長浜八幡宮・舎那院・大通寺


新聞で舎那院の芙蓉(ふよう)が綺麗に咲いていると記事があったので
ちょうど仕事も休みなのでフラフラと行って来ました。

長浜八幡宮の駐車場に止めぶらぶらと散歩
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平安時代後期(1069年)に源義家からの発願をうけた後三条天皇の勅により、石清水八幡宮を勧請して創建したと伝わる。戦国時代には兵火を受けて衰退したが、長浜城城主となった羽柴秀吉により復興された。
平安時代より境内には別当寺である新放生寺が存在していたが明治時代初期の神仏分離令により廃され、唯一残された子院の舎那院に仏像や資料等が全て移された。(wikipedia参照)

八幡宮から舎那院へ


平安時代初期の弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)を開基として創建したと伝わる古刹。 寺号は新放生寺といい、山号の勝軍山は学頭別当職に就いた源義家による中興の時代(11世紀後半)に後三条天皇より賜ったものである。16世紀後半の度重なる兵火を受けて堂宇を焼失したが、豊臣秀吉によって再興された。
新放生寺は平安時代より長浜八幡宮の学習院であり別当寺を務ていたが、明治時代初期の神仏分離令により子院の一つである舎那院以外は廃された。舎那院には廃された寺院の仏像等が集められ、現在に至っている。(wikipedia参照)

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きれいな芙蓉(ふよう)が咲いていました、でもまだ表側はつぼみが多かったです
舎那院の横まで行けるのですがそっちの方が満開って感じでした。
陽あたりの違いで少し遅いのかも知れません。
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池には蓮の花もきれいに咲いていました。

ちょっと足を伸ばして大通寺まで行きました

八幡宮から大通寺までそんなに遠く無いので歩いて行って来ました。
駐車場が八幡宮は無料なのでついでに行ってみました。
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真宗大谷派長浜別院大通寺
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転する。
伏見城の遺構[1]とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。(wikipedia参照)

門から中の建物までデカく立派な建物です、ここはスゴイなぁとちょっと感動しました。
池の真ん中に鐘楼があり、蓮の花がきれいに咲いていました。
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今回は芙蓉(ふよう)を見に行くのがメインで行きましたが、蓮の花もきれいだなぁと
思いました。今までわざわざ蓮の花を見に行こうと思った事がなかったからか、
ふと目に止まった蓮の花の印象が強く残りました。
最近は花を目的にフラフラと出かける事が多くなって来たし、色々な花のシーズンに出かけ
てみるのは良いなぁと思いました。
この後、木ノ本地蔵にも少しよりました。出店が多いし人が多いって感じで参拝だけして戻って来ました。(写真なし)祭りじゃない落ち着いた時に行ってみようかな。




最終更新:2012年08月26日 18:01