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#navi(たった一人の監視者)
chapter10
それは飽きた玩具を送りつけるような無作法だった。
皇帝アルブレヒト三世から、皇妃アンリエッタへのトリステイン旧王国領における三権裁可権限の委任状。
公文書の束には皇帝自らの私信が付け加えてある。
どうやら降臨祭の贈り物を前渡ししているつもりらしい。
歓心を買うつもりなのかもしれない。が、かくしてアンリエッタの手に、トリステインは戻った。
委任状が届いた日から時間は飛ぶように流れる。アニエスと、そしてエレオノールの手を借りて、アンリエッタは荒され尽くしていたトリステインの政務に着手した。
鳥の骨が昔一人で行っていた事を三人がかりでやり直すのは、十年の月日を思うとさらに困難なものだった。
しかし、アンリエッタは身を燃やすように現実と向き合った。
十年の虚ろな時間を取り戻そうと、もがいていた。
一日の政務が終わり、一人になってアンリエッタは机上の本を読み始める。
ルイズと別れた時、彼女に渡されたものだ。一冊はまるで読めなかったが、もう一冊はルイズの筆で書かれている。
十年前の日付から始まるルイズの日記だった。
“六二四二年 四月二十九日”
“持ち物を確認した。秋用のローブ、杖、インク壺、ペン、日記に財布、それに私が呼び出したマスクと本”
“自分が何をしているのかまだよく理解できない”
“昨日の夜、思いつきでマスクを被ってみた”
“穴があるように見えないのに、マスクを被ると前が見えるのだ。鏡で見ると顔の模様がぐねぐね生きているみたいに動いていたのは覚えてる”
“けれどその後、読めなかった本を開いて中身を見てから……”
“五月十八日”
“ゲルマニア国境近くの宿で”
“……旅をしながらいくつかわかった事がある”
“まず、世間は自分が思っているよりもずっと悪賢く出来ていること。でもそれは置いておく”
“この『日記』を書いた奴の名前がロールシャッハということ。私の被っているマスクもこいつのもの”
“こいつのマスクがないと『日記』が読めないこと”
“『日記』を読んだ日からずっと、頭の片隅で誰かがざわついていること”
“八月二日 ゲルマニア ウィンドボナ”
“居心地は悪いけれど、詮索はされない分気が楽になる”
“『日記』もマスクも捨てられず手元にある”
“今は寺院の一つに厄介になっているけれど、これからどうしよう”
“部屋に一人の時にマスクを被って『日記』を読むようになった”
“ロールシャッハという奴は、どこかで自警団みたいなことをしていたみたい”
“どうせなら、『日記』じゃなくてそいつ本人が召喚されればよかったのに”
“八月四日”
“どうしてあんな事をしたのだろう”
“寺院に寄進に来ていたゲルマニア貴族を殴り倒してしまった”
“でもそいつは司祭に見返りを求めた”
“また頭がざわつく”
“十一月二十日 リュティス”
“王太子に命じられた少女が馬車の上から群衆に向かって手を振っている”
“着飾っているがその姿はタバサに違いない。あの子がガリアの王族だったなんてね”
“『日記』を幾度となく読み返す。その度に、私の中であいつは大きく強くなっていく”
“私はこいつを『ロールシャッハ』と名付けた”
“六二四五年 三月二十九日”
“トリスタニア チクトンネ”
“だんだんと私が『ロールシャッハ』と混ざり合っていくのがわかる”
“いずれ私は『ルイズ』でいる事をやめるだろう。私は自分の行動に違和感はないのだから”
“けれども、ゼロだった頃よりかはマシだと思う”
“ゼロでなくなるのなら、私は『ルイズ』でなくてもいい”
“四月二十八日”
“使用人と称して平民の娘を買う貴族がいる”
“だが、そいつの屋敷から娘達は帰ってくる事はない”
“屋敷の地下は骨が埋め尽くしている”
“私はそこに犬を捨てた”
“最後に殺された黒髪の娘。名は知らない”
“私はその娘に、『ルイズ』と名付けた”
chapter11
厨房下の貯蔵庫に潜んで七十二時間経った。時間感覚が正しいなら、今日は十二月三十二日。十一時十分。
木箱から抜け出て、近くの箱を漁って空腹を満たす。クックベリーの詰まった箱は無視する。胃が受け付けないからだ。
厨房には誰もいない。既に祝宴は終わって、ヴェルサルテイル宮殿群に居るのは僅かな人間だけ。
その中に教皇エイジス三十二世ことヴィットリオがいるのはわかっている。
厨房には色々な道具が置いてある。彼女はそれを慌ただしく物色して、牛刀と麺棒をコートの帯に挟み込んだ。
目指す場所は宮殿の屋上部にある展望台。そこで教皇は国王ジョゼフと王太子シャルロットの前で聖句を詠み上げている筈だ。
今更音を立てずに歩くのも苦ではない。
だが、それを意識するほどに奇妙な人影が廊下にはあった。
ロマリア聖堂騎士の刻印を下げた男がいる。
不動で立つ男の後ろには上部への階段がある。
彼女は僅かに歩測を緩めた。顔の紋様が形を変える。
柱の影を這い上り、天井の飾りを足場に男の真上に行く。
片手でぶら下がり、空いた手を下に伸ばした。
口に呪文をのぼらせる。何でもいいのだ。呪文の内容に関わらず起きる現象は変わらない。
手首の先で見え隠れする杖で男の頭を狙った。
冑の中で肉の砕ける音が聞こえる。。
男は耳と、鼻と、目から血を流して倒れ、彼女はその上に着地した。
すり鉢状の大展望台に、男の声が響いている。
貴族らしい女性と、車椅子に体を預けた男がそれを聞いている。
焚かれた篝火が浮かびあげるその光景に彼女は何も感じなかった。
〈……始祖に神々は言った。枝を分けよと。始祖は枝をより分け、金の枝を娘に、銀の枝を弟子に、そして銅の枝を同胞へ配られた……〉
白大理石の床が炎を反射して展望台全体が光っている。
信心があれば光の神殿に見えるだろう。
彼女は展望台の中心へと足を進める。横から声がかかった。
「止まりたまえ。猊下は今お忙しい」
覆面越しに彼女はその顔を認識した。
「ジュリオ・チェザーレ……教皇の犬」
「君が本当に来るとは思っていなかったよ、ルイズ・フランソワーズ」
精悍な素振りでジュリオは手袋を外し、床に捨てる。
右手が魔法の光を放っていた。
「本当なら君は十日以上前に処刑されていた。だが、生きているとわかった時、ここに来ることが予想された」
「お前がマザリーニを殺したのか」
遠くの空から低い羽ばたきが近づいていた。
「彼は信心が深いと聞いていたのに、我々の計画に加わってくれなかった」
羽ばたきと咆哮が展望台に轟く。
「ルイズ・フランソワーズ。狂える哀れな娘よ。猊下に楯つくお前を排除する。……紹介しよう」
風を切る音を立てて二頭の竜が、展望台の上空を取り巻いていた。
「アズーロと、シルフィードだ」
光る右手を掲げ、ジュリオは彼女に向かって振りおろす。
竜は主の命令に従い、己の野性に任せて飛びかかった。
彼女は動揺しない。だが素早く帯の中から麺棒を抜いて竜の一方の頭に投げつける。
同時にもう一方の竜が爪を立てて迫るのを飛びあがってかわし、鱗の突起に捕まって背中に回った。
驚いた竜が振り落とそうと空へ上がる。彼女は竜の背をよじ登って首に捕まった。
竜の首には『アズーロ』と書かれた手綱が巻かれている。それを引き寄せ、体を固定してから、右手を竜の頭に押し付けた。
短い呪文を四、五回続けて口ずさむ。水瓜のような飛沫が飛んだ。
大脳の支配を解かれた竜の巨体は数秒だけ滞空して、上空五十メイルから落下を始める。 彼女は落ちるに任せ、手綱を離す。宙に投げ出された彼女に、もう一頭の竜――シルフィード、と呼ばれた――が、大顎を開いて真下から矢の様に迫っていた。
はためくコートから牛刀を抜く。鉈で薪を割るように、振り降ろした。
王太子シャルロットが、二度の床砕く振動の後に振りかえった時、そこには肉塊となった二頭の巨獣が横たわっていた。
最愛の司祭の姿はない。
侵入者が竜の骸に腰を降ろしていた。
侵入者は立ち上がると、床にあった汚れた帽子を取り上げて被った。
「この竜はお前の使い魔だったと記憶していたけど、それは間違いだったかしら、タバサ」
両腕を血で黒く染めた侵入者が静かに近づいてくる。
床を鳴らす足音が響き、シャルロットは自分の身を守ってくれるに違いない男を探した。
視線は二つある死骸の一つに止まる。
見覚えのある白くて長い指を持つ腕が、竜の身体と石床の隙間からだらりと伸びていた。
「ジュリオ……様……?」
シャルロットの心はその時、司祭の元へと旅立ち、決して戻らなかった。
「タバサ」
生きる像と化した王太子に彼女は声をかける。
「その者は貴方の知る女性ではありませんよ」
答えは横から返ってきた。
「……やれやれ。騒がしい事だ。だが、虚無の使い魔を破るとは、流石は同じ虚無の使い手だと評価しよう。ルイズ・フランソワーズ」
教皇が振りかえって彼女を見る。笑みを湛えた、聖職者そのものであった。
「……本物のシャルロットは今頃母親と同じ姿になって施療院にいるだろう。もっとも、場所を知る人間は、先程竜の下敷きになって死んでしまったがね」
「何故マザリーニを殺した」
ポケットの中からナイフを出して構える。教皇は動かなかった。
「彼は真の信仰に至ってはいななんだ。この混沌とした世界を見たまえ。始祖の御心を忘れた者の、何と多い事か
「私はそんな時代に生まれた始祖の技……虚無を持つ者として行動することにした。虚無の使い手が虚無を完全に操るならば、ここに始祖が作り出した秩序を復活させる事が出来る」
「言いたい事はそれだけ?」
足元の麺棒を拾い、彼女は教皇に向かって投げつける。
石の祭壇が砕け散り、教皇は彼女の背後に立った。
知覚できない移動だった。
「……だがその為には蒙昧な蛮族の国ゲルマニアが邪魔になる。計画の初めにトリステインがあの国に下った事は予想外だったよ」
彼女は振りかえり様に魔法の一撃を飛ばす。
竜の肉塊が爆ぜた。教皇は祭壇の前に移っていた。
「既にトリステイン各地には虚無の技によって創り出した宝具が起動している。それらは降臨祭の開始と同時に、あの国を塩原と化すだろう」
「今すぐそのマジックアイテムを停止させろ」
ゆっくりと教皇が振り向く。
「私がさせない。トリステインを守る」
「守る? 君は何か勘違いしている。私は君が今まで倒してきた小悪党とは違う。何故なら」
その時、リュティス市中央で大寺院が十二時を告げる大鐘を鳴らす。
ヴェルサルテイルの屋上にいる者達にも、それははっきりと聞き取れた。
「何故なら、たった今宝具は作動したからだ」
トリステイン南部を震源とした局地地震は、新年の訪れとともに発生した。
その揺れは南部全域を包み、人間の住みかと呼べる物を悉く砂に還して行く。
それに関連するように、ある地方都市が謎の霧に覆われ、家や人が泥の中へ沈んだ。
火の消えた火山が爆発し、裾野の村々が溶岩に飲まれた。
ガリア兵を率いるロマリアの軍団が、国境の淵で号令を待ち続けている。
「朝日と共に、私はトリステインを皮切りにハルケギニアをブリミルの元に熱狂的再征服する」
chapter12
「私の元へ来たまえ。ルイズ・フランソワーズ。君もまた虚無の使い手だ。私と共にこの世を正しく作り変えよう」
迷い子に差し伸べる手とは彼女の眼の前のそれを言うのだろう。
祭壇から見下ろす視線は彼女の頭を包む覆面を捉えていた。
覆面の紋様が歪んだ。
「巫山戯るな。お前は始祖の皮を着ているだけの詐欺師だ」
握るナイフを構え直す。腰を落とし、帽子を押さえた。
「仮にお前が始祖そのものでも、私はお前には絶対に……屈しない!」
瞬間、教皇の視線から彼女が消えた。壇上へ向かって跳躍する、彼女の影が認識出来ただけだった。
教皇にはそれで十分だった。表情も変えずに彼は軽く杖を振る。
彼女が壇上に着地する。教皇は影もなかった。
「私を殺そうとするな、無駄な行いだぞ。太陽が昇ればトリステインは軍靴で浄化される事に変わりはない」
背後に立つ教皇に、彼女は答える。
「夜明けまでにお前を殺せば、軍団は足止め出来る。お前の号令が無ければ動かないなら」
再び構えて彼女の『顔』は揺らめく。
「何も問題はない」
「それが君の答えかね?」
「私は妥協しない」
「そうか……残念だ」
再び飛びかかる彼女に対して、教皇は先程の様には逃げなかった。だが杖先を目の前に向け口を開いた。
刃の切っ先があと半メイルの位置にいた彼女は、それでその場から消えた。
手のナイフが石壁に突き当たるのを感じる。
一切の光が無い、狭い空間に彼女はいた。
〈聞こえるかね? ルイズ・フランソワーズ〉
薄壁を隔てての様な教皇の声だった。
〈君がいるのは私が作った、虚無を疑似的に再現できる宝具の中だ〉
展望台に現われた宝具――外形は石の立方体に過ぎない――を前に、教皇はそれに向かって穏やかに語りかける。
「その中に容れられた物は、虚無の破壊魔法『爆砕(エクスプロ―ジョン)』によって、白浜の砂よりも細かな塵になって消えるのだ」
慈悲に満ちていると自他が思える程に、その声は響く。
「諦めたまえ。私の一振りで君は死ぬるのだぞ」
「それがどうした」
石の中から彼女は返す。
「本当に私を殺せるのなら、やってみせろ」
動揺は無かった。彼女の存在を教皇は石の奥に感じ取る。
僅かに、教皇は呻いた。
「愚か者め……」
宝具はその瞬間に強烈な電光を八つの角から放出する。
虚無の恐ろしい光が消え、その代りに蒸気が噴き出したのを見て、教皇は笑った。
「これでこの世にいる虚無の使い手は、私とお前だけだ。ジョゼフ」
この場で車椅子にもたれている男に向かって言った。
「いっそ死ねただけ彼女の方がましか? 薬で廃人になったお前にはな」
教皇が車椅子を押す背後で、宝具が解放される。
中には誰の姿も無かった。
だが。
ヴィットリオが足を止めた。理由は己にもすぐに解らなかった。
だが誰も居ないはずの背後から、己を射抜く視線にヴィットリオは、全く無意識に振りかえる。
石質の空間には誰も居なかった。だが、そこには一点に向かう風が吹く。
宝具の中心、ルイズが居た場所へ。
電光が走った。虚無の禍々しい光が男の目を青白く染める。
そして、光に眩んだヴィットリオの視界が戻った時。
宝具の中心で、覆面の顔を持つルイズ・フランソワーズが立っていた。
恐怖にヴィットリオが凍りつく、その一瞬でルイズはナイフごと体当たりし、男を床に倒す。
刃が男の掌を突き貫いた。
続けて近くに転がっていた竜の血塗れの牛刀を引き寄せ、暴れるヴィットリオを組み臥し、もう片方の手を突き抜く。
大理石の床に、ヴィットリオの身体が縫いつけられる格好だった。
「糞! 出来損ないの虚無め! 何故だ? 何故生きている? 使い魔すら持てないお前が何故」
「使い魔なら居る」
馬乗りのルイズは覆面を剥ぎ取る。
蠢く紋様の下の、可憐な無表情を、細面のヴィットリオは見た。
透けるようなルイズの瞳の中に、ルーンの連なりが刻まれているのがはっきりと見える。
ヴィットリオの脳裏に幾度となく諳んじた一句が過った。
“そして最後にもうひとり”
“記すことすら憚れる……”
「……ルイズ・フランソワーズ! 私は十年かけてこの計画を進めたのだぞ! 全て世界の平和の為だ!」
「その為にマザリーニを殺した」
「ルイズ・フランソワーズ!」
「私は『マスク・ゼロ』」
彼女の手先から伸びた杖が、ヴィットリオの頭を捉える。
「嘗て『ルイズ・フランソワーズ』だった女」
『顔』を着け、彼女は口を開く。
「今の私は『ロールシャッハ』だ」
白亜の床が鮮やかに染まった。
epilogue chapter
“『トリスタニア・プライマリィマガジン』”
“六二五四年 三月号”
“『偉大なる妥協』成立 旧トリステイン領「王国」へ”
“過日、一年以上に渡る王宮滞在を経てウィンドボナへ戻ったアンリエッタ皇妃は、皇帝アルブレヒトにトリステイン旧領の事実上の独立分割を提案し、これを認めさせる事に成功した”
“ゲルマニア領内上の分国としての承認であり、国王はアンリエッタ皇妃が兼任する”
“しかし我々の頭上に再び、始祖から続く王族が戴かれる事になったのであり、我々はアンリエッタ女王の英断に一層の忠誠と深い感謝を捧げねばならないだろう。……”
執務の合間の休息に見た新聞の見出しに、アンリエッタは微苦笑しか出なかった。
「好き勝手なものね。責任を全部押しつけるつもりなのかしら」
傍らで政務の準備をしていたエレオノールはそんな女王に目を向けずに答えた。
「国の基たる貴族なら、そのような醜聞をばらまきはしないでしょう。……陛下もいい加減そのような物を集められるのは……」
新聞が畳まれて近くの籠に放り込まれ、女王は言う。
「市井を最も早く知れるんだから、大したことじゃないでしょう?……謁見の予約はどうなっていたかしら」
「ガリアのイザベラ女王からの大使がお待ちです。ロマリアからの大使も居ますが」
「あと三日待つように伝えなさい。……丁重に取り扱うように」
手元でペンを繰りながら、アンリエッタは昨年の事を考える。
年明けと共にトリステイン各地を災害が襲い、アンリエッタはそれへの対応に追われた。
それを終えた矢先の、ガリア王とロマリア教皇の崩御がゲルマニア共々伝えられ、ガリア王にはシャルロット王太子ではなくイザベラ姫が着くと知らされる始末。
ゲルマニアの政府はこの一連の事件に右往左往するばかりだった。だが、アンリエッタは違った。
きっとルイズが何かをしたのだろうと考えていた。一体何をしたのかは、分からなくても、アンリエッタはそれを確信できる。
ルイズは誰にも知られない、しかし誰かがやらなければいけない何かをしたのだろう。
あれ以来、ルイズの訪問は無い。
一人私室に戻り、アンリエッタはルイズの日記を読み返そうと、引出しを開けた。
だが、いつもそこにあるはずの冊子が、そこには無かった。
ふと、アンリエッタは気付く。
(……まだ新しい泥が窓に残っている)
近づけば、そこに一枚の紙切れが挟んであった。
“預け物は返してもらった.┓┏.”
驚くが、アンリエッタはすぐにそれが何であるか理解できる。この筆を見れば十分だった。
けれども、アンリエッタは寂しさを感じないで済んだ。引出しの隠し棚の中に、日記の一部を切り取っておいたからだ。
「こんな事したなんて、彼女は怒っているかしらね……」
薄い笑みで、アンリエッタは紙片越しに、最愛の友を透かし見れる気がした。
路地の影は暗く、だが春晴れの陽光が差している。
彼女はその一角で、薄汚れている冊子を繰りながら、憤りの声を吐きだしていた。
けれども冷静に、彼女は懐から別の冊子を出し、それを見ながらページを埋め始める。
彼女は今まで書いていた、そして親友が取りさった個所に、ペンを向ける……。
“ロールシャッハ記 六二五二年 十一月十六日”
“昨日、鳥の骨と呼ばれた男が死んだ”
fin
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