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「竜が堕ちゆく先は-9」(2007/08/28 (火) 18:40:57) の最新版変更点
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アルビオン艦隊が降り立ったタルブ、その近郊の港町ラ・ロシェール。そこはまさに戦場の空気をまとっていた。
杖を持つメイジ、鎧と各々の武器を持つ傭兵、竜騎士と騎竜。
ここにはトリステイン全土から集められた戦力、数にしておよそ二千が集結している。
ラ・ロシェールの象徴的な建造物といえる空を行く船を係留する空中桟橋。
古代の世界樹の枯れ木を利用して作られた立体のそれはラ・ロシェールの中でも最も天に近い場所。
いくつも枝分かれし突き出た桟橋のひとつからアンリエッタはタルブ草原の方角を見据えた。
見えるのはレコン・キスタの旗を掲げたアルビオン陸軍の行進。
上空には一旦下した錨を外し、こちらへと迫るアルビオン艦隊。
一際大きな船はアルビオン最強の戦闘艦と名高いロイヤル・ソヴリン級だろう。
なんて勇壮な姿なのだろう、アンリエッタは自然にそれらに見入っていた。
あれがもし味方ならなんと心強いことか。
けれど、それは仮定の話でしかない。
トリステイン軍はアルビオン軍と対峙し、それを打ち破らなくてはいけない。
一方は急ごしらえの二千人、もう一方は時間をかけ編成された三千人。それも空中艦隊からの支援つきだ。
せめて、奇襲に気付く事ができたのなら状況は変わっていたろうに。
「殿下、未だ砲の有効射程ではないでしょうが、そろそろお戻り下さい」
アンリエッタの背後からマザリーニが声をかけた。先程までマザリーニはトリステイン軍の将軍たちと最終調整を行っていたのだ。
十中八九艦砲射撃を行ったのち、突撃をかけて来るだろうアルビオン軍への対応を。
まだアルビオン軍とぶつかるには少しの時間の余裕がある。
王女と枢機卿、二人は元よりトリステイン軍の将軍達、ここにいる誰もがそう思っていた。
だが次の瞬間、彼ら二人と偶然空を見上げ艦隊を見ていた者達は目撃した。轟音と共にロイヤル・ソヴリン級の舷側が光ったのを。
アルビオン艦隊の先制攻撃であった。
ロイヤル・ソヴリン級レキシントン号はトリステイン侵攻を開始する前に武装面で改修を施されている。
シェフィールドから提供された新型砲、威力・射程共にトリステインの運用する船のものを大幅に上回っている。
トリステインの持つロイヤル・ソヴリン級のスペックは最早過去のものだった。
何が起こったのか、正確に把握している人間はいない。
予想外の距離から降り注いだ砲弾は終結していたトリステイン軍の者達を宙へと巻き上げる。
けれどハリネズミのように各所から砲を付けているロイヤル・ソヴリン級の砲撃は、発射された数から言えば意外なほどにラ・ロシェールには届いていない。
何発もの砲弾が放たれた時点で、アンヘルは人間を超えた反応を示し、
誘導型の火球を一斉に吐きそれらを迎撃したのだ。
火球は曲線を描き、まるでそれぞれに意思があるかのように動き砲弾を打ち落とし消滅する。
アンヘルの火球はその全てが砲弾を捉えていた。しかし放たれた砲弾の数は火球以上の数。
必然的に火球をすり抜けた砲弾はラ・ロシェールに降り注いだ。
「あの船は、これほどの距離からでも攻撃できるのか!」
マザリーニは咄嗟に顔の前にかざした腕を下ろし、我を忘れて叫んだ。
幸いにも空中桟橋を目掛けて放たれた砲弾はないようだ。
敵はおそらく、船の発着が行える空中桟橋を無傷で手に入れたいのだろう。
「枢機卿……この戦い、勝ち目はありますか」
先程の砲撃に姿勢を崩さず立ち両手を血が出る程強く握り締めたまま
アルビオン艦隊を見据えたアンリエッタは、驚くほど静かな声でマザリーニに尋ねる。
気丈なお方だ。マザリーニはそう感じた、歴戦の兵ですら怯む砲撃を見聞きした後で、未だ視線を外そうとしない。
心の内は恐れで一杯だろうに、それを態度には表わしてはいない。
一瞬、ほんの一瞬だが、マザリーニはアンリエッタの背中に今は亡き先王の姿を見た。
豪胆な先王と神経質なマザリーニは互いに反発しながらも認め合っていた。
言葉で表わすならば親友。だからこそロマリア人であるマザリーニは先王亡き後もトリステインに留まり、トリステインのために忠を尽くしてきた。
そんな先王の資質を娘であるアンリエッタも受け継いでいると言うことか。
戦場でも先王は常に前を向いていた。
「五分五分……と言った所でしょうか」
本当は五分もないだろう。聡明な王女は理解しているはず。ただ唯一の不確定要素はアンヘルだ。
あれだけの砲弾を迎えて打ち落とすブレス、普通の竜以上の体躯、未だ見せぬ先住の魔法。
だがそれを持ってしても単騎ではアルビオン艦隊を落とすことなどできないだろう。
やはり勝ち目は五分、どう見積もってもそれ以上は望めない。
「五分……けれど今更引くことはできません、行きましょう」
アンリエッタはマザリーニの方を振り返ると、空中桟橋を降りるために歩き出す。ラ・ロシェールに集結したトリステイン軍の元へ行くために。
その後ろにマザリーニは無言で付き従う。今、戦場は動き出す。
アルビオン艦隊旗艦レキシントン号のブリッジで艦隊の指揮を執っていたボーウッドは
前方に見えるラ・ロシェールの様子をいぶかしんだ。
共にブリッジにいたホーキンスはトリステインの大地に早々に降り立ち、地上部隊の指揮している。
トリステイン軍の動きは鈍いと当初は予想されていた。しかし蓋を開けてみればその動きは速い。
こちらが地上に兵を降ろし編成している間に、ラ・ロシェールにはトリステイン軍が集結していた。
「存外に着弾が少ないな……」
上陸した陸軍のラ・ロシェール攻略を支援するため、レキシントン号は新型砲での砲撃を敢行した。
あえて長距離から一艦のみで砲撃したのは、トリステインのメイジが集まって作る防御用の空気の壁を警戒してのことである。
トリステインは歴史ある国だ。それだけメイジの質も良く、数も多い。
彼らが作る空気の壁は馬鹿にできない。それは砲弾を止めるのだ。
だが新型砲は配備されたばかりであり、情報の流失は確認されていない。
相手が空気の壁を作る前に砲弾を叩き込み流血させ動揺させたのち、陸軍が突撃しトリステイン軍を敗走させる。このような筋書きだった。
「壁で止められたか、いや……むしろあれは砲弾が落とされた様に見えた」
どうなっている、とボーウッドはつぶやく。加速した砲弾を魔法で迎撃したという記録は少ないが存在する。
しかしいずれも単発であり、また偶然が重なって起こったことだ。
どれ程優秀なメイジを集めようと、狙ってしかも数十発もの砲弾を落とすことなど出来はしない。やはり空気の壁に阻まれたか。
結局はボーウッドは今の現象をそう結論付けた。
その時である、船の見張りから報告が入った。赤い竜を雲の合間に見たという報告が。
竜一匹が何の脅威になり得るか、だがボーウッドは念には念を入れることにした。
艦隊で待機していた竜騎士三騎に赤い竜を落とすという命令を出す。
この時点でボーウッドの中の優先順位から赤い竜は大きく転落した。今は他に指示するべきことがある。
「もう一度砲撃を行うか」
艦隊を更に接近させ全ての船の砲撃を浴びせる。このような内容の命令をボーウッドは艦隊に通達し、竜騎士を使い地上のホーキンスに突撃を待つように伝えた。
アルビオン陸軍三千人の立てる足音が響くトリステインの大地。
小高い丘からホーキンスは前を行く三千人の軍勢を眺めた。
無論一人ではなく、周囲をメイジの護衛隊を引き連れている。
ラ・ロシェール目指し進むのは三千人。対するトリステイン軍の人数は偵察によって得られた情報によると二千人程。
数で有利に立ち、更に空からの支援も与えられている。負けようがない状況。
そんなことを考えるホーキンスの耳にバサバサと翼を動かす音が耳に入った。
すぐに周囲の護衛メイジが杖を手にする。けれど誰も本気で敵の竜騎士が来たとは思っていない。
何せ上空には艦隊が滞空している。何か接近したのなら、すぐさま味方の竜が出撃するだろう。
案の定、空から舞い降りたのは味方の竜騎士。見事な竜さばきで少しの乱れもなく垂直に草の生えた地面に着地する。
「ボーウッド艦長より伝令です」
まだ若い竜騎士はそう言うと、丸めた書をホーキンスに差し出した。
ホーキンスは無言でそれに眼を通す。しばらくしたのち彼は口を開いた。
「了承した、とボーウッド君に伝えておいてくれ」
その言葉を聞くと竜騎士は大きくホーキンスに向けて敬礼をし、自身の騎竜にまたがると天へと帰って行く。
まだ若いが良い竜騎士だ、ホーキンスはそう感じたのちやれやれ、と肩をすくめた。
あの砲撃を防ぐとはトリステイン軍も中々精強だ。トリステインなど腐った杖のようなもの、何を頼りにクロムウェルはそう評したのか。
アルビオン陸軍はこのまま進ませる、常に艦隊の下へ。
どの道最後にはラ・ロシェールに突撃をかけるのだ。ラ・ロシェールには近い方が良い、
それに艦隊の下にいれば容易にトリステインの竜騎士に侵入されることもない。
こと竜に関してはアルビオンはどの国家よりも先を行っている。
王国だろうと共和国だろうとその点は変わらない、アルビオンの変わらなかった数少ないものの一つ。
それはアルビオン艦隊が二度目の艦砲射撃を行う直前に起こった。
全ての船に砲撃をさせるために艦隊は先程よりもラ・ロシェールに接近し、
下の草原に展開した陸軍も必然的に近づいている。
砲撃開始を指示しようとしたボーウッドは大きな衝撃に姿勢を崩し膝を床に着く。
何事だ、と叫ぶ間もなく周囲の士官からの報告が耳に飛び込んだ。
「竜の火球です! 砲台が攻撃され小規模な火災が発生!」
「竜、竜だと!」
ボーウッドはそう叫んだ瞬間眼にした。ブリッジを一瞬で横切り艦隊の下へと入り込む赤い竜の姿を。
竜騎士の騎竜以上の速度である。あの竜は危険だ、ボーウッドは瞬時に感じ取った。
艦隊の下に展開しているのは陸軍。赤い竜は地上の戦力を叩くつもりだとボーウッドは判断した。
「竜騎士隊は出撃しろ! 地上の陸軍を守るんだ!」
あの速度では砲撃で捉えるのは難しい、それに下に入られては陸軍に流れ弾が当たるかも知れない。散弾などもってのほかだ。
よって竜騎士に打ち落とさせるほかない。
レキシントン号のほか、竜を搭載した船から竜騎士は順次出撃していく。
だがそれは今回のトリステイン侵攻に従軍した数の半数程でしかない。
残りの半数は既に艦隊の周囲を広く飛び回り、索敵に当たっていた。
本来ならば艦隊の異常を察知しすぐに舞い戻る。しかし竜騎士のほとんどは未だ帰らない。
ボーウッドは知らなかった。ほぼ同時刻タルブの村上空で異形の竜と竜騎士による空中戦が行われていたことを。
異形の竜の名は『竜の羽衣』、その本質は異世界の戦争兵器。
六十年以上の眠りから覚めた『竜の羽衣』は新たな操り手の元で空を駆けている。
地上のホーキンスは突然の奇襲に動揺する軍勢を立て直そうと奮闘していた。
突然上空に現れた赤い竜は火球を密集する兵士の群れに何度も撃ち込む。
爆発によって宙に巻き上げられる兵士や馬。
元々空中の敵の掃討は艦隊の任してある。反撃の手段がほとんどない天からの攻撃は著しく陸軍の士気と統制を削いだ。
「……このままでは崩壊する!」
普段あまり竜騎士とは馴染みのないホーキンスでも赤い竜の速さが騎竜以上だということは理解している。
だが何もしない訳にはいかない。メイジにはマジック・ミサイル、傭兵は銃での攻撃を指示した。
対象を追尾する能力を備えた魔法の矢が何本も空に放たれ、銃弾が飛び交う。
それらは何の成果も挙げていない。マジック・ミサイルはホーミング性能を持つが
それは竜騎士の騎竜でも振り払うことができる。更に速い赤い竜では簡単に振り切られてしまう。
ただの銃弾など当たることを期待する方がおかしい。
しかし彼らは撃ち続ける、武器を手にして戦うことで彼らは恐怖を薙いでいるのだ。
「艦隊も同時にやられたか、ん、あれは竜騎士か!」
竜を搭載している船から竜騎士が発艦していく。アルビオンの天下無双と謳われる竜騎士が。
奴を落としてくれ、ホーキンスは祈るように願った。けれど竜騎士があの竜を落とせるのか。
何か普通の竜とは違う、あれはもっと恐ろしいものだ、ホーキンスはボーウッドと同じ思いを抱いていた。
彼らは共に歴戦の指揮官だ。そして彼らの直感は当たっていた。
上空では先を行く赤い竜の後方から三騎の竜騎士は迫っていた。正確には迫ろうとしていた。
強力なブレスを持つ火竜は代償として速度が遅い。追いつけないが赤い竜の先には既に味方の竜騎士が展開している。
竜騎士隊はこれで竜を止め挟撃をかけるつもりだった。
だが次に起こった光景に竜騎士は己の眼を疑った。
赤い竜の前方にいた竜騎士四騎が全て落とされた、赤い竜が放った曲線を描く火球に撒かれて。
マズイ、そう竜騎士が思った瞬間、赤い竜は百八十度転回し再び火球を吐き出す。
三騎はバラバラに逃げた。どれだけ方向を変え、急制動・急加速・急減速をしても火球は同じ機動をたどって迫る。
火球はほぼ時間差なく竜騎士三騎に直撃した。
そしてその光景は地上の軍勢に大きな影響を与えた。アルビオンが誇る竜騎士が集団でかかっても倒せず、逆に返り討ちにされたのだ。
尚も続く赤い竜の火球にさらされ陸軍の崩壊が始まろうとしていた。
「隊を維持し、竜への攻撃を続けろ!」
崩壊しつつある軍勢をホーキンスは必死にまとめようとしている。
ホーキンスの周囲の兵士達は未だ統制を保っていた。だが端の方の者達はそうは行かない。
「ホーキンス将軍、危ない!」
護衛のメイジはホーキンスに飛び掛り、地面に倒す。空から炎に撒かれた竜騎士が竜共々落ちてきたのだ。
ホーキンスは立ち上がると竜の残骸に駆け寄った。竜はすでに炎で炭化している。嫌な臭いが鼻をつく。
竜騎士は全身に大怪我をしていた。だが命はまだある。
「療兵だ! 療兵を呼べ」
竜騎士は震える手をゆっくりと動かそうとしていた。
地面に座り込むとホーキンスは竜騎士に励ましの言葉をかけた。もうすぐ療兵が来る、しっかりしろ。
その言葉に気付いたのか苦しそうに竜騎士は顔をホーキンスの方に向ける。
それでホーキンスは気付いた。竜騎士はついさっきホーキンスに伝令を運んできた若い竜騎士だったことに。
「母さん……」
若い竜騎士は声を振り絞るようにして言ったのち、死んだ。
今の状況では埋葬もできない。ホーキンスは悔やんだ。
クロムウェルの侵攻作戦を止められなかった自分を。その作戦を受けてしまった自分を。
「伝令、ラ・ロシェールからトリステイン軍が出撃、前衛と戦闘に入りました」
未だ前衛で踏ん張っていたメイジからの伝令がホーキンスの元に届く。
更なる悪夢の始まりを告げる、トリステイン軍突撃の報せを携えて。
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