「鋼の使い魔-17」(2008/08/15 (金) 03:26:45) の最新版変更点
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#navi(鋼の使い魔)
魔法学院はその建物構造として、巨大な五つの塔とそれ繋ぐように作られた屋根を主として出来ており、それに付随するように大小の建物が作られている。
さて、それらの建物をぐるりと囲む塀の正面が空けられ、本塔の出入り口までの直線上に、各々に着飾った生徒と教師達が並ぶ。
やがて街道から学院の敷地内へゆっくりと入ってきた、幻獣らに率いられた王女一同が到着すると、整列した者はみな杖を掲げて迎えた。
敷かれた緋毛氈に音もなく足を下ろす王女アンリエッタ、そしてそれに続くマザリーニが、衛兵や護衛の幻獣騎兵に見守られながら本塔入り口前のオスマンの元まで静か
に歩いていく。
直立してきびきびと杖を上げ、永代の忠誠を示そうという若者達に、アンリエッタは手を振って答える。
賑やかしくも厳かな雰囲気を作っている歓迎式典の外側にたむろする人影があった。木陰の元に座り本を広げたタバサ、その脇に立つキュルケ、そしてギュスターヴであ
る。
キュルケとタバサは留学生である為、この歓迎式典への参加は強要されなかったし、ギュスターヴにいたっては一使い魔というのが形式上の身分である。列席できるわけ
もない。
キュルケは居並ぶ生徒の隙間から覗けるアンリエッタの容貌をつぶさに観察していた。
「へぇ。あれがトリステインの王女様ね。結構綺麗だけど、私には負けるわね」
いかにも自信に満ちたゲルマニア娘らしく、髪をかきあげて鼻で笑って見せたキュルケ。
しかしギュスターヴは、その様がなぜか滑稽な感じがして、笑っては悪いと思いつつも、篭るように笑い声が出てしまう。
キュルケはそんな、熟成された大人の男の雰囲気を持ちながら、どこか青年のような振る舞いを見せるギュスターヴを見せられて、自分が何か変な事をいったのではない
かなどと思えて、逆に恥ずかしい気持ちがする。
「あら、お笑いになるなんて酷いわミスタ」
「いやいや…」
詫びるように手を出すギュスターヴだが、顔は綻んでいる。余計に自分がただの小娘のようで、キュルケの頬がほのかに羞恥に熱を佩びるようだ。
そんな様を脇に見ていたタバサは、さて、二つ名らしい冷静な一言を友人に献上する。
「柄じゃない」
「ぅ…」
冷や水を浴びせるような物言いに、別にいいじゃないと言えば、柄じゃない、と先とおなじ調子で返されて、こちらは微熱も冷めるというものだ。
そんな和気とした娘達のやり取りを尻目に、ギュスターヴは整列しているはずのルイズを目で探していた。
そのチェリー・ブロンドは遠目からでも目立つから、労もなく見つけることが出来た。
しかし、どことなくであるが、ルイズの視線は緋毛氈の上を進む王女から外れているように思えた。さて、ではルイズは何を見ているのだろうか。
ギュスターヴは次に、馬車の周りに待機している護衛たちに目を向けた。数騎の見慣れぬ動物にまたがり、それでいて規律による制御を纏った男の中に、一際立派な一つ
を見つける。
獅子の体躯に大鷲の頭と羽根を持った獣に騎乗し、視線は窺えぬほど大きく立派な羽帽子を被った男だ。
(あの男…)
帽子の影から輪郭に沿って揃え切られた顎鬚が見える。
(王族の護衛なのだから、相当に腕は立つのだろうな)
一剣士として興味はあったが、さて、何ゆえルイズの視線を集めているのかは想像できない。
むしろギュスターヴは、今オスマンから礼を受けて一言二言交わしているアンリエッタとマザリーニに興味を移す。それは勿論、ここに並ぶ貴族らのそれとは、二色三色と
意味を変えたものだ。
(あれが宰相と、王女か)
ギュスターヴの目に、トリステインの屋台骨を支える枢機卿は、あだ名される『鳥の骨』よろしく、肉体から力が絞り尽きかけているかのように見える。対照的に、手をオスマ
ンに取られたアンリエッタは、血と育ちが作る高貴を惜しみなく振りまいていた。しかし、
(王女に政をする人間が持つ『鋭さ』がない…。宰相の負担も相当なのだろう。王女も政治に興味があるというわけじゃないのだろうな)
時に稚いほど繊細な空気を持っていた、年離れた妹を思い出す。
(マリーも政治に興味は持たなかったな…)
あれはあれで、周りに同族の男達がいたからそうであれたのだが。
(…未練ったらしいと、お前は笑うか?フィリップ)
果たして、友に託した妹は、健在であるのだろうか?
『アンリエッタ来訪』
アンリエッタの行幸せし魔法学院の晩餐は、それに見合う規模の食事を用意するべく、地下の厨房も平時以上の繁忙を見せた。
厨房を仕切るマルトーは勿論、メイドに復帰していたシエスタなど、有能を買われて平メイドから昇進、同輩達を指揮する立場に置かれて走り回って過した。
そんな夕食も終わり、生徒達も各々の部屋に戻って思い思いに過す頃。
ルイズは式典からずっと、心ここにあらずという状態で、部屋の中でも机に向かったかと思えば、ぼんやりと外を眺め、かと思えばベッドに倒れこんでゴロゴロしたり、と
まったく落ち着きがない。
ギュスターヴは、放っておけば治まるだろうと相手にせず、コルベールからもらった端切れの紙を使って、文字の練習をしていた。
「嬢ちゃん。いい年なんだからちっとは落ち着いたらどうよ?」
たまらず声をかけたデルフだったが、ルイズは答えずやはり落ち着かずフラフラと部屋を彷徨っていた。
ギュスターヴが字を紙一杯に書きつけた頃、何者かが扉を叩く。
「誰か呼んでるぞ」
「うん。……このノックの仕方は……」
ゆっくり二回、素早く三回ノックする、それを三回繰り返してから、客人はそっと扉を開けて室内に入ってきた。
その姿は顔はおろか足先まで覆い隠すほどのローブを纏っていた。かろうじて、体の線から女性らしい事がわかる。
室内に入ることが出来た客人は、懐から水晶のついた立派な杖を抜くと、外壁や窓に向かって杖を振った。
「ディティクト・マジック…?」
「どこに目や耳が潜んでいるから判りませんから…」
「その声は…」
客人がローブを脱ぐ。
ギュスターヴは目を見開いた。その正体は昼間、遠くから観察していた、王女アンリエッタその人に相違いなかった。
「お久しぶりね、ルイズ」
「アンリエッタ殿下?!」
客人の正体に衝撃を受けたルイズは、さっきまでのフラフラ振りも吹き飛んで、床に跪いて王女を迎える。
アンリエッタはそんなルイズを見て、身を屈めて抱きしめた。
「やめてちょうだいな!ルイズ。貴女と私はお友達じゃないの」
「勿体無いお言葉です。殿下」
「もう!そんな堅苦しい挨拶は止めて頂戴。ここにはあの辛気臭い鳥の骨も、政から逃げる事しか考えていない母上も居ないんだから。友人にまでそんな素振りをされたら
、私は悲しくて死んでしまうわ!」
「そうは言いますが、殿下」
「幼い頃、一緒に遊んでくれたでしょう?宮廷の庭を二人して蝶を追いかけたり、侍従に召し物を汚して叱られたり…」
まさに懐かしむようにアンリエッタは幼い日々の思い出を諳んじてみせる。
「…ええ。クリーム菓子を取り合いしたり、ドレスの奪い合いで喧嘩もしましたわ」
「懐かしいわ…あの頃は。今ほどにあれこれと目に付かなくて」
すっかり蚊帳の外に置かれたデルフとギュスターヴ。デルフはカタリと鳴って聞いた。
「お嬢ちゃん。お姫さんとはどんな知り合いなのよ?」
「口を慎みなさいボロ剣!…ご幼少の頃、恐れ多くも遊び相手を務めさせて頂いていたのよ。でも、その頃の事など、もうお忘れになられていたと思っていました」
「忘れたりしませんとも。あの頃は毎日が楽しかったもの」
アンリエッタとルイズはベッドに腰掛け、更なる思い出話や巷に溢れている他愛もない噂について語り合い始める。その様は年頃の町娘とそれほど違いはない。
アンリエッタは次第に日々の愚痴を零していく。宰相と母マリアンヌ女王の間を行き来するように扱われていること。そんな日々に鬱憤を貯めたあげく、今日は旧友と会うた
めに抜け出してきた事も。
「…御政務を耐えるご心痛、察しいたします、殿下」
「ふふ…。貴方がうらやましいわ、ルイズ」
ふ、と無意識に自嘲の笑みが出る。魔法も使えぬ私を羨んでくれるなど、お優しい。
「何をおっしゃいます。殿下は唯一無二のトリステイン王女じゃないですか」
「王国の姫なんて自由もない、籠の鳥よ?声一つで、何処にでも行かされるのだから…」
声の調子が落ちて、アンリエッタの視線が遠く窓を見ている。二つの月はいつの夜も明るく高い。
「…結婚するのよ、わたくし」
「……おめでとうございます」
アンリエッタの雰囲気から、ルイズもそれが快いものと思っていないことを察した。
「風の噂で聞いているだろうけど、アルビオンが内乱で滅ぶそうよ。聖地奪還を謳う賊軍が、あの白の国から飛び出て蝗のようにハルケギニアを食い尽くしていくでしょう。
そうなれば、小国トリステインは火をつけた枯葉のようにたやすく燃え尽きるのです」
「…はい」
「ですから今回のゲルマニア訪問も、私のゲルマニア皇帝との結婚を条件に軍事同盟を結ぶことになったのです」
「あの蛮族!ゲルマニアなどにですか!」
「仕方がありません。世の流れですから…」
話し込むと人は周囲の状況を良く忘れていく。年若い娘達なら尚の事である。
話の輪の外に置かれた一人と一本。デルフが小声でギュスターヴに問いかけた。
「なぁ相棒。これってものすげー大事な話なんじゃね?ふつー、国の大事な話をお嬢ちゃんみたいな小娘に話すもんじゃーねーと思うんだけどよ」
「まぁな。よっぽど友人と話す言葉が欲しかったんだろう。聞き及ぶ限り、王女は女王や高官にいいように使いまわされているらしいしな」
(母親には政務を押し付けられ、高官には人気取りや取引材料に使われ、か…。面倒なものだ。お飾りも身代わりも嫌なら自分で行動すればよいものを。怠惰な娘だ)
「……それにしても、ごめんなさいな、ルイズ」
「なんでしょうか?」
「そこの彼、恋人でしょう?二人の時間に割って入ってしまって、つい懐かしくて粗相をしてしまいましたわ」
「えっ?!ちょっ、違います!」
「あらそうなの?」
とんでもない誤解だと、ギュスターヴは声を殺して笑う。
「笑うんじゃないわよ!姫さま、あれは私の使い魔でございます」
「使い魔?」
改めて、ギュスターヴは衣を直して背を伸ばし、深く礼をする。
アンリエッタはそれをしげしげと見ていた。
「人にしか見えませんが…」
「正真正銘の人です。多少、剣が使えます」
多少ね…、と、謙遜させる様を笑うギュスターヴと、それをルイズが睨んで返す。
そんなやり取りをきょとんとした顔でアンリエッタは見ていた。
「そう…。あなたって昔から少し変わっていらしたものね」
「いえ、別に好きでこれを使い魔にした訳では…」
「でも、メイジと使い魔は不可分の関係といいますから」
「それは、そうなんですけど…」
自分の部屋なのに妙に居心地の悪さを感じるルイズであった。
しかしアンリエッタは、そんなルイズと、ギュスターヴを交互に見てから、静かにため息を吐いた。
「いかがなさいました?」
「何でもありませんわ。…嫌ね、わたくし。こんな事話せることじゃないのに」
「何の事かは存じませんが、お悩みならお聞かせくださいませ」
「いいえ、話せませんわ!忘れてくださいな」
「いけません!先ほど言ってくださったではありませんか!友人と呼んでくれたではありませんか。友人と思ってくださるなら、悩みのお一つもお聞かせくださいませ」
アンリエッタとルイズの会話が、徐々に熱を佩びていく。傍目には明らかにアンリエッタが引き金になっているのを見てとれるギュスターヴとデルフは、
対照的に冷めた気分でそれを眺めていられる。
「痛いなぁ、嬢ちゃんたち」
(芝居がかってるなぁ。無意識にやってるならとんでもない娘だ…)
「…今から話す事は誰にも話してはいけません」
アンリエッタが話を始めようとドレスのすそを直していた。ルイズはギュスターヴに視線を向ける。
「ギュスターヴ、席を外してくれる?」
「ん…あぁ」
部屋主が出ろという以上、ギュスターヴはデルフを持って廊下に出た。
「何はなしてんだろーなー。あの二人」
廊下に出たものの、それなりに会話の内容は気になる。
「さぁな」
(暫く時間を潰すにも夜中だしな…コルベール先生のところにでも…)
さてどうしようか…と足を踏み出そうとした時、隣の部屋の扉がきぃ、と開き、部屋の中から声と共にギュスターヴを手招いた。
「はぁい。夜分遅くごきげんよう」
「キュルケ」
「部屋閉め出されちゃったんでしょう?しばらくうちに来ない?」
キュルケの部屋はルイズよりももっと色彩を落とした、シックなしつらえの調度品が使われていた。しかし部屋の各所には色の派手な使い方をしていて、情熱的な
ゲルマニア人らしい感じである。
キュルケの部屋には先客が居た。タバサである。
「どうしてタバサがいるんだ?」
「この子、私の持ってるレイピアを貸してくれって言うのよ」
「レイピアを?どうして」
タバサはホットワインの注がれたカップを置いて答えた。
「剣の練習に使いたい」
「おいおいちびっ子。こんなお飾りだらけの剣で練習なんてできるかよ」
無造作に部屋に置かれていたレイピアを、ギュスターヴは小枝を拾うように持ち上げる。
「…まぁ、素振りに使える程度の代物だな」
「酷い言い草ねぇ。せっかく部屋にお招きしたのに」
「ははは…いや、助かった。夜中じゃ行く宛もないからな」
床を這うフレイムがきゅるきゅると呻って足元にいる。
「ところで、誰がルイズを訪ねてきたのかしら?背格好の感じだと若い人みたいだけど」
「さぁな。俺が言うことじゃない」
「そ。じゃあ、自分で調べちゃうわ」
タバサにキュルケがなにやら耳打ちをしている。
「剣と交換」
「もぅ、吝嗇ね~。ま、いいわ。剣の代金は実家から払ってもらってるし」
やにわにタバサが立ち上がり、ルイズの部屋と隣接する壁に杖を振って魔法をかける。
すると壁の向こう側から徐々に話し声がはっきりと聞こえてくる。
「音を遮断する『サイレント』の応用ね」
「まったく…好きにしろよ」
参ったギュスターヴは黙って椅子の一つに座り、キュルケとタバサもベッドに座って隣の声に耳を傾けた。
ルイズの部屋から聞こえてくる。二人の声に神経が注がれる。
「好きな相手と結婚できるなんて、始めから思ってないわ。そうでしょ?ルイズ」
「えぇ…まぁ…」
「アルビオンのおぞましき貴族達は、王家を堕落した存在と糾弾し、アルビオン統一の後のために他の王家の瑕を探しているのです」
「まさか。誇り高きトリステインの王家に、そのようなものがありましょうか!」
「……そうであればどれ程良いのでしょうかね」
「…ま、まさか……」
「…ええ、あります。一つだけ」
「それは一体…」
「わたくしが以前、アルビオンにおわすウェールズ王太子にしたためた一通の手紙です」
「し、しかし恐れながら、手紙一つで大事になるのですか?」
「おそらくは。あれに書かれた内容は受け取り様によってはゲルマニア皇室との婚約が破棄されるようなことが書いてあるのです」
「そのような物が…」
「まだ王軍が持ちこたえているうちは、問題ないでしょう。しかし月を跨ぐ事無く王軍は壊滅するだろうと聞きます。そうなれば手紙が反乱軍の手で
白日の下に晒されてしまう。そうなればこの国は終わりです…」
やがてすすり泣くアンリエッタの声がキュルケの部屋から聞こえる。
「ミスタ・ギュス。よろしいかしら」
「何だ?」
キュルケの目は聞こえてくる泣き声とあわせるには実に冷めている。
「『昔送った手紙が見つかったら私は恥ずかしくて生きていけないわ!』って言ってるように聞こえるんだけど、気のせいかしら?」
「俺に聞かないでくれよ」
ギュスターヴも少しうんざりした風情だ。
「うちの皇帝と婚約っていうと、客人はアンリエッタ王女ね。昔の手紙一つで同盟を反故するようなナイーブな人物じゃないわよ」
「詳しいな」
「まぁね。うちもゲルマニアじゃ上から数えたほうが早い家格のつもりよ」
事実ゲルマニアという都市国家群の中で、ツェルプストーは皇帝に一言物申せる程には権力を持っている。それで居ながら皇帝に目をつけられないのは、
ツェルプストー家自体の視線が対面するラ・ヴァリエール、率いてトリステインからの防衛に向けられているからである。
ふたたび聞こえてくる話し声。それは先ほどよりも激しい語調になっている。
「ああ、ルイズ!ルイズ・フランソワーズ!わたくしは、わたくしは一体どうしたら良いのでしょう?!戦に乱れるアルビオンにある手紙を消し去るなど、わたくしには出来ません!」
「姫さま…姫さま。このルイズ・フランソワーズめに一つの考案がございますわ」
「なんでしょう?」
「不肖このルイズ・フランソワーズ。アルビオンには幾らかの土地勘がございます。それにあと数日でアルビオンがハルケギニアに最も近づく『スヴェル』の日になります。
ですから…」
「いけません!友人をアルビオンに赴かせるなんて、そんな危険な事、とても頼めませんわ!」
「いいえ、行かせて下さいまし!このルイズ・フランソワーズ、姫さまの御命であれば地獄の釜の底でも、毒龍の肺腑の中でも行く所存。姫さまとトリステインの危機を
見過ごすことなど出来ません!」
「わたくしのために、そこまで行ってくれるなんて…嬉しいわ、ルイズ!わたくしは始祖から無二の友人を与えられて光栄ですわ」
「勿体無きお言葉です、姫さま…」
隣で聞いていた三人と一本。そのやり取りの酷さに今度はキュルケが深いため息を漏らした。
「…ミスタ」
「聞くな」
実際ギュスターヴもさらにうんざりしている。
「……ルイズもお姫様も、なんだか随分夢みたいな事言ってる気がするんだけど。ルイズが本当にアルビオンに土地勘があるか疑わしいわ」
「地に足つけて旅行したわけじゃないはず」
タバサが補足的に続ける。
「こんな事を王族が言ってるから、トリステインは国力を落とすのよ。見栄ばかり強くて、中身が伴わないんだもの」
「っていうかよー。お嬢ちゃんが行くっつーことは、相棒と俺様もついていかなきゃならないんじゃね?」
「そうね。ルイズがついてこいって言ったらそうなるわねぇ」
その言葉にギュスターヴは深いため息を漏らすのだった。
やがてルイズの部屋からアンリエッタが出てゆき、その頃合を計ってギュスターヴも部屋に戻るべく、キュルケの部屋を辞した。
「また何かあったら来てね。いつでも待ってるわ~」
ひらひらと手を振るキュルケを振り切って、ルイズの部屋へ戻る。
「…もう帰ったのか、王女は」
「ええ。ところで、明日は朝一で出かけるわよ」
「……どこへ」
もうどこに行くかは判っているのだが、盗み聞きしていたとは言えない。
「それは明日になったら教えるわ。だから今日はもう寝るのよ」
細かい話をするわけでもなく、ルイズはいそいそと寝支度を始め、さっさとベッドに入ってしまった。
灯りも消され、ギュスターヴとデルフだけが暗い部屋にたち残される。
明かりも消されてどうしようもない。ギュスターヴはいつもの寝床に入り、デルフを立てかけると、デルフが鳴って話しかける。
「なー相棒」
「ん?」
「本当にアルビオンに行くのかね」
「行くんだろう。本人が行くって言うんだから」
「相棒は納得できるのかよ」
「……正直言えば、余り納得はいかないさ」
「そりゃそうだわな」
「……でも、ルイズをつれて外国を見に行くっていうのは、悪くないと思うんだ」
「随分と余裕だな相棒。アルビオンは内乱で荒んでるんだぜ?しかも死に掛けの王軍の中に飛び込まなくちゃいけないんだぜ」
「そうだな……」
物思うギュスターヴ。
(ルイズももう少し冷静だろうと思ったんだがな…王女の過分な期待に負けたかな)
「…まぁ、最悪ルイズが生きて帰ってこれればいいんだろう」
「おいおい、たかが子守で死なれちゃ、『ガンダールヴ』も形無しだぜ」
「はは、そうだな。…んじゃ、俺は寝るぞ」
やがてデルフも静かになり、ギュスターヴの意識も、深い睡魔の中に沈んでいった。
ルイズとギュスターヴがアルビオンへ行く事になった、そのちょうど一週間前。
トリスタニア郊外に聳え立つ、寒色で塗り込められた巨大な建物が建っている。
トリステイン最大の監獄チェルノボーグである。
その監獄の奥の奥。夜闇を差し引いても暗い一室に、今より数十日前から人が入った。
時間も夜遅く。そこに収監された女性は、寝汗をじっとりとかき、悪夢に苛まれているように呻きながら、浅い眠りに身を窶している。
廊下の向こうから聞こえてくる。きぃ、きぃという何かを押している音が、やがてその部屋の前で止まった。
「起きろ。『土くれのフーケ』」
人気の殆どない監獄の中で、その声は実にはっきりと響き、フーケの意識を現実に引き戻した。
「うぅ……誰だい。こんな夜中に」
明り取りの松明の影に浮かぶ一人の男。その顔は仮面を被っていて様相は判らない。男が押していたのは、木で出来た車椅子だった。
「よほど貴族達に嫌われたようだな」
粗末なベッドに横たえていたフーケ。筵のような毛布の下に残した足の両脛から下は、生気のない黒紫色に変質し、力なくだらりとベッドの上にあるだけだった。
「収監時に足を切られ、水の魔法で表面だけ治されたな。失血で死にはしないが、一生をその足で歩く事は、もうない」
ぎりり、とフーケがその麗しい小顔を歪める。覚悟していたとはいえ、貴族相手に続けた盗みの果てが、これだった。
#navi(鋼の使い魔)
「人が寝ているのを起こして、言いたい事はそれだけかい」
「まぁ待て。私はお前を助けに来たのだよ」
ククク、と笑い声を殺しながら、男は監獄の鍵を開けて車椅子と共に入ってくる。
「我らの仲間になるのなら、お前をここから出してやろう。『マチルダ』」
その一言はフーケの顔色を吹き飛ばした。
「何故その名で私を呼ぶ」
「再びアルビオンを拝みたければ首を縦に振るがいい。でなければこの場でその首を落とすだけだ」
男が抜いたのは黒い杖。わずかな明かりに浮かぶ杖先をフーケは睨んだ。
「これだから貴族っていうのは嫌いだよ。強制なら命令すればいいじゃないか」
「そうだな。なら、『われらの仲間になれ』」
静かにベッドに寄せられた車椅子に乗り移り、フーケは悠々と監獄を抜けた。
「…で、その『我ら』っていうのはなんなのさ」
「我々は国を越えて繋がる貴族の連盟なのだよ。今ある腐敗した王家を打倒し、ハルケギニアを統一してエルフに奪われた聖地を手にするために」
「夢物語だね、そんなの…。エルフに勝てるものかい」
「なんとでも言うがいい」
「で、そんな志篤い貴族様方のグループにも、名前があるんだろう?」
「ああ」
きぃきぃ、と車椅子の車輪が鳴る。
「『レコン・キスタ』だ」
#navi(鋼の使い魔)
#navi(鋼の使い魔)
ワルドとルイズが騎乗するグリフィンはラ・ロシェールの町の出入り口を見つけると、行き来する人らを驚かさないように静かに、ゆっくりと降下していった。
人に慣らしつつ、獣としての性質を殺さないように躾けるのが幻獣騎士の器量の見せ所で、そういう意味ではまさしくワルドのそれは模範的とも言っていい。
一声もあげないグリフィンが夕闇の町に降り立つ姿は、遠景には幻想的でもある。
グリフィンから降りたルイズは町から街道へ伸びる道を振り返ってじっと見ていた。追従しているはずのギュスターヴが到着するのを待っていたのだ。
しかしギュスターヴの馬はいくら待っても現れない。暫くすると宿の手配に行ったワルドが戻って声をかけた。
「ルイズ、ひとまず宿に行こう」
「でも、ギュスターヴがまだ着てないのよ?」
「彼なら大丈夫さ。町の近くまで着ていれば危険はないし、宿の人に言伝しておけば連絡はくれるよ」
ワルドはそのようにしてルイズを言い含めると自分がとった宿『女神の杵』亭まで案内する。
宿の主人から渡された部屋鍵は一つだけだった。
「僕と相部屋で構わないかな?ルイズ」
「そんな!未婚の男女が同じ部屋なんて……いけないわ」
困惑した表情でルイズは見るが、緩く首を振って制してワルドが言う。
「二人きりで話がしたいんだ。いいだろ?」
『秘かな疑惑を胸に』
同時刻、シルフィードに揺られて三人はラ・ロシェールの上空に到着した。
「着いたな。ここがラ・ロシェールか……」
その町は岩肌を刳り貫いて家を作ったような建物が多く、またそれほど住宅等の規模が大きいわけでもないが、町の繁華街に当たる部分は夜が更け始めた頃でも
人が溢れ、喧騒が絶えていなかった。
「とりあえず宿を取りましょ。ルイズは明日からでも探せるわ」
「夜闇で探すよりはマシだろうな。…といってもなぁ」
シルフィードはぶさり、と風を巻き上げて少し開けた場所に降り立った。三人はいそいそと背から降りたのだが、多くない人の視線を受けるため居心地が悪い。
「シルフィードは目立っちゃうから、しようがないですわ」
キュルケの言葉にタバサも頷く。
言ってキュルケはひとり歩き出して宿を取ってきた。
「ここがいいわね。やっぱり泊まるならこれくらいのクラスじゃないと」
キュルケの足が止まった先の看板には『女神の杵』亭と書かれていた。
宿の一階に併設されている酒場をはじめ、テーブル等の調度品は建物と同じ岩を削りだして作られたもので、貴族等の上客を相手にしている分、手入れも
行き届いている。滑らかな平面は鏡のように磨かれてギュスターヴ達を写しこんでいる。
「ミスタは誰と相部屋がいいかしら?」
何気に潤んだ瞳でギュスターヴを見つめてキュルケが尋ねるのだが、ギュスターヴは笑って手を振った。
「キュルケとタバサが相部屋。俺は一人でいいよ」
「あら、つれない人ね。…でもそこが素敵!」
微妙に蚊帳の外に置かれたタバサはタバサで、部屋の交渉が済むまで本を広げていた。
本の題名は『たった一つの冴えたやりかた』とあった。
さて、すったもんだの挙句部屋割りが決まって、軽い食事を取って部屋に入った三人である。
ギュスターヴは窓から入る月明かりが気になって、窓を開け放った。
そよぐ風が入り、カーテンが揺れる。
窓からぼんやりと空を見上げてみると、この世界でしか見られないだろう大小の月が、身の半分ほどを重ねて空を飾っている。
「月が珍しいかい、相棒」
デルフが聞く。
「二つも月が上がっているのが、な。サンダイルにはない風景だな」
「そうかい」
それっきり、デルフも話さなかった。
窓際に置かれたテーブルの上に、部屋ごとに置いているのだろうワインのボトルが入ったバスケットがあり、そこからボトルを抜いてグラスに注いでみた。
そのまま飲まずにグラスのワインに写る月明かりを愉しんでいると、窓の外から声が聞こえる。
その声が見知らぬものなら、ギュスターヴも特に気にも留めなかっただろう。しかしその声は、この異界に迷い込んでから聞かぬ日のない、
最早耳に慣れた少女の声だった。
「君も腰掛けて、一杯どうだい?」
ルイズとワルドの部屋も、月明かりを浴びるように窓を開け、テーブルの上にワインを置いた。
対面するように置かれた椅子の片方にはワルドが座り、二つのグラスにワインを注いでいる。
ルイズは話す言葉もなく静かに空いた椅子に座り、ワインの注がれたグラスを取った。
「二人に」
グラスの合わされた音が部屋を染める。
ワルドは手のグラスを傾け、肺腑にアルコールの気を送っていたが、対するルイズは力なくワインに写る月を眺めているだけだった。
「強行軍で、疲れてしまったかな?」
「そんなこと、ないわ…」
頬を突いたワルドの視線が、外の月に向けられる。
「姉と比較されて出来が悪いと言われていた君が、陛下から密命を任せられるほどになった。それはすばらしい事だと思うよ」
「出来が悪いのは相変わらずよ。杖を振れば爆発ばかり…練習しすぎで爆発に慣れちゃったわ…」
どこか自虐的な笑みを浮かべるルイズに、ワルドは熱の篭った声で語りかける。
「ルイズ。僕には君が、何か秘められた力があると信じている」
「そんなもの」
「あるよ。僕にはわかる。君の使い魔の…」
「ギュスターヴ?」
「そう。彼の手に浮かんでいたルーンを見た時、僕は驚いたよ。あれは始祖の使い魔が持っていた『ガンダールヴ』のルーンだ」
「たまたまよ。人間の使い魔なんて、聞いたことないし。人間が使い魔になると、そんなルーンが浮かぶんだわ」
「そうだろうか。僕にはあれが、君が秘められた力を持っている証だと思っているよ」
その情熱的、といえるワルドの言葉がルイズの体に流れ込んでくるようで、ルイズは顔を上げた。
口を引き締め、眼に自分が映りこむほどのワルドが、ルイズを見つめていた。
「この任務が終わったら、僕と結婚してくれないか。ルイズ」
「えっ…」
ルイズは、胸の奥が重く、熱いものが押し込まれたような錯覚を感じた。
「僕は今の地位で終わるつもりは無い。必ず世界を動かす地位についてみせる」
「でも、そんな急に…」
「今まで放っておいて、こんな事を言える義理もないのは分かっているよ…でも、僕には君が必要なんだ」
「ワルド……」
窓枠に腰掛けて、外から聞こえる会話に耳を傾けていたギュスターヴは、窓から降りると椅子に座らずに立ったままグラスを取って、ぐいっとワインを飲み干した。
「何が聞こえたよ」
ギュスターヴから外されて立てかけられていたデルフが聞く。
「…近くにワルドとルイズが泊まっていたよ」
「ほー、よかったじゃねーか。明日の朝で合流さね」
「そうだな…」
答えながらもギュスターヴの声にはどこか、張りが無い。
(ルイズとワルドが結婚か。貴族の子女ならさも当たり前ではある。あるのだが…)
熱っぽいやり取りを無防備に晒していた二人を思う。次に、王女を連れていた時の、学院を出発した時のワルドを思い出す。
(……ワルドの真意が読めない。本当にルイズに何等かの神秘を見出しているのか。或いは…)
あの瞳は信用できないと、王としての自分が警告する。
(…明日次第、かな)
「デルフ。俺はもう寝る」
「おう、おやすみ」
今ここで考えても仕方が無いことと判断したギュスターヴは、翌日の合流を期してベッドに身を投げた。
この世界で得た久しぶりのベッドの感触に、疲れの溜っていたギュスターヴの意識は綿に染み込む水のようにあっけなく沈んでいった。
豪奢な調度品がしつらえられた一室だった。一見質素だが、その実世に二つとない良質の木材で作られた机が置かれ、その上にはさまざまな書類が摘み置かれ、
インク壷と羽ペンも用意されている。
窓を除いた四方の壁には本棚が天井まで並べられ、領土の端から端までの調査報告を纏めたものが納められているのだった。
そんな部屋に男が二人、腰をかけて座っていた。
一人は……ギュスターヴ。しかしその格好は上質の生地を用いた、シックだが貴人の用いる拵えで、顔色も今より若い。ギュスターヴは椅子に座らず、明けられた
出窓に背を預けてまどろんでいる。
一方の男も同じように、高い身分の人間だ。その髪はギュスターヴの焼けた濃い金よりも薄い金髪で、短めに刈りながら、前髪が長い。
金髪の男は、広げられた本を眺めながらギュスターヴに問う。
「ギュスターヴ。新型の溶鉱炉の詳細には目を通したのか?」
うとうととしていたギュスターヴだが、質問を受けて頭を上げて答えた。
「ああ、見たよ」
「あれは従来のものよりインゴットの純度が2割は高いが、燃料消費量が1.5倍だぞ。超過分の燃料にする木材や石炭は何処から調達するんだ?」
「南東の森林伐採を一部許可するか、今ある炭鉱に増産命令を出すかだな。流石にヤーデやワイドから燃料資材を輸送するんじゃ、割に合わなくなるし」
金髪の男は本から視線を外してギュスターヴを見た。
「ラウプホルツからの輸入を薦めるぞ。緩衝地帯が殆ど無い以上、ラウプホルツとは親密な関係を作らなければ、向こうに要らぬ緊張を与えるだろう。
経済的互恵関係ならお互いに利益になる」
「相手が経済的互恵を求めないかもしれないぞ、ケルヴィン」
ケルヴィンと呼ばれた男はギュスターヴを見据える。
「私は相手に要らぬ誤解を与えるかもしれないといっているのだ。それを緩和するついでに資材も調達する」
「ついでか…まぁ、いい。その線で行こうじゃないか」
窓から降りたギュスターヴは机の前に置かれた一枚の書類を取り上げると、ペンを取ってさらさらと文章を書き始めた。
「さっきから何を読んでいるんだ?」
「シルマール先生を訪ねた際にお借りした書物だ。先生の学派の古人がかつて、この世界の果てを探して探検し、その結果を纏めたものだ。これによれば
世界は世界を包む巨大な混沌の中に泡の様に浮かぶもの、らしい」
「ほぉ」
新鮮な話に関心を示すギュスターヴ。
「そして古人の推測によれば、混沌の果てにはここサンダイルと同じように泡のように浮かぶ世界があるだろう、と書いている」
「混沌の果ての、別の世界か」
ギュスターヴはそう言って含むように笑うと、ケルヴィンは渋い顔をする。
「なんだ。何が可笑しい」
「いや、この世界の隅から隅まで知っているわけでもないのに、世界の外を見ようというのが、少し可笑しくてな」
「…しかし世界の外側というのは、興味深いな。誰もまだ知らぬ領域だ」
「北大陸の開拓村にいるような連中も、同じような気持ちなのだろうかな」
「かもしれないな。…さて、私はそろそろ仕事だ。ギュスターヴ。執務をまたサボるようだったら、レスリーを召喚して説教してもらうからな」
「おいおい!この年になってそれは勘弁してくれよ」
男二人が屈託なく笑う。しかしその光景は、水面に写る像を打ち消すように掻き消えて、遠くなっていった……。
翌日、ギュスターヴは硬くなった身体を解しながら一階の食堂を覗きに行くと、うーうーと不機嫌そうに呻るルイズ、それをからかうキュルケ、その二方の脇で所在無く、
あるいは宥める様に振舞うワルドとタバサが見えるのだった。
「何やってるんだ、おまえら」
流石のギュスターヴも呆れ声だった。
「ギュスターヴ!」
ルイズは飛ぶように走ってギュスターヴに駆け寄った。ルイズは一晩中ギュスターヴを置いていってしまったことが不安で仕方がなかったのだ。
「合流が遅れてすまなかった。道の途中で夜盗に襲われてしまって」
「キュルケから聞いたわ。無事でよかった。キュルケもタバサも寝てるのを起こすなって言うから……」
そう話しているとワルドが割り込むように入ってギュスターヴに声をかける。
「やぁやぁ、使い魔の…」
「ギュスターヴだ」
「うん。ギュスターヴ君、昨日は一人道に残して先んじてしまい、すまなかった。どうだね、一緒に朝食でも」
「…頂こう」
不自然とも自然とも言いがたいフレンドリーなワルドの提案を承諾する。
すこし遅めに始まった朝食である。旅先で慣れない食事ではあるが、特に騒がしいわけでもなく、ギュスターヴ達のテーブルは異様なまでに静かであった。
一つは、全員が貴族階級でありテーブルマナーが身についているから。
もう一つは、無言のまま視線の応酬をする男二人が静かに作る緊迫する雰囲気によって、である。
静かである。実に静かなのである。
(…気まずいわ…)
キュルケは出されているボトルウォーターを飲みながら思う。
ギュスターヴもワルドも、相応の人生を踏んだ大人である。その視線のやり取りは激しいものではない。さりげなく、しかしどこか他者をけん制する。
そのことが反って火花を散らすようでキュルケは居た堪れないのだった。
ルイズは二人を交互に見ながら困った顔をしている。
(もう、しっかりしなさいよね)
本来この二人の間に立つルイズなのだが、どうも様子がよろしくない。仕方が無いと思い、キュルケは話題を切り出す。
「ミスタ・ワルド…だったかしら?」
「ああ、なんだね」
「貴方達がアルビオンに向かうつもりだったのは昨日ギュスから聞いたけど、出航はいつの事になるのかしらね。旅の無事を祈ってお見送りさせていただきますわ」
勿論、キュルケとタバサは一昨日にルイズと王女の密談を盗み聞きしたなどとは言わない。ラ・ロシェールにやってきたのもちょっとした旅行みたいなものよ、と言って
納得させた。
「ふむ。それがだね、聞いたところだとスヴェルの日まで後2日。つまり明後日の朝一番の船便でアルビオンに向かう事になる。もう2泊することになるね」
ごとり、と話を切るように空のグラスが置かれる音がテーブルを包む。
ナプキンを置いてギュスターヴが席を立った。
「ご馳走様。少し歩いてくるよ」
「待ちたまえ」
席を離れて出て行こうとしたギュスターヴをワルドは手を伸ばして止めた。
「…何か?」
「少し話がある」
『女神の杵』裏につれてこられたギュスターヴ。そこは昔、王軍がこのラ・ロシェールに拠点を持っていた時に作られた練兵場だった。
最も、今は宿屋の人間達によって物置きなどに使われていて、昔の面影はあまりない。木々や崩れかけた壁などがあって、侘しさを見るものに与える。
「君は、『ガンダールヴ』だ。そうだろう」
ギュスターヴの前に立つワルドはそう言った。
「…さて。なんのことやら」
やんわりとギュスターヴは否定した。
ワルドは自分の左手甲を指して言う。
「君の左手のルーンは伝説の使い魔のものだ。僕はこう見えて歴史や学術に興味があってね。古い文献で同じ物を見たことがある」
自慢げに語るワルドの目はこちらを見下ろすようで――実はそれを精一杯、ワルド自身は隠しているつもりなのだが――じわじわと神経を逆撫でる。
「…それで?」
「さて、そこで僕は疑問に思うのだよ。僕の愛しい婚約者の使い魔は果たして、伝説の名にふさわしき力を持っているのかと、その力はルイズを守れるほどなのかと、
非常に興味が有るわけだ」
腕を広げて大仰に、空に向かって叫ぶようなワルドの様に、苛苛がむしろ削がれてしまう。
(…こっちの貴族っていうのは皆こんな感じなのか??)
ギュスターヴはこめかみが痛い気がしてならない。
「そこでだ」
振り返ってワルドが見た。
「君に決闘を申し込む」
「…なんだと?」
「何、命の奪い合いをするわけじゃない。君と僕、どちらかが一本取れれば終わりだ。君の力を見せてもらいたい」
一瞬、ギュスターヴはワルドの纏う空気が変わるのを感じた。今までの道楽貴族のそれではなく、力を磨いた戦士としてのそれだ。
さて、受けるか、受けまいか……
思案しながらワルドの挙手投足をはぐらかしていると、二人を追いかけてきたらしいルイズら三人がやってきた。ルイズはワルドの前に立って叫ぶ。
「ワルド!一体何をするつもりなの?」
「やぁルイズ。君の使い魔の力を、ちょいと試したくなってね」
「そんな…。馬鹿なことはやめて」
「僕は大真面目だよ。君の使い魔が不甲斐ないものならば、僕は不安で夜も眠れない」
変わらずルイズに熱い言葉を投げかける姿を静かにギュスターヴが見ていると、ルイズは振り向いてギュスターヴを説得しようと試みた。
「ギュスターヴ、あんたも何か言いなさいよ。こんな事しても意味ないわ。私達は任務を進めていくための、大事な『仲間』よ」
その刹那。視界の脇に見えるワルドが、
わずかに、嗤った。
「…ルイズ」
「何よ」
「荷物を預かっててくれ。タバサ。例の剣を貸してくれ」
言うが早く、ギュスターヴは身に着けていたデルフ、ナイフ、短剣を外してルイズに渡す。ルイズはその重さに耐え切れずよろよろとして傍に積まれていた
木箱の上に荷物を置いた。
タバサは背中に負っていたレイピアを抜いて、ギュスターヴに渡した。
「…じゃあ、始めるか。ワルド『殿』」
「全力で来るといい。使い魔君」
ルイズから離れ、レイピアを『右手』で構えたギュスターヴ。ワルドも軍杖を抜いて構える。
二人の間で視線が火花散らし、それをルイズら三人は固唾を呑んで見守る。
軍杖を水平に構え、息を吐く程度の震えで詠唱しながらも、ワルドの視線はレイピアを構えて正対するギュスターヴを観察した。
(…中々の、兵(つわもの)だ。今魔法を放っても、容易く避けられてしまうだろうという『確信』がある)
沈黙のまま二人の間を流れる時間。しかし間合いはじわり、じわりと狭まっていく。
ギュスターヴがすり足で徐々にワルドとの距離を詰めているのである。
(引き付けて、回避不可能な距離から撃つ!)
きらりと光るレイピアの切っ先が、徐々にワルドの軍杖で払える間合いに近づいた、その時。
「!!」
ギュスターヴはその体躯から想像もつかぬほど軽やかに跳ね、左側方へ身を翻した。
ほんの一拍ほどまでギュスターヴの身が置かれていた空間がわずかに揺らぐ。次に、ギュスターヴの後方遥かに積まれていた木箱が木材の折れ曲がる
独特の音を立てて砕け散った。
ワルドの『エア・ハンマー』が通り過ぎたのだった。
(あの距離から、かわすとは!?)
ギュスターヴはそのわずかな機微を見逃さない。踏み込んで間合いを一気に詰め、レイピアを突き出す。
ワルドも軍杖を突き、互いの視線で二つの突起が交差して止まる。互いの膂力でもって交差点がきりきりと鳴り、二人の距離がさらに縮まる。
囁き声でも話し合えるほどに、密に、密に。
「なかなか、流石に軍人だけある」
「ふふふ。侮ってもらっては困るぞ使い魔君。先ほど自分の剣を棄てた時はどうなるかと思ったが、手ごわい手ごわい」
「生憎あれは古剣でね、人様に見せるものじゃない」
「余裕ぶっていられるのもそこまでだぞ、使い魔君」
ぐっとワルドが杖を払い、それに応ずるようギュスターヴも間合いをわずかに開くが、尚も踏み込んでレイピアを振るい、一閃、二閃と切り込んでいく。
ワルドもそれを受ける事はなく、杖で剣を受け、払い、或いは自ら突きこみ、応酬する。
ほんのわずかな時間――それを見ていた三人、主にルイズには、それが亀の一生のように長く感じたのだが――、互いの攻撃は拮抗しているかに見えた。
しかし、その均衡が徐々に崩れていく。ワルドはギュスターヴの攻撃のリズムを覚え、合間合間に低威力ながら魔法を織り交ぜていくと、ギュスターヴとの間合いは
踏み込み一つで打ち合える距離を離れ、段々と『魔法を打ち合う』距離へと変わりつつあった。
「魔法衛士大隊兵は、只のメイジ兵士とは違う」
ワルドが余裕を見せ始め、大胆に自分から深く踏み込んで同じタイミングで踏み込んできたギュスターヴと杖先を交差させる。
付き合わされた距離でワルドが声を張った。
「杖を剣の如く使い!詠唱を素早く行い!如何なる間合いからでも攻撃が可能なのだよ」
強く振るった杖がレイピアを大きく弾き、ギュスターヴの体勢がわずかに崩れた。ワルドはそれを見逃さず、今度は初撃の威力に近い『エア・ハンマー』を放った。
動作が遅れたギュスターヴは素早く体を右へ反転させる。エア・ハンマーの衝撃を半身で受けることで反撃への動作を残し、わずかにたたらを踏んだが難なく立つ。
三度の強い踏み込みにレイピアの切先がワルドの鼻先数サントまで進む。しかしそれはワルドの構えた軍杖で止まった。
「君は、強い。確かに強い。今もあと一歩早ければ僕の顔に剣が入るところだった。つまりだ。ただの剣士である君には間合いが足らないのだよ」
レイピアを払って、再び姿勢の崩れたギュスターヴへ三度『エア・ハンマー』が飛ぶ。
身体を反らしたギュスターヴはやはり半身に魔法を受けたのだが、今度は堪えきれず2歩ほど吹き飛ぶ。
吹き飛んでから体勢を立て直したギュスターヴの手には先程まで握られていたレイピアがなくなっている。『エア・ハンマー』を受けたときに弾き落とされてしまった。
振り向けば目の前に向けられた、軍杖。
「残念ながら、君ではルイズを守る事はできない」
見物人のつばを呑む声すら聞こえるかのような数瞬。
「…まいった。俺の負けだな」
悔恨がにじむことも、感心を誘うこともないギュスターヴの言葉。
「そう。君の負けだ」
こうして朝食後の決闘は幕を閉じた。ギュスターヴの敗北である。
はぁ~と、息の詰まる思いで見ていたルイズは、言葉のやり取りをした二人に駆け寄り、引き裂くように怒鳴った。
「もう!これで二人とも満足したでしょ!馬鹿なことやってないでさっさと宿に戻るわよ!」
ワルドは杖を仕舞い、眉をひそめて申し訳なさそうに答える。
「いやーすまないルイズ!僕もまだまだだな、どうしても我慢できなくって!」
「いやだわまったく。こんな事ばかりされたら私困るわ、ワルド」
「ごめんごめん、もうしないよ。さぁ、みんな宿に戻ろうじゃないか」
ワルドは率先してルイズの手を引いて宿へと戻って行った。ぽかんとしてそれを見送るキュルケとタバサ。
「なにあれ。ギュスのことは放っておく気?」
「彼女は雰囲気に流されやすい」
先日のアンリエッタの訪問を盗聴した時を思い出すキュルケ。確かにルイズは状況に流されやすいようだ。思えばフーケの時もそんな感じだった気がする。
「…で、お怪我はない?ギュス」
それはさておき、主人に捨て置かれた格好の使い魔の彼、ギュスターヴは起き上がると土ぼこりを払って傍に落ちていたレイピアを拾い、懐紙でざっとだが
汚れを拭っていた。
「ああ、ちょっと軽く身体を打ったくらいで他はなんともないよ。レイピア貸してくれてありがとう、タバサ」
レイピアを返すと、タバサはすこし不器用な感じで背中に収めた。
「教えて」
「ん?」
木箱に置かれた荷物を身に着け直していたギュスターヴに、蒼髪の少女は静かな瞳を向けていた。
「どうして手を抜いたの?」
「あら、手を抜いたのギュス」
ギュスターヴも身に着けた道具を確認しながら答える。
「ああ、何度か手は抜いた」
キュルケもあっさりと答えたギュスターヴに呆れる。
「随分はっきり答えるのね。っていうか、よくタバサ気付いたわね」
「左手で剣を使わなかった。それに、本気なら自分の剣を使うはず。彼は細身の剣より、そっちの方が得意」
タバサの指摘にニヤリとギュスターヴが意地悪そうな顔を見せる。
「そうだな。確かに俺はレイピアみたいな細い剣は、少し苦手だな。振り切ると折れてしまいそうで」
「お、折れるの?剣が」
「折れるさ」
こともなげに答え、キュルケは眼を白黒させる。魔法や鍛冶工が技術で切ったり曲げたりするのではないのだから。
ギュスターヴはすらりとデルフを抜いて、左手で握る。
「相棒、どうしたん?」
「何、慣れないことしたから……憂さはらしに、なっ!」
ギィン、と風を切る音がして一閃、デルフを横なぎに払った。
数拍して、練兵場の壁際に植え込まれていた樹がずるりと傾き、切れ落ちた。
切り口はわずかに傾いているが、断面が綺麗な平面に見える。それほど鮮やかな斬撃だった。
「ふぅ。すっきりした」
手元でデルフが不満を漏らす。
「相棒ー、俺様斧や鋸じゃないんだぜ。試し切りならもうちょいマシなものがいいぜ」
「いやぁ、すまん。…どうかな、キュルケ。今やったみたいにレイピアを振れば、多分剣の方が折れてしまうだろう」
たらりと汗を流してこくこく、水飲み鳥のようにキュルケはうなずいた。
しかしタバサはやはりその静かな目でじっとギュスターヴを見ていた。
「どうした?」
「まだ答えを聞いてない」
「だから、剣が折れるから」
「違う。手加減をしてワルドを勝たせた理由」
その言葉にギュスターヴの顔が一瞬静かになり、表情が消える。
それは少し険しい顔になったが、何事もないようにギュスターヴはデルフを納めた。
「あれが信用ならないからさ」
「ワルドが信用ならない?」
首傾げるタバサとキュルケ。
「なんていうのかな。ワルドの行動はどこか『うそ臭い』。そういう奴は少し機嫌を取らせておくと、案外ぼろを出すものだからな」
片目を閉じてタバサにそう答えるギュスターヴ。
「……そう」
「んじゃ、宿に戻るぞ。…どうせだから、町に出てみるのもいいな…」
まるで他人事のように言って練兵場を去るギュスターヴを追いかけるキュルケ。その後をタバサがついていく。
練兵場はそうして空になり、切り落とされた樹木の切り株が乾いていった。
#navi(鋼の使い魔)
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