「ゼロと竜騎士-7」(2007/07/31 (火) 13:52:29) の最新版変更点
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所は移って昼休みの食堂。
ルイズにしてみれば謎の納得とともに謎の行動に移ったキュルケではあるが、その顔は大真面目だった。
引きずられるように連れて来られた食堂で、今ルイズの目の前にはメガネを掛けたキュルケがうっふん、女教師風に佇んでいる。
「それではこれより、キュルケ先生が教える『ゼロから始める男の口説き方講座』を開講するわよ!」
その宣誓にルイズの頬が引きつった。
訂正しよう、そこまで真面目でもないかもしれない。
いやいや、キュルケにしたところで本人は真面目にやっているつもりなのだ。
ただ、ひたすら真面目なだけでは面白くないし、どうせなら自分も楽しみながらやろうと思っているだけである。
(落ち着け私、わざとやってるわけではないはずよ……!)
ゼロの部分に過剰反応しながら、ふと隣を見ればいつの間にかルイズの隣にはタバサが腰掛けて、キュルケの方をじっと見ていた。
思わず声を掛ける。
「タバサ? 意外ね、あなたのああいうの興味あるの?」
女教師ルックでノリノリのキュルケを指差す。
が、タバサはゆるゆると首を横に振った。
「メガネ、盗られた」
「ん、あ、ああ……なるほどね」
見ればなるほど、確かに今のタバサはメガネを掛けていない。
メガネを掛けていないタバサというのも新鮮だが、対してメガネを掛けたキュルケというのも新鮮といえば新鮮だった。
もっとも、そのメガネが妙に似合っていて、何故か色っぽい雰囲気になっているのがルイズには微妙に癪に触るのだが。
「はいそこ! 無駄話はやめなさい!」
メガネの縁を人差し指で押し上げながらズビシィ! とこちらを指してくる。
それにしてもあの指示棒はどこから持ってきたのだろうか。
ルイズは半ば以上げんなりとした気持ちでそれを見ていた。
そして思うのだ。
(というか、なんで私ってばわざわざこんな茶番につきあってあげてるのかしら?)
まぁ確かに、ビュウと打ち解けるという大目標を達成するに当たって、自分の経験値に基づく行動力だけではもしかしたら、万が一の可能性として、その、無理があるかもしれない、と思ってはいた。
しかしそれでも自分だけの力で頑張ろうと決意したのはほんの昨晩のことであり、昨日の今日で余人に助けを求めてしまうというのは情けないにも程がある。
しかもその余人というのが仇敵ツェルプストーとあっては尚更だ。
かといって何か妙な使命感にでも火がついたような今のキュルケをどうやって制したらいいのか分からない。
魔法の使い方が分からない。
ビュウとの付き合い方が分からない。
目の前のキュルケをどうにかする方法も分からない。
分からないだらけで自分が本当に嫌になる。
ガタリ、と音を立ててルイズの右隣の席の椅子が引かれたのはそんなときだ。
タバサ? と思いながらそちらを向くも、タバサが座っていたのは確か左隣だったはず。
見れば、まだ少し幼さを残した少女がそこに座っていた。
誰だったか、確か一つ年下の下級生だったように思うのだが。
その少女はキュルケの方をまっすぐ見据えて高々と挙手をした。
「ミス・ツェルプストー! よろしければその講義、わたしも聴講させてください!」
「え? まぁ聞きたいって言うなら好きにしたらいいけど……あなた、確かケティだったかしら?」
「はい、よろしくお願いします!」
そうだ、確かケティと言ったか。
しかし一体何故、とルイズは怪訝な目でケティを見やる。
「私の講義は厳しいわよ――なんてことは言わないけど、いったい何故、貴女は講義を受けたいなんて思ったのかしら?」
胸の前で腕を組んでキュルケがジッとケティを見据える。
その組んだ腕の上にゆさりと乗っかった胸を見てルイズの心は何故か荒んだ。
加えて何故か、隣に座るタバサが愛しく感じられる。
「わたし……負けたくないんです」
「負けたくない?」
「好きな人がいるんです。でも、その人には他にも気になる人がいるみたいで……でもわたし、その人のことが本当に好きだから――」
「ふふっ、なるほどね」
ケティの言葉にキュルケは優しく微笑んだ。
恋に浮かされる微熱のそれとは違う、柔らかな温かみを含んだその微笑。
「貴女の恋の微熱、このキュルケ、同じ女としてよく理解できたわ。そうよ、大切な物を手に入れるために超えなきゃならない障害があるっていうのなら、それを乗り越えるための努力は当然の代価として受け入れなくてはいけない。ケティ、貴女にはその覚悟があって?」
試すような鋭い視線をケティに送るキュルケ。
「あります! あるんです……だって、わたし、その人のことを思うと胸が切なくて、苦しくて――こんな気持ち、初めてだから! だからわたし、絶対にあの人に、わたしだけを見てほしいって、そう思うんです!」
そのキュルケの視線を真っ向から迎え撃ったのは、無垢な少女の赤裸々な告白だった。
隣でただ聞いていただけのルイズの胸まで熱くなってくる。
左隣に冷え切った無表情で押し通すタバサがいなかったら、ルイズもこの謎空間に絡め取られていたかもしれない。
キュルケ先生はケティの告白に大きく頷き、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「その覚悟、きっちり受け取ったわ。ならばケティ、私の講義を聴いていきなさい。そして貴女の大切な人をその胸に抱きとめる為のテクニックを、ここでしっかり身につけていくのよ!」
「――はい! ミス・ツェルプストー!」
ふふ、講義中は私のことはキュルケ先生と呼びなさい。
はい、キュルケ先生!
そんなやり取りがルイズに頭痛を起こさせる。
「ねぇ、タバサ? 私、帰っていいかな?」
「駄目。彼女があんなになった原因は貴女」
というか私、別にビュウを口説きたい訳じゃないんだけどなぁ、と思いながらも席を立つのが憚られる雰囲気を前に、ルイズは結局膝を折った。
同じ食堂内の遠くの席で、赤裸々かつとても青いケティの告白を、遠巻きに耳にしてしまったギーシュが冷や汗を掻いていたりしたのだが、このときはこの講義が切欠であんなことになるなんて、ルイズは夢にも思っていなかったのである。
雑談を交えながら昼食をとる生徒たちの、いかにも学生らしい昼休みの喧騒も学院の奥まった場所にあるこの部屋にはさすがに届かない。
開けなはたれた窓の向こうから響くのは、托卵の鳥の囀る声だけだ。
どこか誇り臭い紙のにおいに、ビュウは昔、まだあの人と恋仲にあった頃のことを思い出す。
もっとも、今いるこの部屋の主の姿は、思い出の中の彼女とは似ても似つかないのではあるが――。
ルイズが食堂でキュルケ先生に、その実内容的には意外にも理性的で実践的な講義を聴かされている頃、使い魔であるビュウはコルベールの研究室に招かれていた。
こんな昼時に悪かったね、と言いながらビュウを迎え入れたコルベールは、ここでの暮らしにはもう慣れたか、困っていることはないか、といった世間話的な話題を挟みつつ、ビュウにとある一冊の書物を見せたのである。
そのえらく重厚な装丁の書に何が書かれているのか――会話を交わすだけならともかく、ハルケギニアの文字の読み書きが出来ないビュウには分からなかったが、それが随分と昔に書かれた古い書であることだけは理解できる。
「コルベール先生、その書は?」
「うむ、それについては追々説明していこう。それよりもまずは、ここを見てほしい」
コルベールが指し示した頁には輪郭だけで描かれた人物を中心に、それを囲むように四つの紋章が描かれていた――もっとも、そのうちの一つは何かに削られたように曖昧にぼかされてはいるのだが。
その中でコルベールが「これだ」と言って指差したのは、人物の左手側に描かれた紋章である。
ビュウはその紋章を見てハッとした。
これには見覚えがある。
「これは……」
「分かるかね、ビュウ殿? どう思う?」
「どうもこうも、この紋章というのは、こいつのことでしょう?」
自身の左手を掲げ、その甲に浮かんだ紋章をトントンと指で叩いた。
そうなのだ。
コルベールが提示したこの書にある紋章は、細部に至るまで寸分の狂いなく、ルイズとの契約の際にビュウの左手の甲に現れた紋章と一致していた。
「君から見てもそう思うかい?」
「そりゃ、ここまでそっくりなら一目見ただけで同じものだって分かりますよ。コルベール先生、これと同じものが描かれているこの書は一体どういった書なんです? それに、この紋章は?」
「うむ、まずはこの本についての説明をしよう。これは『始祖ブリミルの使い魔たち』というタイトルの書だ」
「始祖、ブリミル? 確か食前食後の挨拶のときに皆が唱えていた題目にその名前があったような……」
「よく見ているね。その通りだ。それ以外に始祖について知っていることは?」
「いえ、特には。なんとなく神か何かに相当する名前なんだろうとは思いますが」
「そうだ、その理解で概ね正しい。ただ、神などといった曖昧な存在ではなく、我々にとっては救世主と呼ぶべき、実在した偉大なる人物だ。
この世界に四系統魔法を伝えた、つまりあらゆるメイジたちの始祖と言うべき人物だな」
コルベールはその書、始祖ブリミルと使い魔たちを手に立ち上がる。
「この書はそのタイトルの通り、始祖ブリミルと、ブリミルに従いその力を奮ったとされる四体の強力な使い魔について記された書物として知られている。
記述内容の信憑性については、まあ始祖ブリミルに関わることはロマリアが第一だからね、正確かどうかは五分五分と言っていいかもしれない」
表紙を指で弾きながらそんなことを言う。
実際、コルベールが数日前、学院長のオスマンにこの書を持ってある報告に行った際には、オスマンも書の内容について懐疑的とも取れる態度を見せていた。
しかしそれでも、始祖やその使い魔について広く知られている部分に関してはいい加減な記述はされていない、とコルベールは思っている。
でなければこんな自信満々で当事者に見せたりはしない。
「ブリミルについてはまたいずれ話す機会もあるだろうから、今は置いておこう。なんならミス・ヴァリエールに聞いてもいい。彼女は魔法の扱いこそ、その、なんだ、アレではあるけど、座学に関しては優秀だからね」
「……」
「話を進めよう。恐らく君が最も聞きたがっていることだろうしね。君のその左手に現れた紋章、それがこの書に載っている理由についてだ――いや、その顔を見れば分かる。君にもある程度、想像がついているんじゃないかい?」
開け放たれた窓から差し込む強い昼の光が反射して、メガネの奥のコルベールの瞳を光の中に押し隠してしまう。
表情の読めないコルベールに、ビュウは思わず唾を嚥下した。
コルベールの言いたいことは、言っていることは分かるのだ。
彼の言う通り、ビュウにはある程度予測がついている。
『始祖ブリミルと使い魔たち』と題されたその書に記された、自分の左手に現れたそれと同じルーン。
あの輪郭だけで描かれた人物が件のブリミルであるなら、その左手側に記された紋章の持つ意味は一つしか思い浮かばない。
黙り込むビュウを前に、不意にコルベールが朗々と言葉を紡いだ。
「神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。 そして最後にもう一人……。記すことさえはばかれる……か」
「……今のは?」
「始祖ブリミルの言葉だよ、始祖が自らの使い魔について語ったとされるものでね。まるで詩のようでさえあるが、これと同じものは各地のあらゆる文献に載せられている。もちろん、この『始祖ブリミルと使い魔たち』にもね」
ビュウは視線を自らの左手の甲、そこに浮かぶ紋章へと落とした。
刻まれたルーンはルイズとの契約の証、そこに彼女との、確かな繋がりを感じる。
それだけではない。
ルイズの前で見せたことはなかったが、彼女と契約して以来、この手に剣を握ると正体不明の力が湧き上がってくるのだ。
本来、竜と契約し、その力を借り受けて初めて力を振るうことができるクロスナイトとしての技を、ルイズと契約して以来なんの制約もなく扱うことができる。
力の規模そのものはバハムートのそれには大きく見劣りするものの、竜との契約なしにその力を扱えるということは、ビュウにとっては不可思議で、そして異常だった。
つまりそれこそが、神の左手ガンダールヴの力。
コルベールの言葉が指しているのは要するにそういうことなのだろう。
「僕が、その……神の左手、というやつなんですか?」
呻くようにして漏らした声にコルベールは肩をすくめた。
「確証は――ないがね。私とオールド・オスマンはそう思っている」
「何故です? この書にそう記されているからですか?」
「それもある。それが一番の大きな理由であるのは確かだ。けどね、ビュウ殿、君が虚無の使い魔ガンダールヴであるとすれば、そしてミス・ヴァリエールが虚無の担い手であるとするならば、色々なことに説明がつくというのも、また確かなのだよ」
学院の歴史において前代未聞の人間の使い魔が召喚されたことも、神の左手として武器を取り戦う運命のガンダールヴであるとすれば納得がいく。
剣や槍といった武器を扱うには人間か、さもなくば人間のように手先の器用な生き物でないと条件を満たせない。
王家の諸子、ヴァリエール公爵家の直系であるルイズが今までまともに四系統魔法を扱えなかったことも、彼女の扱うべき属性が虚無であったとすれば、それも辻褄が合うのだ――と。
いくつかの例を提示して見せたコルベールの言葉に、ビュウは一切の感情を表には出さず、ただ静かに諦観した。
「コルベール先生、このこと、ルイズには?」
「まだ伝えるべきではないと思っている。十中八九彼女が担い手で間違いないと思っているのだがね、彼女が虚無としての力を示して見せてくれないことには、迂闊なことは出来ないとのオールド・オスマンの判断だ」
「……そうですか」
ビュウは静かに席を立った。
「ところでコルベール先生、ルイズには隠しておくのに、このことを僕に話したのは何故です?」
「君はミス・ヴァリエールと違って大人だ。自分のことを知っておく権利があり、そしてそのことをペラペラと人に話す性分ではないだろうと見込んでいる。それに――」
「ガンダールヴとして、何か特殊な力のようなものに目覚めたような自覚がないか、確認を取りたかったから、ですか?」
「……その通りだ」
肩を竦める。
そのビュウの仕草にコルベールは僅かに眉をひそめた。
「生憎ですが、ご期待には添えませんよ。ルイズと契約を交わしても、僕は何も変わらない」
「……そうか」
「すいませんね」
「いや、気にしないでもいい。この先もしミス・ヴァリエールが虚無に目覚めるようなことがあれば、その時は君も自動的にガンダールヴとして覚醒するだろう」
「ぞっとしない話ですね?」
「なに?」
「ああいえ、なんでも」
ビュウが微妙に言葉を濁したとき、ちょうど昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。
コルベールは「もうこんな時間か」と窓の外に視線をやり、ビュウは部屋の出口である扉に向かう。
「それじゃあ僕はこの辺で失礼します」
「ああ、すまなかったね。こんなに長話をするつもりもなかったのだが」
「お気になさらず。それではまた、今度はオレルスへの帰り方が分かったときにでも呼び出してください」
「ん、む。それは――」
ビュウは曖昧に笑うと、コルベールの返答は聞かずに彼の研究室を後にした。
長い廊下を歩きながら、顔を歪める。
(面倒なことになったかもしれない)
いつか、今でこそ何の目処も立っていないが、自分は絶対にオレルスへ帰らなくてはならない。
ビュウにはオレルスを見守るという使命があり、それを共に分かち合う相棒、神竜のバハムートが待っているはずだからだ。
だというのに、このハルケギニアでガンダールヴだの何だのと、始祖の伝承に巻き込まれては、主であるルイズはともかくとしてオールド・オスマンやコルベール、彼らが大人しくビュウの身柄を解放してくれるだろうか、とそんなことが気に掛かる。
(帰る術もなにもかも、自分頼みになるのかな……)
となると、まずはハルケギニアの文字の読み書きを覚えるところから始めないといけないのかもしれない。
それを思ってビュウは暗く沈んだ。
剣を振るって戦うのは得意だし、ドラゴンの世話をするのは好きだ。
艦を指揮して戦った経験もあるし、部隊の運営に関わる雑務をこなすのも苦手ではない。
(でも、勉強となるとちょっとな……)
廊下の向こうから駆けてきた妙齢の女性、学院長の秘書であるミス・ロングビルに声を掛けられたのはビュウが内心で深すぎるため息をついたのとちょうど同じタイミングだった。
こんなところにいらしたんですか、と前置いた彼女は、続けてこんなことを言ってビュウの表情をしかめさせた。
「貴方の主であるミス・ヴァリエールが男子生徒と揉め事を起こして決闘沙汰になりました。今オールド・オスマンが仲介の席を用意してますので、貴方も同席して下さい」
魔法を使えないルイズが決闘だとか、そもそも魔法を使えないルイズ相手に決闘を申し込む男子生徒だとか、そもそも男女間で決闘だとか――、ビュウが顔をしかめた理由が主に呆れからくるものだったとして、それを誰が責められただろうか。
所は移って昼休みの食堂。
ルイズにしてみれば謎の納得とともに謎の行動に移ったキュルケではあるが、その顔は大真面目だった。
引きずられるように連れて来られた食堂で、今ルイズの目の前にはメガネを掛けたキュルケがうっふん、女教師風に佇んでいる。
「それではこれより、キュルケ先生が教える『ゼロから始める男の口説き方講座』を開講するわよ!」
その宣誓にルイズの頬が引きつった。
訂正しよう、そこまで真面目でもないかもしれない。
いやいや、キュルケにしたところで本人は真面目にやっているつもりなのだ。
ただ、ひたすら真面目なだけでは面白くないし、どうせなら自分も楽しみながらやろうと思っているだけである。
(落ち着け私、わざとやってるわけではないはずよ……!)
ゼロの部分に過剰反応しながら、ふと隣を見ればいつの間にかルイズの隣にはタバサが腰掛けて、キュルケの方をじっと見ていた。
思わず声を掛ける。
「タバサ? 意外ね、あなたのああいうの興味あるの?」
女教師ルックでノリノリのキュルケを指差す。
が、タバサはゆるゆると首を横に振った。
「メガネ、盗られた」
「ん、あ、ああ……なるほどね」
見ればなるほど、確かに今のタバサはメガネを掛けていない。
メガネを掛けていないタバサというのも新鮮だが、対してメガネを掛けたキュルケというのも新鮮といえば新鮮だった。
もっとも、そのメガネが妙に似合っていて、何故か色っぽい雰囲気になっているのがルイズには微妙に癪に触るのだが。
「はいそこ! 無駄話はやめなさい!」
メガネの縁を人差し指で押し上げながらズビシィ! とこちらを指してくる。
それにしてもあの指示棒はどこから持ってきたのだろうか。
ルイズは半ば以上げんなりとした気持ちでそれを見ていた。
そして思うのだ。
(というか、なんで私ってばわざわざこんな茶番につきあってあげてるのかしら?)
まぁ確かに、ビュウと打ち解けるという大目標を達成するに当たって、自分の経験値に基づく行動力だけではもしかしたら、万が一の可能性として、その、無理があるかもしれない、と思ってはいた。
しかしそれでも自分だけの力で頑張ろうと決意したのはほんの昨晩のことであり、昨日の今日で余人に助けを求めてしまうというのは情けないにも程がある。
しかもその余人というのが仇敵ツェルプストーとあっては尚更だ。
かといって何か妙な使命感にでも火がついたような今のキュルケをどうやって制したらいいのか分からない。
魔法の使い方が分からない。
ビュウとの付き合い方が分からない。
目の前のキュルケをどうにかする方法も分からない。
分からないだらけで自分が本当に嫌になる。
ガタリ、と音を立ててルイズの右隣の席の椅子が引かれたのはそんなときだ。
タバサ? と思いながらそちらを向くも、タバサが座っていたのは確か左隣だったはず。
見れば、まだ少し幼さを残した少女がそこに座っていた。
誰だったか、確か一つ年下の下級生だったように思うのだが。
その少女はキュルケの方をまっすぐ見据えて高々と挙手をした。
「ミス・ツェルプストー! よろしければその講義、わたしも聴講させてください!」
「え? まぁ聞きたいって言うなら好きにしたらいいけど……あなた、確かケティだったかしら?」
「はい、よろしくお願いします!」
そうだ、確かケティと言ったか。
しかし一体何故、とルイズは怪訝な目でケティを見やる。
「私の講義は厳しいわよ――なんてことは言わないけど、いったい何故、貴女は講義を受けたいなんて思ったのかしら?」
胸の前で腕を組んでキュルケがジッとケティを見据える。
その組んだ腕の上にゆさりと乗っかった胸を見てルイズの心は何故か荒んだ。
加えて何故か、隣に座るタバサが愛しく感じられる。
「わたし……負けたくないんです」
「負けたくない?」
「好きな人がいるんです。でも、その人には他にも気になる人がいるみたいで……でもわたし、その人のことが本当に好きだから――」
「ふふっ、なるほどね」
ケティの言葉にキュルケは優しく微笑んだ。
恋に浮かされる微熱のそれとは違う、柔らかな温かみを含んだその微笑。
「貴女の恋の微熱、このキュルケ、同じ女としてよく理解できたわ。そうよ、大切な物を手に入れるために超えなきゃならない障害があるっていうのなら、それを乗り越えるための努力は当然の代価として受け入れなくてはいけない。ケティ、貴女にはその覚悟があって?」
試すような鋭い視線をケティに送るキュルケ。
「あります! あるんです……だって、わたし、その人のことを思うと胸が切なくて、苦しくて――こんな気持ち、初めてだから! だからわたし、絶対にあの人に、わたしだけを見てほしいって、そう思うんです!」
そのキュルケの視線を真っ向から迎え撃ったのは、無垢な少女の赤裸々な告白だった。
隣でただ聞いていただけのルイズの胸まで熱くなってくる。
左隣に冷え切った無表情で押し通すタバサがいなかったら、ルイズもこの謎空間に絡め取られていたかもしれない。
キュルケ先生はケティの告白に大きく頷き、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「その覚悟、きっちり受け取ったわ。ならばケティ、私の講義を聴いていきなさい。そして貴女の大切な人をその胸に抱きとめる為のテクニックを、ここでしっかり身につけていくのよ!」
「――はい! ミス・ツェルプストー!」
ふふ、講義中は私のことはキュルケ先生と呼びなさい。
はい、キュルケ先生!
そんなやり取りがルイズに頭痛を起こさせる。
「ねぇ、タバサ? 私、帰っていいかな?」
「駄目。彼女があんなになった原因は貴女」
というか私、別にビュウを口説きたい訳じゃないんだけどなぁ、と思いながらも席を立つのが憚られる雰囲気を前に、ルイズは結局膝を折った。
同じ食堂内の遠くの席で、赤裸々かつとても青いケティの告白を、遠巻きに耳にしてしまったギーシュが冷や汗を掻いていたりしたのだが、このときはこの講義が切欠であんなことになるなんて、ルイズは夢にも思っていなかったのである。
雑談を交えながら昼食をとる生徒たちの、いかにも学生らしい昼休みの喧騒も学院の奥まった場所にあるこの部屋にはさすがに届かない。
開けなはたれた窓の向こうから響くのは、托卵の鳥の囀る声だけだ。
どこか埃臭い紙のにおいに、ビュウは昔、まだあの人と恋仲にあった頃のことを思い出す。
もっとも、今いるこの部屋の主の姿は、思い出の中の彼女とは似ても似つかないのではあるが――。
ルイズが食堂でキュルケ先生に、その実内容的には意外にも理性的で実践的な講義を聴かされている頃、使い魔であるビュウはコルベールの研究室に招かれていた。
こんな昼時に悪かったね、と言いながらビュウを迎え入れたコルベールは、ここでの暮らしにはもう慣れたか、困っていることはないか、といった世間話的な話題を挟みつつ、ビュウにとある一冊の書物を見せたのである。
そのえらく重厚な装丁の書に何が書かれているのか――会話を交わすだけならともかく、ハルケギニアの文字の読み書きが出来ないビュウには分からなかったが、それが随分と昔に書かれた古い書であることだけは理解できる。
「コルベール先生、その書は?」
「うむ、それについては追々説明していこう。それよりもまずは、ここを見てほしい」
コルベールが指し示した頁には輪郭だけで描かれた人物を中心に、それを囲むように四つの紋章が描かれていた――もっとも、そのうちの一つは何かに削られたように曖昧にぼかされてはいるのだが。
その中でコルベールが「これだ」と言って指差したのは、人物の左手側に描かれた紋章である。
ビュウはその紋章を見てハッとした。
これには見覚えがある。
「これは……」
「分かるかね、ビュウ殿? どう思う?」
「どうもこうも、この紋章というのは、こいつのことでしょう?」
自身の左手を掲げ、その甲に浮かんだ紋章をトントンと指で叩いた。
そうなのだ。
コルベールが提示したこの書にある紋章は、細部に至るまで寸分の狂いなく、ルイズとの契約の際にビュウの左手の甲に現れた紋章と一致していた。
「君から見てもそう思うかい?」
「そりゃ、ここまでそっくりなら一目見ただけで同じものだって分かりますよ。コルベール先生、これと同じものが描かれているこの書は一体どういった書なんです? それに、この紋章は?」
「うむ、まずはこの本についての説明をしよう。これは『始祖ブリミルの使い魔たち』というタイトルの書だ」
「始祖、ブリミル? 確か食前食後の挨拶のときに皆が唱えていた題目にその名前があったような……」
「よく見ているね。その通りだ。それ以外に始祖について知っていることは?」
「いえ、特には。なんとなく神か何かに相当する名前なんだろうとは思いますが」
「そうだ、その理解で概ね正しい。ただ、神などといった曖昧な存在ではなく、我々にとっては救世主と呼ぶべき、実在した偉大なる人物だ。
この世界に四系統魔法を伝えた、つまりあらゆるメイジたちの始祖と言うべき人物だな」
コルベールはその書、始祖ブリミルと使い魔たちを手に立ち上がる。
「この書はそのタイトルの通り、始祖ブリミルと、ブリミルに従いその力を奮ったとされる四体の強力な使い魔について記された書物として知られている。
記述内容の信憑性については、まあ始祖ブリミルに関わることはロマリアが第一だからね、正確かどうかは五分五分と言っていいかもしれない」
表紙を指で弾きながらそんなことを言う。
実際、コルベールが数日前、学院長のオスマンにこの書を持ってある報告に行った際には、オスマンも書の内容について懐疑的とも取れる態度を見せていた。
しかしそれでも、始祖やその使い魔について広く知られている部分に関してはいい加減な記述はされていない、とコルベールは思っている。
でなければこんな自信満々で当事者に見せたりはしない。
「ブリミルについてはまたいずれ話す機会もあるだろうから、今は置いておこう。なんならミス・ヴァリエールに聞いてもいい。彼女は魔法の扱いこそ、その、なんだ、アレではあるけど、座学に関しては優秀だからね」
「……」
「話を進めよう。恐らく君が最も聞きたがっていることだろうしね。君のその左手に現れた紋章、それがこの書に載っている理由についてだ――いや、その顔を見れば分かる。君にもある程度、想像がついているんじゃないかい?」
開け放たれた窓から差し込む強い昼の光が反射して、メガネの奥のコルベールの瞳を光の中に押し隠してしまう。
表情の読めないコルベールに、ビュウは思わず唾を嚥下した。
コルベールの言いたいことは、言っていることは分かるのだ。
彼の言う通り、ビュウにはある程度予測がついている。
『始祖ブリミルと使い魔たち』と題されたその書に記された、自分の左手に現れたそれと同じルーン。
あの輪郭だけで描かれた人物が件のブリミルであるなら、その左手側に記された紋章の持つ意味は一つしか思い浮かばない。
黙り込むビュウを前に、不意にコルベールが朗々と言葉を紡いだ。
「神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。 そして最後にもう一人……。記すことさえはばかれる……か」
「……今のは?」
「始祖ブリミルの言葉だよ、始祖が自らの使い魔について語ったとされるものでね。まるで詩のようでさえあるが、これと同じものは各地のあらゆる文献に載せられている。もちろん、この『始祖ブリミルと使い魔たち』にもね」
ビュウは視線を自らの左手の甲、そこに浮かぶ紋章へと落とした。
刻まれたルーンはルイズとの契約の証、そこに彼女との、確かな繋がりを感じる。
それだけではない。
ルイズの前で見せたことはなかったが、彼女と契約して以来、この手に剣を握ると正体不明の力が湧き上がってくるのだ。
本来、竜と契約し、その力を借り受けて初めて力を振るうことができるクロスナイトとしての技を、ルイズと契約して以来なんの制約もなく扱うことができる。
力の規模そのものはバハムートのそれには大きく見劣りするものの、竜との契約なしにその力を扱えるということは、ビュウにとっては不可思議で、そして異常だった。
つまりそれこそが、神の左手ガンダールヴの力。
コルベールの言葉が指しているのは要するにそういうことなのだろう。
「僕が、その……神の左手、というやつなんですか?」
呻くようにして漏らした声にコルベールは肩をすくめた。
「確証は――ないがね。私とオールド・オスマンはそう思っている」
「何故です? この書にそう記されているからですか?」
「それもある。それが一番の大きな理由であるのは確かだ。けどね、ビュウ殿、君が虚無の使い魔ガンダールヴであるとすれば、そしてミス・ヴァリエールが虚無の担い手であるとするならば、色々なことに説明がつくというのも、また確かなのだよ」
学院の歴史において前代未聞の人間の使い魔が召喚されたことも、神の左手として武器を取り戦う運命のガンダールヴであるとすれば納得がいく。
剣や槍といった武器を扱うには人間か、さもなくば人間のように手先の器用な生き物でないと条件を満たせない。
王家の諸子、ヴァリエール公爵家の直系であるルイズが今までまともに四系統魔法を扱えなかったことも、彼女の扱うべき属性が虚無であったとすれば、それも辻褄が合うのだ――と。
いくつかの例を提示して見せたコルベールの言葉に、ビュウは一切の感情を表には出さず、ただ静かに諦観した。
「コルベール先生、このこと、ルイズには?」
「まだ伝えるべきではないと思っている。十中八九彼女が担い手で間違いないと思っているのだがね、彼女が虚無としての力を示して見せてくれないことには、迂闊なことは出来ないとのオールド・オスマンの判断だ」
「……そうですか」
ビュウは静かに席を立った。
「ところでコルベール先生、ルイズには隠しておくのに、このことを僕に話したのは何故です?」
「君はミス・ヴァリエールと違って大人だ。自分のことを知っておく権利があり、そしてそのことをペラペラと人に話す性分ではないだろうと見込んでいる。それに――」
「ガンダールヴとして、何か特殊な力のようなものに目覚めたような自覚がないか、確認を取りたかったから、ですか?」
「……その通りだ」
肩を竦める。
そのビュウの仕草にコルベールは僅かに眉をひそめた。
「生憎ですが、ご期待には添えませんよ。ルイズと契約を交わしても、僕は何も変わらない」
「……そうか」
「すいませんね」
「いや、気にしないでもいい。この先もしミス・ヴァリエールが虚無に目覚めるようなことがあれば、その時は君も自動的にガンダールヴとして覚醒するだろう」
「ぞっとしない話ですね?」
「なに?」
「ああいえ、なんでも」
ビュウが微妙に言葉を濁したとき、ちょうど昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。
コルベールは「もうこんな時間か」と窓の外に視線をやり、ビュウは部屋の出口である扉に向かう。
「それじゃあ僕はこの辺で失礼します」
「ああ、すまなかったね。こんなに長話をするつもりもなかったのだが」
「お気になさらず。それではまた、今度はオレルスへの帰り方が分かったときにでも呼び出してください」
「ん、む。それは――」
ビュウは曖昧に笑うと、コルベールの返答は聞かずに彼の研究室を後にした。
長い廊下を歩きながら、顔を歪める。
(面倒なことになったかもしれない)
いつか、今でこそ何の目処も立っていないが、自分は絶対にオレルスへ帰らなくてはならない。
ビュウにはオレルスを見守るという使命があり、それを共に分かち合う相棒、神竜のバハムートが待っているはずだからだ。
だというのに、このハルケギニアでガンダールヴだの何だのと、始祖の伝承に巻き込まれては、主であるルイズはともかくとしてオールド・オスマンやコルベール、彼らが大人しくビュウの身柄を解放してくれるだろうか、とそんなことが気に掛かる。
(帰る術もなにもかも、自分頼みになるのかな……)
となると、まずはハルケギニアの文字の読み書きを覚えるところから始めないといけないのかもしれない。
それを思ってビュウは暗く沈んだ。
剣を振るって戦うのは得意だし、ドラゴンの世話をするのは好きだ。
艦を指揮して戦った経験もあるし、部隊の運営に関わる雑務をこなすのも苦手ではない。
(でも、勉強となるとちょっとな……)
廊下の向こうから駆けてきた妙齢の女性、学院長の秘書であるミス・ロングビルに声を掛けられたのはビュウが内心で深すぎるため息をついたのとちょうど同じタイミングだった。
こんなところにいらしたんですか、と前置いた彼女は、続けてこんなことを言ってビュウの表情をしかめさせた。
「貴方の主であるミス・ヴァリエールが男子生徒と揉め事を起こして決闘沙汰になりました。今オールド・オスマンが仲介の席を用意してますので、貴方も同席して下さい」
魔法を使えないルイズが決闘だとか、そもそも魔法を使えないルイズ相手に決闘を申し込む男子生徒だとか、そもそも男女間で決闘だとか――、ビュウが顔をしかめた理由が主に呆れからくるものだったとして、それを誰が責められただろうか。
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