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&setpagename(第31話 切札)
ラ・ヴァリエール公爵、宰相就任を受諾。
山が動いた結果起こった地震の第一弾がこれであった。
あれ、トリステインの宰相ってマザリーニさんじゃなかったの、と思う方がいるかもしれないが、彼は宰相の仕事をマリアンヌ王妃からある意味委託されていただけで、正式に宰相位にいたわけではない。あくまでも彼は『事実上の宰相』だっただけである。
言うならば彼は『国王代理』であるマリアンヌ王妃(彼女は国政に直接かかわることを拒否している)より、王権の証を預かって運用していただけに過ぎない。
王が不在であっても王の認可を要する仕事は無数にある。この場合、王の代理として王妃もしくは王太子(トリステインの場合はアンリエッタ姫)、もしくは正式に王より委託された宰相がそれを代行することになる。
ところが現在のトリステインには、王が不在にもかかわらずこの最後の王印を押すべき人物がいなかった。
マリアンヌ王妃は『王妃は政治にかかわるべきではない』とこの任を拒否、アンリエッタ姫はまだ年若く責務をこなせるとは思われず、正式な宰相は任命されていなかった。
マザリーニ枢機卿は、本来相談役的な、正規の権限のないアドバイザーであったにもかかわらず、マリアンヌ王妃にからいわば『非公式宰相』のような役目を押しつけられる羽目になったのである。
彼が国内の貴族にウケがよくない理由のうち、実はこの事が結構大きかったりする。
ただでさえよく思われていないのに、彼は『ロマリアの枢機卿』、トリステインの貴族から見たら外様も外様、いや、日本で言うならアメリカの副大統領が首相代理をやっているようなものである。
それでもそれが『日本国首相から正式に依頼されて承認されたこと』なら不平は出てもとりあえず建前として官僚達は仕事をしたに違いない。
そして結果として景気は回復、失業率は減少なんて事になったら下手をすれば日本人の政治家はいらないと言われるくらいにはなったりしかねない。
ところがこの首相代理、正規なものではなく、『入院中の首相が私的に頼んだ』ようなものなのである。これで下に従えというほうがはっきり言って無理だ。
そのため、彼の元に回ってくる決裁事項のうち、『絶対に王の裁可が必要なもの』以外は、その下に当たるものの承認で代行されることが多くなっていた。
一例としてあげれば、司法--裁判の結審の一部は、本来最終執行権を持つ王の承認が必要なのだが、これが司法の最高官である高等法院長の決裁で代行されるようになっていた。
もちろん、こそ泥の裁判に王がサインすることはまず無い。だが、汚職や脱税を貴族が行った場合、それを裁くのは貴族の長たる王の職務である。これが高等法院長によって代行されるようになっていた。
もちろん、これ自体が本来なら重大な権限逸脱であり、権力の濫用である。だが法院長は、
『これは王自身か、正規の王の代理人でなければ任せられない。ましてや他国の者には。枢機卿が事実上の宰相だとしても、正規の者でないかぎり裁可をゆだねるわけにはいかない』と、上の要求を突っぱねていた。
そして困ったことに、諸侯百官全てが、この件に関しては法院長を支持していた。
ちょっと考えてみれば判るが、最高裁判長代理を帰化もしていない外国人に任せる国があるであろうか。
これでこの法院長が正義感あふれる人物ならまだいいのだが、それとは真逆のタイプだから頭が痛いのである。事実上の司法権限を握った彼の元で不正が蔓延しているのは傍目から見ても明らかなのだ。
不正をしても罰せられないので、遠慮無く悪事に精を出して私腹を肥やす貴族官僚が今のトリステインにははびこりまくっていた。だがそれを止める権限を持った人物がいない。
こうして心ある貴族は、むしろ王宮から遠ざかるという悪循環がトリステインを痛めつけていたのである。
もちろんマザリーニ枢機卿もこれを黙ってみていたわけではない。彼はその辣腕を振るって自分に出来るかぎりの献策をし、トリステインという国を運用してきた。
だが、彼はその立場ゆえ、頑張れば頑張るほど国が弱体化するというジレンマに陥っていたのである。
いわば副作用の強い劇薬を投与し続けている病人のようなものであった。
薬を続ければ体力が消耗する。だが薬をやめれば病で死ぬ。そんな中、少しでもトリステインという国を延命すべく、彼は頑張ってきたのである。
だが、そこに思わぬ方向から衝撃が襲ってきた。
ルイズの虚無覚醒である。
これはいわば内科でしか治療が出来なかった病気に画期的な外科手術法が発見されたようなものだった。だがその手術を施すことは患者の体力にすさまじい負担を掛けることになる。
だがマザリーニはそれを断行した。今それをしなければトリステインという患者は間違いなく死ぬ。それを誰よりもよく判っていたがために。
撃震は烈風を伴っており、それによってすさまじい災害が生じた。
宰相に就任した公爵はためらうことなく綱紀粛正をすさまじい速度で断行した。
それこそ不正をしていたものが証拠を隠すいとまもないほどに素早く。
恐ろしい話だが、なんと宮廷貴族の3割が血の海に沈み、5割が罪を言い渡されて何らかの罰を受けたという。
特に先の例に挙がっていた高等法院長などは、最終的に外患誘致による国家反逆罪という罪状を受け、裁判ではなく『国賊』として『討伐』されることになった。
裁判なら異議を申し立てることも出来るし、あくまでも罰せられるのは本人だけである。
だが今回の場合は、いわば戦争になった。彼の一族を『反乱者』として、武力による討伐が断行されたのである。
こうなるとその身柄の扱いは完全に『敵』になる。法ではなく、力による制裁が行われる。
こうなっては彼が以下に証拠を捏造しようとも無意味であった。敵対国を討伐するのに『大義名分』はともかく『証拠』を持ち出すものはいない。
積み重ねた宮廷工作を力ずくで吹き飛ばされ、彼は戦死者の列に名を連ねることになったのである。
他の貴族達はそのあまりの苛烈ぶりと手際の良さに殆どが白旗を揚げた。これは『綱紀粛正』ならぬ『綱紀粛清』ではないかというすさまじさであった。
それが就任直後から、わずか一月足らずのうちに行われたのである。
なお、マザリーニ枢機卿は公爵の宰相就任後、正式に相談役へとその立場を戻した。
マリアンヌ王妃も王不在の間の王権を宰相に正式に委任し、トリステインはあっという間に盤石の体勢を取り戻した。
そして王国は、アルビオン国王ジェームズ一世の要請に応え、大規模な派兵を敢行したのである。
「なんというか、お父様の実力を甘く見ていたわ」
「本当に、ものすごい豪腕でしたね」
アルビオンへ向かう軍船『ヴュセンタール』の中、ルイズは雲海を眺めながらそう呟いていた。
その顔には曰く言い難い、困惑と尊敬と衝撃の入り交じった表情が浮かんでいる。
珍しくなのはにも似たような表情が浮かんでいた。
「傑物、っていうのは公爵様のような方を言うのでしょうね」
管理局に彼のような人物がいたら、あの混乱から局が立ち直る期間が半減したんじゃないだろうか、などと思っていたなのはであったが、そのイメージがふと別の人物に重なることに気がついた。
レジアス=ゲイズ。JS事件に関連していたと言われる地上本部の重鎮。
彼自身は事件の渦中で殺害されている。
戦前の日本軍ではないが、管理局の『海(本局及び次元航行部隊)』と『陸(地上本部)』のすれ違いと対立は、結果的に大きな犯罪を生み出すことになった。
根本にあったのは絶対的な戦力不足であり、その不足する戦力の分配に関する諸問題であったが、その解決策として本局最高評議会やレジアス中将らが禁断の果実に手を伸ばした結果、JS事件という大事件を引き起こすことになってしまった。
事件の解明が進む中、中将に対する評価は悪事の黒幕から、許し難いが判らないでもないといった論調になっている。皮肉な話だがJS事件という世紀の大犯罪が対立していた海と陸に互いを理解するためのきっかけを与えたのである。
そのため事件後一年経ったなのはの召喚前時点では、彼の業績についての再評価が行われていたりした。先の論調はその過程で出てきたものである。
「清濁併せのむ、という言葉が私たちの世界にありますけど」
なのはもルイズの方ではなく、彼女の隣で窓の下に見える雲海を眺めながら言葉を繋いだ。
「ここ一月ばかりの間に流れてくる公爵様の噂は、恐ろしげなものばかりでしたね」
「我が父ながらやり過ぎじゃないかしらってさすがに思ったわ」
何しろ噂が事実ならトリステインは派手な内戦の最中とでも思えるほどだったのだ。
「対立する貴族を容赦なく粛清してたものね」
「結果として残った人達はまともな方ばかりだったようですけど」
実際、ルイズも驚いたのである。この船に乗る前、最終打ち合わせのために父親やアンリエッタ姫、そしてお忍びの教皇聖下などと王宮で集合したのだが、その王宮に流れる雰囲気が一変していた。
何となく感じていた重苦しさが綺麗になくなっており、出入りする貴族達の表情が皆妙に晴れやかだったのである。
ルイズが世話係として付けられた女官にそっと聞いてみたところ、返ってきた答えにルイズはひどく驚かされることになったものである。
彼女はこう言ったのだ。
「公爵様のおかげです」
と。
それを聞いた時のルイズの内心の第一声は、
(マザリーニ様、どれだけ嫌われていたのかしら)
であった。
ルイズは知っている。知らされたわけではないが、ルイズは馬鹿ではない。
いくら父が豪腕でも、これだけの短期間にあれだけの嵐を巻き起こして、しかも残った人物が皆まともだなんて言うことはあり得ないことを。
お膳立てをした人物は一人しかいない。
彼は不正役人の証拠など、殆ど押さえていたに違いない。だが、たとえ完璧な証拠を揃えていても、彼にはそれを持って相手を裁くことが出来ない。
彼がそれを為そうとすれば、間違いなく国が割れたから。いや、せっかくの証拠が自分を排斥するための手段にされてしまうから。
そんなところにやってきたのが公爵だった。彼にしてみれば僥倖であると同時に念願のことだったのだ。そして公爵は見事に期待に応えた。
ルイズは思う。我が父ながらあれは見事だったと。
普通ヴァリエール公爵宰相就任などということになったら間違いなく即座に情報が漏れる。権力構造の変化に対応して水面下の動きが起こる。
ところが公爵はその動きを見事なまでにごまかしきった。別邸を整備したことさえ、私的な用事だと言うことを交流のある貴族達に信じさせていたのである。
そして枢機卿と王妃の手による電撃的な宰相就任と、それからわずか3日の間に起こった大粛清劇。何しろ就任第一声が徴税局に対する強制監査命令だったくらいである。
しかもその最前線に立ったのが公爵夫人であった。臨時に3つの親衛騎士団を統括する身分を与えられた彼女は、自身もマンティコアにまたがって獅子奮迅の大活躍をする。伝令よりも早く省庁に殴り込み、書類一枚焼却させない素早さであった。
こうした一連の流れの中、最大の殊勲者は誰なのか、ルイズにはよく判っている。だがその人物は一切評価されることはない。
幸いだったのは、父もまたそのことをよく知る人物だったと言うことである。ルイズは彼と父が不仲なのはよく知っていただけに不安だったのだが、父はやはり父であった。
「全く腹立たしい。何より乗せられていると判っているのにその通りにせざるを得ない自分が誰より腹立たしいわ」
言葉は荒いのに、母に向かってそういう父の顔は、紛れもない安堵感に満ちていたのだから。
そんなこんなな流れの中で、間違いなくトリステインは生まれ変わったのだろう。
評価されずとも、枢機卿の手腕は本当にすさまじい。今こうして乗っている戦艦も、普通ならあの政治状況下で用意できるはずのないものだ。
この船は新造艦である。しかも『竜母艦』という新艦種だ。だが船というものはそうぽんぽんと作れるものではない。ましてや巨大な軍艦ともなればなおさらである。船そのものだけでなく、原材料や造船施設の確保なども必要なのである。
彼は私腹を肥やそうとする悪徳貴族を巧みに誘導して、そういう必要だが時間の掛かるものをきっちり揃えていたのである。その先見性は恐るべきレベルともいえる。
レコン・キスタの台頭や周辺国家との戦力比を見極めて、近い将来に軍艦の増産が必要なことを見越していたのだから。
それが誤っていなかったからこそ、今のトリステインはアルビオン王家の危機にこうして援軍を出せるのである。
そういった複雑怪奇な政治の流れというものを、この一ヶ月の間にルイズはたっぷりと学ぶことになった。教わるのではなく、目の当たりにすることで。
なのはと共にルイズはずっと見つめてきたのだ。
それが将来王になるルイズに必要なことだと、父も、母も、枢機卿も、皆判っていたのだった。
もちろん、隣に立つ使い魔も。
そして、レコン・キスタとアルビオン王党派の戦いは、最終局面を迎えることになった。
今回、虚無の担い手であるルイズがその圧倒的破壊力によって敵を撃滅するのは不可能であった。少しでも足しになればとなのはが『ディバイドエナジー』でルイズの魔力を回復させたりもしていたが、吸収力の不足はいかんともしがたかった。
「虚無の力は、濫用してはならないという始祖の戒めかもしれませんね」
ヴィットーリオは、そうルイズに語っていた。
「私が今便利使いしている『トランス・ゲート』の呪文も、一度使ったらしばらくは使えません。最低でも3日は空けないとダメですね。あなたの『エクスプロージョン』のように中途で発動することもありませんし」
一度現地に行かなければならないこと、連続使用が出来ないこともあり、神の笛であり、その移動を司ったというヴィンダールヴの出番は、この間中無くなることはなかったという。
そして今回、戦いになればルイズが必殺の魔法を使えないことはすぐに相手にも判るだろう、とこちらも考えていた。
何しろあの威力である。使えるのならば先制の一撃が一番効果的である以上、初手から使ってこないのならば出し惜しみする理由はないのだから。
それに加えて、こちらはヴィットーリオによるクロムウェルの虚無否定を相手に叩きつけなければならない。だがいくら彼が目立つ容姿や声をしていてもそれを届けるのはまともな手段では難しい。
だが、ルイズ達にはそれを為すための秘策があった。
きっかけはなのはが使っていたパソコンである。
ルイズも加わっていた作戦会議の最中、なのはは書記よろしくパソコンに話し合いの内容をまとめていた。
プリンターがないので本職の書記の変わりにはならなかったが、現代日本のノートパソコンとは違い、ミッドのものはディスプレイが空間投影なので、画面を拡大するとプロジェクター代わりになったからである。
話の内容がどうやって教皇の言葉を相手に届けるかという話題になった時、ルイズはそのディスプレイみたいに出来ればいいのではと思ったのである。
そこになのはが助言を挟み込んだ。ひょっとしたら虚無の魔法にそういうのがあるかもしれませんね、と。
実はなのはは『それ』が存在することを知っていた。
『イリュージョン』、大規模幻影作成魔法。ミッド式にも幾つかある幻術を元にしたと思われる、術者のイメージを空間投影する魔法。
そして空間投影ディスプレイという『見本』があったのがよかったのか、ルイズはイリュージョンのスペルを始祖の祈祷書から見出すことに成功していた。
幸いこの呪文はエクスプロージョンのように全魔力を一気に使い果たすと言うことはなかった。むしろかなり消費魔力の少ない呪文といえた。
それでもやはり『虚無』であるせいか普通の呪文に比べれば馬鹿魔力を消費しているのであったが、非効率であってもなのはが魔力を提供すれば何とかなる程度であった。
アルビオン浮遊大陸。その外縁部において、十数隻の戦艦が互いに対峙する。
お互い総力戦といえた。半数の軍の寝返りにより、彼らには後がない。
そしてそれはアルビオン王党派も同じであった。トリステインの援助があるとは言え、援軍込みでやっと彼らとほぼ同等の戦力にしかならないのである。
まさに乾坤一擲、この戦いの勝者こそが全てを得る。
両軍とも、いかなる犠牲を払ってでも……そう、思っていた。
ところが。
この戦いは、あまりにもあっけない結末を迎えることになる。
「ミス・ヴァリエール、お願いします」
「はい、聖下」
見通しのいいヴュセンタール号の甲板上に、ヴィットーリオとジュリオ、ルイズとなのは、そしてワルドと配下の風メイジが数名立っていた。
風メイジ達は、ヴィットーリオの『声』を増幅して遠方まで響かせるためにいる。
両艦隊が互いの射程距離に踏み込もうとするまさにその一瞬に、ルイズの唱える『イリュージョン』が発動した。
レコン・キスタの戦列の前に、突然巨人の姿が現れる。その姿を見た従軍神官が突然慌てだした。
「なんだ、あれは!」
突如現れた巨人と、慌てふためく神官の間に何かを感じ取った艦長が神官達に問いただす。
そんな光景がほぼ全ての艦で起こる。
そして艦隊の指揮官達は、巨人が何者かを教えられて愕然とするのだった。
『レコン・キスタのものに告げる』
そこに、風魔法で増幅、伝達された聖下の声が響き渡る。
『私は教皇エイジス32世の名において、汝らが悔い改めることを望む。汝らが首魁、オリバー=クロムウェルは虚無の担い手にあらず。私はここに、教皇の名の下、彼の者を始祖に対する虚言と侮辱の罪において破門することを宣言する』
その一瞬、その場にいてその声を聞いた者は、皆戦場が凍り付いたのを感じた。
『なお、彼のもの以外については、偽りを知り得なかったことを鑑み、一週の猶予を与える。一週の後、なお彼に従いし者は、同じ罪にて連座とする』
ルイズは驚いた。ワルドもまた思わず聖下の方を凝視してしまった。
偽りの虚無を暴くことは打ち合わせ通りだが、まさか聖下の口からここまできつい言葉が出るとは思ってもいなかったのである。
教皇直々の破門宣告、それはこのハルケギニアにおいて死刑宣告に等しい。
これが教皇以外からなら、まだ悔い改めれば許されることもあり得る。だが、教皇直々となればこれを撤回できるものは同じ教皇しかいない。
ましてや今代の教皇は同時に『虚無の担い手』である。教皇同士を比較したとしてもおそらくは最上位の教皇である。そんな彼の破門宣告を取り消せる他者はもはや始祖その人以外にはいないであろう。
結果は劇的であった。
レコン・キスタの全艦隊に、降伏旗が掲げられたのである。
「よかったのですか? 聖下」
ルイズが心配そうにヴィットーリオの方を見る。
破門宣告は教皇にとっても諸刃の剣である。文字通り切り札ともいえる武器だけに、これを切ることは教皇の命そのものを政治的にも物理的にも揺るがしかねない。
ましてや軍隊とはいえ不特定多数の教徒の面前での破門宣告である。
これは教皇の持てる最大の権限執行と言ってもいい。
そしてヴィットーリオはあっさりとその答えを返した。
「かまいません」
そこには揺るぎない信念があった。
「幸いにして私の権威もまだ衰えていなかったようですしね。あなたが演出してくれた『奇跡』の効き目もあったと思いますし」
実際、教皇の威厳と『虚無の御力』を目の当たりにした彼らは、恐ろしいほどあっさりとこちら側に鞍替えした。艦隊指揮官達にクロムウェルと直接繋がっている者がいなかったこともあったようだ。
ごくわずかに彼の言い分を無視しようとした者もいたようだが、周辺の無言の圧力に屈したようであった。
そしてレコン・キスタ軍の艦艇のうち、船足の速い3分の1がクロムウェルの破門宣告を届けるために帰還し、残りはこのまま王党派と合流して進軍することになった。
もはや勝負は決した。
この場にいる誰もが、そう思っていた。
たとえクロムウェルが破門宣告に抗ったとしても、彼に味方する者はわずかに過ぎないであろう。
その推測は間違っていなかった。
間違ってはいなかった。
が。
見落としたことが一つ、そして知らなかったことが一つ、残っていた。
「そうですか」
教皇直々の破門宣告を伝えられたクロムウェルは、静かにそう答えた。
そしてゆっくりと立ち上がると、この場に残っていた幹部達全員を見渡し、言葉を継いだ。
「今この場にいる全貴族、全将兵を集合させてください。今まで私たちに味方してくれたもの、全員です。集合が終わり次第、私の所に連絡を。そこで私の言葉を伝えます」
その言葉を聞いた者は、彼がどちらの道を選択するのかを思いながらこの場から立ち去った。
おそらくはレコン・キスタの解散を宣告するのだろう、そう予測しつつ。
この衝撃的な言葉を聞かされても、彼は取り乱したりはしなかった。
いつもと変わらない様子で、皆に声を掛けた。
彼らにしても予想外といえた。まさかロマリアから教皇聖下が直々にお出ましになられるとは思ってもいなかったのだ。
しかもその口から直接我々が逆賊だと宣言されてしまった。
さすがにこの状態で革命を為すのは無謀である。大義も失われたに等しい。
もしクロムウェル閣下が徹底抗戦を主張しようものなら、おそらくその場で暴動になるだろう。そしてそれを判らない閣下ではない。
それに教皇の言葉には表裏一体の意味が込められている。一週間以内に下るのならば、反乱の罪は一切問わないという意味が。
破門宣告は教徒にとってもっとも重い罪である。その罪を許すということは、他の一切もまた許すということである。
もし王党派が降伏した我々らに対して処罰を加えようとするのならば、それは教皇が今度は王党派の敵になるということである。
落としどころとしては妥当といえよう。
伝説の虚無。
伝説は伝説だからこそ利用できるのである。伝説が実在になってしまった時点で、我々は敗れたのであろう。
彼らはそう思っていた。
「シェフィールド……」
一人きりになったはずのクロムウェルは、広い執務室でシェフィールドと呼ばれた女性に、甘えるようにしがみついていた。
成人男性が若い女性の胸に顔を埋めているのに、不思議と性的なものを感じさせない。
何故かその光景は母親が幼子をあやしているように見えた。
「いわれた通りにしたけど、あれでよかったのかい? それに私はもう終わりだ。まさか聖下が直々にこの地まで出張ってくるなんて」
「ご安心を、閣下」
子供のようにおびえるクロムウェルを、優しくあやすシェフィールド。
「破門宣告は諸刃の剣。確かにこれを持ち出されたらある意味では終わりですわ。でも……」
「でも?」
「破門宣告をしてなお相手が屈しなかった場合、落ちるのは教皇の権威です。残りのものが一丸となって抵抗をした場合、逆に地に落ちるのは彼の方なのです。ただでさえ若年の教皇聖下、彼を落としてその後釜にというものは、意外と彼の国には多いのですよ」
「そ、そうか」
その言葉に希望を見出すクロムウェル。
「それと、あの方の方は……」
「ご心配なく。既に準備は整っていますわ。それに」
「いざとなればこれもある」
幾分落ち着きを取り戻したクロムウェルは、己の指にはまった指輪を見る。
アンドバリの指輪。死者をよみがえらせ、時には生者をも従えさせることの出来る水精霊の秘宝。
クロムウェルにとって、それは己の身を最後に守ってくれる切り札ともいえた。
「しかし、これほどの秘宝が何故存在していたのでしょうか」
するとシェフィールドは、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、クロムウェルに言った。
「ロールプレイングゲーム、という言葉をご存じで?」
「役割を為す? 演劇とも違うようだが」
クロムウェルがそう問い返すと、シェフィールドは問題を正解した生徒を見つめる教師のように、柔らかく微笑んで言葉を続けた。
「ごっこ遊びの大人版ともいえる遊びですわ。あるものは物語の勇者に、あるものは叡智あふれる魔法使いに。かりそめの役になりきって、物語を追体験する遊びですの」
そう言ってクロムウェルの背後に立ち、シェフィールドは豊かな胸を彼の背に押しつける。
「こ、これ……しかし、大人版、というのは?」
「ええ。ただのごっこ遊びと違うのは、真剣勝負の面もあると言うことですの」
「真剣勝負?」
彼の耳元で、囁くように語るシェフィールド。
「ええ。誰かが全体のしきり役となって、勇者達の行動がうまくいくかどうかを一定のルールによって判断し、その結果を告げるんですの。
他の者は勇者として、助言者として、己の役柄にあった行動を、己の考えによって成し遂げなければなりませんの。常に物語のようにうまくいくとは限らない、ということですわ」
「……なるほど、それは面白い遊びかもしれませんね」
自分が勇者になったところを想像したのだろうか。クロムウェルも少しにやけたような笑いを浮かべた。
「そんな遊びに、かつてはまった古の王がおりましたの。王は空想に飽きたらず、現実にそんな勇者になってみたいと考えたそうですの。
偉大なメイジでもあったその王は、そのためにいくつもの道具を創り出したそうですわ。
このアンドバリの指輪も、その一つだとか」
「遊びに使うにしては少し桁が違わないかい?」
するとシェフィールドは、彼の胸板に後ろから手を当てつつ答えた。
「この指輪は、そんな遊びの一つのためのものなのですよ。死せる友を操る悪の魔導師や、万を超える亜人の軍勢を演出するために作られた水の魔法道具。水の精霊がこれを秘蔵するのは、そのために必要な莫大なまでの水の魔力をこれに込めるためなのですわ」
クロムウェルの返事はない。シェフィールドの手から放たれた魔法が、彼の心臓を止めていたから。
彼女は後ろから彼を抱きかかえたまま、その指から指輪を抜き取り、自分の指に嵌める。
そして彼女がクロムウェルから離れると、彼は何事もなかったかのように彼女の方に振り向いた。
「ああ、シェフィールド、ありがとう。勇気がわいてきたよ。もう私には、恐れるものなど何も無い」
「残る皆様方も、あなたに従うでしょう」
ちょうどその時、ノックの音がした。
「クロムウェル様、全軍の集合、完了いたしました」
「判った。すぐに行く」
部隊は変わって、アルビオン北西に当たる海上。
そこを進むたくさんの船がいた。
多数の砲を備えた戦艦。これだけの艦船を備えた艦隊は、この地には一つしか存在しない。
ガリア両用艦隊。水上と空中、双方を航行可能なガリア王国の主力艦隊である。
その旗艦『シャルル・オルレアン』の一室で、一人の男が鏡をのぞき込んでいた。
不思議なことにその鏡には男の姿が映っていない。男とは似ても似つかない、美女の姿が映っていた。
しかも鏡の中の美女の口が動くと、どこからともなく若い女の声があたりに響き渡る。
『ジョゼフ様、こちらの準備は整いました』
「ご苦労。やれやれ、トリステインに一本取られただけに、どうなるかと思ったがな」
言葉の割にその口調には焦りも困惑もない。
「こちらも順調だ。最後の舞台には、いいところで出演できそうだ」
『お待ちしております』
そう鏡の中の美女が答えると、突然その姿が鏡の中から消え、次の瞬間には男の顔が映っていた。
「便利なものだな」
男の向かいにいた、耳の長い男が言う。
「ああ。情報の伝達速度は国力に直結する。おまえ達の宿敵から教わったことだがな」
男……ガリア王ジョゼフは、目の前のエルフ、ビダーシャルにいやらしげな笑みを浮かべつつ言った。
「彼の魔女は許し難い存在ではあるが、同時に偉大なる知恵者でもある」
だがその皮肉を意にも介さずに、ビダーシャルは答える。
「そのへんのおまえ達の感覚は、どうもよく判らんな」
ジョゼフも真面目な顔になって言う。
「おまえ達にはわからない感覚だろうな。我々は基本的におまえ達のことを別段嫌ってはいない。おまえ達がこちらの禁忌に触れないかぎりは、むしろ友好的に振る舞うのが我々の掟だ」
「ほう……それが『大いなる者』の命というわけか」
「そうだ」
からかうような言葉をきまじめに返されて、幾分ジョゼフは不機嫌になる。
「大いなる者、ね……もはや伝説の存在ではないのか?」
「否定はしない」
「全く、少しは怒っても良さそうなのだがな」
だがビダーシャルは全く動じずに言う。
「我々にとって大いなる者は確たる存在だ。夢物語ではない」
「そういうものか。我々ごときでは見ることも叶わないのかな?」
そう水を向けるジョゼフは、少し意外な答えを返された。
「いや、見た目なら我々と変わりはしない。むしろおまえ達そっくりだといえよう。ある一点を除いてな」
「ほう?」
エルフにとっての崇拝すべき存在が、むしろ彼らより自分たちに似ていると言われ、ジョゼフは少し興味がわくのを感じた。。
「一体どこが違うのだ? 我々にも判る差なのかな」
そういうジョゼフに、ビダーシャルは一切揺らぐことなく、その答えを言った。
「一目でわかる。大いなる者は、虹色の聖光を身に纏っているからな」
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