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マジシャン ザ ルイズ 3章 (35)風破
自分が上等な人間かと聞かれたら、こう答えることにしている。
「んなわきゃない」
そんな訳がない。
自分が原因で悲しんだり泣いたりした人は一杯いるだろうし、憎まれても仕方ないと思っている。
だが、人間生きていれば誰かを傷つけたり苦しめたりするのは仕方のないことだ。
自分がしていることは、その延長上に過ぎない。
先送りにされていることを前倒しているだけだ、差し引き何も変わらない。
因果応報だったか、……どっかの田舎の概念だ。
良いことをすれば、良い見返りが。悪いことをすれば、悪い見返りがくるってことらしい。
なるほど、理に叶っている。善意と悪意の等価交換、善意に善意が、悪意には悪意が向けられる。
納得納得、あーはいはい、正しい正しい。
つまり、何事も自分の行いは自分に跳ね返ってくるって訳だ。
そういうフェアな差し引きっていうのは嫌いじゃない。
でも現実は違う。
人間、生まれは選べないという。
神さまか始祖さまか知らないが、とにかく世の中を作ったやつは本当に不公平だ。
何不自由ない幸せな家庭に生まれた奴もいれば、両親に一度も愛されたことのない奴もいる。
そういう風に、世の中は出来てる。
話を戻そう。
何事にもそれなりの見返りがあるっていうなら、世界はもっと公平であるべきだ。
頑張った奴には頑張った分だけ見返りがあって、悪さした奴は相応の報いを受ける、それが正しい仕組みのはずだと私は思う。
しかし、そこは理想と現実。
不公平は、究極的には是正されたりしない。
最初に生まれたアドバンテージは、決して埋まらない。
そんなことはとっくに分かってる。
だからこそ、私は思う……
カステルモール、確か最近代替わりした東薔薇騎士団の新しい団長がそのような名前だった気がする。
そう思い至ってってまじまじと見やれば、確かに何度か王宮で見かけたような覚えがある。
「よくぞ、よくぞご無事で! 我々、憂国の士は、シャルロット様のご存命を、常に願い申し上げておりました!」
そう言ったカステルモールは、立ち上がって鉄格子へ駆け寄り、それに縋り付くようにして膝を折った。
「おお、おおお……、生きておられた、シャルロット様が生きておられた……やはりあの冷血王の言ったことはでまかせであった……ああ、こんなに嬉しいことはございませんっ!」
そして彼は、格子に掴まりながら、ずるずるとその身を崩すと、声を殺して泣き始めた。
「あの女は、イザベラは……、シャルロット様が死んだと申したのです。シャルロット様が今お召しになっているその制服と同じものを持ち出して、自分がシャルロット様を殺害したと言ったのです」
カステルモールが、鼻声と嗚咽混じりに語ったところを要約するとこうだ。
イザベラは即位後すぐに、タバサがジョゼフ殺害の現場に居合わせ、ジョゼフを殺害した犯人に、もろともに殺されたと、王宮内の近しい騎士達に漏らしたのだという。
ガリア王ジョゼフに対して密かに叛意を抱いており、オルレアン公シャルルの忘れ形見であるシャルロットこそが、真の主人であると標榜していたカステルモールを中心とする一派は、そのことを知って激怒した。
そして、犯人がトリステイン魔法衛士隊の手のものであることを突き止めたカステルモール達の憎悪の矛先は、トリステインへと向けられたのである。
結果としてカステルモールは、何者かの手の上で踊らされるようにして、トリステイン・ゲルマニア―アルビオン・ガリア戦争の発端を開く役割の一端を演じてしまったのだという。
しかし、時間が経って冷静さを取り戻したのか、はたまた未練か、失意の中で秘密裏にタバサの死を調査を進めていたカステルモールは、イザベラの語ったタバサの死に、不審な点をいくつも発見した。
そのことに気づいて、他の者に伝えよう決意した途端、カステルモールの意識は混濁し、次に気がついたときには、ここで囚われの身となっていたのだという。
「そして、かの暴虐の女王がここに現れて言ったのです。シャルロット様を殺したと、自分が殺したと。血のついた制服を掲げて見せて、私にそう宣告したのです」
血のついた制服――タバサはフーケに助け出されてガリアから脱出する際、着ていた制服を回収していない。きっとそれを使われたのだろう。
「私は絶望しました。シャルロット様の死に不審を確信し、一筋の光明を見いだした途端に捕らえられ、今度はあの女自らがシャルロット様を殺したと言ったのです。
しかし、あの冷血王に対する怒りと憎悪を糧に今日この日まで、生きながらえて参りましたが、それがこのような形で実るとは……おお、始祖ブリミルよ、あなたの配慮に感謝いたします」
そう言うとカステルモールは格子の向こうで、タバサに向かって平伏した。
「我々東薔薇騎士団は、その命尽きるまで、シャルロット様に忠誠を尽くす所存であります」
「………」
一方、言葉を受け止めたタバサは表情を変えず不動であった。
その表情は沈思。
先ほどの話を聞いて、タバサの中で何かが引っかかったのである。
その違和感の正体は分からない、だが、何かが……
顔を伏せたままのカステルモールはそのことに気づかず続けた。
「シャルロット様が帰還なされたと知れば、多くの騎士がわたくしと同じように、シャルロット様に恭順することでしょう」
彼の言ったところは真実だろう、きっと多くの騎士が思っているところに違いない。
「………」
そう、彼の話におかしいところはない。だが、それでもなお残る違和感が拭いきれない。
彼の口に上る女王イザベラ、その姿が自分の思うそれと重ならないのである。
「そしてあの憎っくき女王イザベラに天誅を下し、王権を正しき者、つまりシャルロット様の元に取り戻すのです!」
「………」
分からない。分からないことだらけだ。
タバサは半分以上、カステルモールの声を聞き流しながら、自分の思考に没頭した。
「………様」
「………」
「シャルロット様」
「………」
「シャルロット様、シャルロット様!」
「……何?」
いつから呼びかけられていたのか、タバサが気がついたときには、カステルモールは先ほどとは違う真剣な顔つきでタバサを見上げていた。
時間は数分と経っていないようだが、深く考え込んでカステルモールの呼びかけに気づけなかったようだ。
「失礼を承知で申し上げます。シャルロット様は今、何か危険に巻き込まれているのではありませんか?」
「……なぜ?」
タバサがそう問うと、カステルモールはタバサの羽織ったマントの端をじっと見た。
それだけでタバサもすべてを察した。
マントの一部が、ざっくりと破れている、しかも三つ傷にである。どの場面で破れたかまでは分からなかったが、あの『幽霊』の手によるものであることだけは明白だった。
カステルモールはそれで異変を察して、何事が起きているのかと聞いたのだろう。
「もしも少しでも、わたくしでお役にたてることがありましたら、この不承カステルモール、力の限りシャルロット様にお尽くししたく思います。どうぞ、このカステルモールをお使いください」
流石に若くして騎士団の団長を任されるるほどの実力者。切り替えは早いほうのようだ。
先ほどまでのタバサの生存に驚き浮かれていた様子など、すでに微塵も漂わせていなかった。
「……襲われた」
「襲われた? 何にです?」
それからタバサは、少ない口数ではあったが、何に襲われどのようにしてこの場所にたどり着いたかの経緯を順序立てて説明した。
「間違いありません。それは《ヒドゥン・スペクター》でしょう」
何度も頷きを返しながら、黙って聞いていたカステルモールが、すべてを聞き終えて、開口一番口にしたのがそれだった。
「《ヒドゥン・スペクター》?」
「ええ、そうです。我々騎士団の間ではそう呼ばれていました。女王が即位してから、夜の王宮内に時折現れるようになった怪異の一つです。姿無く背後から忍び寄り、三つ爪でもって被害者を引き裂くモンスターです」
モンスター、そうカステルモールは断言した。
そのおかげでタバサに重くのしかかっていた何かがふっと軽くなった。
他にもその存在を知っている者がいたこと、何よりもそれが『幽霊』などという不確かなものではなく、モンスターだと断言されたのがタバサにとっては気休め以上に安心感を抱かせた。
「私がここに投獄される少し前、戦争に異議を唱えていた大臣が城内でモンスターに殺され、その為に私を含めた東薔薇花壇騎士団で討伐隊を組織いたしました。そのとき私とトライアングルクラスの騎士四人でもってなんとか退治したのが《ヒドゥン・スペクター》です」
その発言に、今度は逆にタバサが驚いた。
カステルモールは自分とトライアングルクラスの騎士を別にしたことから、スクウェアクラスのメイジなのだろう。もしそうだとすれば、タバサを先ほどまで追いかけ回していたアレは、スクウェア一人、トライアングル四人と戦って生き延びたことになる。
いや、あれがモンスターだというなら、同一の個体ではないのかもしれない。
しかし、そうだとしても彼ら五人が『なんとか』退治したというのだ。その力はそのあたりモンスターなどとは比べものにならない。
タバサは先ほどまでと違った理由で背筋をぞくりとさせた。
「確かに手強い敵でしたが、すでに一度倒した相手。動きや特性は把握しております、わたくし一人でも十分シャルロット様をお守りできます。どうか、どうかわたくしめをお供にお連れください」
そう言ったカステルモールの姿を、タバサは眼鏡越しに見下ろした。
ひげの具合などから、カステルモールがこの場所に投獄されてから経過した時間は一日や二日では済むまい。しかし、その影響は多少筋力が衰えている程度で、萎えているほどではなさそうである。
何よりも、彼の気力は今、充実しているように見受けられる。
メイジにとって最も重要なものは精神力である。
先ほどの戦闘で連続して魔法を行使し、精神力を著しく消耗しているタバサにとって、カステルモールの申し出はありがたいものであった。
「……わかった」
タバサはそう言ってコクリと頷くと、彼を牢から出すために必要なものを求めて左右を確認した。
「シャルロット様! 壁です、この牢の鍵は、壁に下げられております!」
カステルモールの声。それに従って、突き当たりの壁を確認してみると、確かに鍵の束が壁から無造作に下げられていた。
「………」
タバサはそれを手にとって囚われのカステルモールの前まで戻ると、一つ一つ鍵を確認して牢の錠前に合う鍵を見つけ出して解錠した。
「ありがとうございます、シャルロット様。これで思う存分お守りすることできます!あとは杖さえあれば……」
カステルモールが牢の外にでて、そんなことを言う。だが、その間タバサは開いた錠前と鍵を観察していた。
それは外見上、何の変哲もない鍵であった。
そう、外見上は、である。
魔法的に見れば錠前には『固定化』の魔法がかけられていた。
これは『解錠』の魔法から守るための措置であり、重要施設の鍵などには間違いなく施されている魔法である。
だが、タバサがそれを見ていた理由はそんなところにはない。彼女が注目したのは『固定化』の状態である。
「……『固定化』が、切れかかってる」
かけられた『固定化』は、相当年月が経っているのか、すでにその呪文強度は無いに等しかった。
これならばトライアングル程度の土魔法のメイジならば、強引に魔法で解錠することも可能に違い無い。
「どうかしましたか? シャルロット様」
「………」
無言のままふるふると首を振るタバサ。
タバサの中で、ふとある考えが浮かんだが、それを目前のカステルモールに口にするのは躊躇われた。
「……む、シャルロット様! あれを!」
そう言ってカステルモールが、何かを見つけて彼の入っていた隣の牢の角を指さした。
タバサが目を向けると、そこには一本の軍杖が無造作に転がっていた。
「間違いありません。あれは私が東薔薇花壇騎士団長に就任した際に下賜された杖です!」
言って、鍵を開けて杖を取り戻して掲げ見せるカステルモール。
タバサはその姿を見て、自分の胸の内で些細な違和感が疑問に、疑問が推測へと変わっていくのを感じていた。
「シャルロット様。今はどちらに向かっておられるのですか?」
カステルモールとタバサ、二人は揃って再び暗闇の中に居た。
先ほどまでと違うのは、そこには新鮮な空気の流れがあることと、小さいが水のせせらぎが聞こえることである。
空気の流れは風、水のせせらぎは噴水の奏でる音である。
彼女たちは今、グラントロワの中庭の外れにその姿を現していた。
タバサが最初辿ってきた隠し通路とは別の隠し通路を二人が発見し、それを歩くこと十数分、二人は薔薇園の中に隠された出口から地上へと戻ったのである。
「王の間……」
「あの爪は高さ五十サントほどに達しますが、爪が刻まれる〝出始め〟はその高さも低く、威力も小さなものです。つまり、致命傷になりうる一撃は、警戒さえしていれば、事前に察知することが可能です」
暗がりの道、無音の静寂、潜めた声。
「《ヒドゥン・スペクター》はその姿こそ見えませんが、実際にはそこに、肉体を持って存在しています。
ですから的確な攻撃をすれば手傷を負わせることもできます。これは魔法による攻撃に限りません、銃による攻撃でも効果があったとの報告もあります」
中庭から王の間へ向かう道すがら、タバサはカステルモールの話に耳を傾けていた。
「また、障害物も有効です。最初はその見えない姿から壁をすり抜けるのかと思ったのですが、どうやらそれはできないようです」
タバサにとってありがたいことに、カステルモールは《ヒドゥン・スペクター》について、かなり詳細な知識を有していた。
「知能は高く、オークやオーガとは比べものになりません。奴は非常に狡猾で、そして残忍です。討伐隊を組織した際、私が指揮していなかった別の分隊は罠に誘い込まれ、数人の負傷者を出しました」
カステルモールからもたらされた情報は、既にタバサの知るところであった事柄もあったが、それでも正体不明だった敵の情報を、他者の口から聞かされるというのは心強いものがあった。
「以前にアレを撃退した際は、私の指揮をとって一人を囮にして誘い込み、魔法的に封を施した小部屋へと誘導し、その中へ四人がかりで広範囲型の攻撃魔法を撃ち込み撃退しました」
スクウェアクラスが一人、トライアングルクラスが三人、計四人が広範囲破壊の魔法を撃ち込めば、確かにそこに逃げ場などあるはずがない。
なるほど、その方法なら相手の姿が見えようと見えまいと、関係がない。
二人は中庭から一度フライを使って警備の緩いテラスへと降りると、そこから城内に進入した。
警戒しながら回廊を抜け、途中ホールでフライを使って階下へ降り、先ほど通った大臣達の執務室がある一角を横切って最奥へと足を向ける。
城の中は、先ほどと変わらず静まりかえっている。
人っ子一人見かけない。水がしたたる音でもたてれば、どこまでも響いていきそうだ。
タバサとカステルモールは無駄な足音を立てないようにと用心をしながら、慎重に歩を進める。すでに敵の領域に踏み込んでいるとの判断である。
「変ですね」
重く暗い声で、カステルモールが漏らすように呟き、その言葉の先をタバサが続けた。
「……誰も、いない」
と、二人の掲げる杖の光、その範囲内に影が映り込んだ。
床に横たわる、人の陰影。
闇を更に黒く染め上げて広がる、深淵の真ん中にそれはあった。
カステルモールが口元を手で覆って眉をひそめる。一方でタバサは無表情、別段驚くこともない。なぜならその光景を目にするのが二度目であるからだ。
彼女は先ほどと何一つ変わるところなく、その場所で冷たくなって居た。
「衛兵は、……どこへ?」
困惑した、カステルモールの声。
「………」
答える声はない。なぜならその答えをタバサも知らぬからだ。
地下牢を抜けてから、いや、正確にはそれ以前からタバサはグラン・トロワ内で生きた人間を目にしていない。
最初は偶然とも思ったが、こと国家の中枢へと近づくに至り、未だ人影を見ないのは異常である。
カステルモールが、一歩前に出た。
「イザベラ付きの侍女の一人、ジョアンナです。……良く笑う、素朴な娘でした」
そう言って彼ははしゃがみ込んで娘の顔をのぞき込むき込んだ。
「穏やかな顔をしています……これはシャルロット様が?」
問われたタバサがコクンと頷くと、カステルモールな瞳を閉じてじっと何事かを考え込んだ。
彼の中にどのような葛藤があったのか、タバサには分からない。
しかし、そこに流れる感情の激しさだけは、推し量ることができた。
「シャルロット様が、この娘を最初に見つけたのはどのくらい前のことでしょうか?」
「……一時間くらい前」
正確な時間の経過は分からない。感覚的にはとても長い時間だったように感じるが、実際にはそんなところだろう。
その言葉に、カステルモールは静かに打ち寄せる波のような静かな声で答えた。
「彼女が一時間もこんなところで放置されているなんてことは、この王宮、グラン・トロワにおいてあり得ません。それだけの時間があれば、定期的に見回りをしている衛兵がこの娘を発見して、ここから運んでいかなければおかしいのです」
敢えて何処とは口にしない。それがこのカステルモールという男の優しさかもしれない。
石のように傅く男。しかし、その背中が震えているように見えたのはタバサの思い違いであったろうか。
「こと夜は王宮内で怪異が跋扈する時間帯、騎士団はおろか、警備の兵すら姿を見せないのは、尋常ではありません」
先ほどのカステルモールの話を踏まえれば、宮廷内にモンスターが徘徊するようになってから宮廷内の警備は強化されたはずである。
だというのに、これはどうしたものか。
未だモンスターが跋扈する城の中、警備の兵どころか人の姿一つ見つけられない。
明らかにこれは異常である。
すっとカステルモールが立ち上がった。その手には彼女の持ち物だろうか、小さな貝殻のペンダントが載せられていた。
「先を……」
と言いかけたカステルモールの言葉の続きは、紡がれることなく虚空で絶えた。
遮ったのは、ガッという何かを引っかいたかのような小さな音。
それで十分、それだけで十分。
示し合わせたように同時、同じ姿勢で、同じ勢い、同じだけの距離を後ろへとステップを踏んで鏡に映したように飛びのく二人。
直後、体を上下に断ち切られた少女の遺体が、さらに一絶ち切断されて宙を舞った。そして届く、思わず耳を覆いたくなるような、ぐしゃりという音。
何かなど考える必要もない。“アレ”だ。
最初の危機を脱した二人は、その後の行動を全く異にした。
前に立つカステルモールは杖を両手に、斜めに構え、呪文を詠唱――攻撃手の構え。
タバサは右手にタクト杖、左手に小ぶりのナイフ、その目を素早く左右に目を走らせる――援護者の構え。
敵は前方三メイルの位置でその爪跡を消した。
姿が見えぬ以上、どこに潜むかを探し出すのは難しい。
恐れと焦りを背中をぬらす汗に感じながら、タバサは忙しなく周囲を確認する。
が、見えない。敵がどこにいるのか分からない。
更なる危険を犯してでも、敵の位置を割り出そうとタバサが一歩を踏み出そうとしたとき、カステルモールの呪文が完成した。
「ウインドブレイク!」
引き金となる言葉が放たれ、無軌道だった魔力が、彼の意思の元に、世界に統率された意味をもたらす。
ドンッと、鼓膜を振るわせる衝撃を伴った、魔法の爆風。
それはタバサが放ったような背中を押す風や、反動をつけるためのようなものではない。
廊下全体、床から壁まで全てにわたり、何ものをも押し流さんと放たれた風の奔流である。
巨大な力によって、前方、視界にあるもの全てが吹き飛ばされていく。
全てをねじ伏せる強引な力技、それを可能とするのがスクウェアクラス、その位階であった。
「前方に手ごたえありません! 敵は後ろです!」
風の濁流がまだ荒れ狂う中、その場に留まって、すでに回り込んでいる敵への警戒を叫ぶカステルモール。
彼が戦力の無い自分を守る為に、後ろにつこうとしていることを察して、タバサは一心不乱に風の嵐を追いかけ走った。
強い風は力となって、水も土も火も、人であっても吹き飛ばす。
――――バッソ・カステルモール「氷の姉妹」
#center(){[[戻る>マジシャン ザ ルイズ 3章 (34)]] [[マジシャン ザ ルイズ]] [[進む>マジシャン ザ ルイズ 3章 (36)]]}
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マジシャン ザ ルイズ 3章 (35)風破
自分が上等な人間かと聞かれたら、こう答えることにしている。
「んなわきゃない」
そんな訳がない。
自分が原因で悲しんだり泣いたりした人は一杯いるだろうし、憎まれても仕方ないと思っている。
だが、人間生きていれば誰かを傷つけたり苦しめたりするのは仕方のないことだ。
自分がしていることは、その延長上に過ぎない。
先送りにされていることを前倒しているだけだ、差し引き何も変わらない。
因果応報だったか、……どっかの田舎の概念だ。
良いことをすれば、良い見返りが。悪いことをすれば、悪い見返りがくるってことらしい。
なるほど、理に叶っている。善意と悪意の等価交換、善意に善意が、悪意には悪意が向けられる。
納得納得、あーはいはい、正しい正しい。
つまり、何事も自分の行いは自分に跳ね返ってくるって訳だ。
そういうフェアな差し引きっていうのは嫌いじゃない。
でも現実は違う。
人間、生まれは選べないという。
神さまか始祖さまか知らないが、とにかく世の中を作ったやつは本当に不公平だ。
何不自由ない幸せな家庭に生まれた奴もいれば、両親に一度も愛されたことのない奴もいる。
そういう風に、世の中は出来てる。
話を戻そう。
何事にもそれなりの見返りがあるっていうなら、世界はもっと公平であるべきだ。
頑張った奴には頑張った分だけ見返りがあって、悪さした奴は相応の報いを受ける、それが正しい仕組みのはずだと私は思う。
しかし、そこは理想と現実。
不公平は、究極的には是正されたりしない。
最初に生まれたアドバンテージは、決して埋まらない。
そんなことはとっくに分かってる。
だからこそ、私は思う……
カステルモール、確か最近代替わりした東薔薇騎士団の新しい団長がそのような名前だった気がする。
そう思い至ってまじまじと見やれば、確かに何度か王宮で見かけたような覚えがある。
「よくぞ、よくぞご無事で! 我々、憂国の士は、シャルロット様のご存命を、常に願い申し上げておりました!」
そう言ったカステルモールは、立ち上がって鉄格子へ駆け寄り、それに縋り付くようにして膝を折った。
「おお、おおお……、生きておられた、シャルロット様が生きておられた……やはりあの冷血王の言ったことはでまかせであった……ああ、こんなに嬉しいことはございませんっ!」
そして彼は、格子に掴まりながら、ずるずるとその身を崩すと、声を殺して泣き始めた。
「あの女は、イザベラは……、シャルロット様が死んだと申したのです。シャルロット様が今お召しになっているその制服と同じものを持ち出して、自分がシャルロット様を殺害したと言ったのです」
カステルモールが、鼻声と嗚咽混じりに語ったところを要約するとこうだ。
イザベラは即位後すぐに、タバサがジョゼフ殺害の現場に居合わせ、ジョゼフを殺害した犯人に、もろともに殺されたと、王宮内の近しい騎士達に漏らしたのだという。
ガリア王ジョゼフに対して密かに叛意を抱いており、オルレアン公シャルルの忘れ形見であるシャルロットこそが、真の主人であると標榜していたカステルモールを中心とする一派は、そのことを知って激怒した。
そして、犯人がトリステイン魔法衛士隊の手のものであることを突き止めたカステルモール達の憎悪の矛先は、トリステインへと向けられたのである。
結果としてカステルモールは、何者かの手の上で踊らされるようにして、トリステイン・ゲルマニア―アルビオン・ガリア戦争の発端を開く役割の一端を演じてしまったのだという。
しかし、時間が経って冷静さを取り戻したのか、はたまた未練か、失意の中で秘密裏にタバサの死の調査を進めていたカステルモールは、イザベラの語ったタバサの死に、不審な点をいくつも発見した。
そのことに気づいて、他の者に伝えよう決意した途端、カステルモールの意識は混濁し、次に気がついたときには、ここで囚われの身となっていたのだという。
「そして、かの暴虐の女王がここに現れて言ったのです。シャルロット様を殺したと、自分が殺したと。血のついた制服を掲げて見せて、私にそう宣告したのです」
血のついた制服――タバサはフーケに助け出されてガリアから脱出する際、着ていた制服を回収していない。きっとそれを使われたのだろう。
「私は絶望しました。シャルロット様の死に不審を確信し、一筋の光明を見いだした途端に捕らえられ、今度はあの女自らがシャルロット様を殺したと言ったのです。
しかし、あの冷血王に対する怒りと憎悪を糧に今日この日まで、生きながらえて参りましたが、それがこのような形で実るとは……おお、始祖ブリミルよ、あなたの配慮に感謝いたします」
そう言うとカステルモールは格子の向こうで、タバサに向かって平伏した。
「我々東薔薇騎士団は、その命尽きるまで、シャルロット様に忠誠を尽くす所存であります」
「………」
一方、言葉を受け止めたタバサは表情を変えず不動であった。
その表情は沈思。
先ほどの話を聞いて、タバサの中で何かが引っかかったのである。
その違和感の正体は分からない、だが、何かが……
顔を伏せたままのカステルモールはそのことに気づかず続けた。
「シャルロット様が帰還なされたと知れば、多くの騎士がわたくしと同じように、シャルロット様に恭順することでしょう」
彼の言ったところは真実だろう、きっと多くの騎士が思っているところに違いない。
「………」
そう、彼の話におかしいところはない。だが、それでもなお残る違和感が拭いきれない。
彼の口に上る女王イザベラ、その姿が自分の思うそれと重ならないのである。
「そしてあの憎っくき女王イザベラに天誅を下し、王権を正しき者、つまりシャルロット様の元に取り戻すのです!」
「………」
分からない。分からないことだらけだ。
タバサは半分以上、カステルモールの声を聞き流しながら、自分の思考に没頭した。
「………様」
「………」
「シャルロット様」
「………」
「シャルロット様、シャルロット様!」
「……何?」
いつから呼びかけられていたのか、タバサが気がついたときには、カステルモールは先ほどとは違う真剣な顔つきでタバサを見上げていた。
時間は数分と経っていないようだが、深く考え込んでカステルモールの呼びかけに気づけなかったようだ。
「失礼を承知で申し上げます。シャルロット様は今、何か危険に巻き込まれているのではありませんか?」
「……なぜ?」
タバサがそう問うと、カステルモールはタバサの羽織ったマントの端をじっと見た。
それだけでタバサもすべてを察した。
マントの一部が、ざっくりと破れている、しかも三つ傷にである。どの場面で破れたかまでは分からなかったが、あの『幽霊』の手によるものであることだけは明白だった。
カステルモールはそれで異変を察して、何事が起きているのかと聞いたのだろう。
「もしも少しでも、わたくしでお役にたてることがありましたら、この不肖カステルモール、力の限りシャルロット様にお尽くししたく思います。どうぞ、このカステルモールをお使いください」
流石に若くして騎士団の団長を任されるほどの実力者。切り替えは早いほうのようだ。
先ほどまでのタバサの生存に驚き浮かれていた様子など、すでに微塵も漂わせていなかった。
「……襲われた」
「襲われた? 何にです?」
それからタバサは、少ない口数ではあったが、何に襲われどのようにしてこの場所にたどり着いたかの経緯を順序立てて説明した。
「間違いありません。それは《ヒドゥン・スペクター》でしょう」
何度も頷きを返しながら、黙って聞いていたカステルモールが、すべてを聞き終えて、開口一番口にしたのがそれだった。
「《ヒドゥン・スペクター》?」
「ええ、そうです。我々騎士団の間ではそう呼ばれていました。女王が即位してから、夜の王宮内に時折現れるようになった怪異の一つです。姿無く背後から忍び寄り、三つ爪でもって被害者を引き裂くモンスターです」
モンスター、そうカステルモールは断言した。
そのおかげでタバサに重くのしかかっていた何かがふっと軽くなった。
他にもその存在を知っている者がいたこと、何よりもそれが『幽霊』などという不確かなものではなく、モンスターだと断言されたのがタバサにとっては気休め以上に安心感を抱かせた。
「私がここに投獄される少し前、戦争に異議を唱えていた大臣が城内でモンスターに殺され、その為に私を含めた東薔薇花壇騎士団で討伐隊を組織いたしました。そのとき私とトライアングルクラスの騎士四人でもってなんとか退治したのが《ヒドゥン・スペクター》です」
その発言に、今度は逆にタバサが驚いた。
カステルモールは自分とトライアングルクラスの騎士を別にしたことから、スクウェアクラスのメイジなのだろう。もしそうだとすれば、タバサを先ほどまで追いかけ回していたアレは、スクウェア一人、トライアングル四人と戦って生き延びたことになる。
いや、あれがモンスターだというなら、同一の個体ではないのかもしれない。
しかし、そうだとしても彼ら五人が『なんとか』退治したというのだ。その力はそのあたりモンスターなどとは比べものにならない。
タバサは先ほどまでと違った理由で背筋をぞくりとさせた。
「確かに手強い敵でしたが、すでに一度倒した相手。動きや特性は把握しております、わたくし一人でも十分シャルロット様をお守りできます。どうか、どうかわたくしめをお供にお連れください」
そう言ったカステルモールの姿を、タバサは眼鏡越しに見下ろした。
ひげの具合などから、カステルモールがこの場所に投獄されてから経過した時間は一日や二日では済むまい。しかし、その影響は多少筋力が衰えている程度で、萎えているほどではなさそうである。
何よりも、彼の気力は今、充実しているように見受けられる。
メイジにとって最も重要なものは精神力である。
先ほどの戦闘で連続して魔法を行使し、精神力を著しく消耗しているタバサにとって、カステルモールの申し出はありがたいものであった。
「……わかった」
タバサはそう言ってコクリと頷くと、彼を牢から出すために必要なものを求めて左右を確認した。
「シャルロット様! 壁です、この牢の鍵は、壁に下げられております!」
カステルモールの声。それに従って、突き当たりの壁を確認してみると、確かに鍵の束が壁から無造作に下げられていた。
「………」
タバサはそれを手にとって囚われのカステルモールの前まで戻ると、一つ一つ鍵を確認して牢の錠前に合う鍵を見つけ出して解錠した。
「ありがとうございます、シャルロット様。これで思う存分お守りすることできます!あとは杖さえあれば……」
カステルモールが牢の外にでて、そんなことを言う。だが、その間タバサは開いた錠前と鍵を観察していた。
それは外見上、何の変哲もない鍵であった。
そう、外見上は、である。
魔法的に見れば錠前には『固定化』の魔法がかけられていた。
これは『解錠』の魔法から守るための措置であり、重要施設の鍵などには間違いなく施されている魔法である。
だが、タバサがそれを見ていた理由はそんなところにはない。彼女が注目したのは『固定化』の状態である。
「……『固定化』が、切れかかってる」
かけられた『固定化』は、相当年月が経っているのか、すでにその呪文強度は無いに等しかった。
これならばトライアングル程度の土魔法のメイジならば、強引に魔法で解錠することも可能に違い無い。
「どうかしましたか? シャルロット様」
「………」
無言のままふるふると首を振るタバサ。
タバサの中で、ふとある考えが浮かんだが、それを目前のカステルモールに口にするのは躊躇われた。
「……む、シャルロット様! あれを!」
そう言ってカステルモールが、何かを見つけて彼の入っていた隣の牢の角を指さした。
タバサが目を向けると、そこには一本の軍杖が無造作に転がっていた。
「間違いありません。あれは私が東薔薇花壇騎士団長に就任した際に下賜された杖です!」
言って、鍵を開けて杖を取り戻して掲げ見せるカステルモール。
タバサはその姿を見て、自分の胸の内で些細な違和感が疑問に、疑問が推測へと変わっていくのを感じていた。
「シャルロット様。今はどちらに向かっておられるのですか?」
カステルモールとタバサ、二人は揃って再び暗闇の中に居た。
先ほどまでと違うのは、そこには新鮮な空気の流れがあることと、小さいが水のせせらぎが聞こえることである。
空気の流れは風、水のせせらぎは噴水の奏でる音である。
彼女たちは今、グラントロワの中庭の外れにその姿を現していた。
タバサが最初辿ってきた隠し通路とは別の隠し通路を二人が発見し、それを歩くこと十数分、二人は薔薇園の中に隠された出口から地上へと戻ったのである。
「王の間……」
「あの爪は高さ五十サントほどに達しますが、爪が刻まれる〝出始め〟はその高さも低く、威力も小さなものです。つまり、致命傷になりうる一撃は、警戒さえしていれば、事前に察知することが可能です」
暗がりの道、無音の静寂、潜めた声。
「《ヒドゥン・スペクター》はその姿こそ見えませんが、実際にはそこに、肉体を持って存在しています。
ですから的確な攻撃をすれば手傷を負わせることもできます。これは魔法による攻撃に限りません、銃による攻撃でも効果があったとの報告もあります」
中庭から王の間へ向かう道すがら、タバサはカステルモールの話に耳を傾けていた。
「また、障害物も有効です。最初はその見えない姿から壁をすり抜けるのかと思ったのですが、どうやらそれはできないようです」
タバサにとってありがたいことに、カステルモールは《ヒドゥン・スペクター》について、かなり詳細な知識を有していた。
「知能は高く、オークやオーガとは比べものになりません。奴は非常に狡猾で、そして残忍です。討伐隊を組織した際、私が指揮していなかった別の分隊は罠に誘い込まれ、数人の負傷者を出しました」
カステルモールからもたらされた情報は、既にタバサの知るところであった事柄もあったが、それでも正体不明だった敵の情報を、他者の口から聞かされるというのは心強いものがあった。
「以前にアレを撃退した際は、私が指揮をとって一人を囮にして誘い込み、魔法的に封を施した小部屋へと誘導し、その中へ四人がかりで広範囲型の攻撃魔法を撃ち込み撃退しました」
スクウェアクラスが一人、トライアングルクラスが三人、計四人が広範囲破壊の魔法を撃ち込めば、確かにそこに逃げ場などあるはずがない。
なるほど、その方法なら相手の姿が見えようと見えまいと、関係がない。
二人は中庭から一度フライを使って警備の緩いテラスへと降りると、そこから城内に侵入した。
警戒しながら回廊を抜け、途中ホールでフライを使って階下へ降り、先ほど通った大臣達の執務室がある一角を横切って最奥へと足を向ける。
城の中は、先ほどと変わらず静まりかえっている。
人っ子一人見かけない。水がしたたる音でもたてれば、どこまでも響いていきそうだ。
タバサとカステルモールは無駄な足音を立てないようにと用心をしながら、慎重に歩を進める。すでに敵の領域に踏み込んでいるとの判断である。
「変ですね」
重く暗い声で、カステルモールが漏らすように呟き、その言葉の先をタバサが続けた。
「……誰も、いない」
と、二人の掲げる杖の光、その範囲内に影が映り込んだ。
床に横たわる、人の陰影。
闇を更に黒く染め上げて広がる、深淵の真ん中にそれはあった。
カステルモールが口元を手で覆って眉をひそめる。一方でタバサは無表情、別段驚くこともない。なぜならその光景を目にするのが二度目であるからだ。
彼女は先ほどと何一つ変わるところなく、その場所で冷たくなって居た。
「衛兵は、……どこへ?」
困惑した、カステルモールの声。
「………」
答える声はない。なぜならその答えをタバサも知らぬからだ。
地下牢を抜けてから、いや、正確にはそれ以前からタバサはグラン・トロワ内で生きた人間を目にしていない。
最初は偶然とも思ったが、こと国家の中枢へと近づくに至り、未だ人影を見ないのは異常である。
カステルモールが、一歩前に出た。
「イザベラ付きの侍女の一人、ジョアンナです。……良く笑う、素朴な娘でした」
そう言って彼はしゃがみ込んで娘の顔をのぞき込むき込んだ。
「穏やかな顔をしています……これはシャルロット様が?」
問われたタバサがコクンと頷くと、カステルモールな瞳を閉じてじっと何事かを考え込んだ。
彼の中にどのような葛藤があったのか、タバサには分からない。
しかし、そこに流れる感情の激しさだけは、推し量ることができた。
「シャルロット様が、この娘を最初に見つけたのはどのくらい前のことでしょうか?」
「……一時間くらい前」
正確な時間の経過は分からない。感覚的にはとても長い時間だったように感じるが、実際にはそんなところだろう。
その言葉に、カステルモールは静かに打ち寄せる波のような静かな声で答えた。
「彼女が一時間もこんなところで放置されているなんてことは、この王宮、グラン・トロワにおいてあり得ません。それだけの時間があれば、定期的に見回りをしている衛兵がこの娘を発見して、ここから運んでいかなければおかしいのです」
敢えて何処とは口にしない。それがこのカステルモールという男の優しさかもしれない。
石のように傅く男。しかし、その背中が震えているように見えたのはタバサの思い違いであったろうか。
「こと夜は王宮内で怪異が跋扈する時間帯、騎士団はおろか、警備の兵すら姿を見せないのは、尋常ではありません」
先ほどのカステルモールの話を踏まえれば、宮廷内にモンスターが徘徊するようになってから宮廷内の警備は強化されたはずである。
だというのに、これはどうしたものか。
未だモンスターが跋扈する城の中、警備の兵どころか人の姿一つ見つけられない。
明らかにこれは異常である。
すっとカステルモールが立ち上がった。その手には彼女の持ち物だろうか、小さな貝殻のペンダントが載せられていた。
「先を……」
と言いかけたカステルモールの言葉の続きは、紡がれることなく虚空で絶えた。
遮ったのは、ガッという何かを引っかいたかのような小さな音。
それで十分、それだけで十分。
示し合わせたように同時、同じ姿勢で、同じ勢い、同じだけの距離を後ろへとステップを踏んで鏡に映したように飛びのく二人。
直後、体を上下に断ち切られた少女の遺体が、さらに一絶ち切断されて宙を舞った。そして届く、思わず耳を覆いたくなるような、ぐしゃりという音。
何かなど考える必要もない。“アレ”だ。
最初の危機を脱した二人は、その後の行動を全く異にした。
前に立つカステルモールは杖を両手に、斜めに構え、呪文を詠唱――攻撃手の構え。
タバサは右手にタクト杖、左手に小ぶりのナイフ、その目を素早く左右に目を走らせる――援護者の構え。
敵は前方三メイルの位置でその爪跡を消した。
姿が見えぬ以上、どこに潜むかを探し出すのは難しい。
恐れと焦りを背中をぬらす汗に感じながら、タバサは忙しなく周囲を確認する。
が、見えない。敵がどこにいるのか分からない。
更なる危険を犯してでも、敵の位置を割り出そうとタバサが一歩を踏み出そうとしたとき、カステルモールの呪文が完成した。
「ウインドブレイク!」
引き金となる言葉が放たれ、無軌道だった魔力が、彼の意思の元に、世界に統率された意味をもたらす。
ドンッと、鼓膜を振るわせる衝撃を伴った、魔法の爆風。
それはタバサが放ったような背中を押す風や、反動をつけるためのようなものではない。
廊下全体、床から壁まで全てにわたり、何ものをも押し流さんと放たれた風の奔流である。
巨大な力によって、前方、視界にあるもの全てが吹き飛ばされていく。
全てをねじ伏せる強引な力技、それを可能とするのがスクウェアクラス、その位階であった。
「前方に手ごたえありません! 敵は後ろです!」
風の濁流がまだ荒れ狂う中、その場に留まって、すでに回り込んでいる敵への警戒を叫ぶカステルモール。
彼が戦力の無い自分を守る為に、後ろにつこうとしていることを察して、タバサは一心不乱に風の嵐を追いかけ走った。
強い風は力となって、水も土も火も、人であっても吹き飛ばす。
――――バッソ・カステルモール「氷の姉妹」
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