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「ゼロの天使試験-5」(2007/08/08 (水) 20:54:48) の最新版変更点
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ルイズは夢を見た。奇妙な夢だ。
それは幼き頃の夢。実家の屋敷に住んでいた頃の事だった。
魔法の成績が悪いと母に怒られ、必死に逃げ回り、秘密の場所に隠れていた。
そこは屋敷内でも忘れられた場所。誰も近寄る事の無いその場所で、暫くやり過ごそうとしていると。
「泣いているのかい? ルイズ」
最近、近所の領地を相続した年上の貴族に見つかり、ルイズはドキッとした。
晩餐会をよく共にしていて、以前父と彼との間で交わされた約束を思い出すと、余計に胸が熱くなる。
だからこそ、こんな所に隠れているのを見られるのが恥ずかしい。
「子爵さま、いらしてたの?」
尋ねると、彼は自分の父から呼ばれ、例の話をすると言った。更に恥ずかしくなってしまい、彼の帽子の下の顔を見ることも出来ずに俯いてしまう。
「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」
「いえ、そんなことはありませんわ。でも……わたし、まだ小さいし、よくわかりませんわ」
ルイズがはにかんだとき、彼はルイズの気持ちを理解したのか、にっこりと微笑んで手を差し伸べてくれる。その笑顔が、とても眩しかった。
父にとりなしてあげよう、と言う彼の手を掴む。暖かいな、と思った矢先、一陣の風が彼の帽子を吹き飛ばす。
帽子で隠れていた奥の顔は―――
「え?」
懐かしの光景は崩壊した。
景色が変わり、いつの間にかルイズは大きな広場の前にいた。
背丈も幼かった頃のそれではなく、今学院にいるときそのものだった。
トリステインでも珍しい、とても大きな黒い教会。荘厳な空気さえ感じる建物の前で、ルイズは立ち尽くしていた。
地面を埋め尽くすほどの雪が途切れる事無く降り注ぎ、屋根や壁を所々染めていた。余りにも静かで、雪の降る音しか聞こえない。
……黒い教会? そんなものがトリステインにあったのか?
「違う……」
教会だけじゃない。よく見れば違いに気づく、様々な差異があることに。
雪の下から感じる大地は土でもレンガでもない、もっと硬い見知らぬ何かで造られている。周囲に見える建物は殆ど四角い何かで、一つ一つが屋敷の高さ以上が山ほど並んでいる。
そして、空。はらはらと落ちてくる雪の向こうの、煌々と光る月は一つしか見つからない……!
ここは、トリステインでもアルビオンでもそれ以外の知る国でもない、もっと根本的な別の何処かなのか!?
「あ……!」
思考は雪の向こうに見える一つの姿に遮られる。ルイズの知っている人物が、そこには存在した。
遊羽と雛水。知り合ってあまり日にちは経っていないが、それでも知っている顔を見ることが出来れば、安心できたはずだ。
雪の上で、折り重なるようにして倒れていなければ。
彼女達を中心にして、赤が広がっていなければ。
咄嗟に近寄る。夢の中でも幸い足は動いた。
近寄って触れてみたが、彼女達の身体は冷たい。それが冷えから来るものか、死から近づくものか、ルイズには区別がつかなかった。
本当に自分は触っているのか、それすらもはっきりしない。
ピクリとも動く様子は無い。上を向き、瞳を閉じている遊羽の、胸を貫かれたと思われるその傷は深い。背中を向けた雛水のバサリと切られた痕も同様だった。
絶望と混乱がルイズを襲う。何故、いつ、どうしてこんな事に……?
そして、状況の変化が混乱を加速させる。彼女達はやがて光を発し始めたかと思うと、一つ一つが小さな粒子に変化し、月と雪の中へ溶けていく。
ルイズはただ、ひとかけらでも掴もうと手を伸ばす。手を握るが、隙間からほどけていき、逃げていく。
そうして、血の痕だけがそこに何かがいた証明となった。
ルイズは現実に追いつかない思考に暫し呆然となり、そして事実を理解し、それから幾ばくかの時間が経ってから、
「――――――っ!?」
声にならない声で、起きた。
見回す。よかった、いつもどおりの自分の部屋だ。ただの、夢だったのだ。
それにしても嫌な夢だ。初めの方の幸せな光景が、一瞬にして塗りつぶされた。夢とはいえ、縁起の悪い。
「ふう……」
ため息一つ吐き、ベッドから出てカーテンを開ける。朝のさわやかな光に思わず目を細めるが、鬱屈した気分が洗われる感じがした。
今日は休みの日。思わず少し寝すぎていたようだ。
遊羽を呼ぼうとし、部屋にいないなと見回して、思い出した。
そういえば―――
********************
「君には、これでも感謝しているのだよ」
ギーシュが薔薇を振るう。青銅製の人型ゴーレム・ワルキューレが剣を振るう。対する黒いゴスロリ少女はさびた剣を持ち、いつもの能天気顔とはうって変わったまじめなそれで必死に剣を受け止めていた。
そして、少し離れた場所でハラハラしながら見守っているシエスタ。
「セリフと今やってる事、全然違うけどね」
「相棒! 右だ! しゃべってる暇ねーぞ!」
「ん! ……と!」
遊羽に雛水がとりあえず教え込んだのは剣の持ち方と、基礎体力と、どうやって相手の攻撃を受け流して逃げのびるか。
完全な素人である遊羽が幾ら身体能力が上がったとはいえ、敵を倒すのを求めるのは無謀に尽きる。それならば、いっそ身体能力と喋る剣が教える事での防御、回避に集中させる事にした。
元々、飛行可能な雛水の、天空から繰り出す剣技に合わなかったというのもあれば、今更ながら遊羽に人殺しをさせたくないという甘い考えもあったが。
「あれからちゃんと、しーちゃんに謝ったの?」
「無論だとも。あの時はどうかしていたのだろうね、こんな美少女に」
「それなら、っと! いいんだけど」
雛水は情報収集の役目もあるため、ずっと付き合っていられない。そんな時は今のように、ギーシュやキュルケ、めったに無いがタバサに、この広い中庭で訓練相手に付き合ってもらっている。
まだまだギーシュのワルキューレの1対1に苦労する様子なので、まだまだであるとはいえるが。
「ふう……もうこんな時間か。休もうか」
「ぜえ、ぜえ……さんせーい」
「お茶ありますよ。どうぞ、遊羽さん、ミスタ・グラモン」
ひと心地ついて草むらに座る二人に、かばんを持ってきたシエスタも座る。
あんな事があったというのに、シエスタは特に意識する事無く自然にギーシュの隣に座り、笑顔でカップを渡す。どうやら本当に謝り、わだかまりは解けたらしい。
「ふう……ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」「何だい?」
「しーちゃんとギーシュの、幸せって思うことは何?」
「幸せですか……私は」
目をつぶり、何かを思い描くように胸に手を当てるシエスタ。
「そんなに多くは望みませんが……好きな人と結婚して、小さな家に住んで」
「なるほどねえ、やっぱりその方向か」
「あと、子供は最低二人いて、犬を飼ってて、それで……」
「…………。
えと、ギーシュは?」
妄想に差し掛かってきたシエスタについていけず、仕方なくスルーしてギーシュへと問う。
「勿論、僕はみんなを幸せにする事さ!」
「みんなを?」
「そう! 薔薇は、多くの人を楽しませる為に咲いている! 僕もまた、一人でも多くの女性を楽しませ―――」
それ以上遊羽は聞いていなかった。どこからか奇妙な色をした小瓶が飛んできて、ふたが開いたのを目撃したからだ。
恐らくどこかでモンモランシーが隠れていて、会話を聞いて放り投げてきたのだろう。
前にこれの匂いをかいで色々大変な目にあった。具体的に言えば朝だったはずが気がついたら夕方だったり。
デルフを握りなおし、ルーンの力で全力で逃亡する。疲れているはずだったのに、訓練中でも見せないほどの動きを発揮し、まだ妄想中のシエスタと自慢中のギーシュを放置してダッシュ。
(ごめんね、二人とも……お星様になって、見守っていてね)
勿論死んではいない。
********************
朝食を終わらせてルイズが歩いていると、見たこともないメガネの女性から挨拶された。
「おはようございます、ルイズ」
「あ、おはよう……誰?」
「? ……ああ、メガネですね。私です、雛水」
ルイズが何故か女教師のイメージを抱く、鋭いメガネを外すと、いつもの雛水の顔が現れた。よく見れば白いゴスロリも大きな羽根も声も同じなのに、顔だけ見て全然気づかなかった。
「どこ行ってたの?」
「図書室へ。メガネは、本を読むときに必要なのです」
「あれ、こっちの字は読めるの?」
「タバサという青い髪の少女に基礎を教えてもらいました。後は法則性を読めば読めるものです」
何となく、遊羽が言っていた、「ヒナは凄いのよ」という意味の一端が分かった気がする。普通の人間は基礎だけからそんな事はしない。いや、人間じゃないのか。
「ちょうどいいところでした、ルイズ。大事な話があるのです」
「大事な話?」
「はい。出来れば……遊羽には、聞かせたくない」
友人にも聞かせたくない話、それは何だろう?
ルイズは聞くことを了承したものの、苦虫を噛み砕くような雛水の顔に、覚悟を決めざるを得なかった。
やがて、人気が少ない場所に移ったところで、二人は向かい合う。
いつも遊羽を友人として、また先輩として見守る暖かい視線はなりを潜め、ただ感情を殺したそれに変わっていた。
「初めに、ルイズには覚悟していてほしいのです。対象者としても、それ以外としても」
覚悟の二文字に、ルイズは手を握り締める。何故だろう、今朝後半に見た夢を、思い出してしまうのは……。
「見習い天使が、何故1ヶ月しか地上にいないか分かりますか?」
「試験期間が終われば、帰るからじゃないの?」
遊羽から聞いたその答えに、雛水は確かにそうですが、違いますと首を振る。
「実は、試験終了後も地上に残れるのです。今までそんな受験者も何人もいました。
しかし―――全てが、程無くして死にました」
死ぬ。あの夢が、にわかに現実味を帯びて来る。
だがあれは、突き傷や刀傷では無かったか?
「どうやって死ぬの?」
「不明です。天使は死体を残さないので、調べようが無いのです。死んだと言うのも、上がってくる報告例からそう判断しているだけです。
天使の死後は、肉体はエーテルに還り、魂は天使もしくは別の生命に生まれ変わります」
死体を残さず、エーテルに還る。これも、夢と同じだ。
「兆候は、羽根が真っ黒になります。そして、全身に痛みが走るそうです。症例は、見習い天使のみに確認されています。
詳しい事は、天界でも情報が無いので……」
夢の中で、彼女達の羽根はどうだったろう? 混乱していて、あまり覚えていない。
とにかく、私のすべき事は、遊羽を必ず帰すと、引き止めさせないと約束する事なのか。遊羽は、残ると言うと判断しているのか?
「違います。……遊羽の言う通りですね、顔によく出ます」
そんなに出るのか。そんなに分かりやすいか。
「帰れるならいいのです。……つまりは、帰る手段が現在ありません」
「それじゃ、遊羽は……」
「現在、座して死を待つ他、道はありません。治療法は、天界にあるかどうか」
その言葉を聞いて、心臓がズキンと、大きな手に握り締められたように苦しくなった。不治の病の患者を持った家族の気持ち、なのかも知れない。
初めは一ヶ月しかいないだけの、ただの使い魔と思っていたのに、いつの間にか仲良くなって、友達みたいな家族みたいな存在になって。
だから、そんな彼女が黙って死ぬしかないなんて、それを見届ける事しか出来なくて。
そんな無力感や、寂しさが、今の苦しみに変わっているのか。
なら、私は何が出来る? 何をすればいい?
「見守っていて、くれませんか。遊羽には、内緒で」
「それだけで、いいの?」
「こんな世界です。いつ私がいなくなるかも、予想は出来ません。
ですから……私がいなくなった時のために、遊羽の事を、覚えていてください。能天気で、明るい天使見習いがいた事を。
別れる時に、生きていても、死んでいても」
重い、とても重い願いだ。一人の人間の全力の願いと、一人の人間の存在の全てを背負う。そんな事は、今まで生きてきて一度も無い。
それでも私は、逃げるわけには行かない。貴族だからとか、主だからとか対象者だからとか、そんなんじゃなくて。
ただ、ここで逃げたら負けだと思ったから。意地でも最後まで見届けてやるって、そう思ったから。
同時に、いつも『ゼロ』といわれていた私が、こんな重い信頼を受けたのが嬉しくて誇らしくて。
「分かったわ、任せなさい!」
胸を張って、宣言した。
ルイズは夢を見た。奇妙な夢だ。
それは幼き頃の夢。実家の屋敷に住んでいた頃の事だった。
魔法の成績が悪いと母に怒られ、必死に逃げ回り、秘密の場所に隠れていた。
そこは屋敷内でも忘れられた場所。誰も近寄る事の無いその場所で、暫くやり過ごそうとしていると。
「泣いているのかい? ルイズ」
最近、近所の領地を相続した年上の貴族に見つかり、ルイズはドキッとした。
晩餐会をよく共にしていて、以前父と彼との間で交わされた約束を思い出すと、余計に胸が熱くなる。
だからこそ、こんな所に隠れているのを見られるのが恥ずかしい。
「子爵さま、いらしてたの?」
尋ねると、彼は自分の父から呼ばれ、例の話をすると言った。更に恥ずかしくなってしまい、彼の帽子の下の顔を見ることも出来ずに俯いてしまう。
「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」
「いえ、そんなことはありませんわ。でも……わたし、まだ小さいし、よくわかりませんわ」
ルイズがはにかんだとき、彼はルイズの気持ちを理解したのか、にっこりと微笑んで手を差し伸べてくれる。その笑顔が、とても眩しかった。
父にとりなしてあげよう、と言う彼の手を掴む。暖かいな、と思った矢先、一陣の風が彼の帽子を吹き飛ばす。
帽子で隠れていた奥の顔は―――
「え?」
懐かしの光景は崩壊した。
景色が変わり、いつの間にかルイズは大きな広場の前にいた。
背丈も幼かった頃のそれではなく、今学院にいるときそのものだった。
トリステインでも珍しい、とても大きな黒い教会。荘厳な空気さえ感じる建物の前で、ルイズは立ち尽くしていた。
地面を埋め尽くすほどの雪が途切れる事無く降り注ぎ、屋根や壁を所々染めていた。余りにも静かで、雪の降る音しか聞こえない。
……黒い教会? そんなものがトリステインにあったのか?
「違う……」
教会だけじゃない。よく見れば違いに気づく、様々な差異があることに。
雪の下から感じる大地は土でもレンガでもない、もっと硬い見知らぬ何かで造られている。周囲に見える建物は殆ど四角い何かで、一つ一つが屋敷の高さ以上が山ほど並んでいる。
そして、空。はらはらと落ちてくる雪の向こうの、煌々と光る月は一つしか見つからない……!
ここは、トリステインでもアルビオンでもそれ以外の知る国でもない、もっと根本的な別の何処かなのか!?
「あ……!」
思考は雪の向こうに見える一つの姿に遮られる。ルイズの知っている人物が、そこには存在した。
遊羽と雛水。知り合ってあまり日にちは経っていないが、それでも知っている顔を見ることが出来れば、安心できたはずだ。
雪の上で、折り重なるようにして倒れていなければ。
彼女達を中心にして、赤が広がっていなければ。
咄嗟に近寄る。夢の中でも幸い足は動いた。
近寄って触れてみたが、彼女達の身体は冷たい。それが冷えから来るものか、死から近づくものか、ルイズには区別がつかなかった。
本当に自分は触っているのか、それすらもはっきりしない。
ピクリとも動く様子は無い。上を向き、瞳を閉じている遊羽の、胸を貫かれたと思われるその傷は深い。背中を向けた雛水のバサリと切られた痕も同様だった。
絶望と混乱がルイズを襲う。何故、いつ、どうしてこんな事に……?
そして、状況の変化が混乱を加速させる。彼女達はやがて光を発し始めたかと思うと、一つ一つが小さな粒子に変化し、月と雪の中へ溶けていく。
ルイズはただ、ひとかけらでも掴もうと手を伸ばす。手を握るが、隙間からほどけていき、逃げていく。
そうして、血の痕だけがそこに何かがいた証明となった。
ルイズは現実に追いつかない思考に暫し呆然となり、そして事実を理解し、それから幾ばくかの時間が経ってから、
「――――――っ!?」
声にならない声で、起きた。
見回す。よかった、いつもどおりの自分の部屋だ。ただの、夢だったのだ。
それにしても嫌な夢だ。初めの方の幸せな光景が、一瞬にして塗りつぶされた。夢とはいえ、縁起の悪い。
「ふう……」
ため息一つ吐き、ベッドから出てカーテンを開ける。朝のさわやかな光に思わず目を細めるが、鬱屈した気分が洗われる感じがした。
今日は休みの日。思わず少し寝すぎていたようだ。
遊羽を呼ぼうとし、部屋にいないなと見回して、思い出した。
そういえば―――
********************
「君には、これでも感謝しているのだよ」
ギーシュが薔薇を振るう。青銅製の人型ゴーレム・ワルキューレが剣を振るう。対する黒いゴスロリ少女はさびた剣を持ち、いつもの能天気顔とはうって変わったまじめなそれで必死に剣を受け止めていた。
そして、少し離れた場所でハラハラしながら見守っているシエスタ。
「セリフと今やってる事、全然違うけどね」
「相棒! 右だ! しゃべってる暇ねーぞ!」
「ん! ……と!」
遊羽に雛水がとりあえず教え込んだのは剣の持ち方と、基礎体力と、どうやって相手の攻撃を受け流して逃げのびるか。
完全な素人である遊羽が幾ら身体能力が上がったとはいえ、敵を倒すのを求めるのは無謀に尽きる。それならば、いっそ身体能力と喋る剣が教える事での防御、回避に集中させる事にした。
元々、飛行可能な雛水の、天空から繰り出す剣技に合わなかったというのもあれば、今更ながら遊羽に人殺しをさせたくないという甘い考えもあったが。
「あれからちゃんと、しーちゃんに謝ったの?」
「無論だとも。あの時はどうかしていたのだろうね、こんな美少女に」
「それなら、っと! いいんだけど」
雛水は情報収集の役目もあるため、ずっと付き合っていられない。そんな時は今のように、ギーシュやキュルケ、めったに無いがタバサに、この広い中庭で訓練相手に付き合ってもらっている。
まだまだギーシュのワルキューレの1対1に苦労する様子なので、まだまだであるとはいえるが。
「ふう……もうこんな時間か。休もうか」
「ぜえ、ぜえ……さんせーい」
「お茶ありますよ。どうぞ、遊羽さん、ミスタ・グラモン」
ひと心地ついて草むらに座る二人に、かばんを持ってきたシエスタも座る。
あんな事があったというのに、シエスタは特に意識する事無く自然にギーシュの隣に座り、笑顔でカップを渡す。どうやら本当に謝り、わだかまりは解けたらしい。
「ふう……ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「何ですか?」「何だい?」
「しーちゃんとギーシュの、幸せって思うことは何?」
「幸せですか……私は」
目をつぶり、何かを思い描くように胸に手を当てるシエスタ。
「そんなに多くは望みませんが……好きな人と結婚して、小さな家に住んで」
「なるほどねえ、やっぱりその方向か」
「あと、子供は最低二人いて、犬を飼ってて、それで……」
「…………。
えと、ギーシュは?」
妄想に差し掛かってきたシエスタについていけず、仕方なくスルーしてギーシュへと問う。
「勿論、僕はみんなを幸せにする事さ!」
「みんなを?」
「そう! 薔薇は、多くの人を楽しませる為に咲いている! 僕もまた、一人でも多くの女性を楽しませ―――」
それ以上遊羽は聞いていなかった。どこからか奇妙な色をした小瓶が飛んできて、ふたが開いたのを目撃したからだ。
恐らくどこかでモンモランシーが隠れていて、会話を聞いて放り投げてきたのだろう。
前にこれの匂いをかいで色々大変な目にあった。具体的に言えば朝だったはずが気がついたら夕方だったり。
デルフを握りなおし、ルーンの力で全力で逃亡する。疲れているはずだったのに、訓練中でも見せないほどの動きを発揮し、まだ妄想中のシエスタと自慢中のギーシュを放置してダッシュ。
(ごめんね、二人とも……お星様になって、見守っていてね)
勿論死んではいない。
********************
朝食を終わらせてルイズが歩いていると、見たこともないメガネの女性から挨拶された。
「おはようございます、ルイズ」
「あ、おはよう……誰?」
「? ……ああ、メガネですね。私です、雛水」
ルイズが何故か女教師のイメージを抱く、鋭いメガネを外すと、いつもの雛水の顔が現れた。よく見れば白いゴスロリも大きな羽根も声も同じなのに、顔だけ見て全然気づかなかった。
「どこ行ってたの?」
「図書室へ。メガネは、本を読むときに必要なのです」
「あれ、こっちの字は読めるの?」
「タバサという青い髪の少女に基礎を教えてもらいました。後は法則性を読めば読めるものです」
何となく、遊羽が言っていた、「ヒナは凄いのよ」という意味の一端が分かった気がする。普通の人間は基礎だけからそんな事はしない。いや、人間じゃないのか。
「ちょうどいいところでした、ルイズ。大事な話があるのです」
「大事な話?」
「はい。出来れば……遊羽には、聞かせたくない」
友人にも聞かせたくない話、それは何だろう?
ルイズは聞くことを了承したものの、苦虫を噛み砕くような雛水の顔に、覚悟を決めざるを得なかった。
やがて、人気が少ない場所に移ったところで、二人は向かい合う。
いつも遊羽を友人として、また先輩として見守る暖かい視線はなりを潜め、ただ感情を殺したそれに変わっていた。
「初めに、ルイズには覚悟していてほしいのです。対象者としても、それ以外としても」
覚悟の二文字に、ルイズは手を握り締める。何故だろう、今朝後半に見た夢を、思い出してしまうのは……。
「見習い天使が、何故1ヶ月しか地上にいないか分かりますか?」
「試験期間が終われば、帰るからじゃないの?」
遊羽から聞いたその答えに、雛水は確かにそうですが、違いますと首を振る。
「実は、試験終了後も地上に残れるのです。今までそんな受験者も何人もいました。
しかし―――全てが、程無くして死にました」
死ぬ。あの夢が、にわかに現実味を帯びて来る。
だがあれは、突き傷や刀傷では無かったか?
「どうやって死ぬの?」
「不明です。天使は死体を残さないので、調べようが無いのです。死んだと言うのも、上がってくる報告例からそう判断しているだけです。
天使の死後は、肉体はエーテルに還り、魂は天使もしくは別の生命に生まれ変わります」
死体を残さず、エーテルに還る。これも、夢と同じだ。
「兆候は、羽根が真っ黒になります。そして、全身に痛みが走るそうです。症例は、見習い天使のみに確認されています。
詳しい事は、天界でも情報が無いので……」
夢の中で、彼女達の羽根はどうだったろう? 混乱していて、あまり覚えていない。
とにかく、私のすべき事は、遊羽を必ず帰すと、引き止めさせないと約束する事なのか。遊羽は、残ると言うと判断しているのか?
「違います。……遊羽の言う通りですね、顔によく出ます」
そんなに出るのか。そんなに分かりやすいか。
「帰れるならいいのです。……つまりは、帰る手段が現在ありません」
「それじゃ、遊羽は……」
「現在、座して死を待つ他、道はありません。治療法は、天界にあるかどうか」
その言葉を聞いて、心臓がズキンと、大きな手に握り締められたように苦しくなった。不治の病の患者を持った家族の気持ち、なのかも知れない。
初めは一ヶ月しかいないだけの、ただの使い魔と思っていたのに、いつの間にか仲良くなって、友達みたいな家族みたいな存在になって。
だから、そんな彼女が黙って死ぬしかないなんて、それを見届ける事しか出来なくて。
そんな無力感や、寂しさが、今の苦しみに変わっているのか。
なら、私は何が出来る? 何をすればいい?
「見守っていて、くれませんか。遊羽には、内緒で」
「それだけで、いいの?」
「こんな世界です。いつ私がいなくなるかも、予想は出来ません。
ですから……私がいなくなった時のために、遊羽の事を、覚えていてください。能天気で、明るい天使見習いがいた事を。
別れる時に、生きていても、死んでいても」
重い、とても重い願いだ。一人の人間の全力の願いと、一人の人間の存在の全てを背負う。そんな事は、今まで生きてきて一度も無い。
それでも私は、逃げるわけには行かない。貴族だからとか、主だからとか対象者だからとか、そんなんじゃなくて。
ただ、ここで逃げたら負けだと思ったから。意地でも最後まで見届けてやるって、そう思ったから。
同時に、いつも『ゼロ』といわれていた私が、こんな重い信頼を受けたのが嬉しくて誇らしくて。
「分かったわ、任せなさい!」
胸を張って、宣言した。
********************
そこは、厳格で重厚な空間だった。何の意志も無い者が紛れ込めば、居るだけで押し潰される様な空間。
円形の床に天高く、いや天井も空すらも窺う事が出来ない程高い吹き抜けと内壁。その空気を作り出すのはその部屋自体では無く、床から伸びる12本の柱の遥か先に座る、12の人影だった。
「今回の天使試験もまた、残留者が出るのか」
光差さぬその場所で、人影の顔と姿は分からない。だか聞こえた声は、それぞれがそれぞれ老獪なものを連想された。
「イレギュラーにつき比較的早く試験を中止したが、1名の受験者ならびに、その監督官と交信できぬそうだ」
「1ヶ月も近い。もしや……既に『知って』しまったのでは無いだろうな?」
「何処の世界にいるかは、分からぬのか?」
「それは判明した。地球……いや『ハルケギニア』か。戦乱が発生しやすい危険な世界らしい……有り得ん話では無いな」
「地上と天界のゲートはまだ2週間程かかるが、ようやく交信は届くとの事だ」
「ふむ……分かった。どうする?」
一人が、聞くべき事は全て聞いたとばかりに話を打ち切り、問い掛ける。その問いすらも予定調和であるように、全員が一言の反論も質問も無く頷く。
「例えイレギュラーであろうとも、予定通りに万難は排する方向で行く。我は大天使雛水に帰還方法を指示する。ゲートを開く場所は後に知らせる。
そして……奴等を待機させておけ」
********************
「レゥより話は聞いておる。いつも遊んでくれているそうだね」
最近始まった訓練の合間に食堂で食事を取っていたある日、遊羽は同じく食堂に来たコルベールから「少し話があるのだが、いいかね?」と誘われ、コルベールの研究室にいた。
部屋とも言いにくい、中も外もボロい堀っ建て小屋だった。
「あ、うん。レゥレゥとあたし、友達だし」
レゥとは、つい最近学院内で姿が見られる少女であった。
人間には存在しない銀髪を持つ事から、メイジでも平民でも使い魔でもない何かが学院をうろついている、と当初は噂が立っていたが、身元保証人となっているコルベールが特に隠す気も無かったのか、正体がはっきりするにつれ噂は噂止まりとなった。
なお、試験や訓練の為に学院の様々な場所をうろついていた遊羽がレゥと遭遇し、友人となったいきさつは此処では割愛する。
「これからも、仲良くして欲しい。紅茶だが、いるかね?」
「え、遠慮します……」
ほこりかカビか分からない匂いのする、ゴミか何か分からない物がわんさかある空間で、木の棚から出されたビーカーに入れた液体を飲める程、遊羽は冒険家では無かった。
「そうかね?ならいいが……」
幾分残念そうに、自分で湯気がたってその茶を口につける。
何か間違ってる気がしないでもない。
「こるべーるさん、レゥは?」
「ふむ、すまないが外で遊んでおいてくれないかね?
話が終わったら、呼びに行こう」
「はーい!」
銀髪のツインテールをした、レゥと呼ばれた少女は、無垢な子供の様に素直に部屋を出て行った。
二人になり、暫し沈黙が支配する。
だがそれほど長くは続かず、ほんの小休止だったと言わんばかりに、コルベールが先に口を開いた。
「君の事を、教えてくれないかね?
最初に召喚された時には気付かなかったが、後々ディテクトマジック―――ものを調べる魔法と思ってくれるといい―――を使った時、ただの人間とは違う反応が見えた。
教えてくれる範囲でいい―――背中の白いものを含めて」
「見えるの?」
「ぼんやりとだがね。その反応は、見える者が限られるという事か。教えては……くれないかね?」
言わないのは言っても信じてもらえないだろうからで、特に隠す理由は無い。遊羽は対象者に話せる範囲で、説明をした。
天使見習い。試験と対象者。期間。それらを話した後も、別段コルベールには軽い驚き以外のものは無かった。むしろ何故人間じゃないかの納得が上回っていた。
「ありがとう。非常に珍しい体験だった。まさか実在する天使を、目の当たりにする時が来ようとはね。
じゃあ、次は私が質問に答えよう。何か聞くことはあるかね?」
「うーん、急に言われても分かんないわね……」
「例えば、左手のルーンについてはどうかね?」
「あんまり聞いても仕方ないかも。あ、1つあったわ」
「何かね?」
少し思惑が外れたように、肩をすくめて尋ねる。
「レゥレゥって、コルベールさんの何?」
その問いに、あからさまにコルベールは苦しい顔をした。皮肉にも、その顔は聖なる存在や神父に懺悔をするべきか迷う姿だった。
「レゥレゥって、見るからに銀髪じゃない? なのにコルベールさんって、ハゲてるけど残った髪の色、違うじゃない?」
「はっきりハゲと言うね……単なる預かり人と預かられ人だね。
初めて見た時、彼女はボロボロで破れかけの薄い衣服だけで、取れた片腕を持ち、意識も薄弱だった。彼女になにが起こったのか分からないが、余程酷い何かに巻き込まれたのだろう。
保護したところ、記憶、名前すらも無かった。姿、いや髪を見るだけで、まともな人間じゃ無いのは分かるだろう。
銀髪など、生の髪は存在しない。まるで何も知らぬ赤子のように、心は純粋な子供のそれだった。初めは取りあえずのつもりで保護し、治療し、そしてそのままと言う関係だ。
後に自分の名前と、『兄』がいるらしいと分かったが、それ以外はさっぱりだ。だから、私は彼女が帰れるようになるまで預かっているに過ぎない。それだけだ」
話し終え、コルベールはビーカー内に残った液体を一気に飲み干す。
そんなに時間は経っていなかった筈だが、入れた時はたっていた紅茶の湯気は、とうに無くなっていた。
「そう、なんだ」
「話は終わりかね? まだ聞きたいことがあれば答えましょう」
「うん、もういいよ」
「そうか。試験期間の間、この学院でゆっくり、いろいろ学んでいくといい。
生徒だろうとその使い魔だろうと、学院にいるのは皆私の教え子だ」
「うん、ありがと」
その後何となく取りとめも無い話をして、二人は時間が随分経っていた事に気づいた。
「おや、もうこんな時間だね。すまないが、レゥを迎えに行ってくれるかな。
首を長くして待っているでしょう」
「オーケイ、任せて」
緊迫したような重苦しいような空気は既に霧散し、当初のほこりとカビくさいそれへと戻った部屋から、遊羽は頼みを受けて出て行く。
が、客が去ってもコルベールは動かず、目を閉じて物思いにふけながら呟いた。
「私は昔、罪を犯した。レゥを預かっているのは私の償いであり、エゴだ。
それでも、こんな私がヒトを一人でも助けたいと思うのは、許されない事だろうか?」
机の引き出しを開く。赤いルビーが入っているのを確認し、閉じた。
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「ルイズ、頼みがあります。私に、暇を下さい」
夜も更け、寝る間際。ルイズは雛水の突然の暇請いに、驚き過ぎて座っていたベッドから床に落ちた。
「痛い……」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫よこれくらい……じゃなくて! 暇って突然どういう事!?」
ぶつけた頭を押さえ、涙目で食ってかかるルイズを、夜中ですからお静かにと制して雛水が口を開く。
「昨日、あんな事を言ったばかりですが、帰れる目処がつきました」
「かえ、れる……?」
「天界の元老院―――地上の国王達の集まりのようなものです―――から、やっと指示が届きました」
「……」
「どうしました?」
「あっ、ん……続けて」
「一週間後以降に環境を整えておく故、準備が出来たのち、アルビオンという国にてゲートを開け、と」
「二つ、いい? どうしてここトリステインではなく、アルビオンなの?」
「さぁ、分かりません。アルビオンに行けば、分かると」
「あと、そのゲートって、こっちから開けるの?」
「大天使以上なら、普通は開けます。今までの状況が異常だっただけで」
後、何か話していた気がするが、ルイズの耳には入っていなかった。
時期はもうすぐ一か月、問題はない。だが……どうしてこんなに、不安が襲うのだろう?
何か、彼女達を帰しては行けない気がする。帰してしまうと、取り返しのつかない何かが……。
それに、時期にしても何か都合が良過ぎる気がする。場所も怪しい。アルビオンに神とか聖地とかそういうものがあるとは、聞いたことが無い。
だがそれを理由だと言って引き止めるのは、寂しがっていると思われるかもしれない。それは恥ずかしい。
素直になれないルイズは、「……そう、良かったわね」とだけ何とか口に出した。
「それで、使い魔の契約はどうなるの?」
「ゲートを通る際に、魔法の類いはディスペルされると言っていました。次の使い魔召喚に、問題は無いでしょう」
帰る。その二文字が頭を跳ね回る。遊羽が助かる道が出来たというのに、それを素直に受け取れない自分がいた。
人間と天使、古来より、永遠にそばにいるのは叶わぬ存在。それが自分の身には起こらぬと、誰が決めた?
(だけど……)
約束した。決めたから。見届けると。
だから、行こう。別れのその時まで、誇らしくあろう。
「私もついていくわ」
「ルイズも!? しかし……学院があります」
「別に今日明日発つ訳じゃないんでしょ? 数日中にオールド・オスマンに長期外出許可を申請するわ。
それに……約束したしね。最後まで見届けるって」
「ルイズ……ありがとうございます」
「そうと決まれば、早く寝るわよ! 明日から準備するんだから」
「はい、おやすみなさい、ルイズ」
「おやすみ、ヒナミナ」
「……ユンは?」
「色々友達を作り、そこで泊まっているそうです。社交的ですから」
「そ、無事ならいいわ」
『第二部 ワルドとアルビオン編~想い出にかわる君~』
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