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第4話:「Ready! Lady Magician!! 」
トリステイン魔法学院の長であるオスマンは、常ならば好々爺然としている顔付きに似つかわしくないほどの厳しい表情で目の前のコルベールの報告を受けていた。
ゆっくりと、ひとつの単語を呟く。
ガンダールヴ。
このハルキゲニアにおいて、知らぬ者のない魔法の始祖が用いた使い魔の称号である。
あらゆる武具や兵器を使いこなし、あらゆる難から始祖ブリミルを守り抜いたとされる。主人の呪文詠唱の時間を守るために特化された使い魔だったという。
千もの軍隊をたった一人で壊滅させ、並のメイジでは歯も立たなかった最強の使い魔。
その証であるルーンが、この学院において無能の代名詞であるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが契約した使い魔に刻まれたのだとコルベールは告げたのだった。
「ふうむ、たしかによく似ておる…………というか同一じゃなあ」
オスマンはコルベールが書き写した使い魔のルーンのスケッチと、古文書に記されたガンダールヴのルーンを見比べた。
嘆息と共に、磨きぬかれた重厚な木材のデスクの上に二つの書類を滑らせる。
二つの紙面に記されたルーンはまったくの相似であった。
もう一度息を吐く。学院長の座に収まってから長いが、これほどまでに重い溜息を洩らしたのは久方ぶりであった。
「コルベール君、ミス・ヴァリエールが召喚した使い魔というのは……いったいどういう?」
「ゴーレムです。巨大ですが、朽ち果てかけた」
「ほう、広場に陣取っておるあの迷惑な」
ヴェストリの広場に佇むゴーレムをちらりとオスマンは思い浮かべた。確かに巨大で、強大な威圧感を放つ外見だが、それは最早過去のなごりに過ぎぬように思えた。
錆にまみれ、罅入り、強い風が吹くだけで表面の装甲がはらはらと舞うゴーレムに、伝説にある使い魔の働きが出来るとは想像することすらできなかった。
「メイジの力量を見るにはその使い魔を見よと言う。才能のないメイジがガラクタを呼び寄せたというのならばまあよい。よいが――――刻まれたルーンが問題じゃな」
「いかがいたしますか。やはり王室に報告を?」
「……それはいかん、な」
オスマンは長い髭を揺らして首を振った。情報が少なすぎた。不可解な部分が多すぎた。
あのゴーレムは伝説の使い魔『かもしれない』。
あのゴーレムに刻まれたルーンはガンダールヴ『かもしれない』。
たったそれだけの判断材料で、己の管理する学院の生徒を政治的怪物のひしめく薄暗い世界へ引き渡すことは、彼が培ってきた教育者としての自尊が許さなかった。
「中には良識ある人物もおるかもしれんがの。政治遊びに耽っているアホウどもに渡してみい、喜び勇んでどこぞの国に戦を仕掛けるじゃろうて」
戦、とコルベールは無意識のまま復唱した。
彼の心中を何かが通り抜けた。それはいまだ血を流し続ける彼の傷を無造作に押し広げ、昏い嘲笑の残響と共に闇に飲まれていった。
血の色をした炎が意識を焦がす。
「…………しかし、それは杞憂では。仮に本当にガンダールヴだとしても、壊れかけのゴーレムですぞ」
「名分じゃよ、名分。それさえ立てばあとはどうでもよい」
僅かに震えるコルベールの拳から目を逸らし、オスマンはそう言った。
「始祖ブリミルの使い魔がこのトリステインに再び現れた!
この戦は始祖の求めた正義の戦である。異を唱えるものこそ利敵行為に走った裏切り者である――――と、この程度の口上くらいはワシでも想像できるわい」
こつこつとデスクを手の甲で打ちながらオスマンは片目を細めた。髭に隠れた口元は、盛大に嘲りの形に歪められているのだろう。
その時、ドアがノックされた。
オスマンの誰何に返答した声の持ち主は、彼の秘書であるロングビルである。
元々は町の酒場で給仕をしていたという、この学院の職員では異色の経歴を持つ人物であった。
とはいえその働きぶりは実に有能で、彼女がいなければ学院長の処理能力は二段落ちるとまで言われている。
ロングビルのどこか妖艶な匂いを漂わせる声がドア越しに入り込む。
「ヴェストリの広場で決闘まがいの騒ぎを起こしている生徒がいるようで、大騒ぎになっています。
止めに入った教師もいましたが、他の生徒達に邪魔されて止められないようです」
ロングビルの言葉にオスマンはがくんと肩を落とした。忌々しげに舌を打つ。
「戦争の話をしているそばからこれか。暴れているのは誰だね、ミス・ロングビル」
「一人はギーシュ・ド・グラモン。決闘を持ちかけたのはこちらのようで」
「あの莫迦の莫迦息子か…………おおかた下らないことで頭に血が昇っておるんじゃろうなあ。して、もうひとりは?」
「…………ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールですわ」
前を向いていたコルベールが思わず振り向き、オスマンが肩どころか顎まで落とした。
「こ、公爵家の娘と決闘騒ぎを起こしとるんか!」
「決闘ではなく、ただの喧嘩――というのが生徒達の言い分です」
「ぬう……浅知恵のついた子供ほどタチの悪いもんはないのう」
ヴァリエール家とは古くは王家と血による繋がりを持つほどの名門中の名門であり、その影響力は計り知れない。
そこの娘に決闘を申し込んだとするならばこれは大問題である。が、ただの子供の喧嘩ということならば、扱いとしては学院所属の生徒同士の揉め事となるはずではあった。
「――――アホか。変わりゃせんわい、むしろ悪い」
自らの思考を罵倒してオスマンは立ち上がった。
万が一ルイズが怪我でも負えばヴァリエール家が黙ってはいまい。
誇りを賭けた決闘での負傷ということならば敗北した側は何も言えないが、ただの喧嘩ということならば話は違う。泥沼である。
些細な子供の喧嘩が、名門貴族同士の全面対決の呼び水になりかねないのがこのトリステイン魔法学院という場所なのだった。
ロングビルの声が続く。
「『眠りの鐘』の用意は他の教師が進めております。学院長からの許可をいただけないでしょうか」
「許可する。なんとか大事になる前に使用してくれたまえ」
了承を得たロングビルは身を翻したらしかった。急ぎ足の足音が遠ざかっていく。
コルベールとオスマンはちらりと眼を合わせた。それだけでオスマンはこくりと頷き、取り出した杖を振るう。
壁に掛けられた姿見が映し出すものが変容し、そこにはヴェストリの広場の光景が現れた。
■□■□■□
どうやら詠唱が長ければ長いほど『失敗』の威力は大きいようだ、ということをルイズはこの決闘の中で把握した。
口の中で素早く正確に、己の知る限りで最長の呪文を唱えながらルイズは走った。同時に極限にまで精神を集中させる。
そこに淀みはない。
当たり前だ。
何度も、何度も繰り返してきたことなのだから。
毎日、毎日繰り返してきた。明日こそ魔法が使えるようにと。いつか魔法が使えるようにと。いつ魔法が使えるようになっても困らないようにと。
ただ一つだけ違うのは、望んで『失敗する』という明確な意識。
ルイズの加速された思考が奔る。わたしには燃え盛る火が扱えない。わたしには囁く水が扱えない。わたしには逆巻く風が扱えない。わたしには唸る大地が扱えない。
「――――それが、なんだっていうのよッ!」
歓喜に近い表情でルイズは杖を振り下ろした。四体目のワルキューレが弾け飛んで人垣の中へと転がっていく。撒き散らされた青銅の欠片が陽光に煌いた。
戦えている。それが彼女の精神を高い空の果てまで押し上げていた。今ならふたつの月にすら手が届くと思った。
戦えている。わたしは戦えている。わたしは守るために戦えている。わたしはわたしに優しくしてくれた人を守るために戦えている。わたしはかつてそうあれと願ったように戦えている。
今のわたしは、『わたし』に成れている。
自分自身の生み出した爆風にルイズは自らも後ろに転がった。その痛みすら心地良かった。形容できぬ何かが彼女を衝き動かしていた。
跳ね上がるように身を起こすと、ルイズは土埃すら払わずに身構えた。踊るように指先が空を伝い、掌の中の杖がくるりと廻る。
加熱され放電しそうなほど熱を生む脳髄。ゼロ抵抗の絶対零度にまで研ぎ澄まされた精神。
今まさに産まれ落ちた幼子のように、全身が自らの存在をあらゆるものに吼えていた。
「さあ次ッ! 次、次よギーシュ・ド・グラモンッ!!」
呆然とした表情は変わらず、彼女の敵対手であるギーシュはほぼ自動的なまでの動きで再び杖を振るった。
そこから舞い落ちた花びらは、彼の錬金により新たなワルキューレとなる。
ルイズもそれに合わせ、熟練した魔導師ですら羨むような堂々たる詠唱を口訣に乗せ紡いだ。
その場の誰もが己の認識能力を疑っていた。火の秘薬すら用いずにトライアングルクラスのメイジに匹敵する爆炎を生み出しているのが、『あの』ゼロのルイズなのかと。
■□■□■□
「――――あの子、本気出すと怖いのねえ」
決闘の場から程近い館棟の屋根で、キュルケは両目と唇を仲良く丸くしてぽかんと呟いた。傍らには友人であるタバサと、彼女達をこの屋根まで乗せてきたタバサの使い魔であるウインドドラゴンが並んでいる。
タバサは手元の本を読みながら無言でこくりと頷いた。我関せずの態度ではあったが、時折ちらちらと視線をルイズに向けている。普段の彼女からしてみればその態度はおおいに興味をそそられている状態と言ってよかった。
シルフィードと名付けられたタバサの風竜はそれとはまったく対照的に、きゅいきゅいと鳴き声をあげながら下で繰り広げられている派手な騒ぎに見入っている。ばさばさとその翼を震わせて随分と機嫌が良さそうであった。
「しかしあのルイズがねえ……ふふん、ふふ。ふふふふふ」
「楽しそう」
爆音と爆音と爆音と爆音をBGMに、拍子付けるように笑みともハミングとも取れる囁きを洩らしていたキュルケは、ぽつりと隣で呟かれたタバサの言葉に首をかしげた。
「あら。あたし、楽しそうかしら」
「とても」
ふうん、とキュルケは頷いた。否定はなかった。
楽しいのかしら、あの子の決闘が、このあたしは。
「…………ふふ」
きっと楽しいのだろう。触れて確かめてみた自分の顔がこの上なくにやけているのが解った。それさえ解れば十分だった。何かを楽しむことに理屈はいらない。
タバサは微かに眉をひそめた。
「ヴァリエールのことが嫌いだと思っていた」
「――え? もちろん嫌いよ、大ッ嫌い」
「……………………?」
友人の返答が意外だったのか、タバサは本の頁から眼を離した。よくわからなかった。嫌う者の活躍を喜ぶとはいったいどういうことなのか。
その視線に気付かなかったのか、あえて無視したのか、それとも彼女自身答えを持ち得ていなかったのか、キュルケは身を乗り出すように両手をついて下界の争いを覗き込んだ。
タバサはそんなキュルケをしばらく見つめたあと、ぱたんと本を閉じた。跳馬のように昂ぶり躍るルイズを遠目に認め、彼女は無言のまま決闘の決着までを見届けることにした。
知りたかった。そもそも自分が何を知りたがっているのかすら解らなかったが、それでも知りたかった。
ルイズのあの背中に、その答えがあるのなら。
■□■□■□
ギーシュは己の杖を持つ手が震えていることをようやく自覚した。
都合八体目のゴーレムの砕けた破片が頬をかすめ飛び、浅く肌を裂く。
もう一度杖を振り上げようとした腕が止まり、緩やかに垂らされた。
「あら、降参かしらギーシュ。わたしはまだまだいけるわよッ!」
荒い息を吐き、汗に濡れた頬を興奮に赤く染めながらルイズが問うた。さほど体力があるわけでもない彼女だったが、この高揚した精神状態では何ほどのものでもなかった。
ぶんぶんと杖を振り回し、完全に「バッチこーい!」態勢である。最早決闘だの誇りだのという意識は薄く、競い合うような健全な清々しさすらあった。得な性分であった。
そんなルイズの様子をギーシュは見つめた。ルイズという少女を初めて直視したような気がした。気の抜けたような笑みが漏れた。
「いいや、僕もまだまだいけるさ。少なくとも君よりは」
「あら、言うわね」
「事実だ」
彼の錬金は起動するためにこそ魔力を使うが、ワルキューレそのものは半自立である。ゴーレムが発現したあとは指示を飛ばすだけで精神力の負担は軽い。
対してルイズは常に位置取りに意識を振り分け、走り回り、同時に魔法の発現のために精神を集中しなければならない。事実、ギーシュは決闘が始まった場所から未だに一歩たりとも動いていなかった。
彼我の余力は絶対的な差であった。
だがそれだけでは彼女に打ち勝つことはできぬように思えた。相手の心まで折らぬようでは、貴族の決闘とは呼べない。
ギーシュはゆっくりと杖を掲げ、厳かに突きつけた。延長上にあるのはルイズの喉元であった。
「まずは侮りを詫びたい、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
――――君に、改めて決闘を申し込もう」
ルイズはにこりとした。ひどく魅力的な笑みだった。まだ彼女にとって世界が厳しくなかった頃に浮かべていた笑みだった。
「かまわないけれど。
いったい、なにを賭けて?」
ギーシュはにこりとした。ひどく魅力的な笑みだった。彼らしく気障で、彼らしく甘い微笑だった。
「さて、それが旨く思いつかない。この決闘に賭けることができるほど価値のあるものを、僕はまだ持っていないような気がするのだよ」
「それでいいわ」
「なに?」
ルイズは高々と杖を掲げ、びしりと突きつけた。延長上にあるものはギーシュの心臓であった。
「いつかこの決闘に相応しいものを手に入れたとき、それをわたしに寄越しなさい」
「なるほど。だがね、それは君も同じ条件だぞ?」
「ふふ」「はは」
ふたりは笑みに近い表情を浮かべた。
同時に杖を横に振りぬき、逆袈裟に切り上げ、天に掲げる。
貴族の決闘の始まりを告げる由緒正しい作法であった。
「乗ったぁぁぁぁぁぁッ!」
「――――感謝するッ!」
ルイズが吼え、ギーシュが応えた。
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第4話:「Ready! Lady Magician!! 」
トリステイン魔法学院の長であるオスマンは、常ならば好々爺然としている顔付きに似つかわしくないほどの厳しい表情で目の前のコルベールの報告を受けていた。
ゆっくりと、ひとつの単語を呟く。
ガンダールヴ。
このハルケギニアにおいて、知らぬ者のない魔法の始祖が用いた使い魔の称号である。
あらゆる武具や兵器を使いこなし、あらゆる難から始祖ブリミルを守り抜いたとされる。主人の呪文詠唱の時間を守るために特化された使い魔だったという。
千もの軍隊をたった一人で壊滅させ、並のメイジでは歯も立たなかった最強の使い魔。
その証であるルーンが、この学院において無能の代名詞であるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが契約した使い魔に刻まれたのだとコルベールは告げたのだった。
「ふうむ、たしかによく似ておる…………というか同一じゃなあ」
オスマンはコルベールが書き写した使い魔のルーンのスケッチと、古文書に記されたガンダールヴのルーンを見比べた。
嘆息と共に、磨きぬかれた重厚な木材のデスクの上に二つの書類を滑らせる。
二つの紙面に記されたルーンはまったくの相似であった。
もう一度息を吐く。学院長の座に収まってから長いが、これほどまでに重い溜息を洩らしたのは久方ぶりであった。
「コルベール君、ミス・ヴァリエールが召喚した使い魔というのは……いったいどういう?」
「ゴーレムです。巨大ですが、朽ち果てかけた」
「ほう、広場に陣取っておるあの迷惑な」
ヴェストリの広場に佇むゴーレムをちらりとオスマンは思い浮かべた。確かに巨大で、強大な威圧感を放つ外見だが、それは最早過去のなごりに過ぎぬように思えた。
錆にまみれ、罅入り、強い風が吹くだけで表面の装甲がはらはらと舞うゴーレムに、伝説にある使い魔の働きが出来るとは想像することすらできなかった。
「メイジの力量を見るにはその使い魔を見よと言う。才能のないメイジがガラクタを呼び寄せたというのならばまあよい。よいが――――刻まれたルーンが問題じゃな」
「いかがいたしますか。やはり王室に報告を?」
「……それはいかん、な」
オスマンは長い髭を揺らして首を振った。情報が少なすぎた。不可解な部分が多すぎた。
あのゴーレムは伝説の使い魔『かもしれない』。
あのゴーレムに刻まれたルーンはガンダールヴ『かもしれない』。
たったそれだけの判断材料で、己の管理する学院の生徒を政治的怪物のひしめく薄暗い世界へ引き渡すことは、彼が培ってきた教育者としての自尊が許さなかった。
「中には良識ある人物もおるかもしれんがの。政治遊びに耽っているアホウどもに渡してみい、喜び勇んでどこぞの国に戦を仕掛けるじゃろうて」
戦、とコルベールは無意識のまま復唱した。
彼の心中を何かが通り抜けた。それはいまだ血を流し続ける彼の傷を無造作に押し広げ、昏い嘲笑の残響と共に闇に飲まれていった。
血の色をした炎が意識を焦がす。
「…………しかし、それは杞憂では。仮に本当にガンダールヴだとしても、壊れかけのゴーレムですぞ」
「名分じゃよ、名分。それさえ立てばあとはどうでもよい」
僅かに震えるコルベールの拳から目を逸らし、オスマンはそう言った。
「始祖ブリミルの使い魔がこのトリステインに再び現れた!
この戦は始祖の求めた正義の戦である。異を唱えるものこそ利敵行為に走った裏切り者である――――と、この程度の口上くらいはワシでも想像できるわい」
こつこつとデスクを手の甲で打ちながらオスマンは片目を細めた。髭に隠れた口元は、盛大に嘲りの形に歪められているのだろう。
その時、ドアがノックされた。
オスマンの誰何に返答した声の持ち主は、彼の秘書であるロングビルである。
元々は町の酒場で給仕をしていたという、この学院の職員では異色の経歴を持つ人物であった。
とはいえその働きぶりは実に有能で、彼女がいなければ学院長の処理能力は二段落ちるとまで言われている。
ロングビルのどこか妖艶な匂いを漂わせる声がドア越しに入り込む。
「ヴェストリの広場で決闘まがいの騒ぎを起こしている生徒がいるようで、大騒ぎになっています。
止めに入った教師もいましたが、他の生徒達に邪魔されて止められないようです」
ロングビルの言葉にオスマンはがくんと肩を落とした。忌々しげに舌を打つ。
「戦争の話をしているそばからこれか。暴れているのは誰だね、ミス・ロングビル」
「一人はギーシュ・ド・グラモン。決闘を持ちかけたのはこちらのようで」
「あの莫迦の莫迦息子か…………おおかた下らないことで頭に血が昇っておるんじゃろうなあ。して、もうひとりは?」
「…………ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールですわ」
前を向いていたコルベールが思わず振り向き、オスマンが肩どころか顎まで落とした。
「こ、公爵家の娘と決闘騒ぎを起こしとるんか!」
「決闘ではなく、ただの喧嘩――というのが生徒達の言い分です」
「ぬう……浅知恵のついた子供ほどタチの悪いもんはないのう」
ヴァリエール家とは古くは王家と血による繋がりを持つほどの名門中の名門であり、その影響力は計り知れない。
そこの娘に決闘を申し込んだとするならばこれは大問題である。が、ただの子供の喧嘩ということならば、扱いとしては学院所属の生徒同士の揉め事となるはずではあった。
「――――アホか。変わりゃせんわい、むしろ悪い」
自らの思考を罵倒してオスマンは立ち上がった。
万が一ルイズが怪我でも負えばヴァリエール家が黙ってはいまい。
誇りを賭けた決闘での負傷ということならば敗北した側は何も言えないが、ただの喧嘩ということならば話は違う。泥沼である。
些細な子供の喧嘩が、名門貴族同士の全面対決の呼び水になりかねないのがこのトリステイン魔法学院という場所なのだった。
ロングビルの声が続く。
「『眠りの鐘』の用意は他の教師が進めております。学院長からの許可をいただけないでしょうか」
「許可する。なんとか大事になる前に使用してくれたまえ」
了承を得たロングビルは身を翻したらしかった。急ぎ足の足音が遠ざかっていく。
コルベールとオスマンはちらりと眼を合わせた。それだけでオスマンはこくりと頷き、取り出した杖を振るう。
壁に掛けられた姿見が映し出すものが変容し、そこにはヴェストリの広場の光景が現れた。
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どうやら詠唱が長ければ長いほど『失敗』の威力は大きいようだ、ということをルイズはこの決闘の中で把握した。
口の中で素早く正確に、己の知る限りで最長の呪文を唱えながらルイズは走った。同時に極限にまで精神を集中させる。
そこに淀みはない。
当たり前だ。
何度も、何度も繰り返してきたことなのだから。
毎日、毎日繰り返してきた。明日こそ魔法が使えるようにと。いつか魔法が使えるようにと。いつ魔法が使えるようになっても困らないようにと。
ただ一つだけ違うのは、望んで『失敗する』という明確な意識。
ルイズの加速された思考が奔る。わたしには燃え盛る火が扱えない。わたしには囁く水が扱えない。わたしには逆巻く風が扱えない。わたしには唸る大地が扱えない。
「――――それが、なんだっていうのよッ!」
歓喜に近い表情でルイズは杖を振り下ろした。四体目のワルキューレが弾け飛んで人垣の中へと転がっていく。撒き散らされた青銅の欠片が陽光に煌いた。
戦えている。それが彼女の精神を高い空の果てまで押し上げていた。今ならふたつの月にすら手が届くと思った。
戦えている。わたしは戦えている。わたしは守るために戦えている。わたしはわたしに優しくしてくれた人を守るために戦えている。わたしはかつてそうあれと願ったように戦えている。
今のわたしは、『わたし』に成れている。
自分自身の生み出した爆風にルイズは自らも後ろに転がった。その痛みすら心地良かった。形容できぬ何かが彼女を衝き動かしていた。
跳ね上がるように身を起こすと、ルイズは土埃すら払わずに身構えた。踊るように指先が空を伝い、掌の中の杖がくるりと廻る。
加熱され放電しそうなほど熱を生む脳髄。ゼロ抵抗の絶対零度にまで研ぎ澄まされた精神。
今まさに産まれ落ちた幼子のように、全身が自らの存在をあらゆるものに吼えていた。
「さあ次ッ! 次、次よギーシュ・ド・グラモンッ!!」
呆然とした表情は変わらず、彼女の敵対手であるギーシュはほぼ自動的なまでの動きで再び杖を振るった。
そこから舞い落ちた花びらは、彼の錬金により新たなワルキューレとなる。
ルイズもそれに合わせ、熟練した魔導師ですら羨むような堂々たる詠唱を口訣に乗せ紡いだ。
その場の誰もが己の認識能力を疑っていた。火の秘薬すら用いずにトライアングルクラスのメイジに匹敵する爆炎を生み出しているのが、『あの』ゼロのルイズなのかと。
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「――――あの子、本気出すと怖いのねえ」
決闘の場から程近い館棟の屋根で、キュルケは両目と唇を仲良く丸くしてぽかんと呟いた。傍らには友人であるタバサと、彼女達をこの屋根まで乗せてきたタバサの使い魔であるウインドドラゴンが並んでいる。
タバサは手元の本を読みながら無言でこくりと頷いた。我関せずの態度ではあったが、時折ちらちらと視線をルイズに向けている。普段の彼女からしてみればその態度はおおいに興味をそそられている状態と言ってよかった。
シルフィードと名付けられたタバサの風竜はそれとはまったく対照的に、きゅいきゅいと鳴き声をあげながら下で繰り広げられている派手な騒ぎに見入っている。ばさばさとその翼を震わせて随分と機嫌が良さそうであった。
「しかしあのルイズがねえ……ふふん、ふふ。ふふふふふ」
「楽しそう」
爆音と爆音と爆音と爆音をBGMに、拍子付けるように笑みともハミングとも取れる囁きを洩らしていたキュルケは、ぽつりと隣で呟かれたタバサの言葉に首をかしげた。
「あら。あたし、楽しそうかしら」
「とても」
ふうん、とキュルケは頷いた。否定はなかった。
楽しいのかしら、あの子の決闘が、このあたしは。
「…………ふふ」
きっと楽しいのだろう。触れて確かめてみた自分の顔がこの上なくにやけているのが解った。それさえ解れば十分だった。何かを楽しむことに理屈はいらない。
タバサは微かに眉をひそめた。
「ヴァリエールのことが嫌いだと思っていた」
「――え? もちろん嫌いよ、大ッ嫌い」
「……………………?」
友人の返答が意外だったのか、タバサは本の頁から眼を離した。よくわからなかった。嫌う者の活躍を喜ぶとはいったいどういうことなのか。
その視線に気付かなかったのか、あえて無視したのか、それとも彼女自身答えを持ち得ていなかったのか、キュルケは身を乗り出すように両手をついて下界の争いを覗き込んだ。
タバサはそんなキュルケをしばらく見つめたあと、ぱたんと本を閉じた。跳馬のように昂ぶり躍るルイズを遠目に認め、彼女は無言のまま決闘の決着までを見届けることにした。
知りたかった。そもそも自分が何を知りたがっているのかすら解らなかったが、それでも知りたかった。
ルイズのあの背中に、その答えがあるのなら。
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ギーシュは己の杖を持つ手が震えていることをようやく自覚した。
都合八体目のゴーレムの砕けた破片が頬をかすめ飛び、浅く肌を裂く。
もう一度杖を振り上げようとした腕が止まり、緩やかに垂らされた。
「あら、降参かしらギーシュ。わたしはまだまだいけるわよッ!」
荒い息を吐き、汗に濡れた頬を興奮に赤く染めながらルイズが問うた。さほど体力があるわけでもない彼女だったが、この高揚した精神状態では何ほどのものでもなかった。
ぶんぶんと杖を振り回し、完全に「バッチこーい!」態勢である。最早決闘だの誇りだのという意識は薄く、競い合うような健全な清々しさすらあった。得な性分であった。
そんなルイズの様子をギーシュは見つめた。ルイズという少女を初めて直視したような気がした。気の抜けたような笑みが漏れた。
「いいや、僕もまだまだいけるさ。少なくとも君よりは」
「あら、言うわね」
「事実だ」
彼の錬金は起動するためにこそ魔力を使うが、ワルキューレそのものは半自立である。ゴーレムが発現したあとは指示を飛ばすだけで精神力の負担は軽い。
対してルイズは常に位置取りに意識を振り分け、走り回り、同時に魔法の発現のために精神を集中しなければならない。事実、ギーシュは決闘が始まった場所から未だに一歩たりとも動いていなかった。
彼我の余力は絶対的な差であった。
だがそれだけでは彼女に打ち勝つことはできぬように思えた。相手の心まで折らぬようでは、貴族の決闘とは呼べない。
ギーシュはゆっくりと杖を掲げ、厳かに突きつけた。延長上にあるのはルイズの喉元であった。
「まずは侮りを詫びたい、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
――――君に、改めて決闘を申し込もう」
ルイズはにこりとした。ひどく魅力的な笑みだった。まだ彼女にとって世界が厳しくなかった頃に浮かべていた笑みだった。
「かまわないけれど。
いったい、なにを賭けて?」
ギーシュはにこりとした。ひどく魅力的な笑みだった。彼らしく気障で、彼らしく甘い微笑だった。
「さて、それが旨く思いつかない。この決闘に賭けることができるほど価値のあるものを、僕はまだ持っていないような気がするのだよ」
「それでいいわ」
「なに?」
ルイズは高々と杖を掲げ、びしりと突きつけた。延長上にあるものはギーシュの心臓であった。
「いつかこの決闘に相応しいものを手に入れたとき、それをわたしに寄越しなさい」
「なるほど。だがね、それは君も同じ条件だぞ?」
「ふふ」「はは」
ふたりは笑みに近い表情を浮かべた。
同時に杖を横に振りぬき、逆袈裟に切り上げ、天に掲げる。
貴族の決闘の始まりを告げる由緒正しい作法であった。
「乗ったぁぁぁぁぁぁッ!」
「――――感謝するッ!」
ルイズが吼え、ギーシュが応えた。
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