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#navi(虚無のパズル)
ルイズの部屋は、貴族相手の宿『女神の杵』亭でも特に上等な部屋で、かなり立派な作りであった。
ワルドがワインとグラスを持って部屋にやって来ると、二人はテーブルに付き、ワインを開けた。
それぞれの杯にワインを注ぐと、ワルドはそれを掲げた。
「再会に」
ルイズはちょっと俯いて、杯をあわせた。かちん、とグラスが触れ合った。
「……心配なのかい?」
考え事をしているルイズの顔を、ワルドが覗き込んでいた。
「無事にアルビオンのウェールズ皇太子から、姫殿下の手紙を取り戻せるのかどうか」
「……ええ。大任だもの。わたしなんかにやり遂げられるかどうか……」
「大丈夫だよ。きっと上手くいく。なにせ、ぼくが付いてるんだから」
「そうね、あなたがいれば、きっと大丈夫よね。あなたは昔から、とても頼もしかったもの。……それで、大事な話って?」
ワルドは遠くを見る目になって言った。
「覚えているかい?あの、お屋敷の中庭……」
「あの、池に浮かんだ小舟?」
ルイズは夢で見た光景を思い出す。ずいぶんと昔のことなのに、今でもよく覚えていた。
「きみは、いつもご両親に叱られたあと、あそこでいじけていたね。まるで捨てられた子猫みたいに、うずくまって……」
「ほんとに、もう。ヘンなことばっかり覚えてるのね」
「きみの魔法はいつも失敗ばかりで、出来の悪い子だなんて言われてた」
「……意地悪。今だってそうよ」
ルイズは頬を膨らませた。
「違うんだルイズ。きみは失敗ばかりしてたけど、誰にもないオーラを放っていた。それがぼくにはとても魅力的に見えたんだ。今だってそうさ。きみには、他人にはない特別な力が宿ってる。ぼくはそう信じてる」
「まさか」
「まさかじゃない。そう、例えばきみの使い魔」
「ティトォのこと?」
「そうだ。彼の額のルーン……、あれは、ただのルーンじゃない。『ミョズニトニルン』の印さ」
「『ミョズニトニルン』?」
ルイズは怪訝そうに尋ねた。
「『ミョズニトニルン』は、あらゆるマジックアイテムを自在に操ったと言われている」
ルイズははっとなった。フーケを捕まえたとき、ティトォが誰にも扱えなかった『禁断の鍵』の力を引き出し、フーケのゴーレムを倒したことを思い出した。
ワルドの目がきらりと光る。
「心当たりがあるみたいだね。そう、『ミョズニトニルン』は、まさに伝説の使い魔だ。誰もが持てる使い魔じゃない。きみはそれだけの力を持ったメイジなんだよ」
「信じられないわ」
ルイズは首を振った。ワルドは、冗談を言ってるのだと思った。
確かにあのティトォたちは、不老不死の人間だ。三人の魂を一つの身体に宿し、異なる理の魔法を操る彼らの存在は、伝説の使い魔と言われても信じられる。
でも、自分はゼロのルイズなのだ。落ちこぼれ。ワルドが言うような力が自分にあるだなんて、とても信じられない。
伝説の使い魔を呼び出したのだって、何かの間違いだろうと思った。
「きみは偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような素晴らしいメイジになるに違いない。ぼくはそう予感している」
ワルドは熱っぽい口調で、ルイズを口説いた。
「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ」
「え……」
いきなりのプロポーズに、ルイズは息を呑んだ。
「ずっとほったらかしだったことは謝るよ。婚約者だなんて、言えた義理じゃないのも分かってる。でもルイズ、ぼくにはきみが必要なんだ」
「で、でも……わたし、まだ……」
「もうきみは16だ、子供じゃない」
ワルドはルイズを見つめる。
「で、でも!でも!だって!」
ずっと憧れていたワルド……。再会した彼は、昔のままに優しくて、凛々しくて。
結婚してくれと言われて、嬉しくないわけがない。でも……
「だってわたし、まだ、あなたに釣り合うような立派なメイジじゃないし……もっともっと修行して……」
ルイズは俯いた。
「それに、突然すぎよ。再会も突然で、プロポーズも突然。それに、今は姫殿下の任務の最中なのよ。わたし、そんなにいっぺんに色々考えられないわ……」
ルイズは混乱していた。思えば春の使い魔召喚儀式から、いろいろなことが起こりすぎていた。
おまけに『いろいろなこと』はいつも決まって突然起こるのだ。
ワルドは小さくため息をついた。
「すまないルイズ、急ぎすぎたね。分かった、取り消そう。今、返事をくれとは言わないよ。でも、この旅が終わったら、君の気持ちはぼくに傾くはずさ」
ルイズは小さく頷いた。
「それじゃあ、もう寝ようか。疲れただろう」
それからワルドはルイズに近付いて、唇を合わせようとした。
ルイズの身体が一瞬、こわばる。それから、すっとワルドを押し戻した。
「ルイズ?」
「ごめん、でも、なんか、その……」
ルイズがもじもじとすると、ワルドは苦笑して、首を振った。
「急がないよ、ぼくは」
ルイズはふたたび俯いた。
と、そのとき……。
ふいにワルドが緊張した顔になった。
「ワルド?」
ルイズの問いかけには答えずに、ワルドは窓に近寄って、静かに外の様子をうかがった。
ワルドは小さく舌打ちした。
「まずいな。囲まれてる」
ギーシュとティトォの男子部屋は、とても静かであった。
野郎二人で他愛もない話で盛り上がるでもなく、ワインを持ってタバサとキュルケの女子部屋に突撃するでもなく、
二人とも、ふたつ並んだベッドに同じようにうつぶせになって死んでいた。
一日中走り回って疲れきった二人の身体は、ひたすら休息を必要としていたのだった。
しかし突然、ティトォがむくりと起き上がった。静かな部屋の中、ティトォは耳をすませた。
「足音……、10……20……50……、いや、もっと?」
ティトォはギーシュを揺さぶり起こした。
「ギーシュ、なんだか変だ」
「ふが?」
寝ぼけるギーシュをうながし部屋の外へ出ると、キュルケとはちあわせた。
「ダーリン!」
キュルケが驚いたように言う。隣にはタバサもいた。
よく見ると『女神の杵』亭の宿泊客たちも、揃って廊下に集まっていた。
アルビオン帰りの商人や貴族の客たちが、不安そうに話をしている。
ただならぬ様子に、ギーシュも目を覚ました。
「いったい、なにが起こってるんだね?」
「囲まれている」
タバサが答えた。例によってパジャマ姿だが、杖を携え、油断のない雰囲気である。
ティトォが窓から外を見やると、暗闇の中、鎧を着込んだ一団が『女神の杵』亭をぐるりと取り囲んでいた。
「装備から見て、傭兵。おそらく狙いは……」
「ルイズってわけ。あの子の請け負った密命とやらを、邪魔しにきたんでしょうね」
「バックにアルビオン貴族がいるってことか……」
ティトォが呟いた。窓の外をうかがっていたギーシュが、あわてた声を出す。
「まま、まずいぞ!連中、宿に踏み込む気だ!」
傭兵たちが宿の入り口ににじり寄ってくる。
と、突然、宿の入り口から小さな竜巻が吹き出して、傭兵たちを吹き飛ばした。
「『風』の魔法!ワルド子爵か!」
それを見て、ギーシュ、キュルケ、タバサ、ティトォは、すぐさま宿の一階、玄関口に位置する酒場に向かった。
降りた先の一階も、修羅場であった。
ワルドは床と一体化したテーブルを折り、それを立てかけ盾にして、魔法で傭兵たちに応戦していた。
ワルドの側には、ルイズもいた。
歴戦の傭兵たちは、こちらにメイジがいると分かると、緒戦で魔法の射程を見極め、射程外まで下がると、そこから矢を射かけてきた。
暗闇を背にした傭兵たちに地の利があり、おまけにラ・ロシェール中の傭兵が束になってかかってきているようで、多勢に無勢。さすがのワルドも、手に負えないようだった。
酒場で飲んでいた貴族や商人の客たちは、カウンターの下で震えている。
でっぷりと太った店の主人が、必死になって傭兵たちに「わしの店が何をした!」と訴えかけていたが、
矢を腕にくらってのたうち回った。
キュルケたちは、テーブルを盾にしたワルドとルイズの元に、背を低くして駆け寄った。
「参ったね」
ワルドの言葉に、キュルケが頷く。
「連中の狙いは、やっぱり?」
「ああ、ルイズだろうね」
ワルドは『ルイズの持つ手紙』などと、うっかり口を滑らせるようなことはしなかった。
「襲撃のタイミングが早すぎるわ。夕方の連中、ただの物取りじゃなかったみたいね」
キュルケが忌々しそうに言った。
馬に乗っていたギーシュたちと違って、グリフォンや風竜に乗っていても、一日中飛び続けていたことには違いないので、ワルドもキュルケもタバサも疲れていた。
おまけにラ・ロシェールに到着する直前に、夜盗……今考えると、おそらくこれも傭兵だったのだろうが……と戦っていたので、魔法を使うための精神力も心もとなかった。
こちらが消耗しているのを見計らって、連中は襲撃をかけてきたのだった。
一人、カウンターの下に身を隠していたティトォが、ワルドたちを手招きした。
「みんな、こっちへ」
見ると、ティトォのそばでは、店の主人が驚いて口をぽかんと開けていた。
腕にくらっていた矢は抜けて、傷も跡形もなく消えていた。
「回復してあげるよ。万全の体調にしておかないと」
ワルド、ルイズ、キュルケ、タバサ、ギーシュが背を低くしながらティトォの元へ行くと、ティトォは手に持ったライターで、キュルケたちの身体に次々と火をつけた。
「マテリアル・パズル ホワイトホワイトフレア!」
ティトォの魔法が発動し、炎が一気に全身を包むと、キュルケたちの身体から疲労がすっと抜けていった。
力が戻って、消費した精神力までもが満タンの状態まで回復していた。
しかも、ティトォはこの回復をティトォ自身を含め、6人同時に行ったのだった。
これには、ワルドもさすがに驚いた様子だった。
「自分で受けたのははじめてだけど……ホント、すごいわね。これ」
キュルケが思わず呟いた。
「でも、どうする?いくら回復できても、ここにいるかぎりジリ貧よ。奴らはちびちびとこっちに魔法を使わせて、精神力が切れたところを一斉に突撃してくるわ」
「ぼくのゴーレムでふせいでやる!」
すっかり体力を取り戻したギーシュが、勇ましく言い放った。
しかし、ギーシュの『ワルキューレ』では、せいぜい一個小隊あたりを相手にするのが限界だった。
相手は手練の傭兵たちであり、おまけにどう見ても中隊規模の人数であった。
それでもギーシュは立ち上がり、呪文を唱えようとしたが、ワルドがシャツの裾を引っ張って、それを制した。
「いいか諸君」
ワルドは低い声で言った。ティトォたち5人は、ワルドの言葉に傾聴した。
「このような任務は、半数が目的地にたどり着ければ、成功とされる」
その言葉に、タバサはワルドの顔を見て頷いた。
タバサは自分と、キュルケと、ギーシュを杖で指して「囮」と呟いた。
それからタバサは、ワルドとルイズとティトォを指して「桟橋へ」と呟いた。
「時間は?」とワルド。
「今すぐ」答えてタバサ。
「聞いての通りだ。裏口へ回るぞ」
「え?え?ええ!」
ルイズは驚いた声を上げた。
「今からここで彼女達が敵を引きつける。せいぜい派手に暴れて、目立ってもらう。その隙に、ぼくらは裏口から出て桟橋へ向かう。以上だ」
「で、でも」
ルイズはキュルケたちを見た。
キュルケは自慢の赤髪をかきあげ、つまらなさそうに、唇を尖らせて言った。
「ま、しかたないかなって。あたしたち、あんたたちがなにしにアルビオンに行くのかすら知らないもんね」
ギーシュは薔薇の造花を確かめはじめた。
「うむむ、ここで死ぬのかな。どうなのかな。死んだら、姫殿下とモンモランシーには会えなくなってしまうな……」
タバサはティトォに向かってうながした。
「行って」
ティトォは少し不安そうに、タバサとギーシュとキュルケを見つめた。
「大丈夫なの?」
「あら、甘く見ないでくださる?わたくしこれでも、『火』系統の優秀な家系、フォン・ツェルプストーのトライアングルですもの」
キュルケはにっと、野性的な笑顔で答えた。
「いいから早く行きなさいな。帰ってきたら……、キスでもしてもらおうかしら」
それから、ルイズに向き直る。
「ねえ、ヴァリエール。勘違いしないでね?あんたのために囮になるんじゃないんだからね」
「わ、わかってるわよ」
ルイズはそれでも、キュルケたちにぺこりと頭を下げた。
ルイズたちは、頭を低くして、テーブルの陰に隠れながら酒場の厨房へ向かった。途中、矢がひゅんひゅんと飛んできたが、ワルドが風の魔法で軌道を逸らせた。
『女神の杵』亭の出入口は玄関と、反対側にある非常口だけなのだが、どちらも傭兵に囲まれている。
しかし、厨房にも材料などを運び込むための通用口があるのだった。
ルイズ達が通用口にたどり着くと、酒場の方から大きな爆発音が響いてきた。
「……始まったのね」
ルイズが呟く。
ワルドは通用口のドアに耳を寄せ、外の様子をうかがった。
「誰もいないようだ」
どうやら傭兵たちは、玄関口での騒ぎに、そちらへ向かったようだ。
ドアを開け、三人は夜のラ・ロシェールの町へ飛び出した。
「桟橋はこっちだ」
ワルドを先頭に、三人は走った。
後ろから二度目の爆発音が聞こえてきて、ルイズは思わず振り返った。
『女神の杵』亭の玄関口から、巨大なのたうつ炎と、竜巻が吹き出ていた。
ルイズは頭をぶんぶんと振って、キュルケたちのことを考えないようにしながら、ワルドの後を必死で追いかけた。
裏口の方へルイズたちが向かったのと同じくらいに、傭兵の一隊が突撃を仕掛けてきた。
タバサが素早く杖を振るうと、入り口付近の土が、風の刃に切り裂かれて宙を舞った。
ばらばらと土が傭兵たちの鎧に降りかかる。
傭兵たちはひるんだが、すぐにこけおどしと見て、突撃を再開した。
タバサは続けざまに風魔法で土を巻き上げ、傭兵たちを翻弄した。
ギーシュは『錬金』でワルキューレをつくり出し、緊張した顔で突撃に備えていた。
キュルケは胸元から手鏡を取り出し、化粧を直しはじめた。
「こんな時に化粧をするのか、きみは」
ギーシュが呆れた声で言った。
「だって歌劇の始まりよ?主演女優がすっぴんじゃ、しまらないじゃないの」
キュルケは化粧道具をしまうと、今度は杖を取り出した。
ギーシュの袖を、タバサがくいくいと引っ張った。
「なんだね」
「錬金」
タバサはぽつりと一言、ギーシュに命じた。
その言葉に、ギーシュははっとした顔になった。
土まみれの傭兵の一隊が宿の玄関に近付いたとき、そこには女が待ち構えていた。
燃えるような赤い髪と、グラマラスな身体。褐色の肌のゲルマニア美人、キュルケであった。
キュルケが杖を構え呪文を呟いているのを見て、矢が射かけられたが、タバサの風魔法が矢を吹き飛ばした。
突然、傭兵の鎧に浴びせられた土がぬらっとなにかの液体に変化した。
油の臭いが立ちこめる。
彼らの身体にまとわりついた土が、『錬金』の魔法によって油に変化させられたのだ。
傭兵隊の隊長格の男は、あわてて叫んだ。
「まずい!撤退……」
「遅いわ」
キュルケは凶暴な笑みを浮かべると、呪文を完成させ、杖を振るった。
瞬く間に油に火がついて、突撃を敢行した傭兵の一隊が、炎に包まれのたうち回った。
後方の傭兵たちにも、どよめきが起こる。
「名もなき傭兵の皆様がた。あなたがたがどうして、わたしたちを襲うのか、まったくこちとら存じませんけども」
キュルケは、優雅な仕草でふたたび杖を掲げた。
「この『微熱』のキュルケ、慎んでお相手つかまつりますわ」
「ったく、金で動く連中は使えないわね。あれだけの炎で大騒ぎじゃないの」
突撃した傭兵たちが、炎に巻かれて大騒ぎになっているさまを見て、フードを目深に被った女が舌打ちした。
傭兵集団の後ろに控え、指示を出している女。
それは誰あろう、土くれのフーケであった。
その隣には、白い仮面と黒いマントを身に付けた貴族が立っている。
「あれでよい。戦力は分散した、それが目的だからな」
「あんたはそうでも、わたしはそれじゃ気がすまないね。あいつらには恥をかかされたからね」
しかし、マントの男はそれには答えず、立ち上がるとフーケに告げた。
「俺はラ・ヴァリエールの娘を追う」
「わたしはどうすんのよ」
「残った連中を足止めしておけ。なんなら殺してしまってもかまわんよ。では、合流は例の酒場で」
男はそう言うと、暗闇に消えた。
素早い動きはまるで風のようで、それも、ひやっとする北風のようだった。
「ったく、勝手な男だよ」
フーケは苦々しげに呟いた。
男たちの悲鳴が上がる。
見ると、『女神の杵』亭の入り口で燃えさかる炎が、建物の中から吹き出す風の魔法にあおられて、暗がりに潜む弓兵たちをあぶりはじめたのだ。
「頼りにならない連中ね!」
フーケはそう吐き捨て、杖を取り出すと、長い長い呪文を詠唱しはじめた。
酒場の中から炎を操り、キュルケとタバサは外の傭兵たちをさんざんに苦しめた。
矢を射かけてた連中も、タバサの風が炎を運ぶと、弓を放り出して逃げて行った。
「おっほっほ!おほ!おっほっほ!」
キュルケは勝ち誇って、笑い声を上げた。
酒場のカウンターに隠れていた客たちが、誰ともなくぱちぱちと拍手をはじめた。
「お見事!」
「素晴らしい炎だ!お嬢さん!」
「麗しき火のメイジに、乾杯!」
あちこちから喝采が飛び交った。
気をよくしたキュルケは、大量の矢が突き刺さったテーブルに飛び乗ると、優雅に『観客』に向かって一礼した。
気分はまさに舞台女優である。
テーブルの上で愛想を振りまくキュルケを見て、タバサとギーシュは小さくため息をついた。
「まったく……」
ギーシュは鼻を鳴らした。
「ぼくの『錬金』の力のおかげで、炎が燃え上がったってこと、忘れてないかね!」
そう叫ぶとギーシュもテーブルにひらりと飛び乗った。そして、観客たちに向け笑顔で腕を振りはじめた。
拍手はますます大きくなり、口笛が飛び交った。
お調子者ばっかり、とタバサは呆れた目で騒ぎを見つめていた。
そのとき突然、建物の入り口が吹っ飛んだ。
ギーシュとキュルケは轟音に身をすくませ、後ろを振り返った。
酒場の客たちは、怯えた顔をしながら、入り口にもうもうと立ちこめる土ぼこりの中にある巨大な影を見上げていた。
土煙が収まると、そこには巨大な岩で出来たゴーレムが立っていた。
こんな巨大なゴーレムを操れるのは……。
巨大ゴーレムの肩に、誰かが乗っている。その人物は長い髪を、風にたなびかせていた。
「フーケ!」
キュルケが叫んだ。
「あんた、牢屋に入っていたんじゃ……」
「親切な人がいてね。わたしみたいな美人はもっと世の中のために役に立たなくてはいけないと言って、出してくれたのよ」
フーケはうそぶいた。
「フ、フーケ?『土くれ』の!」
フーケと初めて会ったギーシュはうろたえた。
「フーケ!冗談じゃない、悪名高い大泥棒じゃねえか!」
「盗まれちまう!大切な商売道具を盗まれちまうよ!」
フーケの名を聞いて、酒場にいた商人たちは、自分たちの荷物が置いてある宿の中へ我先へと駆け出した。
そんな騒ぎを見下ろして、フーケは薄い笑みを浮かべた。
「安心なさいな、今回は盗みが目的じゃないの」
そう言って、フーケはキュルケたち三人を見下ろした。
「素敵なバカンスをありがとうって、お礼を言いに来たのよ!」
フーケの目が吊り上がり、狂的な笑みが浮かんだ。
フーケの巨大ゴーレムの拳がうなり、酒場を粉々にぶち壊した。
キュルケとタバサとギーシュは、間一髪のところで建物の中に逃れた。
建物の中、廊下で三人はようやく一息ついた。入り口の方から、巨大ゴーレムの足だけが見えていた。
「出てきていただけませんこと?ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ。さもないと……」
フーケはミス・ロングビルの丁寧な口調で言った。
「わたしのゴーレムで建物をぶっ壊して、宿の客もろとも生き埋めになってもらうことになりますわよ?」
フーケの言葉に、客たちはパニックに陥った。
我先にと後方の非常口へ殺到したが、そこには傭兵が見張っていて、逃げ出すことはできなかった。
ギーシュはパニックに陥り、何事か喚きだした。
「うぬ!卑怯な!人質を取るとは、何たる卑怯!盗賊フーケ許すまじ!父上、見ていてください!姫殿下の名誉のため、ギーシュは薔薇と散ります!」
ゴーレムに向かって駆け出したギーシュの足を、タバサが杖で引っかけた。ギーシュは派手にすっ転ぶ。
「何をするんだね!行かせてくれ!今こそトリステイン貴族の意地を見せるとき!」
「あのねギーシュ。相手はトライアングルで、あんたはドットなのよ?」
キュルケは淡々と戦力を分析して、言った。
ぐ、と喉を鳴らしてギーシュは黙ってしまう。
「でも、参っちゃったわね」
キュルケが入り口から覗く巨大ゴーレムの足を見て、大きなため息をつく。
あのゴーレムはとても強力だ。前回、キュルケの魔法も、タバサの魔法も、ゴーレムを傷付けられなかった。
『禁断の鍵』の力がなければ倒すことはできなかったのだ。
「どうする?」
キュルケはタバサの方を見た。
タバサは両手を広げると、首を振った。お手上げということだ。
「それでも、行かないわけにはいかないんでしょうね」
キュルケはまた一つため息をついて、玄関へ歩き出した。タバサも後について行く……
と、今度はギーシュがキュルケたちを呼び止めた。
「待ちたまえ!」キュルケとタバサが振り向く。
「あんたはいいわよ。あちらさんはあたしたちをご指名なんだから」
「確かにぼくの『ワルキューレ』では、あの巨大ゴーレムに踏みつぶされるだけだろう。でも、きみの炎だって、ゴーレムの表面をあぶることしかできないし、タバサの風も、あの重たいゴーレムを吹き飛ばすのは無理だろう」
「そりゃね」
ギーシュはちらりと、廊下で震えている客たちを見て、それからキュルケたちを見つめた。
「でも、力をあわせれば。皆の力を借りることができれば。あのゴーレムを、やっつけられるかもしれない」
キュルケははっとして、ギーシュの顔を見た。
ギーシュは、今まで見たこともないほど、真剣な顔をしていた。
何か、作戦があるというの?
キュルケとタバサは、ギーシュに注目した。
「だからぼくに………、貸してくれ」
ギーシュはまっすぐ二人を見つめながら、言った。
「ぼくにお金を……、貸してくれ」
「…………………………はあ?」
キュルケは思わず、間の抜けた声をあげていた。
フーケが待つ中、宿の入り口からあらわれたのは、ギーシュであった。
ギーシュは薔薇の造花の杖と、大きな革の鞄を持っていた。
ギーシュはゴーレムの前にその鞄を置くと、フーケに向かって鞄を開ける。
中には、大小さまざまな大きさの宝石が、たくさん並べられていた。
それを見て、フーケは鼻を鳴らした。
「なによ、贈り物?そんなことしたって、見逃したりしないからね」
フーケは小馬鹿にしたように言った。
「レディ。石には強い魔力を持つものがある。特に光り輝く宝石には、精霊が宿りやすいとご存知か?」
ギーシュがそう言うと、鞄の中の宝石たちが、突然強く輝きはじめた。
まばゆい光に、フーケは思わず目を庇う。
「なにを──!」
ギーシュは、1年前に出会った精霊使いの男との会話を思い出していた。
(しかしね、きみ。精霊の声が聞こえるようになったとして、どうすれば友達になれるんだい?)
(なに、簡単さ。名前を付けてやれ。そんで、呼んでやればいい)
(そんなことでいいのかね?)
(精霊には、個を表す名前がねえからな。名前を付けてやると、とても喜ぶのさ)
ギーシュは、すさっ!と立ち上がると、格好を付けて薔薇を振った。
「さあ行くぞ皆!ロードナイトの精、ミック!」
光り輝くロードナイトの石から、三本角の精霊が飛び出した。
「ホークスアイの精、ロニー!」
ホークスアイの石から、額に石を付けた精霊が飛び出した。
「ルビーの精、キース!」
ルビーの石から、赤ほっぺの精霊が飛び出した。
「クラプトン!ジミ!ミッチー!ノエル!ジャック!ジンジャー!ディラン!ベック!ペイジ!ピーター!ポール!ジョン!ジョージ!リンゴ!
レミー!バディ!ビリー!サンタナ!マーク!ボウイ!トム!ジョーイ!スティーヴン!ペリー!ロバート!デイヴ!スラッシュ!リッキー!
えーと、ひできーーーーーーーーーーーーーー!!」
鞄につまった宝石から、精霊たちが雨あられと飛び出し、ゴーレムに殺到する。
そして精霊たちは、ものすごい勢いでゴーレムの周りをぐるぐる回りはじめた。
精霊の体が光の尾を引いて、ゴーレムは幾重もの光の輪に取り囲まれるような形になった。
何をしている?
フーケは思わず、ゴーレムを後じらせた。
すると、光の輪に触れたゴーレムの背中が、ガリガリガリ!と、ものすごい勢いで削り取られた。
フーケの背筋に冷たいものが走った。
やばい!と、フーケはあわててゴーレムの肩から飛び降りる。
精霊たちはどんどん回転する輪の幅を狭めて、まるでミキサーのようにゴーレムを削り取った。
ぎゅるぎゅるぎゅると回り続ける妖精たちは、どんどん小さな光の渦になって、やがてその中心からどすんと重たい何かが落ちた。
地面にめり込んだそれは、信じられないほどの密度に圧縮されたゴーレムの身体であった。30メイルはあったゴーレムが、人の頭ほどの大きさのぴかぴかの球体になってしまっていた。
ぐるぐる回っていた精霊たちは、自分たちの仕事に満足すると、ふたたび宝石の中へ戻って行った。
自分たちの雇い主が敗北したのを見届けると、蜘蛛の子を散らすように傭兵たちは逃げ去っていった。
フーケを倒した実感がわかず、しばらくの間呆然としていたギーシュは、キュルケに背中を叩かれて我に帰った。
「やったわ!ギーシュ、すごいじゃない!勝ったのよ!」
勝った。そうだ、勝ったんだ。その言葉に、ギーシュの心が強く震えあがっていく。
「かかか、勝ちました!ぼくは勝ちましたよ、父上!姫殿下!ぼくの『精霊使い』の力で勝ちました!」
ギーシュは興奮して、キュルケと手を取り合ってぐるぐる回りだした。
いつの間にやら、宿の客や従業員、酒場の店主なども建物の外に出て、口々にギーシュの健闘を讃えだした。
そして、そんな観衆の中に一人、ほくほく顔で銭勘定をしている男がいた。
その姿を目の端にとらえると、興奮で茹で上がったギーシュの頭の片隅に、冷たく冷えきった部分ができてしまった。
男は『女神の杵』亭に宿泊していた宝石商であった。
そう。ギーシュはこの宝石商の男から、あのたくさんの宝石を買い付けたのだった。
宝石の精霊と会話するためには、宝石が『自分の物』である方がやりやすい。
精霊使いとしての技量が高ければ、借り物の宝石であっても精霊を呼び出すことができるが、ギーシュは駆け出しであるので、『自分が所有している』必要があったのである。
もちろんあれだけの宝石を集めるにはギーシュの手持ちだけでは当然足りず、キュルケとタバサの手持ち金を全部借りて、ありったけの宝石を購入したのであった。
(ああ……丸々一年分の小遣いを使い切ってしまった)
(おまけにキュルケとタバサに金まで借りて……)
(しかしなんともまァ、二人ともたくさん持ってるもんなんだなァ……)
(フォン・ツェルプストーは有力な家系だし、タバサの実家も、きっと名のある貴族なんだろうなァ……)
かくしてギーシュは、同級生に莫大な借金を作ってしまったのだった。
しかしギーシュは、努めてそれを考えないようにした。
ああ、今くらいは。そうさ、今くらいは。
こうして勝利の美酒に酔っていたいんだ。ぼかァ。
ギーシュはいつまでもいつまでも、朗らかに笑い続けた。
熱狂する観衆を、タバサは少し離れたところで見つめていた。
タバサはギーシュの精霊使いの力に驚いていたが、同時に別のことも考えていた。
それは、フーケのゴーレムを倒すための作戦である。
先に傭兵たちを迎え撃ったときに使った、あの戦法。身体に土を浴びせ、それを錬金で油に変えて、火を付ける。
あれを使えば、ひょっとしたら精霊の力を借りずとも、ゴーレムを倒すことができたんじゃないだろうか。
以前ティトォが似たようなことをやっても効かなかったが、あれは油の量が足りなかっただけの話だ。
あれだけの大きさのゴーレムに土を浴びせるのは難しいから……、例えば、大量の薔薇の花びらを『錬金』させて……、
それを自分の『風』でゴーレムに吹き付けて……、さらに『錬金』で、花びらを油に……
そんなふうに色々考えていたが、せっかくの勝利の高揚に水を差すのも野暮であるので、
タバサは黙ってギーシュに拍手を送った。
ちなみにフーケは、精霊の力を恐れ、傭兵たちと一緒に逃げ出していた。
#navi(虚無のパズル)
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