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#navi(Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia)
「……ほう、するってえとお前さんがさっきシエスタの言ってた亜人の使い魔か?
そういや昨日の夜勤の連中も、夜遅くに学院長に連れられて見たことのない亜人が食堂に来たとか話してたな」
いかつい中年の責任者らしき男が、目の前に立つディーキンをじろじろと見つめる。
ディーキンは、つい先程午前の授業を終えたルイズと別れて厨房に顔を出し、自己紹介を済ませたところだ。
他の従業員たちも、おおよそが同じような興味深げな視線をむけてくる。
流石に魔法学院で働き、さまざまな使い魔を見慣れた彼らは、使い魔であるとわかれば亜人であっても怖れたりはしないようだ。
ましてやディーキンは態度も大人しく、体も小さな子どものような大きさで全く危険には見えないのだから尚更だろう。
なんにせよコボルドの身では、初対面の人間には嫌悪や恐怖の目を向けられるのがごく当たり前である。
好奇の目で見つめられる程度のことは、ディーキンにとっては決して不快ではない。
「そうですマルトーさん、この子がさっき話したディーキンさんです。
あ、ディーキンさん、こちらは料理長のマルトーさんです」
シエスタはディーキンの傍に屈んで、にこにこと挨拶と料理長の紹介をする。
「ありがとう、シエスタ。
ディーキンはあんたたちにはじめましてを言うよ。
ええと、ルイズは、今日からここで食事を出してもらうようにって言ったんだけど……」
さて、どのように頼んだものかと、ディーキンは少し考える。
ルイズは好みのメニューを作ってもらえると言っていたし、ディーキン自身も新しい土地での味には期待してはいた。
しかし、いざとなるとどうも特注であれこれと図々しくオーダーする気にはなれなかった。
というのはディーキン自身、一度ならず料理人として仕事をした経験があるからだ。
最初は“ボス”の後を追ってコボルドの洞窟を発ち、初めての冒険に出た時。
彼の旅について行きたい一心で、彼と同行するハーフリングのキャラバンを訪ねて給料も要らないからと拝み倒し、まかないとして雇ってもらったのだ。
二度目はボスと一旦別れた少し後、一人で旅をしていた時。
大きなクマに食料を荒らされてしまって飢え死にしそうなほどひもじかったため、普段は入らない人間の村に食べ物を乞いに踏み込んでみた。
その頃は追われるのにすっかり参ってしまって挑戦心がいささかくじけていたので、人間の集落からは久しく足が遠のいていたのだ。
ところが、そこで入った酒場の“ママ”に思いがけず歓迎してもらい、そのまましばらくの間、住込みの従業員として働いた。
料理をするのは好きだ。だが、料理人を仕事としてやるとなればこれは大変な事だというのは、それらの経験からよく知っている。
そんな大変な仕事をしている最中に、予定外のオーダーを勝手気ままに持ち込まれるのがいかに迷惑かということも、容易に想像できる。
いくら貴族の使い魔としての権限で好きなメニューを注文できるとしても、彼らに余計な迷惑はかけたくない。
そのように考慮した結果、ディーキンはとりあえず、何でもいいので余り物なり残飯なりがあれば回してもらえれば嬉しいとだけ頼んでおくことにした。
「アア、それともし十分な量がない時はわざわざ余計に用意したりしないでね。
ディーキンは自分で何とかするから、余ってる時だけで構わないの」
マルトーはその言葉にほうと声を漏らして笑みを浮かべると、ディーキンの肩をばんばん叩いた。
「ほほお、ちびっこいのになかなか遠慮深い奴だな、気に入ったぜ。
おいシエスタ! この品のいいお客さんに、白パンとスープを出してやってくれ。
貴族の連中に出す茶や焼き菓子の余りなんかもつけてな」
ディーキンは目をしばたたかせて小首を傾げると、まじまじとマルトーの顔を見つめた。
「ええと……、あんたは今、ディーキンを品のいい客って言ってくれた?
あんたはディーキンを、『ちっぽけで薄汚い、いるだけで店を汚しそうなコボルドのチビだ』とか思わないの?」
昔ひもじさに耐えかねてどうにか食事と歌う場所を貰えないかと試みに人間の店に行ったとき、店長や客にそういわれて叩き出された事があったのだ。
英雄として知られる前は金はいつもろくに持っていなかったし、どうにか汚い酒場で音楽を演奏できても、誰も聞いてはくれなかった。
それでも大切な冒険用の備品類だけは、意地でも手放さずにせずにとっておいたが。
別に、それが不当な扱いだったとは思わない。
コボルドの自分を許容してくれないかといつも期待はしていたが、受け容れられるのが当然だなどとは考えていなかったし、今でもそうである。
今では名の知られたドロウの英雄、ドリッズト・ドゥアーデンが地上で受け容れられるまでの苦難の物語を例に引くまでもない。
逆に人間がコボルドの洞窟に迷い込んだとしても同じように扱われるだろう。あるいは、もっと酷い事になるか、だ。
そうはいっても、バードは魅力的で人扱いが上手なものだと聞いていたのに、自分はあまり立派なバードではないらしい、と少なからず落ち込みはしたが。
冷たい扱いや迫害も覚悟していただけに、ここに来てからあまりよい扱いばかり受けていることにディーキンはいささか困惑していた。
成長した今の自分なら、英雄の名声が無くても人々に魅力的だと思ってもらえるのだろうか。
それとも、そんな考えは馬鹿げた自惚れにすぎなくて、単純にここの人達が本当にとても善い人ばかりだからなのだろうか。
その考えはある程度は正しく、ある程度は間違っている。
今のディーキンの技量が、以前人間に追い掛け回されていた頃とは比較にならないほど高いのは確かだ。
しかし、実際は当時の彼も充分以上に優秀な、人間ならばとうに英雄として名を馳せていてもおかしくないほどの腕を持つバードだったのだ。
一人旅を始めた時点で、既にボスと共にひとつの世界の危機を救う冒険を成功させていたのだから。
コボルドの身でともかくも人間に殺されず、かろうじて街で許容されるまでにこぎつけただけでも大した仕事であるといえよう。
その事に、本人は気付いていない。自分の実力やこれまでの業績について、ディーキンはまだまだ過小評価しているきらいがあった。
それに、ここハルケギニアで今までにディーキンが出会った人々が概ね善い人ばかりだというのも、まあ確かだろう。
だがハルケギニア人全体がそうというわけでは勿論ないし、貴族の使い魔としての立場が無ければ、少なくとも当面の間はやはり追い回されていたはずだ。
さておきマルトーはディーキンの問いに肩を竦めると、さも当然のように頷いた。
「ああ、あたりめえじゃねえか?
ここの貴族どもときたら普段は気取って上品ぶってるくせに、俺らが丹精込めて作った食事を山ほど残しやがる礼儀知らずだ!
その点坊主はずっと行儀がいいし、ちょっと見は汚れてそうだが嫌な臭いはしてねえ、逆に上等ないい香りが漂ってるからな。
おめえがちゃんと身綺麗にしてからここに顔を出した、礼儀を弁えた上客だって事ぐらいが分からんようじゃあ、これだけの厨房は預かれんぜ」
「オオ………、」
ディーキンはその言葉に少し驚く。何とも度量の広い人らしいが、観察力も鋭いようだ。
確かにディーキンは厨房に入る前にちゃんと綺麗にしておこうと、汚れを落として『ビターリーフ・オイル』を塗ったのだ。
以前に料理人として働いていた経験からである。
一度汚れを落とさず厨房に入ったら、先輩の料理人に凄い形相で包丁を投げつけられた上、硬そうな石鹸で殴られそうになったことがあった。
「ディーキンにも、あんたが立派な人だって事が分かるよ。
それぐらいが分からないようじゃあ、英雄のお付きは務まらないからね。
料理長の旦那、ディーキンはあんたに感謝するよ。
あんたのことは、必ずディーキンが今度書く物語のどこかに入れておくからね!」
そういってにこにこと御辞儀をしたディーキンに、マルトーも屈み込んで顔の高さを合わせて豪快な笑みを返した。
「おお、坊主は英雄の物語も書くんだったな。
俺みたいな一介の料理人がまさか英雄の物語に入れるとはな。よーし、期待しとくぜ!」
「ウーン……、でも英雄物語に料理人を入れるのってどうしたらいいかな?
例えば悪いドラゴンのために、お姫様を料理する役とか?」
「………。い、いや、あまり無理入れようとしなくていいぜ」
「はい、ディーキンさん。
私たちの食べるのと同じ賄い物とあと貴族の方々にお出しした余り物ですけど、どうぞこちらに座って食べてください」
そんな他愛もないやりとりを交わしている間に、シエスタがてきぱきと料理を食器に取り分けて運んできた。
その後ろからもう一人、シエスタの後輩らしきやや不慣れそうなメイドが、ディーキンが座るための台を運んできてくれた。
背が低い上に翼などが生えているディーキンは、普通の椅子には座りにくいだろうと気を利かせてくれたようだ。
ディーキンは彼女らに礼を言ってから、朝と同じような食前の祈りをささげると、さっそく食事に取り掛かった。
・
・
・
「――――ふん! 確かにメイジにゃ魔法はできるさ。
土から鍋や城を作ったり、とんでもない炎の玉を撃ち出したり、果てはドラゴンを操ったりな。
たいしたもんだと俺も思うぜ、だがな、絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって一つの魔法みたいなもんよ!
コボルドの坊主よ、おめえはそう思わねえか?」
「うん、ディーキンはその通りだと思うよ。
冒険をしてると、食事の大切さっていうのはよく分かるの。
食事を作るのがいろんな意味で魔法だっていうのも、まったく正しいね」
「だろう? 坊主、いやディーキン、おめえはまったくいい奴だな!」
すっかりディーキンが気に入ったらしいマルトーは、仕事が一段落つくと旨そうに食事をしている彼との雑談に興じていた。
既に料理は全て終わっており、後は貴族たちの食事の進行に合わせて出すだけだ。
ディーキンはマルトーの言動から、ははあ、彼は魔法や貴族が嫌いなのだなとあたりを付けた。
マルトーは己の才能と努力で富を勝ち得た裕福な平民だ。
長年磨き上げてきた料理の腕を認められ、今や伝統ある魔法学院の料理長として取り立てられた彼の収入は、生半な貴族のそれを凌駕している。
ハルケギニアのそういった平民の多くは、生まれの良さと魔法の力を振り翳して大きな顔をする凡愚な貴族を嫌っている。
魔法学院で働いているとはいえ彼もその例に漏れず、一部の例外を除いて基本的に貴族は好きではない。
であるから、必然的に魔法にもあまり好感は持っていないのだ。
偉大な力だとは認めるものの、そのせいで正当な評価を受けられない平民のいかに多い事か。
フェイルーンにも、遺憾ながら城に棲む盗賊以外の何者でもないような貴族は、少なからず存在している。
もっともディーキンはコボルドであるから、人間の貴族については伝聞や物語で聞いた事はあるものの、実際の体験としてはほとんど知らない。
だがコボルドの社会も概ねソーサラーが強い権力を握る魔導制の社会であり、貴族というものとは少し違うが、でかい顔をする魔術師はいくらでもいる。
だからディーキンにも、マルトーのそういった気持ちはある程度は理解できた。
ディーキン自身も魔法の使い手ではあるが、卑劣で威張り腐ったコボルドのソーサラーは好きにはなれなかったものだ。
もっともディーキンはコボルドの社会自体に馴染めなかった異端児で、普通のコボルド全般がそもそもあまり好きではなかったのだが。
これは《英雄たちの饗宴(ヒーローズ・フィースト)》の呪文の事は彼にはしばらく黙っておいた方がいいな、とディーキンは考えた。
現世の料理を超える天上の美味が、魔法ひとつで作れるなどと知ったらショックを受けそうだ。
無闇に人の矜持を傷つけて、機嫌を損ねるものでもあるまい。
「……ウーン、ディーキンはむしろ、魔法が料理を援助することがあってもいいと思うね。
もっといい料理を作るためとか、雑用のお手伝いとかに。料理っていうのは、そのくらい大事なものだからね」
「そうよ! まったくその通り! おめえは本当によくわかってる奴だぜ!」
マルトー料理長はそういってディーキンの頭をわしゃわしゃと撫でた。
それからぶっとい腕をディーキンの肩に巻きつけて抱っこでもするように顔を寄せ……、ふと何かに気が付いたように首を傾げた。
「……あん? 何か香りがしてると思ったがおめえ、クリームか何か塗ってるのか。
しかしこりゃなんだ? まるではしばみ草みてえな匂いだがちょっと違うな……。
まあ、すっきりした感じで悪くねえがな」
「ン? ああ、さっき塗ったビターリーフ・オイルの事だね。
はしばみ草っていうのは知らないけど、フェイルーンじゃ、コボルドはよくビターリーフから作った軟膏で自分の肌を磨いて手入れするんだよ」
「そうなのか。しかし、ビターリーフってのは聞いたことがねえな……。
おめえもはしばみ草を知らねえところを見ると、どうやら随分こっちとは離れたところから来たみてえだな?」
「ウーン、そうみたいだね……」
フェイルーンのコボルドは、自分の外皮を強く健康で光沢のある状態に保つために、ビターリーフ・オイルで手入れをする。
これによって清潔さを保ち、リラックスして健康を維持増進させ、さらには脱皮(コボルドはたまにするのだ)の必要を無くすこともできる。
まあ普通のコボルドにとっては少々高級品なので、すべてのコボルドがそれを使えるわけではないのだが。
(ンー、ビターリーフが無い…ってことはオイルが無くなったらどうしようかな?)
まだ沢山持ってはいるが、とはいえ何ヵ月もここにいればいずれ尽きてしまうだろう。
使わなくても死ぬわけではないが、これでも自分は身だしなみを大切にする方なのだ。
それが社交的なコボルド・バードとしての、ディーキンなりのダンディズムというものである。
……はしばみ草というものが近い香りを持っているのだとすれば、もしかすればそれで代用品が作れるかもしれない。
そういったものが市販されているかはわからないが、暇な時に自作を試みてみてもいいだろう。
自分は錬金術関係の<製作>が特に得手というわけではないが、そのくらいのものならばおそらく、ある程度の時間と材料があれば作れるはずだ。
普通の冒険者は錬金術アイテムの類を自作するなどという事は滅多にしないのだが、当面は平和な日常が続きそうだし。
そういえば、ハルケギニアの『錬金』という呪文とフェイルーンの<製作:錬金術>も、名前は似ているのに随分と違うもののようだが……。
ディーキンはそんなふうに雑談や考え事をしながらも、ぱくぱくと料理を口に運び、早々に全て平らげた。
食欲が旺盛だというのもあるが、それだけ、本当に美味しい食事だったのだ。
「――――うん、ごちそうさま。
昨日のも、今朝のも、そして今の食事も、本当に凄く美味しかったの。
あんたたちは最高に腕のいい料理人だよ!」
「わはは、おめえは本当に嬉しい事ばかり言ってくれるぜ!」
「だって、本当の事だからね。
今回のは特に、スープに少しだけ入ってた甘い味付けがよかったよ。
ウーン、南瓜に似た味だったけど……、ディーキンが知らない食材なのかな?」
豪快に笑っていたマルトーの顔が、その一言でぎょっとしたように固まった。
(こ、こいつ……、俺がほんの僅か、隠し味として加えておいた南西瓜の粉末に気が付いたってのか!?)
別に、ディーキンが料理に関して何がしかの特別優れた技能を持っているというわけではない。
料理の技量面でいえば、ディーキンは特に最初の頃は食事に砂を混ぜシチューにネズミを入れと、他種族の料理の基本をまるきり弁えていなかった。
流石にその後ボスと旅を続けたりママの酒場で働いたりするうちに覚えて、今では人間が食べても普通に旨いと思える程度の食事は作れるようになっている。
とはいえ、それこそ魔法の助けでも借りない限り、マルトーのような一流の料理人とではまず比べるべくもないのは明らかだ。
これは単に、フェイルーンのドラゴンが優れた感覚能力を数多く備えており、味覚もそのひとつだというだけである。
特に識別能力が優れていて、真竜族はシチューを一口啜っただけでもそこに使われているすべての食材を言い当てることができると言われている。
そのため、多くのドラゴンは食事に対する選り好みが激しかったり、まだ見ぬ味に惹かれる美食家だったりするのだ。
例えば、邪悪な竜族の代表格として知られる赤竜(レッド・ドラゴン)が乙女の肉を好み、しばしば生贄を要求するという迷惑な習性もこのためなのである。
ディーキンの方はそんなマルトーの驚きをよそに、食後の紅茶をいただきながら次に何をしたものかと考え始めていた。
食堂の学生たちはおそらくまだ半分も食べていないだろうし、ルイズの食事が終わるまで大分時間がありそうだ。
しばしの思案の後に、これだけ美味しい食事をこれからずっと食べさせてくれるというのだから、そのお礼をちゃんとしておこうと決める。
とはいえ今更代金を払うなどというのは野暮だろうし、バードらしい礼と言えば……。
「ええと、ディーキンはあんたたちに食事のお礼をしたいんだけど。
ディーキンはバードだから、少し時間をもらってよければ、何か芸をお見せするよ」
「ん、ああ……、いや、他の使い魔にも食事は出してるんだ、気にするこたあないぜ。
おめえらの食事の代金もちゃんとここの貴族どもの学費に含まれてるし、俺たちはそこから給料をもらってるんだからよ」
「ンー、けど、そのお金を出してるのはルイズ、……の家の人、だよね。
ディーキンはその人たちのことをまだよく知らないし、自分でも何かお礼をしたいんだよ。
本当にすごくおいしかったし、お世話になって何もしないのは心苦しいからね」
「ははっ、本当にどこまでも行儀のいい奴だな!
亜人に……、ああ、いや、すまねえ……、あんなわがままな貴族のガキどもの使い魔に、しとくのは勿体ねえぜ!」
マルトーは満面に笑みを浮かべながらがしがしとディーキンの頭を撫でた。
「そうだな、お前さんの芸とやらには興味があるし、お言葉に甘えて見せてもらうぜ。
……で、何をしてくれるんだい。コメディーか?」
微笑ましく遠巻きにやりとりを眺めていたシエスタらの従業員も、ディーキンの申し出に興味を惹かれて周囲に集まってくる。
ディーキンは頭を撫でられて目を細めて笑いながら、ちょっと首を傾げた。
「お笑い? いや、お笑いもできるけど……、ディーキンはすごいコボルドのバードなの、この世にある全部の芸ができるよ!
いや、まあ、断言はできないけど……、多分、少しはできるよ。
今のところ、英雄とドラゴンの物語が一番の専門だよ。あと五行詩も好きだけど……、ちょっとウケが悪いんだよね」
ディーキンは実際のところ、《多彩なる芸能者》にして《なんでも屋》であり、極めて優れた【魅力】を持つ超一流のバードだ。
よくやるリュートの演奏や歌唱、詩吟などを始めとして、各種の演劇や舞踏、楽器演奏に、演武だってできる。
当然分野によって技量には大分差があるが、最低限どんな芸能であれ、プロとして人前で披露しても恥ずかしくないレベルでは演じられるはずだ。
その気になれば棒歌ロイドからポールダンスまで、何でもこなして見せる自信はある。
ただ、伝説のスカルドを目指して取り組んでいる五行詩や、あえて音程を外す前衛様式の歌といった一番気に入っているジャンルは、どうもウケが悪い。
本当ならそういったものを披露したいのだが……、多分歓迎されないだろう。
これまでにそれらの芸を高く評価してくれたのはボスとノーム達だけ、というのがディーキンにはいささか不満であった。
そういえばどこぞの異世界にも、ピアノ演奏は上手だが本当に好きなバイオリンの腕は酷評されている、風呂好きな少女がいるという話を聞いた覚えがある。
なお、ノームはコボルドにとっては不倶戴天の宿敵なのだが、ディーキンは寛容で前衛芸術に理解があり、面白い発明品を作る彼らにかなり好意的であった。
それと同じくらいかそれ以上に皆に聞かせて回りたいのが、ボスとの冒険譚であるが……。
今は少し余裕のある時間帯らしいが、きっともう少しすればデザートを配ったり開いた皿を下げて洗うなど、後片付けをしなくてはならないのだろう。
そうなると、冒険譚のような長い話をやる時間は残念ながらなさそうだ。
「ウーン、今回はあんまり時間が無さそうだね。
じゃあ…有名な短い詩歌をディーキンがアレンジしたものを一曲ご披露するよ」
ディーキンは周囲にお辞儀するとリュートを取り出して静かな曲を奏で、それに合わせて歌い始める。
♪
あなたが暗い寒さに震えるとき
たき火にはじける火花を見つめて
瞳があなたを見守っている
吹きつける風の中を歩きながら
オオカミのうなり声を聞いて
歌があなたに届く
あなたが雪の中で迷ったとき
ワシの飛ぶ高い空を見上げて
星はあなたへ輝く
あなたは見放されていない
あなたは忘れられていない
時にのまれることはない
雪に埋もれる事もない
本当の勇者が訪れるまで
世界が暖かくなり神が微笑むまで
私があなたと共にいるから
………
♪
何やらキャンキャンと犬の鳴き声じみた響きの混じった、それ自体はお世辞にも美声とは言えない声だった。
だが、何故か深く優しく、心の奥にまで響いてくるような歌声と、リュートの音色。
所詮子どもの芸と期待もせずに興味本位で微笑ましげに見ていたマルトーらも、始まると魅入られたように一心に聞き入った。
シエスタもまた、驚いた顔でディーキンの歌う姿を見つめていた。
彼女は朝にディーキンの妙な鼻歌を聞いていたので、まあそのようなものだろうと思っていたのだ。
―――そうして、ディーキンが演奏を終えて御辞儀をすると、一瞬の静寂の後に騒々しい拍手喝采が沸き起こった。
そんな周囲の大歓声が予想外だったのかディーキンはしばし戸惑った様子をしていたが、じきに満面の笑みを浮かべて拍手喝采に礼を送って回る。
ちなみに厨房の壁は食堂に調理等の雑音が聞こえないように防音性が高く作られており、食堂の学生たちはこの小さな演奏会に気が付いていない。
皆と共に興奮に顔を赤らめて拍手を送っていたマルトーは、騒ぎが収まってくると今度はやや神妙な顔をしてディーキンと向かい合った。
「……なあ坊主、いやディーキン。
俺はいろいろな貴族の下で働いた、お抱えの音楽家が演奏するところを何度も聞いたし、宮廷音楽家の演奏会に行ったこともあるんだ。
だが、今のお前の演奏はそんなものとは比較にならねえ……、
俺は音楽に関しては素人だが、職人として、そいつははっきりと分かる!
……お前は、すげえ奴だ。正直俺の料理の代金に、お前の演奏は払いすぎってもんだぜ」
ディーキンはマルトーの顔をじっと見上げて少し首を傾げると、リュートをしまいながら真顔で返事を返した。
「ねえ料理長の旦那、いやマルトーさん。
ディーキンはこれまであちこちで歌ったけど、『チビのコボルド』の歌なんて、ろくに聞いてもらえないことがほとんどだったよ。
正しく評価してくれる人のためならディーキンはいくらでも歌うし、代金は気持ち次第で構わないの。
喜んでくれる人のために歌うのがバードだよ。旦那だって、きっと喜んでくれる人のためになら、タダでも食事を作るでしょ?」
これはディーキンの正直な気持ちである。
偏見なく受け入れられ正しく評価してもらえるということだけで望外の報酬、少なくともディーキンはそう思っている。
今回の演奏はあくまでお礼のつもりだったのに、これほど認めてもらえて、一体何の不満があろうか。
それに、彼の料理に自分の歌に見合うだけの価値がないなどともまったく思わない。
短い曲を一曲披露しただけで、銀貨を何枚も支払わなければ口にできないような食事を食べさせてもらって、どうして見合わないなどと思えようか。
「いや、俺にも職人としてのプライドがある。
さっきの演奏を、貴族の残り物なんぞの代金扱いで済ませることはできねえ」
「ウーン……、じゃあ、どうするの?」
「それよ、いいかディーキン、お前がバードとやらなら俺は料理人だ。
もらいすぎた代金は料理で返す!
……明日から楽しみにしてな、お前の演奏に見合うだけの料理を作ってみせるぜ。
お前たちもいいな!『我らの詩人』のために!」
マルトーが呼びかけると、他の従業員たちも嬉しげに返事を唱和した。
「「『我らの詩人』のために!」」
ディーキンはあまりの盛り上がりに一瞬きょとんとしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて椅子から立ち上がると周囲に会釈を送った。
「……オオ、いいの?
あんたたちの料理がさっきの歌に見合わないなんて、ディーキンはぜんぜん思わないけど……。
もしもっとすごい料理を作って食べさせてくれるのなら、それはすごく嬉しいよ。期待しておくね!」
遠慮して余り物だけでいいと頼んだが、どうやらルイズが保証した以上に、美味しいものにありつけそうだった。
「アア、でも無理はしないでね、ディーキンは迷惑にはなりたくないよ。
……そういえば、そろそろ仕事はいいの?」
それを聞いて、従業員らがはっと我に返った。
マルトーはディーキンにもう一度礼を言うと慌てて席を立ち、従業員に後片付けの指示を出していく。
シエスタも食堂へデザートを配ったり、空いた皿を下げに行くために、後輩の少女と一緒にあたふたと準備をし始めた。
そんな様子を見て、ディーキンは首を傾げる。
どうやら、予定よりずいぶんと長く歌に付き合わせてしまったらしい。
まあ時間を忘れていた彼らの責任といえばそうだろうが、歌ったのは自分だし、ルイズの食事が終わるまでまだ時間もあるだろうし……。
それにルイズに頼まれていた『雑用を魔法で』という注文に答えるために、考えておいた呪文の運用を試すいい機会でもある。
「ええと、時間が足りないのなら、ディーキンもシエスタたちの仕事を手伝うよ―――」
#navi(Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia)
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「……ほう、するってえとお前さんがさっきシエスタの言ってた亜人の使い魔か?
そういや昨日の夜勤の連中も、夜遅くに学院長に連れられて見たことのない亜人が食堂に来たとか話してたな」
いかつい中年の責任者らしき男が、目の前に立つディーキンをじろじろと見つめる。
ディーキンは、つい先程午前の授業を終えたルイズと別れて厨房に顔を出し、自己紹介を済ませたところだ。
他の従業員たちも、おおよそが同じような興味深げな視線をむけてくる。
流石に魔法学院で働き、さまざまな使い魔を見慣れた彼らは、使い魔であるとわかれば亜人であっても怖れたりはしないようだ。
ましてやディーキンは態度も大人しく、体も小さな子どものような大きさで全く危険には見えないのだから尚更だろう。
なんにせよコボルドの身では、初対面の人間には嫌悪や恐怖の目を向けられるのがごく当たり前である。
好奇の目で見つめられる程度のことは、ディーキンにとっては決して不快ではない。
「そうですマルトーさん、この子がさっき話したディーキンさんです。
あ、ディーキンさん、こちらは料理長のマルトーさんです」
シエスタはディーキンの傍に屈んで、にこにこと挨拶と料理長の紹介をする。
「ありがとう、シエスタ。
ディーキンはあんたたちにはじめましてを言うよ。
ええと、ルイズは、今日からここで食事を出してもらうようにって言ったんだけど……」
さて、どのように頼んだものかと、ディーキンは少し考える。
ルイズは好みのメニューを作ってもらえると言っていたし、ディーキン自身も新しい土地での味には期待してはいた。
しかし、いざとなるとどうも特注であれこれと図々しくオーダーする気にはなれなかった。
というのはディーキン自身、一度ならず料理人として仕事をした経験があるからだ。
最初は“ボス”の後を追ってコボルドの洞窟を発ち、初めての冒険に出た時。
彼の旅について行きたい一心で、彼と同行するハーフリングのキャラバンを訪ねて給料も要らないからと拝み倒し、まかないとして雇ってもらったのだ。
二度目はボスと一旦別れた少し後、一人で旅をしていた時。
大きなクマに食料を荒らされてしまって飢え死にしそうなほどひもじかったため、普段は入らない人間の村に食べ物を乞いに踏み込んでみた。
その頃は追われるのにすっかり参ってしまって挑戦心がいささかくじけていたので、人間の集落からは久しく足が遠のいていたのだ。
ところが、そこで入った酒場の“ママ”に思いがけず歓迎してもらい、そのまましばらくの間、住込みの従業員として働いた。
料理をするのは好きだ。だが、料理人を仕事としてやるとなればこれは大変な事だというのは、それらの経験からよく知っている。
そんな大変な仕事をしている最中に、予定外のオーダーを勝手気ままに持ち込まれるのがいかに迷惑かということも、容易に想像できる。
いくら貴族の使い魔としての権限で好きなメニューを注文できるとしても、彼らに余計な迷惑はかけたくない。
そのように考慮した結果、ディーキンはとりあえず、何でもいいので余り物なり残飯なりがあれば回してもらえれば嬉しいとだけ頼んでおくことにした。
「アア、それともし十分な量がない時はわざわざ余計に用意したりしないでね。
ディーキンは自分で何とかするから、余ってる時だけで構わないの」
マルトーはその言葉にほうと声を漏らして笑みを浮かべると、ディーキンの肩をばんばん叩いた。
「ほほお、ちびっこいのになかなか遠慮深い奴だな、気に入ったぜ。
おいシエスタ! この品のいいお客さんに、白パンとスープを出してやってくれ。
貴族の連中に出す茶や焼き菓子の余りなんかもつけてな」
ディーキンは目をしばたたかせて小首を傾げると、まじまじとマルトーの顔を見つめた。
「ええと……、あんたは今、ディーキンを品のいい客って言ってくれた?
あんたはディーキンを、『ちっぽけで薄汚い、いるだけで店を汚しそうなコボルドのチビだ』とか思わないの?」
昔ひもじさに耐えかねてどうにか食事と歌う場所を貰えないかと試みに人間の店に行ったとき、店長や客にそういわれて叩き出された事があったのだ。
英雄として知られる前は金はいつもろくに持っていなかったし、どうにか汚い酒場で音楽を演奏できても、誰も聞いてはくれなかった。
それでも大切な冒険用の備品類だけは、意地でも手放さずにせずにとっておいたが。
別に、それが不当な扱いだったとは思わない。
コボルドの自分を許容してくれないかといつも期待はしていたが、受け容れられるのが当然だなどとは考えていなかったし、今でもそうである。
今では名の知られたドロウの英雄、ドリッズト・ドゥアーデンが地上で受け容れられるまでの苦難の物語を例に引くまでもない。
逆に人間がコボルドの洞窟に迷い込んだとしても同じように扱われるだろう。あるいは、もっと酷い事になるか、だ。
そうはいっても、バードは魅力的で人扱いが上手なものだと聞いていたのに、自分はあまり立派なバードではないらしい、と少なからず落ち込みはしたが。
冷たい扱いや迫害も覚悟していただけに、ここに来てからあまりよい扱いばかり受けていることにディーキンはいささか困惑していた。
成長した今の自分なら、英雄の名声が無くても人々に魅力的だと思ってもらえるのだろうか。
それとも、そんな考えは馬鹿げた自惚れにすぎなくて、単純にここの人達が本当にとても善い人ばかりだからなのだろうか。
その考えはある程度は正しく、ある程度は間違っている。
今のディーキンの技量が、以前人間に追い掛け回されていた頃とは比較にならないほど高いのは確かだ。
しかし、実際は当時の彼も充分以上に優秀な、人間ならばとうに英雄として名を馳せていてもおかしくないほどの腕を持つバードだったのだ。
一人旅を始めた時点で、既にボスと共にひとつの世界の危機を救う冒険を成功させていたのだから。
コボルドの身でともかくも人間に殺されず、かろうじて街で許容されるまでにこぎつけただけでも大した仕事であるといえよう。
その事に、本人は気付いていない。自分の実力やこれまでの業績について、ディーキンはまだまだ過小評価しているきらいがあった。
それに、ここハルケギニアで今までにディーキンが出会った人々が概ね善い人ばかりだというのも、まあ確かだろう。
だがハルケギニア人全体がそうというわけでは勿論ないし、貴族の使い魔としての立場が無ければ、少なくとも当面の間はやはり追い回されていたはずだ。
さておきマルトーはディーキンの問いに肩を竦めると、さも当然のように頷いた。
「ああ、あたりめえじゃねえか?
ここの貴族どもときたら普段は気取って上品ぶってるくせに、俺らが丹精込めて作った食事を山ほど残しやがる礼儀知らずだ!
その点坊主はずっと行儀がいいし、ちょっと見は汚れてそうだが嫌な臭いはしてねえ、逆に上等ないい香りが漂ってるからな。
おめえがちゃんと身綺麗にしてからここに顔を出した、礼儀を弁えた上客だって事ぐらいが分からんようじゃあ、これだけの厨房は預かれんぜ」
「オオ………、」
ディーキンはその言葉に少し驚く。何とも度量の広い人らしいが、観察力も鋭いようだ。
確かにディーキンは厨房に入る前にちゃんと綺麗にしておこうと、汚れを落として『ビターリーフ・オイル』を塗ったのだ。
以前に料理人として働いていた経験からである。
一度汚れを落とさず厨房に入ったら、先輩の料理人に凄い形相で包丁を投げつけられた上、硬そうな石鹸で殴られそうになったことがあった。
「ディーキンにも、あんたが立派な人だって事が分かるよ。
それぐらいが分からないようじゃあ、英雄のお付きは務まらないからね。
料理長の旦那、ディーキンはあんたに感謝するよ。
あんたのことは、必ずディーキンが今度書く物語のどこかに入れておくからね!」
そういってにこにこと御辞儀をしたディーキンに、マルトーも屈み込んで顔の高さを合わせて豪快な笑みを返した。
「おお、坊主は英雄の物語も書くんだったな。
俺みたいな一介の料理人がまさか英雄の物語に入れるとはな。よーし、期待しとくぜ!」
「ウーン……、でも英雄物語に料理人を入れるのってどうしたらいいかな?
例えば悪いドラゴンのために、お姫様を料理する役とか?」
「………。い、いや、あまり無理に入れようとしなくていいぜ」
「はい、ディーキンさん。
私たちの食べるのと同じ賄い物とあと貴族の方々にお出しした余り物ですけど、どうぞこちらに座って食べてください」
そんな他愛もないやりとりを交わしている間に、シエスタがてきぱきと料理を食器に取り分けて運んできた。
その後ろからもう一人、シエスタの後輩らしきやや不慣れそうなメイドが、ディーキンが座るための台を運んできてくれた。
背が低い上に翼などが生えているディーキンは、普通の椅子には座りにくいだろうと気を利かせてくれたようだ。
ディーキンは彼女らに礼を言ってから、朝と同じような食前の祈りをささげると、さっそく食事に取り掛かった。
・
・
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「――――ふん! 確かにメイジにゃ魔法はできるさ。
土から鍋や城を作ったり、とんでもない炎の玉を撃ち出したり、果てはドラゴンを操ったりな。
たいしたもんだと俺も思うぜ、だがな、絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって一つの魔法みたいなもんよ!
コボルドの坊主よ、おめえはそう思わねえか?」
「うん、ディーキンはその通りだと思うよ。
冒険をしてると、食事の大切さっていうのはよく分かるの。
食事を作るのがいろんな意味で魔法だっていうのも、まったく正しいね」
「だろう? 坊主、いやディーキン、おめえはまったくいい奴だな!」
すっかりディーキンが気に入ったらしいマルトーは、仕事が一段落つくと旨そうに食事をしている彼との雑談に興じていた。
既に料理は全て終わっており、後は貴族たちの食事の進行に合わせて出すだけだ。
ディーキンはマルトーの言動から、ははあ、彼は魔法や貴族が嫌いなのだなとあたりを付けた。
マルトーは己の才能と努力で富を勝ち得た裕福な平民だ。
長年磨き上げてきた料理の腕を認められ、今や伝統ある魔法学院の料理長として取り立てられた彼の収入は、生半な貴族のそれを凌駕している。
ハルケギニアのそういった平民の多くは、生まれの良さと魔法の力を振り翳して大きな顔をする凡愚な貴族を嫌っている。
魔法学院で働いているとはいえ彼もその例に漏れず、一部の例外を除いて基本的に貴族は好きではない。
であるから、必然的に魔法にもあまり好感は持っていないのだ。
偉大な力だとは認めるものの、そのせいで正当な評価を受けられない平民のいかに多い事か。
フェイルーンにも、遺憾ながら城に棲む盗賊以外の何者でもないような貴族は、少なからず存在している。
もっともディーキンはコボルドであるから、人間の貴族については伝聞や物語で聞いた事はあるものの、実際の体験としてはほとんど知らない。
だがコボルドの社会も概ねソーサラーが強い権力を握る魔導制の社会であり、貴族というものとは少し違うが、でかい顔をする魔術師はいくらでもいる。
だからディーキンにも、マルトーのそういった気持ちはある程度は理解できた。
ディーキン自身も魔法の使い手ではあるが、卑劣で威張り腐ったコボルドのソーサラーは好きにはなれなかったものだ。
もっともディーキンはコボルドの社会自体に馴染めなかった異端児で、普通のコボルド全般がそもそもあまり好きではなかったのだが。
これは《英雄たちの饗宴(ヒーローズ・フィースト)》の呪文の事は彼にはしばらく黙っておいた方がいいな、とディーキンは考えた。
現世の料理を超える天上の美味が、魔法ひとつで作れるなどと知ったらショックを受けそうだ。
無闇に人の矜持を傷つけて、機嫌を損ねるものでもあるまい。
「……ウーン、ディーキンはむしろ、魔法が料理を援助することがあってもいいと思うね。
もっといい料理を作るためとか、雑用のお手伝いとかに。料理っていうのは、そのくらい大事なものだからね」
「そうよ! まったくその通り! おめえは本当によくわかってる奴だぜ!」
マルトー料理長はそういってディーキンの頭をわしゃわしゃと撫でた。
それからぶっとい腕をディーキンの肩に巻きつけて抱っこでもするように顔を寄せ……、ふと何かに気が付いたように首を傾げた。
「……あん? 何か香りがしてると思ったがおめえ、クリームか何か塗ってるのか。
しかしこりゃなんだ? まるではしばみ草みてえな匂いだがちょっと違うな……。
まあ、すっきりした感じで悪くねえがな」
「ン? ああ、さっき塗ったビターリーフ・オイルの事だね。
はしばみ草っていうのは知らないけど、フェイルーンじゃ、コボルドはよくビターリーフから作った軟膏で自分の肌を磨いて手入れするんだよ」
「そうなのか。しかし、ビターリーフってのは聞いたことがねえな……。
おめえもはしばみ草を知らねえところを見ると、どうやら随分こっちとは離れたところから来たみてえだな?」
「ウーン、そうみたいだね……」
フェイルーンのコボルドは、自分の外皮を強く健康で光沢のある状態に保つために、ビターリーフ・オイルで手入れをする。
これによって清潔さを保ち、リラックスして健康を維持増進させ、さらには脱皮(コボルドはたまにするのだ)の必要を無くすこともできる。
まあ普通のコボルドにとっては少々高級品なので、すべてのコボルドがそれを使えるわけではないのだが。
(ンー、ビターリーフが無い…ってことはオイルが無くなったらどうしようかな?)
まだ沢山持ってはいるが、とはいえ何ヵ月もここにいればいずれ尽きてしまうだろう。
使わなくても死ぬわけではないが、これでも自分は身だしなみを大切にする方なのだ。
それが社交的なコボルド・バードとしての、ディーキンなりのダンディズムというものである。
……はしばみ草というものが近い香りを持っているのだとすれば、もしかすればそれで代用品が作れるかもしれない。
そういったものが市販されているかはわからないが、暇な時に自作を試みてみてもいいだろう。
自分は錬金術関係の<製作>が特に得手というわけではないが、そのくらいのものならばおそらく、ある程度の時間と材料があれば作れるはずだ。
普通の冒険者は錬金術アイテムの類を自作するなどという事は滅多にしないのだが、当面は平和な日常が続きそうだし。
そういえば、ハルケギニアの『錬金』という呪文とフェイルーンの<製作:錬金術>も、名前は似ているのに随分と違うもののようだが……。
ディーキンはそんなふうに雑談や考え事をしながらも、ぱくぱくと料理を口に運び、早々に全て平らげた。
食欲が旺盛だというのもあるが、それだけ、本当に美味しい食事だったのだ。
「――――うん、ごちそうさま。
昨日のも、今朝のも、そして今の食事も、本当に凄く美味しかったの。
あんたたちは最高に腕のいい料理人だよ!」
「わはは、おめえは本当に嬉しい事ばかり言ってくれるぜ!」
「だって、本当の事だからね。
今回のは特に、スープに少しだけ入ってた甘い味付けがよかったよ。
ウーン、南瓜に似た味だったけど……、ディーキンが知らない食材なのかな?」
豪快に笑っていたマルトーの顔が、その一言でぎょっとしたように固まった。
(こ、こいつ……、俺がほんの僅か、隠し味として加えておいた南西瓜の粉末に気が付いたってのか!?)
別に、ディーキンが料理に関して何がしかの特別優れた技能を持っているというわけではない。
料理の技量面でいえば、ディーキンは特に最初の頃は食事に砂を混ぜシチューにネズミを入れと、他種族の料理の基本をまるきり弁えていなかった。
流石にその後ボスと旅を続けたりママの酒場で働いたりするうちに覚えて、今では人間が食べても普通に旨いと思える程度の食事は作れるようになっている。
とはいえ、それこそ魔法の助けでも借りない限り、マルトーのような一流の料理人とではまず比べるべくもないのは明らかだ。
これは単に、フェイルーンのドラゴンが優れた感覚能力を数多く備えており、味覚もそのひとつだというだけである。
特に識別能力が優れていて、真竜族はシチューを一口啜っただけでもそこに使われているすべての食材を言い当てることができると言われている。
そのため、多くのドラゴンは食事に対する選り好みが激しかったり、まだ見ぬ味に惹かれる美食家だったりするのだ。
例えば、邪悪な竜族の代表格として知られる赤竜(レッド・ドラゴン)が乙女の肉を好み、しばしば生贄を要求するという迷惑な習性もこのためなのである。
ディーキンの方はそんなマルトーの驚きをよそに、食後の紅茶をいただきながら次に何をしたものかと考え始めていた。
食堂の学生たちはおそらくまだ半分も食べていないだろうし、ルイズの食事が終わるまで大分時間がありそうだ。
しばしの思案の後に、これだけ美味しい食事をこれからずっと食べさせてくれるというのだから、そのお礼をちゃんとしておこうと決める。
とはいえ今更代金を払うなどというのは野暮だろうし、バードらしい礼と言えば……。
「ええと、ディーキンはあんたたちに食事のお礼をしたいんだけど。
ディーキンはバードだから、少し時間をもらってよければ、何か芸をお見せするよ」
「ん、ああ……、いや、他の使い魔にも食事は出してるんだ、気にするこたあないぜ。
おめえらの食事の代金もちゃんとここの貴族どもの学費に含まれてるし、俺たちはそこから給料をもらってるんだからよ」
「ンー、けど、そのお金を出してるのはルイズ、……の家の人、だよね。
ディーキンはその人たちのことをまだよく知らないし、自分でも何かお礼をしたいんだよ。
本当にすごくおいしかったし、お世話になって何もしないのは心苦しいからね」
「ははっ、本当にどこまでも行儀のいい奴だな!
亜人に……、ああ、いや、すまねえ……、あんなわがままな貴族のガキどもの使い魔に、しとくのは勿体ねえぜ!」
マルトーは満面に笑みを浮かべながらがしがしとディーキンの頭を撫でた。
「そうだな、お前さんの芸とやらには興味があるし、お言葉に甘えて見せてもらうぜ。
……で、何をしてくれるんだい。コメディーか?」
微笑ましく遠巻きにやりとりを眺めていたシエスタらの従業員も、ディーキンの申し出に興味を惹かれて周囲に集まってくる。
ディーキンは頭を撫でられて目を細めて笑いながら、ちょっと首を傾げた。
「お笑い? いや、お笑いもできるけど……、ディーキンはすごいコボルドのバードなの、この世にある全部の芸ができるよ!
いや、まあ、断言はできないけど……、多分、少しはできるよ。
今のところ、英雄とドラゴンの物語が一番の専門だよ。あと五行詩も好きだけど……、ちょっとウケが悪いんだよね」
ディーキンは実際のところ、《多彩なる芸能者》にして《なんでも屋》であり、極めて優れた【魅力】を持つ超一流のバードだ。
よくやるリュートの演奏や歌唱、詩吟などを始めとして、各種の演劇や舞踏、楽器演奏に、演武だってできる。
当然分野によって技量には大分差があるが、最低限どんな芸能であれ、プロとして人前で披露しても恥ずかしくないレベルでは演じられるはずだ。
その気になれば棒歌ロイドからポールダンスまで、何でもこなして見せる自信はある。
ただ、伝説のスカルドを目指して取り組んでいる五行詩や、あえて音程を外す前衛様式の歌といった一番気に入っているジャンルは、どうもウケが悪い。
本当ならそういったものを披露したいのだが……、多分歓迎されないだろう。
これまでにそれらの芸を高く評価してくれたのはボスとノーム達だけ、というのがディーキンにはいささか不満であった。
そういえばどこぞの異世界にも、ピアノ演奏は上手だが本当に好きなバイオリンの腕は酷評されている、風呂好きな少女がいるという話を聞いた覚えがある。
なお、ノームはコボルドにとっては不倶戴天の宿敵なのだが、ディーキンは寛容で前衛芸術に理解があり、面白い発明品を作る彼らにかなり好意的であった。
それと同じくらいかそれ以上に皆に聞かせて回りたいのが、ボスとの冒険譚であるが……。
今は少し余裕のある時間帯らしいが、きっともう少しすればデザートを配ったり開いた皿を下げて洗うなど、後片付けをしなくてはならないのだろう。
そうなると、冒険譚のような長い話をやる時間は残念ながらなさそうだ。
「ウーン、今回はあんまり時間が無さそうだね。
じゃあ…有名な短い詩歌をディーキンがアレンジしたものを一曲ご披露するよ」
ディーキンは周囲にお辞儀するとリュートを取り出して静かな曲を奏で、それに合わせて歌い始める。
♪
あなたが暗い寒さに震えるとき
たき火にはじける火花を見つめて
瞳があなたを見守っている
吹きつける風の中を歩きながら
オオカミのうなり声を聞いて
歌があなたに届く
あなたが雪の中で迷ったとき
ワシの飛ぶ高い空を見上げて
星はあなたへ輝く
あなたは見放されていない
あなたは忘れられていない
時にのまれることはない
雪に埋もれる事もない
本当の勇者が訪れるまで
世界が暖かくなり神が微笑むまで
私があなたと共にいるから
………
♪
何やらキャンキャンと犬の鳴き声じみた響きの混じった、それ自体はお世辞にも美声とは言えない声だった。
だが、何故か深く優しく、心の奥にまで響いてくるような歌声と、リュートの音色。
所詮子どもの芸と期待もせずに興味本位で微笑ましげに見ていたマルトーらも、始まると魅入られたように一心に聞き入った。
シエスタもまた、驚いた顔でディーキンの歌う姿を見つめていた。
彼女は朝にディーキンの妙な鼻歌を聞いていたので、まあそのようなものだろうと思っていたのだ。
―――そうして、ディーキンが演奏を終えて御辞儀をすると、一瞬の静寂の後に騒々しい拍手喝采が沸き起こった。
そんな周囲の大歓声が予想外だったのかディーキンはしばし戸惑った様子をしていたが、じきに満面の笑みを浮かべて拍手喝采に礼を送って回る。
ちなみに厨房の壁は食堂に調理等の雑音が聞こえないように防音性が高く作られており、食堂の学生たちはこの小さな演奏会に気が付いていない。
皆と共に興奮に顔を赤らめて拍手を送っていたマルトーは、騒ぎが収まってくると今度はやや神妙な顔をしてディーキンと向かい合った。
「……なあ坊主、いやディーキン。
俺はいろいろな貴族の下で働いた、お抱えの音楽家が演奏するところを何度も聞いたし、宮廷音楽家の演奏会に行ったこともあるんだ。
だが、今のお前の演奏はそんなものとは比較にならねえ……、
俺は音楽に関しては素人だが、職人として、そいつははっきりと分かる!
……お前は、すげえ奴だ。正直俺の料理の代金に、お前の演奏は払いすぎってもんだぜ」
ディーキンはマルトーの顔をじっと見上げて少し首を傾げると、リュートをしまいながら真顔で返事を返した。
「ねえ料理長の旦那、いやマルトーさん。
ディーキンはこれまであちこちで歌ったけど、『チビのコボルド』の歌なんて、ろくに聞いてもらえないことがほとんどだったよ。
正しく評価してくれる人のためならディーキンはいくらでも歌うし、代金は気持ち次第で構わないの。
喜んでくれる人のために歌うのがバードだよ。旦那だって、きっと喜んでくれる人のためになら、タダでも食事を作るでしょ?」
これはディーキンの正直な気持ちである。
偏見なく受け入れられ正しく評価してもらえるということだけで望外の報酬、少なくともディーキンはそう思っている。
今回の演奏はあくまでお礼のつもりだったのに、これほど認めてもらえて、一体何の不満があろうか。
それに、彼の料理に自分の歌に見合うだけの価値がないなどともまったく思わない。
短い曲を一曲披露しただけで、銀貨を何枚も支払わなければ口にできないような食事を食べさせてもらって、どうして見合わないなどと思えようか。
「いや、俺にも職人としてのプライドがある。
さっきの演奏を、貴族の残り物なんぞの代金扱いで済ませることはできねえ」
「ウーン……、じゃあ、どうするの?」
「それよ、いいかディーキン、お前がバードとやらなら俺は料理人だ。
もらいすぎた代金は料理で返す!
……明日から楽しみにしてな、お前の演奏に見合うだけの料理を作ってみせるぜ。
お前たちもいいな!『我らの詩人』のために!」
マルトーが呼びかけると、他の従業員たちも嬉しげに返事を唱和した。
「「『我らの詩人』のために!」」
ディーキンはあまりの盛り上がりに一瞬きょとんとしたが、すぐに満面の笑みを浮かべて椅子から立ち上がると周囲に会釈を送った。
「……オオ、いいの?
あんたたちの料理がさっきの歌に見合わないなんて、ディーキンはぜんぜん思わないけど……。
もしもっとすごい料理を作って食べさせてくれるのなら、それはすごく嬉しいよ。期待しておくね!」
遠慮して余り物だけでいいと頼んだが、どうやらルイズが保証した以上に、美味しいものにありつけそうだった。
「アア、でも無理はしないでね、ディーキンは迷惑にはなりたくないよ。
……そういえば、そろそろ仕事はいいの?」
それを聞いて、従業員らがはっと我に返った。
マルトーはディーキンにもう一度礼を言うと慌てて席を立ち、従業員に後片付けの指示を出していく。
シエスタも食堂へデザートを配ったり、空いた皿を下げに行くために、後輩の少女と一緒にあたふたと準備をし始めた。
そんな様子を見て、ディーキンは首を傾げる。
どうやら、予定よりずいぶんと長く歌に付き合わせてしまったらしい。
まあ時間を忘れていた彼らの責任といえばそうだろうが、歌ったのは自分だし、ルイズの食事が終わるまでまだ時間もあるだろうし……。
それにルイズに頼まれていた『雑用を魔法で』という注文に答えるために、考えておいた呪文の運用を試すいい機会でもある。
「ええと、時間が足りないのなら、ディーキンもシエスタたちの仕事を手伝うよ―――」
#navi(Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia)
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