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「淫妖烏 賊(前編)」(2010/12/16 (木) 22:31:10) の最新版変更点
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**淫妖烏 賊(前編) ◆2XEqsKa.CM氏
海の潮味が、鼻先に薫る。
僕……夜神月は、海の家の軒下で揺り椅子に腰掛けていた。
心地よい満腹感。美味とは言えない夜食だったが、団欒はあった。
殺人を認可する、このゲームの中で摂る食事としては、まあまあ上等な物だったと思う。
団欒を囲む僕以外の二人は、僕の声が届く場所にはいない。
イカ娘は砂浜を走り回っている。高遠遙一は、散歩がてら周りの地形を確認してくると言っていた。
そう遠くないうちに出発したいが……イカ娘に視線を移す。
「ごみが落ちてないでゲソー! 浜辺がすっごくキレイじゃなイカ!」
手に何やらカードを持ちながら、有頂天で走り回っている彼女を見ていると、不思議な気分になる。
海から来て地上を侵略しにきた知性体……それが事実であるとすれば、彼女は人類の敵だ。
先ほど見せてもらったイカ娘という個体の戦闘能力は、なるほど人間を凌駕して余りあるものだった。
本来なら恐れ、遠ざけるべき存在。だというのに、今僕の前で走り回るイカ娘からは危険性が全く感じられない。
傍目にはただのバカな子供―――しかし、僕と高遠が『窓口』として使えると認めた、奇妙な魅力が確かにある。
彼女の持つ、人間を惹きつける才能は天然の物だろう。そして、僕のそれは計算を根底に置く計略だ。
そんな僕でさえ、イカ娘を完全に利用できる自信はない。加えてあの高遠遙一もいる。
「厄介だな……」
「何がでゲソ?」
「全て、だよ。こんなゲームに巻き込まれて厄介じゃない事なんてないさ」
いつの間にか近くに寄って来ていたイカ娘が、頭の帽子についた鰭をパタパタさせてこちらを覗いている。
僕が座っている揺り椅子に興味を示したらしく、目を輝かせながら。
適当に答えてから、イカ娘が手に持つカードに目を留める。どうやら、彼女だけに支給された道具らしい。
問い質してもいいのだが、どうみてもただの紙切れだ。取り上げて泣かれても困るので放っておくか……。
今後の事を思って浮かない顔をしている僕にイカ娘はぐい、と胸を張り、何故か上から目線で言う。
「ライト……生きていくというのは厄介ごとの連続でゲソ! それでも前向きに生きていけば、
いつかいいことあるんじゃなイカ? 私はガンガン進んでいくから、不安なら私についてくればいいのでゲソよ!」
……このイカは、一体どのような生き方をしてきたのだろうか?
少なくとも彼女の言葉と姿からは、「海を汚す人類を侵略する」等という攻性的な意志は感じられない。
僕が『キラ』として起こしている行動も、一種の侵略と言えるだろう。
僕とその思想は疑うことなく正義だが、キラを悪と断じる者たちがいるのも事実。そういった連中を駆逐し、
やがて世界を自分の望む姿に作り変える……それは、言うまでもなく闘争だ。
机上で『正義』『悪』を語ることしか出来ない、腐った世界の愚民たちには出来ない正義の実行。
一度走り出した以上、僕は止まれないのだ。負けて生き永らえる事も死んで勝つ事もない。
Lを筆頭とした『悪』に勝った上で、僕の認めた心の優しい人間だけの世界を作りあげ、統治し君臨する。
そんな僕の覚悟と同等の決意を持って、自分が棲んでいた海底から地上に姿を現したであろうイカ娘。
「……君は、純粋だな。イカ娘」
「な、なんでゲソ急に……照れるじゃなイカ! ……うむ、イカにもその通りでゲソ!
お前達人間のような薄汚い空気ばかり吸って生きている生物とは呼吸器とハートが違うのでゲソ!」
彼女は、あまりに澄んでいた。僕と同じ夢を……汚れながら進まねばならない道の果てにある大望を抱えていながら。
イカ娘は、僕の理想とする世界に住む権利のある、優しい人格(パーソナル)の持ち主だ。
正義の裁きとは言え、多くの人間を殺し続けた僕の精神が、彼女を正面から見る事に反発を覚える。
優しい目で見つめている事に気付いたのか、イカ娘が??と頭を傾げて、ぴょんっと揺り椅子に飛び乗ってくる。
膝の上にイカ娘の重みがかかり、胸板に揺り椅子を揺らせるイカ娘の背中が当たる。
「ライトよ、色々悩んでいるようでゲソが……私が地上を支配すればお前の悩みも無くなるに決まっているでゲソ!
お前の妹、さゆや栄子、たけるも仲間に加えて、みんなで地上を海に優しい場所にしようじゃなイカ!」
この椅子はおもしろいでゲソー!と足をじたばたさせながら、イカ娘はこちらに顔を見せずに言った。
……そうかもしれない。彼女のような純粋な存在が支配する世界は、素晴らしいものになるだろう。
だが、彼女に地上……人間社会を侵略する事は不可能だ。彼女はあまりにも、"悪意"を知らない。
海底の世界はどうだったのか知らないが、今の地上はイカ娘が生きていくには不純すぎるのだ。
どれだけ優れた身体能力を持っていても、大国の軍事力の前では一瞬で のしイカになるのがオチだろう。
僕が地上を新世界として統治してからならば、彼女……海の使者とも、よりよい外交が出来るだろうが。
「そういえば、何故ここに? あんなに楽しそうに走り回っていたのに……」
「――――大変な事に気付いてしまったのでゲソ……」
イカ娘が僕の膝から飛び降り、向き直って真剣な表情を見せる。一体どうしたのだろうか。
「ひょっとして私……ずっと海の中にいれば、かなり安全なんじゃなイカ?」
「……」
「……」
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「それは難しいでしょうね、イカ娘君」
割り込むように、高遠が海の家の軒下に現れる。
彼はどこから調達したのか、ウェットスーツを着ていた。水も滴る何とやらか、なかなか様になっている。
どうやら周辺の地形だけでは飽き足らず、海の水質なども軽く調査していたらしい。
手に銛を持って、見た事もない魚を先端に刺している。イカ娘の前でこれはどうかと思ったが、
イカ娘は特に気にしている様子はない。高遠もそれを確認してから、微笑と共に言葉を継いだ。
「私が調べたところでは、この海の水温は通常のそれよりいささか高い……このようなゲテモノしか、
生存できない環境のようです。イカ娘君も、おそらく長時間の潜水……いや、潜伏は無理でしょう」
「な、なんでゲソと!? ちょ、ちょっと行ってみていイカ?」
「どうぞ、まだ出発には少し時間がありますし。月君も少し水を浴びてきてはどうです?」
「……いえ、僕は結構です」
砂埃を立てながら海に突撃し、ぬるいでゲソー!と叫び声を上げるイカ娘を高遠と共に呆れ顔で見守りながら。
想像を遥かに超える重量だったイカ娘の圧し掛かりでふとももに深刻なダメージを抱えながら。
僕はこの時はまだ、この実験を暇な時に感傷に浸れる程度の物だと、甘く見ていたのだ。
◇
見えない速度で振るわれた多刃が風を斬る。防御するのは生身の腕―――軍服を纏う腕。
6方向からしなる様に迫る刃が、防御を貫かんと思い思いに形状を変える。
いかなる外殻でも、6種の形状/力理/入角度を異にする刃を受けて耐える事は不可能。
だが。外骨格や特殊な甲殻を一切備えていない、人間の腕は、その一撃に耐えた。
刃が止まる。その正体は触手。絡め取り、捕縛する為にあるはずのその器官は、
斬・撲・絞の加害を容易に使い分ける、攻撃者の最大の武器であった。
攻撃者は異形。地面に伸ばした二本の触手で身体を支えて高速移動する、制海の怪物。
それを防ぎきった防御者の肉体も既に超人の域―――その根源は額の徽章。
髑髏を模ったそのアーティフィクトは、凡夫に過ぎない防御者に『超人』という生物の肉体特性を与えていた。
「アハハ! なんだよ、ただのガキかと思ったら化け物か! いいさ、この慎二様が退治してやるよ!」
「シンジじゃなくてワカメ海人でゲソ! お前は一体どうしてしまったのでゲソか……?」
同レベルの……言ってしまえば子供の争いを打々発止しながら、二人は触手と肉体の激突を演じる。
それを脇で眺める夜神月と高遠遙一にとっては、その戦いのレベルは完全に理解の外。
二人が事前に見ていたイカ娘の力を大幅に上回る、弱肉強食の摂理におけるイカ娘の真価。
鮫や鯱から身を守る為にイカ娘が海中で蓄えていた力は、襲撃者=間桐慎二と拮抗するに十分なものだった。
唖然とする外野二人を他所に、6本の触手を攻撃に、4本の触手を移動と防御に回すイカ娘。
二つの心臓……普通心臓と超人心臓からくる爆発的な運動エネルギーを振り回す残虐超人・マキリシンジ。
「ふん、僕は間桐慎二さ! 人間を超え……魔術師を超え……サーヴァントすら凌駕する、天才の名前なんだよ!」
「何を言ってするめイカ、気でも触れたのでゲソか……海の仲間が無意味に争うなんてダメでゲソ!
それともお前は私たちを食べたいのでゲソ? おなかがすいているなら、海の家のごはんがあるでゲソよ!」
「別の意味でなら食べてやってもいいけどさぁ! 腹なんて減ってない!
僕はお前達を無茶苦茶に痛めつけたいんだよ! 僕の本当の力を使って、ね―――!」
下卑た笑みを浮かべながら慎二が迫り、地面に伸ばした触手を操作して後退するイカ娘が、目を見開いた。
投擲。慎二はマインゴーシュ―――西洋の短剣をイカ娘に向けて投げつけていた。
慎二からすれば、敵は自分とほぼ同じ速度で動き回る相手……更にリーチはマインゴーシュの数倍。
ダメージを与えるには、不意を打つ必要があった。それについては、成功したといえる。
だが――――。
「えいでゲソ! 危ないじゃなイカ……これは没収でゲソ!」
「なっ! それ、髪じゃなかったのかよ!」
イカ娘が攻撃の為に延ばし、制空圏を確保させる触手は6本、移動の為に身体を1mほど浮かせているのが2本。
ただの髪の毛のように垂らしている(冷静に見れば、他の触手と全く同一と気付いたはずだが)2本の触手が、
マインゴーシュを絡め取って慎二の手が届かない場所へと放り投げたのだ。
力に酔い、ただ有り余る身体能力で暴れているだけの慎二らしい失態である。
それを静かに観察していた月と高遠も、相手が全く太刀打ちできない怪物ではないと判断した。
各々逃げる算段を止めて顔を突き合わせ、自分達に出来るイカ娘のサポートを話し合う。
(どうやらあのワカメ海人という敵はあまり頭が良くないようですね、高遠さん。海の生き物の特徴でしょうか?)
(生態はあまり考えても意味が無いでしょうね……彼の漏らす言葉を聞く限り、メンタルも我々人類に近いようだ。
私でもこの森林でイカ娘君と戦うなら、木々を上手く利用して触手を封じるくらいの講じはするでしょうが……)
(とにかく僕達に出来る事は一つしかなさそうですね……彼の気を引いてみましょう)
愚直にイカ娘に突進しては軽くいなされ、しかしノーダメージで同じ事を繰り返すワカメ海人を見ながら、
月と高遠が其々その場から離れ、慎二が激昂してこちらを狙ってきても容易にイカ娘がカバーできる位置を探す。
先にベストポジションについた月が小声で、だが確実に相手に届くトーンで口を開く。
「ハァ、ハァ……畜生ッ! なんで僕がこの帽子で手に入れた力が届かないんだ……一体どういうことだよ!
間違ってる! 大人しくやられろよ、化け物! 逃げ回るな! 命乞いでもすれば許してやろうと思ってたけど、
もう手加減しないからな……覚悟しろ! ここからもう本気だぞ、この真・間桐慎二様の―――」
「拾った力で我を忘れる。この世で最も軽蔑すべき存在だな……」
「……なに? オマエ! 今言ったのお前か!? ガキの背中に隠れてる奴が偉そうな事を……」
「その子供にいいようにあしらわられている貴方――― 失礼ながら、大爆笑ですね」
「お……お前らァァァァッ!!!」
月と同じくベストポジションについた高遠もまた、嘲笑の言葉を慎二に浴びせる。
イカ娘から完全に意識を逸らし、一瞬呆けた表情になった慎二は、
やがて自分がただの人間に馬鹿にされている……その事実に気付いて、簡単に激昂した。
強すぎる力は精神の平定を乱す。それが持ち主に見合わぬ物なら余計に、だ。
接敵を無視して月と高遠を攻撃しようと駆け出した慎二は次の瞬間、イカ娘の触手に拘束されていた。
足を完全にロックされ、自由な腕も倒れかけた身体を支えるのに使っている。
「月くん、君の銃を借りてもいいですか?」
「……どうぞ」
高遠は月からニューナンブM60を借りると特に抵抗があるような素振りも無く、慣れた手つきで弾層を回転させる。
そして早足で慎二に近づきながら、倒れ伏す彼の両肩に二発づつ銃弾を撃ち込んだ。
ギャア、と悲鳴を上げた標的の腕が上がらなくなったことを確認して、高遠が慎二のワカメを掴む。
顔を上げさせて自分の顔を近づけて慎二の目を覗き込む高遠の眼に、慎二は撃たれた怒りで応える。
だが、それも長続きしなかった。睨み続けようとした慎二は、高遠の目を見て、すぐさまその気力を失う。
「こら! 遙一よ、一体何をする気でゲソ!」
「いえ、少しお話を伺おうかと思いまして……拘束を続けていてください、イカ娘君」
イカ娘に顔を向けずに言う高遠の目を見ているのは、慎二ただ一人。
月は高遠と違い、無力化しきれたかどうか不明な危険人物に近づくほど酔狂ではない。
故に高遠は、慎二にしか聞こえない小声で、彼を詰問できた。
「貴方には復讐したい人物はいますか? 納得できない事はありますか? 夢を奪われた事は?」
「な……なにを言ってるんだよ、オマエ……」
高遠の目は、標本を見るそれの輝きを放っていた。
この地獄の傀儡師の興味に対する純粋さは、純度だけで言えばイカ娘にも比肩する。
そして彼の興味は、悪意を持つ者に"芸術"にすら昇華させた自身の犯罪プランを実行させる事にしかない。
目の前のワカメ海人とやらには、自分の高度な犯罪プランを授けるだけの価値―――言ってみれば、
高遠の芸術を遂行する"マリオネット"として完全な挙動を取れるだけの悪意の貯蔵があるのかどうか。
一体どれだけの数の人間に、この検分を行ってきたのか……圧倒的な"悪意"の鏡を前に、被検者は萎縮していた。
高遠の空ろな目に、自分の 醜い欲望/甚だしい歪み/劣等の痛み が投影されていく。
慎二は何も答えなかったが、高遠は自ずから答えを出したらしく、興味を失ったように彼のワカメを離す。
「なるほど……人間を超えた者と言ってもそれほど埒外な"動機"があるわけではないのですね」
「あ……あ……?」
...............
「一つ忠告しておきますが――貴方には、力を行使する才能がない。慎ましく暮らしていくのがお似合いですよ」
高遠の言葉が、慎二の脳にこびり付く。力を行使する才能がない―――だから、お前はこうして這い蹲っている。
生まれ持った魔術回路の数など関係ない。仮に遠坂凛に匹敵する才能を持って生まれたとしても、
現に人間を超える超人の力を得ても。間桐慎二は落伍する運命にあったのだと、そう変換されてこびり付く。
それは、慎二の心象―――持つべき物を持っていれば、自分は誰にも劣らないという根拠の無い自信を、
根底から否定する言葉だった。自分以外の何かに自分の劣等を押し付ける彼の言い訳を塞ぐ、絶望の帳だった。
事実、慎二は本来のこの徽章の持ち主……ブロッケンJrの1%程も、超人強度を戦闘に活かせていない。
慎二が走馬灯のように思い返すは、衛宮士郎。魔術師の養子というだけで、家柄も知識も何も無い一般人。
その筈の彼は、その実聖杯に選ばれた……自分を選ばなかった聖杯が選ぶ程の才を持った魔術師だった。
慎二が走馬灯のように思い返すは間桐桜。どういう訳か自分たちと同等の良家から追い出された哀れな義妹。
その筈の彼女は、その実間桐の正統後継者……才能のない自分の代わりとして宿敵から恵まれた魔術師だった。
「ふ……ざ、けるなよぉ……!」
怒りが。行き場の無い憎悪が。超人と化した肉体を励起させていく。
肩に撃ち込まれた銃弾が筋肉圧で弾け飛び、腕の自由を利かせた。
魔術回路がなくとも、全身の血管を通って超人パワーが全身を輪転する。
なけなしの魔力が超人パワーに乗って左手に集中し、やがて炎を纏った。
高遠の驚く顔に全力で手刀をねじ込まんと、カエルが跳ねるような動きで左手を突き出す。
「仕込みも無しに手から炎、ですか。手品師顔負けですね……」
「アハハ! 喰らって驚け、これが僕の魔術だ!」
「! イカ娘、これを!」
黒い炎を伴って放たれた手刀……"ベルリンの赤い雨"の亜種。
慎二が土壇場で習得したその技は、しかし高遠に放つべきではなかった。
自分の足を拘束している触手を切り払い、自由を取り戻してから攻撃に転じるべきだったのだ。
足を掴む触手が動き、慎二の体勢を崩す。更に、狙いを外して高遠の肩口に刺さりかけた手刀を、
イカ娘の触手2本が包み込んで、黒い炎を鎮火していく。
触手の先端は、月が放ったペットボトルの水を被って濡れていた。
ほんの少し焦げた触手をこそばゆそうに蠢かせながら、ついにイカ娘は慎二の制御から離れた腕を捉えた。
防御も移動も必要なくなったイカ娘が、10本の触手をフル稼働して慎二の全身に這わせる。
「同胞を辱めるのは辛いでゲソ……でも、これもワカメ海人を落ち着かせる為じゃなイカ! 我慢してでゲソ!」
「があっ……ごぉ、ぼ、じょぺ。ぺべ、ぎぎ……」
触手は慎二の全身を締め付け、満遍なく力を虚脱させる為の愛撫を繰り返す。
全身を操り人形のように触手で操られ、空中に吊り上げられて重力を無視した回転をさせられて感覚を狂わせる。
動物は、喉の奥に侵入していく物を噛む事が出来ない。そんな野生の知恵を用い、触手を口内に捻じ込んで、
喉の奥まで到達させ、高速で先端の伸縮圧迫を繰り返し、鍛えようの無い気管を責める。
こみ上げる吐瀉物を膨れ上がった触手で塞き止められ、押し戻され……十分ほど経っただろうか。
慎二は、完全に戦意を失っていた。触手で吊り上げられ、空ろな目つきになり、服のあちこちがはだけている。
「―――誰が得をするんでしょうね、この光景は……」
「はい……」
「うう、責めないでくれなイカ……彼奴を止めるにはこうするしかなかったのでゲソよ!」
同類を痛めつけた罪悪感に身を捩じらせるイカ娘を尻目に、高遠は宝剣を取り出した。
情報を欲する高遠と月にとっては、戦闘後の後処理がチームにおける本来の役割である。
**[[(後編へ)>淫妖烏 賊(後編)]]
**淫妖烏 賊(前編) ◆2XEqsKa.CM氏
海の潮味が、鼻先に薫る。
僕……夜神月は、海の家の軒下で揺り椅子に腰掛けていた。
心地よい満腹感。美味とは言えない夜食だったが、団欒はあった。
殺人を認可する、このゲームの中で摂る食事としては、まあまあ上等な物だったと思う。
団欒を囲む僕以外の二人は、僕の声が届く場所にはいない。
イカ娘は砂浜を走り回っている。高遠遙一は、散歩がてら周りの地形を確認してくると言っていた。
そう遠くないうちに出発したいが……イカ娘に視線を移す。
「ごみが落ちてないでゲソー! 浜辺がすっごくキレイじゃなイカ!」
手に何やらカードを持ちながら、有頂天で走り回っている彼女を見ていると、不思議な気分になる。
海から来て地上を侵略しにきた知性体……それが事実であるとすれば、彼女は人類の敵だ。
先ほど見せてもらったイカ娘という個体の戦闘能力は、なるほど人間を凌駕して余りあるものだった。
本来なら恐れ、遠ざけるべき存在。だというのに、今僕の前で走り回るイカ娘からは危険性が全く感じられない。
傍目にはただのバカな子供―――しかし、僕と高遠が『窓口』として使えると認めた、奇妙な魅力が確かにある。
彼女の持つ、人間を惹きつける才能は天然の物だろう。そして、僕のそれは計算を根底に置く計略だ。
そんな僕でさえ、イカ娘を完全に利用できる自信はない。加えてあの高遠遙一もいる。
「厄介だな……」
「何がでゲソ?」
「全て、だよ。こんなゲームに巻き込まれて厄介じゃない事なんてないさ」
いつの間にか近くに寄って来ていたイカ娘が、頭の帽子についた鰭をパタパタさせてこちらを覗いている。
僕が座っている揺り椅子に興味を示したらしく、目を輝かせながら。
適当に答えてから、イカ娘が手に持つカードに目を留める。どうやら、彼女だけに支給された道具らしい。
問い質してもいいのだが、どうみてもただの紙切れだ。取り上げて泣かれても困るので放っておくか……。
今後の事を思って浮かない顔をしている僕にイカ娘はぐい、と胸を張り、何故か上から目線で言う。
「ライト……生きていくというのは厄介ごとの連続でゲソ! それでも前向きに生きていけば、
いつかいいことあるんじゃなイカ? 私はガンガン進んでいくから、不安なら私についてくればいいのでゲソよ!」
……このイカは、一体どのような生き方をしてきたのだろうか?
少なくとも彼女の言葉と姿からは、「海を汚す人類を侵略する」等という攻性的な意志は感じられない。
僕が『キラ』として起こしている行動も、一種の侵略と言えるだろう。
僕とその思想は疑うことなく正義だが、キラを悪と断じる者たちがいるのも事実。そういった連中を駆逐し、
やがて世界を自分の望む姿に作り変える……それは、言うまでもなく闘争だ。
机上で『正義』『悪』を語ることしか出来ない、腐った世界の愚民たちには出来ない正義の実行。
一度走り出した以上、僕は止まれないのだ。負けて生き永らえる事も死んで勝つ事もない。
Lを筆頭とした『悪』に勝った上で、僕の認めた心の優しい人間だけの世界を作りあげ、統治し君臨する。
そんな僕の覚悟と同等の決意を持って、自分が棲んでいた海底から地上に姿を現したであろうイカ娘。
「……君は、純粋だな。イカ娘」
「な、なんでゲソ急に……照れるじゃなイカ! ……うむ、イカにもその通りでゲソ!
お前達人間のような薄汚い空気ばかり吸って生きている生物とは呼吸器とハートが違うのでゲソ!」
彼女は、あまりに澄んでいた。僕と同じ夢を……汚れながら進まねばならない道の果てにある大望を抱えていながら。
イカ娘は、僕の理想とする世界に住む権利のある、優しい人格(パーソナル)の持ち主だ。
正義の裁きとは言え、多くの人間を殺し続けた僕の精神が、彼女を正面から見る事に反発を覚える。
優しい目で見つめている事に気付いたのか、イカ娘が??と頭を傾げて、ぴょんっと揺り椅子に飛び乗ってくる。
膝の上にイカ娘の重みがかかり、胸板に揺り椅子を揺らせるイカ娘の背中が当たる。
「ライトよ、色々悩んでいるようでゲソが……私が地上を支配すればお前の悩みも無くなるに決まっているでゲソ!
お前の妹、さゆや栄子、たけるも仲間に加えて、みんなで地上を海に優しい場所にしようじゃなイカ!」
この椅子はおもしろいでゲソー!と足をじたばたさせながら、イカ娘はこちらに顔を見せずに言った。
……そうかもしれない。彼女のような純粋な存在が支配する世界は、素晴らしいものになるだろう。
だが、彼女に地上……人間社会を侵略する事は不可能だ。彼女はあまりにも、"悪意"を知らない。
海底の世界はどうだったのか知らないが、今の地上はイカ娘が生きていくには不純すぎるのだ。
どれだけ優れた身体能力を持っていても、大国の軍事力の前では一瞬で のしイカになるのがオチだろう。
僕が地上を新世界として統治してからならば、彼女……海の使者とも、よりよい外交が出来るだろうが。
「そういえば、何故ここに? あんなに楽しそうに走り回っていたのに……」
「――――大変な事に気付いてしまったのでゲソ……」
イカ娘が僕の膝から飛び降り、向き直って真剣な表情を見せる。一体どうしたのだろうか。
「ひょっとして私……ずっと海の中にいれば、かなり安全なんじゃなイカ?」
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割り込むように、高遠が海の家の軒下に現れる。
彼はどこから調達したのか、ウェットスーツを着ていた。水も滴る何とやらか、なかなか様になっている。
どうやら周辺の地形だけでは飽き足らず、海の水質なども軽く調査していたらしい。
手に銛を持って、見た事もない魚を先端に刺している。イカ娘の前でこれはどうかと思ったが、
イカ娘は特に気にしている様子はない。高遠もそれを確認してから、微笑と共に言葉を継いだ。
「私が調べたところでは、この海の水温は通常のそれよりいささか高い……このようなゲテモノしか、
生存できない環境のようです。イカ娘君も、おそらく長時間の潜水……いや、潜伏は無理でしょう」
「な、なんでゲソと!? ちょ、ちょっと行ってみていイカ?」
「どうぞ、まだ出発には少し時間がありますし。月君も少し水を浴びてきてはどうです?」
「……いえ、僕は結構です」
砂埃を立てながら海に突撃し、ぬるいでゲソー!と叫び声を上げるイカ娘を高遠と共に呆れ顔で見守りながら。
想像を遥かに超える重量だったイカ娘の圧し掛かりでふとももに深刻なダメージを抱えながら。
僕はこの時はまだ、この実験を暇な時に感傷に浸れる程度の物だと、甘く見ていたのだ。
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見えない速度で振るわれた多刃が風を斬る。防御するのは生身の腕―――軍服を纏う腕。
6方向からしなる様に迫る刃が、防御を貫かんと思い思いに形状を変える。
いかなる外殻でも、6種の形状/力理/入角度を異にする刃を受けて耐える事は不可能。
だが。外骨格や特殊な甲殻を一切備えていない、人間の腕は、その一撃に耐えた。
刃が止まる。その正体は触手。絡め取り、捕縛する為にあるはずのその器官は、
斬・撲・絞の加害を容易に使い分ける、攻撃者の最大の武器であった。
攻撃者は異形。地面に伸ばした二本の触手で身体を支えて高速移動する、制海の怪物。
それを防ぎきった防御者の肉体も既に超人の域―――その根源は額の徽章。
髑髏を模ったそのアーティフィクトは、凡夫に過ぎない防御者に『超人』という生物の肉体特性を与えていた。
「アハハ! なんだよ、ただのガキかと思ったら化け物か! いいさ、この慎二様が退治してやるよ!」
「シンジじゃなくてワカメ海人でゲソ! お前は一体どうしてしまったのでゲソか……?」
同レベルの……言ってしまえば子供の争いを打々発止しながら、二人は触手と肉体の激突を演じる。
それを脇で眺める夜神月と高遠遙一にとっては、その戦いのレベルは完全に理解の外。
二人が事前に見ていたイカ娘の力を大幅に上回る、弱肉強食の摂理におけるイカ娘の真価。
鮫や鯱から身を守る為にイカ娘が海中で蓄えていた力は、襲撃者=間桐慎二と拮抗するに十分なものだった。
唖然とする外野二人を他所に、6本の触手を攻撃に、4本の触手を移動と防御に回すイカ娘。
二つの心臓……普通心臓と超人心臓からくる爆発的な運動エネルギーを振り回す残虐超人・マキリシンジ。
「ふん、僕は間桐慎二さ! 人間を超え……魔術師を超え……サーヴァントすら凌駕する、天才の名前なんだよ!」
「何を言ってするめイカ、気でも触れたのでゲソか……海の仲間が無意味に争うなんてダメでゲソ!
それともお前は私たちを食べたいのでゲソ? おなかがすいているなら、海の家のごはんがあるでゲソよ!」
「別の意味でなら食べてやってもいいけどさぁ! 腹なんて減ってない!
僕はお前達を無茶苦茶に痛めつけたいんだよ! 僕の本当の力を使って、ね―――!」
下卑た笑みを浮かべながら慎二が迫り、地面に伸ばした触手を操作して後退するイカ娘が、目を見開いた。
投擲。慎二はマインゴーシュ―――西洋の短剣をイカ娘に向けて投げつけていた。
慎二からすれば、敵は自分とほぼ同じ速度で動き回る相手……更にリーチはマインゴーシュの数倍。
ダメージを与えるには、不意を打つ必要があった。それについては、成功したといえる。
だが――――。
「えいでゲソ! 危ないじゃなイカ……これは没収でゲソ!」
「なっ! それ、髪じゃなかったのかよ!」
イカ娘が攻撃の為に延ばし、制空圏を確保させる触手は6本、移動の為に身体を1mほど浮かせているのが2本。
ただの髪の毛のように垂らしている(冷静に見れば、他の触手と全く同一と気付いたはずだが)2本の触手が、
マインゴーシュを絡め取って慎二の手が届かない場所へと放り投げたのだ。
力に酔い、ただ有り余る身体能力で暴れているだけの慎二らしい失態である。
それを静かに観察していた月と高遠も、相手が全く太刀打ちできない怪物ではないと判断した。
各々逃げる算段を止めて顔を突き合わせ、自分達に出来るイカ娘のサポートを話し合う。
(どうやらあのワカメ海人という敵はあまり頭が良くないようですね、高遠さん。海の生き物の特徴でしょうか?)
(生態はあまり考えても意味が無いでしょうね……彼の漏らす言葉を聞く限り、メンタルも我々人類に近いようだ。
私でもこの森林でイカ娘君と戦うなら、木々を上手く利用して触手を封じるくらいの講じはするでしょうが……)
(とにかく僕達に出来る事は一つしかなさそうですね……彼の気を引いてみましょう)
愚直にイカ娘に突進しては軽くいなされ、しかしノーダメージで同じ事を繰り返すワカメ海人を見ながら、
月と高遠が其々その場から離れ、慎二が激昂してこちらを狙ってきても容易にイカ娘がカバーできる位置を探す。
先にベストポジションについた月が小声で、だが確実に相手に届くトーンで口を開く。
「ハァ、ハァ……畜生ッ! なんで僕がこの帽子で手に入れた力が届かないんだ……一体どういうことだよ!
間違ってる! 大人しくやられろよ、化け物! 逃げ回るな! 命乞いでもすれば許してやろうと思ってたけど、
もう手加減しないからな……覚悟しろ! ここからもう本気だぞ、この真・間桐慎二様の―――」
「拾った力で我を忘れる。この世で最も軽蔑すべき存在だな……」
「……なに? オマエ! 今言ったのお前か!? ガキの背中に隠れてる奴が偉そうな事を……」
「その子供にいいようにあしらわられている貴方――― 失礼ながら、大爆笑ですね」
「お……お前らァァァァッ!!!」
月と同じくベストポジションについた高遠もまた、嘲笑の言葉を慎二に浴びせる。
イカ娘から完全に意識を逸らし、一瞬呆けた表情になった慎二は、
やがて自分がただの人間に馬鹿にされている……その事実に気付いて、簡単に激昂した。
強すぎる力は精神の平定を乱す。それが持ち主に見合わぬ物なら余計に、だ。
接敵を無視して月と高遠を攻撃しようと駆け出した慎二は次の瞬間、イカ娘の触手に拘束されていた。
足を完全にロックされ、自由な腕も倒れかけた身体を支えるのに使っている。
「月くん、君の銃を借りてもいいですか?」
「……どうぞ」
高遠は月からニューナンブM60を借りると特に抵抗があるような素振りも無く、慣れた手つきで弾層を回転させる。
そして早足で慎二に近づきながら、倒れ伏す彼の両肩に二発づつ銃弾を撃ち込んだ。
ギャア、と悲鳴を上げた標的の腕が上がらなくなったことを確認して、高遠が慎二のワカメを掴む。
顔を上げさせて自分の顔を近づけて慎二の目を覗き込む高遠の眼に、慎二は撃たれた怒りで応える。
だが、それも長続きしなかった。睨み続けようとした慎二は、高遠の目を見て、すぐさまその気力を失う。
「こら! 遙一よ、一体何をする気でゲソ!」
「いえ、少しお話を伺おうかと思いまして……拘束を続けていてください、イカ娘君」
イカ娘に顔を向けずに言う高遠の目を見ているのは、慎二ただ一人。
月は高遠と違い、無力化しきれたかどうか不明な危険人物に近づくほど酔狂ではない。
故に高遠は、慎二にしか聞こえない小声で、彼を詰問できた。
「貴方には復讐したい人物はいますか? 納得できない事はありますか? 夢を奪われた事は?」
「な……なにを言ってるんだよ、オマエ……」
高遠の目は、標本を見るそれの輝きを放っていた。
この地獄の傀儡師の興味に対する純粋さは、純度だけで言えばイカ娘にも比肩する。
そして彼の興味は、悪意を持つ者に"芸術"にすら昇華させた自身の犯罪プランを実行させる事にしかない。
目の前のワカメ海人とやらには、自分の高度な犯罪プランを授けるだけの価値―――言ってみれば、
高遠の芸術を遂行する"マリオネット"として完全な挙動を取れるだけの悪意の貯蔵があるのかどうか。
一体どれだけの数の人間に、この検分を行ってきたのか……圧倒的な"悪意"の鏡を前に、被検者は萎縮していた。
高遠の空ろな目に、自分の 醜い欲望/甚だしい歪み/劣等の痛み が投影されていく。
慎二は何も答えなかったが、高遠は自ずから答えを出したらしく、興味を失ったように彼のワカメを離す。
「なるほど……人間を超えた者と言ってもそれほど埒外な"動機"があるわけではないのですね」
「あ……あ……?」
...............
「一つ忠告しておきますが――貴方には、力を行使する才能がない。慎ましく暮らしていくのがお似合いですよ」
高遠の言葉が、慎二の脳にこびり付く。力を行使する才能がない―――だから、お前はこうして這い蹲っている。
生まれ持った魔術回路の数など関係ない。仮に遠坂凛に匹敵する才能を持って生まれたとしても、
現に人間を超える超人の力を得ても。間桐慎二は落伍する運命にあったのだと、そう変換されてこびり付く。
それは、慎二の心象―――持つべき物を持っていれば、自分は誰にも劣らないという根拠の無い自信を、
根底から否定する言葉だった。自分以外の何かに自分の劣等を押し付ける彼の言い訳を塞ぐ、絶望の帳だった。
事実、慎二は本来のこの徽章の持ち主……ブロッケンJrの1%程も、超人強度を戦闘に活かせていない。
慎二が走馬灯のように思い返すは、衛宮士郎。魔術師の養子というだけで、家柄も知識も何も無い一般人。
その筈の彼は、その実聖杯に選ばれた……自分を選ばなかった聖杯が選ぶ程の才を持った魔術師だった。
慎二が走馬灯のように思い返すは間桐桜。どういう訳か自分たちと同等の良家から追い出された哀れな義妹。
その筈の彼女は、その実間桐の正統後継者……才能のない自分の代わりとして宿敵から恵まれた魔術師だった。
「ふ……ざ、けるなよぉ……!」
怒りが。行き場の無い憎悪が。超人と化した肉体を励起させていく。
肩に撃ち込まれた銃弾が筋肉圧で弾け飛び、腕の自由を利かせた。
魔術回路がなくとも、全身の血管を通って超人パワーが全身を輪転する。
なけなしの魔力が超人パワーに乗って左手に集中し、やがて炎を纏った。
高遠の驚く顔に全力で手刀をねじ込まんと、カエルが跳ねるような動きで左手を突き出す。
「仕込みも無しに手から炎、ですか。手品師顔負けですね……」
「アハハ! 喰らって驚け、これが僕の魔術だ!」
「! イカ娘、これを!」
黒い炎を伴って放たれた手刀……"ベルリンの赤い雨"の亜種。
慎二が土壇場で習得したその技は、しかし高遠に放つべきではなかった。
自分の足を拘束している触手を切り払い、自由を取り戻してから攻撃に転じるべきだったのだ。
足を掴む触手が動き、慎二の体勢を崩す。更に、狙いを外して高遠の肩口に刺さりかけた手刀を、
イカ娘の触手2本が包み込んで、黒い炎を鎮火していく。
触手の先端は、月が放ったペットボトルの水を被って濡れていた。
ほんの少し焦げた触手をこそばゆそうに蠢かせながら、ついにイカ娘は慎二の制御から離れた腕を捉えた。
防御も移動も必要なくなったイカ娘が、10本の触手をフル稼働して慎二の全身に這わせる。
「同胞を辱めるのは辛いでゲソ……でも、これもワカメ海人を落ち着かせる為じゃなイカ! 我慢してでゲソ!」
「があっ……ごぉ、ぼ、じょぺ。ぺべ、ぎぎ……」
触手は慎二の全身を締め付け、満遍なく力を虚脱させる為の愛撫を繰り返す。
全身を操り人形のように触手で操られ、空中に吊り上げられて重力を無視した回転をさせられて感覚を狂わせる。
動物は、喉の奥に侵入していく物を噛む事が出来ない。そんな野生の知恵を用い、触手を口内に捻じ込んで、
喉の奥まで到達させ、高速で先端の伸縮圧迫を繰り返し、鍛えようの無い気管を責める。
こみ上げる吐瀉物を膨れ上がった触手で塞き止められ、押し戻され……十分ほど経っただろうか。
慎二は、完全に戦意を失っていた。触手で吊り上げられ、空ろな目つきになり、服のあちこちがはだけている。
「―――誰が得をするんでしょうね、この光景は……」
「はい……」
「うう、責めないでくれなイカ……彼奴を止めるにはこうするしかなかったのでゲソよ!」
同類を痛めつけた罪悪感に身を捩じらせるイカ娘を尻目に、高遠は宝剣を取り出した。
情報を欲する高遠と月にとっては、戦闘後の後処理がチームにおける本来の役割である。
**[[(後編へ)>淫妖烏 賊(後編)]]
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