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「ヘルミーナとルイズ2-2」(2009/06/09 (火) 07:34:06) の最新版変更点
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ガリア王国、王都リュティス。
数ある酒場の中でも、中の上といった格付けに入る一軒。
様々な層の平民にお忍びの貴族、まっとうな商売人から人様には言えない仕事に従事するものまで、その客層は多種多様。
そこに旅から帰還したルイズたちの姿があった。
火竜山脈での『竜の舌』採集からは既に四日が経過している。
あれから山を下りて街へ戻った二人はそこで一泊宿をとり、ぐっすり眠ってからリュティスへの帰路についた。
当初はルイズが浴びた竜の血が酷い悪臭を発していたのだが、街に戻り次第それを捨てて新しい服を調達、念入りに湯浴みして香水をつてごまかすこと四日、ようやくその臭いからも解放された。
今ならこうして酒場にいても臭いのせいで目立つということもないだろう。
テーブルを挟んで向かい合っている美女二人。
ちびちびと舐めるようにして酒を飲むルイズと、ゆったりとした動作で時間をかけて杯を呷るヘルミーナ。
別に『祝杯』というわけでもない。
採集へ出かけて帰ってきた日の夜にはこうして酒場に足を向ける、これがこの三年間における二人の日常であった。
二人の錬金術師は現在このリュティスに工房を構えている。
表向きは薬屋として、裏では後ろ暗いマジックアイテムでも用意してみせる何でも屋として。
錬金術というものは何はともあれ金を食う、それがルイズが最初に学んだことだった。
魔法学院をあとにした二人は、道々で適当なアイテムを作ってはそれを売り払いながら路銀を稼ぎ、旅を続けた。
そうして辿り着いたのがガリア王国は王都リュティス。
人口三十万人を誇るハルケギニア随一の大都市、そこに二人は工房を据えることにした。
人が多く活気もある、これは裏を返せばろくでもない人間も多数集まっているということだ。
ヘルミーナとルイズは最初しばらくの間は宿に腰を据えて、こうして酒場に出入りして依頼人を捜すことを繰り返した。
そうやって一月もたつ頃には、街の大通りから一本入った通りに面した一軒家を借りられるくらいに、纏まった金が集まっていた。
この頃になると既にルイズは、錬金術というものが金になると学んでいた。
無事王都リュティスに工房を構えた二人は、今度は必要な機材を集めるための資金集めに奔走した。
昼間は薬屋として、夜は事情を聞かないで不思議なマジックアイテムを作ってくれる便利屋として、酒場ややってきた顧客を通じて積極的に宣伝を行った。
ヘルミーナの予想通りというかなんというか、ルイズがあっけなく感じてしまうほどに、二人の名は瞬く間にリュティスの裏側へと浸透していった。
何より二人にとって何より幸運であったのは、ガリア王国で常に燻っている政争の存在であった。
事情を詮索せずに、金次第ではどんなアイテムでも作ってくれる店。それは彼らにとっては実に歓迎すべき存在であったのだ。
官憲の手がまわりかけたこともあったが、そのうち何度かが勝手に解決されたことになっていたのは、お互いに持ちつ持たれつの関係を築けたという証左だろうか。
そうやって工房を構え、名前が売れてきてからも、ルイズたちは定期的に酒場に顔を出すことを欠かさなかった。
勿論営業努力という面もあったが、二人の本来の目的は金などではないのだから、その真の意味合いは情報収集にあった。
酒場の客や情報屋からえられる情報、そのうちに少しでも興味が引くものがあれば西へ東へ飛び回るのである。
この日も、新たなる情報と仕事の依頼を求めて顔を出していたルイズとヘルミーナだったが、結果は芳しくなかった。
こうなると特にやることもないルイズは酒を飲むことくらいしか時間をつぶす方法がない。
片手にグラスを持って、あまり美味しそうには見えない飲み方でちびちびと酒を舐める。貴族様が好んで飲むような高級ワインではない、平民も口にするような蒸留酒。
ルイズには酒の味は大して分からなかったが、ヘルミーナに言わせると値段の割には悪くないらしい。
手持ち無沙汰になった左手では手にしたネックレスを弄っていた。
アクセサリーのようなそれも、錬金術師としてルイズが制作したものの一つだった。
一見すると菱の形に整えられた黒い水晶、しかしその正体は錘の形の容器に入れられた黒い液体であった。
暗黒水。錬金術によって作られる毒薬の中でもとびっきりの劇薬である。
並の錬金術師には目にかかることすら適わない、大海原のように奥が深い錬金術の中でもかなり難しい部類に入るそれを、自前で作り出せる程にルイズの腕前は上達していた。
元々勉学に関しては得意な方であったルイズは、明確な目的を備えたことで錬金術という学問において目覚ましい成長を遂げていた。
ヘルミーナが言うには「私ほどじゃないにしろ、あなたも十分に天才ね」とのこと。
「あれ……おめぇ、娘っ子、ルイズ! ルイズじゃねぇか!?」
近くから、どこかで聞いたことがあるような声が聞こえた。
幻聴が聞こえるほどには飲んでいない。ルイズは左右を見渡して声の主の姿を探した。
「おい俺だ! 俺だよ! こっちだこっち!」
ルイズがそちらを向くと、隣でテーブルに突っ伏していびきをたて寝ている男の姿が目に入った。
「また、酒弱くなったのかしら」
元来強い方ではなかったのだが、ザルのヘルミーナに付き合っているうちに、多少は飲めるようになったルイズである。
「そっちじゃねぇ! こっちだよ! テーブルの下だ!」
訝しんだルイズがそちらの方を見てみると、そこには一振りの大剣が転がされていた。
ルイズの中で、やや胡乱になっていた記憶のピースがかちりと嵌る。
「あら、お久しぶりね。デルフリンガー」
だらしなくぐーぐーと寝ている傭兵風の男の足下、そこに転がっていたのはかつての使い魔、あの少年の手にあったインテリジェンスソード、デルフリンガーであった。
当時よりも薄汚れて錆が浮いているようだ、つまりは今の持ち主はその程度ということなのだろう。
「こんなところじゃぼちぼち話もできねぇ、ちょっと俺をそっちのテーブルの上に置いてくれよ」
「私から話すことなんて一つもないわ」
冷たく切り捨てるルイズ、だがデルフリンガーは食いついた。
「そんなこと言うなよ。おめぇさんだって、あのあとのことが気になるんじゃねぇのか?」
「興味ないわ」
取り付く島もない様子のルイズに、デルフリンガーはそれでも引き下がらない。
「いいから俺をそっちにあげやがれ! こうして出会ったのはきっと相棒の導きなんだよっ!」
大声をあげたデルフリンガーに、酒場中の注目が集まる。自然とその方角にいた二人にも視線が刺さった。
「話くらい別に構わないじゃない」
ヘルミーナから「あまり目立つことはするな」という意味の台詞。
ルイズは嘆息を一つ漏らし、仕方なくといった手つきでデルフリンガーをテーブルの上へと置いた。
「いやぁ、それにしても久しぶりだな娘っ子!……って、もうそんな歳でもねぇのか。嬢ちゃんって呼んだ方が良いか?」
「別に。呼び方なんて何だって良いわ」
その声を聞くのも不愉快だというふうにそっぽを向いてルイズはグラスの中身を舐めた。
「つれねぇなぁ……以前はもう少し付き合いが良かったぜ」
「そういうあんたは変わりないようね。凄く気に触るわ」
「そりゃあ、俺はインテリジェンスソードだかんね。ちょっとやそっとじゃ変わらねぇよ」
カタカタと柄が鳴る、ルイズはこれがこの剣が笑うときの仕草であったことを思い出した。
「お前さんは……随分と変わったみたいだな」
ルイズはつまらなそうな顔のまま、デルフリンガーの言うことをじっと聞いていた。
遮る声が入らなかったことを続けても構わないと受け取ったのか、デルフリンガーは言葉を続けた。
「背丈も伸びたみたいだし、ぺたんぺたんだった胸もちったあ膨らんだみたいじゃねぇか。何よりそう、……美人になったよ。もしも相棒が生きてりゃ、きっと見惚れてたと思うぜ」
ガシャン という音が響いた。
酒場を満たしていた喧噪がピタリと止み、一瞬の静寂が世界を支配する。
ルイズはこのとき初めて店内に竪琴を奏でている奏者がいることに気がついた。
客たちの視線が視線が一斉に音の方向へと向く。そこにはテーブルにグラスを勢いよく降ろしたルイズの姿。
その表情は先ほどまでと変わらぬ無表情だったが、凍えるような冷たさを秘めたものになっていた。
静けさはいつまでも続かない。水が低いところに流れ落ちるようにして、すぐに人々の発する騒音に飲み込まれ、取って代わられた。
人々はもう先ほどまでの静寂など忘れたように、飲んで唄って馬鹿話に花を咲かせている。
ただ一つ、ルイズたちの座るテーブルのある一角を除いて。
「……悪かったよ。その服で、気づくべきだった」
ルイズの身につけた黒い服、それが喪服であることに気づけなかったのは彼らしくない迂闊であった。
陶器でできた仮面でも被っているように冷たく非人間的な無表情をしたルイズに、デルフリンガーが詫びを入れる。
「……」
「すまねぇ」
デルフリンガーにとって何とも気まずい沈黙が舞い降りた。
何も喋らないルイズであったが、その無言はむしろデルフリンガーに息苦しい重圧となってのしかかる。
厨房で作られた美味しそうな香りを放つ料理を運ぼうとしていた給仕が、避けて通った。
すえたような臭いを放つ平民の酔っぱらい二人組が、そばを横切ろうとして思い直す。
男のいない席で酒を飲んでいる美女二人を見つけた優男が、声をかけようか考えて結局諦めた。
そういったある種の『触れてはいけない空気』の底に、ルイズたちのテーブルは沈み込んでいった。
「辛気くさくていけねぇ! 話題を変えるぜ娘っ子。それで、あのあとのことはちったあ聞いてんのかい?」
耐えかねたのか、わざとらしいほど明るい声でデルフリンガーが次の話題を提供した。結局呼び名は以前のまま『娘っ子』で通すことにしたらしい。
彼なりの気遣いなのだろうが、それすらも今のルイズには気に入らなかった。
「さっきも言ったけど、そんなことに興味はないわ。知らなくたって別に私は困らないもの」
「んじゃそれでも構わねぇよ。俺が勝手に喋る、お前さんはそれを聞く。これでどうだ?」
「……勝手にすれば」
ルイズはテーブルにあった酒瓶を手にとって、中身をグラスへと注いだ。
舐めるようにして飲んでいたはずなのに、いつの間にかグラスの中は空になっていた。
「お前さんたちがいなくなっちまって、学院はもう大騒ぎだったんだぜ。特に姉っ子二人の慌てようったら……」
そう語り始めたデルフリンガーの昔話は、ルイズにとっては知っている事実と、予想できる範囲の出来事の、実につまらない内容であった。
手紙も残さず消えた名家の子女と怪しい女。二人の失踪は役人によって連れの女による誘拐と判断され、即刻トリステイン中にルイズの似顔絵と背格好、連れの女の人相などが書かれた手配書がまわされた。
しかし彼女たちの行方はようとして知れず、有力な手がかりがつかめないまま時間だけが経過した。
その先の春期休暇、夏期休暇にはルイズの学友たち、キュルケ、タバサ、ギーシュ、モンモランシーによって遠隔地や都市を巡る自力による捜索も行われたらしい。
それでも、彼女たちの学院卒業までに集めることができた情報といえば「それらしい人影がガリア方面に向かう馬車に乗った」という目撃証言だけだったそうだ。
そうして一年と少しの時間が過ぎ、ルイズの同窓たちは卒業を迎え、それぞれの進路へ旅立っていった。
エレオノールとキュルケたち、それにコルベールの嘆願でそのままにされていた寮の部屋も、彼女らの卒業と共に片づけられ、今では別の生徒が使っているそうだ。
同時、休学扱いとなっていたルイズの学籍も正式に退学となり、学院にはルイズが在学していたという痕跡は何もなくなった。
書類の上ではルイズの所持品ということになっていたデルフリンガーにはこのとき、エレオノールに引き取られてヴァリエール家の所有になるか、コルベールが身受けして学院の備品となり、引き続き居残るかの選択肢が与えられた。
そして、結局デルフリンガーが選んだのは第三の選択肢。
デルフリンガーはエレオノールに自分を武器屋に売却して欲しいと頼み込んだ。
どこか一カ所に留まるよりも、世界中を行き来する誰かの手に渡れば、もしかすると再びルイズに出会える日が来るかもしれない。
何よりも自分は剣だ、武器だ。屋敷の倉庫や学院の研究室に放置されるのは、自分の在り方じゃない。
例え持ち主を失っても、次の持ち主の手に渡り振るわれることこそが自分の在り様なのだと、デルフリンガーはエレオノールを説得したらしい。
結果、エレオノールはデルフリンガーの言う通りに彼を武器屋へ売却した。
そうして半年、ついに買い手がついたデルフリンガーは、新たな持ち主の剣となった。
その持ち主とやらが、今ルイズたちの隣のテーブルで気持ちよさそうに寝ているこの男らしい。
「それにしても、ガリアにいたってのは驚いたぜ。それに印象も随分変わっててよ、オデレータオデレータ」
黙ってデルフリンガーの話を聞いていたルイズ。先ほど継ぎ足したはずのグラスの中身はもう半分になっていた。
「馬鹿ね。トリステインなんて探し回っても見つかるわけないじゃない」
ルイズはつまらなそうにそう漏らすと、テーブルの上に置かれたアイスペールから、大きめの氷を取り出してグラスに入れた。
この店の目玉は、店からのサービスとして出される『氷』にある。
普通は高級な酒場で貴族が馬鹿みたいな金額を払ってワインを頼んだ際にボトルクーラーに入れられて出てくる氷。それをこの店ではどんな客にでも、平民でも貴族でも、分け隔てなく出しているのだ。
勿論そのための追加の料金などはとらない。他の店と同じ程度の料金で、きちんとした口にできる氷が出てくるのである。
それには当然ながらからくりがある。
この店にあって他の店にないもの、それがルイズたちの作った製氷器の存在である。
錬金術の研究と応用、そして実践。その上でたまたま完成した製氷器、特に自分たちには使い道のないそれを、ヘルミーナの言い分でこの店に売却したのだ。
それ以来、酒場は連日満員御礼。結果としてルイズとヘルミーナは酒場の店長から、様々な面での便宜を図ってもらえるようになったのである。
「まあ、無事で何よりだ。のたれ死んでやいないか心配したんだぜ」
「……ふぅん」
グラスを手元で揺らすと、中で氷が転がって澄んだ音がした。
別に酒が好きというわけでもない。
ただ、酒を飲んで、やがてその後にやってくる酩酊感は嫌いではなかった。
そういう意味においては、今口にしているそれはワインなどよりもよほど適している。
けれど、今日はなんだか気持ちよく酔えそうになかった。
「まあ、お前さんも色々あったみたいやね」
「そう?」
「見てりゃ分かる」
色々あった、と言われてルイズは自嘲気味に笑った。
確かに色々なことがあった、命を狙われたこともあったし死にかけたこともあった。
錬金術の習得はとても楽しいことだったし、自分の作り出したものが何か成果をあげたときは確かに嬉しかった。
けれど、同時に何もかもが空虚だった。
その空虚の中心には常に一人の少年の存在。彼が隣にいないという、ただそれだけのことで何もかもが色あせて感じてしまう。
刹那的な快楽に身を委ねてみるというのも考えたが、そんなことをしても願うものはえられないと分かるほどには理性的であった。
結果、こうして酒をちびちびとやり、忘れた気になるというのが専ら最近のルイズの楽しみと言えた。
「その後、誰か昔の知り合いとは会わなかったか?」
「ん……タバサは見かけたわね。二回ほど」
タバサ、というか彼女の所属する『北花壇騎士団』というものが、ガリアの暗部にあって結構な知名度の組織であった。
ガリア王国の裏側の顔役ともいえるそこに所属するかつての学友は、今ではルイズにとって同じ業界に身を置く近くて遠いお隣さんであった。
「へぇ、あの青髪か。元気してたか?」
「さあ? あっちは私のことに気づいてないようだったし、私は別にあの子のことなんてどうでも良いからね。体調のことなんて分かるわけないわ」
そう言って薄く笑う。
二度ほどニアミスしたことがあるが、お互いはっきりと顔を見たわけではない。ことが済んだあとに北花壇騎士団に所属するタバサという名の騎士だったと知っただけだ。
「変わったなぁ……」
「さっきも聞いたわ」
「いや、本当に変わっちまったんだなぁって思ってよ。ルイズ、昔のお前さんはそんなふうに冷たく笑うことなんてなかったのによ」
これもまた、予想の範囲内の反応。
「変わったですって? いいえ、むしろ何も変わっていないわ。私は昔のまま、何も変わらず進み続けているだけよ」
「何がだよ。何が変わってないって言うんだよ……あの頃、相棒と一緒だった頃のお前さんと、今のお前さんの、どこが同じだって言うんだよ!」
最初は抑えるように、そして最後は溜まっていたものを爆発させるようなデルフリンガーの叫び。
それを聞いてもルイズは揺るがず、惑わず、静かに応えた。
「サイトを愛しているわ」
「……あ?」
「私はまだ、ちゃんとサイトを愛しているわ。あんたたちとは違う、私はサイトを忘れてないしサイトを諦めてもいない。この手で必ずサイトを蘇らせるわ。そして言うの、きちんと伝えるの、好きだって伝えるの」
そう、何も変わっていない。
この気持ちだけは真実。例え時間と共に記憶が風化しても、この気持ちだけは変わらない。
この先、何があっても絶対に失ってやるものか。
「そうか……お前さんの時間は、あのときのまま凍っちまってるんだな」
寂しそうに呟いたデルフリンガーの声は、六千年を生きながら快活であったこの剣とも思えない老けた声色だった。
「そっちの嬢ちゃん、嬢ちゃんはどうなんだい?」
一瞬、誰に話を振ったのかを理解できない。人の姿をしていないとこういうときに困る、そう思いつつヘルミーナが答えた。
「あら、私のことかしら、デルフリンガーさん」
「おうよ。えっと……すまねぇ、まだ名前を聞いてなかったな」
「ヘルミーナよ。お喋りな魔剣さん」
「よせやい、さんなんてつられるとむず痒くて仕方ねぇ。デルフリンガーで構わねぇよ」
自分に話題が振られることは予想外であったが、その程度でヘルミーナは微笑を崩さない。
「それで、一体何がどう、なのかしら?」
「ルイズが、こう思っているってことを、お前さんはどう思うってことだよ」
デルフリンガーの柄がカタカタと何度も音をたる、それはまるで感情の高ぶりを暗に主張しているようでもある。
「お前さんはこの三年、この娘っ子と一緒だったんだろ。だったら今を一番分かってるのはお前さんのはずだ。そのお前さんから見てどう思うか、俺はそれを聞きてぇって言ってんだよっ」
最後の方は紛れもなく激昂が含まれていた。
デルフリンガーの怒り。
どうしてルイズがこんなふうになってしまったのか、止められたはずだ、導けたはずだという彼の主張。
「すべてはルイズが自分で決めたことよ。それに私はその在り方が間違ってるとも思わない」
そうしてヘルミーナの脳裏に思い出されたのは、古い記憶。
彼女かつて、封印され禁忌とされた伝説の秘技を用いて、一人のホムンクルスを創造した。
ヘルミーナが十歳の頃である。
彼女はホムンクルスに『クルス』という名を与え、本当の家族のように愛を注いだ。
一緒に街を歩き、風を感じ、木陰で休み、ものを食べ、鳥の囀りを聞き、水の冷たさを感じた。
姉妹のような存在はいたけれど、むしろ彼女はライバルで、ヘルミーナにとっては、自分が作り出したホムンクルスこそが本当の弟のように思えた。
ヘルミーナは本当に、惜しみなく彼に愛を注いだ。
しかし、別離は突然訪れた。
人造生命として創造された彼は、試験管の外では二十日しか生きられなかったのだ。
クルスが動かなくなる直前、二人は最後の、別れの言葉を交わした。
――クルス、思い出、わすれない。
――え?
――たのしい。悲しい。うれしい。さみしい。くるしい。クルスはわすれない。ヘルミーナとの思い出、わすれない。
――ありがとう……。あたしもクルスといっしょにいた時間、忘れない。絶対忘れないよ……。
――おやすみなさい……クルス。さようなら。
忘れてはいない。いや、生涯忘れることはないだろう。
動かなくなった彼を前に、泣くことしかできなかった自分を覚えてる。
彼を作り出したことを後悔した。彼を助けられなかったことを後悔した。
泣いて泣いて、涙が涸れる程に泣いたそのあとに気がついた。
自分にもっと力があれば、こんなことにはならなかったと。
だから私はそのときに決意した。この身のすべてを錬金術に捧げることを。
この悲しみを忘れない。
そして誓ったのだ、この技術を悲しみとともに伝えていこうと。
ヘルミーナは正面に座るルイズを見た。
彼女の在り方は間違っていない。愛するものを忘れず、それを貫こうとする意志は崇高とも思えた。
故に、ヘルミーナはルイズを導く。
自らの錬金術が、人の悲しみを癒やすことができると信じて。
「彼女がそうしたいと望むなら、私は喜んで手を貸すわ」
その答えを聞いたルイズは顔を上げて、しっかとヘルミーナを見返した。
「私は、このまま錬金術の研究を続けたい。そして、いつかサイトを蘇らせたい。今の私が思うことはそれだけよ」
そのルイズの言葉を聞いて、ヘルミーナは小さく微笑みを返した。
出会ったときにヘルミーナの言葉がルイズに届いたのは、同じ痛みを背負ったもの同士の共感かもしれなかった。
もしそうなら、よく似た二人が近い道を歩むことになったのは必然であったのだろう。
「……そうかい。それじゃあ、俺から言うことはもう何もねぇよ」
サイトと心を通じさせたデルフリンガーは、結局最後までルイズと心を通じ合わせることはなく、その言葉を最後に口をつぐんだ。
デルフリンガーの沈黙で話は終わったと判断し、ルイズは席を立った。
続いてヘルミーナも席を立ち、あとに残されたのはテーブルの上の大剣一振りだけ。
先に店の外へ出たルイズとは逆方向へとヘルミーナは歩いて行き、奥にあるカウンターの前で会計を済ませた。
そうしてルイズの待つ外へと出ようとしたところで、ヘルミーナの背中に向かってデルフリンガーから声が投げかけられた。
「あいつのこと、よろしく頼む!」
その言葉にヘルミーナは何も答えず、扉を開けて夜の街へと消えていった。
「なあ相棒、どうしておめぇさんは一人で逝っちまったんだよ……。娘っ子はよぉ、相棒のために大事だった貴族の名誉や大儀まで捨てて、あんなになってまでお前さんを追いかけてるよ。でもよぅ、こんなのがお前さんの望みだったのかよ……答えてくれよ、相棒……」
虚空へと消えたデルフリンガーの言葉に、応えはなかった。
#navi(ヘルミーナとルイズ)
ガリア王国、王都リュティス。
数ある酒場の中でも、中の上といった格付けに入る一軒。
様々な層の平民にお忍びの貴族、まっとうな商売人から人様には言えない仕事に従事するものまで、その客層は多種多様。
そこに旅から帰還したルイズたちの姿があった。
火竜山脈での『竜の舌』採集からは既に四日が経過している。
あれから山を下りて街へ戻った二人はそこで一泊宿をとり、ぐっすり眠ってからリュティスへの帰路についた。
当初はルイズが浴びた竜の血が酷い悪臭を発していたのだが、街に戻り次第それを捨てて新しい服を調達、念入りに湯浴みして香水をつてごまかすこと四日、ようやくその臭いからも解放された。
今ならこうして酒場にいても臭いのせいで目立つということもないだろう。
テーブルを挟んで向かい合っている美女二人。
ちびちびと舐めるようにして酒を飲むルイズと、ゆったりとした動作で時間をかけて杯を呷るヘルミーナ。
別に『祝杯』というわけでもない。
採集へ出かけて帰ってきた日の夜にはこうして酒場に足を向ける、これがこの三年間における二人の日常であった。
二人の錬金術師は現在このリュティスに工房を構えている。
表向きは薬屋として、裏では後ろ暗いマジックアイテムでも用意してみせる何でも屋として。
錬金術というものは何はともあれ金を食う、それがルイズが最初に学んだことだった。
魔法学院をあとにした二人は、道々で適当なアイテムを作ってはそれを売り払いながら路銀を稼ぎ、旅を続けた。
そうして辿り着いたのがガリア王国は王都リュティス。
人口三十万人を誇るハルケギニア随一の大都市、そこに二人は工房を据えることにした。
人が多く活気もある、これは裏を返せばろくでもない人間も多数集まっているということだ。
ヘルミーナとルイズは最初しばらくの間は宿に腰を据えて、こうして酒場に出入りして依頼人を捜すことを繰り返した。
そうやって一月もたつ頃には、街の大通りから一本入った通りに面した一軒家を借りられるくらいに、纏まった金が集まっていた。
この頃になると既にルイズは、錬金術というものが金になると学んでいた。
無事王都リュティスに工房を構えた二人は、今度は必要な機材を集めるための資金集めに奔走した。
昼間は薬屋として、夜は事情を聞かないで不思議なマジックアイテムを作ってくれる便利屋として、酒場ややってきた顧客を通じて積極的に宣伝を行った。
ヘルミーナの予想通りというかなんというか、ルイズがあっけなく感じてしまうほどに、二人の名は瞬く間にリュティスの裏側へと浸透していった。
何より二人にとって何より幸運であったのは、ガリア王国で常に燻っている政争の存在であった。
事情を詮索せずに、金次第ではどんなアイテムでも作ってくれる店。それは彼らにとっては実に歓迎すべき存在であったのだ。
官憲の手がまわりかけたこともあったが、そのうち何度かが勝手に解決されたことになっていたのは、お互いに持ちつ持たれつの関係を築けたという証左だろうか。
そうやって工房を構え、名前が売れてきてからも、ルイズたちは定期的に酒場に顔を出すことを欠かさなかった。
勿論営業努力という面もあったが、二人の本来の目的は金などではないのだから、その真の意味合いは情報収集にあった。
酒場の客や情報屋からえられる情報、そのうちに少しでも興味が引くものがあれば西へ東へ飛び回るのである。
この日も、新たなる情報と仕事の依頼を求めて顔を出していたルイズとヘルミーナだったが、結果は芳しくなかった。
こうなると特にやることもないルイズは酒を飲むことくらいしか時間をつぶす方法がない。
片手にグラスを持って、あまり美味しそうには見えない飲み方でちびちびと酒を舐める。貴族様が好んで飲むような高級ワインではない、平民も口にするような蒸留酒。
ルイズには酒の味は大して分からなかったが、ヘルミーナに言わせると値段の割には悪くないらしい。
手持ち無沙汰になった左手では手にしたネックレスを弄っていた。
アクセサリーのようなそれも、錬金術師としてルイズが制作したものの一つだった。
一見すると菱の形に整えられた黒い水晶、しかしその正体は錘の形の容器に入れられた黒い液体であった。
暗黒水。錬金術によって作られる毒薬の中でもとびっきりの劇薬である。
並の錬金術師には目にかかることすら適わない、大海原のように奥が深い錬金術の中でもかなり難しい部類に入るそれを、自前で作り出せる程にルイズの腕前は上達していた。
元々勉学に関しては得意な方であったルイズは、明確な目的を備えたことで錬金術という学問において目覚ましい成長を遂げていた。
ヘルミーナが言うには「私ほどじゃないにしろ、あなたも十分に天才ね」とのこと。
「あれ……おめぇ、娘っ子、ルイズ! ルイズじゃねぇか!?」
近くから、どこかで聞いたことがあるような声が聞こえた。
幻聴が聞こえるほどには飲んでいない。ルイズは左右を見渡して声の主の姿を探した。
「おい俺だ! 俺だよ! こっちだこっち!」
ルイズがそちらを向くと、隣でテーブルに突っ伏していびきをたて寝ている男の姿が目に入った。
「また、酒弱くなったのかしら」
元来強い方ではなかったのだが、ザルのヘルミーナに付き合っているうちに、多少は飲めるようになったルイズである。
「そっちじゃねぇ! こっちだよ! テーブルの下だ!」
訝しんだルイズがそちらの方を見てみると、そこには一振りの大剣が転がされていた。
ルイズの中で、やや胡乱になっていた記憶のピースがかちりと嵌る。
「あら、お久しぶりね。デルフリンガー」
だらしなくぐーぐーと寝ている傭兵風の男の足下、そこに転がっていたのはかつての使い魔、あの少年の手にあったインテリジェンスソード、デルフリンガーであった。
当時よりも薄汚れて錆が浮いているようだ、つまりは今の持ち主はその程度ということなのだろう。
「こんなところじゃぼちぼち話もできねぇ、ちょっと俺をそっちのテーブルの上に置いてくれよ」
「私から話すことなんて一つもないわ」
冷たく切り捨てるルイズ、だがデルフリンガーは食いついた。
「そんなこと言うなよ。おめぇさんだって、あのあとのことが気になるんじゃねぇのか?」
「興味ないわ」
取り付く島もない様子のルイズに、デルフリンガーはそれでも引き下がらない。
「いいから俺をそっちにあげやがれ! こうして出会ったのはきっと相棒の導きなんだよっ!」
大声をあげたデルフリンガーに、酒場中の注目が集まる。自然とその方角にいた二人にも視線が刺さった。
「話くらい別に構わないじゃない」
ヘルミーナから「あまり目立つことはするな」という意味の台詞。
ルイズは嘆息を一つ漏らし、仕方なくといった手つきでデルフリンガーをテーブルの上へと置いた。
「いやぁ、それにしても久しぶりだな娘っ子!……って、もうそんな歳でもねぇのか。嬢ちゃんって呼んだ方が良いか?」
「別に。呼び方なんて何だって良いわ」
その声を聞くのも不愉快だというふうにそっぽを向いてルイズはグラスの中身を舐めた。
「つれねぇなぁ……以前はもう少し付き合いが良かったぜ」
「そういうあんたは変わりないようね。凄く気に触るわ」
「そりゃあ、俺はインテリジェンスソードだかんね。ちょっとやそっとじゃ変わらねぇよ」
カタカタと柄が鳴る、ルイズはこれがこの剣が笑うときの仕草であったことを思い出した。
「お前さんは……随分と変わったみたいだな」
ルイズはつまらなそうな顔のまま、デルフリンガーの言うことをじっと聞いていた。
遮る声が入らなかったことを続けても構わないと受け取ったのか、デルフリンガーは言葉を続けた。
「背丈も伸びたみたいだし、ぺたんぺたんだった胸もちったあ膨らんだみたいじゃねぇか。何よりそう、……美人になったよ。もしも相棒が生きてりゃ、きっと見惚れてたと思うぜ」
ガシャン という音が響いた。
酒場を満たしていた喧噪がピタリと止み、一瞬の静寂が世界を支配する。
ルイズはこのとき初めて店内に竪琴を奏でている奏者がいることに気がついた。
客たちの視線が視線が一斉に音の方向へと向く。そこにはテーブルにグラスを勢いよく降ろしたルイズの姿。
その表情は先ほどまでと変わらぬ無表情だったが、凍えるような冷たさを秘めたものになっていた。
静けさはいつまでも続かない。水が低いところに流れ落ちるようにして、すぐに人々の発する騒音に飲み込まれ、取って代わられた。
人々はもう先ほどまでの静寂など忘れたように、飲んで唄って馬鹿話に花を咲かせている。
ただ一つ、ルイズたちの座るテーブルのある一角を除いて。
「……悪かったよ。その服で、気づくべきだった」
ルイズの身につけた黒い服、それが喪服であることに気づけなかったのは彼らしくない迂闊であった。
陶器でできた仮面でも被っているように冷たく非人間的な無表情をしたルイズに、デルフリンガーが詫びを入れる。
「……」
「すまねぇ」
デルフリンガーにとって何とも気まずい沈黙が舞い降りた。
何も喋らないルイズであったが、その無言はむしろデルフリンガーに息苦しい重圧となってのしかかる。
厨房で作られた美味しそうな香りを放つ料理を運ぼうとしていた給仕が、避けて通った。
すえたような臭いを放つ平民の酔っぱらい二人組が、そばを横切ろうとして思い直す。
男のいない席で酒を飲んでいる美女二人を見つけた優男が、声をかけようか考えて結局諦めた。
そういったある種の『触れてはいけない空気』の底に、ルイズたちのテーブルは沈み込んでいった。
「辛気くさくていけねぇ! 話題を変えるぜ娘っ子。それで、あのあとのことはちったあ聞いてんのかい?」
耐えかねたのか、わざとらしいほど明るい声でデルフリンガーが次の話題を提供した。結局呼び名は以前のまま『娘っ子』で通すことにしたらしい。
彼なりの気遣いなのだろうが、それすらも今のルイズには気に入らなかった。
「さっきも言ったけど、そんなことに興味はないわ。知らなくたって別に私は困らないもの」
「んじゃそれでも構わねぇよ。俺が勝手に喋る、お前さんはそれを聞く。これでどうだ?」
「……勝手にすれば」
ルイズはテーブルにあった酒瓶を手にとって、中身をグラスへと注いだ。
舐めるようにして飲んでいたはずなのに、いつの間にかグラスの中は空になっていた。
「お前さんたちがいなくなっちまって、学院はもう大騒ぎだったんだぜ。特に姉っ子二人の慌てようったら……」
そう語り始めたデルフリンガーの昔話は、ルイズにとっては知っている事実と、予想できる範囲の出来事の、実につまらない内容であった。
手紙も残さず消えた名家の子女と怪しい女。二人の失踪は役人によって連れの女による誘拐と判断され、即刻トリステイン中にルイズの似顔絵と背格好、連れの女の人相などが書かれた手配書がまわされた。
しかし彼女たちの行方はようとして知れず、有力な手がかりがつかめないまま時間だけが経過した。
その先の春期休暇、夏期休暇にはルイズの学友たち、キュルケ、タバサ、ギーシュ、モンモランシーによって遠隔地や都市を巡る自力による捜索も行われたらしい。
それでも、彼女たちの学院卒業までに集めることができた情報といえば「それらしい人影がガリア方面に向かう馬車に乗った」という目撃証言だけだったそうだ。
そうして一年と少しの時間が過ぎ、ルイズの同窓たちは卒業を迎え、それぞれの進路へ旅立っていった。
エレオノールとキュルケたち、それにコルベールの嘆願でそのままにされていた寮の部屋も、彼女らの卒業と共に片づけられ、今では別の生徒が使っているそうだ。
同時、休学扱いとなっていたルイズの学籍も正式に退学となり、学院にはルイズが在学していたという痕跡は何もなくなった。
書類の上ではルイズの所持品ということになっていたデルフリンガーにはこのとき、エレオノールに引き取られてヴァリエール家の所有になるか、コルベールが身受けして学院の備品となり、引き続き居残るかの選択肢が与えられた。
そして、結局デルフリンガーが選んだのは第三の選択肢。
デルフリンガーはエレオノールに自分を武器屋に売却して欲しいと頼み込んだ。
どこか一カ所に留まるよりも、世界中を行き来する誰かの手に渡れば、もしかすると再びルイズに出会える日が来るかもしれない。
何よりも自分は剣だ、武器だ。屋敷の倉庫や学院の研究室に放置されるのは、自分の在り方じゃない。
例え持ち主を失っても、次の持ち主の手に渡り振るわれることこそが自分の在り様なのだと、デルフリンガーはエレオノールを説得したらしい。
結果、エレオノールはデルフリンガーの言う通りに彼を武器屋へ売却した。
そうして半年、ついに買い手がついたデルフリンガーは、新たな持ち主の剣となった。
その持ち主とやらが、今ルイズたちの隣のテーブルで気持ちよさそうに寝ているこの男らしい。
「それにしても、ガリアにいたってのは驚いたぜ。それに印象も随分変わっててよ、オデレータオデレータ」
黙ってデルフリンガーの話を聞いていたルイズ。先ほど継ぎ足したはずのグラスの中身はもう半分になっていた。
「馬鹿ね。トリステインなんて探し回っても見つかるわけないじゃない」
ルイズはつまらなそうにそう漏らすと、テーブルの上に置かれたアイスペールから、大きめの氷を取り出してグラスに入れた。
この店の目玉は、店からのサービスとして出される『氷』にある。
普通は高級な酒場で貴族が馬鹿みたいな金額を払ってワインを頼んだ際にボトルクーラーに入れられて出てくる氷。それをこの店ではどんな客にでも、平民でも貴族でも、分け隔てなく出しているのだ。
勿論そのための追加の料金などはとらない。他の店と同じ程度の料金で、きちんとした口にできる氷が出てくるのである。
それには当然ながらからくりがある。
この店にあって他の店にないもの、それがルイズたちの作った製氷器の存在である。
錬金術の研究と応用、そして実践。その上でたまたま完成した製氷器、特に自分たちには使い道のないそれを、ヘルミーナの言い分でこの店に売却したのだ。
それ以来、酒場は連日満員御礼。結果としてルイズとヘルミーナは酒場の店長から、様々な面での便宜を図ってもらえるようになったのである。
「まあ、無事で何よりだ。のたれ死んでやいないか心配したんだぜ」
「……ふぅん」
グラスを手元で揺らすと、中で氷が転がって澄んだ音がした。
別に酒が好きというわけでもない。
ただ、酒を飲んで、やがてその後にやってくる酩酊感は嫌いではなかった。
そういう意味においては、今口にしているそれはワインなどよりもよほど適している。
けれど、今日はなんだか気持ちよく酔えそうになかった。
「まあ、お前さんも色々あったみたいやね」
「そう?」
「見てりゃ分かる」
色々あった、と言われてルイズは自嘲気味に笑った。
確かに色々なことがあった、命を狙われたこともあったし死にかけたこともあった。
錬金術の習得はとても楽しいことだったし、自分の作り出したものが何か成果をあげたときは確かに嬉しかった。
けれど、同時に何もかもが空虚だった。
その空虚の中心には常に一人の少年の存在。彼が隣にいないという、ただそれだけのことで何もかもが色あせて感じてしまう。
刹那的な快楽に身を委ねてみるというのも考えたが、そんなことをしても願うものはえられないと分かるほどには理性的であった。
結果、こうして酒をちびちびとやり、忘れた気になるというのが専ら最近のルイズの楽しみと言えた。
「その後、誰か昔の知り合いとは会わなかったか?」
「ん……タバサは見かけたわね。二回ほど」
タバサ、というか彼女の所属する『北花壇騎士団』というものが、ガリアの暗部にあって結構な知名度の組織であった。
ガリア王国の裏側の顔役ともいえるそこに所属するかつての学友は、今ではルイズにとって同じ業界に身を置く近くて遠いお隣さんであった。
「へぇ、あの青髪か。元気してたか?」
「さあ? あっちは私のことに気づいてないようだったし、私は別にあの子のことなんてどうでも良いからね。体調のことなんて分かるわけないわ」
そう言って薄く笑う。
二度ほどニアミスしたことがあるが、お互いはっきりと顔を見たわけではない。ことが済んだあとに北花壇騎士団に所属するタバサという名の騎士だったと知っただけだ。
「変わったなぁ……」
「さっきも聞いたわ」
「いや、本当に変わっちまったんだなぁって思ってよ。ルイズ、昔のお前さんはそんなふうに冷たく笑うことなんてなかったのによ」
これもまた、予想の範囲内の反応。
「変わったですって? いいえ、むしろ何も変わっていないわ。私は昔のまま、何も変わらず進み続けているだけよ」
「何がだよ。何が変わってないって言うんだよ……あの頃、相棒と一緒だった頃のお前さんと、今のお前さんの、どこが同じだって言うんだよ!」
最初は抑えるように、そして最後は溜まっていたものを爆発させるようなデルフリンガーの叫び。
それを聞いてもルイズは揺るがず、惑わず、静かに応えた。
「サイトを愛しているわ」
「……あ?」
「私はまだ、ちゃんとサイトを愛しているわ。あんたたちとは違う、私はサイトを忘れてないしサイトを諦めてもいない。この手で必ずサイトを蘇らせるわ。そして言うの、きちんと伝えるの、好きだって伝えるの」
そう、何も変わっていない。
この気持ちだけは真実。例え時間と共に記憶が風化しても、この気持ちだけは変わらない。
この先、何があっても絶対に失ってやるものか。
「そうか……お前さんの時間は、あのときのまま凍っちまってるんだな」
寂しそうに呟いたデルフリンガーの声は、六千年を生きながら快活であったこの剣とも思えない老けた声色だった。
「そっちの嬢ちゃん、嬢ちゃんはどうなんだい?」
一瞬、誰に話を振ったのかを理解できない。人の姿をしていないとこういうときに困る、そう思いつつヘルミーナが答えた。
「あら、私のことかしら、デルフリンガーさん」
「おうよ。えっと……すまねぇ、まだ名前を聞いてなかったな」
「ヘルミーナよ。お喋りな魔剣さん」
「よせやい、さんなんてつられるとむず痒くて仕方ねぇ。デルフリンガーで構わねぇよ」
自分に話題が振られることは予想外であったが、その程度でヘルミーナは微笑を崩さない。
「それで、一体何がどう、なのかしら?」
「ルイズが、こう思っているってことを、お前さんはどう思うってことだよ」
デルフリンガーの柄がカタカタと何度も音をたる、それはまるで感情の高ぶりを暗に主張しているようでもある。
「お前さんはこの三年、この娘っ子と一緒だったんだろ。だったら今を一番分かってるのはお前さんのはずだ。そのお前さんから見てどう思うか、俺はそれを聞きてぇって言ってんだよっ」
最後の方は紛れもなく激昂が含まれていた。
デルフリンガーの怒り。
どうしてルイズがこんなふうになってしまったのか、止められたはずだ、導けたはずだという彼の主張。
「すべてはルイズが自分で決めたことよ。それに私はその在り方が間違ってるとも思わない」
そうしてヘルミーナの脳裏に思い出されたのは、古い記憶。
彼女かつて、封印され禁忌とされた伝説の秘技を用いて、一人のホムンクルスを創造した。
ヘルミーナが十歳の頃である。
彼女はホムンクルスに『クルス』という名を与え、本当の家族のように愛を注いだ。
一緒に街を歩き、風を感じ、木陰で休み、ものを食べ、鳥の囀りを聞き、水の冷たさを感じた。
姉妹のような存在はいたけれど、むしろ彼女はライバルで、ヘルミーナにとっては、自分が作り出したホムンクルスこそが本当の弟のように思えた。
ヘルミーナは本当に、惜しみなく彼に愛を注いだ。
しかし、別離は突然訪れた。
人造生命として創造された彼は、試験管の外では二十日しか生きられなかったのだ。
クルスが動かなくなる直前、二人は最後の、別れの言葉を交わした。
――クルス、思い出、わすれない。
――え?
――たのしい。悲しい。うれしい。さみしい。くるしい。クルスはわすれない。ヘルミーナとの思い出、わすれない。
――ありがとう……。あたしもクルスといっしょにいた時間、忘れない。絶対忘れないよ……。
――おやすみなさい……クルス。さようなら。
忘れてはいない。いや、生涯忘れることはないだろう。
動かなくなった彼を前に、泣くことしかできなかった自分を覚えてる。
彼を作り出したことを後悔した。彼を助けられなかったことを後悔した。
泣いて泣いて、涙が涸れる程に泣いたそのあとに気がついた。
自分にもっと力があれば、こんなことにはならなかったと。
だから私はそのときに決意した。この身のすべてを錬金術に捧げることを。
この悲しみを忘れない。
そして誓ったのだ、この技術を悲しみとともに伝えていこうと。
ヘルミーナは正面に座るルイズを見た。
彼女の在り方は間違っていない。愛するものを忘れず、それを貫こうとする意志は崇高とも思えた。
故に、ヘルミーナはルイズを導く。
自らの錬金術が、人の悲しみを癒やすことができると信じて。
「彼女がそうしたいと望むなら、私は喜んで手を貸すわ」
その答えを聞いたルイズは顔を上げて、しっかとヘルミーナを見返した。
「私は、このまま錬金術の研究を続けたい。そして、いつかサイトを蘇らせたい。今の私が思うことはそれだけよ」
そのルイズの言葉を聞いて、ヘルミーナは小さく微笑みを返した。
出会ったときにヘルミーナの言葉がルイズに届いたのは、同じ痛みを背負ったもの同士の共感かもしれなかった。
もしそうなら、よく似た二人が近い道を歩むことになったのは必然であったのだろう。
「……そうかい。それじゃあ、俺から言うことはもう何もねぇよ」
サイトと心を通じさせたデルフリンガーは、結局最後までルイズと心を通じ合わせることはなく、その言葉を最後に口をつぐんだ。
デルフリンガーの沈黙で話は終わったと判断し、ルイズは席を立った。
続いてヘルミーナも席を立ち、あとに残されたのはテーブルの上の大剣一振りだけ。
先に店の外へ出たルイズとは逆方向へとヘルミーナは歩いて行き、奥にあるカウンターの前で会計を済ませた。
そうしてルイズの待つ外へと出ようとしたところで、ヘルミーナの背中に向かってデルフリンガーから声が投げかけられた。
「あいつのこと、よろしく頼む!」
その言葉にヘルミーナは何も答えず、扉を開けて夜の街へと消えていった。
「なあ相棒、どうしておめぇさんは一人で逝っちまったんだよ……。娘っ子はよぉ、相棒のために大事だった貴族の名誉や大儀まで捨てて、あんなになってまでお前さんを追いかけてるよ。でもよぅ、こんなのがお前さんの望みだったのかよ……答えてくれよ、相棒……」
虚空へと消えたデルフリンガーの言葉に、応えはなかった。
#navi(ヘルミーナとルイズ)
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