「鋼の使い魔-16」(2008/08/15 (金) 03:26:25) の最新版変更点
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#navi(鋼の使い魔)
その日は朝食をもらいに厨房に行ったところ、いつもより人手が少なく感じた。
不審に思ったギュスターヴはマルトーに聞く。マルトーは厨房の弟子達をどやし付けながら答えてくれた。
「いやぁ、なんでもよ、今日は学院にアンリエッタ王女殿下が行幸しにくるってんで、式典に人手を取られちまってよ。
お陰で貴族向けの食事に手一杯で賄が適当になっちまったぜ」
「そう言うなよ、十分旨いぞ。…そうか、王女が来るのか」
「おうよ。なんと言ってもアンリエッタ王女といえば、トリステインに咲いた一輪の白百合!その美貌は一流貴族から底辺這い付く乞食まで明るく照らす、なんて言うんだぜ。
教師方もてんやわんやよ」
空言のようにギュスターヴには聞こえてくる。恐らくマルトーにとっては、雲の上の人のことより今日明日の仕事の方が大事なのだろう。
朝食後。ギュスターヴは時折、ルイズについて授業を見学するのだが、今日もそのつもりでルイズに合流し、廊下を歩きながらマルトーから聞いた話をした。
「王女が来ると聞いたけど、本当か?」
「ええ。アンリエッタ王女殿下が起こしになるから、今日の授業は半分で済むのよ。その代わり、生徒全員で式典に参加してお出迎えしなくちゃいけないのよ」
どうやら知らなかったのは周りで自分ひとりだったらしいと、ギュスターヴは心の内で自嘲しながら、噂から聞いた疑問を投げかける。
「王女は先王の娘だと聞いたけど、今の王は誰なんだ?」
「アンリエッタ殿下の母上であらせられる、マリアンヌ女王陛下よ。…といっても、政務の殆どは宰相のマザリーニ枢機卿が執っていると聞いてるわ」
「へぇ…」
一言発してから静かになったギュスターヴを、ルイズは覗き見る。その顔はいつだったか、剣を買いに行ったときに見せた鋭いものだった。
(前にもこんな顔してたわねこいつ。…何考えているのかしら)
質問されっきりで放置されてルイズは少し不愉快だったが、ギュスターヴの見せる顔は普段の温かいものとは違った、研ぎ澄まされた宝剣のような美しさを感じてしまう。
(い、嫌だわ!私ったら…。使い魔に見とれるなんて、まるでギーシュみたいじゃないの!)
尚、引き合いに出されたギーシュは最近、女性関係に疲れて使い魔のヴェルダンテに癒しを求め始めたともっぱらの噂なのだった。
さて、そんなルイズの視線をよそに、ギュスターヴは思考の中で情報を整理するのに真剣だった。
(女王が殆ど政務を執らず、宰相が執っているというのは…女王に政務を取り仕切る能力がないのか?)
平時ではそれでも良いのだろう。しかし動乱激しいサンダイルで育ったギュスターヴにとって、それは少し危ういように思えるのだった。
『舞台、その裏は…』
そのように黙考をめぐらせながらやってきた教室の隅にギュスターヴは陣取り、なるべく授業の邪魔にならないようにと努める。
使い魔お披露目以外の時でも、教室に使い魔を入れるのは概ね了解されているため、教師も、他の生徒達も、とりあえずはギュスターヴが居ても放っておくのだ。
たまにギュスターヴにちょっかいを出す者、或いは、ギュスターヴを攻める形で間接的にルイズを罵るような輩もいるが、余程大騒ぎしない限り、ギュスターヴもルイズも
無視するようになった。
ギュスターヴはより多くこの世界の情報に接したかったし、ルイズは自分を磨くという目的に専心できるようになったからだ。特にルイズは座学では元から優秀だった為、
学科の授業ではそれは顕著だった。
徐々に時計が回ってゆき、教室に人が入って温まってきた頃、出入り口の一つから教師が入ってくる。彼は教壇の前に立って机に座る生徒達を見渡して言い放った。
「諸君。知ってるとは思うが、私の二つ名は『疾風』、疾風のギトーだ。今日は四属性の性質について、あらましながら触れたいと思う。さて…」
ギトーと名乗った教師は、細く吊りあがるような目で教室を見て、一角に座っていた赤髪の女生徒に焦点を絞った。
「ミス・ツェルプストー。質問に答えてもらえるかね」
「なんでしょうか。ミスタ・ギトー」
「この世に存在する魔法属性の中で、最も強大なものはなんだと思うかね」
問われたキュルケは、一呼吸置いて答えた。
「虚無ではありませんか?」
「私は伝説の話をしているのではない」
ギトーはキュルケの答えに鼻で笑う。その振る舞いがキュルケには不快だった。
「では、火だと思いますわ」
「ほぅ。それはなぜかね」
「火はあらゆるものを燃やす、破壊と情熱の力ですもの」
髪を掻き揚げて胸を張るキュルケ。ちょっとした意趣返しのつもりである。
「ふむ。なるほど。その答えには一定の真実が含まれている。では」
言葉を切ると、ギトーは腰から杖を抜いて構えた。
「私を火の魔法で傷つけることが出来るかね?ミス・ツェルプストー」
教室が俄にざわりと震える。問われたキュルケも驚いた。
「…本気で仰いまして?ミスタ」
「無論だ。君の得意な火の魔法を私に放ちたまえ。君が火を最強と言うのであればな」
(遊ばれている…)
いちいち物言いが不愉快な教師である。キュルケは胸元から杖を抜いて立ち上がり、構えた。
杖先に意識が集中される。火花のような種火が上がり、それは風船に息を吹き込むように膨らんでゆく。
膨らみきった火球は、直径1メイルはあるだろう大火球となってキュルケの杖先に出現した。
その熱気を恐れて周囲の生徒が避難を始める。
「『フレイム・ボール』!」
杖を振って火球がギトーに向かって飛ぶ。通る道の空気を焼き焦がしながら飛ぶ小太陽に向かって、ギトーはルーンを唱えてから、サッと杖を振った。
火球はギトーの胸元まで迫らんか、という時。見えない壁に遮られたようにその進行を止めてしまった。
火球はギトーの目前で轟々と燃え続けていたが、やがて徐々にその勢いを弱めて小さくなり、最後には消えた。
ギトーはその様を満足げに確認してから、視線を教室全体へ移す。
「諸君。ご覧のとおりだ。強大な破壊力を秘めた火の魔法でも、私が操る風の前にはその力が及ばなかった事を覚えて置いていただきたい」
キュルケは鼻白んだ。なんという教師だ。生徒を己のダシに使うとは!
対して一騒動終わったようだ、と避難した生徒達が席に戻っていく。
「勿論、あらゆる真理を押しのけて風が最強だ、とは言わぬ。しかし、風は大気ある限り普く作用することができる、という点で他の属性を凌駕できる。
火は水の中では燃えぬ、土は大地から離れては使えぬ、というように。同様の点で水の属性もまた、広い領域に作用する魔法である。メイジの中には
風と水を混ぜて氷の作用を起こし、これを操るものが多い」
ピクリ、とキュルケの近くの席に座って授業を受けていたタバサが反応した。
しかし、とギトーは続ける。
「残念ながら、氷の変化に頼るメイジは、二流と言わざるをえない。なぜならば、風の属性には、その性質ゆえに他の属性には決して真似できぬ技術が存在するからだ。
今からそれをお見せしよう」
そう言うとギトーは、再び杖を構える。今度は先ほどより強く集中しているのが雰囲気にもわかる。
「ユビキタス・デル・ウィンデ…」
ルーンが完成しつつあった瞬間、外側から誰かが教室の扉をドンドンを激しく叩いている。
ギトーは神経を散らしたらしく杖を収めた。
「…どなたかね」
不機嫌そうなギトーの声を聞いて開かれた扉から入ってきたのは、コルベールだった。
しかし、その格好は普段とは大きくかけ離れている。普段のそれよりも上質のローブを纏い、それの襟には細やかなレースが付いている。何より印象を大きく変えるのは、
不釣合いなほど立派な金髪ロールの鬘だ。普段の彼を知るものから見れば冗談にしか見えないようなゴージャスなロールヘアである。
開口一番、コルベールはギトーと生徒全体に聞かせる。
「皆さん、授業は中止ですぞ!至急生徒と教師一同は装いを改めて正門前に整列、王女殿下をお出迎えしますぞ」
「ミスタ・コルベール。式典までまだ時間があるかと思いますが…」
ギトーは懐の時計を見る。まだいくばくかの時間があるはずだった。
コルベールは重たい鬘に頭を振り回されながら答える。
「いえ、それがゲルマニアを予定より早く起たれたとの事で、学院への到着も早まると伝書が届いたのです。良いですか皆さん。殿下の御覚えよろしくなれるよう、
杖を磨いて準備するように!」
さて、そんな具合に徐々に学院が慌しくなってゆく頃、学院へと続く長く引かれた街道を、とある一団が進んでいた。
ユニコーン四頭で引かれた、豪奢な馬車が一台。さらにその後に重種馬二頭引きの馬車が進み、その前後を猛々しい幻獣に乗った兵士数人が囲んでいる。
馬車の側面と正面には、磁器で作られたような滑らかな光沢を放つ、ユニコーンと白百合をあしらったレリーフが誂えていた。
王女の紋章である。
街道を揺れる馬車の中で、一人の女性がため息をついた。揺れに任せる深紫の髪が憂いの表情を彩る。その姿は上質のドレスを纏いながらも、そこから
あふれ出るような高貴を放つ。血筋の良さと温和な精神とが生み出す円やかな美しさであった。
「また、ため息をつかれますか」
そんな絶世の美女に同席するのは、一人の壮年の男だ。この男も女性と同じように上質の布を用いた服を着ている。その姿から
高位の官職を受けた人間であることがわかるが、女性と違い、つや肌や振る舞いに品位がにじむ、というものではない。むしろ消耗し、生気が枯れ始めたような
雰囲気さえある。
「ため息も出ますわ」
何を隠そう、この二人こそ学院の人間達が狂騒して待っているトリステイン王女、アンリエッタ殿下と、トリステイン王国の屋台骨を支える宰相マザリーニ枢機卿である。
「それほどまでに嫁がれるのがお嫌と見ますな」
「ええ。このトリステインの王侯貴族の中に、好き好んでゲルマニアと縁を繋ごう、というものがおりますか」
この王女殿下・宰相一向は先日、隣接する大国ゲルマニアとの会談と一定の政治的合意を得て帰国したのだ。
それはつまり、『アンリエッタ王女と、ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世との婚約』並びに『トリステイン・ゲルマニア間の互助軍事防衛同盟』である。
「あのような成り上がりの男の妻になれだなどと、よくも言えますわね」
「殿下。失礼ながら我がトリステインには他に選ぶ選択がございませぬことを、ご存知でしょう」
「存じてますわ。私達には剣が足りませぬ。そしてゲルマニアのあの男には高貴な血筋が足らぬのです。ですから今回の盟約が成るのでしょう」
既に旅すがら王女を説得すべく話し続けたマザリーニの言葉である。アンリエッタはうんざりしながら諳んじて見せた。
「アルビオンの内乱が進み、王軍が倒れようとしている。反乱軍は『レコン・キスタ』を名乗り、アルビオンを併呑の後には、トリステインを始め諸外国への侵攻も
仄めかしている。あろう事か『始祖への信仰』を謳って」
始祖が与えた三つの王権の一つ、アルビオン王国は、数年前から続く内乱に見舞われていた。反乱軍は『レコン・キスタ』を名乗る貴族同盟であり、彼らは
現在ある始祖の三王国に対して『現在の王権は聖地の奪還を忘れ腐敗しきっている』と声高に宣言した。
「アルビオンが落ちれば地理的にいえば第一に狙われるのが我が国です。しかしながら強大なアルビオンの軍勢と対するには我が国はあまりにも脆弱なのですよ」
「でも、何度聞いても要領を得ないのです。始祖から授かりし王権と王家が潰えるなどありうるのでしょうか」
マザリーニに向かって真顔で答えるアンリエッタ。彼女は幼い頃より帝王学の指導を受けなかったせいか、政治的素養が弱い。これは現女王マリアンヌの方針であった。
(ああ、先帝陛下がご存命であれば、もう少し策もあったものを…)
マザリーニの懊悩は深い。
先帝はあまりに若く、かつ急な崩御を迎えた。国内はその死に混乱したが、マザリーニは情勢を安定させるために喪に服していたマリアンヌ王妃を強引に玉座に据えた。
形式としても玉座が空のままでは国を傾ける、と考えた為である。
しかしマリアンヌは先帝が英邁であったためか政治的感性も興味もまるで持たなかった人だった。玉座を埋めたこの3年間も、マザリーニ他宮廷の高官達の
説得や讒言に応じず、ただ玉座を暖めて過すのみ。これでは国難を乗り切ることはとても出来ない。それで今回の盟約となったのだ。
国難を退く一手の期待を負う羽目になったアンリエッタは気の晴れない表情のまま終始している。マザリーニは窓を隠すカーテンを開けて併走する幻獣騎兵を手招いた。
体躯の張り詰めた逞しいグリフィンにまたがる兵士は、唾の広い羽帽子を被っている。
「お呼びでしょうか。猊下」
「殿下のお気が優れぬ。何か気晴らしをさせて見せよ」
兵士は一礼して列を少し離れ、軍隊式の杖を構えて振る。鋭く伸びたつむじ風が、陽気に向けて開かれた野花達を摘み取って戻ってくる。兵士は
シルクのハンケチーフを取り出して、即席の花束を作って見せた。
馬車の反対側に回ると、カーテンを開けたその向こう側に、美しいトリステインの白百合が手を伸ばしていた。
「殿下御自らのお手で受けられるとは。恐縮でございます」
渡された花束が馬車の中に消えて、再び伸ばされた手に兵士は恭しく口付けて見せた。
「お名前は?」
「魔法衛士大隊、グリフォン中隊長。ワルド子爵と申します」
憂いながらもワルドと名乗った兵に向かって視線を垂れる王女。その姿は透けるような美がある。
「貴方は貴族の鑑ね」
「殿下の卑しき僕にございます」
「…貴方のような忠誠深き臣下ばかりなら、トリステインも大安であったのですがね」
「悲しき時代でございますな、殿下」
「貴方の忠誠と行動に期待しますわ」
「勿体無きお言葉を…」
礼をして再び警護の中にワルドは戻っていく。カーテンが閉められ、アンリエッタの視線がマザリーニへ移る。
「彼は信用できるのですか?」
「あの者は衛士大隊でも指折りの猛者でございます。『閃光』の二つ名を以って呼ばれ、アルビオンの竜騎士大隊兵らにも劣らぬ男にございますが」
「ワルドと名乗っていましたね。聞き覚えがあるのですが…」
「ラ・ヴァリエール領に近い所ですな」
「ヴァリエール…」
アンリエッタの思考が遠くへ耽っていく。その素振りがマザリーニには奇妙だった。
「……何か」
「いえ…なんでもありませんわ」
「……そうですな。たしか先日のシュバリエ申請の書類に、ヴァリエール公の御息女の名がありましたな」
埒も無い話が漏れて、再び記憶を手繰り寄せるアンリエッタ。そう、以前裁務の代行を務めた時、書類の中に一つ。
盗賊を捕まえるのに尽力したとして名前が挙がっていた。
それは幼き日々に忘れていたような懐かしい名前であった。
「…殿下」
「…なんでしょうか」
三度、過去想いに耽っていたアンリエッタを、マザリーニは諌める声で現実に引き寄せた。
「近頃宮廷内でも『レコン・キスタ』に組しようと暗躍する一派がおります。付け込まれぬようお願いしますぞ」
「判っておりますわ……」
「その言葉、信じますぞ」
「嘘は申しません。私は王女ですもの」
目を細めてマザリーニがアンリエッタを見る。
アンリエッタは手に持つ花束を見た。生きた土の匂いが染み付いている。
(ウェールズ様……)
花は馬車の揺れに合せてゆらゆらと動いていた。
#navi(鋼の使い魔)
#navi(鋼の使い魔)
アンリエッタが訪れた夜が明けて、早朝。
朝の澄んだ空気の中に旅支度をしたルイズとギュスターヴが、厩番に駅逓乗り換えが効く馬をもらい、学院正門前で馬具を着けていた。
ルイズは普段の制服だが、スカートの下にブラウンのスパッツを着け乗馬用のブーツを履いている。踵に生えた角のような棒拍が朝露に濡れている。
一方ギュスターヴは普段のデルフと短剣に、以前武器屋でデルフにおまけとしてつけさせたナイフ6本を革紐で連ねて体に巻きつけるように着けている。
馬具の具合を確かめながらルイズは言った。
「いい?ギュスターヴ。私達はアンリエッタ殿下からある任務を賜ったわ。その為にまず、国を出てアルビオンに行くのよ」
しんとする朝の空気にルイズの声が響く。そこには使命感に燃える瞳があった。
「なんで俺まで付いていかなきゃならんかな」
他方、秘密主義的に振舞う一応の主人に対し、手の内を知っているギュスターヴは少し冷めた気分で抵抗してみる。
「何言ってるのよ!あんたは私の使い魔でしょ!ご主人様が出かけるなら付いていくのが基本でしょうが!」
指を伸ばしギュスターヴに突きつけるルイズ。彼女の頭が今は任務の事で頭が一杯なのだ、というのがわかる。
ギュスターヴは小さくため息をつく。
「…で、まずは何処まで行くんだ?」
「ここから大体北西に400リーグくらいにあるラ・ロシェールという町に行くわ。そこからアルビオンへの定期船が出ているの」
「しかし馬では次の『スヴェルの日』までに町に着けるか微妙だな」
「誰だ?!」
不意に聞こえてきたのはこの場の二人以外の、若い男の声だ。
警戒しデルフに手をかけるギュスターヴだが、声の主は上空から屈強なグリフィンに乗って降りてきた。馬が慄くなか、グリフィンは行儀よく地面に着地する。
「いや、驚かせてしまって失礼。僕は君達を護衛する為にアンリエッタ殿下に依頼された、魔法衛士大隊のワルドだ。よろしく」
ワルドと名乗った男はグリフィンの背から颯爽と降りると、呆然としていたルイズに近寄り、その腕ですっと胸に抱き上げた。
「久しぶりだ、僕の小さなルイズ!」
「わっワルド様?!」
突然の抱擁にルイズは顔を真っ赤にして固まった。
「陛下のご依頼に感謝しなければならないな。婚約者と再会できる機会を与えてくれたのだから」
「そ、そんな…昔の話ですわ」
目を伏せ気味に答えるルイズにワルドは大仰に答えた。
「そんなことを言ってくれるなよルイズ!暫く会えなかったが、僕は君の事を片時も忘れた事はなかった」
あまりに熱っぽい言葉にルイズはますます頬を染めてしまう。
ワルドはそんなルイズをそっと地面におろし、二人のやり取りをぼんやりと見ていたギュスターヴに話しかけてきた。
「君がルイズの使い魔だそうだね。いつもルイズを守ってくれて礼を言うよ」
「……ああ…なんてことはない」
気さくに話しかけてきたワルドに、ギュスターヴは巧く受け答えしきれない。
ワルドはそんなギュスターヴを無視してルイズに聞かせる。
「殿下から預かりものがある。任務を進めるために必要なものだそうだ。もっているといい」
ワルドは懐を探って何かを手に取ると、ルイズの両手を取って握らせた。それはうっすらと桜色をした便箋に、古めかしい様式で装飾された
薄蒼の石の填められた指輪だった。便箋の方には、赤い蝋に王女の紋章の印で封がされている。
「では、時間も惜しいので出発しよう。使い魔君は早馬を飛ばしたまえ。僕が上空で先行するから見失わないように」
言うとワルドはやおらルイズを抱き上げてグリフィンに乗せると、手綱を引いてグリフィンを空へと導いた。
あまりの手際に声も上げなかったルイズだが、立ち呆けているギュスターヴに急いで声をかける。
「あ、あ、ギュスターヴ!遅れないようについてきなさいよ~!」
ギュスターヴの耳にルイズの声が空へと遠くなっていく。
つむじ風のように引っ掻き回していったワルドに唖然とするしかないギュスターヴの腰で、デルフがかちゃかちゃ言い出した。
「なんだかすっげーなあの男。おまけにお嬢ちゃんの婚約者だとさ」
「……まぁ、貴族の娘ならそんなのもあるだろうさ。…さて、見えなくなる前に出発するぞ」
馬が余ってしまうのだが、仕方が無いと一頭を門に繋いだまま、ギュスターヴは急いで馬を走らせ、上空のグリフィンの進行方向へ進んでいくのだった。
『ラ・ロシェールへ向けて…』
ギュスターヴ、ルイズ、そして現れたワルドら三人がトリステイン魔法学院を出発したほぼ同時刻。当座の目的地であるラ・ロシェールの町の一角に店を構える酒場
『金の酒樽亭』。20年前に店を構えて以来、立地条件から常連客の多くは傭兵や盗賊あがりなどのアウトローばかりで喧嘩も絶えないが、酒の質と量が
顧客の範囲を決めている節もある、そんな店である。
その日も朝から、いや、前日の晩からどんちゃん騒ぎをしながら酒をかっくらっている一団が店に陣取り、強い酒やら肴やらを食い散らかしながら
荒くれた男立ちが管を巻いている。
そんな店に、ふと見慣れない客が入ってきたな、と酒場の主人は出入り口からこちらに向かってくるものを認めた。
ローブを身に着けて、フードで陰になり顔は窺えないが、その両足には中々の装飾がされたブーツがきっちりと履かれている。
謎の客はカウンターの椅子に座ると、主人の前にとす、と小気味よい音を立てる皮袋を置いた。
主人がその袋の口をあけてみると、中には新金貨がぎっしりと詰まっている。
「お客さん、そんなに出されても困りますよ」
金回りのいい客は一見商売として旨みがあるが、荒くれ者を扱ってきた主人は一方で、なにやら危うい背景があるのではないかな、という勘繰りを持った。
客はカウンターに肘をついて答えた。その声は、女性。
「宿代も入ってるんだよ。部屋は空いてるかい?」
それも路地裏で立ちんぼしているようなうらぶれた女ではない。凛としたものが混じった、美女といえる類の声だ。
主人がその女と宿代の周りで交渉していると、角で酒を飲んでいた傭兵くずれの一団が女を囲むように集まってきた。
「お姉さん、ひとりでこんな店にはいっちゃ、いけねぇなぁ」
「危ない連中が多いからなぁ。怖かったら守ってやるぜぇ、ベッドの中までな、ギャハハハハ!」
酒臭い息を吐きながら、一団の一人が悪戯のようにフードを引っ張ると、その下から女の顔が覗く。
鼻筋の通った小顔、裏の世界を見てきた人間が持つ鋭い目をしている。髪は特徴的な、鮮やかな緑色。
女を知る者は彼女を『土くれのフーケ』と言う。
酒で調子づいている傭兵達は、それぞれに奇声を上げ口笛を吹いてフーケを見た。
「こいつぁべっぴんだ。見ろよこの綺麗な肌をよ」
品性の疑わしい声で一人がフーケの顎筋に手を伸ばすが、フーケは蝿を払うように手を振る。
「気安く触るんじゃないよ、蛆虫」
鬱陶しげに席を立つと、羊を追い込む獣のように男達がフーケを取り囲もうと動く。
やがて一人が手を伸ばしながらフーケに迫る。
「へっへっへ、怖がらなくても悪いようにはげへぇっ!」
フーケの肩に手を置こうとした男は、次の瞬間に何かに弾き飛ばされるように吹っ飛んでテーブルに頭から突っ込んだ。テーブルの上の瓶やグラスが床で砕ける。
驚いて一団が振り向くと、すっと長いフーケの足が、ちょうど吹っ飛んだ男の顎の高さまでピンと伸びていた。
フーケの足が男を蹴り飛ばしたのだった。
数拍して事態を把握した男達は、酒で濁りきった声でフーケに叫ぶ。
「このアマ!」
同時に男達はフーケを捕まえるべく手を伸ばすが、フーケの足はしなる鞭のように男達を強かに蹴り飛ばした。
「ぐへぇ!」
「ごはっ!」
「あぎぃ!」
酒場はあっという間に竜巻が出入りしたかの如き惨状を呈した。窓に首を突っ込んで伸びている者、椅子とテーブルの山に埋もれている者、ある者は
店の柱に叩きつけられてえびぞりで気絶している。酒場の主人は喧嘩程度はいつものことさ、という風情でのんきにグラスを磨いていた。
まだ息のある一人にフーケが近づいていくと、男は子供のようにブルブルと震えて慄いた。
「ま、まってくれぇ!俺達はもうなにもしねぇよぉ!」
「そんなに怖がることは無いだろう?私はあんた達を雇おうと思っただけさ」
冷ややかに笑うフーケの顔を怪訝な表情で男は見た。
「や、雇う?」
「そうさ。金なら、ホラ」
フーケはテーブルの一つに、カウンターで主人に渡したように金貨の入った袋を置く。
「一人新金貨で100ずつ渡しとくよ。その代わり後で私の命令に従ってもらうからね」
金の酒樽亭を後にしたフーケは、そのまま町の路地に入る。路地を進むと脱獄の時に姿を現した、仮面の男が待っていた。
「……お前さんの言った人数は集めたよ。これからどうするんだい?」
フーケは脱獄後、このラ・ロシェールまでつれてこられてから、脚の『準備』をしつつ、アルビオンからやってきた傭兵たちから情報を集めるように指示されていた。
しかし前日になって、今日は「傭兵たちを金で集めろ」と指示を受けたのだった。
仮面の男は地図を渡して話す。
「この印の付いたところに傭兵の半分を待機させて、そこを通った者を襲わせろ」
「残りの半分は?」
「保険だ。暫く伏せておけ」
「ふぅん…まぁいいさ。少なくとも、この『脚』の礼分は働いてやるよ」
カツカツと地面を踏み鳴らしてフーケは答えた。
ルイズ、ギュスターヴ、ワルドの一行は一路ラ・ロシェールへの道をひた走っていた。
「走る」といってもそれは馬に乗っているギュスターヴだけの話で、ワルドとルイズは悠々と空を飛ぶグリフィンの背である。
駅逓で馬を変えるたびに疲労の度合いを濃くしていくギュスターヴであるが、懸命に先行するグリフィンを追いかけていた。
ルイズはグリフィンの上から眼下を走る馬上のギュスターヴを心配した。
「ねぇワルド。あんまり急ぐとばててしまうわよ」
「僕とグリフィンなら大丈夫さ。これくらいの距離はなんでもない」
「そうじゃなくて、下でついてきてるギュスターヴのことよ」
「付いてこれないならおいていけばいいさ」
「彼は私の使い魔よ。放っておく事はできないわ」
そんなルイズの言葉を聞いて、どこか悲しげな目でワルドは見た。
「どうやら、あの使い魔君に心奪われたらしいね」
「そ、そんなわけじゃないわ!」
「本当かい?まだ僕のことを婚約者として見ていてくれているかい?」
「それは、その…あの頃はまだ、小さかったし…」
「僕は君のご実家の、ラ・ヴァリエールに見劣りしないものが欲しかった…」
ふと、ワルドの視線がどこか遠くを見ている。
「父も母も亡くなってしまってから、軍に入って出世して、君のご実家にも指差されず会いにいけるくらいになりたかった。
お陰で今は、近衛軍の精鋭の綱とりを任されている」
「出世したのね、ワルド。…でも、私はあの頃と同じ、魔法の使えないゼロのルイズよ」
そう答えたルイズを、ワルドは優しげに頭を撫でた。
「君は暫く会えなかったから、気分が落ち着かないだけさ。この旅はいい機会だ。ゆっくり、昔の気分を思い出すといいよ」
爽やかに笑いかけるワルドだが、ルイズはどこかそれを手離しで喜べない。
再び眼下、懸命についてくるギュスターヴを見るのだった。
馬上で汗を流しながら、ギュスターヴは懸命に馬を操って大地を進んでいた。かろうじて街道らしき道筋を通っている事は判ったし、場所場所で立て札の類を見たり、
上空のグリフィンの向いている方角を確認して進む。
黙々と手綱を引いていたギュスターヴに、デルフが話しかけてくる。
「相棒、大丈夫かい?」
「まだ馬に慣れきってないからな。後が怖いな」
鍛錬を重ねたとはいえ、齢49の身体である。酷使すれば若者のようには行かない時もある。
「お嬢ちゃんとワルドって奴、上で何話してんだろーな」
上空のグリフィンをギュスターヴは見た。否、グリフィンにまたがる二人を、ルイズに寄り添うようにするワルドを、その眼で見た。
「さぁな。ただ」
「ただ?」
グリフィンを確認してから、ギュスターヴは手綱を繰って街道を走る。その表情は、苦虫を噛み潰したような渋みを含んで。
「あの若造、何か隠しているような気がするな」
場所場所の駅逓で馬を乗り換えること、3度。時間も迫って夕暮れが近い。それだのに四方は川もなく、むしろ丘陵を登っている事にギュスターヴは疑問を抱いた。
「なんでこんな山間にはいるんだ?船に乗るんだろう…?」
船に乗るなら港に行くものだ。しかし山に入っていって港に出るというのはギュスターヴには理解できない。薄暮の空に影を射し始めたグリフィンを見て、ほのかに
嘆息する。
「付き添わせるならもう少し詳しい指示を出してくれよ。ルイズ…」
山間の道を辿って行くギュスターヴ。起伏が激しく、木々も茂る中を進んでいると、どこからか複数の松明がギュスターヴの乗る馬の前に投げ込まれた。
「何だっ?!」
火は生草の上でちろちろと燃えるのみだった。しかし次の瞬間、ギュスターヴの馬目掛けて無数の矢が打ち込まれてきた。
その内に尻に一本の矢が刺さり馬が暴れて立ち上がろうとするのを強引に押しとどめたギュスターヴは急いで手近な木の陰に寄って下馬し、
手綱を木に結んで身を隠した。
「夜盗か…?」
と、上空を見ると木の陰に暗い空を飛ぶグリフィンが、先ほどよりもずっと小さく見えた。
「あの二人、気付いてないのか…?」
そうしている間も松明の火を頼りにした謎の弓撃はギュスターヴを囲むように飛び、馬の肌を掠めると錯乱した鳴き声を上げている。
デルフを抜いてギュスターヴは夜盗と思わしき集団に対峙すべく動き出した。
「相棒、嬢ちゃん達に置いてかれちまったぜ?どうするのよ」
「今更引き返すわけも無い。ここを突破して追いかけるぞ」
これ以上馬が傷つくのを避ける為にあえて影から飛ぶと、矢もギュスターヴを追うように飛んでくる。木や岩の陰に隠れながら自らを射掛ける者がどこに
潜んでいるのかをギュスターヴは探していた。矢の飛んでくる間隔を覚えながら移動すると、薄暗い林の中に弓を番えてこちらを見ている集団を認めた。
「あそこだな…」
確認するとデルフを地面に刺し、帯巻きにしているナイフを一本、『左手』に握った。
(ガンダールヴというのが身体能力を高めるのならば…)
呼吸を整え、体から闘争心を引き出す。そして静かに眼を瞑った。
この時ギュスターヴは単にそうするだけではなく、聞こえる音に神経を注いだ。ガンダールヴが武器を握って心を震わす時、体から引き出す力は
筋力だけではないということにギュスターヴは気付いていた。肌に触れる風、聞こえる音、匂い、眼に入る光すらも平時よりも肉体は敏感に捉える事ができるのだった。
そしてギュスターヴの聴覚にははっきりと聞こえたのだ。弓に張られた弦が空気を切る音、飛翔する矢羽の欠けが風を裂く音、木の幹に鏃が刺さるわずかな音も
聞き漏らさなかった。
活目し、身を乗り出したギュスターヴ。音に聞こえた場所を注視した。薄暮の空、目が捉える光が少ない時間において、ギュスターヴの眼には陽光の下と大差なく、
鮮明に夜盗の弓構える姿を写していた。
「そこだっ!」
ナイフを握る左手のルーンが光る。ギュスターヴは引き出された身体能力を駆使してナイフを投げた。
手を離れたナイフは空を回転しながら飛び、寸分の狂い無く夜盗の喉にその刃を滑り込ませた。ナイフが突き刺さった一人の夜盗が、喉を抑えるように呻いて倒れる。
ギュスターヴはすぐまた身を影に隠した。
「やるじゃねーか相棒」
地面に刺さったままのデルフが話す。
「ああ。でもナイフも無限にあるわけじゃない。これだけで切り抜けられるかな…」
反撃を受けると思わなかったのだろう夜盗は矢掛けるのを止めたが、多勢を貨って再び矢を打ち込んでくる。今度は脂を含ませた火矢を混じらせて飛ばし、
辺りの草木に突き刺さるとそこから徐々に燃え始める。
「ちょ、まじやべーぜ相棒!辺りが燃え始めてるぜ」
「しかし今飛び出せば矢に当たるだけだ…くそ!」
夜盗は一心不乱に矢掛けてくる。仲間がやられてあせっているのかもしれない。
ギュスターヴの周りを火矢の炎が広がって炙り始めようとしていた。
と、その時。『真上』からギュスターヴの周囲に降り注ぐ『氷の槍』。燃えかけていた草木で溶けると火を消していった。
同時に、物陰から矢掛けていたはずの夜盗から悲鳴が上がる。
「りゅ、竜だぁ!」
「メイジが乗ってるぞ!」
「火の玉がとんでくるぅ!」
悲鳴を上げながら夜盗の声が散って遠くなっていく。ギュスターヴが見上げると、学院の生活で見慣れた竜に、顔なじみの少女が二人乗っていた。
「ハァイ?ミスタ」
「キュルケ!タバサ!」
矢を受けて傷ついた馬はシルフィードが咥え、ギュスターヴはシルフィードの背中を借りてラ・ロシェールを目指すこととなった。
どうしてここへ、と問うギュスターヴに対して、
「ミスタとルイズが気になっちゃって、ね?」
ふられたタバサは頷く。背中には、あの飾ったようなレイピアが背負われている。
「それも持ってきたのか」
「何かに使えるかもと思って。それに出先でも修行ができるでしょ?」
大人用のレイピアを背負うと、タバサに舞台をひしめく人形のような、ある種の滑稽さを作っている。
「それにしても、使い魔を置いていくなんてルイズも薄情ね」
「いや、ルイズは気付いていなかった。夜盗が襲ったのは地上を移動していた俺だけだった」
「そのワルドっていう人、本当に護衛なのかしら?」
キュルケは見知らぬワルドの姿を想像しようとした。
「さてな。王女から預かり物を持ってきたところや、先日の王女がやってきた時に護衛をやってきたあたりから、それなりに腕の立つ、
それで高官や王女に覚えがある軍人なのだろうとは思う」
シルフィードの翼が風を切る中、三人は答え無き考えの中に泳ぐ。
「……ひとまず、ラ・ロシェールという町まで行ってルイズと合流しよう。話はそれからだ」
「そうね。飛ばして頂戴、タバサ」
頷いて、タバサはシルフィードの首を叩く。
一鳴きしたシルフィードは、薄暗くなりつつある空を飛んでゆくのだった。
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