アレシアでの騎兵について
2ch
389 :世界@名無史さん:2007/04/25(水) 23:19:54 0
たとえば、アレシア攻防戦の最後のハイライト 騎兵を別働隊として奇襲に使う場面なんだけど
婆ははっきりと「ゲルマン騎兵」と書いてる。 でもガリア戦記にもそこまで細かいことは書いてないんだよね。
390 :世界@名無史さん:2007/04/25(水) 23:55:45 0
ゲルマン騎兵使っていたから、騎兵と言えばゲルマン騎兵のことだろと 思ったんだろう
「ローマ人=寛仁」のイメージについて
2ch
856 :世界@名無史さん:2007/07/12(木) 01:25:54 0
大量虐殺万歳?塩婆が?
通説ではローマ人に絶滅させられたと言われている エトルリア人を「平和的に吸収同化された」と解釈したがったり アレシア戦で城壁の狭間に餓死させられた哀れな民衆を 「どうにかして無事に生き延びたに違いない」 などというトンでも解釈を加えたりして
「ローマ人=寛仁」のイメージを強引に広げようとしている塩婆が?
857 :世界@名無史さん:2007/07/12(木) 01:34:04 0
総論としてローマ人=寛仁なだけで、各論では色々ある。 カルタゴ滅亡とか。
867 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2007/07/12(木) 15:41:05 0
>>856 そもそも民衆レベルでは、征服と吸収同化にそこまで差があるとも思えんのだが。 支配者が変われば文化の表層は変わるが、基層となる部分や風習は 意外と残っていたりするし。
868 :世界@名無史さん:2007/07/12(木) 15:51:51 0
>>867 「全住民奴隷化アーンド都市完全破壊コンボ」はローマの得意技のひとつ ガリア戦記には、部族まるごと虐殺されて消滅したような例も見られる そんなに甘くはない
874 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2007/07/12(木) 17:42:20 0
>>868 そのガリア戦記にしても、最初の三年くらいの戦闘で、 ほぼ全員が奴隷になってたはずの部族(アトゥアトゥキ、ウェネティなど)が 三~四年後に再びローマ軍と戦ってるから、 滅ぼしたというカエサルの記述自体が誇張では?という話もある。
875 :世界@名無史さん:2007/07/12(木) 17:52:42 0
>>874 残党が他の部族の援護受けて再起したと考えるのが妥当では? 滅ぼした云々はカエサルの誇張も当然入っていると思う。
788 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 20:58:16 0
ローマの歴史を見れば塩野が言う寛容とは程遠い ほとんど敵対民族は絶滅か奴隷にしてる
789 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:07:23 0
「寛容」とか言ってるのってカエサルだけ?
790 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:13:36 0
敵対民族絶滅させてたら今ごろフランスもベルギーも地上に存在しないよ
792 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:17:12 0
>>789 陽気で寛容で敵対者も受け入れ女性にも権利があったからローマは発展みたいに書いてる
実像はローマ人は陰気で不寛容で敵対者は徹底的に殲滅し女性の権利には保守的だったから地中海の王者になれた それを失って廃退し滅んだが正しい
797 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:29:58 0
寛容なローマ人w
野蛮なローマ人に文明を伝えたエトルリア人→文明だけパクッて絶滅に追い込む
武器を放棄して和を求めたカルタゴには→無理やり戦争しかけ塩まいて絶滅に追い込む
ガリア人に対しては→出世のためにガリアを攻め大量虐殺し奴隷として売り飛ばす
801 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:38:40 0
おいおいエトルリア人もカルタゴ人も勝手に絶滅させんなよ
804 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:47:30 0
>>801 そりゃごく一部だけだろ、二度と復活できないように民族的・国家的に絶滅においこんで塩までまいてる カルタゴは領土も譲り最後は武器放棄までも承諾したのにローマはそれでも無理やり戦争しかけカルタゴは老若男女全員が決死で戦った
805 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:49:10 0
よくわからんが古代としては寛容だろ むしろ人権宣言以前の国としては寛容だろ もっと言うなら大和政権が蝦夷に対してしたよりは寛容だろ そんなもんだろ
>>804 間に肝心なことが抜けてるぞ カルタゴは講和裏切って攻撃しかけた
806 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:52:42 0
つーかクレメンティアは国策だからな 人道的見地からの寛容じゃないぞ 利益になるから優しくするんだ、利益になると思ったら皆殺しにもするわ だから悪の帝国上等なんだよ
807 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:55:57 0
>>805 蝦夷は未だにちゃんと残ってるだろw
カルタゴはハンニバル以後は戦う力がなく戦争避ける為領土や賠償まで脅されて譲った、どうしても戦争がしたいローマはカルタゴの武器放棄を講和の条件にしたがそれすら呑んだ それでも難癖つけて戦争しかけて来たから老若男女問わず激昂した
808 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:00:58 0
つーかマジでローマ人が心の底から寛容なやつらだったら 帝国作る前に他の民族に滅ぼされてる イギリス帝国も中華帝国もイスラム帝国もその他諸帝国も寛容な側面があったが それは圧倒的な強者の余裕であって、敵対勢力には容赦ないよ こんなの歴史的に当たり前なことだけどね
809 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:03:33 0
ヴァレリアヌスとガリエヌスはエトルリア人じゃなかったっけ。 ああ美しきかなクレメンティア
810 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:06:28 0
もうちょっと歴史的根拠のある実例を含めて話さなきゃなんの説得力もねえよ お前は致命的に勉強不足だ
当時アンチカルタゴの先鋒は大カトー サブリミナルな感じで、なにを話しても話の最後に「カルタゴは滅ぼすべきだ」をつけたことで有名だ 対してカルタゴ擁護派はスピキオアフリカヌスの親戚の…名前忘れたけど
元老院が二派に分かれて絶賛大荒れ中だったところへ、 カルタゴが第二次ポエニ戦争の終戦協定を破ってヌビディアに侵攻したもんだから 元老院は反カルタゴが優勢になったんだ
歴史上よくある失政によるカルタゴの自滅と言わざるをえない
812 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:11:00 0
>>808 だからローマ人が強かったのは生活は質素で、性格は陰気で不寛容で、敵に対しては徹底的に殲滅し、女性に権利は中々認めず、きわめて保守的だったから王者になれたんだろ
塩野とかローマ美化信者が言ってる寛容だの先進的文化みたいな美徳とはまったく逆な面が最大の強みだったがそれを失って滅んだが正しいんじゃねーか
813 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:13:18 0
>>810 それも書いてたな大カトーがいつでもどこでもカルタゴは滅ぼすべしと
814 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:15:13 0
>>812 >性格は陰気で不寛容で、敵に対しては徹底的に殲滅し、女性に権利は中々認めず、きわめて保守的 この部分がまず完全に無根拠なのでアウトですね あなたにとっての寛容には善意が含まれすぎですが、 そんなもの現代でも政治に持ち込むバカはいません
815 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:24:47 0
ローマは「裏切り者は皆殺し」が基本だし、 この点では寛容は絶対に適用されないから持ち出すほうがおかしい 不誠実を働いて勝手に殺されるんだから同情の余地なし
816 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:36:21 0
>>814 無根拠じゃねーよ 陽気で昔から活発な商業を行い、当時最先端技術持ち女性も割りと自由だったエトルリア人やカルタゴ人に比べ
ローマ人は閉鎖的で家は家長制で女性や子供は父か夫が好きに殺してもよいと言う社会 ファッションや芸術のような文化的な面はほとんど無く容姿も悪く毎日貧乏暮らしで働いていた
一旦憎むといつまでも根に持ち必ず復讐し殲滅したのはどこを見ても事実
817 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:46:32 0
たしかに塩野信者がどのレベルで寛容っていってるかわからんからな 俺はローマの寛容は政治的妥協の意味での寛容だと思ってる つまり強者としての度量はあった マジでローマ人が善意の人達かというと違うと思うな 寛容という言葉より度量の方があってる気がする 日本語の寛容という言葉は帝国にあてはめるには柔らかすぎる
818 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 22:55:49 0
ローマ人は敵を降伏させるまで和平しない、相手が降伏したら草木一本残らず消滅させようとする
エトルリア人には歴史にまれな残忍さで一民族滅ぼし、執念深く生存の後さえ残さないようにした エトルリア文明の痕跡は今日ほとんど無い
819 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:00:07 0
たしかにガリアやスペインもケルト時代の文化ほとんど残ってないよね
820 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:04:42 0
エトルリア文明を模倣して同化したのがローマ文明なんだから、エトルリアの痕跡が無いというのはおかしいんじゃないのか? ローマ文明の痕跡が現代まで残ってる時点で、エトルリア文明の痕跡も今日まで伝わってるようなもんだろ。
821 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:07:01 0
>>816 でもなぜかみんなローマ帝国にあこがれる。
822 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:07:38 0
ローマ人は恐らく自分達の祖先であるエトルリアを滅ぼし、 ロムルス神話を作り出してまで、エトルリアを歴史から消し去った。 これは極めて残虐無比な処置といわざるを得ない。
823 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:09:11 0
>>820 ローマ人はそれは俺たちの文化ですと歴史までも捏造しました
824 :世界@名無史さん:2008/10/12(日) 23:17:17 0
ローマの家長制度。
家族は一個の軍隊に他ならず、その権力は家長に集中されるということを物心つかないうちから叩き込まれた。 家長一人が妻の持参金を含む全家産の所有者であり、妻が浮気したり無断で樽から酒を飲んだりすれば家長はこれを殺しても良かった、息子に対しても同様である。
子供を奴隷に売ることも出来た、女がこの父権から逃れられるのはクム・マヌー形式の結婚をする場合に限る。 この場合は彼女に対する権利は父から夫に移る。 要するに女は一生、男に依存して暮らす。
ガリア戦記の布陣について
2ch
378 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19:17:53 0
手元に内乱記がないので、ガリア戦記でいいかい? 塩野版を通して読んだのはだいぶ前なので、(アヤスイ)という印象しか残ってないが、 今つき合わせて見つかる点を一つ二つ。
ローマ人の物語IVのp208、アリオウィストスとの戦いね。 まず、 敵は「投げ槍を投げる暇もなく崩れると(カエサルは)見た」(塩野)。 ガリア戦記では記述が逆で、敵が猛進してきたので投げる暇がなかった、と書いてある。
また、p209では 「ローマ軍の右翼を救ったのは、若きクラッススの機転だった」 ~「第三軍列の兵を率いて~右翼の支援に駆けつけた」(塩野)
ガリア戦記では、カエサルはローマ側の右翼にたって指揮した。 そして、敵の左翼は壊走。 だが、味方の左翼は敵の右翼に押しまくられていた。 クラッススが救ったのは、味方の左翼。
左右を間違えるって...オイ
どうして総指揮官が右翼にいるのかはおれにはわからんが、 (しかも、敵がもっとも弱いとみた左翼に相対して...ぬう) そのおかげで前戦線が見渡せなかったんだと思われ。 これを、塩野はローマの部隊構成を効率的に活用うんぬんといってるが、 騎兵隊長の機転がなければやばかったんちゃうんか?
おれは専門家ではない。「ローマ~」とガリア戦記とWebしかない。 教えて偉い人。 これでいいかい、煽る人?
380 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19:21:08 0
4スレも費やしてようやくでてきたただ一つの「間違い」指摘が その程度の揚げ足とりかw 笑える
381 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19:27:18 0
>>378 なるほど。 でも細かくない? その程度の間違いはありうるのでは。 まだ読んでないけど。
ガリア戦争の記述
2ch
125 :世界@名無史さん:2007/10/10(水) 16:43:54 0
どのくらいカエサルはガリア戦記を誇張して記述してるんでしょうか?それを鵜呑みに している塩野女史は史家としてはいかがなものでしょう…
126 :世界@名無史さん:2007/10/10(水) 17:19:08 0
>>125 読みもせずに「どうせ誇張に決まってんだろ」 という愚かな憶断でものを語る君は 世界史板の住人としては如何な物でしょう
127 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2007/10/10(水) 17:28:10 0
ガリア戦争の記述に関しては「他の歴史家の記述に比べてずば抜けて正確」 (翻訳者の国原氏の言)らしい。 そもそも、ガリア戦争に関する書類としては、元老院向けの報告や部下から 他人に出した手紙もあるから、嘘や度が過ぎた誇張はすぐに見抜かれてしまったろう。
128 :世界@名無史さん:2007/10/11(木) 14:05:03 0
>>125 そこで塩野を批判するなら、 むしろカエサル視点で書かれたガリア戦記を カエサル視点のまま参考にしすぎてるってとこだと思う。 データ云々ではなくて。
129 :世界@名無史さん:2007/10/12(金) 13:33:57 0
>>127 誇張がないわけではないだろう。 大体、報告書なんていわれてるけど、 要するに元老院に対しての専守防衛を破ったことの言い訳なんだから。
130 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2007/10/12(金) 13:56:58 0
>>129 だから「度が過ぎた」誇張と言ってる。 当時のローマ人視点で許される程度の誇張は、当然あったと思う。 土台が宣伝本だし。 だけどキケロの演説とか読んでると、多少の誇張は当たり前で、 敵を悪し様に言うのも(ローマ人同士ですら)珍しくもなかったようだし、 ローマ人視点でも許されない誇張だったら、内容への反発や非難がもっとあったろう。
134 :世界@名無史さん:2007/10/16(火) 21:11:39 0
>>130 アレシア包囲なんてどうなの? 向こうじゃ明らかの誇張とされてるんじゃないの? 有坂氏が内2万外5万くらいだろうって言ってるけど。 これナポレオンの見解らしいけど。
139 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2007/10/22(月) 00:57:43 0
>>134 そもそもアレシアの場合、援軍の数に関しては写本によって異同が甚だしいからなあ。
ただ援軍は解囲戦で、しかも内側のウェルキンゲトリクスの方の食糧事情が厳しかったから そんなに長居する気も必要もなかっただろう(つまり補給の心配が余り要らない) ことを考えると、少なくとも援軍だけで8万くらいはいたような感じがある。 ウェルキンゲトリクス軍の分も足すと10万か。 相手は今まで散々負けてきたカエサルだし。
140 :世界@名無史さん:2007/10/22(月) 19:49:37 O
だいたい蛮族の数は過大だよねローマの史書って まあ蛮族自身も自分らの人数なんかわからなかったのかもしれんが