ケントゥリア制とアス銅貨について
2ch
382 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19:28:38 0
アス銅貨が出来る前にアス基準の193ケントゥリア体制があったと記述するのはどうなのかって話は?
391 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01:05:08 0
>>388 前スレでの指摘 ・アス基準のケントゥリア制がアス銅貨の存在しない時代に存在 ・エウボイア植民市のクマエがアテナイの植民市に ・ペルシア属州となっている時代のキプロスがアテナイ支配下に
あと覚えてないや
109 :世界@名無史さん:2008/12/09(火) 23:11:31 0
アス銅貨が出来る前にアス単位が基準になる軍制が出来上がってた ってのも大した間違いではないのか?
ローマ人の物語
第1章 ローマ誕生 六代目の王セルヴィウス・トゥリウス
財産 単位=アッシス(327gの銅)
年に二百アッシスを支払う義務を課されていたのである。
その他の引用
「アス」は紀元前280年ごろ共和政時代の大型鋳造青銅貨として登場した。
伝承上では王政ローマの時代において、第6代のセルウィウス・トゥッリウス王がローマ軍を構成する全市民を財産に応じて6つの階級に分けた。
在位:紀元前578年 - 紀元前535年
第1巻43 108ページ
一〇万アスないしそれ以上の財産評価を受けた人たちから百人隊(ケントゥリア)八〇を構成した。
訳註 340ページ
一〇万アス アスは銅貨。ひろく中央イタリアに出土する銅片が原初の交換手段で、一二表
法にも秤量貨幣アスが見える。一般に貨幣の発行は必ずしも使用の時期に一致せず、ローマ
では前三世紀から貨幣を発行した。早く海上交易を担ったカルターゴーも同様に貨幣は遅い。
法にも秤量貨幣アスが見える。一般に貨幣の発行は必ずしも使用の時期に一致せず、ローマ
では前三世紀から貨幣を発行した。早く海上交易を担ったカルターゴーも同様に貨幣は遅い。
142ページ
…………各階層に対して確定された最初の財産額は、ロー
マにおける貨幣導入より二〇〇年以上も前のことに属する。
マにおける貨幣導入より二〇〇年以上も前のことに属する。
143ページ
……………………………前五世紀の中頃、今まで牛や羊で
計算されていた罰金がいまや青銅の量によって査定された
という証拠がある。しかし青銅片が前六世紀の後半におい
てすでに支払いの手段として用いられていたに違いない。
計算されていた罰金がいまや青銅の量によって査定された
という証拠がある。しかし青銅片が前六世紀の後半におい
てすでに支払いの手段として用いられていたに違いない。
植民市クマエについて
2ch
532 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 12:21:35 O
スレに触発されてブクオフでセールしてた最初の数冊買って読んでみた よく纏まってて史学に特別関心がなくても読みやすいと思う
けど一巻のギリシアのくだりはよく勉強しなかったのか 古い概説しか参照しなかったのか知らんが粗さが目立った
エウボイア人・カルキス人らが建てたクマエやネアポリスを勝手にアテナイ人に帰したり (アルファベットの伝来経緯についての研究をよく知らんのだろうけど 暗黒時代から東方世界と交流のあったエウボイアの西方植民地で 最古のギリシア語が伝わっていることの意義を考えないのはいかがなものか) ペルシアのサトラペイアに組み込まれた後のキプロスにアテナイの海軍力が及んでいたとしたり (ヘロドトスの伝えるペルシアのノモスもキモンの遠征も無視?) 史料への当たり方に格差があって彼女はギリシャには全然関心ないんだな ってのがよく分かったw
391 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01:05:08 0
>>388 前スレでの指摘 ・アス基準のケントゥリア制がアス銅貨の存在しない時代に存在 ・エウボイア植民市のクマエがアテナイの植民市に ・ペルシア属州となっている時代のキプロスがアテナイ支配下に
あと覚えてないや
806 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 03:48:40 0
特にクマエ植民がアテナイに帰されているのは致命傷 暗黒時代から復興したギリシアの中で最初にオリエントと交流を持ったのがエウボイア諸市であり エウボイアの建設したクマエにこそ最古のギリシア語アルファベットが残されているという事実を 婆さんは知らないと見える
アルファベットの成立と伝播の経緯に関するここ30年くらいの研究動向を 全く把握していないのはいかがなものか
807 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 04:22:33 0
そのアルファベットの講義をしなかったことで、どんなマズい事があったの?
808 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 04:39:53 0
>>803 >ていうか婆さんは関心の強い地域以外の知識が欠落してるだけ
そんなの普通でしょ。 俺は日本史に関心はあるが、インドネシアやタイの地名なんか全然知らんぞ。
>『ローマ人』にある古代ギリシアの記述も嘘八百だったし
まあ間違には違いないが、はっきり言ってどうでもいい部分でしょ。 「ローマ人」でのギリシャの扱いなんてほとんど添え物。 説明されているのは大まかな歴史と政治体制だけ。
809 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 04:54:51 0
>>807 まずいことは無いですよ?明らかに間違ってるってだけで 嘘八百書いてることについても、指摘しただけで別に批判はしてませんよw
>>808 個人的にはアレクサンドロス書くときまでにどの程度進歩してるか楽しみ
810 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05:06:33 0
アレクサンドロスという人物を書こうというときに、 どうでもいいような地名にまで気を使うのが「進歩」なのかね?
811 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05:10:48 0
>>809 >まずいことは無いですよ?明らかに間違ってるってだけで >嘘八百書いてることについても、指摘しただけで別に批判はしてませんよw
>>806は「致命傷」って言ってるんだがねえ。 まずくもなんでもないことに使う言葉かね?
812 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05:16:34 0
漢字は北海道を経由して日本に伝播したんだ! 的なことを書いてるのにそれをどうでもいいと言い切れる神経は凄いですねw まあ瑣末といえば瑣末なんでしょうけどww
813 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05:20:48 0
婆がありえないミスを犯すのはよく知られたことだし 今更いちいち取り上げるもんでもないと思うが・・・
814 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05:26:01 0
>>811 ギリシアに偏見がある→というか古代でも中近世でもギリシア史を全然知らない ということについて、反論の余地はありませんよ、という意味ですが
小説としてはまずくも何でもないんじゃないですか?
815 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 06:25:05 O
相変わらずビザオタがファビョってるな 山川の教科書に載ってるような事柄を間違ったんならともかく 学問分野にもよるけど「ここ30年の」研究動向なんて最新最先端もいいところで、該当分野の専門家以外は知らなくても当たり前 北海道がどうだなんて直感的にも嘘とわかる命題とは根底が違う
間違いを指摘するのは結構だが、「こんなの間違えるのは致命的」などという言い草は 言ってる側の偏狭さをこそ暴き立てるものだ
819 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 11:31:47 0
文庫本1巻で確かめてみても、そもそも「クマエ」なんて名前自体が出てこないんだけど…。 「ギリシア人の第二次植民活動」という図でも、カンパーニャ地方あたりに植民したのは イオニア系ギリシア人とアカイア系ギリシア人としか図示されていない。 アテナイ人の植民によってクマエは作られた、なんてのは一言もない。
821 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 11:56:37 0
塩野本の該当部を引用。
「例えば、ナポリだが、その近くにあってイタリアでは 最も古いギリシア人の入植地であったとされるクーマと共に、 アテネ人の植民が建設した都市を起源としている」
822 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12:12:48 0
この文章の「アテネ人の植民が建設した」がかかっているのは、 ナポリであってクーマではないのでは?
823 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12:19:15 O
>>822 ナポリとクーマは「共に」アテネの植民市だっていう意味だろ。
824 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12:25:56 0
>>823 それなら「最も古いギリシア人の入植地」ではなく「最も古いアテネ人の入植地」と書くだろ。
825 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12:31:24 0
エウボイア系植民都市クーマを、 「イタリアでは最も古いギリシア人の入植地であったとされるクーマ」 と説明するのは何の問題もない。 エウボイア人はギリシャ人のくくりにも入るからね。
826 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12:36:41 0
まずエウボイア人の植民があり、第二次植民活動のときにアテネ人の植民があった。 これでどうよ?
827 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12:48:41 0
要するに、「アテネ人の植民」を「ギリシャ人の植民」に読み替えれば済む話だろ。 これで意味が通るしエウボイア人オタが怒ることもない。
828 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13:22:09 0
しかしクーマにアテナイが植民なんてしてないし ネアポリス自体クマエ人(≒カルキス人)の植民市だぞ? 原文みてないけど>>821の通りなら塩野が間違ってるのは明らか
829 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13:34:40 0
初歩的な質問だが、アテネ人って人種的にはエウベアのカルキス人とどう違うわけ?
830 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13:54:04 0
エウボイアはアテナイの支配下にあったらしいが? まとめてアテネ人と呼んだっていいだろ。
831 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13:59:40 0
>>830 エウボイアにアテナイのアンフィクテュオニアが派遣されるのなんて前4世紀の話じゃんw 前古典期なんてエウボイア系都市は連合組んでアテナイと喧嘩しまくりだっつーの
キプロスについて
2ch
532 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 12:21:35 O
スレに触発されてブクオフでセールしてた最初の数冊買って読んでみた よく纏まってて史学に特別関心がなくても読みやすいと思う
けど一巻のギリシアのくだりはよく勉強しなかったのか 古い概説しか参照しなかったのか知らんが粗さが目立った
エウボイア人・カルキス人らが建てたクマエやネアポリスを勝手にアテナイ人に帰したり (アルファベットの伝来経緯についての研究をよく知らんのだろうけど 暗黒時代から東方世界と交流のあったエウボイアの西方植民地で 最古のギリシア語が伝わっていることの意義を考えないのはいかがなものか) ペルシアのサトラペイアに組み込まれた後のキプロスにアテナイの海軍力が及んでいたとしたり (ヘロドトスの伝えるペルシアのノモスもキモンの遠征も無視?) 史料への当たり方に格差があって彼女はギリシャには全然関心ないんだな ってのがよく分かったw
391 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01:05:08 0
>>388 前スレでの指摘 ・アス基準のケントゥリア制がアス銅貨の存在しない時代に存在 ・エウボイア植民市のクマエがアテナイの植民市に ・ペルシア属州となっている時代のキプロスがアテナイ支配下に
あと覚えてないや
アグリジェントについて
2ch
392 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01:35:15 0
今ざっと読み返してみたが ゲラが前6世紀になってから建設したアグリジェントが ギリシア大植民時代(前8世紀)に出来たってのも変
婆はギリシアに関心がないらしい
カミルス
2ch
384 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19:41:51 0
6回(401,398,394,386,384,381)TMCPに選ばれたカミルスの事を「市民集会で選ばれやすい型の人物ではなかった」とか
383 :世界@名無史さん:2008/03/31(月) 17:46:33 0
伊訳も英訳もあるので問題ありません まぁカミルスの件みたいに引かないほうがマシってレベルにならなければいいんだけどね
384 :世界@名無史さん:2008/04/01(火) 08:24:53 0
カミルスの件を詳しく
388 :世界@名無史さん:2008/04/01(火) 23:33:54 0
>>384 かなり適当に書くけど プルタルコスの「五度独裁官になったが一度もコンスルになってない」って部分を引いて「市民集会で選ばれやすい型の人物ではなかった」って書いちゃった 実際はこの時期コンスルではない最高政務官(これも市民集会で選出される)が設置されててカミルスはそれに六回就任してる 更にプルタルコスも前出引用部分のあとに同じようなこと書いてるというおまけつき
十二表法
2ch
352 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 11:06:35 0
>大学生以下の歴史初心者には、案外いけそうだけど。 十二条あったから「十二表法」なんて平気で書いてるから受験生は読まない方がいいね。
353 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 12:55:38 0
法律を書き付けた板が十二枚あったから、って塩婆は書いてたなかったか?
354 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 14:55:05 0
塩婆は読み返してないけど 山川の世界史教科書にも>>353みたく書いてあるね
355 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15:04:32 0
ああ、確かに書いてある 文庫版2巻P43 「十二条あったがゆえに「十二表法」と呼ばれる、 最初にして最後のローマ成文法は、 今日ではローマ法の専門家でも、三分の一ぐらいしか わかっていないのだそうである」
ユスティニアヌス法典がガン無視されてるあたりもなかなか愉快だと思う。
356 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/02/28(木) 11:34:31 0
それ以前に十二表法に関しては「三分の一ぐらいしか分かっていない」ってのが正確でない。
ttp://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/alaw/twelve.htm によると 「十二表法の原本はブロンズ版に刻まれたもので、紀元前387年のガリア人によるローマ掠奪の 際に失われたといわれている。しかし、多くのローマの著作の中に十二表法の引用や説明があり、 それらを使い大凡の内容の再構成が現在でも可能である」。
東大の出した「西洋古代史料集」に飜訳が載ってるという話だが。
357 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 13:43:47 0
「のだそうである」というくらいだから二次資料からの引き書きだろうな 大昔の資料でも使ってたんだろうか
358 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 00:17:18 0
>東大の出した「西洋古代史料集」に飜訳が載ってるという話だが。 載ってるけど抜粋、「西洋史料集成」も抜粋。 佐藤篤士「Lex XII tabularum―12表法原文・邦訳および解説」がたぶん全訳。 ちなみに出版年は上から1987、1956、1969。
359 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 10:50:48 0
ラテン語原文 http://www.hs-augsburg.de/~harsch/Chronologia/Lsante05/LegesXII/leg_ta00.html
英訳 http://www.constitution.org/sps/sps01_1.htm
95 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/12/04(木) 17:31:21 0
>>94 例えば十二表法に関して。 東大の西洋古代史史料集にさえ復元されたのが載ってるのに 「どんなものか分からない」みたいに書いてるのは 明らかに最近の研究を調べてない証拠。
122 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 04:12:29 0
>何冊かでもまともに読んでいれば12表法は12条なんていうことを 書けるはずがない 「成立当初十二の法だった」的な内容じゃなかったか? ウロいが 間違ってないはずだぞ
123 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 10:18:31 0
文庫2巻 P.42 「一項ずつ銅版に刻まれた「十二表法」」 文庫2巻 P.43 「十二条あったがゆえに「十二表法」と呼ばれる」
124 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 12:10:41 0
十二表法の、とくに完成時の形態については諸説フンプンだから 絶対にこうとは言えんが まあ、十二条は間違いだなたぶん
125 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 12:11:12 0
あ、完成時じゃないや、あー、誕生時? 初期?
参考文献
2ch
121 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 02:07:59 0
1巻の参考文献に吉野悟、柴田光蔵、佐藤篤士、船田享二、石本雅男の名前があるけど この5人はローマ法学者(石本雅男が古代ローマ法の専門家かどうかは知らない)。 何冊かでもまともに読んでいれば12表法は12条なんていうことを 書けるはずがない、特に佐藤篤士は12表法を翻訳した人。
こういう参考文献の捏造を見ると塩婆自身が古代ローマの権威になりたがってるように思うんだが。
ついでにいうと北原理雄、大場正史の名前もあるが前者は都市研究家、後者は翻訳家。 2人ともローマ関係のものは1、2冊の翻訳があるだけなのに書名・原著者を書かずに 訳者名だけってのは意味不明。水増しか?