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「アノンの法則-12」(2009/09/07 (月) 18:52:33) の最新版変更点
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#navi(アノンの法則)
「……今日で三日」
一日の授業を終えたルイズは、食堂へ向かいながらそう漏らした。
もう三日だ。今日もアノンは帰って来なかった。
あの後、ルイズは学院中を探し回ったが、結局アノンは見つけることはできなかった。
学院の外に出たに違いない。
自分の使い魔の危険性を認識し、しっかりと管理するつもりだったのだが、あっさりと野放しにしてしまった。
探しに行こうとも思ったのだが、どこに行ったのか検討もつかず、また実技が全滅なだけに授業のほうもサボるわけにはいかない。
ルイズは頭を抱えた。
このままではヴァリエールは使い魔に逃げられた、などと噂が立つかもしれない。
いや、それだけならまだいい。
ルイズが心配しているのは、あの危険極まりない使い魔が、どこかで事件を起こしていないか、ということだった。
あいつは今、ツェルプストーからもらった剣を持っている。
剣。そう、凶器だ。
まったく、あの色ボケツェルプストー、なんと余計なことをしたくれたのだろう。
昨日も、のん気に「私のダーリンはどこ?」などと尋ねてきた。
何でも今度はもっと立派な剣をプレゼントしたいのだと言う。
とんでもない話だ。あのボロ剣だけでも十二分に危険だというのに。
「まさかもう死人が出てるんじゃ……」
ルイズの不安は募る。
呼び出した使い魔を御しきれないばかりか、無関係の者に危害が及ぶ。
それは、主としての責任や貴族としての誇り以前に、ルイズの人としての良心が悲鳴を上げる事態だ。
ルイズは、胃に穴が開きそうだった。
この分では、食事もあまり入らないかも知れない。
ルイズはきりきりと痛む腹を押さえながら、食堂へと向かい――そこで、メイドと楽しげに語らう、自分の使い魔を見つけた。
「……今日で三日」
シエスタはそう呟いた。
彼女が身につけているのは、モット伯の屋敷で着せられたような下品な衣装ではなく、学院のメイドが使う、ごく一般的なメイド服だった。
彼女はモット伯の屋敷へと雇い入れられた次の日の朝一番に、理由も告げられず、学院へと送り返された。
幸い、マルトーもシエスタの無事を喜び、今まで通り学院で働けるように取り計らってくれた。
だがなぜ、モット伯は雇ったメイドをすぐに突き返すような真似をしたのだろうか。
シエスタはあの日の夜の、気を失う直前の光景を思い出す。
氷の粒が月光を反射しきらめく中、錆びの浮いた剣がモット伯の体を引き裂き、床に血が――。
そこまで思い出して、シエスタは体を震わせた。
あれは、現実の出来事なのだろうか。
モット伯は学院にも出入りする王宮の勅使。
彼が殺されたりしたら、学院にその話が聞こえてこないはずが無い。
(でも…)
シエスタは厨房での仕事を片付け、貴族達が夕食を摂っているだろう食堂へと向かった。
扉から中を覗いてみるが、やはり目当ての人物は見つからない。
今日も昼の間、仕事をしながらシエスタはずっと、アノンの姿を探していた。
どうしても、あの夜の出来事を確かめたかったのだ。
だが、彼は見つからない。メイド仲間達に聞いても、この三日彼を見た者はいないと言う。
マルトーの話によると、アノンに自分がモット伯に雇われたと話をした直後から、行方がわからなくなったらしい。
一体どこにいるのだろう?
「あれ? シエスタ?」
諦めきれずに、なおも食堂の中を見回していたシエスタに、後ろから声がかけられた。
「別に戻ってくる必要は無かったんじゃねーか?」
アノンの背中で、デルフリンガーが言った。
アノンはモット伯に為り代わり、シエスタを学院に送り返す様手配した後、三日間を屋敷で過ごした。
屋敷の使用人や衛兵達は、少々雰囲気の変わった主をいぶかしんだが、モット伯の体を取り込んだアノンはまさにモット伯自身。
例え、『ディテクト・マジック』でも彼の正体を見抜くことはできないだろう。
そうしてアノンは三日間周りを欺き、たった今、屋敷を抜け出して学院に戻ってきたところだった。
数日のうちには、学院にもモット伯が行方不明になったとの知らせが届くはずだ。
「それもそうなんだけどね…」
アノンは曖昧に答えた。
確かに、もうしばらく屋敷で『伯爵様』をやっていても良かったし、屋敷を出るにしても、わざわざ窮屈な使い魔生活に戻る必要もなかった。
それでも帰ってきた理由は、やはりシエスタだろうか。
「とりあえず、ルイズに言い訳しないと」
ただでさえ行動を制限されていたところに、三日も無断でいなくなったのだ。
食事抜きでは済まないかもしれない。
この時間なら、ルイズは食事中だろうと、アノンはプラプラと食堂に向かった。
そこで食堂を覗きこんでいる、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「あれ? シエスタ?」
「アノンさん!?」
振り向いたシエスタは驚いた様子で、声を上げた。
「その様子だと、またココで働けてるみたいだね」
アノンの声はどこか嬉しそうだ。
「あ、アノンさん」
少し躊躇う様子を見せてから、シエスタは思い切った様に口を開いた。
「あ、あなたはあの夜、モット伯様を……」
――殺しましたか?
自分が尋ねようとしている事のあまりの恐ろしさに、シエスタは言葉を詰まらせる。
「知らない」
「え?」
「ボクは、何も知らないよ」
アノンはまっすぐにシエスタの目を見て、そう言った。
一瞬戸惑ったシエスタだったが、すぐに理解した。
あれは、夢ではなかった。
そして、アノンはそのこと他言するなと言っている。
「そう、ですか」
シエスタはにっこりと笑った。初めて会ったとき以来の笑顔。
シエスタは思う。
そうだ。彼はモット伯を殺した。
だが、それがなんだと言うのだろう。
一生醜い男のおもちゃにされるはずだった自分を、彼は貴族の屋敷に乗り込んでまで、助けてくれた。
ずっと避け続け、口も聞こうとしなかった自分を、彼は救ってくれたのだ。
シエスタは、胸の前で手を握り締めた。
もし、彼に危険が迫ったなら、今度は私が彼を助けよう。
私の人生を救ってくれたこの人に、いつかきっと恩返しをしよう。
笑顔と共に、シエスタは密かに決意した。
シエスタの笑顔に、アノンも笑みを返す。
「アノン!!!」
笑い合う二人を引き裂くように、突然怒声が響いた。
声のしたほうを見ると、鬼のような形相のルイズが、大股でこちらにやって来た。
「あ、ルイズ」
「『あ、ルイズ』じゃない!」
ルイズは、怒りのあまり頭が沸騰しそうだった。
「一体どういうことなのこれは! その女は何!? きっちり説明してもらうわよ!」
あたふたしているシエスタを押しのけ、アノンに詰め寄るルイズ。
そうとも、この使い魔はあっさりと言いつけを破って、三日もいなくなったのだ。
そして帰って来ていると思ったら、ご主人様をほったらかして、メイドなどと楽しげに話をしているではないか。
もしかしたら、このメイドとどこかへ出かけていたのかもしれない。
この使い魔を全力で管理すると決めたルイズとしては、納得のいく説明が無くては、いや、あったとしても許すわけにはいかない。
「あら、ゼロのルイズは使い魔をメイドに取られちゃったのかしら?」
後ろから不意に投げかけられた、からかうような言葉。
声の主は言うまでもなく、赤髪の美女、キュルケ・フォン・ツェルプストーだ。
その横では、いつものようにタバサが無表情に本を開いている。
「何ですって!?」
「かわいそうね。自分の使い魔に見放されるなんて」
挑発のための哀れみを込めたその言葉に、ルイズは矛先を変えて、キュルケに猛然と喰ってかかる。
「そんなわけ無いでしょ! 何よ、取られるって!」
「あなたがさっき大声で叫んでたセリフ。男を奪われた女そのものだったわよ?」
「う、奪うだなんて、そんな、私……」
恥ずかしそうに俯くシエスタ。
「あんたは何赤くなってんのよ!」
「ダーリン、私よりそんなメイドのほうがいいのかしら? 私あなたのためにまた剣を買ったの。今度は錆びたボロ剣じゃなくて、太くて大きい、立派なヤツよ?」
「ツェルプストー、この色ボケ女! 剣はいらないって言ったでしょ! あのボロ剣も引き取ってもらうわよ!」
ルイズはキュルケに掴みかからんばかりの勢いだ。
食堂の前で起きている大騒ぎに、だんだん人が集まりだした。
「なに読んでるの?」
「イーヴァルディの勇者」
怒り狂うルイズをよそに、アノンはタバサの本を覗き込んで、そういえば言葉は通じるケド、字は読めないなぁ、などと考えていた。
場所は変わって、ここは中庭。
ルイズとキュルケの言い争いがエスカレートし、ついに二人は決闘をすると言い出した。
だが、流石に食堂の前でおっぱじめるわけにもいかず、彼女達は 夕食を済ませてからここにやってきたのだ。
アノンとしては、勝手にルイズの怒りの矛先が変わって、嬉しい限りだったのだが――。
「いいこと? ヴァリエール。あのロープを切ったほうが勝ちよ。私が勝ったら文句言わずに、ダーリンに私の剣を使わせなさい」
「わかったわ。ただし、私が勝ったらあのボロ剣を引き取ってもらうわよ」
「いいわ。勝てたら、ね」
不敵に笑うキュルケを、ルイズは歯を食いしばって睨みつけた。
「あ、あのぅ。アノンさんを的にする必要はないんじゃ……」
睨み合う二人に、恐る恐るシエスタが尋ねる。
「うるさいわね。あいつにはいいお仕置きだわ。ていうかあんた、なんでついて来てるのよ」
「あ、いえ。心配でして…」
「大丈夫よ。私が優しく『レビテーション』で受け止めるから」
情けも容赦もないルイズに、何か企んだような笑みを見せるキュルケ。
二人の貴族は、まったくやめる気は無いようだ。
確かに、メイジが三人もいれば、死んだりすることは無いだろうが……。
それでもやっぱり心配で、シエスタは双月に照らされた本塔を見上げた。
「えーと。それで、何でボクは吊るされてるの?」
本塔の上からロープで吊るされたアノンは、同じく本塔の屋上から、自らの使い魔である風竜に跨って地面を見下ろす少女に尋ねた。
風が吹くたび、アノンはプラプラと揺れる。
「まともな決闘は危険」
タバサは感情の篭っていない声で、そう答えた。
地面からアノンを吊るしたロープを狙い、彼を落としたほうが勝ち、というこの決闘は彼女の提案だ。
地面には、顔を突き合わせて睨み合いをしているルイズとキュルケの二人、そして心配そうにこちらを見上げるシエスタが小さく見える。
「ココから落ちるのだって危ないよ」
「あなたなら、ここから落ちても平気」
ぴくりと、アノンの眉が動いた。
「…キミが、『レビテーション』をかけてくれるから?」
「私が、『レビテーション』をかけなくても」
タバサは相変わらず、感情の読めない表情でアノンを見つめている。
正体が、バレている?
誰もが平民だと言う中で、彼女は自分の正体に感づいているようだ。
モット伯の件がある以上、触れ回られると都合が悪い。
いや、もしかしたら、そこから嗅ぎつけてきたのかもしれない。
「『どこまで』、気づいてるのかな?」
偽りは許さない。
アノンはタバサを見据えて、そう尋ねた。
高い塔から吊るされている状況も忘れ、アノンはタバサの答えに集中する。
彼女は、どこまで気づいているのか?
それに次第では、今度はこの魔法学院で行方不明者が出ることになる。
「あなたは、人間ではない」
簡潔なタバサの言葉。
「それだけかい?」
「……」
黙りこんだタバサに、アノンはひとまず胸を撫で下ろした。
モット伯の件や“守人の一族”の能力までは知られていないようだ。
では、どこで気づいたか、だ。
「一体、どこで気づいたんだい?」
「それは…」
「当然なのね! あれだけ人外の気配を放ってたら、バカでも気づくのね!」
タバサが口を開こうとした時、突如別の女性の声が割り込んだ。
その直後、バグン、という重い音がして、タバサの使い魔の風竜が、きゅい!と悲鳴を上げた。
タバサが身の丈よりも長い杖で、風竜を思い切り殴ったのだ。
「今その竜が…」
「なんでもない」
「お姉さま! そいつからは危険な匂いがプンプンするのね! やっぱり関わらないほうが……きゅい!」
再び振り下ろされる杖。そして聞こえる女の声と、竜の悲鳴。
「その竜、しゃべれるんだ」
アノンの言葉に、タバサは諦めたようにため息をついて、地上を確認する。
ルイズとキュルケは、まだなにやら言い争いを続けていて、こちらを見上げるシエスタにも風竜の声は届いていないようだった。
少し安心して、タバサはもう一度杖で風竜を叩いた。
「痛い、ホントに痛いのねお姉さま!」
「人前で言葉を話すなとあれほど言った」
「お姉さまは『人間』の前で話すなと言ったのね。そいつは人間じゃないからセーフのはず…きゅいぃ!」
「命令の意味を理解するべき」
さらに風竜の頭に杖を振り下ろして、タバサはアノンに向き直って淡々と告げた。
「交換条件」
「なるほど。キミはその竜がしゃべれるってことを、他人に知られたくないんだね」
「あなたも自分が人外の者と知られたくないはず」
「…いいよ。お互いの秘密を口外しないことで、自分の秘密を守れるってわけだ」
「お姉さま、今度からはこいつがいてもしゃべっていいのね?」
タバサは軽くため息をつく。
探りを入れるはずが、間抜けな使い魔のせいで弱みを握り合う形になってしまった。
また杖で使い魔の頭を叩いてから、タバサは大量のハシバミ草を用いた、使い魔の教育プランを練り直し始めた。
突然、アノンの後ろの壁で爆発が起きた。
「ゼロ! ゼロのルイズ! ロープじゃなくて壁を爆発させてどうするの! 器用ね!」
「アノンさん、無事ですか!? アノンさーん!」
二人と一匹が驚いて下に目をやると、腹を抱えて笑うキュルケと心配して叫ぶシエスタが見えた。
今の爆発はルイズの失敗魔法だ。
いつの間にやら、決闘は始まっていたらしい。
だが、ルイズの魔法はロープには命中せず、本塔の壁に大きなヒビを作っていた。
「あなたって、どんな魔法を使っても爆発させるんだから! あっはっは!」
ルイズはがっくりと地面に膝をついた。
今度はキュルケがロープを狙うようだ。
キュルケが杖を構え、ルーンを唱え始めた時――地上にいる三人を大きな影が覆った。
「な、なにこれ!」
「きゃあああああ!!」
キュルケが驚きに口を開け、シエスタは悲鳴を上げた。
大きな影の原因は、月明かりを遮る巨大な土のゴーレム。
ゴーレムは大きく振りかぶり、その巨大な拳で、本塔の壁を殴りつけようとしていた。
その目線の先には、ヒビの入った壁――及び、吊るされたアノン。
ゴーレムがこのまま拳を振り下ろせば、確実にアノンが巻き込まれる。
一番反応が早かったのは、タバサだった。
すばやく風の刃を作り、アノンを吊るしたロープを切断すると、すぐに自分も風竜に跨り、本塔から飛び立つ。
そのまま地面に向かって落ちるアノンは、ロープでぐるぐる巻きにされているにも関わらず、空中で器用に体勢を変えて難なく着地した。
アノンはゴーレムを見上げる。
「大きいな…」
見上げるゴーレムは三十メイルはあろうかと言うかなり大型のものだ。
ゴーレムの巨大な拳が、ヒビの入った壁に叩きつけられ、本塔に大きな穴が開いた。
辺りに壁の破片が降り注ぎ、キュルケはたまらず、そばにいたシエスタを掴んで『フライ』でその場を離れる。
だが、アノンはロープでぐるぐる巻きの状態。これを解かなければ動けない。
ロープを引きちぎろうと力を込めたとき、ルイズが駆け寄ってきて、何とかロープを解こうと悪戦苦闘し始めた。
「ルイズ、ココ危ないよ?」
「うるさいわね、このロープなんでこんなに固いのよ!」
「キミが結んだんじゃないか」
「黙ってなさい!」
「あ、上」
「え?」
ゴーレムが腕を引き抜いた拍子に、一際大きな瓦礫がアノンたちの上に落ちてきた。
二人が瓦礫の下敷きになる寸前、間一髪でタバサの風竜が二人を掴んで、瓦礫と地面の間をすり抜けた。
空に上がったシルフィードは、二人を掴んだまま、きゅいきゅい!と鳴いた。
感謝しろ、とでも言っているようだ。
「アレ、ゴーレムだろ? あんなに大きいのもいるんだな」
アノンがのん気に感想を述べた。
「……あんな大きい土ゴーレムを操れるなんて、トライアングルクラスのメイジに違いないわ」
「アレもトライアングルか……」
系統こそ違うが、自分の取り込んだモット伯もトライアングルだったはず。
その実力差にアノンは驚いていた。
同じトライアングルでも、実力はピンキリのようだ。
「それはそうと……キミ、さっきなんで逃げなかったんだ?」
その問いに、ルイズはきっぱりと答えた。
「使い魔を見捨てるメイジは、メイジじゃないわ」
アノンは、思わずルイズに見入ってしまった。
その瞳に宿る光に、どこか見覚えがあるような気がした。
学院の城壁を蹴り崩し、地響きを立てながらゴーレムは草原を歩いていく。
その上を旋回するシルフィード。
肩に、黒いローブを着た人物が見えたが、顔までは確認できない。
「肩にのところに誰かいるわ」
苛立たしげなルイズに、タバサは冷静に言った。
「これ以上近づいたら、叩き落とされる」
「壁を壊してたけど……、何してたんだろ?」
「あの場所は宝物庫」
アノンの疑問に、タバサが答えた。
「あの黒ローブのメイジ、壁の穴から出てきたときに、何かを握っていたわ」
「泥棒か。しかし、随分派手に盗んだもんだね……」
地響きを立てて歩いていた巨大なゴーレムは、アノンたちの前で、突然ぐしゃっと崩れ落ちた。
残ったのは、月明かりに照らされた土の山だけ。
黒いローブのメイジの姿は、どこにも無かった。
#navi(アノンの法則)
#navi(アノンの法則)
「……今日で三日」
一日の授業を終えたルイズは、食堂へ向かいながらそう漏らした。
もう三日だ。今日もアノンは帰って来なかった。
あの後、ルイズは学院中を探し回ったが、結局アノンは見つけることはできなかった。
学院の外に出たに違いない。
自分の使い魔の危険性を認識し、しっかりと管理するつもりだったのだが、あっさりと野放しにしてしまった。
探しに行こうとも思ったのだが、どこに行ったのか検討もつかず、また実技が全滅なだけに授業のほうもサボるわけにはいかない。
ルイズは頭を抱えた。
このままではヴァリエールは使い魔に逃げられた、などと噂が立つかもしれない。
いや、それだけならまだいい。
ルイズが心配しているのは、あの危険極まりない使い魔が、どこかで事件を起こしていないか、ということだった。
あいつは今、ツェルプストーからもらった剣を持っている。
剣。そう、凶器だ。
まったく、あの色ボケツェルプストー、なんと余計なことをしたくれたのだろう。
昨日も、のん気に「私のダーリンはどこ?」などと尋ねてきた。
何でも今度はもっと立派な剣をプレゼントしたいのだと言う。
とんでもない話だ。あのボロ剣だけでも十二分に危険だというのに。
「まさかもう死人が出てるんじゃ……」
ルイズの不安は募る。
呼び出した使い魔を御しきれないばかりか、無関係の者に危害が及ぶ。
それは、主としての責任や貴族としての誇り以前に、ルイズの人としての良心が悲鳴を上げる事態だ。
ルイズは、胃に穴が開きそうだった。
この分では、食事もあまり入らないかも知れない。
ルイズはきりきりと痛む腹を押さえながら、食堂へと向かい――そこで、メイドと楽しげに語らう、自分の使い魔を見つけた。
「……今日で三日」
シエスタはそう呟いた。
彼女が身につけているのは、モット伯の屋敷で着せられたような下品な衣装ではなく、学院のメイドが使う、ごく一般的なメイド服だった。
彼女はモット伯の屋敷へと雇い入れられた次の日の朝一番に、理由も告げられず、学院へと送り返された。
幸い、マルトーもシエスタの無事を喜び、今まで通り学院で働けるように取り計らってくれた。
だがなぜ、モット伯は雇ったメイドをすぐに突き返すような真似をしたのだろうか。
シエスタはあの日の夜の、気を失う直前の光景を思い出す。
氷の粒が月光を反射しきらめく中、錆びの浮いた剣がモット伯の体を引き裂き、床に血が――。
そこまで思い出して、シエスタは体を震わせた。
あれは、現実の出来事なのだろうか。
モット伯は学院にも出入りする王宮の勅使。
彼が殺されたりしたら、学院にその話が聞こえてこないはずが無い。
(でも…)
シエスタは厨房での仕事を片付け、貴族達が夕食を摂っているだろう食堂へと向かった。
扉から中を覗いてみるが、やはり目当ての人物は見つからない。
今日も昼の間、仕事をしながらシエスタはずっと、アノンの姿を探していた。
どうしても、あの夜の出来事を確かめたかったのだ。
だが、彼は見つからない。メイド仲間達に聞いても、この三日彼を見た者はいないと言う。
マルトーの話によると、アノンに自分がモット伯に雇われたと話をした直後から、行方がわからなくなったらしい。
一体どこにいるのだろう?
「あれ? シエスタ?」
諦めきれずに、なおも食堂の中を見回していたシエスタに、後ろから声がかけられた。
「別に戻ってくる必要は無かったんじゃねーか?」
アノンの背中で、デルフリンガーが言った。
アノンはモット伯に為り代わり、シエスタを学院に送り返す様手配した後、三日間を屋敷で過ごした。
屋敷の使用人や衛兵達は、少々雰囲気の変わった主をいぶかしんだが、モット伯の体を取り込んだアノンはまさにモット伯自身。
例え、『ディテクト・マジック』でも彼の正体を見抜くことはできないだろう。
そうしてアノンは三日間周りを欺き、たった今、屋敷を抜け出して学院に戻ってきたところだった。
数日のうちには、学院にもモット伯が行方不明になったとの知らせが届くはずだ。
「それもそうなんだけどね…」
アノンは曖昧に答えた。
確かに、もうしばらく屋敷で『伯爵様』をやっていても良かったし、屋敷を出るにしても、わざわざ窮屈な使い魔生活に戻る必要もなかった。
それでも帰ってきた理由は、やはりシエスタだろうか。
「とりあえず、ルイズに言い訳しないと」
ただでさえ行動を制限されていたところに、三日も無断でいなくなったのだ。
食事抜きでは済まないかもしれない。
この時間なら、ルイズは食事中だろうと、アノンはプラプラと食堂に向かった。
そこで食堂を覗きこんでいる、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「あれ? シエスタ?」
「アノンさん!?」
振り向いたシエスタは驚いた様子で、声を上げた。
「その様子だと、またココで働けてるみたいだね」
アノンの声はどこか嬉しそうだ。
「あ、アノンさん」
少し躊躇う様子を見せてから、シエスタは思い切った様に口を開いた。
「あ、あなたはあの夜、モット伯様を……」
――殺しましたか?
自分が尋ねようとしている事のあまりの恐ろしさに、シエスタは言葉を詰まらせる。
「知らない」
「え?」
「ボクは、何も知らないよ」
アノンはまっすぐにシエスタの目を見て、そう言った。
一瞬戸惑ったシエスタだったが、すぐに理解した。
あれは、夢ではなかった。
そして、アノンはそのこと他言するなと言っている。
「そう、ですか」
シエスタはにっこりと笑った。初めて会ったとき以来の笑顔。
シエスタは思う。
そうだ。彼はモット伯を殺した。
だが、それがなんだと言うのだろう。
一生醜い男のおもちゃにされるはずだった自分を、彼は貴族の屋敷に乗り込んでまで、助けてくれた。
ずっと避け続け、口も聞こうとしなかった自分を、彼は救ってくれたのだ。
シエスタは、胸の前で手を握り締めた。
もし、彼に危険が迫ったなら、今度は私が彼を助けよう。
私の人生を救ってくれたこの人に、いつかきっと恩返しをしよう。
笑顔と共に、シエスタは密かに決意した。
シエスタの笑顔に、アノンも笑みを返す。
「アノン!!!」
笑い合う二人を引き裂くように、突然怒声が響いた。
声のしたほうを見ると、鬼のような形相のルイズが、大股でこちらにやって来た。
「あ、ルイズ」
「『あ、ルイズ』じゃない!」
ルイズは、怒りのあまり頭が沸騰しそうだった。
「一体どういうことなのこれは! その女は何!? きっちり説明してもらうわよ!」
あたふたしているシエスタを押しのけ、アノンに詰め寄るルイズ。
そうとも、この使い魔はあっさりと言いつけを破って、三日もいなくなったのだ。
そして帰って来ていると思ったら、ご主人様をほったらかして、メイドなどと楽しげに話をしているではないか。
もしかしたら、このメイドとどこかへ出かけていたのかもしれない。
この使い魔を全力で管理すると決めたルイズとしては、納得のいく説明が無くては、いや、あったとしても許すわけにはいかない。
「あら、ゼロのルイズは使い魔をメイドに取られちゃったのかしら?」
後ろから不意に投げかけられた、からかうような言葉。
声の主は言うまでもなく、赤髪の美女、キュルケ・フォン・ツェルプストーだ。
その横では、いつものようにタバサが無表情に本を開いている。
「何ですって!?」
「かわいそうね。自分の使い魔に見放されるなんて」
挑発のための哀れみを込めたその言葉に、ルイズは矛先を変えて、キュルケに猛然と喰ってかかる。
「そんなわけ無いでしょ! 何よ、取られるって!」
「あなたがさっき大声で叫んでたセリフ。男を奪われた女そのものだったわよ?」
「う、奪うだなんて、そんな、私……」
恥ずかしそうに俯くシエスタ。
「あんたは何赤くなってんのよ!」
「ダーリン、私よりそんなメイドのほうがいいのかしら? 私あなたのためにまた剣を買ったの。今度は錆びたボロ剣じゃなくて、太くて大きい、立派なヤツよ?」
「ツェルプストー、この色ボケ女! 剣はいらないって言ったでしょ! あのボロ剣も引き取ってもらうわよ!」
ルイズはキュルケに掴みかからんばかりの勢いだ。
食堂の前で起きている大騒ぎに、だんだん人が集まりだした。
「なに読んでるの?」
「イーヴァルディの勇者」
怒り狂うルイズをよそに、アノンはタバサの本を覗き込んで、そういえば言葉は通じるケド、字は読めないなぁ、などと考えていた。
場所は変わって、ここは中庭。
ルイズとキュルケの言い争いがエスカレートし、ついに二人は決闘をすると言い出した。
だが、流石に食堂の前でおっぱじめるわけにもいかず、彼女達は 夕食を済ませてからここにやってきたのだ。
アノンとしては、勝手にルイズの怒りの矛先が変わって、嬉しい限りだったのだが――。
「いいこと? ヴァリエール。あのロープを切ったほうが勝ちよ。私が勝ったら文句言わずに、ダーリンに私の剣を使わせなさい」
「わかったわ。ただし、私が勝ったらあのボロ剣を引き取ってもらうわよ」
「いいわ。勝てたら、ね」
不敵に笑うキュルケを、ルイズは歯を食いしばって睨みつけた。
「あ、あのぅ。アノンさんを的にする必要はないんじゃ……」
睨み合う二人に、恐る恐るシエスタが尋ねる。
「うるさいわね。あいつにはいいお仕置きだわ。ていうかあんた、なんでついて来てるのよ」
「あ、いえ。心配でして…」
「大丈夫よ。私が優しく『レビテーション』で受け止めるから」
情けも容赦もないルイズに、何か企んだような笑みを見せるキュルケ。
二人の貴族は、まったくやめる気は無いようだ。
確かに、メイジが三人もいれば、死んだりすることは無いだろうが……。
それでもやっぱり心配で、シエスタは双月に照らされた本塔を見上げた。
「えーと。それで、何でボクは吊るされてるの?」
本塔の上からロープで吊るされたアノンは、同じく本塔の屋上から、自らの使い魔である風竜に跨って地面を見下ろす少女に尋ねた。
風が吹くたび、アノンはプラプラと揺れる。
「まともな決闘は危険」
タバサは感情の篭っていない声で、そう答えた。
地面からアノンを吊るしたロープを狙い、彼を落としたほうが勝ち、というこの決闘は彼女の提案だ。
地面には、顔を突き合わせて睨み合いをしているルイズとキュルケの二人、そして心配そうにこちらを見上げるシエスタが小さく見える。
「ココから落ちるのだって危ないよ」
「あなたなら、ここから落ちても平気」
ぴくりと、アノンの眉が動いた。
「…キミが、『レビテーション』をかけてくれるから?」
「私が、『レビテーション』をかけなくても」
タバサは相変わらず、感情の読めない表情でアノンを見つめている。
正体が、バレている?
誰もが平民だと言う中で、彼女は自分の正体に感づいているようだ。
モット伯の件がある以上、触れ回られると都合が悪い。
いや、もしかしたら、そこから嗅ぎつけてきたのかもしれない。
「『どこまで』、気づいてるのかな?」
偽りは許さない。
アノンはタバサを見据えて、そう尋ねた。
高い塔から吊るされている状況も忘れ、アノンはタバサの答えに集中する。
彼女は、どこまで気づいているのか?
それに次第では、今度はこの魔法学院で行方不明者が出ることになる。
「あなたは、人間ではない」
簡潔なタバサの言葉。
「それだけかい?」
「……」
黙りこんだタバサに、アノンはひとまず胸を撫で下ろした。
モット伯の件や“守人の一族”の能力までは知られていないようだ。
では、どこで気づいたか、だ。
「一体、どこで気づいたんだい?」
「それは…」
「当然なのね! あれだけ人外の気配を放ってたら、バカでも気づくのね!」
タバサが口を開こうとした時、突如別の女性の声が割り込んだ。
その直後、バグン、という重い音がして、タバサの使い魔の風竜が、きゅい!と悲鳴を上げた。
タバサが身の丈よりも長い杖で、風竜を思い切り殴ったのだ。
「今その竜が…」
「なんでもない」
「お姉さま! そいつからは危険な匂いがプンプンするのね! やっぱり関わらないほうが……きゅい!」
再び振り下ろされる杖。そして聞こえる女の声と、竜の悲鳴。
「その竜、しゃべれるんだ」
アノンの言葉に、タバサは諦めたようにため息をついて、地上を確認する。
ルイズとキュルケは、まだなにやら言い争いを続けていて、こちらを見上げるシエスタにも風竜の声は届いていないようだった。
少し安心して、タバサはもう一度杖で風竜を叩いた。
「痛い、ホントに痛いのねお姉さま!」
「人前で言葉を話すなとあれほど言った」
「お姉さまは『人間』の前で話すなと言ったのね。そいつは人間じゃないからセーフのはず…きゅいぃ!」
「命令の意味を理解するべき」
さらに風竜の頭に杖を振り下ろして、タバサはアノンに向き直って淡々と告げた。
「交換条件」
「なるほど。キミはその竜がしゃべれるってことを、他人に知られたくないんだね」
「あなたも自分が人外の者と知られたくないはず」
「…いいよ。お互いの秘密を口外しないことで、自分の秘密を守れるってわけだ」
「お姉さま、今度からはこいつがいてもしゃべっていいのね?」
タバサは軽くため息をつく。
探りを入れるはずが、間抜けな使い魔のせいで弱みを握り合う形になってしまった。
また杖で使い魔の頭を叩いてから、タバサは大量のハシバミ草を用いた、使い魔の教育プランを練り直し始めた。
突然、アノンの後ろの壁で爆発が起きた。
「ゼロ! ゼロのルイズ! ロープじゃなくて壁を爆発させてどうするの! 器用ね!」
「アノンさん、無事ですか!? アノンさーん!」
二人と一匹が驚いて下に目をやると、腹を抱えて笑うキュルケと心配して叫ぶシエスタが見えた。
今の爆発はルイズの失敗魔法だ。
いつの間にやら、決闘は始まっていたらしい。
だが、ルイズの魔法はロープには命中せず、本塔の壁に大きなヒビを作っていた。
「あなたって、どんな魔法を使っても爆発させるんだから! あっはっは!」
ルイズはがっくりと地面に膝をついた。
今度はキュルケがロープを狙うようだ。
キュルケが杖を構え、ルーンを唱え始めた時――地上にいる三人を大きな影が覆った。
「な、なにこれ!」
「きゃあああああ!!」
キュルケが驚きに口を開け、シエスタは悲鳴を上げた。
大きな影の原因は、月明かりを遮る巨大な土のゴーレム。
ゴーレムは大きく振りかぶり、その巨大な拳で、本塔の壁を殴りつけようとしていた。
その目線の先には、ヒビの入った壁――及び、吊るされたアノン。
ゴーレムがこのまま拳を振り下ろせば、確実にアノンが巻き込まれる。
一番反応が早かったのは、タバサだった。
すばやく風の刃を作り、アノンを吊るしたロープを切断すると、すぐに自分も風竜に跨り、本塔から飛び立つ。
そのまま地面に向かって落ちるアノンは、ロープでぐるぐる巻きにされているにも関わらず、空中で器用に体勢を変えて難なく着地した。
アノンはゴーレムを見上げる。
「大きいな…」
見上げるゴーレムは三十メイルはあろうかと言うかなり大型のものだ。
ゴーレムの巨大な拳が、ヒビの入った壁に叩きつけられ、本塔に大きな穴が開いた。
辺りに壁の破片が降り注ぎ、キュルケはたまらず、そばにいたシエスタを掴んで『フライ』でその場を離れる。
だが、アノンはロープでぐるぐる巻きの状態。これを解かなければ動けない。
ロープを引きちぎろうと力を込めたとき、ルイズが駆け寄ってきて、何とかロープを解こうと悪戦苦闘し始めた。
「ルイズ、ココ危ないよ?」
「うるさいわね、このロープなんでこんなに固いのよ!」
「キミが結んだんじゃないか」
「黙ってなさい!」
「あ、上」
「え?」
ゴーレムが腕を引き抜いた拍子に、一際大きな瓦礫がアノンたちの上に落ちてきた。
二人が瓦礫の下敷きになる寸前、間一髪でタバサの風竜が二人を掴んで、瓦礫と地面の間をすり抜けた。
空に上がったシルフィードは、二人を掴んだまま、きゅいきゅい!と鳴いた。
感謝しろ、とでも言っているようだ。
「アレ、ゴーレムだろ? あんなに大きいのもいるんだな」
アノンがのん気に感想を述べた。
「……あんな大きい土ゴーレムを操れるなんて、トライアングルクラスのメイジに違いないわ」
「アレもトライアングルか……」
系統こそ違うが、自分の取り込んだモット伯もトライアングルだったはず。
その実力差にアノンは驚いていた。
同じトライアングルでも、実力はピンキリのようだ。
「それはそうと……キミ、さっきなんで逃げなかったんだ?」
その問いに、ルイズはきっぱりと答えた。
「使い魔を見捨てるメイジは、メイジじゃないわ」
アノンは、思わずルイズに見入ってしまった。
その瞳に宿る光に、どこか見覚えがあるような気がした。
学院の城壁を蹴り崩し、地響きを立てながらゴーレムは草原を歩いていく。
その上を旋回するシルフィード。
肩に、黒いローブを着た人物が見えたが、顔までは確認できない。
「肩にのところに誰かいるわ」
苛立たしげなルイズに、タバサは冷静に言った。
「これ以上近づいたら、叩き落とされる」
「壁を壊してたけど……、何してたんだろ?」
「あの場所は宝物庫」
アノンの疑問に、タバサが答えた。
「あの黒ローブのメイジ、壁の穴から出てきたときに、何かを握っていたわ」
「泥棒か。しかし、随分派手に盗んだもんだね……」
地響きを立てて歩いていた巨大なゴーレムは、アノンたちの前で、突然ぐしゃっと崩れ落ちた。
残ったのは、月明かりに照らされた土の山だけ。
黒いローブのメイジの姿は、どこにも無かった。
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