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#navi(ゼロのエルクゥ)
「ん、んんっ……」
ルイズの目覚めは、それなりに心地よいものだった。
いつもは眠気にあまり働かない頭も、珍しく目覚めてすぐに動き始める。
「……知らない天井、というわけでもないけど」
見覚えはあるが、見慣れない天井ではあった。
周囲には白い簡易ベッドが六個ほど並べられ、それぞれにカーテンが取り付けられており、鼻につくような秘薬の匂いがする……ここは、学院の医務室だった。
「私……痛うっ!?」
医務室で寝かされるような事があっただろうか、と思ったところで……ジクリ、と腹部に鋭い痛みが走った。
慌てて毛布をまくると、学院の制服の腹部に、見事な穴が開いている。
「あれ。服、だけ……?」
しかし、それだけだった。ブラウスと肌着に穴は開いているが、そこから覗く肌は綺麗なものだ。
傷のようなものは見当たらず、感じた痛みは一瞬で消え失せていた。
「私……そうだ! 私、ウェールズ様をかばって……!」
気を失う瞬間の記憶が、痛みの代わりに溢れ出してきた。
耕一とワルドの決闘。途中までの息を呑む互角の攻防からの急展開。
突然ウェールズに向けられたワルドの兇刃。間一髪でウェールズを庇ったルイズは倒れ、鬼に変身した耕一がその後を―――!
「ミス・ヴァリエール! お目覚めになったのですね!」
そこに、朗らかな女性の声が響き渡った。
ハルケギニアには珍しい、耕一と同じ黒髪黒瞳のメイドは、手に持っていた水の張られた洗面器とタオルを置き、こちらに小走りに駆けてくる。
「あんたは……確か、コーイチの知り合いの……」
「シエスタと申します。ミス・ヴァリエールが眠っている間のお世話係を申し付かっておりました」
「そ、そうよ。私はこんなところで眠ってるわけないのに、何でここにっ?」
「も、申し訳ありません。私は詳しい事情は聞かされていないんです。ミス・ツェルプストーとミス・タバサのお二人が、意識のないミス・ヴァリエールを連れてこられて……」
「キュルケとタバサが?」
ますますわからない。ルイズ達がアルビオンに向かった事は、当事者を抜けば、アンリエッタ以外誰も知らないはずだ。
ましてや、事はトリステインの危機なのだ。ゲルマニア留学生であるキュルケが知れるわけがない―――。
「いえ―――そうとは、限らない?」
そう……今回の件、ゲルマニアと無関係ではない。
レコン・キスタに対抗するために同盟を組む、その相手方だ。同盟と言う名前とはいえ、その実体は、ゲルマニアからの軍事援助。だからこそ、見返りとして、第一王位継承者であるアンリエッタがわざわざ向こうに嫁がなければならないのだから。
ゲルマニアにとっても、この話がご破談に終わる事はあまり望ましくないはずだ。猿山の大将に過ぎない彼の皇帝にとっては、国内の他勢力を跪かせる『始祖縁の王家』という権威は喉から手が出るほど欲しいものだろう。
此度の同盟が国家自体の命綱であるトリステインと違って余裕はあるだろうが、進んで破棄したいとも思っていまい。
そう考えれば、ゲルマニアが協力してきたとしても不思議じゃ―――。
「み、ミス・ヴァリエール? 大丈夫ですかっ?」
「あっ? ど、どうしたの?」
思索は、シエスタが肩を揺らした事で中断された。
「ご気分が優れませんか? ぼうっとしていたようでしたが……」
「う、ううん。何でもないわ。気分は、いつもよりスッキリしてるぐらいよ」
スッキリしすぎて妙に頭が回るほど、と、ルイズは先ほどの、まるで戦記小説の軍師のような思考を思い出して、心の中だけで一人ごちた。
「それならいいのですが……あ、ミス・ヴァリエールが気が付かれた事、報告しなきゃ。あの、少々お待ちくださいね」
ぺこり、と一礼して、シエスタは医務室を出て行った。
「……とりあえずは、話が聞ける人が来るかな」
シエスタを見送ったルイズは呟き、起こしていた上半身を投げ出すように横たえると、ぽすっ、とベッドから空気が抜けた。
「……どうなっちゃったんだろ」
アルビオンはやはり滅びてしまったのだろうか。任務はどうなったのだろう。
懐を探ってみたが、そこに入れておいたはずの件の手紙はなくなっていた。
そして、アルビオンで倒れたはずの自分を、なぜキュルケとタバサが連れてきたのか。
……ニューカッスル城で治療を受けて、眠っているまま脱出船に乗せられた。学院に連絡が行って、それを聞いたいらんことしぃのキュルケがタバサにシルフィードを出してもらって……。
「そんなところかしら」
さっきの妄想が馬鹿みたいに、それはすっと心に馴染む考えだった。
「やあ、君付きのメイドが慌てた調子で走っていったからまさかと思ったが、本当に気が付いたんだね」
「ん?」
そんな取り留めもない事を考えながら、窓からぼうっと外を見ていると、医務室にややハスキー気味な少年の声が響く。
「ギーシュ?」
「いやあ、良かった良かった。大丈夫かい? 学院に運び込まれてから、3日も寝ずっぱりだったんだよ」
現れたのは、耕一に手酷くやられて以来、妙に丁寧に接してくるようになったギーシュだった。
「私、そんなに寝てたんだ……」
「うむ。腹部への刺突なんて、暗殺でもされかかったのかい? 腕のいい水メイジに当たったようで、傷が残っていないのが幸運といえば幸運だが」
「……事情は、言えないわ」
「そうかい。あのミスタ・カシワギが命を落とすほどの事だったようだし、命があって戻ってきただけでもよしとするのがいいのだろうね」
「―――え?」
やれやれ、と肩を竦めたギーシュの言葉の中に、聞き逃せない言葉があった。
「コーイチが、なんですって?」
「……そうか、知らなかったのか」
「いいからもう一度言いなさい! ギーシュ!」
バン! とサイドテーブルを叩くルイズに、ギーシュは瞑目した。
「死んだ、と聞いている。君を傷つけられた相手を追い、相討ちになった……と、僕がキュルケから聞けたのはそれだけさ」
「なに、それ……」
死んだ? コーイチが? エルクゥが? あの地上最強の生物が?
「ところで、ルイズ」
自分を傷つけた相手……ワルドと? 相討ち? スクウェア・メイジは『アレ』すら打倒しうるというのか?
「君はいつの間に、その……そんなに体を鍛えたんだね?」
「はあ?」
思考を中断されたルイズは、杖より重いものなど持った事がないこの由緒正しき公爵家の三女に向かって何トチ狂った事を言っているのかこのヘタレナルシーはこっちは今忙しいんだ、と苛立たしげにギーシュの視線を追って―――。
「な、ナニコレっ!?」
そして、驚愕した。
先ほど拍子で叩いた鉄製のサイドテーブルが、まるで何か重いものが勢いよくぶつかったかのようにひしゃげ、潰れていたのだ。
「なにこれって、さっき君が潰したんじゃないかね」
「し、知らないわよっ! 手で叩いただけで、鉄のテーブルがこんなに潰れるはずがないじゃないのっ!」
見事にクラッシュしているテーブルを指差すギーシュに、ルイズはそんな正論を言い返す。
しかし、その心は―――『鉄などという脆い材質の』テーブル、手で叩いたらすぐに潰れるに決まってるじゃないか―――という、全く逆の感想を抱いていた。
いや、感想という意識ですらなかった。それは、ルイズにとっては、パンを食べる時にパンを指で挟んで引っぱればちぎれるじゃないか、というレベルの、誰でもわかっていてわざわざ言葉として脳裏に浮かべるまでもないような事実と同じものだった。
あまりにそれが自然だったので……自身でも気付くのに、しばしの時間が掛かった。
「やれやれ、痛んでいたのかね。しょうがない」
ギーシュが胸のポケットに挿していた造花のバラを手に取り、一振りすると、テーブルがみるみるうちに元の形に戻っていく。
材質が鉄から青銅になってしまっていたのはご愛嬌だ。
「これでよし。ふふ、僕の『青銅』は、そんじょそこらの鉄なんかより丈夫さ。ミスタ・カシワギに敗れてからというもの、研鑚を欠かしてはいないからね」
「…………」
得意げなギーシュをよそに、ルイズはじっと開いた自らの手の平を見つめていた。
「ルイズ、気を落とさない方がいい。ミスタは使い魔の本分を果たしたんだ。君が無事にここへ帰ってきた事が、何より彼への慰めになるはずさ」
「……そうね」
黙り込んだルイズを、使い魔が死んだ事への哀しみだと見てとったギーシュは慰めの言葉をかける。
確かに、それもショックではある。だが、キュルケからギーシュへの又聞きであるそれに現実感はあまりなく(どうせキュルケが適当こいたのだと思っていた)……それよりも、自らに起こった変化にルイズは気を取られていた。
「…………」
手の平から目を離し、今しがた再生されたばかりのテーブルに視線の先を変える。
「ルイズ?」
そして、おもむろに手を振り上げ―――自然な力加減で、その台の部分をはたいた。
めぎっ。どごん。
「どぉぅわっ!? な、何をするんだねっ!?」
平手を見舞われた一本足のテーブルは、その足のなかばから耳慣れない金属の潰れる音を立てて綺麗にヘシ折れ、台の部分が吹き飛んでいった。
自分の方に飛んできたそれをギーシュは慌てて避け、台は潰れながら壁にめり込んで止まった。
「―――どうなってるの?」
「それは僕が聞きたいよ……」
手を振り切った格好のまま呆然と呟いたルイズの声に、尻餅をついたギーシュの声がかぶさった。
§
「……何やってるのよ、ギーシュ」
「……ちょっと、レディのお世話をね」
しばらくして医務室に入ってきたキュルケは、壁に向かって杖である造花を振っていたギーシュに、何か可哀想なものを見るような生暖かい視線を向けた。
吹き飛ばされたテーブルがめり込んだ痕を修理していました、とはルイズに口止めされていて言えず、ギーシュは力無く肩を竦めただけだった。
「ふぅん。ま、頑張ってね。で、色男にお世話されてるラ・ヴァリエール嬢、ご機嫌はいかがかしら?」
「誰かさんが勝手に人様の使い魔を殺してくれたせいで最悪よ」
「……ギーシュに教えた事は、嘘じゃないわよ。私達がニューカッスルのお城に着いた頃には、もう全部決着が付いていたの」
そう、楓と一緒に帰ってしまった耕一の事を、キュルケとタバサは、耕一自身の話した内容から、吶喊したまま討ち死にしたのだと改竄した。
恋人が迎えにきて元の世界に帰ってしまった、などと真実を知れば、またルイズが癇癪を起こしてうるさいだろうから、というのがキュルケの言い分である。
あの時城に残っていた王党派の生き残りに話を聞けばバレてしまうだろうが……これから先そんな機会が訪れる事などそうはあるまい、という判断は、なるほど妥当なものだと言えた。
「そう……コーイチ、本当に死んじゃったのね」
「ええ。最期は、これが看取ったらしいわ」
「ちょっ、これ扱い? ちょっと扱い悪くね? 伝説の剣なんだぞーえらいんだぞー、あっやめて鞘に押し込まないでむきゅん」
もっともらしく脚色されたキュルケとデルフリンガーの話を聞いて、ルイズは今度こそ悲しみと喪失感を覚えた。
目を閉じ、思いを馳せる。彼はどこか一歩退いたところにいたから、泣きじゃくって呆然とするほどの強い衝動ではない。滴る水がゆっくり布に染み込んでいくように、心に悲しみの色が広がっていく。
それは、厳しく鍛えてくれた長姉とも、慈愛で包み込んでくれた次姉とも違う……そう、そっと見守ってくれる兄のような。そんな存在だった。
「……どうせそのうち、次の使い魔は召喚する事になるんだぜ? 無駄だと思うんだがねえ」
「もう、2回目の『サモン・サーヴァント』でも、同じものが召喚されるって決まってるわけじゃないんでしょ?」
「普通の系統メイジならね。それぞれの系統と実力に合った奴が選ばれるが……相棒は虚無の使い魔で、ってことは娘っ子はおそらく虚無の担い手で、使い魔が選ばれる基準は謎に包まれてる。運命、なんて言われてるぐらいでな」
「虚無、ねえ。ルイズが虚無の系統ってのがいまだに信じられないけど、タバサもそんな事言ってたしね。そうだとすれば、もう一度呼ばれる可能性が高い、か」
「ま、一度体験した身だ。開いたゲートに入るかどうかはあっち次第だろうけどな」
その横で、キュルケとデルフリンガーが小声で言葉を交わしあう。 耕一達が帰っていってしまったその帰途、事実を誤魔化すかどうかで散々話し合った事だった。
「あの様子だと、お嬢ちゃんが行かせないっぽいがねえ」
「もしかしたら、二人一緒に来るかもよ?」
「はは、有り得そうだ。んで『コントラクト・サーヴァント』でキスするときに一揉めあったりしてな」
「きっと見ものよ、それ」
くすくす、と剣と女が密かに笑いあったのを見咎めて、ルイズの眉が釣り上がった。
「何笑ってんのよ」
「んーん、何でもないわよ。で、あなた体調の方はどうなの? もう起きても平気なの?」
「ん……たぶん大丈夫よ。何だか体が軽いくらい」
ぐるぐると腕を回したルイズが、身軽にベッドを抜けてしゅたっと床に降り立った。
ギーシュはその様子を見て冷や汗を顔に貼り付けている。
「そ。じゃあ来てくれる? 色々と学院長に報告しなくちゃね」
並の男だったらそれだけで陥落させられる、流れるようなウィンクを飛ばしながら、キュルケはドアを開いた。
デルフリンガーを肩に担いだその姿は、妙に似合っている。そのままスラリとその長剣を抜いて、妖艶な剣舞でも踊り出しそうであった。
「はぁ。もう、ツェルプストーは野暮しか知らないのかしら。少しぐらい悲しみに暮れさせてくれてもいいじゃないの」
憮然としながらも、傍らの椅子の背にかけてあったマントを羽織るルイズ。
「……服がごわごわするわ。お風呂入ってきていい?」
「我慢なさいな。報告が終わったらご一緒致しますから」
「結構よ。あんたの風船みたいな体なんて見たくもない」
「うふふ、洗濯板よりは殿方を満足させられましてよ?」
「あーはいはい。色ボケも大概にしとかないと刺されるわよ」
「うーん、まあ確かに挿されてはいるけど。そんな逆恨みをするような男は最初から相手に―――」
「す、少しは自重しなさいよ! さすがに下品すぎるわよ!?」
小気味よく言葉を応酬させながら連れだっていく二人の背中を見送って、部屋に残された一人はぽりぽりと頭を掻いた。
「あー……随分と、こう……図太くなったねえ。あれはホントにルイズなのかい?」
ゼロだ無能だと蔑まれ続けた環境からか、本来の繊細でナイーブな面が、癇癪やヒステリーとして表に出てしまっていた少女。
それが今は……なんだか、酸いも甘いも噛み分けた傭兵メイジのようだ、などと突飛もない事をギーシュは感じていた。
§
「目が覚めたばかりだと言うのに、わざわざご足労願ってすまんの、ミス・ヴァリエール」
「いえ、オールド・オスマン。私も話を聞きたいと思っていましたので」
「うむ。現在の時点でわしが知っている事は伝えよう」
腕を広げてルイズを歓迎したオスマンは、椅子に座り直して水ギセルをふかした。
「君がミス・ツェルプストーとミス・タバサによって学院に運び込まれてきたのは、3日前の事じゃ。腹部に傷を負っていたようじゃが、既に完璧に近い治療が施されておった。それからずっと眠り続け、今しがた目を覚ました、というところじゃな」
「はい。それで、学院長は、その……私が外出していた、理由については?」
「姫殿下より、委細聞き及んでおる」
「では、私が懐に入れておいたはずの手紙は……」
オスマンは、首を横に振った。
「ワシ等は見ておらん。持っていたのになくなっておるというのなら、果たして奪われたか落としたか。君が深手を負った状況が不明じゃから、何とも言えんが―――」
「そこは、私が説明させていただきますわ」
ドアが開き、外で待っていたはずのキュルケが入ってくる。
「キュルケ! 機密の話よ!」
「こちらも機密の話よ。―――先日、ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世からトリステインに、正式に遺憾の意の表明がありましたわ。内容は、婚約していたアンリエッタ王女の不義について」
「っ! そ、それは!」
「そ。アンリエッタ姫からウェールズ王子へのラブレターは見事奪われて、皇帝の下に、ってワケね。まったくあのヒヒオヤジったら見栄張っちゃって。始祖の血が欲しかったら、ここで手紙を握り潰せばいいのにねえ……」
自分の国の皇帝をヒヒオヤジ呼ばわりしたままの不遜な態度で、キュルケはやれやれと肩を竦めた。
「ミス・ツェルプストー。その話、本当かね?」
「ええ、間違いなく。先ほど私の実家から連絡がありましたの。トリステインの王宮は、今必死に使者を飛ばしてる頃じゃないかしら。一両日中には、ここにも連絡がくるかもしれませんわね」
「ふぅむ……」
目を閉じて髭を撫で、オスマンは考えにふける。
「それじゃあ、私の任務は、失敗したのね……」
「あら。てっきり、『なんでアンタが手紙のこと知ってんのよ』とか言い出すかと思ったのに」
「……別に。ニューカッスルまで私を迎えに来たんでしょう? どういう風の吹き回しかは後で聞かせてもらうけど、だったら知ってても不思議じゃないもの」
落ち込んだ様子はあるものの、らしくなく冷静なルイズに、キュルケはニヤニヤと興味深げに視線を送る。
「……ああ、姫さま、申し訳ありません」
「別に謝る必要はないと思うわよ? ある意味、それ以上の働きをしたと思うけど」
「余所者は黙ってなさい」
瞑目するルイズをからかうようなキュルケの口調に、ルイズの声が厳しくなった。
「だって、もう同盟なんてする必要がなくなったんですもの」
「どういう意味よ」
「ハルケギニア統一を掲げる『レコン・キスタ』に対抗するための軍事同盟―――いや、始祖の血脈を差し出す代わりの軍事援助だったんでしょ? その『レコン・キスタ』がなくなっちゃったのに、する必要ないじゃない」
「は?」
ルイズの目が、呆気に取られて丸く開いた。
「ど、どういう事よ?」
「アルビオンの内戦は王党派が勝利。反乱軍である『レコン・キスタ』は消滅して、ジェームズ一世陛下もウェールズ皇太子も健在。今は元鞘に戻りつつあるってところかしら」
「ちょ、ちょ、ちょっ! なにそれ!? 王党派が勝利って……!」
「聞いた通りの意味よ」
「そ、そんな事あるわけないじゃない! 負ける寸前だったのよ!?」
あの絶望的な状況を、300対50.000の戦いを勝利したというのか? どれほどの奇跡が起こればそんな事が可能なのか?
祝宴前の余興と称されたワルドと耕一の決闘を楽しげに観戦していた王党派のメイジ達。滅亡を前にしても揺るがないその覚悟に感じた物悲しさを思い出し、ルイズは声を荒げた。
「あなたが否定してどうするのよ。言ったでしょ? 『ある意味、それ以上の働きをした』って。王党派が勝てたのは、ルイズ、あなたのおかげなのよ?」
「な、何の話よ」
「コーイチよ。あなたの使い魔が、『レコン・キスタ』軍を一人で壊滅させたの。まぁ実際に倒したのは五千か一万かってところでしょうけど、それで完全に士気は崩壊。その混乱に便乗した王党派軍が、見事『レコン・キスタ』の総司令官を討ち取った、ってわけ」
「は―――」
息を呑む。あり得ない、と驚く心と、なるほど、と納得する心がキッチリ半々に溶け合い、ルイズは目を見開くばかりだった。
「……一度君から報告を聞いてはおるが、今聞いても荒唐無稽な話じゃな」
「事実ですわ。全て見ていた証人……いえ、証"剣"がいますから」
と、担いでいる長剣を掲げてみせる。
「デルフリンガーを発見出来たのは、本当に偶然でしたわ。タバサの使い魔である風竜でニューカッスルに向かっている途中、死屍累々の戦場の中に不自然に光るものがありました。不審に思って降りてみるとコーイチの死体があり、持っていたこの剣が光を放っていましたの」
デルフ、と声をかけて少しだけ鞘から抜くと、その刀身が強く光を放って消えた。
自らを錆びさせていたのを元に戻す時に光ったのと同じ原理だ。話を合わせ、光ってもらったのだった。
「誰かに気付いてもらえないかと光っていたそうですわ。近くには、トリステイン魔法衛士隊の制服を着た死体もありました。デルフリンガーの話では、密命を帯びたルイズの護衛だったらしいのですが、ニューカッスル城で豹変し、ウェールズ皇太子の命を狙ったと」
「うむ……」
そして、デルフリンガーと、その裏切り者の兇刃からウェールズ皇太子を庇って傷を負い、治療を受けていたルイズを回収し、戻ってきた―――そう締めくくり、キュルケは一歩下がった。
帰ってきたばかりの時に報告した内容と同じものだ。概ね今の言葉は、ルイズに対する説明だった。
「……あれだよな。結局、『なんで最初ニューカッスルに行こうとしてたのか』って部分には触れてねぇんだよな」
「学院長は、頭が回りすぎて勝手に想像してくれるわよ。ルイズは、さて今までのルイズだったら、そんな事気付きもしなかったでしょうけど……ふふ、今のルイズには、後で説明しなきゃいけないみたいよ? 面白いと思わない?」
「あくどい女だねえ」
「要領がいいと言ってちょうだいな」
そんなひそひそ話に気付いているかいないか、オスマンがうぉっほん、と咳払いをした。
「さて、ミス・ヴァリエール。使い魔を失った悲しみは理解するのじゃが、君には一つやってもらわなければならない事がある―――王宮への報告じゃ」
「……はい」
「うむ。じゃが、今からというのも急じゃな。今日は大事を取って休むといい。明日、面会が出来るよう手配をしておこう」
「お気遣い、ありがとうございます」
頷いたルイズに、オスマンはキセルを一服して髭を撫で、嘆息するように言葉を搾り出した。
「……ともすれば、君の言葉一つで、トリステインがこれからどう動くのかが決まるやもしれぬ。心してかかりなさい」
§
時刻は午後に入ってしばらく。学院長室を出たルイズとキュルケは、ゆっくりとした足取りで、自分達の部屋のある寮塔に向かっていた。
今日の授業を終えた生徒たちは、それぞれの広場で昼下がりの社交を楽しんでいる。
目覚める前は戦場真っ只中の城にいた事もあってか、ルイズはどこか現実感のない眼差しでそれを眺めながら、頭を悩ませていた。
「私の言葉一つで、か」
「そんな気にするもんじゃないわよ。甘言で王女様を操って国を自在に動かしたい、とか言うなら別だけど」
「……自分の国の行く末を気にしない貴族なんていないわよ」
「ご忠臣ですこと」
そんな二人を見て、近寄ってくる影があった。
「やあ、ゼロのルイズじゃないか。お強い使い魔様に逃げられて追っかけてたから休んでたってホントかい?」
でっぷりとお腹の出た、小太りの少年―――ルイズ達のクラスメートである、マリコルヌ・ド・グランドプレだった。
「……下手を打てば、面子を潰されたゲルマニアとの戦争になるわ。何とかそれだけは防がなくちゃ」
「そうね。ま、必要以上に刺激しなきゃ大丈夫よ。まだ内が固まりきってないから、他んちの庭に援軍出すぐらいならまだしも、単騎で他国の首都を攻めるような戦争やる余裕はないはずだもの」
「……あんた、ツェルプストーでしょ? そんなホイホイ自分とこの内情ばらさないでよ」
「いーのよ。これであのジジイが失脚したら、それはそれでうちには儲けものだわ」
「まったく、野蛮な国ね」
「自由と言ってちょうだい」
「ゼ、ゼロのくせに僕を無視するなあ!」
風どころか空気の扱いで、ルイズとキュルケはマリコルヌを通り過ぎていく。
「殿方が何か御用みたいよ、ルイズ」
「虫が足元にいるからってわざわざ踏み潰すなんて大人気ない事しないわよ」
「あら、気が合うわね」
あからさまな無視であった。虫扱いで無視である。
残念ながら今のマリコルヌは、汚い物を見下すような視線を受けて悦ぶような特殊な性癖は持ち合わせていなかった。
「きっ、きっ、貴様ぁ! ゼロの分際で僕を侮辱するか!」
マリコルヌは健全な男子として、顔を真っ赤にして杖を抜き放った。
「目下の者にしか威張れないかぜっぴきがナマ言ってんじゃないわよ。潰すわよ」
「や、やれるものならやってみろ! 僕の『風』の前で、ゼロがそんな事出来るもんか!」
いつものヒステリーとは違う、妙な迫力を持ったルイズの言葉にマリコルヌは少々たじろぐが、魔法成功確率ゼロにそんな力は無いと判断している理性は、なんとか応酬を続けさせた。
「……あたしにもケンカ売ってるってわからないのかしら」
キュルケが呆れた表情で、袖の中に忍ばせてある杖をそっと指に掴む。
この剣幕が続けば、一悶着ありそうだ、と直感したのである。この太っちょがトチ狂って一発撃つ事でもあれば、自分の『火』で収めよう、と思っていた。
―――結論から言えば、その直感は当たっていたが、その必要は全くなかった。
「そちらこそやってみなさいな。そんなガラガラ声じゃ、羽虫だって飛ばせないわ」
「こ、声は関係ないだろ声はぁ!」
「声は空気の震え。風の力よ。お偉いかぜっぴきのメイジ様は、『サイレント』も満足に使えないのかしら?」
「つ、使えるさ! お前なんて、何にも使えないだろう! このゼロめ!」
「何も使えなくても、あんたのを潰すぐらいわけないけど」
「こ、このお……! 少し教育してやる必要があるみたいだな……!」
顔を真っ赤にしたマリコルヌが、とうとうルイズに向かって杖を振るった。
「『エア・ハンマー』!」
ドット・スペルとはいえ、訓練していない人間なら軽く吹き飛ばせる風の鎚がルイズを襲う。
ルイズは、それを興味なさげに横目で見やると、酷く無造作な手付きで、キュルケの担いでいたデルフリンガーを掴み、抜き、振った。
目にも止まらぬ速度で振られた、少女の身長と同じほどの刃を持つ長剣は、寸分の狂い無く風の鎚の真芯を捉え―――ぽしゅう、と気の抜けるような音が鳴って、それだけだった。
「へ、へあ?」
何も起こらず、軽いそよ風がルイズの桃色のブロンドを小さく揺らした。
「こんなそよ風のハンマー、浴びてたら風邪を引いちゃいそうね」
「くううっ! 何をしたのか知らないが、絶対にその小憎らしい顔を吹き飛ばしてやる! 『エア・ハンマー』!」
振られる杖と剣。
結果は、先ほどと同じく、ルイズの長い髪の先端を揺らすだけ。
2回、3回と呪文は繰り返されるが、全て同じ結果に終わった。
「はあ、はあ、はあ、はあ……な、何なんだ、何なんだよお! どうしてこんな……!」
「現象が目の前にあるのに、理解しようとしないからよ。人間なら、頭を働かせなさい」
「ひ、ひいいいいぃっ!」
ルイズは、まるで歴戦の剣術家のように素早い一歩を踏み出すと、へたりこんだマリコルヌの首元めがけ、処刑人のように無造作に、デルフリンガーを振り下ろした。
「ひぃっ!」
びゅん! と風を切る音に目を閉じる。しかし、予想されていた衝撃や痛みはなかった。
おそるおそる目を開けると、首筋薄皮一枚のところでぴたりと、その剣は止まっていた。
「あう、あう、ああ、あ……」
斬鉄の勢いで振られた長剣を寸止めする。
マリコルヌは、自らのあまり美しくはない肉体を少しでもマシにしようとかつてしていたトレーニングを思い出し、それを成す為の尋常ならざる膂力を理解してしまった。
鉄の塊を振り回す事よりも、振った鉄の塊を止める事の方が、ずっとずっと難しいのだ。
「杖を抜いた狼藉は不問に付すわ。下がりなさい、豚」
「あひっ!」
ガキン! と剣を進め、切っ先を地面まで突き刺すと、わたわたとマリコルヌは逃げ出していった。
「はあ。まったくもう……行きましょ、キュルケ」
ルイズは、デルフリンガーをひゅんひゅんと片手で軽快に振って土を払い、鞘に収めると、ぽいっとキュルケに投げ渡した。
「…………」
「何よ、何か文句あるの?」
「な、何でもないわよ。行きましょうか」
歩いていくルイズの背中を見やりながら、キュルケはそっと鞘から剣を抜く。
「……デルフ、今のは」
「……たぶん、間違いねえよ。握られた感触がソックリだった」
「そう……」
「娘っ子には自覚がねえっぽいけどね」
「そこが一番の問題よね……はあ、貧乏クジばっかりだわ」
「お疲れさん」
「ありがと」
そして、一瞬だけ痛ましそうな表情を浮かべると、早足でルイズの後を追っていった。
§
「あひ、あひっ」
夢中で逃げ出したマリコルヌは、人のまばらなヴェストリの広場の隅に転がるように倒れこんだ。
「豚、豚だって……僕の事を豚だって……!」
今なら誰も見ていない。マリコルヌは押し留めていた感情を解放し、ひくひくとしゃくりあげた。
「豚、豚ぁ……ひっ、あひいっ! 豚、豚っ! 豚ぁっ!」
ぼろぼろと涙とよだれを流しながら、ズボンに失禁の染みが広がっていく。
「ああっ、あああっ……! あんな小憎たらしい女の子に豚と罵られる事が、こんなに、こんなに……!」
そして、マリコルヌの中には、恐怖や、劣等感や、恥辱や……様々な感情がはちきれんばかりに溢れ―――
「気持ちいい事だったなんてッ!!!!!」
……開眼した。
「ああ、たまらないッ! 豚と呼んでくださいッ! 豚にしてッ! 僕はつるぺた少女の豚ですうぅッ! 乗って! つるつるおまたで跨ってくださいッ! 鞭! 鞭イイッ! ちっちゃなおててに持った鞭で、醜く膨れた豚めの尻をキツくお仕置きしてッ! ぶひぃぃぃん!」
……濡れたズボンからは、ほのかに栗の花の匂いがしていた。
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