甘やかし過ぎていたかしらねぇ?」
自分の名前を呼ぼうとした霊夢の言葉を遮って、紫はわざとらしい調子で言う。
これまで幾度となく妖怪と戦い退治し、異変解決もこなしてきた博麗霊夢はそれで何となく察した。
久しぶり…というか多分、十年ぶりに八雲紫からのありがたーい゙御説教゙を受ける羽目になるのだと。
「久しぶりねぇ。私がこうして、あなたに博麗の巫女とは何たるかを教えるのは」
そう言って紫は先ほど自分の日傘を射出したスキマから一本の扇子を出し、それを右手で受け取る。
紫が愛用しているそれは何の変哲もない、人里にあるちょっとお高い品を扱う店で購入できるような代物。
キッチリと閉じている扇子で自分の左手のひらを二、三回と軽く叩いてみせた。
「藍が帰ってくるまで、私と昔教えた事の復習をしてみましょうか?霊夢」
「――…と、いうわけで今も゙御説教゙は継続中と言うワケなのよ」
――――そして時間は過ぎ、もうすぐお昼に迫ろうとしている時間帯。
ルイズたちの荷物を橙と共に持って帰ってきた八雲藍は、ルイズから何が起こったのか聞かされた。
彼女たちのすぐ近くでは、今も閉じた扇子を片手に持つ紫が拗ねたように顔を晒している霊夢に説教している。
最初は昨晩の博打において、巫女としての勘の良さを博打で使ってボロ儲けした事について話していた。
そこから次第に発展して、ルイズや魔理沙にデルフからこの世界での彼女の不躾な行動を聞き出し、
それを説教のネタにして長々と喋り続け、かれこれ藍と橙が戻ってきてからも彼女の゙御説教゙は続いていた。
今はルイズから部屋に隠していたお菓子を無断で食べたことについての説教をされているところである。
「…大体、貴女は普段から巫女としての心を持たないから…そうやって安易に手を出しちゃうのよ」
「むぅ~…だってあのチョコサンド、凄く美味しそうだったのよ?それをすぐに食べないなんて勿体ないじゃない」
「その食い意地だけは認めますけど、やっぱり貴女はまだまだ経験不足なのねぇ」
そんな二人の説教…と言うにはどこか緩やかさが垣間見えるやり取りを眺めつつ、
ルイズから事のあらましを聞き終えた八雲藍は呆れた…とでも言いたいかのように天井を一瞥した後、その口を開く。
「成程、帰ってきたときに見た時はかなり驚いたが……まぁ身から出た錆と言う奴だな」
「まぁ、アンタの言葉は外れてはいないわね。…それにしても、あのレイムがあんな大人しくなるなんて」
重い荷物を担いで戻ってきた彼女はベットに腰かけながら、横で話してくれたルイズに向けて開口一番そう言ってのける。
ついでルイズもそれに同意するかのように頷き、あの霊夢がマジメに説教を受けている事に驚いていた。
何せ召喚してからといもの、傍若無人かつそれなりに強かった博麗霊夢が借りてきた猫の様に小さくなっている。
召喚してからというものほぼ彼女と一緒に過ごし、彼女がどういう人間なのか知ったルイズにとって意外な発見であった。
「ルイズの言う通りだな。アイツなら誰が相手でも居丈高な態度を見せるもんだとばかり思ってたが…」
更に…自分よりも霊夢と一緒にいた回数が多いであろう魔理沙もルイズと同じような反応を見せている。
きっと彼女も、大人しく紫の説教を受けている霊夢の姿なんて一度も見たことがないのだろう。
今はその両腕で抱えているデルフも鞘から刀身を出して、魔理沙に続くようにして喋りはじめる。
『まぁレイムのヤツには丁度いいお灸になるだろ。…それで性格が直るワケはないと思うがな』
「そりゃーあの博麗霊夢だからねぇ、むしろあの性格は死ぬまで直らないんじゃないかなー」
やや鼓膜に障る程度の喧しい金属音混じりの言葉に、今度は式の式である橙がクスクスと笑いながら言う。
先ほど藍と一緒にルイズの荷物を持って帰って来た彼女は、叱られている霊夢の姿を見てざまぁ見ろとでも思っているのだろうか?
まぁさっきまで散々掴まれられたり文句を言われたりもしていたので、まぁそういう気持ちになっても仕方ない。
そう思っているのか藍も彼女を窘める事はせず、見守る事に徹していた。
そんな橙は今、紫が来るまで来ていた洋服ではなく霊夢達が見慣れている赤と白が目立つ服に着替え直している。
元は変装用にと藍が服を与えたのだが、今回の説教で紫から甘やかしてると判断されて没収されていた。
まぁ元々着ていた服も一部分を除けば洋服であるし、尻尾と耳をどうにか隠せれば何とか誤魔化せるだろう。
藍ならば自分の力でそれ等を極小に縮める事は出来るが、まだまだ力不足な橙にそれ程の芸当はできない。
その為荷物を取りに行った時はフードつきのコートを頭からすっぽり被り、上手く隠して日中の街中へと出ていた。
ただ本人曰く…「帰るときには気絶しそうなくらい暑かった」とも言っていたが…。
「あの服なら尻尾をスカートの中に入れてても痛くなかったし、便利だったのにな~…」
「確かに…あんなコートを頭から被って真夏日の街中で出るなら、あの服を着ていく方がいいと思うぜ」
『だな。夏真っ盛りの今にあんなん着てて歩いたら、その内日射病でバタンキューだ』
橙が羽織り、今は入口の傍に設置されているコートハンガーに掛けられているそれを見て、魔理沙とデルフも頷くほかない。
あれを着れば確かに耳と尻尾は隠れるのだろうが、間違いなく体中から滝の様な汗が流れるのは間違いないだろう。
何せ外は涼しい格好をした平民たちもしきりに汗を流し、日射病で倒れぬようしきりに水分補給をする程の暑さ。
それに加えて狭い通りを大勢の人々が歩き回ってるのだ。汗をかかない方が明らかにおかしいのである。
当然、橙の傍にいて彼女の様子を見ていた藍も魔理沙と同じことを思っていたようで、腕を組んで悩んでいた。
「う~ん、私は甘やかしたつもりはないのだがなぁ。ただ、あの子の事を思って服を用意しんだが…」
「そういえば、甘やかす側は偶に違うと思いつつも他の人から見ると甘やかしてるって見える時があるらしいわね」
真剣に悩んでいる彼女の姿を見て、ルイズは現在行方知れずの二番目の姉との優しい思い出を振り返りつつ、
常に厳しくキツい思い出しかない一番目の姉が彼女に言っていた言葉を思い出していた。
そんな風にして四人と一本が暇を潰している間、いよいよ霊夢と紫の楽しい(?)お話が終わろうとしていた。
「…まぁその分だとあまり反省してなさそうだけど…これに懲りたらちょっとは自分を見直しなさい。いいわね?」
「そんなの…分かってるわよ。何かしたら一々アンタの説教を聞くのも億劫だし」
長い説教をし終えた紫は最後にそう言って、目を逸らしつつも大人しく話を聞いていた霊夢へ説教の終わりを告げる。
対する霊夢も相変わらず顔を横に反らしたまま捨て台詞を吐いてから、クルッと踵を返して紫に背を向けてしまう。
一目見ただけでご立腹な巫女の背中に、紫は苦笑いしつつ彼女の左肩にそっと自分の左手を乗せた。
ついで、幾つものスキマを作り出せるその指で優しく撫でられると流石の霊夢も何かと思ってしまう。
「まぁ貴女は貴女でちゃんと頑張っているし、人間っていうのは叱られてこそ伸びるものよ」
そんな彼女へ、紫はまるで教え子を諭す教師になったかのような言葉を送る。
さっきまであんなに説教してきたというのに、しっかりフォローを入れてきたスキマ妖怪に霊夢は思わず彼女の方へ顔を向けてしまう。
そして自分だけでなく、それを傍目で眺めていたルイズと魔理沙もそちらの方へ顔を向けているのにも気づいていた。
途端に何か、得体のしれぬ気恥ずかしさで頬に薄い赤色が差した巫女はそれを誤魔化すように紫へ話しかける。
「……その言葉と、今私の肩を撫でまわしてる事にはどういう関係があるのよ」
「あら?肩じゃなくて頭のほうが 良かったかしら。昔みたいに…」
「まさか……もう子供じゃああるまいし」
そう言って霊夢は右手で紫の左手を優しく肩から離して、もう一度踵を返して今度は紫と向き合う。
既に気恥ずかしさは何処へと消え去り、いつもの調子へと戻った彼女は腰に手を当ててご立腹な様子を見せている。
「第一、ルイズや式はともかくとして魔理沙のヤツがいる前で昔の事なんか言わないでよ。からかいの種になるんだからさぁ」
「おぉ、こいつはひどいなぁ。私だけのけものかよ」
「でも不思議よね?霊夢の『ともかく』って実際は『どうでもいい』って事だからあんまり嬉しくないわ」
「まぁその通りだな」
『でもぶっちゃけ、この巫女さんに関われるよかそっちの方が幸せな気がするとオレっちは思うね』
自分の言葉に続くようにして魔理沙とルイズ、それに藍とデルフが相次いで声を上げる。
その光景に紫がクスクスと小さく笑いつつ、キッと三人と一本を睨み付ける霊夢へ話を続けていく。
「あら?そうは言っても過去は否定できませんわよ。今も私の頭の中には、幼少期の可愛い貴方の姿が…」
「だーかーらー!!昔のことは言わないでって言ってるでしょうが!」
「あぁ~ん、ダメよ霊夢ぅ~!公衆の面前よぉ~」
今となっては相当恥ずかしい昔の思い出を掘り返されたことに、霊夢は紫へ怒鳴りながら迫っていく。
紫自身も慣れたもので、今にも掴みかからんとする妖怪退治の専門家に対しての余裕っぷりを見せつけている。
一方で霊夢からのけもの扱いされた魔理沙は、紫の口からきいた意外な事実にほぉ~…と感心していた。
彼女としてもあの博麗霊夢がどのような幼少期を過ごしたのか気になってはいたが、それを聞いたことが無かったのである。
以前ふとした時に思いついて聞いてみたのだが上手い事はぐらかされてしまい、聞けずじまいであった。
妖精や天狗たちの噂で、自立できるまであの八雲紫が世話をしていたという話は耳にしていたが、あまり信用してはいなかった。
だが、その噂の中に出てくる大妖怪本人が言った事ならば…まぁちょっとは信用できるだろうと思うことができた。
「へぇ~、やっぱ噂は本当だったんだな。幼い頃の霊夢と一緒に過ごしたっていうのは」
魔理沙がそう言うと、紫と同じく幼少期の霊夢を知る藍が「…まぁ事実だしな」と主人の言葉が正しいと証明する。
「まぁ我々からしたらほんの一瞬であったが、幼いアイツへ紫様が直々に色んな事を教えていたのは覚えてるよ」
「へぇ~…それって意外ねぇ?あんな他人に冷たいレイムにそんな過去があるなんてね」
『どんなに冷酷、狡猾、残酷な人間でも乳飲み子や物心ついたばかりの時ってのは可愛いもんなんだぜ?』
「ちょっとデルフ、まるで私が犯罪者みたいな事言ってたら刀身にお札貼り付けて封印してやるわよ」
藍からの証言を聞いたルイズは自分の使い魔の意外な過去に驚き、デルフがとんでもない事を言ってしまう。
そして変に耳の良い霊夢がすかさず釘を刺しに来ると、彼はプルプルと刀身を震わせて笑っている。
これまで何度も同じような脅し文句を言われてきたのだ、彼女が冗談混じりで言っているのかどうか分かっているようだ。
実際霊夢自身も半分程冗談で言ったので、それを読み取って笑っているデルフに「全く…」と苦笑するしかない。
「すっかり慣れちゃってるわね。この喧しい魔剣モドキは…ったく」
そう言いながら彼女は魔理沙が抱えている彼の元へ近づくと、中指の甲で軽く鞘の部分を勢いよく叩いた。
カンカン…という軽い音ともに鞘は僅かに揺れ、またも刀身を震わせたデルフが霊夢に向かって言葉を発する。
『おっ…と!鞘はもっと大事に扱ってくれよな、それがなきゃオレは黙れないし一生抜身のままなんだぜ』
「別にアンタがそうなら構わないわよ。だって私はアンタじゃないんだしね」
『こいつは手厳しいや。こりゃ暫くは黙っておいた方が身のためだね』
「あら?アンタも大分懸命になったようね。感心感心」
互いに軽口で返した後で霊夢は微笑み、デルフもまた笑うかのようにまた自らの刀身を震わせた。
偶然だったかもしれないが、デルフのお蔭で部屋に和やかな空気が戻った後…思い出したように魔理沙が口を開く。
「まぁアレだな。これを機に霊夢も昔の可愛い自分を思い出して私達に優しくしてくれればそのう―――…デデデデッ!」
空気が和んだところで、通り過ぎたばかりの地雷原へと突っ込んだ魔理沙の頬を霊夢が容赦なく抓った。
デルフを持っていたことが災いしてか、避けるヒマもなく攻撃を喰らった彼女の目の端へ一気に涙が溜まっていく。
対して霊夢の表情は先ほどの微笑みを浮かんだまま止まっており、それが異様な雰囲気を作り出している。
「それ以上口にしたら、アンタにはもう一度痛い目に遭ってもらうわよ。いいわね?」
「も、もうとっくにされてる…ってア…ダァッ!」
「ちょっとレイム、マリサを擁護するつもりは無いけれどこれ以上騒がしくしたらスカロンたちが起きちゃうわよ」
自分の過去を茶化そうとする黒白に個人的制裁を加える霊夢に、流石のルイズが止めに入った。
今までちょっとだけ忘れていたが、一応この階では今夜の営業に備えてスカロンやジェシカ達が寝ているのである。
もしも変に騒ぎ過ぎて起こしてしまえば、怒りの形相でこの部屋へ殴りこんでくるかもしれない。
人間の中には寝ている途中に起こされる事を極端に嫌い、憤怒する者たちがいる事を彼女は知っているのだ。
しかし、そんな理由で少し慌てているルイズにそれまで黙っていた紫が「あら、それは大丈夫よ」と言葉を発した。
「こんな事もあろうかと、この部屋の中だけ静と騒の境界を弄っておいたから多少騒いでも問題ないわ」
紫の発したその言葉に「え?」と言いたげな表情を向けたルイズは、意味が良く分からなかった為に彼女へ質問する。
「つまり…それって霊夢を特に止める必要は無いって事?」
「まぁ、そうなるわね。あくまでも多少だけど」
自分の質問に対する紫の答えを聞いた後、ルイズはもう一度霊夢達の方へ顔を向けて言った。
「………というわけよ。だから…まぁ程々にしてあげてね」
「いや、ルイズ…程々って―――イダダダダダタァッ…!」
あっさりとルイズに見捨てられた魔理沙は彼女へ向けて右手を差し出そうとするが、
それを許さない霊夢の容赦ない攻撃によって宙を乱暴に引っ掻き回し、涙目になって悲鳴を上げてしまう。
そんな彼女の左腕の中に抱えられたデルフは鞘越しの刀身を震わせていたが、それは恐怖から来る震えであった。
――やっぱり今の『相棒』はとんでもなくおっかないと、そんな再認識をしながら。
その後、魔理沙が解放されたのは一、二分ほど経った後だった。
流石にこれ以上耐えるのは無理と判断したのか、両手を上げて霊夢に降参を伝えると彼女はあっさりと手を放したのである。
「まぁこんだけやればアンタも今だけは懲りてるだろうし、なにぶん私の手がつかれちゃうわ」
「……機会があったら、是非とも昔の事を話してもらいたいぜ」
抓られていた頬を押さえる涙目の魔理沙がそう言うと、霊夢は「まぁその内ね」と彼女の方を見ずに言葉を返す。
最も、彼女の言う「その内」というのはきっと…いや絶対に訪れることは無いのだろう。
そう確信した魔理沙はいずれ紫本人から話を聞いてみようと思いつつ、
頬を抓ってくれた霊夢と共犯者のルイズには、いずれとびっきりの『お返し』をしてやろうと心の中で固く誓った。
さっきあれ程酷い事をしたというのに平然としている霊夢に、心の中で何かよからぬ事を企んでいそうな魔理沙。
そんな二人をベッドに腰掛けて見つめるルイズは、相変わらず仲が良いのか悪いのか良く分からない彼女たちにため息をついてしまう。
思えばこんな二人と同じ部屋で暮らして寝ている何て事、一年前の自分には想像もつかない事だろう。
あの頃は『ゼロ』という不名誉な二つ名と共に苛められて、何度挫けそうになりながらも必死に頑張っていた。
実家から持ってきた荷物の中に入っていたくまのぬいぐるみと、それに付いていたカトレアからの手紙だけを頼りに文字通り戦ったのである。
――『あなたならできるわ。自分を信じて』という短い一文は、自分に戦えるだけの活力を与えてくれた。
それから一年後の春。今こそ見返してやろうと挑戦した使い魔召喚の儀式を経て―――ご覧の有様となったわけである。
(何度も思ってきたけど、ハルケギニアの中でこれ程波乱万丈な青春を過ごしてる女の子何て私ぐらいなものなんじゃない?)
今やこのハルケギニアと繋がってしまった異世界での異変を解決する側となったルイズは、思わず我が身の不幸を呪ってしまう。
確かに使い魔は召喚できたのだが、始祖ブリミルは一体何の因果で自分に霊夢みたいな巫女を押し付けてきたのだろうか?
更にそれから暫くして今度は彼女の世界へ連れ去られ、ワケあって魔理沙という騒がしい魔法使いとも暮らしていく羽目になってしまった。
(あの二人の相手をするだけでも忙しいのに、しまいには私があの『虚無』の担い手なんてね…)
そして、どうして自分が始祖の使いし第五の系統の担い手として選ばれたのか…?
『虚無』に覚醒して以降、これまで何度も思った疑問を再び思い浮かべようとした直前、
それまで三人を無視して自分の式から長い長い話を聞いていた紫の声が、思考しようとするルイズの耳の中へと入ってきた。
「ふふふ…どうやら私が顔を見せていない間に、随分と進展があったようねルイズ。それに霊夢も、ね」
明らかに自分へ向けられたその言葉に気づくまで数秒、ハッとした表情を浮かべたルイズが声のした方へと顔を向ける。
案の定そこにいたのは、何やら満足気な笑顔を浮かべて自分を見下ろす紫の姿があった。
「この世界で伝説と呼ばれている『ガンダールヴ』の力に、系統魔法とは違う第五の系統『虚無』の覚醒。
私の思っていた通り、霊夢を使い魔として召喚しただけの力量はちゃんと持っていたという事なのね」
閉じた扇子で口元を隠し、笑顔で話しかけてくる紫にルイズは多少困惑しつつも「あ、当たり前じゃない」と弱々しく言葉を返す。
「この私を誰だと思って…って本当は言いたいところだけど、正直『虚無』の事は喜んでいいたのかどうか…」
「…?珍しいわねルイズ。いつものアンタなら胸を張って喜ぶだろうって思ったのに…紫が褒めたからかしら」
「早速失礼な事を言ってくる霊夢は置いておいて…確かに彼女の言うとおり、もう少し胸を張ってもバチは当たらないと思うわよ?」
さっき叱られたばかりだというのにいきなり自分に喧嘩を売ってくる霊夢に肩を竦めつつ、紫はルイズにそう言ってあげる。
『虚無』に目覚め、アルビオン艦隊を焼き払ってこの国を救った人間にしては、ルイズはやけに謙虚であった。
アンリエッタから無暗な公表は避けろと言われてるからなのだろうが…、そうだとしても変に謙虚過ぎる。
霊夢の言うとおり、いつもの彼女ならば前もって自分がどういう人間なのか知っている彼女や紫に対して、
「どう、スゴイでしょ?」とか「ようやく私の時代が来たわ!」とか強気になって言いそうなモノなのだが……。
「今まで苛められてた分を強気になってやり返してやろう…とかそういう事言いそうだと思ってたのに」
「失礼ね、私がそんな事すると思ってたの?…っていうか、姫さまに公にするよう禁止されてるからどっちにしろ不可能だし」
勝手な自分のイメージを脳内で組み立てていた霊夢を軽く注意した後で、ルイズは他の皆に向かってぽつぽつと喋り始めた。
それは『虚無』の担い手として覚醒し、初めて『エクスプロージョン』詠唱から発動しようとした時の事である。
「レイム、マリサ。私がタルブ村でアルビオンの艦隊に向けて『エクスプロージョン』を放った時のこと、憶えてる?」
突然話題を振ってきたルイズに霊夢と魔理沙は互いの顔を一瞬見遣った後、二人してルイズの方へ顔を向けて頷く。
あれから少し経ったが、今でもあの村で感じたルイズの力はそれまで感じたことがない程のものであった。
それまで彼女の失敗魔法を幾度となく見てきた霊夢でさえも、魔法を発動する直前に思わず身構えてしまったのである。
極めつけはあの威力、魔理沙もそうだがあの小さな体のどこにあれだけの爆発を起こせる程の力があったのだろうか。
「正直あれは驚いたわね。まさか土壇場であんな魔法をぶっつけ本番で発動して片付けちゃうなんてね」
「全くだぜ。おかげで私の活躍する機会が無くなってしまったが…まぁその分あんな爆発魔法を見れたから十分満足してるよ」
「成程。魔理沙はともかくとして、霊夢ともあろう者がそれ程感心するのならさぞやすごい魔法なのでしょうね」
思い出していた霊夢に魔理沙も同調して頷くと、藍から『虚無』の事を聞いたばかりの紫は興味深そうな表情を見せている。
まだ実物を見ていない為に詳しい事は分からないが、あの霊夢と魔理沙が多少なりとも感心しているのだ。
是非とも近いうちに生で見てみたいと思った紫は、尚も浮かばぬ表情をしているルイズの方へと顔を向けて話しかける。
「でも見た所、貴女自身はその『エクスプロージョン』という魔法を、あまり撃ちたくはなさそうな感じね」
「…姫さまの前では虚無の力を役立てたいって言ったけど、またあれだけの規模の爆発を起こせと言われたら…ちょっとね」
アルビオンの艦隊を飲み込んだあの光が脳裏に過らせて、ルイズは自分の素直な気持ちを彼女へ伝える。
ふとある時、ルイズは口にしないだけでこんな事を考えるようになった。
もしもアンリエッタの身か…トリステインに大きな危機が訪れるというのならば、止むを得ず虚無を行使するかもしれない。
しかし、そうなれば次に唱えて発動する『エクスプロージョン』は何を飲み込み…そして爆発させるのだろうか?
そして何よりも怖いのは―――タルブの時と同じように上手く『エクスプロージョン』を操れるかどうかであった。
「何だか怖くなってきたのよ。もしも次に、あの魔法を使う時には…タルブの時みたい上手ぐコントロール゙できるのか…って」
「あら?それは初耳ね」
顔を俯かせ、陰りを見せるルイズの口から出た言葉に紫はすかさず反応する。
先ほどの藍の話では『エクスプロージョン』の事は出たが、その中に彼女が口にした単語は耳にしていなかった。
しかし霊夢にはルイズの言う事に少し心当たりがあったのか、以前デルフが言っていた事を思い出す。
――あぁ…―――まぁそうだなぁ~…。娘っ子が『虚無』を初めて扱うにしても、手元を狂わせる事は…しないだろうなぁ
――不吉って言い方は似合わんぜマリサ。もし娘っ子が『エクスプロージョン』の制御に失敗したら…
―――――俺もお前らも、全員跡形も無く消えちまう…文字通りの『死』が待っているんだぜ?
エクスプロージョンを唱えていたルイズを前にして、あのインテリジェンスソードはそんなおっかない事を言っていた。
その後、しっかりと発動できたルイズを見て少々大げさだったんじゃないかと思っていたが…。
まさか彼の言う通り、下手すればルイズがあの魔法のコントロールに失敗していた可能性があったのだろうか。
今更ながらそう思い、もしも゙失敗しだ時の事を想像して身震いしかけた霊夢はそれを誤魔化すようにデルフへ話しかける。
「ちょっとデルフ、アンタあの時…ルイズの『エクスプロージョン』が制御に失敗したらどうとか言ってたけど…まさか――」
『あぁ、みなまで言わなくても言いたい事は分かるぜ?』
霊夢の言葉を途中で遮ったデルフは、自身が置かれているテーブルの上でカチャカチャと音を鳴らしながら喋り始めた。
『お前さんと娘っ子が考えてる通り、確かにあの『エクスプロージョン』は下手すると制御に失敗してたと思うぜ?
何せ体の中の精神力――まぁ魔力みたいなもんを一気に溜め込んで、発動と共にそれを大爆発に変換するからな。
詠唱して十秒も経ってないのなら大した事無いがな、あの時の娘っ子みたいに長々と詠唱した後で失敗してたとするならば…
そうだな~、娘っ子を除くありとあらゆる周囲のモノが文字通りあの爆発に呑み込まれて、消えてただろうな。それだけは間違いないぜ』
軽々と、まるで街角で他愛もない世間話をするかのようにデルフがおっかない事を言ってのける。
その話を聞いていた霊夢はやっぱりと言いたげにため息を吐くと、同じく話を聞いていたルイズたちの方へと顔を向けた。
「だ、そうよ?…まぁあの魔力の集まり方からして相当危ないってのは分かってたけど…」
話を聞き終わり、顔色が若干青くなっていた魔理沙とルイズにそう言うと、まず先に魔理沙が口を開いた。
「し…周囲のモノって…うわぁ~、何だか聞いただけでもヤバそうだな」
『でもまぁ、虚無の中では初歩中の初歩だしな。詠唱してた娘っ子もそうなると分かってたと思うぜ…だろ?』
今になって狼狽えている黒白向かってそんな事を言ったデルフは、次にルイズへと話しかける。
デルフの意味ありげな言葉に霊夢達が彼女の方へと視線を向けると、ルイズは青くなっている顔をゆっくりと頷かせた。
「まぁ…ね。……あの時、呪文を唱え終えて…いざ杖を振り上げようとしたときにね…浮かんできたの」
「浮かんできた?何がよ?」
最後の一言に謎を感じた霊夢が怪訝な顔をして訊ねてみると、ルイズはゆっくりと喋り始めた。
あの時、『エクスプロージョン』を放とうとした自分には『何が視えていた』のかを。
いざ呪文を発動しようとした時に『エクスプロージョン』どれ程の規模なのか理解したのだという。
それは自分を中心に周囲にいる者たちを焼き払い、遥か上空にいるアルビン艦隊をタルブごと一掃する程の大爆発を引き起こすと。
だからこそ彼女は選択した。これから解放するべき力を何処へ流し込み、そして爆発させるのかを。
勿論その目標は頭上の艦隊であったが、そのうえでルイズは更に攻撃対象から゙人間゛を取り除いたのである。
そこまで話したところで一息ついた彼女に、おそるおそるといった様子で魔理沙が話しかけてきた。
「じゃああの時、うまいこと船の動力と帆だけが燃えて墜落していったのって…まさかお前が?」
「えぇ、その通りよ。…ぶっつけ本番だったけど、思いの外うまくいくものなのね」
彼女からの質問にルイズは頷いてそう答えると、あの時の咄嗟の判断を思い出して安堵のため息をつく。
どうやら彼女自身も、そんな土壇場で良く船だけを狙って攻撃できた事に驚いているらしい。
以前アンリエッタの前で、この力を貴女の為に使いたいと申し出た時とはまた違う印象を感じるルイズの姿。
やはり虚無の担い手である前に一学生である彼女にとって、人を殺すという事は極力したくないようだ。
まぁそれは私も同じよね…霊夢はそんな事を思いながら、ベッドに腰掛けている彼女に向かって言葉を掛ける。
「にしたってアンタは大した事やってるわよ?何せあれだけの爆発魔法を使っておきながら、船だけを狙ったんだから」
「そうそう…って、ん…んぅ?」
突如、あの博麗霊夢の口から出た賞賛の言葉で最初に反応したのは、言葉を掛けられたルイズ本人ではなく魔理沙であった。
思わず相槌を打ったところでその言葉を霊夢が言ったことに気が付いたのか、丸くなった目を彼女の方へと向けてしまう。
黙って話を聞いていた藍と橙もまさかと思っているのか、怪訝な表情を浮かべている。
ただ一人、八雲紫だけは珍しく他人に肯定的な言葉をあげた霊夢を見てニヤついていた。
「え…う、うん…?ありがとう…っていうかどうしたのよ、急に褒めたりなんかして?」
そして褒められたルイズもまた魔理沙たちから一足遅れて反応し、怪訝な表情を浮かべて聞いてみる。
基本他人には冷たい言葉を向ける彼女が、どういう風の吹き回しなのだろうかと疑っているのだ。
そんなルイズから思わず聞き返されてしまった霊夢は「失礼するわね」と少し怒りつつも、そこから言葉を続けていく。
「特に深い意味なんて無いわよ。…ただ、アンタはあの時ちゃんと自分の力をコントロールして、船を落としたんでしょ?
そりゃ失敗した時のもしもを聞いて青くなったりしたけど、そこまでできてたんなら心配する必要なんか無いでしょうに。
アンタはしっかりあの『虚無』をちゃんと扱えてたんだし、変にビクついてたらそれこそ次は失敗するかも知れないじゃない」
霊夢の口から送られたその言葉に、ルイズはハッと表情を浮かべて彼女の顔を見つめる。
いつもみたいにやや厳しい口調ではあったが、要点だけ言えばあの時『虚無』をうまく扱えたと彼女は言っているのだ。
珍しく他人である自分を褒めた霊夢に続くようにして、目を丸くしていた魔理沙もルイズに言葉を掛けていく。
「まぁちょっと意外だったが、霊夢の言うとおりだぜ?自分の力なのに使う度に一々ビクビクしてたら、気が持たないしな」
「…あ、ありがとう。励ましてくれて…」
あの魔理沙にまで言葉を掛けられたルイズは、気恥ずかしそうに礼を言うとその顔を俯かせる。
まさか霊夢だけではなく、あの魔理沙にまで優しい言葉を掛けられるとは思っていなかったルイズは嬉しいとは感じていたが、
二人同時に優しくされるという事態に今夜は雨どころか、雪と雷とついでに槍まで降ってくるのではないかと思っていた。
そんな三人のやり取りを少し離れた位置で眺めていたデルフも、カチャカチャと刀身を揺らしながら彼女に言葉を掛ける。
『まぁ初めてにしちゃあ上々だったぜ。味方はともかく、敵の命まで奪わないっていう芸当何て誰にでもできることじゃない。
そこはお前さんの隠れた才能があったからこそだと思うし、ちゃんと目標を決めて魔法を当てたってのは大きいぜ?
娘っ子、お前さんにはやっぱり『虚無』の担い手として選ばれる素質がちゃんとあるんだ。そこは確かだと思っといてくれ』
「……もう、何なのよさっきから?揃いも揃って私を褒め称えてくるだなんて」
デルフにまでそんな事を言われたルイズの顔がほんのり赤くなり、それを隠すように顔を横へと向ける。
しかし、赤くなった顔は薄らと笑っており、霊夢達は何となく彼女が照れているのだと察していた。
そんな微笑ましい光景を目にしてクスクスと笑いながら、紫は同じく静観していた藍へと小声で話しかける。
「ふふ…どうやら私が思っていたより、仲が良さそうで安心したわ」
「ですね。霊夢はともかくあの霧雨魔理沙とあそこまで仲良く接するとは思ってもいませんでしたが…」
主の言葉に頷きながら、藍もまたルイズと仲良く付き合っている二人を見て軽い驚きを感じていた。
照れ隠しをするルイズを見てニヤついている魔理沙と、顔を逸らした彼女を見て小さな溜め息をついている霊夢。
そして鞘から刀身を出したまま三人を見つめるデルフという光景に、不仲な空気というものは感じられない。
先程ルイズから聞いた話では大切にとっておいたお菓子を食べられたとかどうかで揉み合いになったらしいが、
そこはあの喋る剣が上手い事彼女を説得して、何とかやらかしてしまった霊夢達と和解させたのだという。
剣とはいえ伊達に長生きはしてないという事なのだろう。彼曰く自身への扱いはあまりよろしくないらしいが。
「ちょっとは心配してたけど、今のままなら異変が解決するまで不仲になる事はないと思うわね」
「仰る通りだと……あっ、そうだ!紫様、少々遅れましたが…これを」
まるで成長した我が子を遠い目で見るような親のような事を言う紫の「異変解決」という言葉で何か思い出したのか、
ハッとした表情を浮かべた藍は懐に入れていた一冊のメモ帳を取り出し、それを紫の方へと差し出した。
最初は何かと思った紫は首を傾げそうになったものの、すぐに思い出しのか「あぁ」とそのメモ帳を手に取った。
「ご苦労様ね、藍。いつまで経っても渡されないから、てっきりサボってたものかと思ってたわ」
「滅相もありません。紫様が来てから少しドタバタしました故、渡すのが遅れてしまいました」
「あら、頭を下げる必要は無いわ。私だって半分忘れかけてたもの」
紫はそう言って手に取ったメモ帳をパラパラと捲ると、偶然開いたページにはハルケギニアの大陸図が描かれていた。
その地図にはハルケギニアの文字は見当たらず、紫にとって見慣れた漢字やひらがなで幾つもの情報が記されている。
国や地方、そして各街町村の名前まで……。
紫の掌より少しだけ大きいメモ帳に『びっしり』と、それこそ虫眼鏡を使えば分からぬほどに。
王立図書館に保管されている大陸図と比べると怖ろしい程精密であったが、見にくい事このうえない大陸図である。
もしもここにその大陸図が置いてあれば、紫は迷うことなくそちらの方を手に取っていただろう。
一通り目を通した紫はメモ帳を閉じると、ニコニコと微笑みながら藍一言述べてあげた。
「藍…書いてくれたのは嬉しいけどもう少し他人に分かるように書いてくれないかしら?」
「すみません、書いてる途中に色々調べていたら恥ずかしくも知的好奇心が湧いてしまいまして…」
申し訳なさそうに頭を下げた藍にため息をついた後、気を取り直して紫は他のページも試しに捲ってみる。
その他のページにはハルケギニアで広く使われているガリア語で書かれた看板等を書き写し等、
一般の人から聞いたであろ与太話やその国のちょっとした事に、亜人達のおおまなかスケッチまで描かれている。
特に魔法関連に関しては綿密に記されており、貴族向けの専門書と肩を並べるほどの情報量が載っていた。
最初に見た地図を除けば、自分のリクエスト通りに藍はこの世界の情報を収集していた。
その事に満足した紫はウンウンと満足気に頷くと、こちらの言葉を待っている藍へと話しかける。
「…まぁ概ね良好の様ね。…しかも、この世界の魔法については結構調べてるんじゃないの?」
「はい。この世界の魔法は広く普及しています故、情報収集には然程時間はかかりませんでした」
「それにしてもこの短期間で良く調べたられたわ。さすが私の式という事だけあるわね」
「いえ、滅相も無い。紫様が渡してくれたあの『日記』があったからこそ、効率よく進められたものです」
藍はそう言って視線を紫からベッドの下、その奥にある一冊の本へと向ける。
今から少し前…霊夢達の居場所を把握し紫が連れ帰った後、藍もまた幻想郷に呼び戻されていた。
暇してただろうから…という理由で博麗神社の居間に座布団を用意した後、紫直々にあの『日記』渡されたのである。
その『日記』こそ、とある事情でアルビオンへと赴いた霊夢がニューカッスル城で手に入れた一冊。
本来ならハルケギニアには存在しない日本語で書かれた、誰かが残したであろう『日記』であった。
――『ハルケギニアについて』…?紫様、これは…
霊夢と侵食されていた結界へ応急処置を施した後、彼女の見ていない場所で藍はその『日記』を渡された。
表紙の日本語で書かれた見慣れぬ単語が、あの異世界のものだと知った彼女を察して、紫は先に口を開いて行った。
―――霊夢が召喚したであろう娘の部屋に置いてたわ…後は喋る剣もあったけど、そっちは私が調べておくわ
そう言って彼女は右手に持っていた剣――デルフリンガーを軽く揺すってみせた。
その後、藍をスキマでハルケギニアに戻した紫は霊夢とまだ狼狽えていたルイズから詳しい話を聞き出す事となった。
異世界人であり、尚且つ学生としても優等生であろう彼女のおかげであの世界についての大まかな事はわかったらしい。
しかし所詮は一個人だ。あの世界の事を全て知っているという事はないだろう。
だから藍は橙と共にハルケギニアに居続け、現在も情報収集を継続して行っている。
『日記』のおかげで国や地方の名前も比較的速くに分かったし、何より危険な情報も事前に知る事ができた。
「あの『日記』のおかげで、この世界では危険視されている亜人と下手に接触せずに済んだのは良い事だと私は思ってます」
亜人のスケッチを興味深そうに眺めている紫を見て、藍は苦虫を噛み砕くような顔で呟く。
「あら?このオーク鬼やコボルドはともかく、翼竜人…や吸血鬼なんかとは話が通じそうな感じだけど…」
「とんでもありません。ハッキリ言って、彼奴らの宗教観では我々妖怪との共存も不可能ですよ」
スケッチに書かれている翼人を目にして、藍はゲルマニアの山岳地帯で奴らに追いかけ回された事を思い出してしまう。
最初は人の姿をして友好的なコミュニケーションを取ろうとしたが、かえってそれが仇となってしまったのである。
悠々と大きな翼を使って飛ぶ翼人たちが自分に向けてどんな事を言ったのかも、無論覚えていた。
―――立ち去れ下等な人間よ。さもなくば我々は精霊の力と共にお前の命を奪って見せようぞ
こちらの言葉に全くを耳を貸さない姿勢に、あの地面を這う虫を見るかのような見下した表情と目つき。
きっと自分が来る以前に、大勢の人間を殺してきたのだろう。それこそ畑を荒らす虫を踏みつぶすようにして。
「まぁ無理に波風立てる必要は無いと思い戦いはしませんでしたが、あんな態度では人との共存など不可能かと…」
「そう。……あら?」
命からがら逃げた…というワケでもない藍からの話を聞いていた紫は、ふとルイズ達の方で騒ぎ声がするのに気が付いた。
先ほどまで和気藹々とルイズを褒めていた二人の内魔理沙が、何やら彼女と揉め事になっているらしい。
…とはいっても、その内容は至ってシンプルかつ非常に阿呆臭いものであった。
「だから、私の虚無が覚醒した記念とやらで飲み会をしたい気持ちは分かるけど…何で私がアンタ達の酒代まで負担しなきゃいけないのよ!」
「まぁ落着けよルイズ、そう怒鳴るなって」
先ほど照れていた時とは打って変わり、顔を赤くして怒鳴るルイズに魔理沙は両手を前に突き出して彼女を宥めようとする。
彼女の言葉が正しければ、恐らくあの魔理沙が持ち金の無い状態で今夜は一杯…とでも言ったのだろう。
ルイズもまぁ、それくらいなら…という感じではあるが、どうやらその酒代に関して揉めているらしかった。
「何もお前さんにおごらせるつもりはないぜ?ちょっとの間酒代を貸してもらうだけで……―――」
「だーかーらー!結局それって、私のなけなしの貯金を使って飲むって事になるじゃないの!」
とんでもない事を言う魔理沙を黙らせるようにして、ルイズは更なる怒号で畳み掛けていく。
すぐ傍にいる霊夢は思わず耳を塞ぎ、至近距離で怒鳴られた魔理沙はうわっと声を上げて後ろに下がってしまう。
しかし、幻想郷では霊夢に続いて数々の弾幕を潜り抜けてきた人間とあって、それで黙る程大人しくはなかった。
思わす後ずさりしてしまった魔理沙はしかし、気を取り直すように口元に笑みを浮かべる。
まるで我に必勝の策ありとでも言いたげな顔を見てひとまずルイズは口を閉じ、それを合図に魔理沙は再び喋り出す。
「なぁーに、昨日の悪ガキに奪われた金貨を取り返せればすぐにでも返してやるぜ。やられっ放しってのは性に合わないしな」
「…!魔理沙の言う通りね。忘れてたけど、このままにしておくのは何だかんだ言って癪に障るってものよ」
彼女の言葉で昨晩の屈辱を思い出した霊夢の『スイッチ』が入ったのか、彼女の目がキッと鋭く光る。
思えば…もしもあの少年をしっかり捕まえる事ができていれば、今頃上等な宿屋で快適な夏を過ごせていたはずなのだ。
そして何よりも、自分がカジノで稼いだ大金を世の中を舐めているような子供盗られたというのは、人として許せないものがある。
「今夜中にあの悪ガキの居場所を突きとめてお金を取り戻して、この博麗霊夢が人としての道理を教えてあげるわ!」
「その博麗の巫女として相応しい勘の良さで乱暴な荒稼ぎをした貴女が、人の道理とやらを他人に教える資格は無くてよ」
「え?…イタッ」
左の拳を握りしめ、鼻息を荒くして宣言して霊夢へ…紫はすかさず扇子での鋭い突っ込みを入れた。
それほど力は入れていなかったものの、迷いの無い速さで自身の脳天を叩いた扇子が刺すような痛みを与えてくる。
思わず悲鳴を上げて脳天を抑えた霊夢を眺めつつ、紫はため息をついて彼女へ話しかける。
「霊夢?貴女とルイズ達からお金を奪ったっていう子供から、そのお金を取り戻す事に関して私は何も言わないわ。
だけど、取り戻す以上の事をしでかせば―――勘の良い貴女なら、私が何も言わなくとも…理解できるわよね?」
「……分かってるわよ、そんくらい」
先ほどまで浮かべていた笑顔ではなく、少し怒っているようにも見える表情で話しかけてくる紫の方へ顔を向けた霊夢は、
流石に反省…したかはどうか知らないが、少し拗ねた様子を見せながらもコクリと頷いて見せる。
一度ならず二度までも霊夢が大人しくなったのを見て、ルイズは内心おぉ…と呻いて紫に感心していた。
どのような過去があるのか詳しくは知らないが、きっと彼女にとって紫は特別な存在なのだろう。
子供の様に頬を膨らませて視線を逸らす霊夢と、それを見て楽しそうに微笑む八雲紫を見つめながらルイズは思った。
少し熱が入り過ぎていた霊夢を落ち着かせた紫は、若干拗ねている様にも見える彼女へそっと囁いた。
「まぁ…これからはダメだけど、手に入れちゃったものは仕方ないしね…貴女なら五日も掛からないでしょう?」
紫が呟いた言葉の意味を理解したのか霊夢はチラッと彼女を一瞥した後、再び視線を逸らしてから口を開く。
「…う~ん、どうかしらねぇ?この街って結構広いから…。でもま、子供のスリっていうなら大体目星が付くかも」
「お!霊夢がいよいよやる気になったか?こりゃ早々に大量の金貨と再会できそうだぜ」
「だからっていきなり今夜から飲むのは禁止よ。私の貯金だと宿泊代と食事代で精一杯なんだから」
昨晩自分に負け星をくれた少年を捕まえ、稼いだ金貨を取り戻そうという意思を見せる霊夢。
そんな彼女を見て早くも勝利を確信したかのような魔理沙と、そんな彼女へ忘れずに釘を刺すルイズ。
仲が良いのか悪いのか、良く分からない三人を見て和みつつ紫は最後にもう一度と三人へ話しかける。
「霊夢…それに魔理沙。ルイズがこの世界の幻と言われる系統に目覚めた以上、この世界で何らかの動きがある事は間違いないわ。
それが貴女たちにどのような結果をもたらすかは知らないけれど、いずれは貴女たちに対しての明確な脅威が次々と出てくる筈よ」
紫の言葉に三人は頷き、ルイズと霊夢は共にタルブで姿を現したシェフィールドの事を思い出していた。
あの場所で起きた戦いの後に行方をくらませているのなら、いずれ何処かで出会う可能性が高いのである。
最初に出会った時は森の中であったが、もし次に出会う場所がここ王都の様な人口密集地帯であれば、
けしかけてくるであろうキメラが造り出す、文字通りの『惨劇』を食い止めなければならないのだ。
「その時、最も頼りになるのが貴女たち二人…その事を忘れずにね?無論、その時はルイズも戦いに加わってもいい。
前にも言ったように脅威と対峙し、戦いを積んでいけばいずれは…今幻想郷で起きている異変の黒幕に辿り着く事も夢じゃないわ」
その事、努々忘るるなかれ。最後に一言、やや格好つけて話を終えた紫は右手に持っていた扇子で口元を隠してみせる。
これで私からの話は以上だ。…というサインは無事に伝わったのか、ルイズたちは暫し互いを見合ってから紫へと話しかけていく。
「あ、当たり前じゃない。何てったって私は霊夢を召喚した『虚無』の担い手なんだから!」
「ふふふ…貴女の事は楽しみだわ。その新しい力をどこまで使いこなせるか…結構な見ものね」
腰に差していた杖を手に取り、恰好よく振って見せたルイズの勇ましい言葉に紫は微笑んでみせる。
「まぁ異変解決は私の仕事の内の一つでもあるしな。最後の最後で私が黒幕とやらを退治していいとこ取りして見せるぜ」
「相変わらず勇ましさとハッタリが同居してるわねぇ?でも…ルイズと霊夢の間に何かあったら、その時は頼みましたわよ?」
「そいつは任せておいてくれ。気が向いた時には私が助け船を出してあげるよ」
頭に被っている帽子のつばを親指でクイッと上げる魔理沙に苦笑いを浮かべつつ、紫は彼女に再度『頼み込んだ』。
自分の手があまり届かぬこの異世界で、唯一自分の代わりに二人を手助けしてくれるかもしれない、普通の魔法使いへと。
そして最後に、面倒くさそうな表情で紫を見つめる霊夢が口を開いた。
「まぁ…今年の年越しまでには終わらせてみせるわよ。いい加減にしないと、神社がボロボロになっちゃいそうだしね」
恥かしそうに視線を逸らす霊夢を見て、それまで黙っていたデルフが鞘から刀身を出して喋り出した。
『まぁそう焦るなって。そういう時に限って、結構な長丁場になるって決まってんだからよ』
「誰が決めたのか知らないけど、決めた奴がいるならまずはソイツの尻を蹴飛ばしに行かないとね」
デルフの軽口に霊夢が辛辣な言葉で返した後、そんな彼女へクスクスと紫は笑った。
彼女にとっては初めてであろう自分以外と一緒に暮らすという体験を得て、ある程度変わったと思っていたが…。
そこは流石に我が道を行く霊夢と行ったところか、今回の異変をなるべく早くに終わらせようという意思はあるようだ。…まぁ無ければ困るのだが。
とはいえ、藍と霊夢達の情報を合わせたとしても…解決の道へと至るにはまだまだ知らない事が多すぎる。
デルフの言うとおり、長丁場になるのは間違いないであろうが…それは紫自身も覚悟している。
だからこそ彼女は何があっても、霊夢達の帰る場所を無くしてはならないという強い意志を抱いていた。
例えこの先…――――自分の体が言う事を聞かなくなってしまったとしても、だ。
「じゃあ…言いたい事も言って貰いたいもの貰ったし、私はそろそろ退散するとするわ」
そんな決意を抱きながら、ひとしきり笑い終えた紫はそう言って部屋の出入り口へと向かって歩き出す。
手に持っていた扇子を開いたスキマの中に放り、靴音高らかに鳴らして歩き去ろうとする彼女へ霊夢が「ちょっと」と声を掛けた。
「珍しいわね、アンタが私の目の前で歩いて帰ろうとするなんて」
首を傾げた巫女の言葉は、ルイズとデルフを除く者達もまた同じような事を思っていた。
いつもならスッと大きなスキマを開いてその中へ飛び込んで姿を消す八雲紫が、歩いて立ち去ろうとする。
八雲紫という妖怪を知り、比較的いつもちょっかいを掛けられている霊夢からしてみれば、それはあり得ない後姿であった。
霊夢だけではない。魔理沙や紫の仕える藍と、彼女の式である橙もまた大妖怪の珍しい歩き去る姿に怪訝な表情を向けている。
「あら?偶には私だって地に足着けてから帰りたくなる事だってありますのよ。それに運動にもなるしね」
「そうかしら?そんな恰好してて運動好きとか言われても何の説得力も無いんだけど、っていうか熱中症になるんじゃないの?」
怪訝な表情を向ける二人と二匹へ顔を向けた紫がそう言うと、話についていけないルイズが思わず突っ込んでしまう。
彼女の容赦ない突込みに魔理沙が軽く噴き出し、紫は思わず「言ってくれるわねぇ」と苦笑してしまう。
これには流石の霊夢も軽く驚きつつ、呆れた様な表情を浮かべてルイズの方を見遣った。
「アンタも、結構私よりエグイ事言うのね。…っていうか、私以外にアイツへあそこまで言ったヤツを見たのは初めてよ?」
「そうなの?ありがとう。でもあんまり嬉しくないわ」
「別に褒めちゃあいないわよ」
そんなやり取りを始めた二人を見て、藍は「お喋りは後にしろ」と言って止めさせた。
苦笑して部屋を出れなかった紫は一回咳払いした後、突っ込みを入れてくれたルイズへと最後の一言を掛けてあげた。
「まぁ偶には歩きたいときだって私にもあるのよ。丁度良い運動にもなって夜はぐっすり眠れるしね?
ルイズ…それに霊夢も偶には魔理沙みたいにたっぷり外で動いて、良い夢の一つでも見て気分転換でもすればいいわ」
ちょっと名言じみていて、全然そうには聞こえない忠告を二人に告げた紫は右でドアノブを掴む。
外からの熱気を帯びていても未だに冷たさが残るそれを捻り、さぁ廊下へと出ようとした――その直前であった。
「………あ、そうだ。ちょっと待って紫!」
捻ったドアノブを引こうとしたところで、突如大声を上げた霊夢に止められてしまう。
突然の事にルイズと魔理沙もビクッと身を竦ませ、何なのかと驚いている。
一方の紫はまたもや部屋を出るのを止められてしまった事に、思わず溜め息をつきそうになってしまうが、
だが何かと思って顔だけを向けてみると、いつになく真剣な様子の霊夢が自分の前に佇んでいるのを見て何とかそれを押しとどめる。
何か自分を引きとめてまで言いたい…もしくは聞きたい事があったのか?そう思った紫は霊夢へ優しく話しかけた。
「どうしたの霊夢?そんな大声上げてまで私を引きとめるだなんて…もしかして私に甘えたいのかしら?」
「違うわよバカ。…ちょっと聞いてみたい事があるから引き止めただけよ」
「聞きたい事…?」
ひとまず軽い冗談を交えてみるもそれを呆気なく一蹴した霊夢の言葉に、紫は首を傾げる。
そして驚いたルイズや魔理沙、式達もその事については何も知らないのか巫女を怪訝な表情で見つめていた。
「どうしたのよレイム、ユカリに聞きたい事って何なの?」
そんな彼女たちを勝手に代表してか、一番近くにいたルイズが思わず霊夢に聞いてみようとする。
ルイズからの質問に彼女は暫し視線を泳がせた後、恥ずかしそうに頬を小指で掻きながらしゃべり始めた。
「いや、まぁ…ちょっと、何て言うか…藍には話したから知ってると思うけど、私の偽者が出てきたって話は覚えてる?」
「それは、まあ聞いたわね。でもその時は痛手を負わせて、貴女も気絶して御相子だったのよね」
以前王都の旧市街地で戦ったという霊夢の偽者の話を思い出した紫がそう言うと、霊夢もコクリと頷いた。
「まぁ実は…それと関係しているかどうか知らないけれど…タルブで私達を助けてくれたっていう女性の話も聞いたわよね」
「それも聞いたわね。確か…キメラを相手に共闘したのでしょう?」
霊夢からの言葉に紫は頷きつつ、彼女が何を聞きたいのか良く分からないでいた。
いつもはハキハキとしている彼女が、こんなにも遠回しに何かを聞こうとしている何て姿は始めて見る。
「そういえば…確かにあの時は色々助かったわよね。結局、誰なのかは分からなかったけど」
「だな。何処となく霊夢と似てた変なヤツだったが、アイツがいなけりゃお前さんは今頃ワルドに拉致されてたかもな」
「やめてよ。あんなヤツに攫われるとか想像しただけで背すじが寒くなるわ」
あの時、タルブへ行こうと決意したルイズと彼女についていった魔理沙も思い出したのかその時の事を語りあっている。
しかしこの時、魔理沙が口にした『霊夢と似ていた』という単語を聞いた藍が、怪訝な表情を浮かべて霊夢へ話しかけた。
「ん?…ちょっと待て霊夢。私も始めて耳にしたぞ、どういう事なんだ?」
「…んー。最初はその事も言うつもりだったんだけど、結局この世界の人間かも知れないから言わずじまいだったのよ」
藍の言葉に対し彼女は視線を逸らして申し訳なさそうに言うと、でも…と言葉を続けていく。
しかし…その内容は、話を聞いていた藍と紫にとっては到底『信じられない』内容であった。
「実はさ…昨晩の夢にその女が出てきて、妖怪みたいな猿モドキを殴り殺していくのを見たのよ。
何処か暗い森のひらけた場所で…四角い鉄の箱の様な物が周囲を照らす程の炎を上げてる近くで…
赤ん坊の面をした黒い毛皮の猿モドキたちが奇声を上げて出てきた所で…私と同じような巫女装束を着た、黒髪の巫女が――…キャッ!」
言い切ろうとした直前、突如後ろから伸びてきた手に右肩を掴まれた霊夢が悲鳴を上げる。
何かと思い顔だけを後ろに振り向かせると、目を見開いて驚くルイズと魔理沙の間を通って自分の肩を掴んでいる誰かの右腕が見えた。
そしてその腕の持ち主が八雲藍だと分かると、霊夢は何をするのかと問いただそうとする。
「こっちを向け、博麗霊夢!」
「ちょ……わわッ!」
しかし、目をカっと見開き驚愕の表情を浮かべる式はもう片方の手で霊夢の左肩を掴み、無理矢理彼女を振り向かせた
その際に発した言葉から垣間見える雰囲気は荒く、先程自分たちに見せていた丁寧な性格の持ち主とは思えない。
思わずルイズと魔理沙は霊夢に乱暴する藍に何も言えず、ただただ黙って様子を眺めるほかなかった。
橙もまた、滅多に見ない主の荒ぶる姿に怯えているのか目にも止まらぬ速さで部屋の隅に移動してからジッと様子を窺い始める。
そして藍の主人であり、霊夢に手荒に扱う彼女を叱るべき立場にある八雲紫は―――ただ黙っていた。
まるで機能停止したロボットの様に顔を俯かせて、その視線は『魅惑の妖精亭』のフローリングをじっと見つめている。
『おいおい一体どうしんだキツネの嬢ちゃん、そんな急に乱暴になってよぉ?』
「今喋られると喧しい、暫く黙っていろ!」
この場で唯一藍に対して文句を言えたデルフの言葉を一蹴した藍は、未だに狼狽えている霊夢の顔へと視線を向ける。
一方の霊夢は突然すぎて、何が何だか分からなかったが…流石に黙ってはおられず、藍に向かって抗議の声を上げようとした。
「ちょっと、いきなり何を―――」
するのよ!?…そう言おうとした彼女の言葉はしかし、
「お前!どうしてその事を『憶えている』んだ…ッ!?」
それよりも大声で怒鳴った藍の言葉によって掻き消された。
突然そんな事を言い出した式に対し、霊夢の反応は一瞬遅れてしまう。
「え?――……は?今、何て――」
「だから、どうしてお前は『その時の事』を『まだ憶えている』と…私は言っているんだ!」
しかし…今の藍はそれすらもどかしいと感じているのか、何が何だか分からない霊夢の肩を揺さぶりながら叫ぶ。
紫が境界を操っているおかげで部屋の外へ怒鳴り声は漏れないが、そのせいなのか彼女の叫び声が部屋中へ響き渡る。
目を丸くして驚く霊夢を見て、これは流石に止めねべきかと判断した魔理沙が彼女と藍の間に割り込んでいった。
「おいおいおい、何があったかは知らんが少しは落ち着けよ。…っていうか紫のヤツは何ボーっとしてるんだよ?」
「あ…そ、そうよユカリ!アンタが止めなきゃだれ…が……―――…ユカリ?」
仲介に入った魔理沙の言葉にすかさずルイズは紫の方へと顔を向けて、気が付く。
タルブで自分たちを助け、そして霊夢の夢の中にも出て来たというあの巫女モドキの話を聞いた彼女の様子がおかしい事に。
ルイズの言葉からあのスキマ妖怪の様子がおかしい事を察した霊夢も何とか顔を彼女の方へ向け、そして驚いた。
霊夢が話し出してから、急に凶暴になった藍とは対照的に沈黙し続けている八雲紫はその両目を見開いてジッと佇んでいる。
その視線はジッと床へ向けられており、額から流れ落ちる一筋の冷や汗が彼女の頬を伝っていくのが見えた。
今の彼女の状態を、一つの単語で表せと誰かに言われれば…『動揺』しか似合わないだろう。
そんな紫の姿を見た霊夢は変な新鮮味を感じつつ、言い知れぬ不安をも抱いてしまう。
これまで藍に続いて八雲紫という妖怪を永らく見てきた霊夢にとって、彼女が動揺している姿など初めて目にしたのである。
あの八雲紫が動揺している。その事実が、霊夢の心に不安感を芽生えさせる。
そして土の中から顔を出した芽は怖ろしい速さで成長を遂げ、自分の心の中でおぞましい妖怪植物へと変異していく。
妖怪退治を生業とする彼女にもそれは止められず、やがて成長したそれが開花する頃には――心が不安で満たされていた。
「ちょっと、どういう事?何が一体どうなってるのよ…」
押し寄せる不安に耐え切れず口から漏れた言葉が震えている。
言った後でそれに気づいた霊夢に返事をする者は、誰一人としていなかった。
文明がもたらした灯りは、大多数の人々に夜と闇への恐怖を忘れさせてしまう。
暗闇に潜む人ならざる者達は灯りを恐れ、しかしいつの日か逆襲してやろうと闇の中で伏せている。
だが彼らは気づいていない。その灯りはやがて自分達を完全に風化させてしまうという事を。
東から昇ってきた燦々と輝く太陽が西へと沈み、赤と青の双月が夜空を照らし始めた時間帯。
ブルドンネ街の一部の店ではドアに掛かる「OPEN(開店)」と書かれた看板を裏返して「CLOSED(閉店)」にし、
従業員たちが店内の掃除や今日の売り上げを纏めて、早々に明日の準備に取り掛かっている。
無論、ディナーが売りのレストランや若い貴族達が交流目的で足を運ぶバーなどはこれからが本番だ。
しかしブルドンネ街全体が明るいというワケではなく、空から見てみれば暗い建物の方が多いかもしれない。
その一方で、隣にあるチクトンネ街はまるで街全体が大火事に見舞われたかのように灯りで夜空を照らしている。
街灯が通りを照らし、日中働いてクタクタな労働者たちが飯と酒に女を求めて色んな店へと入っていく。
低賃金で働く平民や月に貰える給金の少ない下級貴族たちは、大味な料理と安い酒で自分自身を労う。
そして如何わしい格好をした女の子達に御酌をしてもらう事で、明日もまた頑張ろうという活力が湧いてくるのだ。
酒場や大衆レストランの他にも、政府非公認の賭博場や風俗店など労働者達を楽しませる店はこの街に充実している。
ブルドンネ街が伝統としきたりを何よりも重んじるトリステインの表の顔だとすれば、この街は正に裏の顔そのもの。
時には羽目を外して、こうして酒や女に楽しまなければいずれはストレスで頭がどうにかなってしまう。
夜になればこうしてストレスを発散し、翌朝にはまた伝統と保守を愛するトリステインへ貴族へと戻る。
古くから王家に仕える名家の貴族であっても、若い頃はこの街で羽目を外した者は大勢いることだろう。
そんな歴史ある繁華街の大通りにある、一軒の大きなホテル…『タニアの夕日』。
主に外国から観光にきた中流、もしくは上流貴族をターゲットにしたそこそこグレードの高いホテルである。
元は三十年前に廃業した『ブルンドンネ・リバーサイド・ホテル』であり、二年前までは大通りの廃墟として有名であった。
しかし…ここの土地を購入した貴族が全面改装し、新たな看板を引っ提げてホテルとしての経営が再開したのである。
ブルドンネ街のホテルにも関わらず綺麗であり、外国から来るお客たちの評価も上々との事で売り上げも右肩上がり。
この土地を購入し現在はオーナーとして働く貴族も今では宮廷での政争よりも、ホテルの経営が生きがいとなってしまっている。
そんなホテルの最上階にあるスイートルームに、今一人の客がボーイに連れられて入室したところであった。
ロマリアから観光に来ているという神官という事だけあって、ボーイもホテル一のエースが案内している。
「こちらが当ホテルのスイートルームの一つ…『ヴァリエール』でございます」
「……へぇ、こいつは驚いたね。まさか他国でもその名を聞く公爵家の名を持つスイートルームとは、恐れ入るじゃないか」
ドアを開けたボーイの言葉で、ロマリアから来たという若い客は満足げに頷いて部屋へと入った。
白い絨毯の敷かれた部屋はリビングとベッドルームがあり、本棚には幾つもの小説やトリステインに関係する本がささっている。
談話用のソファとテーブルが置かれたリビングから出られるバルコニーには、何とバスタブまで設置されていた。
勿論トイレとバスルームはしっかりと分けられており、暖炉の上に飾られているタペストリーには金色のマンティコアが描かれている。
荷物を携えて入室してきたボーイは、その後このホテルに関するルールや規則をしっかりと述べた後に、
「それでは、何が御用がございましたらそちらのテーブルに置いてあるベルをお鳴らし下さい」
「あぁ、分かったよ。夏季休暇の時期にこのホテルへ泊まれた事は何よりも幸運だとオーナーに伝えておいてくれ」
「はい!それでは、ごゆっくり御寛ぎくださいませ」
自分の説明を聞き終えた客の満足気な返事に彼は一礼して退室しようとした、その直前であった。
「……アッ!忘れてた…おーい、そこのボーイ!ちょっと待ってくれ」
「?…何でございましょうか、お客様」
部屋を後にしようとするボーイの後ろ姿を見て何かを思い出した客は、手を上げてボーイを引きとめる。
閉めていたドアノブを手に掛けようとした彼は何か不手際があったのかと思い、急いで客の所へと戻っていく。
「すまない、コイツを忘れてたね……ホラ」
「え?」
自分の所へと戻ってきたボーイにそう言って客は懐から数枚のエキュー金貨を取り出し。彼のポケットの中へと忍ばせる。
最初は何をしたのか一瞬だけ分からなかったボーイは、すぐさま慌てふためいてポケットに入れられた金貨を全て取り出した
「ちょ、ちょっと待ってください!いくら何でも、神官様からチップを貰うのは流石に…!」
ハルケギニアでは今の様に客がボーイやウエイトレスにチップを渡す行為自体は、然程珍しい事ではない。
しかし、ボーイにとってはお客様の前にロマリアから来た神官という立場の彼からチップを貰うなと゛、大変失礼なのである。
だからこそこうして慌てふためき、何とか理由を付けてエキュー金貨を返そうと考えていた。
しかし、それを予想してかまだまだ青年とも言える様な若い神官様は得意気な表情を浮かべてこう言った。
「なーに、安心したまえ。それは日々慎ましく働いている君へ始祖がくれたささやかな糧と思ってくれればいいだろう。
それならブリミル教徒の君でも神官から受け取れるだろう?この金貨で何か美味しい物でも食べて自分を労うと良いよ」
少し無理やりだが、いかにも宗教家らしい事を言われれば敬虔なブリミル教徒であるボーイには反論しようがない。
それによく考えれば、このチップは彼が行為で渡してくれたものでそれを突き返すのは逆に不敬なのかもしれない。
暫し悩んだ後のボーイが、納得したように手にしたチップを懐に仕舞ったのを見て客はクスクスと笑った。
「そうそう、世の中は酷く厳しいんだから貰える物は貰っておきなよ?人間、ちょっとがめつい程度が生きやすいんだから」
「は、はぁ…」
そして、とても宗教家とは思えぬような現実臭い言葉に、ボーイは困惑の色を顔に出しながらコクリと頷いた。
今までロマリアの神官は指で数える程度しか目にしていない彼にとって、目の前にいる若い神官はどうにも異端的なのである。
自分とほぼ変わらないであろう年齢にややイマドキな若者らしい性格…そして、左右で色が違う両目。
俗に『月目』と呼ばれハルケギニアでは縁起の悪いものとして扱われる両目の持ち主が、ロマリアの神官だと言われると変に疑ってしまう。
とはいえ身分証明の際にはちゃんとロマリアの宗教庁公認の書類もあったし、つまり彼は本物の神官…だという事だ。
まだ二十にも達していないボーイは世界の広さを実感しつつ、改めて一礼すると客のフルネームを告げて退室しようとする。
「そ…それでは失礼いたします―――…ジュリオ・チェザーレ様」
「あぁ、君も気を付けてな」
若い神官の客―――ジュリオは手を振って応えると、ボーイはスッと退室していった。
ドアの閉まる音に続き、扉越しに廊下を歩く音が聞こえ、遠ざかっていく頃には部屋が静寂に包まれてしまう。
ボーイが退室した後、 ジュリオはそれまで張っていた肩の力を抜いて、ドッとソファへと腰を下ろす。
金持ちの貴族でも満足気になる程の座り心地の良いソファに腰を下ろして辺りを見回すと、やはりここが良い部屋だと思い知らされる。
生まれてこの方、これ程良い部屋に泊まった事が無いジュリオからしてみればどこぞの豪邸の一室だと言われても納得してしまうだろう。
ロマリアでこれと同等かそれ以上のグレードのホテルなど、海上都市のアクイレイアぐらいにしかない。
ひとまず寛ごうにも部屋中から漂う豪華な雰囲気に馴染めず、溜め息をつくとスッとソファから腰を上げた。
そんな自分をいつもの自分らしくないと感じつつ、ジュリオはばつが悪そうな表情を浮かべて独り言を呟いてしまう。
「ふぅ~…あまり褒められる出自じゃない僕には身に余る部屋だよ全く…」
「仕方がありません。何せ宗教庁直々の拠点移動命令でしたからね」
直後、自分の独り言に対し聞きなれた女性の声がバルコニーから突拍子もなく聞こえてくる。
何かと思ってそちらの方へ顔を向けると、丁度半開きになっていたバルコニーの窓から見慣れた少女が入ってくるところであった。
長い金髪をポニーテールで纏め、首に聖具のネックレスを掛けた彼女はジュリオの゙部下゙であり゙友達゙でもある。
変な所から現れた知人の姿にジュリオはその場でギョッと驚くフリをすると、ワザとらしい咳払いをして見せた。
本来なら先程までの落ち着かない自分を他人に見せるというのは、彼にとっては少し恥ずかしい事であった。
自分を知る大半の人間にとって、ジュリオという人間ばクールでいつも得意気で、ついでにジョークが上手い゙と思い込んでいるのだから。
幸い目の前の少女は自分が本当はどんな人間なのか知っていたから良かったが、それでも見られてしまうのは恥ずかしいのだ。
「あ~…ゴホン、ゴホ!…せめて声を掛ける前に、ノックぐらいしてくれよな?」
「ふふ、ジュリオ様のばつの悪そうな表情は滅多に見られませんからね、少し得した気分です」
「おやおや、そこまで言ってくれるのなら見物料金を取りたくなってくるねぇ~」
僕は高いぜ?照れ隠しするかのようにおどけて見せるジュリオの言葉に、少女がクスクスと笑う。
一見すればジュリオと同年代の彼女はバルコニーからホテル内部へ侵入したワケだが、当然どこにも出入り口は見当たらない。
このホテルは五階建てで中々に高く、外付けの非常階段は格子付きで出入り口も普段は南京錠で硬く閉ざされており、外部からの侵入は出来ない。
本当ならば堂々と入り口から行かなければ、中へ入れない筈である。
しかし、ジュリオは知っていた。彼女には五階建ての建物の壁を伝って登る事など造作も無いという事を。
幼い頃に孤児院から引っ張られて来て、自分の様な神官をサポートする為に血反吐も吐けぬ厳しい訓練を乗り越え、
陰ながら母国であるロマリア連合皇国の要人を援護し、時には身代わりとして死ぬことをも厭わぬ仕事人として彼女は育てられた。
そんな彼女にとって、五階建てのホテルの壁を伝って移動する事なんて、平坦な道を走る事と同義なのである。
「…にしたって、良くバルコニーから入ってこれたね。このホテルって、通りに面しているんだぜ」
「幸い陽は落ちていましたし、通行人に気付かれなければ最上階までいく事など簡単ですよ。…ジュリオ様もやってみます?」
「いや、僕は遠慮しておく」
やや悪戯っぽくバルコニーを指さして言う彼女に対し、ジュリオはすました笑顔を浮かべて首を横に振る。
それなりに鍛えているし、体力には自信はあるがとても彼女と同じような真似はできそうにないだろう。
その後、部屋の中へと入った少女が窓を閉めたところで再びソファに腰を下ろしたジュリオが彼女へと話しかけた。
「…それにしても、一体どういう風の吹き回しだろうね?僕たちをこんな豪勢な部屋に押し込めるだなんてね」
「確かにそうですね。上の判断とはいえ、この様な場所に拠点を移し替えるとは…」
彼の言葉に少女は頷いてそう返すと、今朝ロマリア大使館から届いた一通の手紙の事を思い出す。
まだそれほど気温が高くない時間帯に、ジュリオと少女は宿泊していた宿屋の主人からその手紙を受け取った。
母国の大使館から届けられたというその封筒の差出人は、ロマリア宗教庁と書かれていた。
ハルケギニア各国の教会へと神父とシスターを派遣し、ブリミル教の布教を行っている宗教機関であり、
その裏では特殊な訓練を施した人間を神官として派遣し、異教徒やブリミル教にとっての異端の排除も行っている。
ジュリオと少女も宗教庁に所属しており、共に『裏の活動』を専門としている。
…最もジュリオはかなり゙特殊な立場゙にある為、厳密には宗教庁の所属ではないのだが…その話は今置いておこう。
ともかく、自分たちの所属する機関から直々に送られてきた手紙に彼は軽く驚きつつ何かと思って早速それに目を通した。
そこに書かれていたのは自分と少女に対しての移動命令であり、指定した場所は勿論今いるホテルのスイートルーム。
突然の移動命令で、しかもこんな場末の宿屋から中々立派なホテルへ泊まれる事に彼は思わず何の冗談かと疑ってしまう。
試しに手紙を透かしてみたり逆さまにしてみたが何の変化も無く、どこからどう見ても何の変哲もない便箋であった。
しかもご丁寧にロマリア宗教庁公認の印鑑とホテルの代金用の小切手まで一緒に入っていたのである。
――――う~ん、これってどういう事なのかな?
―――――どうもこうも、私からは…宗教庁からの移動命令としか言いようがありません
正式に所属している少女へ聞いてみるも彼女はそう答える他無かったが、納得しているワケではない。
何せ手紙には肝心の理由が不可解にも掛かれておらず、命令だけが淡々と書かれているだけなのだから。
とはいえ命令は命令であり、移動先のホテルも豪華な所であった為拒否する理由も得には無い。
二人は早速荷造りをした後で宿屋をチェックアウトし、ジュリオは小切手をお金に変える為にトリステインの財務庁へと向かった。
少女は今現在も遂行中である『トリステインの担い手』の監視を夕方まで行い、夜になってジュリオと合流して今に至る。
手紙が届いてから半日が経ったが、それでも二人にはこの移動命令の明確な理由が分からないでいた。
「明日、大使館へ赴いて移動命令の理由が聞いた方がいいかと思いますが…」
「いやいや、所詮大使館で働いてる人達は宗教庁の裏の顔なんて知らないだろうさ」
少女の提案にジュリオは首を横に振り、ふと天井を見上げると右手の指を勢いよくパチンと鳴らす。
その音に反応して天井に取り付けられたシーリングファンが作動し、豪勢なスイートルームを涼風で包み始める。
ファンそのものがマジックアイテムであり、一分と経たぬうちに部屋の中に充満していた熱気が消え始めていく。
「流石は貴族様御用達のスイートルームだ、シーリングファンも豪勢なマジックアイテムとはねぇ」
ヒュー!っとご機嫌な口笛を吹いて呟いた後に、ジュリオはソファからすっと腰を上げてから少女に話しかけた。
「まぁ理由は色々と考えられるが…もしかすれば゙担い手゙ど盾゙と接触する為…なんじゃないかな?」
「…ジュリオ様もそうお考えでしたか」
「トリステインの゙担い手゙はタルブで見事に覚醒できたんだ、ガリアだってもう黙ってはいないだろうしね」
少女の言葉にジュリオはそう返してから、監視対象であったトリステインの担い手――ルイズの行動を思い出していく。
ワケあってトリステインの王宮で保護されていた彼女が行った事は、既にジュリオ達もといロマリアは周知していた。
使い魔であるガンダルールヴと、イレギュラーである通称゙トンガリ帽子゙こと魔理沙と共にタルブへ赴いたという事。
そしてそこを不意打ちで占領していたアルビオン艦隊を、あの『虚無』で見事に倒してしまったという事も勿論知っている。
無論アルビオンの侵略作戦において、あのガリア王国が密かに関わっている事も…。
「まだ見かけてはいませんが、ガリアも担い手の動向を確かめる為に人を派遣する可能性は高いですね」
「だろうね。…しかも今の彼女は、このハルケギニアにおいては最も特殊な立場にある人間でもあるんだから」
ジュリオはそう言って懐から小さく折りたたんだ一枚の紙を取り出し、それを広げて見せる。
その紙には一人の少女の姿が描かれていた。本屋で参考書を漁っているであろうトリステインの担い手ことルイズの姿が。
ロマリア宗教庁がルイズをトリステインの担い手と睨んだのは彼女がまだ学院へ入る前の事。
トリステインのラ・ヴァリエールにある教会の神父が、領民たちの話からこの土地を治める公爵家の三女が怪しいと踏んだのである。
すぐさま神父の報告を受けて宗教庁は人を派遣し調査させた結果、可能性は極めて高いという結論に至った。
系統魔法はおろかコモン・マジックすら成功せず、集中すると唱えた魔法は全て爆発魔法に変わってしまう特異な失敗例。
当時彼女の教育を担当した家庭教師は彼女を不真面目と決めつけ、ロマリアの聖アルティリエ神学校に入れようという話さえ出た程である。
ハルケギニアでも屈指のスパルタ魔法学校として有名であるが、宗教庁からしてみれば正に願ったり叶ったりのチャンスであった。
結局のところその話はお流れになってしまったものの、以後ロマリアはルイズを要監視対象と定めて監視し続けている。
魔法学院への入学が決まった際に、『学院へ入学したくない!』と駄々を捏ねた事。
そんな彼女へ両親は『せめて、貴族の作法と社交を覚えていらっしゃい』と言って娘を無理やり馬車へ押し込んだ事。
授業開始早々に゙着火゙の呪文を唱えて大爆発を起こし、それ以後他の生徒達から『ゼロ』という二つ名をつけられ嘲られた事。
ありとあらゆるルイズの動向を何人もの人間が監視し続け、そして進級試験を兼ねた使い魔召喚の儀式で宗教庁は大きく揺れた。
―――――トリステインの担い手が人間、それも゙博麗の巫女゙を召喚した。
この報告が当時学院で監視任務を行っていたコックから送られてきた直後、長く続いた疑問がようやく確信へと変わったのである。
伝説が正しければ人間を使い魔として召喚できるのは虚無の担い手だけであり、召喚された者は虚無の使い魔としての恩恵を授かる。
だが…それ以上に宗教庁が揺れたのは彼女の使い魔となっだ博麗の巫女゙―――即ち霊夢の存在が大きかった。
この世界に住む人々の多くは知らない。かつて大昔、始祖とその使い魔たちと共に戦った巫女の話を。
始祖とは明らかに異なる力でもって魔を祓い、使い魔たちと共に始祖の詠唱を守ったと言われる伝説の巫女。
何者かによって意図的に隠蔽され、ブリミル教の本拠地であるロマリアにおいてもそれ相応の権力を持たぬ者しか知る事のできぬ『真実』。
宗教庁の裏の顔を知る者でも、六千年も隠蔽され続けている真実を知っているのは幹部クラスの神官達だけだ。
一介の工作員であるコックがそれを知っていたのは、彼が以前博麗の巫女に関する記述を集める任務に就いていたからである。
今も尚発掘される大昔の遺跡からは、時折博麗の巫女に関する本や巻物等の記録媒体が発見されている。
その多くが六千年前の伝説を元にした創作話であるが、ロマリア側はそれを秘密裏に回収し続けているのだ。
ともあれ、トリステインの担い手であるルイズが博麗の巫女をガンダールヴとして召喚したのは重大な事であった。
ジュリオや少女をはじめとした人員と予算の増加が決定され―――、そして今に至る。
「それにしても…博麗の巫女だけではなく全く想定外のイレギュラーまで出て来るとはね」
「゙トンガリ帽子゙の事ですか?彼女は゛盾゙と比べて非常にフレンドリーですから、此方のペースに―――…ん?」
そんな時であった、先程自分が入ってきたバルコニーへと続く窓から小突くような音が聞こえてくる事に気が付いたのは。
ジュリオもそれに気づいたのか二人してそちらの方へ顔を向けてみると、そこには小さなお客様がいた。
嘴でコツン、コツンと窓を小突いているのを見るに、どうやら先ほどの音はこのフクロウが出していたようである。
「…ふ、フクロウ?」
「んぅ?あぁ、何だネロじゃないか!」
少女には見覚えがなかったが、どうやらジュリオとは縁のあるフクロウだったらしい。
彼はそのフクロウの名前を呼ぶと窓を開けて、小さなお客様を優しく抱きかかえて見せる。
フクロウも彼に触られるのは悪くないとか感じているのか、腕の中で大人しくしている。
互いに慣れている様子を見て、思わす少女は質問してしまう。
「ジュリオ様、そのフクロウは…」
「ん?あぁ、紹介がまだだったね。こいつはネロ、ペット…かと言われればちょっと違うけどね」
そう言ってジュリオは、ネロとの出会いを彼女へと軽く説明し始めた。
ネロは今から一、二ヶ月ほど前にとある山道の脇で蹲っていたのを仕事の帰りで歩いていたジュリオが見つけたのだという。
怪我をしていた為、このままでは助からないと思ったらしい彼はそのフクロウを抱きかかえて山を下りた。
それから獣医の話を聞いて適切に治療して傷が治った後、今ではすっかりジュリオのペットとして良く懐いている。
とはいえケージに入れて飼ってるワケではなのだが、それでも彼とは一定の距離をおいて傍にいるのだ。
ジュリオが呼びたいと思った時に口笛を吹けば、どこからともなくサッと飛んでくるのである。
「今じゃあこうして好きな時に抱えられるし、フクロウってこうして見てみると可愛いもんだろう?」
「は、はい…」
まるで縫いぐるみの様に抱きかかえられる猛禽類を見て、思わず唖然としてしまう。
恐らく、ふくろうをここまで我が子の様に手なずけてしまうのはハルケギニアでも彼だけだと、そう思いながら。
そんな少女の考えを余所に、ジュリオは急に自分の元を訪ねてきたネロの頭を撫でながら話しかける。
「それにしても、お前はどうしてここへ来たんだ?念の為大使館には置いてきたけど………ん?」
頭を撫でながら返事を期待せずに聞いてみると、ネロはおもむろにスッと右脚を軽く上げた。
何だと思って見てみたところ、猛禽類特有のそれには小さな筒の様な物が紐で括りつけられているのに気が付く。
思わず何だこれ?と呟いてしまうと、傍にいた少女もまたネロの脚に付けられた筒を目にして首を傾げてしまう。。
「どうしました…って、何ですかソレ?」
「ちょっと待ってくれ…今外す。……よし、外した」
ジュリオは慣れた手つきでネロの脚に巻かれていた紐を解き、掌よりも一回り小さい筒をその手に乗せる。
筒は見た目通りに軽く、試しに軽く振ってみるとカラカラカラ…と中で何かが動く音が聞こえてくる。
暫し躊躇った後、ジュリオはその筒を開けてみると中から一枚の手紙が丸められた状態で入れられていた。
「……手紙?」
思わず口から出てしまった少女の呟きにジュリオは「だね」と短く答えて、それを広げて見せる。
広げられた便箋の右上に、見慣れた宗教庁とロマリア大使館の印鑑が押されているのがまず目につく。
つまりこれは宗教庁が大使館を通し、ネロを使って自分たちへ手紙を送ってきたという事になる。
ネロの脚に手紙を取り付けたのは大使館だろうが、よくもまぁフクロウの脚に手紙入りの筒を取り付けられたなーと感心してしまう。
まぁそれはともかく、手紙の差出人についてはジュリオも何となく分かっていたので早速手紙の本文を読み始めてみる。
内容は今日届いた拠点の移動命令に関する事が書かれていとの事らしい。
ワケあってその理由はギリギリまで伏せられ、ようやくこの手紙を送る許可が下りた事がまず最初に書かれていた。
(やれやれ…僕の見てぬ所で勝手に決めてくれちゃって…下の人間ってのは辛いもんだよ全く)
自分達の都合など考えてもくれない宗教庁上層部への悪態をつきつつ、ジュリオはその『理由』に目を通し―――そして硬直した。
それはジュリオや少女…否、ロマリアの国政に関わる者にとっては信じられないモノであった。
例えればこの国の王女が誰の許可も無しに変装して、王宮を飛び出すくらい信じられない事態と同レベルである。
いや、こっちの場合は無理に周りの者たちの首を縦に振らせてるので質の悪さでは勝ってるのだろうか?
どっちにせよ、最悪な事に変わりはない。
そんな事を思いつつも、手紙の内容で頭の中の思考がグルグルと掻き混ぜられる中、
「全く…!よりにもよって、何でこう忙しいときにコッチへ…――!」
「ど…どうしたんですか?急に怒りだしたりして…」
ジュリオは悪態をつくと、突然の豹変に驚く少女へ読んでいた手紙を差し出した。
彼女は慌ててそれを受け取るとサッと素早く目を通し―――瞬間、その顔が真っ青になってしまう。
「じ…ジュリオ様、これって―――」
「皆まで言うなよ?言われなくたって分かってるさ。けれど、もう誰にも変えられやしないんだ…」
少女の言葉にそこまで言った所で一旦一呼吸入れたジュリオは、最後の一言を呟いた。
―――゙聖下゙が御忍びでトリスタニアへ来るっていう、事実はね
その一言は少女の顔はより青ざめ、思わず首から下げた聖具を握りしめてしまう。
ジュリオはこれから先の苦労と心配を予想して長いため息をつくと、自分を見つめる少女から顔を逸らす。
二人が二人とも、この手紙に書かれだ聖下゙の急な訪問と、身分を省みぬ彼の行動にどう反応すればいいか分からぬ中――
ジュリオの腕の中に納まるフクロウは、自分がその手紙を運んで来てしまったことなど知らずして暢気に首を傾げていた。
#navi(ルイズと無重力巫女さん)
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