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「消えそうな命、二つ-09」(2010/10/01 (金) 11:13:35) の最新版変更点
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#navi(消えそうな命、二つ)
気づけば、昼も半分過ぎていた。
窓から、温かな日差しとともにチ、チ、チ、と鳥の鳴き声が降り注ぎ、カトレアの部屋にいる動物
たちは各々適当な場所に寝転がり、のびのびと日向ぼっこに興じていた。部屋の主であるカトレア
は椅子に腰かけ、のんびりと本を読んでいる。朝から咳は出ておらず、今日の体調は上々だった。
膝の上には子猫や子犬が体を丸くして、気持ち良さそうに寝転んでいた。
……実は本を読んでいる、というより『待ち人』が来るのを待っていて、その暇つぶしとして本を
読んでいる。というのが本当なのだが、ドアの向こう側のドタバタ慌ただしい気配から察するに、
『待たせ人』がここに来るのは中々遅くなるかもしれなかった。
ぱら、と本をめくった時、窓側から2回、硬いものを軽く小突く音が聞こえた。窓に視線を向ける。
そこにいたのは一羽、どこにでもいそうな小鳥であったが、カトレアには覚えがあった。少しばか
り前に庭先でぐったりしているのを見つけて拾い、いつものように助けた子だった。数日前に元気
になったので鳥籠から出して上げたのだが、帰ってこないので戻るべき場所に帰ったのだと思って
いた。
おそらく、カトレアが自分を見たことに気づいたのだろう小鳥は。さっきより短い間隔で、短いく
ちばしを窓にコッコッと当てた。鍵は閉めてないものの、小鳥の力で窓を開けるのは無理である。
膝の上の小動物たちを、起こさないように気をつけながらベッドに降ろし、とたとたと小走りで音
源へと近寄った。カトレアの接近に合わせて、小鳥はノックするのを辞めた。小鳥のくせに、結構
かしこいものである。窓を開いて小鳥を掌に誘うと、小鳥はぴょんと一跳ねして、素直に飛び乗っ
た。
「ふふ、随分元気になったみたいね……あら?」
間近でよく見れば、小鳥の左羽は少し傷ついていた。引っかき傷のように赤い線となっているそれ
は、飛んでいる最中に木の枝にでも引っ掛けたのだろう。飛べない傷ではないだろうが、痛みを感
じないような些細な傷とも言い難い。なのに、小鳥はまるで傷などないかのように、平然としてい
るどころか、しきりに首を動かしてはチ、チ、チ、と鳴き、まるで後ろにいる何かに合図を送って
いるようだった。不思議に思ったカトレアがさらに一歩。窓から上半身を乗り出すように踏み出す。
見渡す限りでは誰もいない。
その時ふと、カトレアの体を覆うように影が頭上から落ちてきた。下る影とは逆に、視線が上がる。
太陽とカトレアを結ぶ直線上の空に浮いて立つ彼の姿を見たとき、そして、カトレアは微笑んだ。
「ごめんなさいカトレアさん。少し……道に迷ってました」
「あらあら、困った人ですわ」
予想以上に早く待ち人来たるカトレアは、照れくさそうに苦笑いを零す悟飯を部屋の中へ招き入れ
た。カトレアの手の中の鳥が、チッ、チッ、チッ。と嬉しそうに鳴いた。
消えそうな命、二つ 其の九:長女エレオノール
「――で、戻ろうとしたんですけどその……この家の敷地が広すぎて……」
「迷っちゃったのね」
「……そういうことです」
カトレアが椅子に腰かけ、悟飯は対面するように立って、事情を説明する。自分の不注意ではぐれ
てしまった挙句、道に迷ってしまったことが恥ずかしいのか、実際恥ずかしいのだろう。悟飯は頬
をわずかに赤らめて、俯き加減にカトレアを見ている。カトレアはそんな悟飯を見て嘲笑するでも
なく、自然と膝の上に寄り添ってきた小動物の背を撫でながら、「まぁ、まぁ」とのんびり慌てて
見せた。
「でも……間違ってたらごめんなさい。でもゴハンは“キ”で私がどこにいるか、手に取るように分
かるんじゃなかったかしら?」
以前悟飯から聞いた話を思い出し、その食い違いにカトレアは首をかしげた。悟飯が顔をあげて、
申し訳なさそうに答えた。
「カトレアさんの気は、小さくて不安定なんです。気は、大きさによって感じ取れる情報量が全然違
います。オレみたいに大きい気ならすぐ見つけられるんですが、カトレアさんの気となると、よっ
ぽど集中してないと見つけるのは難しいんですよ……」
「そうだったの。わたし、勘違いしてたのね」
本当は集中していても、元々が低すぎる相手だった場合、相手側に何らかのアクションがない場合
は気を読むことは不可能に近い。ましてやこの部屋の外はつい先ほどから喧騒の最中である。さま
ざまな気が入り混じって、その中から微弱なカトレアの気を探すのは気を集中させる苦労が並みで
はない。
だが、悟飯はカトレアのせいだとは言わなかった。
「いえ。オレがまだまだ未熟なだけです」
笑顔ではあったが、自虐に近い笑みだった。悟飯の視線が外れた一瞬。同時に、対するカトレアの
顔から笑みが消えた。彼はまた、自分を戒めている。遠くの、自分ではない誰かに謝っているよう
な。本当に刹那だったが、悟飯の纏う空気が静かに重い。動物たちの声も、ドアから微量に入って
くる外のせわしない騒音も、その瞬間だけピタリと止んだように、カトレアと、おそらく悟飯には
思えただろう。
「……どうしようか悩んでいるときに、この子を見つけたんです。怪我をしてるせいか道端でグッタ
リしてたから、オレの気を少しだけ分けてあげました。そしたらこの子が「付いてきて」、って言
ってる気がして……」
「じゃあ、ゴハンがキを分けてあげたから。あの子、あんなに元気なのかしら?」
二人が同じものを見つめる。天井から下げられた無数の鳥籠。そのひとつに、あの小鳥はいた。チ、
チ、チ、とリズムよく鳴いていて、傍から見るとまるで元気に歌でも歌っているように見える。左
羽の傷には傷薬が塗られ包帯が巻かれていた。カトレアが悟飯を部屋に入れた後、治療したのだ。
悟飯は言った。
「ええ、一応、そういうことになります。気は、え~っと。なんていうか、その。体の中にある隠さ
れたエネルギーというかパワー……とでも言えばいいのかな? とにかくそういうもので」
「気を分けることで体力は回復するけど、傷を治すことはできない、ヒーリングとは違うわね。……
悟飯は空を飛ぶときも、そのキを使っているの?」
「ええ、そうですよ」
「呪文も唱えずに、使えるものなのね」
カトレアは悟飯に向かって、空手で杖を降る真似をした。膝の上の一匹の子猫があくびを漏らす。
当然だが、それ以外はなにも起きなかった。
「気の使用に呪文なんて必要ありませんよ。気は誰にでもあるものですから、ちょっと難しいですけ
どコントロールさえできるようになれば、誰だって武空術は使えるとおもいます」
「あれはブクウジュツっていうのね。不思議な響きだわ」
聞きなれない言葉に片言になりながら、胸の前で手を組み合わせた。それを見て、悟飯はふふっと
笑った。
「じゃあ、わたしにもできるかもしれないわね」
「できますよ、きっと。なんならオレが教えて……」
悟飯の言葉をかき消して、ドアが乱暴に叩かれた。動物たちが騒音に目覚めて飛び跳ねる。続け様
に、また2回打ち鳴らされた。今度はメイドの声と同時に悟飯たちの耳に届く。
「カトレアお嬢様! さすがにもう待ちきれません!!」
切羽詰まったメイドの、悲願の叫びに、
「ごめんなさい。今、いきますわ」
カトレアは至ってマイペースに、笑顔で答えた。悟飯がはて何のことだっけかと記憶を掘り返し
ていると、気づけば笑顔で手を差し伸べられていた。差しのべられた手と、その先にある嬉しそ
うなカトレアの笑顔を見ながら、悟飯は「そういえば」と朝のやり取りを思い出した。休暇で家
に帰ってくる姉を迎える、わたしたちも行きましょう。そう言ってたっけ、と。
ここに来る途中のあの女性の印象が強く残っていたせいで、すっかり頭の中から抜け落ちていた。
悟飯は思う。はぐれてしまったせいで、迎えにいっていた筈のカトレアが部屋にいた、というこ
とは。カトレアが自分のために、この屋敷内で唯一自分が場所を知っている自室で待っていた、
ということになるのか……。
「なんだか、今日のオレは情け気がするなぁ」
うーんとつぶやきながらカトレアの手を握った瞬間、突如カトレアの体がバランスを崩して倒れ、
……にしてはきれいにベッドの上に座った。悟飯は反射的に、握った手に力を入れそうになった。
「どうしたんですか、カトレアさん?」
手に引っ張られるようにして慌ててしゃがみ込み、そのまま顔を近づけた悟飯の口を、カトレア
は自身の口の前に立てた一本指で制した。静かにしてね、と目が語っていた。
悟飯がたじろき、手を離して半歩身を引いたのを確認してから、カトレアは手をおろした。そし
て、悟飯を見上げて再び手を伸ばし、いたずらっぽく笑った。
「お手をとっていただけるかしら、ゴハン殿?」
芝居がかった言葉の後、しばらく照れくさそうに苦笑いした悟飯は、優しくカトレアの手を取った。
■
「ここでお迎えするのよ」
「玄関にしちゃずいぶん広いですね……」
姉を迎えるために、カトレアと、並んで歩いていた悟飯がたどり着いたのはこの家の玄関だった。
そこは玄関と呼ぶにはあまりに広く、天井は高く、床から遠い。あくまで悟飯の視点では、壁や
天井には見たこともない装飾品がごちゃごちゃについていた。床はやたら踏み心地のよい赤いカ
ーペットが敷き詰めてあったが、こんなに広かったら歩くだけで大変だろうな、と思った。
「やっぱり、ゴハンもそう思う?」
悟飯に振り向いて、カトレアはふふ、と笑った。悟飯は視線をカトレアに移して、頬を掻きながら
「ええ、まぁ……」と言った。
「ところで、いいんですか、オレだけこんな……」
「ええ。あなたはこの家の使用人ではないもの。だから大丈夫ですわ」
小声でつぶやいた悟飯の疑問を、カトレアは迷いなく、マイペースに吹き飛ばした。「でもなぁ」
と心の中で唸る悟飯の先には、玄関の扉の両脇からこちらに向かって道を作るように並び立つ、同
じ服を着た使用人たちがずらりと並んでいた。
一見すると無表情で垂直立ちするしている彼らを、わずかな気の流れや体の動きを敏感に読み取っ
た悟飯は、真剣な表情でカトレアに聞こえないようつぶやいた。
「(……警戒されてるな、当然か)」
先ほど、ここに向かって廊下を歩いているときに、悟飯は同じ服の使用人に声を掛けられていた。
「なんでお前がカトレアお嬢様と一緒にいるんだよ? おまえはこっちだろうが」と言いながら、
若干怒気を含んで悟飯の腕を引っ張った使用人も何人かいたが、そのたびにカトレアの「気にしな
くていいわ、この人は私のお客様よ」という魔法の一言で撃退された。
それでも、顔に傷のある使用人の服を着た隻腕の男、というのはそれだけ彼らの目を否応なく集め
た。ましてや、そんな男が外見上、まるで真逆のイメージを持つカトレアのそばにいることを許さ
れた客人であるという設定は、使用人たちに純粋に「誰だろう、名のある傭兵かな?」と考えるも
のも少なくはない。
そうなると、またなんでカトレアと知り合いなのだ? と思考の無限ループに陥りそうだが、幾人
かの使用人がこの事実を、先日あった謎の侵入者の一件と自然に重ね合わせていた。少しでも妙な
行動をとれば、総出で襲いかかることだろう。
そんな使用人らの胸中など知る由もない悟飯は、ふと。
「(――道行く途中といえば、あの酔っぱらった女性は大丈夫だろうか? 仕方なかったとはいえ、
誰もいない場所に一人置いてきたわけだし。……やはり見つかる危険性を考慮しても、一緒に連れ
て帰るべきだったかな)」
自分が置いてきた女性について、考えていた。
「もうすぐ来るわ」
唐突に、悟飯だけに聞こえる声で、カトレアが言った。悟飯はえ?とカトレアだけに分かる声で、
言った。カトレアの発言の直後、使用人たちがざわめき始めた。場の緊張感が増していく。悟飯
の方に多く集中していた使用人たちの気のほとんどが、玄関へと向けられた。
使用人らしき人物が二人、外側から無駄のない動きで扉を開けた。扉を手で固定しながら端に下
がり、お辞儀をするその二人のちょうど真ん中を歩くものがいた。周りの使用人が口をそろえて
「お帰りなさいませ」と言いながら寸分の狂いもなく一斉にお辞儀した。悟飯も思わず釣られて
やりそうになった。
「(……あれ?)」
彼女は2人にまっすぐ近づいてくる。繊細なブロンドの髪に、小さな顔に、きゅっと引き締まった
口元、鋭く凛々しい目つき。いかにも理知的な印象を持たせる逆三角メガネ。悟飯は思った。
どこかでみたことあるぞ!? と。
彼女は、カトレアまであと数歩、というところで立ち止まった。使用人たちはまだ気づいていない
が、その表情には驚きが張り付いていた。悟飯の顔にもまた、驚きの表情が張り付いていたが、彼
女に比べれば多少その度合いは低い。
間髪いれず、カトレアが言った。
「おかえりなさいませ。エレオノール姉さま」
悟飯の驚きの度合いが、わずかに増した。なぜわずかなのかと言えば、もう大体オチの予想が付い
ていたからである。そのうち、両者ともに驚きが苦笑いへとシフトし、エレオノールは口の端をひ
くひくさせながら一歩後ずさった。
「ま、まさか……」
「……ぐ、偶然って恐ろしいですね」
エレオノールの顔が重ね塗るように徐々に赤く染まっていった。眉が口の端が肩が、絶妙なリズム
を刻んで震えた。
「カトレア。わたくし、後でアナタとそこの平民に聞きたいことがいくつもあるわ……いいかしら?」
しかし、エレオノールがここで爆発することはなかった。それは所詮貴族のプライドがそうさせた
のだが、悟飯としてはわけもわからぬまま「何からかは分からないけど、とりあえず立ち直ったか」
と胸をなでおろし、エレオノールの方を向いた。エレオノールはきらりと目を光らせた。悟飯が口
を開く。
「もう婚約を破棄されたヤケで酔ってるわけじゃないみたいですね。安心しましたよ」
「ご、ゴハン! それは……」
彼なりの優しさからつい、余計なことまで口が滑った。
――――そしてすべてが凍りついた。
並び立っていた使用人、その後ろに並ぶメイドたちは皆雷にでも撃たれたように固まって、その表
情は青ざめていた。家のすぐ近くの林道に住まう鳥たちが、脅威を察知して我先にと一斉に飛び立
った。カトレアですら、焦っていた。エレオノールは俯き、狙うべき獲物を見定めた猛禽類のよう
に目を鋭く輝かせた。
「あ、あれ……?」
あははと笑っていた悟飯も様子がおかしいことに気づき、頭を掻いた。瞬間、悟飯に向かってエレ
オノールの馬用の鞭が飛ぶ。
動きの速さに付いていけず竹のようにしなり、綺麗な弧の軌道を描いたダークブラウンの鞭が空気
を炸裂させながら、悟飯のいたところを通過した。大きく振りかぶった彼女は、体に収まりきれな
い怒りのあまり、噴火寸前の火山のように震えていた。
「誰が婚約を破棄された、酔っ払いのダメ女ですって!?」
「そんなことは言ってませ……うわっ!?」
「よけるなこら! おとなしくしなさい!」
「そんなムチャな……ふっ!」
振り下ろされ、薙ぎ払われる杖を紙一重で避けていく。いつもより激しいエレオノールの癇癪に、
反射的に巻き込まれまいと遠巻きに動きを止めていた使用人たちが我を取り戻し、状況を確認した。
顔に傷、隻腕、黒髪黒眼の使用人などいたか、いや見たことがない。エレオノール様も知らなかった、
なら、あれは誰だ!? なぜエレオノール様の婚約が破綻したことを知っているのだ……!?
一秒と待たない間に、使用人一同は今やるべきことを理解した。動き出そうとした瞬間、その刹那、
悟飯の意識が彼らの動きを注視する。使用人たちは、どっと汗をふきだした。何か、得体のしれな
い感覚に、心臓を貫かれたような気がして。
カトレアの手が、声が、彼らの心を呼び戻す。
「大丈夫よ、悪い人じゃないわ」
ほぼ一斉に、そういう問題じゃないです。と思った。
「はぁ……はぁ……」
「落ち着いたか?」
エレオノールが肩で息をする。感情に任せて散々振り回したはいいが、一発も当たらなかった。
覗き込むように近寄った悟飯を、目の奥を光らせてキッと睨みつけた。隙あり! とまた鞭を振る
う。が、あえなく空振り。
今度はエレオノールの目の前からその姿ごと消え、背後に回り込んだ。
「当たりませんよ。そんなんじゃ」
「~っ! このわたしをバカにしているの……?」
「いえ、そんなんじゃありませんよ。ただ振りかぶるせいで動きが大くなってるから、それじゃオレに
避けてくださいって言ってるようなもんだって……」
「平民のくせに随分論理的なことを言ってくれるじゃない。要は、もっと速くて痛いのがお望みってワ
ケでしょう! お望み通りにしてあげるわよ!!!」
「なに……!?」
悟飯の顔つきが変わった。鞭を放り、エレオノールが打ち上げるように高々と振りかざしたのは、握
りから先に光を帯びる杖だった。気を感じないにもかかわらず、怒りに呼応するように、流れる魔力
によって一層激しくスパークする。まるで、大きな力を秘めた、小さな暴風のようだった。未知の力
を前に、悟飯が反射的に身構えるのも無理はない。
使用人やメイドは逃げ惑っている。逃げることを諦めた者は部屋の隅に這ってでも近づき身を縮こま
らせていた。誰も止めようとはしなかった。一人を除いて。
「――――二人とも、そこまでにしておきましょう」
手をたたき合わせる音がし、次いでカトレアの声が聞こえた。エレオノールがカトレアに向き直り、
悟飯は片目の視線だけをカトレアに合わせた。
「カトレア!」
「エレオノール姉さま、お帰りなさいませ。お元気そうでなによりですわ」
ぺこりと、まるで先ほどのことなどなかったかのように、カトレアはエレオノールにお辞儀をした。
「カトレア! この平民は一体どこの誰なの!?」
「…………」
杖を治したエレオノールがカトレアに詰め寄った。カトレアは表情を強張らせた姉を前にして、慣
れているのか我慢しているのか、いつもと違う笑顔だった。横目で、まだ軽く腰を落として警戒し
ている悟飯と目があった。
「エレオノール姉さま。後で彼――ゴハン殿のことについて、貴方に大事なお話があるんです。よろ
しいでしょうか?」
「後で……? どうして今話せないのかしら!?」
弱ったなぁ、とカトレアは笑った。エレオノールの耳に口を近づけ、周りを二、三見渡した。近く
に悟飯以外いないことを確認すると、自分でよし、と軽くうなづいて、時々悟飯の方を二人で見な
がら、耳打ちしはじめた。
二人に見られるたびに悟飯がくっと顔をこわばらせた。カトレアのお姉さん、と聞いて勝手に温和
な人を想像していたが、まるで違う。並んで立っていると似ている部分はあるし、怒っている分感
じ取りやすいエレオノールの気は、荒波のような激しさはあれど、たしかにカトレアの気に似てい
る。だが実際、こうして実物を見る限りカトレアとはまるで正反対である。
もしかしたらお酒のせいで荒れているのでは? とも考えたが、あの時の泣き腫らして弱気なのか
強気なのかよくわからない状態が酔っているらしかったので、これが素なんだと悟飯は確信した。
抜けていることに、悟飯にとってエレオノールがここまで感情を爆破させている理由に、出会いが
しらの自分の暴露は入っていなかった。
「じつは……」
「ふん……ふん……え、え……え? ええ!? そんなまさか!!?」
カトレアがごにょごにょ何かを喋るたびに、エレオノールが驚嘆した。次いで、好奇と疑いを孕ん
だ目で、悟飯を見る。カトレアは「まだありますわ」と小さくつぶやいて、微笑んだ。エレオノー
ルが「まだあるの?」と尋ねて耳を貸す。その言葉には、怒気など欠片も含まれていない。悟飯か
ら見ても、使用人たちから見ても、それは仲の良い姉妹の気さくな談笑に映った。
悟飯は手を下した。警戒心も、どこかへとかき消した。
「ゴハン、そんなに警戒しなくても大丈夫よ」と、話の途中で向けられるカトレアの笑顔が、そう
言っている気がした。
&bold(){※作者注}
・気を送って相手を元気にすることはできるの?
→クウラの映画、原作のフリーザVS悟空戦参照
・悟飯前回上着脱いでた
→前々回と同じ方法で……というのは冗談。カトレアが用意させました。多分
#navi(消えそうな命、二つ)
#navi(消えそうな命、二つ)
&setpagename(其の九:長女エレオノール)
気づけば、昼も半分過ぎていた。
窓から、温かな日差しとともにチ、チ、チ、と鳥の鳴き声が降り注ぎ、カトレアの部屋にいる動物たちは各々適当な場所に寝転がり、のびのびと日向ぼっこに興じていた。
部屋の主であるカトレアは椅子に腰かけ、のんびりと本を読んでいる。朝から咳は出ておらず、今日の体調は上々だった。
膝の上には子猫や子犬が体を丸くして、気持ち良さそうに寝転んでいた。
……実は本を読んでいる、というより『待ち人』が来るのを待っていて、その暇つぶしとして本を読んでいる。
というのが本当なのだが、ドアの向こう側のドタバタ慌ただしい気配から察するに『待たせ人』がここに来るのは中々遅くなるかもしれなかった。
ぱら、と本をめくった時、窓側から2回、硬いものを軽く小突く音が聞こえた。窓に視線を向ける。
そこにいたのは一羽、どこにでもいそうな小鳥であったが、カトレアには覚えがあった。少しばかり前に庭先でぐったりしているのを見つけて拾い、いつものように助けた子だった。
数日前に元気になったので鳥籠から出して上げたのだが、帰ってこないので戻るべき場所に帰ったのだと思っていた。
おそらく、カトレアが自分を見たことに気づいたのだろう小鳥は。さっきより短い間隔で、短いくちばしを窓にコッコッと当てた。
鍵は閉めてないものの、小鳥の力で窓を開けるのは無理である。
膝の上の小動物たちを、起こさないように気をつけながらベッドに降ろし、とたとたと小走りで音源へと近寄った。
カトレアの接近に合わせて、小鳥はノックするのを辞めた。小鳥のくせに、結構かしこいものである。
窓を開いて小鳥を掌に誘うと、小鳥はぴょんと一跳ねして、素直に飛び乗った。
「ふふ、随分元気になったみたいね……あら?」
間近でよく見れば、小鳥の左羽は少し傷ついていた。引っかき傷のように赤い線となっているそれは、飛んでいる最中に木の枝にでも引っ掛けたのだろう。
飛べない傷ではないだろうが、痛みを感じないような些細な傷とも言い難い。なのに、小鳥はまるで傷などないかのように、平然としているどころか、しきりに首を動かしてはチ、チ、チ、と鳴き、まるで後ろにいる何かに合図を送っているようだった。
不思議に思ったカトレアがさらに一歩。窓から上半身を乗り出すように踏み出す。見渡す限りでは誰もいない。
その時ふと、カトレアの体を覆うように影が頭上から落ちてきた。下る影とは逆に、視線が上がる。
太陽とカトレアを結ぶ直線上の空に浮いて立つ彼の姿を見たとき、そして、カトレアは微笑んだ。
「ごめんなさいカトレアさん。少し……道に迷ってました」
「あらあら、困った人ですわ」
予想以上に早く待ち人来たるカトレアは、照れくさそうに苦笑いを零す悟飯を部屋の中へ招き入れた。
カトレアの手の中の鳥が、チッ、チッ、チッ。と嬉しそうに鳴いた。
「――で、戻ろうとしたんですけどその……この家の敷地が広すぎて……」
「迷っちゃったのね」
「……そういうことです」
カトレアが椅子に腰かけ、悟飯は対面するように立って、事情を説明する。自分の不注意ではぐれてしまった挙句、道に迷ってしまったことが恥ずかしいのか、実際恥ずかしいのだろう。
悟飯は頬をわずかに赤らめて、俯き加減にカトレアを見ている。
カトレアはそんな悟飯を見て嘲笑するでもなく、自然と膝の上に寄り添ってきた小動物の背を撫でながら、「まぁ、まぁ」とのんびり慌てて見せた。
「でも……間違ってたらごめんなさい。でもゴハンは“キ”で私がどこにいるか、手に取るように分かるんじゃなかったかしら?」
以前悟飯から聞いた話を思い出し、その食い違いにカトレアは首をかしげた。悟飯が顔をあげて、申し訳なさそうに答えた。
「カトレアさんの気は、小さくて不安定なんです。気は、大きさによって感じ取れる情報量が全然違います。オレみたいに大きい気ならすぐ見つけられるんですが、カトレアさんの気となると、よっぽど集中してないと見つけるのは難しいんですよ……」
「そうだったの。わたし、勘違いしてたのね」
本当は集中していても、元々が低すぎる相手だった場合、相手側に何らかのアクションがない場合は気を読むことは不可能に近い。
ましてやこの部屋の外はつい先ほどから喧騒の最中である。さまざまな気が入り混じって、その中から微弱なカトレアの気を探すのは気を集中させる苦労が並みではない。
だが、悟飯はカトレアのせいだとは言わなかった。
「いえ。オレがまだまだ未熟なだけです」
笑顔ではあったが、自虐に近い笑みだった。悟飯の視線が外れた一瞬。同時に、対するカトレアの顔から笑みが消えた。
彼はまた、自分を戒めている。遠くの、自分ではない誰かに謝っているような。本当に刹那だったが、悟飯の纏う空気が静かに重い。
動物たちの声も、ドアから微量に入ってくる外のせわしない騒音も、その瞬間だけピタリと止んだように、カトレアと、おそらく悟飯には思えただろう。
「……どうしようか悩んでいるときに、この子を見つけたんです。怪我をしてるせいか道端でグッタリしてたから、オレの気を少しだけ分けてあげました。そしたらこの子が「付いてきて」って言ってる気がして……」
「じゃあ、ゴハンがキを分けてあげたから。あの子、あんなに元気なのかしら?」
二人が同じものを見つめる。天井から下げられた無数の鳥籠。そのひとつに、あの小鳥はいた。チ、チ、チ、とリズムよく鳴いていて、傍から見るとまるで元気に歌でも歌っているように見える。
左羽の傷には傷薬が塗られ包帯が巻かれていた。カトレアが悟飯を部屋に入れた後、治療したのだ。悟飯は言った。
「ええ、一応、そういうことになります。気は、え~っと。なんていうか、その。体の中にある隠されたエネルギーというかパワー……とでも言えばいいのかな? とにかくそういうもので」
「気を分けることで体力は回復するけど、傷を治すことはできない、ヒーリングとは違うわね。……悟飯は空を飛ぶときも、そのキを使っているの?」
「ええ、そうですよ」
「呪文も唱えずに、使えるものなのね」
カトレアは悟飯に向かって、空手で杖を降る真似をした。膝の上の一匹の子猫があくびを漏らす。
当然だが、それ以外はなにも起きなかった。
「気の使用に呪文なんて必要ありませんよ。気は誰にでもあるものですから、ちょっと難しいですけどコントロールさえできるようになれば、誰だって武空術は使えるとおもいます」
「あれはブクウジュツっていうのね。不思議な響きだわ」
聞きなれない言葉に片言になりながら、胸の前で手を組み合わせた。それを見て、悟飯はふふっと
笑った。
「じゃあ、わたしにもできるかもしれないわね」
「できますよ、きっと。なんならオレが教えて……」
悟飯の言葉をかき消して、ドアが乱暴に叩かれた。動物たちが騒音に目覚めて飛び跳ねる。続け様に、また2回打ち鳴らされた。今度はメイドの声と同時に悟飯たちの耳に届く。
「カトレアお嬢様!さすがにもう待ちきれません!!」
切羽詰まったメイドの、悲願の叫びに、
「ごめんなさい。今、いきますわ」
カトレアは至ってマイペースに、笑顔で答えた。悟飯がはて何のことだっけかと記憶を掘り返していると、気づけば笑顔で手を差し伸べられていた。
差しのべられた手と、その先にある嬉しそうなカトレアの笑顔を見ながら、悟飯は「そういえば」と朝のやり取りを思い出した。
休暇で家に帰ってくる姉を迎える、わたしたちも行きましょう。そう言ってたっけ、と。
ここに来る途中のあの女性の印象が強く残っていたせいで、すっかり頭の中から抜け落ちていた。
悟飯は思う。はぐれてしまったせいで、迎えにいっていた筈のカトレアが部屋にいた、ということは。
カトレアが自分のために、この屋敷内で唯一自分が場所を知っている自室で待っていた、ということになるのか……。
「なんだか、今日のオレは情け気がするなぁ」
うーんとつぶやきながらカトレアの手を握った瞬間、突如カトレアの体がバランスを崩して倒れ、
……にしてはきれいにベッドの上に座った。悟飯は反射的に、握った手に力を入れそうになった。
「どうしたんですか、カトレアさん?」
手に引っ張られるようにして慌ててしゃがみ込み、そのまま顔を近づけた悟飯の口を、カトレアは自身の口の前に立てた一本指で制した。静かにしてね、と目が語っていた。
悟飯がたじろき、手を離して半歩身を引いたのを確認してから、カトレアは手をおろした。そして、悟飯を見上げて再び手を伸ばし、いたずらっぽく笑った。
「お手をとっていただけるかしら、ゴハン殿?」
芝居がかった言葉の後、しばらく照れくさそうに苦笑いした悟飯は、優しくカトレアの手を取った。
■
「ここでお迎えするのよ」
「玄関にしちゃずいぶん広いですね……」
姉を迎えるために、カトレアと、並んで歩いていた悟飯がたどり着いたのはこの家の玄関だった。
そこは玄関と呼ぶにはあまりに広く、天井は高く、床から遠い。あくまで悟飯の視点では、壁や天井には見たこともない装飾品がごちゃごちゃについていた。
床はやたら踏み心地のよい赤いカーペットが敷き詰めてあったが、こんなに広かったら歩くだけで大変だろうな、と思った。
「やっぱり、ゴハンもそう思う?」
悟飯に振り向いて、カトレアはふふ、と笑った。悟飯は視線をカトレアに移して、頬を掻きながら
「ええ、まぁ……」と言った。
「ところで、いいんですか、オレだけこんな……」
「ええ。あなたはこの家の使用人ではないもの。だから大丈夫ですわ」
小声でつぶやいた悟飯の疑問を、カトレアは迷いなく、マイペースに吹き飛ばした。
「でもなぁ」と心の中で唸る悟飯の先には、玄関の扉の両脇からこちらに向かって道を作るように並び立つ、同じ服を着た使用人たちがずらりと並んでいた。
一見すると無表情で垂直立ちするしている彼らを、わずかな気の流れや体の動きを敏感に読み取った悟飯は、真剣な表情でカトレアに聞こえないようつぶやいた。
「(……警戒されてるな、当然か)」
先ほど、ここに向かって廊下を歩いているときに、悟飯は同じ服の使用人に声を掛けられていた。
「なんでお前がカトレアお嬢様と一緒にいるんだよ? おまえはこっちだろうが」と言いながら、若干怒気を含んで悟飯の腕を引っ張った使用人も何人かいたが、そのたびにカトレアの「気にしなくていいわ、この人は私のお客様よ」という魔法の一言で撃退された。
それでも、顔に傷のある使用人の服を着た隻腕の男、というのはそれだけ彼らの目を否応なく集めた。
ましてや、そんな男が外見上、まるで真逆のイメージを持つカトレアのそばにいることを許された客人であるという設定は、使用人たちに純粋に「誰だろう、名のある傭兵かな?」と考えるものも少なくはない。
そうなると、またなんでカトレアと知り合いなのだ? と思考の無限ループに陥りそうだが、幾人かの使用人がこの事実を、先日あった謎の侵入者の一件と自然に重ね合わせていた。少しでも妙な行動をとれば、総出で襲いかかることだろう。
そんな使用人らの胸中など知る由もない悟飯は、ふと。
「(――道行く途中といえば、あの酔っぱらった女性は大丈夫だろうか? 仕方なかったとはいえ、誰もいない場所に一人置いてきたわけだし。……やはり見つかる危険性を考慮しても、一緒に連れて帰るべきだったかな)」
自分が置いてきた女性について、考えていた。
「もうすぐ来るわ」
唐突に、悟飯だけに聞こえる声で、カトレアが言った。悟飯はえ? とカトレアだけに分かる声で、言った。
カトレアの発言の直後、使用人たちがざわめき始めた。場の緊張感が増していく。悟飯の方に多く集中していた使用人たちの気のほとんどが、玄関へと向けられた。
使用人らしき人物が二人、外側から無駄のない動きで扉を開けた。扉を手で固定しながら端に下がり、お辞儀をするその二人のちょうど真ん中を歩くものがいた。
周りの使用人が口をそろえて「お帰りなさいませ」と言いながら寸分の狂いもなく一斉にお辞儀した。悟飯も思わず釣られてやりそうになった。
「(……あれ?)」
彼女は2人にまっすぐ近づいてくる。繊細なブロンドの髪に、小さな顔に、きゅっと引き締まった口元、鋭く凛々しい目つき。
いかにも理知的な印象を持たせる逆三角メガネ。悟飯は思った。
どこかでみたことあるぞ!? と。
彼女は、カトレアまであと数歩、というところで立ち止まった。使用人たちはまだ気づいていないが、その表情には驚きが張り付いていた。
悟飯の顔にもまた、驚きの表情が張り付いていたが、彼女に比べれば多少その度合いは低い。
間髪いれず、カトレアが言った。
「おかえりなさいませ。エレオノール姉さま」
悟飯の驚きの度合いが、わずかに増した。なぜわずかなのかと言えば、もう大体オチの予想が付いていたからである。
そのうち、両者ともに驚きが苦笑いへとシフトし、エレオノールは口の端をひくひくさせながら一歩後ずさった。
「ま、まさか……」
「……ぐ、偶然って恐ろしいですね」
エレオノールの顔が重ね塗るように徐々に赤く染まっていった。眉が口の端が肩が、絶妙なリズムを刻んで震えた。
「カトレア。わたくし、後でアナタとそこの平民に聞きたいことがいくつもあるわ……いいかしら?」
しかし、エレオノールがここで爆発することはなかった。
それは所詮貴族のプライドがそうさせたのだが、悟飯としてはわけもわからぬまま「何からかは分からないけど、とりあえず立ち直ったか」と胸をなでおろし、エレオノールの方を向いた。
エレオノールはきらりと目を光らせた。悟飯が口を開く。
「もう婚約を破棄されたヤケで酔ってるわけじゃないみたいですね。安心しましたよ」
「ご、ゴハン!それは……」
彼なりの優しさからつい、余計なことまで口が滑った。
――――そしてすべてが凍りついた。
並び立っていた使用人、その後ろに並ぶメイドたちは皆雷にでも撃たれたように固まって、その表情は青ざめていた。
家のすぐ近くの林道に住まう鳥たちが、脅威を察知して我先にと一斉に飛び立った。
カトレアですら、焦っていた。エレオノールは俯き、狙うべき獲物を見定めた猛禽類のように目を鋭く輝かせた。
「あ、あれ……?」
あははと笑っていた悟飯も様子がおかしいことに気づき、頭を掻いた。瞬間、悟飯に向かってエレオノールの馬用の鞭が飛ぶ。
動きの速さに付いていけず竹のようにしなり、綺麗な弧の軌道を描いたダークブラウンの鞭が空気を炸裂させながら、悟飯のいたところを通過した。
大きく振りかぶった彼女は、体に収まりきれない怒りのあまり、噴火寸前の火山のように震えていた。
「誰が婚約を破棄された、酔っ払いのダメ女ですって!?」
「そんなことは言ってませ……うわっ!?」
「よけるなこら! おとなしくしなさい!」
「そんなムチャな……ふっ!」
振り下ろされ、薙ぎ払われる杖を紙一重で避けていく。いつもより激しいエレオノールの癇癪に、反射的に巻き込まれまいと遠巻きに動きを止めていた使用人たちが我を取り戻し、状況を確認した。
顔に傷、隻腕、黒髪黒眼の使用人などいたか、いや見たことがない。エレオノール様も知らなかった、なら、あれは誰だ!? なぜエレオノール様の婚約が破綻したことを知っているのだ……!?
一秒と待たない間に、使用人一同は今やるべきことを理解した。動き出そうとした瞬間、その刹那、悟飯の意識が彼らの動きを注視する。
使用人たちは、どっと汗をふきだした。何か、得体のしれない感覚に、心臓を貫かれたような気がして。
カトレアの手が、声が、彼らの心を呼び戻す。
「大丈夫よ、悪い人じゃないわ」
ほぼ一斉に、そういう問題じゃないです。と思った。
「はぁ……はぁ……」
「落ち着いたか?」
エレオノールが肩で息をする。感情に任せて散々振り回したはいいが、一発も当たらなかった。
覗き込むように近寄った悟飯を、目の奥を光らせてキッと睨みつけた。隙あり!とまた鞭を振るう。が、あえなく空振り。
今度はエレオノールの目の前からその姿ごと消え、背後に回り込んだ。
「当たりませんよ。そんなんじゃ」
「~っ!このわたしをバカにしているの……?」
「いえ、そんなんじゃありませんよ。ただ振りかぶるせいで動きが大くなってるから、それじゃオレに避けてくださいって言ってるようなもんだって……」
「平民のくせに随分論理的なことを言ってくれるじゃない。要は、もっと速くて痛いのがお望みってワケでしょう! お望み通りにしてあげるわよ!!!」
「なに……!?」
悟飯の顔つきが変わった。鞭を放り、エレオノールが打ち上げるように高々と振りかざしたのは、握りから先に光を帯びる杖だった。
気を感じないにもかかわらず、怒りに呼応するように、流れる魔力によって一層激しくスパークする。
まるで、大きな力を秘めた、小さな暴風のようだった。未知の力を前に、悟飯が反射的に身構えるのも無理はない。
使用人やメイドは逃げ惑っている。逃げることを諦めた者は部屋の隅に這ってでも近づき身を縮こまらせていた。
誰も止めようとはしなかった。一人を除いて。
「――――二人とも、そこまでにしておきましょう」
手をたたき合わせる音がし、次いでカトレアの声が聞こえた。エレオノールがカトレアに向き直り、悟飯は片目の視線だけをカトレアに合わせた。
「カトレア!」
「エレオノール姉さま、お帰りなさいませ。お元気そうでなによりですわ」
ぺこりと、まるで先ほどのことなどなかったかのように、カトレアはエレオノールにお辞儀をした。
「カトレア! この平民は一体どこの誰なの!?」
「…………」
杖を治したエレオノールがカトレアに詰め寄った。カトレアは表情を強張らせた姉を前にして、慣れているのか我慢しているのか、いつもと違う笑顔だった。
横目で、まだ軽く腰を落として警戒している悟飯と目があった。
「エレオノール姉さま。後で彼――ゴハン殿のことについて、貴方に大事なお話があるんです。よろしいでしょうか?」
「後で……? どうして今話せないのかしら!?」
弱ったなぁ、とカトレアは笑った。エレオノールの耳に口を近づけ、周りを二、三見渡した。近くに悟飯以外いないことを確認すると、自分でよし、と軽くうなづいて、時々悟飯の方を二人で見ながら、耳打ちしはじめた。
二人に見られるたびに悟飯がくっと顔をこわばらせた。カトレアのお姉さん、と聞いて勝手に温和な人を想像していたが、まるで違う。
並んで立っていると似ている部分はあるし、怒っている分感じ取りやすいエレオノールの気は、荒波のような激しさはあれど、たしかにカトレアの気に似ている。
だが実際、こうして実物を見る限りカトレアとはまるで正反対である。
もしかしたらお酒のせいで荒れているのでは?とも考えたが、あの時の泣き腫らして弱気なのか強気なのかよくわからない状態が酔っているらしかったので、これが素なんだと悟飯は確信した。
抜けていることに、悟飯にとってエレオノールがここまで感情を爆破させている理由に、出会いがしらの自分の暴露は入っていなかった。
「じつは……」
「ふん……ふん……え、え……え? ええ!? そんなまさか!!?」
カトレアがごにょごにょ何かを喋るたびに、エレオノールが驚嘆した。次いで、好奇と疑いを孕んだ目で、悟飯を見る。
カトレアは「まだありますわ」と小さくつぶやいて、微笑んだ。エレオノールが「まだあるの?」と尋ねて耳を貸す。その言葉には、怒気など欠片も含まれていない。
悟飯から見ても、使用人たちから見ても、それは仲の良い姉妹の気さくな談笑に映った。
悟飯は手を下した。警戒心も、どこかへとかき消した。
「ゴハン、そんなに警戒しなくても大丈夫よ」と、話の途中で向けられるカトレアの笑顔が、そう言っている気がした。
&bold(){※作者注}
-気を送って相手を元気にすることはできるの?
--クウラの映画、原作のフリーザVS悟空戦参照
-悟飯前回上着脱いでた
--前々回と同じ方法で……というのは冗談。カトレアが用意させました。多分
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#navi(消えそうな命、二つ)
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