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#navi(異世界に灯る聖なる焔の光)
#setpagename( 第四話 憎しみの風 )
授業も終わり、昼食へ向かいながら談笑している生徒達が日中の穏やかさを際立たせる。
眠気を催しそうなほのかに暖かい春の日差しは、学び屋を貴族の憩いの場へと衣装替えする役割を果たすのだ。
誰もが背伸びして神が世に与えた恵みに感謝したくなる中、その恩恵を押しのけながら走る一人の男がいる。
アッシュに使い魔の契約を快諾させた中年の魔法学院教師、コルベールだ。
日の元に出るよりも薄暗い部屋の中で読書か研究に勤しむ姿を尊ぶ彼が、何故、真昼間から一人で気持ちのいいさざ波を逆走せねばならないのだろうか。
その答は、彼の脇に抱えられた一冊の古書にある。彼は、それに記された驚愕すべき事実に探究心を奮い立たされたのだ。
コルベールの、久しく流れていない大粒の汗が事の重大さを雄弁に語っている。
コルベールが目的地たる学院長室の前に到着すると、ノックもせずに走って来た勢いのまま扉を跳ね飛ばした。
「オールド・オスマン!」
「何じゃね?騒々しい」
扉を開けた先には、無駄に顔を引き締めたオールド・オスマンが立っていた。
オスマンは逆光を背に浴び、威厳と神秘性を引き立たせる黒の装いを肌に縫い付けている。
さすがは、幾人もの貴族の子息を預かる魔法学院の長と賞賛すべき貫禄だ。
「たた、大変です」
貫禄といっても、別の事柄に頭を支配されているコルベールには意味がなかった。
コルベールは、むさ苦しい中年の汗だくな顔でオールド・オスマンの眼前へと迫る。
親父臭さと熱気を嫌がり、オスマンは2、3歩後ずさる。コルベールが距離を詰める。
オスマンはさらに逃げる。コルベールは逃さない。
オスマンは両手をコルベールへと伸ばして静止を促す。コルベールが萎れたつっかえ棒を両肩で掻き分ける。
棒を機能させるために、オスマンはさらに下がる。棒を回避するため、コルベールがオスマンの懐に潜り込む。
オスマンはこれ以上足を運べなかった。終点、部屋の隅に到着してしまったのだ。
追い詰められた獲物ができることは、許しを請うか、狩人の望みに従うしかない。
「な、何が大変なんじゃ」
脱出路を失ったオスマンは、くたびれた、歳相応の老人に戻ってしまった。先ほどの威厳は欠片も残っていない。
「これ、これを見てください」
コルベールが持ち出したのは『始祖ブリミルの使い魔たち』という、表紙の枠が直線ではない年季の入った本だ。
コルベールは古書を開き、目的の資料が掲載されているページで手を止めた。そして、それをオスマンに見せる。
それを眼に焼き付けたオスマンは、数刻前の威厳が復活した。ただの老人にここまで活力を与えた内容とは、何なのだろうか。
オールド・オスマンは秘書のミス・ロングビルに退室を促す。
秘密を共有できる空間になったことを確認して、オールド・オスマンは重く口を開く。
「詳しく説明するんじゃ。ミスタ……、……」
「コルベールです」
「……では、話したまえ。ミスタ・コルベール」
鋭い眼光にはまがい物もあるらしい。
俺は、教室を元通りに直したので、昼食を取るために食堂へ向かっている。
瓦礫をかき集めて学院の備品を運ぶのはいい運動になった。おかげで、朝食ったものは全てエネルギーとして消費された。
ただ、積めば大型の魔物並みの高さとなる瓦礫の山や机の束は衰えた俺の腕には堪えた。
体の調子が良ければ、これほどの重労働にはならかっただろう。
筋力もだいぶ低下している。そもそも、エルドラントで死ぬ寸前だったのは昨日の話だ。
こうして、普通に歩ける自体が奇跡と言える。よほど優秀な治療術士を招き入れたのだろう。
手厚い介抱は結構なことだ。だが、全てが無に変える人間には迷惑でしかない。
なので、俺に関心を向ける人間は消えて欲しいんだが、片付けが終わってから片時も俺を視界から外さない女には困りものだ。
行きの時と違い、敷き詰められた石の色彩に被さる影が少ない廊下を俺達は歩いている。
町に繰り出すと、民が往来激しく通りを占拠し、活気と喧騒に満ちた商人達が客を呼び込んでいる時間帯だ。
任務がない時は俺も少しは羽を伸ばして英気を養っていた。今はそいつを妨害する因子に並ばれている。
体は前に向かって進んでいるのに顔だけ進行方向から右に90度曲がって、俺に無言のプレッシャーを放っている。
俺の足元に沈んでいる影にルイズは鼻先を侵入させ、絶対に放さんとばかりに微動だにしない。
何が何でも超振動の正体を知りたがってる女が終始無言でいるのは俺の警告が効いているからだ。
超振動は門外不出で、他人に知られたら大きな危険を生む魔法だから不特定多数の目がある場所では絶対に口にするなと念を押した。
それだけでは不安なので、超振動の事を俺以外に話したら、可能性が限りなく低いと前打って、教えてやろうと気が変わる機会を永遠に失うと脅しておいた。
人を威圧するルイズの双眸はどうにかして俺の気を変えようとする努力の証だ。
そいつを空しいと言うのは心の中だけにしておこう。少しでも吐露したら最後、こいつは確実にわめき散らす。
それに、こいつの行動に対してアクションを起こすのは癪に障るのだ。
結局、人目もはばからない機械仕掛けの珍道中は食堂に到着するまで続いた。
「ル、ルイズ。君は使い魔と大変仲がよろしいみたいだね。鏡を見ているように動きが瓜二つだったよ」
「違う」
「違うわ」
イニスタ湿原が妙なことを口走りやがった。俺とこいつが親しいだと。目が腐ってんのか。
「い、いや……、今だって……」
「「何が」」
縄張りを荒らさた猛獣のごとくおぞましいオーラを男にぶつける。喧しく囀るキザ野郎は口を塞がれた。逃げるように薔薇を撫でて手慰みにしている。
止めた呼吸を再開して、俺は体を背もたれに預けた。脱力して両腕を腿の上に降ろす。
椅子にかかって、通路にはみ出した焔の証を束ねようと手を伸ばした時、後頭部が先の細い鈍器で殴られた。
「これはこれは、ミスタ・ファブレ。失礼いたしました」
俺の後頭部を襲ったのは人間の肘だ。腕の主は教室でコケにされた土の髪の男、ド・ロレーヌ。
ロレーヌは侮蔑の色を隠しもせず、蓄えた恨みそのままに、醜い面貌で俺を見下している。
「大層な挨拶だな。ハルケギニアの風習か?」
「今のは不注意ゆえの事故だよ。私も配慮が足りなかった。申し訳ない」
口とはでまかせを吐く装置。こいつを見ていると、そう思えてしまう。今度はごとくじゃない。猛獣させ恐れる、六神将のそれを纏い始める。
「いやはや、通路を狭める邪魔者に気付かないとは。ぼくは間抜けだね」
そう捨て台詞を吐いて、挑発にしかならない細く湿った笑いを届けながら、ロレーヌは去っていった。
いい根性をしている。ここが食堂でなければ、あの野郎の顔面は人前に出せないほど腫れ上がっていただろう。
民の命を託された俺達貴族が私怨で他人に手を振りかざすなど言語道断だ。あの屑は下衆の中の下衆。権力で災いをもたらす権化だ。
次にあの野郎が俺にちょっかいを出した時、俺は自分を理性で抑える気など消え失せるだろう。
喧嘩を売った相手が誰か。てめえがどれだけ愚か者か思い知らせてやるよ。
祈りを告げる鐘が鳴る。絡める指の力が怒りの程を伝えている。
気分を最悪にしてくれて、飯の味を損ねてくれた屑が燃え上がらせた業火は俺の胸で猛る怪鳥となっている。
「ド・ロレーヌは相変わらずガキだわ。ルークも大変ね。あんなのに絡まれて」
人をたらし込む貴様はどうなんだ、という疑問が頭の中を巡っている。しつこく人に絡む女の方こそ身を引くべきだ。
「まったくだ。歳を一回り偽っている女に同情される筋合いはないがな」
「大人の魅力と言って頂戴。あなたには分からなくて、ルーク。後ほど、直々にご教授してあげましょうかしら」
機嫌が悪い時に大人を着飾った女と聞く口は反吐が出るほどまずい調味料だ。フォークを往復させる間隔がどんどん短くなって、味を感じる暇がないほどにな。
「人の使い魔に手を出さないでよ、キュルケ」
次の困ったスパイスは俺の真横からだ。俺の体に隠れたルイズを視界に入れるため、キュルケが身を乗り出した。
「彼があなたの物って誰が決めたのかしら。彼の意思を尊重すべきだと思うわ」
俺の意思の尊重は是非ともして欲しいものだ。だが、キュルケの腹積もりに沿うのは御免だ。
「こいつは使い魔として仕える事を承諾したのよ。だったら、私に従うのが筋よ」
「どうかしら。あなたの『ゼロ』は、彼の怒りの導火線に火を点けたみたいよ。教室をめちゃくちゃにした後、ルークに随分叱られてたわよね」
キュルケの言葉は、俺の胸を締め付けた。反射的に舌打ちをしかけてたほど、重大な過ちを犯した事実が俺の意識を暗がりに落とそうとする。
ルイズの口を硬く閉ざして喉の奥に押し込んだ超振動を最初に口にしたのは俺だ。それも大声で。
阿鼻叫喚の大混乱に陥ったとはいえ、誰の耳にも入らなかったという保証はない。特に、最前列に座っていたキュルケは最も危険なポジションだ。
額から一筋の汗が垂れる。後悔が俺を責め立てる。人に物言う資格なしという後ろめたさと共に。
「何話してたかは、五月蝿くて全然わかんなかったけど、あれで愛想尽かされたんじゃない」
顎から落ちた雫は俺の不安も吸収していた。どうやら、キュルケには知られてはいないらしい。
よくよく考えれば、あの状況で他人の言葉に耳を傾ける余裕はない。誰も彼も、自分の身を守るだけで精一杯だった。
それでも、油断は禁物だ。ルイズが超振動に手を突っ込まないために監視を強めとく必要はある。たとえ、できることに限りがあろうとも。
「ち、違うわよ。あれは……」
俺は誰にも悟られないように、肘でルイズを小突いた。当然、警告の意である。他人の動向を気にするより、こいつのボロを隠す作業のほうが大変だ。
「あれって何なの。私に教えて下さいな」
「人に被害を与えるような爆発を起こしたことを咎めただけだ。何か問題があるのか」
「本当かしらね。それが嘘じゃないと証明できて」
人が秘密にしたい境界線を越えたがる、真にうざい女だ。どうして、ここまで根掘り葉掘り聞きたがる。
「こいつに聞いてみろ。同じ答えが返ってくるぞ」
「へ~、そうなの。ルイズ~、彼に何て言われたの」
興味津々であると唇を曲げたキュルケは、右肘をテーブルの上に立てて頬杖をしている。
俺はもう一度ルイズの腕に服を押し込んで、話を合わせるように促した。
「こいつったら、あんな危険な魔法を使うなら杖を置けって言ったのよ。失礼でしょ」
ルイズは俺やキュルケから目を背けて、海老が反ってるように胸を張る。
「あら、そう。じゃあ、そういうことにしといてあげるわ」
キュルケはこの場で追求をやめただけだろう。気分次第で、再び俺たちを襲う槍は握られたままだ。
「いちいち注意しなくても、あんたの言いつけはちゃんと守るわよ。馬鹿にしないで」
俺の耳がかろうじて認識できるほどの艶の欠けたひそひそ声が隣から伝わった。今の出来事で、ルイズはまた気を悪くしたようだ。
食器の扱い方が乱雑になって、スプーンが皿を叩いているので少々喧しい。
「だったら何を聞かれても言いよどまないことだな。隠し事があると感付かれるぞ」
「わ、私にだって、それくらいはできるわよ。今のはいきなりだから、ちょっと驚いただけ」
食事が原因でない膨らんだ頬を蓄えながら、ルイズはそっぽを向いた。
そのちょっとのスキで災難を招くことがあるんだよ。見苦しい言い訳は信用を地に落とす行為だ。
俺がこの世に介入できなくなるまで、これのお守りをするのは心身への負担が大きそうだ。
最後に残った、焙ったチキンのソースかけをほお張る。皿は空になっても、俺の嘆きを飲み込んで消化することはできない。
皿にこびり付いたソースのように、しつこい汚れが張り付いている。そいつを流せる洗剤はない。
あのレプリカもそうだったが、何で超振動の使い手は面倒な人種が多いんだ。ローレライの見る目のなさを嘆きたくなる。
そう思った時、体のどこかに亀裂が入った気がした。違う。今割れたわけではない。
こいつはルイズの超振動の爆発の衝撃が原因だ。あの時ルイズは何をした。俺やレプリカの専売特許である、単独での超振動を発生させたではないか。
特異な存在が俺の脇で不機嫌な食事を送っている。
本来の威力からすれば失敗なのだ。それでもルイズは単独での超振動を成功させた。
超振動の原理は同位体の共鳴現象だ。
同位体同士がお互いの発する音素振動に干渉することで、音素同士の結合を解放する効果、つまり、あらゆる物質を消滅させることが可能となる。
その中でも、単独で超振動を成功できるのは、俺やレプリカのように、第七音素の意識集合体であるローレライと同じ音素振動数を持つ人間のみだ。
こいつをハルケギニアに適用するなら、ルイズはローレライの完全同位体という理論が成り立つ。
聖なる焔が俺以外に存在するだけでも信じられない事だ。更に、ハルケギニアは第七音素を有していない。
ルイズがローレライの同位体など妄想と同義だ。しかし、超振動は起こった。不完全だとしても。
この髪の色が頭の中まで侵食してそうな能天気で傲慢な女に、何故それほどの真似ができたのか。
ルイズは魔法の失敗による爆発で周囲に迷惑がられていたらしい。別の譜術が超振動に変わるなど考えられない現象だ。
ルイズに眠る指揮者不在の第七音素の演奏は、俺にとってもここの貴族にとっても異質な音色を奏でている。
そもそも、この世界の魔法は、オールドラントの常識が通用すると期待させて、別の論理を持ち上げる。
並んで歩いているようで、そいつを否定するがごとくお互いには距離がある。
俺はようやく、ここが時空という人間の作りし単位では計れない境界線を越えさせられたと実感した。
テーブルに置かれる見慣れたショートケーキと、かつては当たり前の隣人だったメイドが親近感と疎遠が混じる奇妙で複雑な感情を胸に抱かせる。
ケーキの味は星を渡り歩いた最中に食べたものと変わらないはずなのだが、初めて口にした料理と勘違いしそうになる。
顔を上げて周囲に目を配ってみれば、俺の様子を伺う何人かの挙動に気付く。
奴らの地図に載らない大地の貴族はさぞ珍しいだろう。特に、意識を時空の彼方に置き忘れた男はな。
そいつらを視界から放り出して、俺はフォークで掬ったケーキを口へと運ぶ。口を開こうとしたら、皿が割れるけたたましい音が耳に飛び込んだ。
俺の顔がケーキから遠ざかる。その時、俺の髪が風に吹かれて浮いた。
「ひゃっ、は……」
次に届いたのは誰かの悲鳴。椅子から身を乗り出して、事の確認に努める。
馴染みのある、肩まで伸びた黒髪を持つメイド、シエスタが通路に座り込んでいた。何故か、髪の毛を纏めるカチューシャがクリームの塊に持ち上げられていた。
目の前にはケーキが散乱していて、床や椅子、そして机に至るまで撒き散らされている。
被害は人間にも及んでいた。マントがクリームでべっとり汚れているのは、俺に喧嘩を売ってきたド・ロレーヌだ。
ド・ロレーヌは目を細めて、下卑た笑みを浮かべながら己の地位を誇示すように悠然と立ち上がる。
「メイドよ。お前が何をしたか、その足らぬ頭でも理解できよう」
ロレーヌの発する言葉は、シエスタの肩を震わせる。それが、シエスタの身に何が起きたかを語り掛けてくれる。
「我らが女王陛下より受け賜りし糧を台無しにしたことを咎めはしない。だが……」
ロレーヌはそこで一呼吸置いた。そして、杖を引き抜き、俯いたシエスタの脳天に突き出す。
罪人を断罪する司法官の冷徹な瞳がシエスタの全身を凍てつかせている。
「貴族の象徴たるマントを汚した罪、何を持ってしても償えぬ大罪であるぞ!」
雷撃の譜術が炸裂したように、シエスタの全身が弛緩し始めた。
ヒエラルキーが固定化された社会構造で、下の層の人間が最も恐れる悪夢、それが貴族の逆鱗に触れることだ。
詳しい状況は不明だが、シエスタはそれを犯してしまったらしい。
恐怖に捕らえられたシエスタの両腕は体を支えることすら叶わなかった。崩れ落ちたシエスタはクリームの沼に頭を擦り付ける。
「ちょっと、あのメイドは何やってんのよ」
ルイズも尋常ではない光景に気付いた。こいつだけではない。食堂中の目がロレーヌとシエスタに釘付けとなっている。
野次馬連中が集まり出しても、シエスタは顔を地に伏せたままだ。動くのは戦慄に支配された心のみ。自らの意思で四肢を制御できていない。
「抗弁どころか謝罪もなしとは。君はぼくを誰だか知らないのかね」
ロレーヌが杖で髪を梳いても、シエスタは口を開けず微動だにしない。
「それとも、己の失態の責に押し潰されてしまったかね。ならば、贖罪の証として君の首を捧げてもらおうか」
ロレーヌからの宣告は最悪のものだった。両腕が俺を勝手に立ち上がらせるほどに。
テーブルを揺らした衝撃で騒ぐ皿に驚いた何人かの視線を集める。
「てめぇ、ふざけた事をほざくな!」
壁が遮れないほどの大音響はロレーヌ俺の存在を告げるのに十分すぎるほどだ。奴は俺に気付き、杖を顔が二つに割れる位置に掲げる。
「どうしたのかね、ミスタ・ファブレ。ぼくは彼女の罪の重さを説いてるだけだよ。メイジの名誉を傷つける者の末路、君も貴族なら分かるだろう」
ロレーヌは冷静かつ淡々と言葉を繋ぐ。人の命の重さを感じさせない冷酷さが、俺をさらに逆上させる。
「何が罪の重さだ!マントを汚しただけで死刑になる法律がどこにある!」
「そうよ、ド・ロレーヌ。彼女は私のメイド。貴族の従者の不手際は主が裁くものよ」
俺の後の続いたのは、意外なことにルイズだった。こいつが横暴を許せない神経を持ち合わせているとは思わなかった。
気になるのは、こいつもシエスタが罪を裁く気があるところなのだか。
ロレーヌは激高しかかる俺達を諌めようと、腰の前で掌を下にして上下に揺らしている。
「落ち着きたまえ。さすがに、貴族の食卓を平民の血では汚さないよ。彼女に少々の教育を施すだけに済ましてあげるさ」
「教育だと。貴様の言う指導など信用におけるか。シエスタをいたぶる算段なら承知しないぞ!」
「そんな手荒な真似をするわけないじゃないか」
ロレーヌは腰に手を当て、杖で床を指す。絵画の貴族像のようなポーズを取り、シエスタを見下ろした。
その体勢から屈んだロレーヌは、シエスタの、クリームでほのかに白くなった髪の毛を掻き分ける。
「貴族への正しい仕え方を教えるのさ。ぼくの部屋で、ゆっくりとね」
獲物に舌なめずりをする下品な野獣がそこにいた。こいつが何をするためにシエスタを部屋に招き入れるかなど、考える必要もなく想像できる。
全身の血が沸きあがるようだ。段々と、理性で体を制御できる限界に近づいている。
椅子を弾いて野次馬を強引に押しのけ、俺はロレーヌの眼前へと繰り出す。
「熱病で浮かされた屑が。その減らねえ口はいらないようだな」
「それは君のことだよ。赤い髪は年中夏真っ盛りの頭にしか生えないからね」
「よく言った。貴様の低俗さを思い知らせてやろう」
ド・ロレーヌは腕を振り上げ、俺の眉間を標的とばかりに指し示す。
吊り上げた目尻、憎しみの文字が見え隠れする口元、棚引く奴のマントが同意の意思を表している。後は、今まさに開こうとする言葉での合意のみ。
「待ちたまえ!」
決め台詞の機会を奪う、すっとんきょな声が俺の真後ろから流れた。
最も格好が付くシーンに冷や水を掛けられた形になったロレーヌは、変わらぬ冷たさを保ったまま、口を半開きにするという間抜けな姿で立ちすくんでいる。
所有者の感情が薄れた杖を視界から消して、妙な横槍を入れた人物の人相を探す。
そいつはすぐに見つかった。俺の真後ろに、薔薇の香りを楽しんでいる口がイニスタ湿原の金髪がいるのである。
「争いを招く不届き者よ。この場はこのギーシュ・ド・グラモンが調停しよう」
薔薇を天高く掲げ、空間を掌握せんとする男に俺が抱いた印象はこれだけだ。
頭に虫が湧いている。
「諸君。貴族同士でいがみ合うなど、女王陛下の御前を汚す恥ずべき行為であるぞ」
ギーシュは薔薇を口に咥える。マントの裾を掴み、腕を伸ばして広げてみせる。
「愚かな諍いは陛下の敬虔なるしもべに相応しい僕が治めてあげよう」
空気を読まない闖入者のせいで、充満していた熱気が減衰している。喧騒のほとぼりは、奴の言うとおり、治まりつつある。
だが、こいつに場を仕切られるのは不服以外の何ものでもない。誰だって、部外者が入れる茶々は望まないはずだ。
「何が場を治めるだ。貴様、何を考えている」
「まずは、ルーク君。君はそこのメイドを慰めようか」
俺の言葉を払いのけるように、ギーシュは俺の眼前に薔薇を止める。人の話を聞き入れる耳は付いてないらしい。
気に入らないことに、言ってる内容は適切だった。なので、突っぱねることもできそうにない。
刻々と状況が熱気を増しながら荒れているのに、ロレーヌにより氷漬けとなったシエスタの心を溶かす役目は果たされなかった。
クリームを接着剤に、床と張り付いたシエスタの額に左手を滑り込ませて上半身を起こす。
背中を右手で支えられたシエスタの姿は見るも無残なものだ。
白く染まった髪の毛。鼻や頬を歪に膨らませるクリームの化粧。そして、虚空を彷徨う、映るものが伺えない漆黒の瞳。
メイドの服は、所々、鋭利な刃物を連想させる裂け目があるのだ。
長い時間眺めたらこちらも暗い奈落の底に落ち込みかねない、深い闇がシエスタを取り込んでいる。
「ちょっと、これ……、だ、大丈夫なの」
いつの間にか、ルイズが傍によっていた。従者の身への心配は高慢な性格を体の奥底へと沈ませたらしい。
「分からん。呼びかけに応じれば、何とかなると思うんだが」
「じゃ、じゃあ、早くしなさい」
高慢が消えても、主人の風は止まらなかった。しかし、今は下らないことを考える場合ではない。
シエスタを貫いた、正体不明の心の傷を一刻も早く癒さなければならないのだ。背中の右手を滑らせ、シエスタの右肩を抱く格好となる。
「シエスタ、俺だ。分かるか。ア……、ルークだ。」
シエスタの左肩が胸に当たるほど強く揺らす。しかし、シエスタは何の反応も示さない。
「ルーク、あんた力入れすぎじゃない」
「そんな悠長なことを言ってる状況じゃないだろうが。このままじゃ、最悪医者に預けなきゃまずい位だ」
「そ、そうなの」
ルイズの顔が青ざめる。尋常でない事態を飲み込んだか、いても立ってもいられなくなり、身を乗り出してシエスタの顔を両手で挟み込む。
「あんた。えっと、シエスタ。寝転がってんじゃないわよ。お、起きなさい」
鼻先が触れ合いそうなほど近づいたルイズは、シエスタの頭を振っている。
さすがにやりすぎを感じてルイズの腕に手を伸ばそうとする。
ルイズによるものではない、シエスタの瞳の動きが目に入ったのはその時だった。
「シエスタ!」
ルイズの手からシエスタを強引に引き離す。
奥行きを感じないほど薄っぺらで、澱んだ黒い泉に一筋の光が差したのだ。
この機を逃さず、一気に覚醒へと昇らせようとシエスタの頬を小刻みに叩く。
「う、あ……、あ……」
「シエスタ!目を覚ませ!戻って来るんだ!」
シエスタの耳元に大声で怒鳴る。聴覚を刺す剣の如き音は、奥底に埋められた自我を掘り起こした。シエスタの瞳に本来の色を浮かび上がらせたのだ。
「は、はい!ななななん、何でしょう!すすすすす、すみません!は、はい!」
曲がったバネを弾いたようだった。
シエスタは下半身の力のみで起き上がり、その勢いを上半身に伝えて、顔が膝にぶつかる寸前まで腰を折ってお辞儀を始めたのだ。
あまりの変わり様に、俺もルイズも、調停役を名乗り出たギーシュさえも呆気に取られている。
一触即発の二つの波紋から広がった荒波は、突如として空から降ってきた、のどかに航行する一隻の船に打ち消されたのだ。
「……ぷっ」
非日常から日常に戻された感覚。そのギャップは言いようもない可笑しさとなって、俺達をくすぐる。
「はは」
「は、ははは……」
「ひ、ひぃ、ひ~、きゃははははは!お、おお、面白い!面白いわ、あんた!」
最初に我慢ができなくなったのはルイズだ。シエスタを指差しながら、腹を抱えている。
「あはははははは!こ、こんな時に……こんな時にあ、謝るなんて!ゆ、愉快じゃないか」
続いてギーシュ。穏やか故にこそばゆい波紋を遮るものはない。笑いは食堂中に伝染している。
挙動が怪しいシエスタがまるで追いつけない速度で、爆笑の渦がシエスタを取り囲んだのだ。
「え、え、な、何ですか。わ、私変なことしました?ど、どうしたんですか皆さん」
「はは……」
心を誘う楽しげな雰囲気に乗せられたか、本当に珍しく、そして久しぶりの笑みがこぼれた。
「る、あ、いえ。ミスタ・ファブレも何が可笑しいんですか!」
「いや、あ、それは……」
普段は絶対にありえない反応を見られて小っ恥ずかしくなり、顔を背ける以外にやりようがなくなってしまった。
「そ、その、そりゃ、私は田舎者ですけど……」
急に、シエスタの言葉が止まる。気になって見上げてみたら、息を潜めた恐怖が舞い戻ったかのごとく、怯えに支配されていたのだ。
シエスタの視線の先に、それほどの感情を呼び起こさせるのは一人しかいない。
シエスタを極限まで追い詰めた糞野郎、ド・ロレーヌが時から切り離された間抜けな姿を保って立っているのだ。
脚が機能を失って、へたり込んだシエスタを介抱する。呼吸は荒く、額からは汗の雨が流れている。
「大丈夫か」
「は、はい。多分……へ、平気です」
唇の震えが喋りを困難にしている。こんな状態では、下手に相手を配慮した心遣いが痛々しい。
「あの野郎に、何かされたのか」
「エ……、ええ。あ、あの……、その……」
駄目だ。まともに話せなくなり始めた。あの屑はシエスタにどんな悪行を働いたんだ。
「惨いものだ。ド・ロレーヌはやりすぎだよ」
妙に眩しい金髪が覗き込んできた。ある意味、場を仕切ることに成功していたギーシュだ。
先ほどのお茶らけた印象は何処へやら、気持ち悪いほどに真面目な面持ちだ。
「奴が何をしたか見たのか」
「そうだよ。聞きたいかね」
「断る理由がない」
「いいだろう」
ギーシュはシエスタの服を指差した。そこには、鋭利な刃物で切られたとした考えられない痕がある。
「事の始まりはメイドがケーキのトレイを落としたことに始まる。ド・ロレーヌのマントを巻き込んでね」
そこまでは分かっている。問題なのはその後のロレーヌの行動だ。無言を相槌とし、話を進めるように促す。
「マンとはメイジの象徴だ。当然、ド・ロレーヌは怒る。そこで彼は何をしたと思う」
顔の造形に不釣合いなほど、眉間にしわを寄せた苛立ちの混じった顔が迫ってくる。
歯を食いしばる音が聞こえるほど強く締めこまれた口を開く。
「あいつは『風』の魔法をメイドに放ったんだ。躊躇することもなくね」
焔が点いた。いや、そんな生易しいもんじゃない。これは爆発だ。
力を与えられた者が一番犯してはならない一線を越えた、正真正銘の屑を灰燼に変える、破裂しそうな鼓動だ。
「どうだい。酷い奴だろう」
ギーシュの締めの台詞は背で受けた。体全体が発火したと錯覚しそうだ。大気が揺らいで見える。
視界が狭まっている。あの野郎に全てを集中させるために。
昇る焔に導かれ、激情を血肉とした腕が伸びる。凍りついたド・ロレーヌの何もかもを溶かすために。
「てめぇ、そこまで堕ちてるとは思わなかったぜ。貴様が無事に太陽を拝めるのは今日で最後だ!」
服を破るほどの握力でロレーヌの襟元を握り締める。首の骨を折る気で頭上へと捻り上げる。
この期に及んで、ロレーヌは何の反応も示さなかった。頭に昇る熱がそのまま腕に伝わる。
首を絞めかねないほど襟を捲くると、圧迫感に参ったか、ロレーヌの面が苦悶に変わった。
「ぐ、な、苦し……」
「ようやくお目覚めか。怠けすぎだぜ。お調子者のお遊戯は終わりの時間だ」
片目も満足に開けないロレーヌは、必死にもがきながら自分の身に起きたかを把握しようとしている。
「お、お前は……ミスタ・ファブレ……。き、貴様ぁ、ぶ、無礼だ、かはぁ」
「無礼?貴様のやったことに比べれば、たっぷり釣りが貰えるだろうよ」
あまりにも手前勝手なロレーヌの物言いに、左手に込める力が更に強まる
「ぐ……、く、苦しい……、は、放せぇ」
「苦しいだと?てめえがその言葉を口にする資格があると思っているのか」
今でも結構な高さに吊り下げられているロレーヌを、もう一段階上へと担ぎ上げる。
クリームが染み付いたマントが鼻をかすめる。そいつを暇な右手で掴み、ロレーヌに見せ付ける。
「この程度の汚れで人に心底苦痛を与えたのは誰だ。答えやがれ!」
ロレーヌからの返答はない。絞まる首が喉の震えを邪魔しているらしい。口の端から唾液が垂れているのが良い証拠だ。
「おい、貴様。もう止めろ。神聖なる『アルヴィーズの食堂』を汚したいのか」
俺に静止を呼び掛けたのは、ロレーヌの隣に座っていた奴だ。へっぴり腰になりながら、大慌てで静止を求めている。
「ふん、いいだろう」
手だけ放してロレーヌを落としてやった。ろくな着地もできず、奴は思いっきり尻餅をつく。
全身に滾る焔を腕に凝縮させたせいか、今の頭の中は氷塊のように冷え切っている。人間の一挙手一投足がスローモーションとなるほどに。
目尻に涙を溜めながら睨んでいるロレーヌは滑稽以外の何者でもなく映った。
「貴様……、良くぞここまで貴族を愚弄してくれたな……」
「愚弄だと。権力に胡坐を掻くしかできない能無しが。貴族の地位を愚弄してるのはお前だろう、この屑が!」
ロレーヌが立ち上がる。その表情は、ギーシュの横槍が入る直前よりも陰湿さを増していた。怨念が溢れ出る杖を俺に向ける。
「貴様は教育が足らんようだ。貴族の礼儀を知らん未開の人間は調教が必要だ」
「この期に及んで人の非難か。おめでたいほど腐った野郎だ」
「君の口もおめでたいよ……。今すぐ黙らせてやろう。決闘だ!」
ロレーヌは憎しみを束ねた杖を天空へと突き出し、高らかと挑戦状を叩き付けた。
これを断る理由など皆無だ。俺もこいつは気に入らない。増長し切って会話さえ無意味な存在を許すわけにはいかない。
「いいだろう。泣き言をほざかないよう、せいぜい頑張るんだな」
ようやく取り交わされた合意により、食堂の至る所から大歓声が沸いた。
野次馬がやたらと盛り上がっているのは、かなり待ち惚けていた反動からだろう。
己の目的を果たせたロレーヌは性質の悪い狐が獲物を射程に捉えた様だ。
「勝負はヴェストリ広場で行う。今の内に無事を神へと祈るがいい」
「それはこっちの台詞だ。それで、勝敗はどちらかが降参するまでか」
「そうだ。更にもう一つ。ぼくはここにいる二人と一緒に戦うよ。ちなみに、君に拒否権はない」
ロレーヌが杖で指したのは、両隣に座っている男だった。
正直、この世でこいつより醜い貴族はいないだろうと思え始めた。弱者を蔑み、いざ自分に火の粉が飛ぶと他人を盾にしやがるとは。
「勝手な野郎だ。素直に応じる気にはなれないな」
「もちろん、君の助っ人を使っていいよ。ただし、ぼくと同じく二人までならね」
俺はこの世界に召喚されて一日も経過していない。助っ人になってくれるほど親交を深めた人間がいないことを分かり切って言っていないか。
本当に卑怯な野郎だ。
「あんた達。主人の許可なく決闘できると思ってるの?」
盛り上がる聴衆に水を振り撒いたのはルイズだ。血気盛んな貴族らがルイズに不平を述べる声が漏れている。
小さい背を少しでも高く見せようと、胸を張って体を限界まで伸ばしている。
主人の体裁を誇示しようとするあまり、逆に矮小さが滲み出ているようで逆効果となっていた。
「それに、ド・ロレーヌの行為は開き直って済ませられる類のものではないと思うよ」
薔薇の花を擦っているギーシュが続いた。この場に現れてから、この男はずっと役者気分で人に接している。
ロレーヌの口腔から舌が僅かにはみ出る。仇敵を前にした悪しき騎士がそこにいた。
「振り下ろされた杖は止められないよ。誰もね」
「御免ね。断る気なんて全然ないの。人の従者を傷物にして無罪放免になると思ってるの。ルーク、この馬鹿をとっちめなさい」
主人からの決闘の承諾。一度冷めかけたボルテージが、マイナス分さえも上乗せして、歓声の嵐を生み出す。
「主人の了承がもらえたようだね。嬉しいかい」
「こいつが何を言おうと、断る気はない。無事に家へ帰れるチャンスがなくなってまずいのは貴様の方じゃないか」
ロレーヌから余裕の色が褪せてゆく。しかし、顔を振り上げ、陰を吐き捨てるように平静を取り戻そうとする。
「君のパートナーを決めてあげよう。ギーシュ・ド・グラモン、お前も戦いに加わってもらうよ」
納得がいかない人選とはこういうことを指すのだろう。気取りが心情の男など足手まといにしかならない。
「こいつと組むくらいなら、一人で戦うほうがましだ。悪いが他を当たってくれ」
「そうかな。彼はやる気満々のようだけど」
ロレーヌが翻し体を覆わせているマントに、俺の意見が受け流される。
背中に走る、いやな予感を確かめるべく、後ろに立つ別の意味で調子に乗った貴族を視界に入れる。
果たし状が吊り下げられてそうな薔薇がある。挑戦を受けて立つ場違いな眼が光を浴びて輝いていた。
「いいだろう。このギーシュ・ド・グラモン、お相手仕る!」
空気を読めない参戦者は、俺の頭痛の種になることは間違いないだろう。
食堂も、そこへ繋がる廊下も大騒ぎになっている。退屈な日々が崩れる期待が皆の心を躍らせているのだ。
「決闘だ。ド・ロレーヌとギーシュ、そしてルイズの使い魔である貴族が決闘するぞ!」
「場所はヴェストリ広場!早く行かないと貴族の頭を眺めることになるぜ」
普段ではありえないイベントだからこそ、そこには最上の果実をも凌駕する魅力を醸し出す。
最もうまい実を食すため、我先にと貴族たちが廊下を駆け巡っているのだ。
学院の貴族が年より少し幼くなり、暴風に近い流れを作り出す中、その中心は台風の目のように穏やかだ。
「それでは、ぼくらは先に広場に向かうよ。決戦の場で会おう」
ド・ロレーヌは仲間となる二人を子分のように引き連れ、アッシュの眼前に近づく。
事の顛末が望むままに進みすぎて、愉快さまで感じている男が赤い髪の貴族の使い魔に面と向かう。
「好き勝手ができるのはここまでだ。勝敗まで思い通りはさせねえよ」
アッシュは、かつて覚えがないほどの怒りが全身に迸っている。
力の使い方を知らぬ貴族。己の非を認めようとしない貴族。そして、何もかもを掌に乗せようとする貴族。
常に国家の現状を憂い、民の生活を護る正しき貴族の像を信望してきたアッシュにとって、その風上にも置けない人間をのさばらせるなど許容できるはずもない。
アッシュは心に決めている。必ずやこの者達を倒し、貴族の本分とは何たるかを知らしめることを。
ロレーヌがアッシュの脇を通り過ぎる。すれ違いざまに、彼は一つの言葉をアッシュに残した。
「トリステインの貴族でもない君が偉そうな口を叩けるのは今日までだ。ここは部外者を手厚く迎える習慣はないからね」
ロレーヌの言葉はただの挑発だ。それは、アッシュも同様に解釈した。
しかし、アッシュの胸には、子供のわめきに近い文句が弾かれることなく潜り込み、水面に浮かんで小さな波紋を作り出すのであった。
「ルイズ。シエスタを頼む」
「う、うん。あれだけ偉そうにしてたんだから、当然勝つわよね」
「そのつもりだ」
アッシュは踵を返し、決戦場へと向かう。足を踏み出す前に、シエスタの様子を確かめる。
怯えが濃く表れているものの、ある程度は安心して凭れかかれる人間がいるおかげで自我を失うほどの深刻さはなくなっている。
アッシュは、多少の不安を感じつつ、問題はないと判断して歩みを速めた。
一方、アッシュの相方となったギーシュは歓喜に震えていた。
実は、事がうまく進行しているのはド・ロレーヌだけではないのだ。ギーシュも、とある計画を実行するために、わざわざ火の中に足を踏み入れたのだ。
彼が最後に越えるべき関門は、自分が活躍した上で勝利者となることのみ。
ギーシュはド・ロレーヌの魔法のレベルの高さを知っている。にもかかわらず、喧嘩を売った理由はルイズの使い魔が強そうだからである。
召喚時に傷だらけだったとはいえ、直前まで戦いに身を投じていた騎士なのは確実なのだ。
ギーシュの心は、アッシュが学院で大人しく勉学に励む者に負ける要素などありえない、と根拠のない自信で溢れかえっている。
絶対に近づきたくない、深い森の中でおぞっけをもたらす笑いを漏らしたギーシュに、一人の女が寄って来た。
アッシュと同じ、焔の髪を靡かせるキュルケだ。
「ギーシュ、ちょっといい」
「う、は、はい」
間抜けな面をしたギーシュに、キュルケはある真実を伝えた。それは、妄想で膨らんだギーシュの身を即座に引き締めたのだ。
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