「虚無の魔術師と黒蟻の使い魔-07-1」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「虚無の魔術師と黒蟻の使い魔-07-1」(2008/05/28 (水) 18:49:44) の最新版変更点
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#navi(虚無の魔術師と黒蟻の使い魔)
ぴしゃり。乾いた音が響き渡る。
そのあとに続くのは喧しい金切り声。さらにそのあとを狼狽した男の声が続く。
「喧しいわね」
キュルケは不機嫌そうにそれらの音のするほうに目を向ける。
そこには目に涙を浮かべながら走り去るモンモランシー、それを呆然と見送るギーシュがいた。
「痴話喧嘩」
タバサが短く言い放つ。
「全くくだらないわねぇ」
やれやれといった調子でギーシュに向けた視線をタバサのほうに向けるキュルケ。
喧しいとは思ったが、モンモランシーが走り去ったのなら痴話喧嘩は終了だろう。これ以上騒がしくなることはない。
そう思ったキュルケだったが、その考えはすぐに覆される。
「君のせいで2人のレディーの名誉に傷がついた! どうしてくれるんだ!」
それはギーシュの怒鳴り声だった。
何事かと振り返ると、そこには土下座せんばかりの勢いで謝るメイドと、それに向かって罵声を浴びせるギーシュの姿があった。
どうやらギーシュが先ほどの失態の責任をメイドに押し付けて憂さ晴らしをしているらしい。
周りの喧騒に耳を傾けることで容易にその経緯が知れる。
ことの始まりはモンモランシーからプレゼントされた香水をギーシュが落とし、それをあのメイドが拾って届けたことらしい。
そして、それを見たギーシュと付き合っている1年生がモンモランシーとの関係をギーシュに問いただし、ギーシュはモンモランシーとはそういう関係じゃないと答え、モンモランシーはそういう関係じゃなかったのかと怒った。
そして今に至るということらしい。
馬鹿馬鹿しい。
メイドに当たり散らす暇があるのなら、どちらか片方、より大切な方を追いかければいい。そうすれば少なくとも片方の愛は失わずに済むかもしれないのに。
これだからトリステインの男は駄目なのだ。
メイドに責任を負わせることで体面を保とうというギーシュの行動。
それはすなわち、追いかければ片方だけでも取り戻すことができたかもしれない愛より、体面を選んだということだ。
愛と天秤にかけるなら、せめて体面ではなく誇りや名誉にしてほしいものだ。
キュルケにとっては、誇りと名誉を足した上で愛と天秤にかけても、なお愛が勝つ。
この世に燃えがる愛の情熱より勝るものがあろうはずもない。
だが、トリステインの貴族は愛より誇りや名誉を選ぶものが圧倒的に多い。
母国のゲルマニアでも流石にキュルケほどの者は少ないが、それでもトリステインの貴族よりは愛に重きを置く。
おかげでキュルケはトリステインに留学してから恋人の数が半分に減ってしまった。自分が情熱を傾けるに値する男が少なすぎる。
しかもギーシュはしきりに誇りや名誉といった言葉でメイドを責めるが、そんなものは公衆の面前で2人いっぺんに振られた時点でありはしない。ギーシュが必死に守ろうとしているのは体面だ。
誇りどころか体面に負ける薄っぺらな愛。そんなものを二股かけてさらに薄めたら、そこに何が残るというのだ。
そういうことは、自分のように幾ら分けても薄まらない、熱く濃い情熱を持ってからするものだ。
「そもそもばれるのが嫌ならこんな狭いとこで二股なんてするなって話よね」
キュルケが呆れたように言うと、
「人のことは言えない」
タバサが、親友のキュルケでなければ判らないぐらい微かに呆れた表情をして言う。
「あらタバサ。私の言ったことちゃんと聞いてなかったの? 『ばれるのが嫌なら』って言ったじゃない」
キュルケがしたり顔でそれに返す。
タバサは小さくため息をつくと視線を本に移す。
彼女にはキュルケの恋愛観も、ギーシュの騒動も興味はない。
「あら?」
急にキュルケが頓狂な声を出す。
「あのメイド……」
ギーシュに平謝りしているメイド、どこか見覚えがある。
「あのメイドはルイズの……」
特徴的な黒髪で気づいた。
最近ルイズが何かと声をかけるメイドに間違いない。
それに気づいたキュルケは立ち上がって辺りを見渡す。
すぐに見つかった。
肩を怒らせたルイズがギーシュのほうに近づいていく。
「何やってんのよ! ギーシュ!」
ルイズが怒鳴る。
その声にギーシュや、その取り巻きたちがきょとんとした顔をする。
何故ここでルイズが出てくるのか、彼らの頭の中でまるでつながらない。
「ミ、ミス・ヴァリエール……」
シエスタが今にも泣き出しそうな声でルイズの名を呼ぶ。
その震えた声はルイズの頭に黒い靄をかける。
「このメイドが二人のレディーの誇りを傷つけた。君とて貴族のはしくれなら、貴族の誇りを傷つけることがどういうことか解るだろう」
ギーシュは言う。
解らない。
貴族の誇り。それがどれだけ大切なものなのか。「解るだろう」と言われて解らなくなった。
貴族とは。
貴族とは誇りを重んじ、それを守るだけの力をもつ者だと、そう結論したはずなのに。
その誇りの名のもとに、シエスタは今にも泣きそうな顔をしている。いや、もう泣いている。
ルイズも、ここに来るまでに周りの声から事の経緯は大体理解している。
ギーシュの言う誇りが口だけのもので、そもそもギーシュの行いが貴族の誇りから遠いところにあるということも理解している。
しかしそういうことではないのだ。
もし、本当に貴族の誇りがかかっていた場合は、シエスタはこんな顔をしなくてはいけないのか?
平民はこんな顔をしなくてはいけないのか?
レナスは……。
そして、自分自身が貴族足らんと生きるならば、誇りのためにシエスタやレナスにこんな顔をさせるのか。
私はそんなことがしたいのか。
私がなりたかった貴族とはそんなものなのか。
私は平民に哀れみの目を向けられるのが耐えられなかった。でも、平民に恐れられたいわけではない。平民に憎まれたいわけではない。平民に嫌われたいわけではない。
以前のルイズなら貴族の誇りと平民など、天秤にかけるまでもないものであった。
貴族の誇りは何よりも尊いものだった。
しかし、それは貴族の、力の強いものの都合でしかない。
モッカニア、そしてレナスの生涯を『本』を通して我が事のように見た今のルイズに、強き者の都合だけで考えることはできない。
誇り高く、高潔な思想のもとでなら弱きものが踏みにじられてよいなどという考えを肯んずることはできない。
モッカニアの母、レナスの悲しそうな顔がルイズの脳裏に浮かぶ。
「踏んでは、いけないわ」
レナスの声が頭に響く。
(ああ、そうか。そんなことか)
(馬鹿だな。こんな当たり前のことも解らないなんて)
「とにかく。ルイズ、君には関係ないことだ。退きたまえ。彼女たちの誇りのために、僕はこのメイドに貴族の誇りというものを教育してやらなくてはならないからな」
ギーシュがルイズにここから退くように促す。
ルイズはギーシュ方に顔を向けた。
その顔を見てギーシュは驚く。
ルイズは笑っていた。それも晴れやかに。
どういう理由で笑っているのか、ギーシュには理解できない。先ほどの己の言葉のどこにルイズがこんな顔をする要素があったのか。
そもそも、なぜルイズがしゃしゃり出てきたのかも解らない。
解らないものは、不気味だ。
ルイズの笑みはギーシュの言葉とはまるで関係ない。
ただルイズは理解したのだ。
自分が求める貴族像というものを。
「関係ないことはないわ」
ルイズは顔に笑みを浮かべたまま言い放つ。
「だってシエスタに香水を拾うように指示したのは私だもの」
少しまずいことになった。
ルイズの言葉を聞いたギーシュは、心の中で舌打ちをする。
一連の出来事の非が己にあることはギーシュも自覚している。
だが、相手が平民であるなら非がどこにあるかなど関係なしに相手をなじることができたのだ。
それが貴族が相手ではそうはいかない。況してやヴァリエールが相手では。
普段の、魔法の使えないルイズをからかうのとはわけが違う。
不当な理由で相手を叱責する。叱責したなら決着はどちらかが非を認め頭を下げる必要がある。
それは駄目だ。
そうしたら、それこそ本当に貴族の誇りにかかわる問題になる。
(まったく少しは空気を読んでくれよ。そんなところまでゼロなのか)
心の中でルイズをなじるギーシュ。
とりあえず、公衆の面前で二人からふられたという恥をメイドに責任を押し付けて有耶無耶にさえできればいいのだ。
(二人に振られたのも僕なら、恥をかいたのも僕。他に誰が損をしたというわけでもないんだ)
ギーシュにはシエスタがどんな顔をしているかなど見えてはいない。
(なのにどうして首を突っ込んでややこしい事にしようとするんだ!)
「それで私にも貴族の誇りについて教育してくれるのかしら」
ルイズは背筋を伸ばしギーシュを真直ぐに見据えて言う。その顔には相変わらずの笑みが浮かんでいる。
ギーシュにはルイズのその自信たっぷりのその態度が嫌がらせに思える。
つい今しがたまで平民にしていたことを、この私にもやってみろ。やれるものならな。
そんな声が聞こえてくるようだ。
悔しい。このまま黙っているわけにはいかない。
「う、あ」
「でも教育はいらないわ」
ギーシュが何でもいいから言わなくてはと思い、口を開けて出てきたのは言葉にもなっていない呻きだったが、それすらもルイズの言葉に被されてかき消される。
(くそう。こんなことで日ごろの鬱憤を晴らそうとでもいうのか……)
ルイズはギーシュから視線を外すと、シエスタに目を向ける。
「立って、シエスタ」
シエスタは状況についていけず、涙を流しながらも呆けた顔で地べたに座り込んだままだ。
そんなシエスタを見て、ルイズは片手をシエスタに差し出した。
シエスタにはその手が何を意味しているのか、理解できなかった。ただ、反射的に差し出された手を握った。
シエスタが手を握ると、ルイズはその手を引っ張りシエスタを立ち上がらせる。
ルイズに手を引かれて、やっとシエスタは理解した。ルイズは自分を助けようとしているのだと。
つい今しがたまで流れていた涙とは別の涙が頬を伝うのを感じる。
用心しろとマルトーには言われた。用心というほどではないが、とにかく機嫌を損ねないように気を使いながらルイズとは接していた。
そして、ギーシュの叱責を受けている間、ここ数日声をかけてくるルイズが助けに来てくれるなどとは露ほどに思っていなかった。
しかしルイズは手を差し伸べてくれた。
ルイズはシエスタにハンカチを渡すと、再びギーシュに視線を向ける。
「それじゃあね、ギーシュ」
そう言うとルイズはシエスタを促して、その場を立ち去ろうとする。
それを見たギーシュの頭の中が真っ白になる。
散々場をかき乱しておいて、あっさりとこの場を離れようとするルイズ。
普段、ゼロとからかわれているその仕返しをしようというのだと思っていた。それがあっさりと退散しようというのだ。仕返しをする絶好のチャンスだというのに。
つまりこれは仕返しでもなんでもない。ただ、軽くからかってみたとということなのか?
そんな思いがギーシュの頭を駆け巡り、ルイズの背中を見送ることを許さなかった。
「待て!」
ルイズとシエスタが振り返る。
シエスタが怯えた目をギーシュに向けているのとは対照的に、ルイズの視線は自信に満ち溢れている。
「教育の途中だ! そのメイドは置いていけ!」
破れかぶれにギーシュは叫ぶ。
それをルイズは自信満々の笑みで迎え撃つ。
「置いていけって、教育するのはやっぱりシエスタだけなの? シエスタは私の言われた通りにしただけじゃない?」
ルイズが言う。
「関係な……」
「それに教育は必要ないって言ったじゃない」
ギーシュの言葉にルイズは重ねて言う。
そしてルイズはシエスタに向けて口を開く。
「シエスタ。ギーシュの言うとおり私たちは貴族の誇りを傷つけてしまったの。これは大変なことだわ。それで、私たちが何をするべきかあなたは解る?」
ルイズの突然の問いにシエスタはどう答えたものか口ごもる。
それを見たルイズは少し微笑むと答えを言う。
「もちろんギーシュに貴族の誇りについて教えてもらう……なんてことじゃないわよ。誇りを傷つけてしまったならそれを謝らないといけないわ」
ちらり。
ルイズはギーシュを見る。
「ギーシュが言ってた通り『二人のレディー』の誇りに私たちは傷をつけてしまったものね。早く謝らなくちゃ。ギーシュの説教なんて聞いてる暇はないわ。そういうことで急いでるから、あなたの相手はしてあげられないわ。御機嫌よう、ギーシュ」
そう捨て台詞を残し、再びルイズはギーシュに背を向ける。
しかしその背中にすぐに声がかけられる。
「まっ、待て! ならば僕の誇りはどうなる!」
ギーシュは必死だ。
公衆の面前で二股がばれ、ふられ、恥をかいた。それを誤魔化すために平民をなじったがその平民に途中で逃げられ、果ては普段ゼロと馬鹿にしているルイズにやり込められる。
このままで済ませるわけにはいかない。
ルイズが振り返る。
だがそこにあったのは今までの笑みとは違う。
ギーシュに隠すことなく軽蔑の視線を送っていた。
「ギーシュ。あんたが言ったのよ。『二人のレディーの誇り』のためって。なら、その二人に謝るのが先決じゃない。それなのにそれを引き止めて『僕の誇り』ですって?
なによ、『二人のレディーの誇り』なんてどうでも良かったんじゃない。最初っから『僕の誇り』って言っときなさいよ。
『みんなの前で二股がばれて恥ずかしかったじゃないか。どうしてくれるんだ』って言えばいいのに。それを言うのも恥ずかしいから『二人のレディーの誇り』を引き合いに出して平民いびりでストレス発散?
そっちのほうがよっぽど誇りを踏みにじってるわ。とんだ口だけ野郎ね!」
ルイズは一気にまくし立てた。
あたりがしんと静まる。周りの生徒たちが絶句している。
それは普段知るルイズの怒りとは違った。普段のルイズの怒りは、感情丸出しで喚き散らすだけだ。
普段のルイズと何が違ってこうなっているのか、周囲のものにはまるで解らない。
何が違うのか。それは普段のルイズは自分自身のために怒っているが、今日は違う。
そんないつもと違うルイズに驚いた。彼らの絶句にはそういう意味もあるが、それだけではない。
ここはもうほとんど限界のラインだ。それゆえの絶句。
ここからさらに踏み込んだらもうただでは済まない。
どちらかがここで退かなければ、せめて形だけでも穏便に済ますということもできない。
そして、ここで退くことができるような者が貴族の中にどれだけいるのだろうか。
「口だけだと? それは魔法も使えないくせにご大層なことを言う君のことじゃないのか? ゼロのルイズ」
ギーシュは退かなかった。だが踏み込みもしない。かわした。かわして別の角度から一撃を入れる。
普段とは違う怒りを表すルイズに、普段通りのやり方で攻める。
「…………」
ルイズは口から出かけた言葉を飲み込む。
(魔法は使える。系統魔法ではないけれど。もうゼロではない! だからそんな言葉は無視!)
今はゼロなんて言われて怒るわけにはいかない。
今は自分のために怒ってるのではないのだ。
「あんたの誇りはあんたが勝手にどっかに捨ててきたんでしょ。二股かけて、ふられて、何も悪くないシエスタにあたって……。全部あんたが勝手にやっただけじゃない。そんなの知ったことじゃないわ。
でも、モンモランシーとその1年の娘には責任を感じるわ。私がシエスタに香水を拾うように言ったせいで、あんたみたいな誇りをどっかに捨ててきたようなのを好きだったなんて事がみんなに知られちゃったんだもの!」
ルイズは踏み込んだ。
「決闘だ!」
ギーシュが叫ぶ。
周りがざわつく。
「よせギーシュ! 決闘は禁止されている! それに相手はヴァリ……」
「知ったことか! ここまで虚仮にされて我慢なるか!」
マリコルヌの制止をギーシュは振り切る。
ギーシュは完全に冷静さを失ってしまった。
そもそもはじめから意味が解らなかったのだ。
なぜルイズがしゃしゃり出てきたのか。メイドに指示をしたのが自分だったから? それがどうした。別にルイズに当り散らしたわけではないじゃないか。メイドを適当に叱りつけてそれで終わればいいだけの話だったのに。
(それを仕返しだか嫌がらせだかなんだか知らないが性質の悪い絡みかたしてきやがって!)
ギーシュはいまだ理解していない。
ルイズがそのメイドのために怒っているのだということを。
「ヴェストリの広場に来い! 逃げるなよ!」
ギーシュはそう言うと大股でその場から去っていった。
マリコルヌ達、ギーシュの友人連中はルイズの様子を伺いながらもギーシュの後を追う。
「ミス・ヴァリエール! 決闘だなんて……大丈夫なんですか!?」
シエスタが心配そうな顔で言う。
駄目に決まっている。
冷静さを失っていたのはギーシュだけではない。
ギーシュが視界から消えて出てきた心中の冷静なルイズが、「なんで決闘沙汰にまでことを荒げたのだ」とルイズ自身を叱責する。
しかしもう遅い。
ならば闘って、そして勝つだけだ。
「ちょっとルイズ。あんたどうするつもり?」
シエスタとルイズのもとにキュルケが近づいてくる。
「なかなか見事に啖呵切ったけど、決闘なんかしてゼロのあんたが勝てると思ってるの?」
キュルケの言葉にシエスタが反応する。不安げな視線をルイズに向ける。
「大丈夫よ……。大丈夫だから、シエスタ。お願いだからそんな不安そうな目で見ないで」
不安げな視線。それはすなわちルイズが負けるだろうと思っているのだ。
シエスタはルイズのことを心配しているのだ。
平民に心配される。それでは昔と変わらない。
「私は勝つから、心配はいらないわ……。だからシエスタは私のことを信じていて頂戴」
そう言うとルイズはギーシュの去っていった方向、ヴェストリの広場のほうへ向けて歩き出す。
シエスタもその後ろを恐る恐る付いていく。
「ちょっと、ルイズ! あんた魔法も使えないのにどうやって勝つつもりなのよ!」
キュルケがルイズの背中に言う。
ルイズは振り返るとキュルケを一瞥し、何も言わずにまた歩き出した。
「あーもう! 最近のあの娘は意味が分かんないわ! 魔法も使えないのに、気合いとか根性だけでなんとかなるとでも思ってるのかしら? ねぇ、タバサ」
自分の忠告を聞きもせずに決闘に向かうルイズへの不満を傍らにいるタバサにぶつけるキュルケ。
タバサはその言葉に、面倒そうに本から視線をはなし、キュルケを見る。
「彼我の実力差が明白な時……」
パタリと本を閉じるとタバサは立ち上がる。
そしてギーシュとルイズが向かった方向、ヴェストリの広場の方向へ歩き出した。
「往々にして、実力差を覆すのは気合と根性。もしくはそれに類する精神力」
そう言うタバサの後ろ姿をキュルケはあわてて追いかける。
「え、タバサ。見に行くの? あなたが?」
キュルケは驚いた顔をしながらタバサの横に並ぶ。
普段、何事にも興味を持たないタバサが、自分から決闘を見に行くとは思っていなかった。
何がタバサの琴線に触れたのか、キュルケは疑問に思う。
タバサもルイズが勝てるとは思っていない。
魔法が使えるのと使えないのとでは絶望的な戦力差がそこにある。
だからこそタバサは興味を持った。
ルイズの態度。「勝つ」という言葉が何か根拠があっての言葉なのかどうかは解らない。実力差を覆すのは精神力とは言ったが、そんなもので覆せる差など高が知れている。ルイズはどれだけの差を覆せるのか。そこに興味をひかれた。
ルイズは只管まっすぐに正面を見ながら歩く。
すぐ後ろをシエスタが追い、少し距離を置いて野次馬たちがぞろぞろと付いてくるが、そちらには一瞥もくれない。
できる限り堂々とした態度で歩く。
(うん。言い過ぎたわ。ホントは全然言い足りないけど。でも決闘だなんて……)
ルイズは思う。
(なんか普段よりちょっとスムーズに口が回っちゃったのよね)
(もうこうなったら引き返せないわ。ギーシュなんてぼこぼこにしてやるわよ!)
振り向かずとも、自分のすぐ後ろにシエスタが付いてきている気配を感じる。
シエスタに対するギーシュの行動は許せない。
ならば決闘だ。
そしてシエスタがルイズのことを心配するような態度も見たくない。
ならば、勝って見せればいい。
だが勝てるのか?
(今の私の持てる力。系統魔法は相変わらず爆発。しかもノーコン。黒蟻は……まだ5匹が限度。この2つの魔法でどう戦えばいいか……考えるのよルイズ)
ルイズは自分の持てる力でギーシュを倒す方法を思案する。しかし、考えれば考えるほど力の差を痛感する。
ギーシュの得意とする魔法。青銅のゴーレム。
高位の土メイジが使うような巨大なゴーレムではなく、人間と変わらない大きさのゴーレム。とはいえ、人間よりよっぽど頑丈で、力も強く、痛みを気にしない存在。
そしてそれを何体同時に操るのか。5体? いやもっと?
青銅のゴーレム5体を、黒蟻5匹とノーコンの爆発でどう攻略すればいいのか。
いや、もう一つ使える魔法がある。
肉体強化。
もともと女子の中で運動神経の良いほうだったルイズだが、今なら男子生徒の中に混ざっても遜色のない程度の身体能力を手に入れている。
しかしそれがなんの役に立つ。
身体能力だけなら平民の傭兵のほうがよほど上だろう。だが、そんな傭兵達でさえ魔法を使える貴族を倒すのは難しい。メイジの打破を成し遂げた『メイジ殺し』と呼ばれる者は数多いる傭兵の中でもほんの一握りの存在なのだ。
武装司書のような超人と呼ぶべきレベルにまで達しているのならともかく、今のルイズの身体能力はせいぜいギーシュと互角といったところ。
青銅のゴーレムを相手に格闘を演じられるようなものではない。
(青銅のゴーレム相手に肉弾戦は無理。蟻が咬み付いてもゴーレムじゃ痛くも痒くもなし……。どうにかして爆発を当てるしか……)
いかにしてギーシュに勝つか。考えながら歩いていたルイズだが、結局答えの出ないままヴェストリの広場に辿り着き、
「ふん! 逃げずによく来たな、ルイズ!」
仁王立ちするギーシュと対面した。
「ん? 勝てる……? 勝てちゃうわ……これ」
ギーシュが視界に入った瞬間、ルイズは己以外のだれも聞き取れないような小さな声で呟いた。
ギーシュの顔を見た瞬間、一つの考えが頭をよぎった。己が勝つ姿が頭をよぎった。
それを必死にまとめようとするルイズ。
(これなら……ギーシュの出方次第だけど…………勝てる……わ!)
「諸君。決闘だ!」
ギーシュが高らかに宣言する。
周りの野次馬たちから喚声が上がる。
ギーシュは野次馬の喚声に応え手を振る。
ギーシュはここに至り多少の冷静さを取り戻し、そして開き直った。決闘であれば問題ない、と。
決闘自体は問題だ。本来禁止されている。おそらくこの騒ぎが終われば、学院から幾日かの謹慎なり、何か処罰が言い渡されるだろう。
だがそれはルイズにも言えることだ。
決闘であれば、決闘をした両者が悪い。
もしルイズを香水のビンを拾ったことで責めていたなら、明らかにギーシュ一人に非がある。
だからと言ってルイズにメイドを連れて行かせたら、ふられた上にルイズにやり込められるという恥の上塗り。
それに比べれば決闘という形で両者が処罰を受ける痛み分けの形は随分ましだ。
そして、決闘の中身でルイズに二度と生意気な口を聞けぬようにしてやれば良い。
「二人のレディーと、そして僕自身の誇りのために僕は闘う!」
ギーシュは薔薇を模った杖をルイズに向ける。
「『二人のレディーのため』はやめろと言ったでしょう。あんたは二股がばれた腹いせに決闘するのよ」
ルイズはギーシュに睨み返す。
「早く始めるぞ、ゼロのルイズ。もたもたしていると次の授業に間に合わなくなるからな。いくら授業に出ても魔法の使えるようにならない君には関係ないのだろうがね」
ギーシュは鼻息荒く侮蔑の言葉を返す。
#navi(虚無の魔術師と黒蟻の使い魔)
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ぴしゃり。乾いた音が響き渡る。
そのあとに続くのは喧しい金切り声。さらにそのあとを狼狽した男の声が続く。
「喧しいわね」
キュルケは不機嫌そうにそれらの音のするほうに目を向ける。
そこには目に涙を浮かべながら走り去るモンモランシー、それを呆然と見送るギーシュがいた。
「痴話喧嘩」
タバサが短く言い放つ。
「全くくだらないわねぇ」
やれやれといった調子でギーシュに向けた視線をタバサのほうに向けるキュルケ。
喧しいとは思ったが、モンモランシーが走り去ったのなら痴話喧嘩は終了だろう。これ以上騒がしくなることはない。
そう思ったキュルケだったが、その考えはすぐに覆される。
「君のせいで2人のレディーの名誉に傷がついた! どうしてくれるんだ!」
それはギーシュの怒鳴り声だった。
何事かと振り返ると、そこには土下座せんばかりの勢いで謝るメイドと、それに向かって罵声を浴びせるギーシュの姿があった。
どうやらギーシュが先ほどの失態の責任をメイドに押し付けて憂さ晴らしをしているらしい。
周りの喧騒に耳を傾けることで容易にその経緯が知れる。
ことの始まりはモンモランシーからプレゼントされた香水をギーシュが落とし、それをあのメイドが拾って届けたことらしい。
そして、それを見たギーシュと付き合っている1年生がモンモランシーとの関係をギーシュに問いただし、ギーシュはモンモランシーとはそういう関係じゃないと答え、モンモランシーはそういう関係じゃなかったのかと怒った。
そして今に至るということらしい。
馬鹿馬鹿しい。
メイドに当たり散らす暇があるのなら、どちらか片方、より大切な方を追いかければいい。そうすれば少なくとも片方の愛は失わずに済むかもしれないのに。
これだからトリステインの男は駄目なのだ。
メイドに責任を負わせることで体面を保とうというギーシュの行動。
それはすなわち、追いかければ片方だけでも取り戻すことができたかもしれない愛より、体面を選んだということだ。
愛と天秤にかけるなら、せめて体面ではなく誇りや名誉にしてほしいものだ。
キュルケにとっては、誇りと名誉を足した上で愛と天秤にかけても、なお愛が勝つ。
この世に燃えがる愛の情熱より勝るものがあろうはずもない。
だが、トリステインの貴族は愛より誇りや名誉を選ぶものが圧倒的に多い。
母国のゲルマニアでも流石にキュルケほどの者は少ないが、それでもトリステインの貴族よりは愛に重きを置く。
おかげでキュルケはトリステインに留学してから恋人の数が半分に減ってしまった。自分が情熱を傾けるに値する男が少なすぎる。
しかもギーシュはしきりに誇りや名誉といった言葉でメイドを責めるが、そんなものは公衆の面前で2人いっぺんに振られた時点でありはしない。ギーシュが必死に守ろうとしているのは体面だ。
誇りどころか体面に負ける薄っぺらな愛。そんなものを二股かけてさらに薄めたら、そこに何が残るというのだ。
そういうことは、自分のように幾ら分けても薄まらない、熱く濃い情熱を持ってからするものだ。
「そもそもばれるのが嫌ならこんな狭いとこで二股なんてするなって話よね」
キュルケが呆れたように言うと、
「人のことは言えない」
タバサが、親友のキュルケでなければ判らないぐらい微かに呆れた表情をして言う。
「あらタバサ。私の言ったことちゃんと聞いてなかったの? 『ばれるのが嫌なら』って言ったじゃない」
キュルケがしたり顔でそれに返す。
タバサは小さくため息をつくと視線を本に移す。
彼女にはキュルケの恋愛観も、ギーシュの騒動も興味はない。
「あら?」
急にキュルケが頓狂な声を出す。
「あのメイド……」
ギーシュに平謝りしているメイド、どこか見覚えがある。
「あのメイドはルイズの……」
特徴的な黒髪で気づいた。
最近ルイズが何かと声をかけるメイドに間違いない。
それに気づいたキュルケは立ち上がって辺りを見渡す。
すぐに見つかった。
肩を怒らせたルイズがギーシュのほうに近づいていく。
「何やってんのよ! ギーシュ!」
ルイズが怒鳴る。
その声にギーシュや、その取り巻きたちがきょとんとした顔をする。
何故ここでルイズが出てくるのか、彼らの頭の中でまるでつながらない。
「ミ、ミス・ヴァリエール……」
シエスタが今にも泣き出しそうな声でルイズの名を呼ぶ。
その震えた声はルイズの頭に黒い靄をかける。
「このメイドが二人のレディーの誇りを傷つけた。君とて貴族のはしくれなら、貴族の誇りを傷つけることがどういうことか解るだろう」
ギーシュは言う。
解らない。
貴族の誇り。それがどれだけ大切なものなのか。「解るだろう」と言われて解らなくなった。
貴族とは。
貴族とは誇りを重んじ、それを守るだけの力をもつ者だと、そう結論したはずなのに。
その誇りの名のもとに、シエスタは今にも泣きそうな顔をしている。いや、もう泣いている。
ルイズも、ここに来るまでに周りの声から事の経緯は大体理解している。
ギーシュの言う誇りが口だけのもので、そもそもギーシュの行いが貴族の誇りから遠いところにあるということも理解している。
しかしそういうことではないのだ。
もし、本当に貴族の誇りがかかっていた場合は、シエスタはこんな顔をしなくてはいけないのか?
平民はこんな顔をしなくてはいけないのか?
レナスは……。
そして、自分自身が貴族足らんと生きるならば、誇りのためにシエスタやレナスにこんな顔をさせるのか。
私はそんなことがしたいのか。
私がなりたかった貴族とはそんなものなのか。
私は平民に哀れみの目を向けられるのが耐えられなかった。でも、平民に恐れられたいわけではない。平民に憎まれたいわけではない。平民に嫌われたいわけではない。
以前のルイズなら貴族の誇りと平民など、天秤にかけるまでもないものであった。
貴族の誇りは何よりも尊いものだった。
しかし、それは貴族の、力の強いものの都合でしかない。
モッカニア、そしてレナスの生涯を『本』を通して我が事のように見た今のルイズに、強き者の都合だけで考えることはできない。
誇り高く、高潔な思想のもとでなら弱きものが踏みにじられてよいなどという考えを肯んずることはできない。
モッカニアの母、レナスの悲しそうな顔がルイズの脳裏に浮かぶ。
「踏んでは、いけないわ」
レナスの声が頭に響く。
(ああ、そうか。そんなことか)
(馬鹿だな。こんな当たり前のことも解らないなんて)
「とにかく。ルイズ、君には関係ないことだ。退きたまえ。彼女たちの誇りのために、僕はこのメイドに貴族の誇りというものを教育してやらなくてはならないからな」
ギーシュがルイズにここから退くように促す。
ルイズはギーシュ方に顔を向けた。
その顔を見てギーシュは驚く。
ルイズは笑っていた。それも晴れやかに。
どういう理由で笑っているのか、ギーシュには理解できない。先ほどの己の言葉のどこにルイズがこんな顔をする要素があったのか。
そもそも、なぜルイズがしゃしゃり出てきたのかも解らない。
解らないものは、不気味だ。
ルイズの笑みはギーシュの言葉とはまるで関係ない。
ただルイズは理解したのだ。
自分が求める貴族像というものを。
「関係ないことはないわ」
ルイズは顔に笑みを浮かべたまま言い放つ。
「だってシエスタに香水を拾うように指示したのは私だもの」
少しまずいことになった。
ルイズの言葉を聞いたギーシュは、心の中で舌打ちをする。
一連の出来事の非が己にあることはギーシュも自覚している。
だが、相手が平民であるなら非がどこにあるかなど関係なしに相手をなじることができたのだ。
それが貴族が相手ではそうはいかない。況してやヴァリエールが相手では。
普段の、魔法の使えないルイズをからかうのとはわけが違う。
不当な理由で相手を叱責する。叱責したなら決着はどちらかが非を認め頭を下げる必要がある。
それは駄目だ。
そうしたら、それこそ本当に貴族の誇りにかかわる問題になる。
(まったく少しは空気を読んでくれよ。そんなところまでゼロなのか)
心の中でルイズをなじるギーシュ。
とりあえず、公衆の面前で二人からふられたという恥をメイドに責任を押し付けて有耶無耶にさえできればいいのだ。
(二人に振られたのも僕なら、恥をかいたのも僕。他に誰が損をしたというわけでもないんだ)
ギーシュにはシエスタがどんな顔をしているかなど見えてはいない。
(なのにどうして首を突っ込んでややこしい事にしようとするんだ!)
「それで私にも貴族の誇りについて教育してくれるのかしら」
ルイズは背筋を伸ばしギーシュを真直ぐに見据えて言う。その顔には相変わらずの笑みが浮かんでいる。
ギーシュにはルイズのその自信たっぷりのその態度が嫌がらせに思える。
つい今しがたまで平民にしていたことを、この私にもやってみろ。やれるものならな。
そんな声が聞こえてくるようだ。
悔しい。このまま黙っているわけにはいかない。
「う、あ」
「でも教育はいらないわ」
ギーシュが何でもいいから言わなくてはと思い、口を開けて出てきたのは言葉にもなっていない呻きだったが、それすらもルイズの言葉に被されてかき消される。
(くそう。こんなことで日ごろの鬱憤を晴らそうとでもいうのか……)
ルイズはギーシュから視線を外すと、シエスタに目を向ける。
「立って、シエスタ」
シエスタは状況についていけず、涙を流しながらも呆けた顔で地べたに座り込んだままだ。
そんなシエスタを見て、ルイズは片手をシエスタに差し出した。
シエスタにはその手が何を意味しているのか、理解できなかった。ただ、反射的に差し出された手を握った。
シエスタが手を握ると、ルイズはその手を引っ張りシエスタを立ち上がらせる。
ルイズに手を引かれて、やっとシエスタは理解した。ルイズは自分を助けようとしているのだと。
つい今しがたまで流れていた涙とは別の涙が頬を伝うのを感じる。
用心しろとマルトーには言われた。用心というほどではないが、とにかく機嫌を損ねないように気を使いながらルイズとは接していた。
そして、ギーシュの叱責を受けている間、ここ数日声をかけてくるルイズが助けに来てくれるなどとは露ほどに思っていなかった。
しかしルイズは手を差し伸べてくれた。
ルイズはシエスタにハンカチを渡すと、再びギーシュに視線を向ける。
「それじゃあね、ギーシュ」
そう言うとルイズはシエスタを促して、その場を立ち去ろうとする。
それを見たギーシュの頭の中が真っ白になる。
散々場をかき乱しておいて、あっさりとこの場を離れようとするルイズ。
普段、ゼロとからかわれているその仕返しをしようというのだと思っていた。それがあっさりと退散しようというのだ。仕返しをする絶好のチャンスだというのに。
つまりこれは仕返しでもなんでもない。ただ、軽くからかってみたとということなのか?
そんな思いがギーシュの頭を駆け巡り、ルイズの背中を見送ることを許さなかった。
「待て!」
ルイズとシエスタが振り返る。
シエスタが怯えた目をギーシュに向けているのとは対照的に、ルイズの視線は自信に満ち溢れている。
「教育の途中だ! そのメイドは置いていけ!」
破れかぶれにギーシュは叫ぶ。
それをルイズは自信満々の笑みで迎え撃つ。
「置いていけって、教育するのはやっぱりシエスタだけなの? シエスタは私の言われた通りにしただけじゃない?」
ルイズが言う。
「関係な……」
「それに教育は必要ないって言ったじゃない」
ギーシュの言葉にルイズは重ねて言う。
そしてルイズはシエスタに向けて口を開く。
「シエスタ。ギーシュの言うとおり私たちは貴族の誇りを傷つけてしまったの。これは大変なことだわ。それで、私たちが何をするべきかあなたは解る?」
ルイズの突然の問いにシエスタはどう答えたものか口ごもる。
それを見たルイズは少し微笑むと答えを言う。
「もちろんギーシュに貴族の誇りについて教えてもらう……なんてことじゃないわよ。誇りを傷つけてしまったならそれを謝らないといけないわ」
ちらり。
ルイズはギーシュを見る。
「ギーシュが言ってた通り『二人のレディー』の誇りに私たちは傷をつけてしまったものね。早く謝らなくちゃ。ギーシュの説教なんて聞いてる暇はないわ。そういうことで急いでるから、あなたの相手はしてあげられないわ。御機嫌よう、ギーシュ」
そう捨て台詞を残し、再びルイズはギーシュに背を向ける。
しかしその背中にすぐに声がかけられる。
「まっ、待て! ならば僕の誇りはどうなる!」
ギーシュは必死だ。
公衆の面前で二股がばれ、ふられ、恥をかいた。それを誤魔化すために平民をなじったがその平民に途中で逃げられ、果ては普段ゼロと馬鹿にしているルイズにやり込められる。
このままで済ませるわけにはいかない。
ルイズが振り返る。
だがそこにあったのは今までの笑みとは違う。
ギーシュに隠すことなく軽蔑の視線を送っていた。
「ギーシュ。あんたが言ったのよ。『二人のレディーの誇り』のためって。なら、その二人に謝るのが先決じゃない。それなのにそれを引き止めて『僕の誇り』ですって?
なによ、『二人のレディーの誇り』なんてどうでも良かったんじゃない。最初っから『僕の誇り』って言っときなさいよ。
『みんなの前で二股がばれて恥ずかしかったじゃないか。どうしてくれるんだ』って言えばいいのに。それを言うのも恥ずかしいから『二人のレディーの誇り』を引き合いに出して平民いびりでストレス発散?
そっちのほうがよっぽど誇りを踏みにじってるわ。とんだ口だけ野郎ね!」
ルイズは一気にまくし立てた。
あたりがしんと静まる。周りの生徒たちが絶句している。
それは普段知るルイズの怒りとは違った。普段のルイズの怒りは、感情丸出しで喚き散らすだけだ。
普段のルイズと何が違ってこうなっているのか、周囲のものにはまるで解らない。
何が違うのか。それは普段のルイズは自分自身のために怒っているが、今日は違う。
そんないつもと違うルイズに驚いた。彼らの絶句にはそういう意味もあるが、それだけではない。
ここはもうほとんど限界のラインだ。それゆえの絶句。
ここからさらに踏み込んだらもうただでは済まない。
どちらかがここで退かなければ、せめて形だけでも穏便に済ますということもできない。
そして、ここで退くことができるような者が貴族の中にどれだけいるのだろうか。
「口だけだと? それは魔法も使えないくせにご大層なことを言う君のことじゃないのか? ゼロのルイズ」
ギーシュは退かなかった。だが踏み込みもしない。かわした。かわして別の角度から一撃を入れる。
普段とは違う怒りを表すルイズに、普段通りのやり方で攻める。
「…………」
ルイズは口から出かけた言葉を飲み込む。
(魔法は使える。系統魔法ではないけれど。もうゼロではない! だからそんな言葉は無視!)
今はゼロなんて言われて怒るわけにはいかない。
今は自分のために怒ってるのではないのだ。
「あんたの誇りはあんたが勝手にどっかに捨ててきたんでしょ。二股かけて、ふられて、何も悪くないシエスタにあたって……。全部あんたが勝手にやっただけじゃない。そんなの知ったことじゃないわ。
でも、モンモランシーとその1年の娘には責任を感じるわ。私がシエスタに香水を拾うように言ったせいで、あんたみたいな誇りをどっかに捨ててきたようなのを好きだったなんて事がみんなに知られちゃったんだもの!」
ルイズは踏み込んだ。
「決闘だ!」
ギーシュが叫ぶ。
周りがざわつく。
「よせギーシュ! 決闘は禁止されている! それに相手はヴァリ……」
「知ったことか! ここまで虚仮にされて我慢なるか!」
マリコルヌの制止をギーシュは振り切る。
ギーシュは完全に冷静さを失ってしまった。
そもそもはじめから意味が解らなかったのだ。
なぜルイズがしゃしゃり出てきたのか。メイドに指示をしたのが自分だったから? それがどうした。別にルイズに当り散らしたわけではないじゃないか。メイドを適当に叱りつけてそれで終わればいいだけの話だったのに。
(それを仕返しだか嫌がらせだかなんだか知らないが性質の悪い絡みかたしてきやがって!)
ギーシュはいまだ理解していない。
ルイズがそのメイドのために怒っているのだということを。
「ヴェストリの広場に来い! 逃げるなよ!」
ギーシュはそう言うと大股でその場から去っていった。
マリコルヌ達、ギーシュの友人連中はルイズの様子を伺いながらもギーシュの後を追う。
「ミス・ヴァリエール! 決闘だなんて……大丈夫なんですか!?」
シエスタが心配そうな顔で言う。
駄目に決まっている。
冷静さを失っていたのはギーシュだけではない。
ギーシュが視界から消えて出てきた心中の冷静なルイズが、「なんで決闘沙汰にまでことを荒げたのだ」とルイズ自身を叱責する。
しかしもう遅い。
ならば闘って、そして勝つだけだ。
「ちょっとルイズ。あんたどうするつもり?」
シエスタとルイズのもとにキュルケが近づいてくる。
「なかなか見事に啖呵切ったけど、決闘なんかしてゼロのあんたが勝てると思ってるの?」
キュルケの言葉にシエスタが反応する。不安げな視線をルイズに向ける。
「大丈夫よ……。大丈夫だから、シエスタ。お願いだからそんな不安そうな目で見ないで」
不安げな視線。それはすなわちルイズが負けるだろうと思っているのだ。
シエスタはルイズのことを心配しているのだ。
平民に心配される。それでは昔と変わらない。
「私は勝つから、心配はいらないわ……。だからシエスタは私のことを信じていて頂戴」
そう言うとルイズはギーシュの去っていった方向、ヴェストリの広場のほうへ向けて歩き出す。
シエスタもその後ろを恐る恐る付いていく。
「ちょっと、ルイズ! あんた魔法も使えないのにどうやって勝つつもりなのよ!」
キュルケがルイズの背中に言う。
ルイズは振り返るとキュルケを一瞥し、何も言わずにまた歩き出した。
「あーもう! 最近のあの娘は意味が分かんないわ! 魔法も使えないのに、気合いとか根性だけでなんとかなるとでも思ってるのかしら? ねぇ、タバサ」
自分の忠告を聞きもせずに決闘に向かうルイズへの不満を傍らにいるタバサにぶつけるキュルケ。
タバサはその言葉に、面倒そうに本から視線をはなし、キュルケを見る。
「彼我の実力差が明白な時……」
パタリと本を閉じるとタバサは立ち上がる。
そしてギーシュとルイズが向かった方向、ヴェストリの広場の方向へ歩き出した。
「往々にして、実力差を覆すのは気合と根性。もしくはそれに類する精神力」
そう言うタバサの後ろ姿をキュルケはあわてて追いかける。
「え、タバサ。見に行くの? あなたが?」
キュルケは驚いた顔をしながらタバサの横に並ぶ。
普段、何事にも興味を持たないタバサが、自分から決闘を見に行くとは思っていなかった。
何がタバサの琴線に触れたのか、キュルケは疑問に思う。
タバサもルイズが勝てるとは思っていない。
魔法が使えるのと使えないのとでは絶望的な戦力差がそこにある。
だからこそタバサは興味を持った。
ルイズの態度。「勝つ」という言葉が何か根拠があっての言葉なのかどうかは解らない。実力差を覆すのは精神力とは言ったが、そんなもので覆せる差など高が知れている。ルイズはどれだけの差を覆せるのか。そこに興味をひかれた。
ルイズは只管まっすぐに正面を見ながら歩く。
すぐ後ろをシエスタが追い、少し距離を置いて野次馬たちがぞろぞろと付いてくるが、そちらには一瞥もくれない。
できる限り堂々とした態度で歩く。
(うん。言い過ぎたわ。ホントは全然言い足りないけど。でも決闘だなんて……)
ルイズは思う。
(なんか普段よりちょっとスムーズに口が回っちゃったのよね)
(もうこうなったら引き返せないわ。ギーシュなんてぼこぼこにしてやるわよ!)
振り向かずとも、自分のすぐ後ろにシエスタが付いてきている気配を感じる。
シエスタに対するギーシュの行動は許せない。
ならば決闘だ。
そしてシエスタがルイズのことを心配するような態度も見たくない。
ならば、勝って見せればいい。
だが勝てるのか?
(今の私の持てる力。系統魔法は相変わらず爆発。しかもノーコン。黒蟻は……まだ5匹が限度。この2つの魔法でどう戦えばいいか……考えるのよルイズ)
ルイズは自分の持てる力でギーシュを倒す方法を思案する。しかし、考えれば考えるほど力の差を痛感する。
ギーシュの得意とする魔法。青銅のゴーレム。
高位の土メイジが使うような巨大なゴーレムではなく、人間と変わらない大きさのゴーレム。とはいえ、人間よりよっぽど頑丈で、力も強く、痛みを気にしない存在。
そしてそれを何体同時に操るのか。5体? いやもっと?
青銅のゴーレム5体を、黒蟻5匹とノーコンの爆発でどう攻略すればいいのか。
いや、もう一つ使える魔法がある。
肉体強化。
もともと女子の中で運動神経の良いほうだったルイズだが、今なら男子生徒の中に混ざっても遜色のない程度の身体能力を手に入れている。
しかしそれがなんの役に立つ。
身体能力だけなら平民の傭兵のほうがよほど上だろう。だが、そんな傭兵達でさえ魔法を使える貴族を倒すのは難しい。メイジの打破を成し遂げた『メイジ殺し』と呼ばれる者は数多いる傭兵の中でもほんの一握りの存在なのだ。
武装司書のような超人と呼ぶべきレベルにまで達しているのならともかく、今のルイズの身体能力はせいぜいギーシュと互角といったところ。
青銅のゴーレムを相手に格闘を演じられるようなものではない。
(青銅のゴーレム相手に肉弾戦は無理。蟻が咬み付いてもゴーレムじゃ痛くも痒くもなし……。どうにかして爆発を当てるしか……)
いかにしてギーシュに勝つか。考えながら歩いていたルイズだが、結局答えの出ないままヴェストリの広場に辿り着き、
「ふん! 逃げずによく来たな、ルイズ!」
仁王立ちするギーシュと対面した。
「ん? 勝てる……? 勝てちゃうわ……これ」
ギーシュが視界に入った瞬間、ルイズは己以外のだれも聞き取れないような小さな声で呟いた。
ギーシュの顔を見た瞬間、一つの考えが頭をよぎった。己が勝つ姿が頭をよぎった。
それを必死にまとめようとするルイズ。
(これなら……ギーシュの出方次第だけど…………勝てる……わ!)
#navi(虚無の魔術師と黒蟻の使い魔)
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