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「――っ!?」
突如鳴った音に、イザベラはビクリと体を震わせた。
目の前は真っ暗であり、何も見えない。
またも音が鳴る。
それは天井から、上の階から響いてくる。
今、上の階には自分に成り代わったタバサがいるはずだ。
そしてそこからこんな大きな物音がするとなれば。
ドクリ、と右手が脈打つような、何かが蠢めくような感覚がした。
「いやぁ……」
込み上げる吐き気を押さえると、左腕だけで自分を抱え込む。
もう精神は限界だった。
打ちのめされ、打ち倒され、叩き潰され、磨り潰され、プライドや虚勢などと
いう物は紙くずの如く、当に打ち破られている。
恐怖のうちに何かを憎悪することで、恐怖に打ち勝つのが本来のイザベラだっ
た。
だが“本当の恐怖”の前には、憎悪や他の感情など入り込む余地など無く、無
限にその魂を蹂躙し続ける。
父ジョゼフが怖い、右手に宿るものが怖い、暗闇が怖い、夜が怖い、他人が怖
い、人が怖い、社会が怖い、世界が怖い――
今のイザベラは弱者だ。それも最底辺の。
王女だろうが、権力があろうが、金があろうが関係ない。彼女はどうしようも
なく弱者だった。
だからこそ、怖いものだらけの世界で弱者は力――強者に縋るしか方法が無い。
たとえそれが、最も忌み嫌う相手だろうが。
――気づいている。シャルロットは本当に自分をどうも思っていないことに。
自分は目的の途中で転がっている路傍の石でしかない。その石の命に従ってい
る理由は、彼女の母親の命が掛かっているからだ。
――気づいている。カステルモールが自分に真の忠誠を誓っていないことに。
自分は王権の簒奪者の娘であり、我侭でシャルロットを痛めつける憎き王女だ
から。
――気づいている。自分は誰からも好かれていないことに。唯一、王女という
冠だけが自分の姿を皆に教えているのだ。
自分の中身はスカスカで、ボロボロで。そんな自分に右手から無尽蔵に恐怖が
注がれ、満たされている。
暗闇に手を伸ばす。
温もりがほしかった。
「いやぁ……誰か……」
シャルロットは? 付き添っていた女中は? このさいカステルモールでもい
い。
ただ、本当に誰でもいい……人の温もりがほしかった。
宙を掻く手は。
「はいはい、ここにいますよ」
ふわりと包まれた。
「ほ~ら、何も怖くない」
その大人びた女性の声を聞いたイザベラは疑問を持つ。
シャルロットは上にいるはず、あの女中とも声質が違う、カステルモールは男
だ。
誰だろうと思っていると、目が暗闇に慣れてきて、ぼんやりとその姿が浮かび
上がる。
「……誰?」
作業のしやすい服、つけられた前掛け、頭に乗った髪留め。宮殿では見慣れた
女中の姿。
だが、眼鏡をかけ灰色の髪と褐色の肌を持つその顔に見覚えは無い……はずな
のに、イザベラに不思議と恐怖や不安感は湧いてこない。
「おやおや。忘れてしまうとはひどいですね」
おどけるように女が言う。
「それとも寝ぼけていらっしゃるのですか? お付きのニアーラですよ」
「ニアー……ラ?」
「はい」
ぼんやりとイザベラは考える。
(ニアーラ……ニアーラ……ああ、“今思い出した”)
確かにニアーラは自分のお付きである。
思い出すと急激に申し訳なくなってくる。
「ごめ、んなさい」
ニアーラは、いえいえと言うとイザベラを抱きしめた。
「まだ怖いですか? お嬢様」
その声はするりと耳に滑り込み、抱きしめられた体は広大な……途轍もなく広
大な“何か”に身を預けるような浮遊感がイザベラに付きまとう。
コクリと頷いた。
「そうですか。でしたら……ちょっとしたオマジナイをしてあげましょう」
そっと右手を取られるが、何も反応はしなかった。
ニアーラの指が手の甲を滑る。
そしてその口から“声にならない歌”が漏れた。
「―――、―――★―――♪」
それは言葉で括れぬ言葉。
それは声に成れない声。
それは歌に収まらない歌。
それは音にしてはならない音。
「――!%――×<――Ω↑」
歌は耳に、脳に、魂に染み込み染み渡り、多角的に多次元的に多面的に異次元
的に“大切な何か”を書き換えていく。
這い続ける指は一定の規則に従い、とある図形を描きなぞり続ける。
苦痛、快楽、苦悶、歓喜、苦悩、解放。全てが溢れ、全てが混ざりイザベラの
体中を暴れ回る。
「あ、あっ、あ!」
歌が図形が流れ描かれるたびに、ビクンビクンとイザベラの体が跳ねた。
だが体は押さえ付けられ、歌は止まず、手の甲に指は這い続ける。
歌う→描く→染みる→書き換え→跳ねる
↑■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■↓
跳ねる←書き換え←染みる←描く←歌う
己を呑む蛇の如く繰り返される行為と結果。
「:A/@*$■■■■■■■――」
「あっ、あっ、あっ、あ――ッ!!」
それが最高潮へ達しようとし――
「――イス・イーサ・ウィンデ」
詠唱がそれを遮った。
歌が途切れると共にイザベラの中で荒れ狂っていた本流が止まった。
虚ろな目が捉えたのは、迫り来る氷の矢の大軍であり。
「――ぁ」
そのまま意識はブツリと断ち切れた。
「――外しましたか」
短剣を手に、その女中は呟いた。
放たれた氷の矢は、イザベラの周囲に突き刺さっているが、イザベラには傷一
つ無い。
本来の狙いは、イザベラではなく――
「危ないですね。当たったらどうするつもりですか」
気を失っているイザベラから視線を移動させる。
そこには本来の目標が窓枠に腰掛けていた。
いつのまに窓を開けたのか、風にカーテンが弄られ踊る。
「おかしいですね。ここいらには人払いをしていたはずですけど」
ニアーラは考え込むようにした後、短剣を見て頷いた。
「ああ、そういうことですか」
それに女中は短剣を突きつける。
「貴女はガリアのメイドではないですね。なにをしようとしていたんですか、
教えてくださるとこちらとしては助かるのですが」
口調や言葉遣いこそ丁寧だが、その芯には渦巻く闘志が宿っている。
だが、ニアーラはそれにも軽く肩を竦めるだけ。
「いやなに、ただのオマジナイですよ」
そのパカリと割れるような笑みを見て。
「話すつもりはない……みたいですね!」
短い詠唱と共に短剣から風の刃が放たれた。
風はニアーラの首を刎ねよと迫り。
「――っ!?」
ニアーラはふわりと窓の外へと身を乗り出した。当然そこには体を支える物は
ない。
だが、外へと落ちる瞬間、確かに彼女は楽しそうに笑った。
急いで窓へと駆け寄るが、そこには闇を纏う薄暗い地面が広がるばかりでなに
もない。
「ははははっ!」
声のほうへ顔を上げると、黒々とした羽が大きく夜空を切り裂くように広がっ
ていた。
「それでは“ご縁”があればまたお会いしましょう! あは、あはハハはhaは
ハはhaha――」
不快な笑い声が夜へ響き、その姿は小さくなっていく。
「……韻龍の類? いえ、それにしては邪悪すぎますね」
撃ち墜そうとも思ったが“今の自分では”無理だと判断し短剣を鞘へと戻す。
窓を閉めると、背後からくしゃみが聞こえた。
「くちゅんっ」
目を向けると、氷の矢に囲まれイザベラが寒そうに体を抱きかかえている。
近づいて、頬に触れるが体内の“水”には問題は無い。
そうとわかると手を離し。
「さて、どうしましょうか」
冷気が漂う室内。穴だらけになったベッドを見て溜息を吐くと、その細腕に見
合わない力でイザベラを抱き上げた。
「責任者にどうにかしてもらいましょうか」
そう呟いて、てんやわんやと忙しそうなカステルモールへ報告しようと部屋を
出る。
「ぁ……ぅ……」
悪夢でも見ているのか、苦悶の表情を浮かべるイザベラ。
その右手に、薄っすらと赤い図形が浮かび上がっていた。
「それは本当?」
「はい」
朝。起床したタバサはカステルモールの報告を受けて悔しげに唇を噛んだ。
『フェイス・チェンジ』は相手に知れたことでもう解いている。
報告内容は、昨夜の襲撃の後にイザベラが何者かに襲われたということであっ
た。
油断していたと、タバサは反省する。
刺客が一人であるなどと誰が言ったのだ。自分の勝手な思い込みで護衛対象を
危険にさらしてしまったのだ。
「……彼女は?」
その問いにカステルモールは頷く。
「気を失っただけで、これといって外傷はありません」
「……怪我がない?」
その言葉にタバサが怪訝となったのを感じ取ったのだろう。
「どうやら、刺客は途中に入ってきたメイドに驚いたらしく。すぐに逃亡した
ようです」
「逃亡」
そこがタバサには解せない。
イザベラのメイジとしての実力はどう過大評価しても高くは無い。むしろそれ
が劣等感となりタバサに当たっていたぐらいだ。
そんなイザベラを前にして刺客が、メイドが部屋に入ってきたぐらいで逃げる
だろうか?
それに昨夜の甲冑の刺客もどこかおかしかった。
ただの復讐や革命では説明しきれない大きなものが、背後に渦巻いているよう
な感覚がする中、扉が叩かれる。
「お取り込み中すいません。カステルモール様はいらっしゃいますか」
「何事だ」
カステルモールの声に、扉越しに声が返る。
「王女様が目を覚ました」
タバサとカステルモールは目を見合わせると頷いた。
「王女、失礼します」
カステルモールが断りをいれ部屋へ入り、それにタバサが続く。
そこにはベッドから上半身を起こしたイザベラがいた。
そしてイザベラがこちらに気づき、口を開く。
「――何をしに来たんだい、役立たずども」
「は?」
「……」
カステルモールは呆けたように口を開き、タバサは無言。
「なにぼけっとアホ面を晒しているだよ。まともに護衛さえできないようなボ
ケはさっさと出て行ってくれないかい?」
それに構いもせず毒舌を発揮する。
なにかが、変わっていた……いや、戻ったというべきなのか。
戸惑うカルテルモールをよそに、イザベラはタバサへと視線を向けるとあから
さまに不機嫌な顔をする。
「なんだい、不満がありそうだね?」
「……」
イザベラはふんと顔を逸らした。
「取りあえず今すぐ出ていきな。午後からまた出発するよ」
その剣幕に誰が対抗できるはずも無く。
「……はい」
カステルモールとタバサは頷いた。
部屋から出て行く2人を見送りながら、イザベラは自身の変化に驚いていた。
昨晩まで続いていた恐怖と不安と狂気の影。
普段なら絶対に頼らないであろうシャルロットを頼り、心身を狂気に侵され弱
っていた。
だが、今は違う。
イザベラの胸に巣食っていた黒く恐ろしい物は一切無くなり、今までの人生で
無いほどの清々しさを感じているぐらいである。
ふと己の右手に目が留まる。
図形の描かれた右手の甲。
(こんなもの、あったかい?)
頭にそんな疑問が浮かびかけるが。
(いったい……い……つ……?)
......>>検索した情報は発見できませんでした。
――その疑問は砂浜に作った砂城のように脆く崩れていった。
代わり思い出すのは異形。
肉を裂いて現れたおぞましい顔が脳裏に浮かぶが、少々不快に思うだけであっ
た。
恐れがない、焦りがない。
まるで“心を洗浄されたかのよう”である。
そして洗い流された心には、今まで覆い隠してきた穴がぽっかりと虚無を覗か
せて――
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
陰鬱な考えをイザベラは一蹴した。
とりあえずは、今気にすべきことは刺客についてである。
頭を振りながら枕元のベルを鳴らす。
まずは着替えなければいけない。
「失礼します」
ほどなくして1人の女中が入り、手際よくイザベラにドレスを着せていく。
それに身を任せていたイザベラは、不意に女中の腰に吊られた短剣が目に入る
と――
「今から命を与える“地下水”」
「なんなりと」
――ニタリと楽しそうな、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。
4名の死者を出した先の襲撃。そのいずれもが護衛に当たっていた騎士であり、
さらに王女に接触を許したことは騎士団全体の緊張感を高める結果となる。
カステルモールの指示により一層厳重になった警護の元、それ以上の襲撃は無
く。無事アルトーワの領地へと入る。
「ようこそいらっしゃいましたイザベラ王女」
タバサと護衛を連れて巨大な屋敷へたどり着いたイザベラたちを向かえたのは、
アルトーワ伯その人であった。
ガリア特有の青髪は色褪せ、顔も年相応の深い皺が刻まれ杖を突いている。だ
がその手は太く、そしてその足運びはしっかりとしたものだった。
アルトーワ伯は顔の皺をさらに深くして笑みを見せる。
「大きくなられましたな。またお美しくなって、見違えるようですぞ」
その顔は重厚な年月を積み重ねた者だけが持つ、重みを有していた。
タバサは初めに聞いていた印象と食い違っていることに困惑しそうになる。
すると、一瞬タバサと視線が交わり、アルトーワ伯は優しげな瞳をした。
「……?」
その真意をタバサが扱いかねていると。
「心にも無いことを、見え透いた世辞など止めな。吐き気がする」
吐き捨てるような言葉をイザベラが叩き付ける。
その場が凍りつきかけるが。
「ははは、世辞は貴族の社交武器。使わないことが無理ですよ。もっとも先ほ
どの言葉は王女の美しさを華美に表現したもの。王女が美しくなったことには
変わりありません」
気分を害した様子も無くアルトーワ伯は返した。
「…………」
それに対して、イザベラはアルトーワ伯を睨みつけるが、視線を逸らし舌打ち
をする。
「っち。さっさと案内しな」
「ではこちらへ」
アルトーワ伯は笑みを崩さぬまま、先導を始めた。
日が暮れると共に遠く園遊会に参加する貴族達が集まってきた。
屋敷のホールには数々の料理が並び、楽しげな笑い声が響き渡る。
そこにはイザベラの姿はなく、タバサもまたそこにはいなかった。
月が照らす屋根の上、春先とはいえ冷たい夜風が吹き付ける。
タバサは手にした杖を握り込むと、マントを巻きつけた体を縮こまらせながら
座り込む。
「…………」
「おねえちゃん」
その声と共に、タバサの隣にエルザが現れる。
「なに見てるの?」
タバサはそちらを向かず、ただ眼下へと視線を落とす。
視線の先にあるのはポツリと一つだけ灯りの付いた窓。
時折動く影が中に人がいることを示す。
タバサの視線に気が付くとエルザは顔を覗き込む。
「あの泣き虫だったおねえちゃん? なんかいきなりいじわるになっちゃった
けど」
頷きながらエルザの頭をどかせる。
素直にエルザは顔をどけると、ちょこんと隣に座って訊ねてきた。
「どうしておねえちゃんは、あのいじわるおねえちゃんのことを守ろうとする
の」
その言葉にタバサは黙り込む。
「シルフィーの話が本当だったら。今までおねえちゃんは、す~~~~っごい
いじわるされてきたんでしょ?」
タバサは無言。
「おねえちゃんはそれが嫌だったんでしょ? それなら別におねえちゃんはこ
んなことをしなくても――」
「――別に」
エルザが言い切る前に、タバサが言葉を被せた。
「これが……わたしの仕事だから」
「……」
その場に重い空気が漂い始めた時。
「……ぁ」
ピクリとエルザが反応し、タバサは立ち上がり振り返った。
はたしてそこには――
「……甲冑の男」
タバサの呟くままの姿が、白くぼんやりと同じ屋根の上にある。
「――っ」
それに即座にエルザがマントを被ろうとし、タバサが杖を手に突きつけようと
するが、止まった。
視線の先。2人の動きを軽く止めるように、白い掌が突き出されている。
そこで、タバサは相手に殺気が無いことに気がつく。
「……どういうつもり?」
『シャ゙ル゙ロ゙ッド様。貴女ド争ヴ積モ゙リ゙バア゙リ゙マ゙ゼン゙』
罅割れエコーがかった声が響く。
「そんなの信じられない!」
その声に、エルザが反応する。
「だって! この前、きしさんころしたもん!」
興奮するエルザ。それにタバサは対照的にエルザの頭を静かに撫でた。
「……おねえちゃん」
見上げるエルザにタバサは頷くと、甲冑の男を促す。
「……続けて」
甲冑の男の口が再び滑り出した。
『私ノ゙目的バ明グマ゙デ王女。障害ドナ゙レ゙バ排除ズル゙ガ、ゾレ゙以外ヺ害ズル゙気バ
ア゙リ゙マ゙ゼン゙』
無言でタバサは聞く。
『ゾゴデ、ジャル゙ロ゙ッド様。貴女バゴノ゙マ゙マ゙国ベ引ギ返ジデ欲ジイ゙』
「なぜ?」
思わずタバサは聞き返す。
『……理由バ言エ゙マ゙ゼン゙。ダダ、貴女ニ゙不利益バ無イ゙バズデズ。ム゙ジロ゙、貴女
ノ゙母上ノ゙保護ヺ――』
その言葉を。
「それは――できない」
強く遮った。
『…………』
それに甲冑の男は一瞬黙り込み。
――ガシャンッ!
「キャァァアアアッッ!!」
突如の悲鳴、硝子の割れる音。
タバサは即座に反応した。
「――ッ」
詠唱をしながら屋根の端へと走り寄り、それにエルザが追従する。
そして端へとたどり着き。
『……ジャル゙ロ゙ッド様。明後日マ゙デニ゙、領外ベ出デグダザイ゙』
声にタバサが振り返った時には、白い甲冑の姿は無く。
ほんの少しそこを眺めた後、タバサはエルザが掴まったのを確認すると飛び降
りる。
「『レビテーション』」
イザベラのいる部屋へ向かい、降下しはじめた。
タバサが割れていた窓から内へ入った時には、すでに終わっていた。
不可視になったエルザをそっと下ろすと部屋の中を窺う。
そこにいたのはベッドに座るイザベラ、傍で縮こまる女中、無念そうな騎士。
室内を見回すと、そこは切り刻まれ吹き飛ばされた家具や調度品が散乱してい
る。
「遅かったじゃないか」
薄ら笑いを浮かべながら言うイザベラを見るが、怪我を負っている様子は無い。
タバサは立ち尽くす騎士へと視線をやる。
「相手は?」
「はい、それが……」
そして状況を聞き、タバサは怪訝な顔になる。
「窓から逃げた?」
「はい。悲鳴と争いの音を聞いてすぐに踏み込んだのですが、もうすでに」
タバサはありえないと思った。
夜から屋根に張り付いていて、タバサは片時も周囲に注意を怠ってはいない。
まったく物音を立てずに背後に現れた白い甲冑にさえ気が付いたのだ、他を見
逃すはずも無い。
「……」
未だニヤニヤと笑うイザベラの視線を、タバサは真っ向から受け止めると口を
開く。
「どんな相手だった」
「さあ、男か女か、背が高いか低いか、服は黒尽くめかドレスだったか。怖く
て怖くてよく見てないよ」
そう言うと、微塵も怖がる風も無くイザベラはケラケラ笑った。
「それより何時までこんな部屋に私を置いておく気だい」
これ以上聞いても無駄と判断し、タバサは騎士へと向き直る。
「彼女達を別の部屋へ……それと団長に報告を」
「わかりました」
頷いた騎士は表に立っていた別の騎士と共に、イザベラたちを別の部屋へと誘
導していく。
出て行く間際イザベラは、顔だけタバサへ向け。
「せいぜい頑張るんだねぇ」
ニンマリと笑った。
それを見送ると、タバサはエルザと共に現場検証を始める。
そして、その日の現場検証の結果としてわかったことは少なかった。
新たな部屋でベッドに座りながらイザベラは話しかける。
「あの人形娘は相当困惑しているだろうね」
「そうでしょうね。今後護衛の増強共にあの娘も更に忙殺されると思います」
それにさっきまで怯えていた女中が答える。
「あははははは! いい気味だ!」
ベッドに寝そべり、はしたなく足をバタつかせイザベラは大笑いをした。
散々笑いつくした後、イザベラは楽しそうに呟く。
「それじゃあ、次はもっと忙しくしてやろうじゃないか」
そう言うと、呼び鈴を手に取りそれを鳴らす。
――チリリン。
涼やかな音が鳴ると、入ってきたのは扉の前で待機していた騎士であった。
「なにか御用ですか」
騎士は少し緊張しているようであったが、それを気にせずイザベラは話しかけ
る。
「なに、大した事じゃないわ」
「はあ」
呆けた声を出す騎士からイザベラは女中へと顔を向けると頷く。
女中は騎士の前へと進み出ると、腰から一本の短剣を抜き差し出した。
「これを――」
その短剣と女中を見て、騎士は困惑する。
「え? へ?」
それを見てイザベラは苛立つように言った。
「さっさと受け取りな!」
「は、はいっ!」
叱咤を受けて反射的に騎士は短剣へ手を伸ばす。
「――」
そして短剣を受け取ると。
「あ、あれ?」
女中が急にキョロキョロとしだす。
まるでここはどこだと言わんばかりに困惑する女中を尻目に、イザベラは騎士
へと言った。
「もう下がってもいい」
「――はい」
騎士は短剣を腰に挿し頷くと、そのまま下がる。
そして――
「明日は、存分に働いておくれよ」
「――御意に」
イザベラの言葉に静かに笑った。
タバサが眠りについたのは昼になってからである。
昨夜の襲撃は騎士達、そしてタバサへと大きな波紋を広げた。
警備の強化、見回りの増強。それにはタバサも組み込まれており、未だ癒え切
らぬ傷を残す体に多大な負担をもたらすこととなる。
一番警備が楽になるこの時間帯。ようやく解放されたタバサは、部屋に入ると
倒れるようにベッドに突っ伏し、もそもそと眼鏡を外した。
カーテンを閉め切った部屋は薄暗く、眼鏡を外した状態では一寸先も見えない。
着替えもしてないことに気が付いたが、あまりにも気だるかった。
手になにか柔らかいものが触れる。
それは先に眠りに来ていたエルザであった。
タフな吸血鬼とはいえ、さすがに真っ昼間から動くのは相当辛かっただろう。
むずがることもなくスヤスヤと寝息を立てている。
それを確認するとタバサは欠伸を一つ。
考えることは大量にある。
複数の刺客、白い甲冑の言葉の意味、イザベラの変貌、アルトーワ伯の真意、
カステルモールの発言。
だが、今は全てを棚に上に置いておく。
タバサは杖を傍に置き、そのまま目を閉じた。
目を閉じると相当疲れているのか、頭の中身がふやける様な感覚が襲う。
自分という個が溶け出し、奥底に封じられた様々な物が流れ出していく。
疲れ、苛立ち、達観、諦観、決意、憎悪。
古い物、新しい物、分け隔てなく溶け出した感情は、グズグズと溶け混ざり渦
巻いていく。
そして渦巻く感情の端に、様々な顔が浮かんだ。
死んだ父と狂った母――喜、哀。
懐かしさと悲しみとを思い起こす顔であり。
キュルケ、シルフィード、エルザ――楽。
気持ちのいい太陽と風と木陰のような顔であり。
ガリア王ジョゼフ――怒。
憎熱滾る復讐の対象の顔であったが。
イザベラ――無。
彼女には何も無かった。
喜も怒も哀も楽も。一切がタバサにはない。
喜ぶ理由も、怒る条件も、哀しむ意味も、楽しむ由来も――無い。
様々な嫌がらせや罵り、境遇すらも思い浮かぶが。
そのどれもが、イザベラに結びつく感情を起こさせない。
赤の他人に近い感情。
だが、それでも赤の他人とは存在感が一線を凌駕する。
昔は少なくとも違った。
なにかしらの感情をイザベラに持っていたのだが。
幼い頃に会った彼女は……今とほとんど変わらない……まるで、そのまま……
大きくなったような。
……段々と考えが纏まらなくなってくる。
最後にタバサは、ほんの少し、ほんの少しだけ……イザベラに憐憫のような感
情を抱いて、眠りに付いた。
コンコン――
その音を聞いて、タバサの意識は急激に浮上した。
枕元を漁り眼鏡を手に取ると、体を起こす。
頭が痺れるような感覚から5分も寝ていないことがわかる。
再び扉がノックされた。
タバサは眼鏡をかけると、幸せそうに寝ているエルザにシーツを被せ三度ノッ
クされる扉へと向かう。
もしものためにも常に杖は手放さず、扉越しに問いかける。
「誰?」
「……」
すぐに返事は返ってこなかった。
怪訝になったタバサは更に杖を握り締めると――予想外の答えが返ってくる。
「――アルトーワです」
一瞬タバサは呆けた。
(ここは騎士用に用意された宿舎。なぜアルトーワ伯が? 本物なのか? で
も、この声は間違いない)
混乱する思考。
だが、そんな間もなく扉越しに声は続ける。
「入れてくれませんかね。いつまでも扉越しでは体裁が悪いので」
それにタバサは少し迷った後、扉を開けた。
そこには声の通りの人物が佇んでいる。
「おや、寝ていましたか。これは失礼を」
「別に」
暗い室内から状況を察したのか、謝罪の言葉を述べるアルトーワ伯に首を振っ
て否定すると、部屋へと招きいれ。アルトーワ伯の杖がカツリと床を叩いた。
タバサはランプをつける間に、アルトーワ伯へ椅子を薦める。
椅子へ座ったアルトーワ伯はふとベッドの上へと視線を向け、小さく上下する
そのふくらみに気が付いた。
「ふむ、これは?」
ランプが灯り、明るく照らされた部屋。
シーツから漏れる金髪を見て呟いた言葉に――
「……従者」
タバサが答え、アルトーワ伯の前に椅子を置き座った。
「そうですか」
「……」
暫しの沈黙。
口火を切ったのはアルトーワ伯だった。
「お久しぶりですシャルロット様。あなた様が幼い頃会って以来ですね」
重厚なる年月を持った口調で、その言葉は吐かれる。
無論、覚えないことから物心が付く前であろうが。
「国外へ逃げられたと聞いていましたが、よくぞご無事で。その様子では今は
騎士となっておられるようで」
「わたしは――」
それに反応しようとするタバサをアルトーワ伯は遮った。
「なぜ騎士をしているかは、聞きますまい」
遮られ口を閉ざすタバサに、アルトーワ伯が先ほどとは違う目をして改めて言
葉を吐く。
「今日、ここに来たのは昨夜の刺客について。それと今後の屋敷の警備のこと
をお聞きしたいのですが」
「……?」
その言葉の意味がタバサに疑問をもたらした。
警備に関することは、全てカステルモールに一任されているはずである。
それに昨夜の刺客についても、タバサは現場には行ったが直接犯人を見たわけ
でもない。
警備のことは任務の上でタバサも把握はしているが、やはりそれに関してカス
テルモールに聞いた方が早いし確実なのだが。
首を傾げるタバサに、アルトーワ伯は笑いながら言う。
「カステルモール殿は色々忙しいようで、警備に関してはシャルロット様に聞
いた方がよろしいかと言われました。それにシャルロット様なら刺客に関して
も独自の推理力でなにかを見抜いているだろう、とのことで」
その言葉にタバサは少し呆れた。
どうやらカルテルモールはどうしてもタバサを特別扱いしたいようである。
だがカルテルモールが忙しいのも事実。
タバサは溜息を一つ、アルトーワ伯に説明をし始めた。
説明は5分とかからなかった。
「ふうむ、夜はできるかぎりホールと自室から出ない方がいいと言う事ですな」
「そう」
タバサが話し終わるとアルトーワ伯も一息を吐く。
それを見ながら、やはりという思いがタバサの中ではあった。
説明を交えながらの会話の中で、タバサの中でアルトーワ伯の人物像がかなり
補正されている。
初めにイザベラが語った、謀反を企てているような人物にはどうしても思えな
いのだ。
だが現実にイザベラを狙う刺客は存在し、最も疑わしいのもアルトーワ伯なの
だが。
「やれやれ、大変なことになりましたな」
そう笑うアルトーワ伯の顔には労わりの光りがある。
「……別に」
その瞳をまともに見られなくて、タバサは視線を外した時。
コンコン――
扉がノックされた。
2人の視線が扉へと集まる。
「誰――」
タバサが声をかけようとし――杖を手に取りアルトーワ伯を押し倒した。
「なにを――」
戸惑いの声は、
――ゴバンッ!!
砕け散る扉の音と残骸によって遮られる。
大量の風が吹き込む。
タバサが奔らせた視線の先、そこには1人の男が佇んでいた。
片手に杖、片手に短剣を持ち。仕立ての良いマントを身につけ。その下、服の
胸部に薔薇を現す刺繍が施されている。
「東薔薇騎士団員……」
それは現在この屋敷を、王女を守っているはずのガリアの騎士団員の証であっ
た。
その騎士はタバサたちを見つけると、なにを思ったかその場で礼儀正しいお辞
儀をする。
「ご機嫌麗しゅう。こんな明るい時間に手荒いですが、挨拶をしに参りました」
顔を上げ微笑む顔に見覚えがあった。
昨夜の刺客の襲撃の際に部屋にいた騎士である。
タバサが立ち上がり杖を構えると、それに合わせてその騎士も杖を構えた。
「目的は?」
「言えません」
「雇い主は?」
「言えません」
「あなたは誰?」
「“地下水”」
「……」
それ以上の言葉は要らなかった。
睨み合う2人、緊迫する空気。
それにまるで耐え切れなかったかのように、
壊れた扉が、
風で、
キィ――
軋んだ。
「「――ラナ・デル・ウィンデ、『エア・ハンマー』!」」
発動は同時。
2人の間で風の鉄槌同士がぶつかり合い、弾け飛ぶ。
風がマントをはためかせ、タバサは狭い室内を跳ねる様に移動しながら次の詠
唱を始めた。
「ラグーズ・ウォータル――」
「――イス・イーサ・ウィンデ」
またも詠唱が重なり、それぞれの周囲で空気が乾燥し、代わりに氷が矢を形作
る。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ――七つ!
「「『ウィンディ・アイシクル』」」
互いの氷の矢がまたもぶつかり合い、氷片を室内に散らし。破壊を免れた矢を
タバサは紙一重で回避した。
“地下水”も難なく避けると更に杖をタバサへと向ける。
その動きには淀みがなく、体運びから相当の技量だと窺われた。
タバサも向かい合わせるように向ける。
詠唱の速度、力量共に互角。それに相手は“地下水”と名乗った。
(相手は水の使い手。だけど現在、室内は乾燥している……ならばっ)
タバサは僅かな間に思考を高速回転させ、相手の手を予測する。
(――次は風!)
「『エア・カッター』」
そして予測した通りの魔法がタバサを狙い。
タバサはそれを回避しようとしたが。
「おや、避けると当たってしまいますよ」
突如かけられた言葉で、すぐに気がつく。
「――デル・ウィンデ!」
タバサは唱えようとしていた魔法を中断、最速の詠唱で風の防壁を張る。
風の刃は辛うじてそれによって阻まれた。
「――っはぁ」
乱れた息を整えるタバサの後ろ、そこにはアルトーワ伯がいる。
先ほど押し倒した際に杖は手元から離れたのだろう、今の彼は無力であった。
「……申し訳ありません」
悔しそうに目を伏せるアルトーワ伯にタバサは何も言わない。
「さて、これから魔法を使いますが。反撃しても避けてもかまいません。まあ、
後ろの方がどうなってもいいのでしたらね」
「……」
ニヤリと笑う“地下水”に卑怯とタバサは言わない。
本当の勝負には卑怯や汚いなど無く、勝利した者が命を拾う。
そう――卑怯も汚いも無いのだ。
「それではどれだけ耐えられるか――」
“地下水”の向けた杖は――
フォン――ガッ!
「――なにっ!」
突如、中空で弾かれる。
なんとか杖を手放さなかったが、体が泳ぎ。
ヒュン――ドッ!ダダッ!!
「ぐっ!があっ!!」
その体が“独りでに打ちのめされる”不思議な光景が展開されていた。
さらに、その隙を見逃すタバサではない。
「ラナ・デル・ウィンデ」
それを見た“地下水”が杖を構えようとするが――またも弾かれ、その手から
離れていった。
「『エア・ハンマー』」
無防備になった体に、風の槌が吸い込まれるように命中する。
「――ごふっ!?」
吹き飛ばされた“地下水”は壁に叩きつけられ短剣を落とし。
「……一体……なにが……」
崩れ落ちる姿を見ながら、呆然とアルトーワ伯が呟いた。
それを無視してタバサが“地下水”を拘束しに向かう。
手早く拘束した後。タバサは、アルトーワ伯の前に立つと拾った杖を差し出す。
「これはすいません」
杖を受け取り、ゆっくりと立ち上がると、タバサは扉へと促す。
「すぐに人が集まる」
さすがに、大々的に領主とタバサが直接会っていたという噂を流すわけにはい
かない。
「ご配慮、感謝します」
頭を下げるアルトーワ伯は、いつの間にかベッドに誰もいないことに気がつい
た。
それでアルトーワ伯は状況を読み取ったのか。
「良い従者をお持ちのようで」
そう笑うと、しっかりとした足取りで部屋を出て行った。
残されたのは壊された扉、荒らされたベッド、転がる杖と短剣、そして拘束し
た“地下水”と名乗る騎士。
寝れなかった、とタバサが呟くと背後が次第に騒がしくなってくる。
「なにごとです!」
バタバタと現れたのはカステルモールであった。
部屋の惨状を見て絶句するカステルモールに事情を説明すると、彼はなにより
タバサの身が無事なことを喜び、そして騎士団に刺客がいたことを恥じた。
「この者を締め上げて依頼主を吐かせます」
そう言い近づいた時、その騎士が身じろぎをする。
「ん……んん……」
そして目を開けると、まるでわけがわからないという風に周囲を見回し、自分
が縛られているとわかると。
「あ、あれ? た、隊長! なんで俺は縛られているんですか!?」
それが第一声だった。
「なに?」
ギロリとその騎士をカステルモールが睨む。
「なんでこんな冗談を――」
カルテルモールはそう言う騎士の胸倉を掴むと、つるし上げた。
「なにを今更しらばくれる。お前が王女の命を狙う刺客――“地下水”だとい
うことはわかっているんだ」
冷え冷えとした瞳は、常人であれば凍りつかせることが出来るような迫力を帯
び。
「――そ、そんな……ちがっ」
「まだ言うか」
だが、苦しそうに喘ぎながらも否定するその姿に、タバサは不審な物を感じた。
「……なにも覚えていない?」
「は、い……昨日っ……の夜、から……の……記憶が、ありま……せんっ」
その言葉に頷くと。
「彼を下ろして」
「どうしました?」
「試したいことがある」
下ろされ安堵の色を宿す騎士に近寄ると、タバサは手早く拘束を解く。
「なっ! なぜそんなことをして――」
いきなりの行動に驚くカステルモールに構わず、タバサは転がっていた杖を騎
士へと向かって投げる。
「取って」
「――」
絶句するカステルモールの前で、騎士は杖を手に取った。
それを見た直後、タバサは緊張するカステルモールへと言う。
「彼は違う」
「な、なにを根拠にっ!」
まったく付いていけない彼に、タバサは静かに語る。
「体捌きがさっきと全然違う。それに“地下水”は心を操る魔法に長けている」
「それでは……操られていたと?」
タバサが頷くと、カステルモールは思案した後。
「……貴女がいうなら間違いはないでしょう」
呆けている騎士へと振り返る。
「外に居るやつと一緒に詰め所へ待機しておけ。操られていたとはいえ、色々
と聞きたいことがある」
「は、はいっ!」
急いで出て行く騎士を尻目に、カステルモールはタバサへと向き直った。
「すぐ別の部屋を用意しますので、少々お待ちください」
そう言い出て行こうとした時、足元の短剣に気が付く。
「これは?」
その短剣を手に取り、タバサへと問う。
「さっきの彼が持っていた」
短い答えに、そうですか、とカステルモールは呟くと、短剣を腰へと差し一礼
をして出て行った。
ようやく静かになり、タバサは1つ息を吐くと。
とりあえずは無事だった椅子へと座り、本を取り出し読み始める。
高まった興奮により眠気は彼方へと過ぎ去っていた。
――コンコン。
ノックされた扉に女中はびくっと体を竦ませる。
彼女は怯えていた。
同じ部屋にいる王女は現在刺客に命を狙われているのである。
なぜか昨日まで恐怖をまるで感じずに行動をしていたのだが。
今となっては曖昧な記憶の過ぎず、まるで夢現に迷い込んだようなものであっ
た。
だが、夢は覚め。自分も一緒の殺されるかもしれないという恐怖が沸き、扉へ
の対応が出来ない。
そんな彼女の心を知ってか知らずか、イザベラは彼女を急かした。
「ほら、開けな」
「で、でもっ」
「……逆らう気かい?」
それでも躊躇する彼女だが、イザベラの苛立った声により泣きそうになりなが
らも扉へ手をかける。
「失礼します」
そして入ってきた人物を見て女中は安堵の息を吐く。
「報告しに来ました」
そう言ってカステルモールが部屋へ入ってくる。
イザベラはそちらへ視線を向け、鼻を鳴らすと問いかけた。
「襲撃の結果は?」
「上々です」
「あの娘は?」
「相当参っています」
交わされる不穏当な会話。
その意味はわからぬが、言葉の物騒さから女中は青ざめた。
そしてイザベラは一息を置くと、少し声色を変えて言う。
「……今のあんたなら、人形娘を倒せるかい?」
「五分五分といったところでしょうか」
その言葉に、イゼベラはギラリと瞳に危険な光りを宿し。
「明日の夜、やるよ」
飢えた狼のように歯を剥いて笑った。
「御意に――」
#navi(魔導書が使い魔)
#navi(魔導書が使い魔)
&setpagename(魔導書が使い魔-イザベラと暗殺者-02)
「――っ!?」
突如鳴った音に、イザベラはビクリと体を震わせた。
目の前は真っ暗であり、何も見えない。
またも音が鳴る。
それは天井から、上の階から響いてくる。
今、上の階には自分に成り代わったタバサがいるはずだ。
そしてそこからこんな大きな物音がするとなれば。
ドクリ、と右手が脈打つような、何かが蠢めくような感覚がした。
「いやぁ……」
込み上げる吐き気を押さえると、左腕だけで自分を抱え込む。
もう精神は限界だった。
打ちのめされ、打ち倒され、叩き潰され、磨り潰され、プライドや虚勢などと
いう物は紙くずの如く、当に打ち破られている。
恐怖のうちに何かを憎悪することで、恐怖に打ち勝つのが本来のイザベラだっ
た。
だが“本当の恐怖”の前には、憎悪や他の感情など入り込む余地など無く、無
限にその魂を蹂躙し続ける。
父ジョゼフが怖い、右手に宿るものが怖い、暗闇が怖い、夜が怖い、他人が怖
い、人が怖い、社会が怖い、世界が怖い――
今のイザベラは弱者だ。それも最底辺の。
王女だろうが、権力があろうが、金があろうが関係ない。彼女はどうしようも
なく弱者だった。
だからこそ、怖いものだらけの世界で弱者は力――強者に縋るしか方法が無い。
たとえそれが、最も忌み嫌う相手だろうが。
――気づいている。シャルロットは本当に自分をどうも思っていないことに。
自分は目的の途中で転がっている路傍の石でしかない。その石の命に従ってい
る理由は、彼女の母親の命が掛かっているからだ。
――気づいている。カステルモールが自分に真の忠誠を誓っていないことに。
自分は王権の簒奪者の娘であり、我侭でシャルロットを痛めつける憎き王女だ
から。
――気づいている。自分は誰からも好かれていないことに。唯一、王女という
冠だけが自分の姿を皆に教えているのだ。
自分の中身はスカスカで、ボロボロで。そんな自分に右手から無尽蔵に恐怖が
注がれ、満たされている。
暗闇に手を伸ばす。
温もりがほしかった。
「いやぁ……誰か……」
シャルロットは? 付き添っていた女中は? このさいカステルモールでもい
い。
ただ、本当に誰でもいい……人の温もりがほしかった。
宙を掻く手は。
「はいはい、ここにいますよ」
ふわりと包まれた。
「ほ~ら、何も怖くない」
その大人びた女性の声を聞いたイザベラは疑問を持つ。
シャルロットは上にいるはず、あの女中とも声質が違う、カステルモールは男
だ。
誰だろうと思っていると、目が暗闇に慣れてきて、ぼんやりとその姿が浮かび
上がる。
「……誰?」
作業のしやすい服、つけられた前掛け、頭に乗った髪留め。宮殿では見慣れた
女中の姿。
だが、眼鏡をかけ灰色の髪と褐色の肌を持つその顔に見覚えは無い……はずな
のに、イザベラに不思議と恐怖や不安感は湧いてこない。
「おやおや。忘れてしまうとはひどいですね」
おどけるように女が言う。
「それとも寝ぼけていらっしゃるのですか? お付きのニアーラですよ」
「ニアー……ラ?」
「はい」
ぼんやりとイザベラは考える。
(ニアーラ……ニアーラ……ああ、“今思い出した”)
確かにニアーラは自分のお付きである。
思い出すと急激に申し訳なくなってくる。
「ごめ、んなさい」
ニアーラは、いえいえと言うとイザベラを抱きしめた。
「まだ怖いですか? お嬢様」
その声はするりと耳に滑り込み、抱きしめられた体は広大な……途轍もなく広
大な“何か”に身を預けるような浮遊感がイザベラに付きまとう。
コクリと頷いた。
「そうですか。でしたら……ちょっとしたオマジナイをしてあげましょう」
そっと右手を取られるが、何も反応はしなかった。
ニアーラの指が手の甲を滑る。
そしてその口から“声にならない歌”が漏れた。
「―――、―――★―――♪」
それは言葉で括れぬ言葉。
それは声に成れない声。
それは歌に収まらない歌。
それは音にしてはならない音。
「――!%――×<――Ω↑」
歌は耳に、脳に、魂に染み込み染み渡り、多角的に多次元的に多面的に異次元
的に“大切な何か”を書き換えていく。
這い続ける指は一定の規則に従い、とある図形を描きなぞり続ける。
苦痛、快楽、苦悶、歓喜、苦悩、解放。全てが溢れ、全てが混ざりイザベラの
体中を暴れ回る。
「あ、あっ、あ!」
歌が図形が流れ描かれるたびに、ビクンビクンとイザベラの体が跳ねた。
だが体は押さえ付けられ、歌は止まず、手の甲に指は這い続ける。
歌う→描く→染みる→書き換え→跳ねる
↑■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■↓
跳ねる←書き換え←染みる←描く←歌う
己を呑む蛇の如く繰り返される行為と結果。
「:A/@*$■■■■■■■――」
「あっ、あっ、あっ、あ――ッ!!」
それが最高潮へ達しようとし――
「――イス・イーサ・ウィンデ」
詠唱がそれを遮った。
歌が途切れると共にイザベラの中で荒れ狂っていた本流が止まった。
虚ろな目が捉えたのは、迫り来る氷の矢の大軍であり。
「――ぁ」
そのまま意識はブツリと断ち切れた。
「――外しましたか」
短剣を手に、その女中は呟いた。
放たれた氷の矢は、イザベラの周囲に突き刺さっているが、イザベラには傷一
つ無い。
本来の狙いは、イザベラではなく――
「危ないですね。当たったらどうするつもりですか」
気を失っているイザベラから視線を移動させる。
そこには本来の目標が窓枠に腰掛けていた。
いつのまに窓を開けたのか、風にカーテンが弄られ踊る。
「おかしいですね。ここいらには人払いをしていたはずですけど」
ニアーラは考え込むようにした後、短剣を見て頷いた。
「ああ、そういうことですか」
それに女中は短剣を突きつける。
「貴女はガリアのメイドではないですね。なにをしようとしていたんですか、
教えてくださるとこちらとしては助かるのですが」
口調や言葉遣いこそ丁寧だが、その芯には渦巻く闘志が宿っている。
だが、ニアーラはそれにも軽く肩を竦めるだけ。
「いやなに、ただのオマジナイですよ」
そのパカリと割れるような笑みを見て。
「話すつもりはない……みたいですね!」
短い詠唱と共に短剣から風の刃が放たれた。
風はニアーラの首を刎ねよと迫り。
「――っ!?」
ニアーラはふわりと窓の外へと身を乗り出した。当然そこには体を支える物は
ない。
だが、外へと落ちる瞬間、確かに彼女は楽しそうに笑った。
急いで窓へと駆け寄るが、そこには闇を纏う薄暗い地面が広がるばかりでなに
もない。
「ははははっ!」
声のほうへ顔を上げると、黒々とした羽が大きく夜空を切り裂くように広がっ
ていた。
「それでは“ご縁”があればまたお会いしましょう! あは、あはハハはhaは
ハはhaha――」
不快な笑い声が夜へ響き、その姿は小さくなっていく。
「……韻龍の類? いえ、それにしては邪悪すぎますね」
撃ち墜そうとも思ったが“今の自分では”無理だと判断し短剣を鞘へと戻す。
窓を閉めると、背後からくしゃみが聞こえた。
「くちゅんっ」
目を向けると、氷の矢に囲まれイザベラが寒そうに体を抱きかかえている。
近づいて、頬に触れるが体内の“水”には問題は無い。
そうとわかると手を離し。
「さて、どうしましょうか」
冷気が漂う室内。穴だらけになったベッドを見て溜息を吐くと、その細腕に見
合わない力でイザベラを抱き上げた。
「責任者にどうにかしてもらいましょうか」
そう呟いて、てんやわんやと忙しそうなカステルモールへ報告しようと部屋を
出る。
「ぁ……ぅ……」
悪夢でも見ているのか、苦悶の表情を浮かべるイザベラ。
その右手に、薄っすらと赤い図形が浮かび上がっていた。
「それは本当?」
「はい」
朝。起床したタバサはカステルモールの報告を受けて悔しげに唇を噛んだ。
『フェイス・チェンジ』は相手に知れたことでもう解いている。
報告内容は、昨夜の襲撃の後にイザベラが何者かに襲われたということであっ
た。
油断していたと、タバサは反省する。
刺客が一人であるなどと誰が言ったのだ。自分の勝手な思い込みで護衛対象を
危険にさらしてしまったのだ。
「……彼女は?」
その問いにカステルモールは頷く。
「気を失っただけで、これといって外傷はありません」
「……怪我がない?」
その言葉にタバサが怪訝となったのを感じ取ったのだろう。
「どうやら、刺客は途中に入ってきたメイドに驚いたらしく。すぐに逃亡した
ようです」
「逃亡」
そこがタバサには解せない。
イザベラのメイジとしての実力はどう過大評価しても高くは無い。むしろそれ
が劣等感となりタバサに当たっていたぐらいだ。
そんなイザベラを前にして刺客が、メイドが部屋に入ってきたぐらいで逃げる
だろうか?
それに昨夜の甲冑の刺客もどこかおかしかった。
ただの復讐や革命では説明しきれない大きなものが、背後に渦巻いているよう
な感覚がする中、扉が叩かれる。
「お取り込み中すいません。カステルモール様はいらっしゃいますか」
「何事だ」
カステルモールの声に、扉越しに声が返る。
「王女様が目を覚ました」
タバサとカステルモールは目を見合わせると頷いた。
「王女、失礼します」
カステルモールが断りをいれ部屋へ入り、それにタバサが続く。
そこにはベッドから上半身を起こしたイザベラがいた。
そしてイザベラがこちらに気づき、口を開く。
「――何をしに来たんだい、役立たずども」
「は?」
「……」
カステルモールは呆けたように口を開き、タバサは無言。
「なにぼけっとアホ面を晒しているだよ。まともに護衛さえできないようなボ
ケはさっさと出て行ってくれないかい?」
それに構いもせず毒舌を発揮する。
なにかが、変わっていた……いや、戻ったというべきなのか。
戸惑うカルテルモールをよそに、イザベラはタバサへと視線を向けるとあから
さまに不機嫌な顔をする。
「なんだい、不満がありそうだね?」
「……」
イザベラはふんと顔を逸らした。
「取りあえず今すぐ出ていきな。午後からまた出発するよ」
その剣幕に誰が対抗できるはずも無く。
「……はい」
カステルモールとタバサは頷いた。
部屋から出て行く2人を見送りながら、イザベラは自身の変化に驚いていた。
昨晩まで続いていた恐怖と不安と狂気の影。
普段なら絶対に頼らないであろうシャルロットを頼り、心身を狂気に侵され弱
っていた。
だが、今は違う。
イザベラの胸に巣食っていた黒く恐ろしい物は一切無くなり、今までの人生で
無いほどの清々しさを感じているぐらいである。
ふと己の右手に目が留まる。
図形の描かれた右手の甲。
(こんなもの、あったかい?)
頭にそんな疑問が浮かびかけるが。
(いったい……い……つ……?)
......>>検索した情報は発見できませんでした。
――その疑問は砂浜に作った砂城のように脆く崩れていった。
代わり思い出すのは異形。
肉を裂いて現れたおぞましい顔が脳裏に浮かぶが、少々不快に思うだけであっ
た。
恐れがない、焦りがない。
まるで“心を洗浄されたかのよう”である。
そして洗い流された心には、今まで覆い隠してきた穴がぽっかりと虚無を覗か
せて――
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
陰鬱な考えをイザベラは一蹴した。
とりあえずは、今気にすべきことは刺客についてである。
頭を振りながら枕元のベルを鳴らす。
まずは着替えなければいけない。
「失礼します」
ほどなくして1人の女中が入り、手際よくイザベラにドレスを着せていく。
それに身を任せていたイザベラは、不意に女中の腰に吊られた短剣が目に入る
と――
「今から命を与える“地下水”」
「なんなりと」
――ニタリと楽しそうな、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。
4名の死者を出した先の襲撃。そのいずれもが護衛に当たっていた騎士であり、
さらに王女に接触を許したことは騎士団全体の緊張感を高める結果となる。
カステルモールの指示により一層厳重になった警護の元、それ以上の襲撃は無
く。無事アルトーワの領地へと入る。
「ようこそいらっしゃいましたイザベラ王女」
タバサと護衛を連れて巨大な屋敷へたどり着いたイザベラたちを向かえたのは、
アルトーワ伯その人であった。
ガリア特有の青髪は色褪せ、顔も年相応の深い皺が刻まれ杖を突いている。だ
がその手は太く、そしてその足運びはしっかりとしたものだった。
アルトーワ伯は顔の皺をさらに深くして笑みを見せる。
「大きくなられましたな。またお美しくなって、見違えるようですぞ」
その顔は重厚な年月を積み重ねた者だけが持つ、重みを有していた。
タバサは初めに聞いていた印象と食い違っていることに困惑しそうになる。
すると、一瞬タバサと視線が交わり、アルトーワ伯は優しげな瞳をした。
「……?」
その真意をタバサが扱いかねていると。
「心にも無いことを、見え透いた世辞など止めな。吐き気がする」
吐き捨てるような言葉をイザベラが叩き付ける。
その場が凍りつきかけるが。
「ははは、世辞は貴族の社交武器。使わないことが無理ですよ。もっとも先ほ
どの言葉は王女の美しさを華美に表現したもの。王女が美しくなったことには
変わりありません」
気分を害した様子も無くアルトーワ伯は返した。
「…………」
それに対して、イザベラはアルトーワ伯を睨みつけるが、視線を逸らし舌打ち
をする。
「っち。さっさと案内しな」
「ではこちらへ」
アルトーワ伯は笑みを崩さぬまま、先導を始めた。
日が暮れると共に遠く園遊会に参加する貴族達が集まってきた。
屋敷のホールには数々の料理が並び、楽しげな笑い声が響き渡る。
そこにはイザベラの姿はなく、タバサもまたそこにはいなかった。
月が照らす屋根の上、春先とはいえ冷たい夜風が吹き付ける。
タバサは手にした杖を握り込むと、マントを巻きつけた体を縮こまらせながら
座り込む。
「…………」
「おねえちゃん」
その声と共に、タバサの隣にエルザが現れる。
「なに見てるの?」
タバサはそちらを向かず、ただ眼下へと視線を落とす。
視線の先にあるのはポツリと一つだけ灯りの付いた窓。
時折動く影が中に人がいることを示す。
タバサの視線に気が付くとエルザは顔を覗き込む。
「あの泣き虫だったおねえちゃん? なんかいきなりいじわるになっちゃった
けど」
頷きながらエルザの頭をどかせる。
素直にエルザは顔をどけると、ちょこんと隣に座って訊ねてきた。
「どうしておねえちゃんは、あのいじわるおねえちゃんのことを守ろうとする
の」
その言葉にタバサは黙り込む。
「シルフィーの話が本当だったら。今までおねえちゃんは、す~~~~っごい
いじわるされてきたんでしょ?」
タバサは無言。
「おねえちゃんはそれが嫌だったんでしょ? それなら別におねえちゃんはこ
んなことをしなくても――」
「――別に」
エルザが言い切る前に、タバサが言葉を被せた。
「これが……わたしの仕事だから」
「……」
その場に重い空気が漂い始めた時。
「……ぁ」
ピクリとエルザが反応し、タバサは立ち上がり振り返った。
はたしてそこには――
「……甲冑の男」
タバサの呟くままの姿が、白くぼんやりと同じ屋根の上にある。
「――っ」
それに即座にエルザがマントを被ろうとし、タバサが杖を手に突きつけようと
するが、止まった。
視線の先。2人の動きを軽く止めるように、白い掌が突き出されている。
そこで、タバサは相手に殺気が無いことに気がつく。
「……どういうつもり?」
『シャ゙ル゙ロ゙ッド様。貴女ド争ヴ積モ゙リ゙バア゙リ゙マ゙ゼン゙』
罅割れエコーがかった声が響く。
「そんなの信じられない!」
その声に、エルザが反応する。
「だって! この前、きしさんころしたもん!」
興奮するエルザ。それにタバサは対照的にエルザの頭を静かに撫でた。
「……おねえちゃん」
見上げるエルザにタバサは頷くと、甲冑の男を促す。
「……続けて」
甲冑の男の口が再び滑り出した。
『私ノ゙目的バ明グマ゙デ王女。障害ドナ゙レ゙バ排除ズル゙ガ、ゾレ゙以外ヺ害ズル゙気バ
ア゙リ゙マ゙ゼン゙』
無言でタバサは聞く。
『ゾゴデ、ジャル゙ロ゙ッド様。貴女バゴノ゙マ゙マ゙国ベ引ギ返ジデ欲ジイ゙』
「なぜ?」
思わずタバサは聞き返す。
『……理由バ言エ゙マ゙ゼン゙。ダダ、貴女ニ゙不利益バ無イ゙バズデズ。ム゙ジロ゙、貴女
ノ゙母上ノ゙保護ヺ――』
その言葉を。
「それは――できない」
強く遮った。
『…………』
それに甲冑の男は一瞬黙り込み。
――ガシャンッ!
「キャァァアアアッッ!!」
突如の悲鳴、硝子の割れる音。
タバサは即座に反応した。
「――ッ」
詠唱をしながら屋根の端へと走り寄り、それにエルザが追従する。
そして端へとたどり着き。
『……ジャル゙ロ゙ッド様。明後日マ゙デニ゙、領外ベ出デグダザイ゙』
声にタバサが振り返った時には、白い甲冑の姿は無く。
ほんの少しそこを眺めた後、タバサはエルザが掴まったのを確認すると飛び降
りる。
「『レビテーション』」
イザベラのいる部屋へ向かい、降下しはじめた。
タバサが割れていた窓から内へ入った時には、すでに終わっていた。
不可視になったエルザをそっと下ろすと部屋の中を窺う。
そこにいたのはベッドに座るイザベラ、傍で縮こまる女中、無念そうな騎士。
室内を見回すと、そこは切り刻まれ吹き飛ばされた家具や調度品が散乱してい
る。
「遅かったじゃないか」
薄ら笑いを浮かべながら言うイザベラを見るが、怪我を負っている様子は無い。
タバサは立ち尽くす騎士へと視線をやる。
「相手は?」
「はい、それが……」
そして状況を聞き、タバサは怪訝な顔になる。
「窓から逃げた?」
「はい。悲鳴と争いの音を聞いてすぐに踏み込んだのですが、もうすでに」
タバサはありえないと思った。
夜から屋根に張り付いていて、タバサは片時も周囲に注意を怠ってはいない。
まったく物音を立てずに背後に現れた白い甲冑にさえ気が付いたのだ、他を見
逃すはずも無い。
「……」
未だニヤニヤと笑うイザベラの視線を、タバサは真っ向から受け止めると口を
開く。
「どんな相手だった」
「さあ、男か女か、背が高いか低いか、服は黒尽くめかドレスだったか。怖く
て怖くてよく見てないよ」
そう言うと、微塵も怖がる風も無くイザベラはケラケラ笑った。
「それより何時までこんな部屋に私を置いておく気だい」
これ以上聞いても無駄と判断し、タバサは騎士へと向き直る。
「彼女達を別の部屋へ……それと団長に報告を」
「わかりました」
頷いた騎士は表に立っていた別の騎士と共に、イザベラたちを別の部屋へと誘
導していく。
出て行く間際イザベラは、顔だけタバサへ向け。
「せいぜい頑張るんだねぇ」
ニンマリと笑った。
それを見送ると、タバサはエルザと共に現場検証を始める。
そして、その日の現場検証の結果としてわかったことは少なかった。
新たな部屋でベッドに座りながらイザベラは話しかける。
「あの人形娘は相当困惑しているだろうね」
「そうでしょうね。今後護衛の増強共にあの娘も更に忙殺されると思います」
それにさっきまで怯えていた女中が答える。
「あははははは! いい気味だ!」
ベッドに寝そべり、はしたなく足をバタつかせイザベラは大笑いをした。
散々笑いつくした後、イザベラは楽しそうに呟く。
「それじゃあ、次はもっと忙しくしてやろうじゃないか」
そう言うと、呼び鈴を手に取りそれを鳴らす。
――チリリン。
涼やかな音が鳴ると、入ってきたのは扉の前で待機していた騎士であった。
「なにか御用ですか」
騎士は少し緊張しているようであったが、それを気にせずイザベラは話しかけ
る。
「なに、大した事じゃないわ」
「はあ」
呆けた声を出す騎士からイザベラは女中へと顔を向けると頷く。
女中は騎士の前へと進み出ると、腰から一本の短剣を抜き差し出した。
「これを――」
その短剣と女中を見て、騎士は困惑する。
「え? へ?」
それを見てイザベラは苛立つように言った。
「さっさと受け取りな!」
「は、はいっ!」
叱咤を受けて反射的に騎士は短剣へ手を伸ばす。
「――」
そして短剣を受け取ると。
「あ、あれ?」
女中が急にキョロキョロとしだす。
まるでここはどこだと言わんばかりに困惑する女中を尻目に、イザベラは騎士
へと言った。
「もう下がってもいい」
「――はい」
騎士は短剣を腰に挿し頷くと、そのまま下がる。
そして――
「明日は、存分に働いておくれよ」
「――御意に」
イザベラの言葉に静かに笑った。
タバサが眠りについたのは昼になってからである。
昨夜の襲撃は騎士達、そしてタバサへと大きな波紋を広げた。
警備の強化、見回りの増強。それにはタバサも組み込まれており、未だ癒え切
らぬ傷を残す体に多大な負担をもたらすこととなる。
一番警備が楽になるこの時間帯。ようやく解放されたタバサは、部屋に入ると
倒れるようにベッドに突っ伏し、もそもそと眼鏡を外した。
カーテンを閉め切った部屋は薄暗く、眼鏡を外した状態では一寸先も見えない。
着替えもしてないことに気が付いたが、あまりにも気だるかった。
手になにか柔らかいものが触れる。
それは先に眠りに来ていたエルザであった。
タフな吸血鬼とはいえ、さすがに真っ昼間から動くのは相当辛かっただろう。
むずがることもなくスヤスヤと寝息を立てている。
それを確認するとタバサは欠伸を一つ。
考えることは大量にある。
複数の刺客、白い甲冑の言葉の意味、イザベラの変貌、アルトーワ伯の真意、
カステルモールの発言。
だが、今は全てを棚に上に置いておく。
タバサは杖を傍に置き、そのまま目を閉じた。
目を閉じると相当疲れているのか、頭の中身がふやける様な感覚が襲う。
自分という個が溶け出し、奥底に封じられた様々な物が流れ出していく。
疲れ、苛立ち、達観、諦観、決意、憎悪。
古い物、新しい物、分け隔てなく溶け出した感情は、グズグズと溶け混ざり渦
巻いていく。
そして渦巻く感情の端に、様々な顔が浮かんだ。
死んだ父と狂った母――喜、哀。
懐かしさと悲しみとを思い起こす顔であり。
キュルケ、シルフィード、エルザ――楽。
気持ちのいい太陽と風と木陰のような顔であり。
ガリア王ジョゼフ――怒。
憎熱滾る復讐の対象の顔であったが。
イザベラ――無。
彼女には何も無かった。
喜も怒も哀も楽も。一切がタバサにはない。
喜ぶ理由も、怒る条件も、哀しむ意味も、楽しむ由来も――無い。
様々な嫌がらせや罵り、境遇すらも思い浮かぶが。
そのどれもが、イザベラに結びつく感情を起こさせない。
赤の他人に近い感情。
だが、それでも赤の他人とは存在感が一線を凌駕する。
昔は少なくとも違った。
なにかしらの感情をイザベラに持っていたのだが。
幼い頃に会った彼女は……今とほとんど変わらない……まるで、そのまま……
大きくなったような。
……段々と考えが纏まらなくなってくる。
最後にタバサは、ほんの少し、ほんの少しだけ……イザベラに憐憫のような感
情を抱いて、眠りに付いた。
コンコン――
その音を聞いて、タバサの意識は急激に浮上した。
枕元を漁り眼鏡を手に取ると、体を起こす。
頭が痺れるような感覚から5分も寝ていないことがわかる。
再び扉がノックされた。
タバサは眼鏡をかけると、幸せそうに寝ているエルザにシーツを被せ三度ノッ
クされる扉へと向かう。
もしものためにも常に杖は手放さず、扉越しに問いかける。
「誰?」
「……」
すぐに返事は返ってこなかった。
怪訝になったタバサは更に杖を握り締めると――予想外の答えが返ってくる。
「――アルトーワです」
一瞬タバサは呆けた。
(ここは騎士用に用意された宿舎。なぜアルトーワ伯が? 本物なのか? で
も、この声は間違いない)
混乱する思考。
だが、そんな間もなく扉越しに声は続ける。
「入れてくれませんかね。いつまでも扉越しでは体裁が悪いので」
それにタバサは少し迷った後、扉を開けた。
そこには声の通りの人物が佇んでいる。
「おや、寝ていましたか。これは失礼を」
「別に」
暗い室内から状況を察したのか、謝罪の言葉を述べるアルトーワ伯に首を振っ
て否定すると、部屋へと招きいれ。アルトーワ伯の杖がカツリと床を叩いた。
タバサはランプをつける間に、アルトーワ伯へ椅子を薦める。
椅子へ座ったアルトーワ伯はふとベッドの上へと視線を向け、小さく上下する
そのふくらみに気が付いた。
「ふむ、これは?」
ランプが灯り、明るく照らされた部屋。
シーツから漏れる金髪を見て呟いた言葉に――
「……従者」
タバサが答え、アルトーワ伯の前に椅子を置き座った。
「そうですか」
「……」
暫しの沈黙。
口火を切ったのはアルトーワ伯だった。
「お久しぶりですシャルロット様。あなた様が幼い頃会って以来ですね」
重厚なる年月を持った口調で、その言葉は吐かれる。
無論、覚えないことから物心が付く前であろうが。
「国外へ逃げられたと聞いていましたが、よくぞご無事で。その様子では今は
騎士となっておられるようで」
「わたしは――」
それに反応しようとするタバサをアルトーワ伯は遮った。
「なぜ騎士をしているかは、聞きますまい」
遮られ口を閉ざすタバサに、アルトーワ伯が先ほどとは違う目をして改めて言
葉を吐く。
「今日、ここに来たのは昨夜の刺客について。それと今後の屋敷の警備のこと
をお聞きしたいのですが」
「……?」
その言葉の意味がタバサに疑問をもたらした。
警備に関することは、全てカステルモールに一任されているはずである。
それに昨夜の刺客についても、タバサは現場には行ったが直接犯人を見たわけ
でもない。
警備のことは任務の上でタバサも把握はしているが、やはりそれに関してカス
テルモールに聞いた方が早いし確実なのだが。
首を傾げるタバサに、アルトーワ伯は笑いながら言う。
「カステルモール殿は色々忙しいようで、警備に関してはシャルロット様に聞
いた方がよろしいかと言われました。それにシャルロット様なら刺客に関して
も独自の推理力でなにかを見抜いているだろう、とのことで」
その言葉にタバサは少し呆れた。
どうやらカルテルモールはどうしてもタバサを特別扱いしたいようである。
だがカルテルモールが忙しいのも事実。
タバサは溜息を一つ、アルトーワ伯に説明をし始めた。
説明は5分とかからなかった。
「ふうむ、夜はできるかぎりホールと自室から出ない方がいいと言う事ですな」
「そう」
タバサが話し終わるとアルトーワ伯も一息を吐く。
それを見ながら、やはりという思いがタバサの中ではあった。
説明を交えながらの会話の中で、タバサの中でアルトーワ伯の人物像がかなり
補正されている。
初めにイザベラが語った、謀反を企てているような人物にはどうしても思えな
いのだ。
だが現実にイザベラを狙う刺客は存在し、最も疑わしいのもアルトーワ伯なの
だが。
「やれやれ、大変なことになりましたな」
そう笑うアルトーワ伯の顔には労わりの光りがある。
「……別に」
その瞳をまともに見られなくて、タバサは視線を外した時。
コンコン――
扉がノックされた。
2人の視線が扉へと集まる。
「誰――」
タバサが声をかけようとし――杖を手に取りアルトーワ伯を押し倒した。
「なにを――」
戸惑いの声は、
――ゴバンッ!!
砕け散る扉の音と残骸によって遮られる。
大量の風が吹き込む。
タバサが奔らせた視線の先、そこには1人の男が佇んでいた。
片手に杖、片手に短剣を持ち。仕立ての良いマントを身につけ。その下、服の
胸部に薔薇を現す刺繍が施されている。
「東薔薇騎士団員……」
それは現在この屋敷を、王女を守っているはずのガリアの騎士団員の証であっ
た。
その騎士はタバサたちを見つけると、なにを思ったかその場で礼儀正しいお辞
儀をする。
「ご機嫌麗しゅう。こんな明るい時間に手荒いですが、挨拶をしに参りました」
顔を上げ微笑む顔に見覚えがあった。
昨夜の刺客の襲撃の際に部屋にいた騎士である。
タバサが立ち上がり杖を構えると、それに合わせてその騎士も杖を構えた。
「目的は?」
「言えません」
「雇い主は?」
「言えません」
「あなたは誰?」
「“地下水”」
「……」
それ以上の言葉は要らなかった。
睨み合う2人、緊迫する空気。
それにまるで耐え切れなかったかのように、
壊れた扉が、
風で、
キィ――
軋んだ。
「「――ラナ・デル・ウィンデ、『エア・ハンマー』!」」
発動は同時。
2人の間で風の鉄槌同士がぶつかり合い、弾け飛ぶ。
風がマントをはためかせ、タバサは狭い室内を跳ねる様に移動しながら次の詠
唱を始めた。
「ラグーズ・ウォータル――」
「――イス・イーサ・ウィンデ」
またも詠唱が重なり、それぞれの周囲で空気が乾燥し、代わりに氷が矢を形作
る。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ――七つ!
「「『ウィンディ・アイシクル』」」
互いの氷の矢がまたもぶつかり合い、氷片を室内に散らし。破壊を免れた矢を
タバサは紙一重で回避した。
“地下水”も難なく避けると更に杖をタバサへと向ける。
その動きには淀みがなく、体運びから相当の技量だと窺われた。
タバサも向かい合わせるように向ける。
詠唱の速度、力量共に互角。それに相手は“地下水”と名乗った。
(相手は水の使い手。だけど現在、室内は乾燥している……ならばっ)
タバサは僅かな間に思考を高速回転させ、相手の手を予測する。
(――次は風!)
「『エア・カッター』」
そして予測した通りの魔法がタバサを狙い。
タバサはそれを回避しようとしたが。
「おや、避けると当たってしまいますよ」
突如かけられた言葉で、すぐに気がつく。
「――デル・ウィンデ!」
タバサは唱えようとしていた魔法を中断、最速の詠唱で風の防壁を張る。
風の刃は辛うじてそれによって阻まれた。
「――っはぁ」
乱れた息を整えるタバサの後ろ、そこにはアルトーワ伯がいる。
先ほど押し倒した際に杖は手元から離れたのだろう、今の彼は無力であった。
「……申し訳ありません」
悔しそうに目を伏せるアルトーワ伯にタバサは何も言わない。
「さて、これから魔法を使いますが。反撃しても避けてもかまいません。まあ、
後ろの方がどうなってもいいのでしたらね」
「……」
ニヤリと笑う“地下水”に卑怯とタバサは言わない。
本当の勝負には卑怯や汚いなど無く、勝利した者が命を拾う。
そう――卑怯も汚いも無いのだ。
「それではどれだけ耐えられるか――」
“地下水”の向けた杖は――
フォン――ガッ!
「――なにっ!」
突如、中空で弾かれる。
なんとか杖を手放さなかったが、体が泳ぎ。
ヒュン――ドッ!ダダッ!!
「ぐっ!があっ!!」
その体が“独りでに打ちのめされる”不思議な光景が展開されていた。
さらに、その隙を見逃すタバサではない。
「ラナ・デル・ウィンデ」
それを見た“地下水”が杖を構えようとするが――またも弾かれ、その手から
離れていった。
「『エア・ハンマー』」
無防備になった体に、風の槌が吸い込まれるように命中する。
「――ごふっ!?」
吹き飛ばされた“地下水”は壁に叩きつけられ短剣を落とし。
「……一体……なにが……」
崩れ落ちる姿を見ながら、呆然とアルトーワ伯が呟いた。
それを無視してタバサが“地下水”を拘束しに向かう。
手早く拘束した後。タバサは、アルトーワ伯の前に立つと拾った杖を差し出す。
「これはすいません」
杖を受け取り、ゆっくりと立ち上がると、タバサは扉へと促す。
「すぐに人が集まる」
さすがに、大々的に領主とタバサが直接会っていたという噂を流すわけにはい
かない。
「ご配慮、感謝します」
頭を下げるアルトーワ伯は、いつの間にかベッドに誰もいないことに気がつい
た。
それでアルトーワ伯は状況を読み取ったのか。
「良い従者をお持ちのようで」
そう笑うと、しっかりとした足取りで部屋を出て行った。
残されたのは壊された扉、荒らされたベッド、転がる杖と短剣、そして拘束し
た“地下水”と名乗る騎士。
寝れなかった、とタバサが呟くと背後が次第に騒がしくなってくる。
「なにごとです!」
バタバタと現れたのはカステルモールであった。
部屋の惨状を見て絶句するカステルモールに事情を説明すると、彼はなにより
タバサの身が無事なことを喜び、そして騎士団に刺客がいたことを恥じた。
「この者を締め上げて依頼主を吐かせます」
そう言い近づいた時、その騎士が身じろぎをする。
「ん……んん……」
そして目を開けると、まるでわけがわからないという風に周囲を見回し、自分
が縛られているとわかると。
「あ、あれ? た、隊長! なんで俺は縛られているんですか!?」
それが第一声だった。
「なに?」
ギロリとその騎士をカステルモールが睨む。
「なんでこんな冗談を――」
カルテルモールはそう言う騎士の胸倉を掴むと、つるし上げた。
「なにを今更しらばくれる。お前が王女の命を狙う刺客――“地下水”だとい
うことはわかっているんだ」
冷え冷えとした瞳は、常人であれば凍りつかせることが出来るような迫力を帯
び。
「――そ、そんな……ちがっ」
「まだ言うか」
だが、苦しそうに喘ぎながらも否定するその姿に、タバサは不審な物を感じた。
「……なにも覚えていない?」
「は、い……昨日っ……の夜、から……の……記憶が、ありま……せんっ」
その言葉に頷くと。
「彼を下ろして」
「どうしました?」
「試したいことがある」
下ろされ安堵の色を宿す騎士に近寄ると、タバサは手早く拘束を解く。
「なっ! なぜそんなことをして――」
いきなりの行動に驚くカステルモールに構わず、タバサは転がっていた杖を騎
士へと向かって投げる。
「取って」
「――」
絶句するカステルモールの前で、騎士は杖を手に取った。
それを見た直後、タバサは緊張するカステルモールへと言う。
「彼は違う」
「な、なにを根拠にっ!」
まったく付いていけない彼に、タバサは静かに語る。
「体捌きがさっきと全然違う。それに“地下水”は心を操る魔法に長けている」
「それでは……操られていたと?」
タバサが頷くと、カステルモールは思案した後。
「……貴女がいうなら間違いはないでしょう」
呆けている騎士へと振り返る。
「外に居るやつと一緒に詰め所へ待機しておけ。操られていたとはいえ、色々
と聞きたいことがある」
「は、はいっ!」
急いで出て行く騎士を尻目に、カステルモールはタバサへと向き直った。
「すぐ別の部屋を用意しますので、少々お待ちください」
そう言い出て行こうとした時、足元の短剣に気が付く。
「これは?」
その短剣を手に取り、タバサへと問う。
「さっきの彼が持っていた」
短い答えに、そうですか、とカステルモールは呟くと、短剣を腰へと差し一礼
をして出て行った。
ようやく静かになり、タバサは1つ息を吐くと。
とりあえずは無事だった椅子へと座り、本を取り出し読み始める。
高まった興奮により眠気は彼方へと過ぎ去っていた。
――コンコン。
ノックされた扉に女中はびくっと体を竦ませる。
彼女は怯えていた。
同じ部屋にいる王女は現在刺客に命を狙われているのである。
なぜか昨日まで恐怖をまるで感じずに行動をしていたのだが。
今となっては曖昧な記憶の過ぎず、まるで夢現に迷い込んだようなものであっ
た。
だが、夢は覚め。自分も一緒の殺されるかもしれないという恐怖が沸き、扉へ
の対応が出来ない。
そんな彼女の心を知ってか知らずか、イザベラは彼女を急かした。
「ほら、開けな」
「で、でもっ」
「……逆らう気かい?」
それでも躊躇する彼女だが、イザベラの苛立った声により泣きそうになりなが
らも扉へ手をかける。
「失礼します」
そして入ってきた人物を見て女中は安堵の息を吐く。
「報告しに来ました」
そう言ってカステルモールが部屋へ入ってくる。
イザベラはそちらへ視線を向け、鼻を鳴らすと問いかけた。
「襲撃の結果は?」
「上々です」
「あの娘は?」
「相当参っています」
交わされる不穏当な会話。
その意味はわからぬが、言葉の物騒さから女中は青ざめた。
そしてイザベラは一息を置くと、少し声色を変えて言う。
「……今のあんたなら、人形娘を倒せるかい?」
「五分五分といったところでしょうか」
その言葉に、イゼベラはギラリと瞳に危険な光りを宿した。
「明日の夜、やるよ」
「御意に――」
#navi(魔導書が使い魔)
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