『マオ』が伝える中国の巨悪 ・・・ユン・チアンによって指摘された「張作霖爆殺」「盧溝橋事件」の真相。以下、1.2.に分けて詳解し、3.で結論を纏め、4.で補足します。
日本は侵略国家であったのか(
cache)(「田母神閣下の正論」参照) ・・・当時現職航空自衛官トップであった田母神俊雄氏の論文です。かくしてこの論文の発表後、浜田靖一防衛大臣によって更迭されました。自らの職を犠牲にしてまで史実を伝える論文を書き上げました。まるで当ページを読んでいるようです。ぜひ一読あれ。
張作霖爆殺事件(1928.6.4) (橘正史氏ブログより)
| 河本大作は、戦後は太原(たいげん)戦犯管理所という所に入れられまして、中共の戦犯管理の中で三年間過ごし、そこで亡くなっています。手記も何も書いていません。 |
冷戦終結後に旧ソ連の機密公開が行われソ連特務機関の工作を示唆する文書が出てきた。 (草莽崛起Pride of Japanブログより)
張作霖爆殺事件はソ連特務機関の謀略であった |
田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」 |
満州事変前後の年表つき解説(デリシャス冷珈琲氏)
| 日本の軍隊がいたからこそアジアは、日本が敗れるまで共産化されなかった。日本が敗れたために中国も満州も朝鮮も共産化されてしまった(崔基鎬氏) |
満州事変の実際
| 1 | 昭和11年(1936) | 10月 | 共産党延安に移転 | 蒋介石の討伐を避けるため、江西省瑞金から陝西省延安に移転 |
| 2 | 12月12日 | 西安事件 | 共産党討伐軍督励のため西安に入った蒋介石が、旧満州軍閥の張学良に拘禁さ れ助命と交換に共産党への攻撃停止を呑まされた事件 | |
| 3 | 昭和12年(1937) | 7月7日 | 盧溝橋事件 |
北支事変勃発(※但し日本は戦線不拡大方針) |
| 4 | 7月29日 | 通州事件 |
北京近郊の通州で日本人居留民260数名が中国兵に虐殺され、国内世論沸騰("暴支鷹懲"当時の日本は米国の9.11状態に) | |
| 5 | 8月13日 | 第二次上海事変 |
上海租界が中国軍に攻撃される。日本の意に反して華中に戦線拡大 | |
| 6 | 9月 | 第二次国共合作 | 12月7日には、国民政府(蒋介石)重慶に移転 | |
| 7 | 12月13日 | 日本軍南京攻略 | 直後から「南京虐殺」のプロパガンダ始まる(欧米、特に米国に対して日本に制裁 を加えるよう政治工作) |
にもかかわらず、日本のマスコミは嘘の南京大虐殺は繰り返し特集するくせに、実際にあった大虐殺事件"通州事件"は 完全に無視しています。 また歴史教科書にも"通州事件"は全く記述がありません。支那事変の導火線となった重要な歴史的事実が、戦後ずっと 意図的に隠蔽されています。
米国での共産スパイ暗躍は1949年:中国の共産化という米外交の大失策が契機となりマッカーシーの"赤狩り"が実施さ れるまで続いたが、このこともまた日本では殆ど教えられない。
| 孫子以来、中国政府の要諦とは謀略が第一であり、中央集権の統一メカニズムを維持するために盛んに情報操作・政治宣伝・悪質な謀略を用いる。本気で武器を用いた殺し合いをするのは愚か、と孫子は説いた |
| 日本や欧米と違って中国はガチの戦は苦手で北方の騎馬民族や英国や日本に実戦ではいつも完敗。 その代わり 中国の政治家は謀略を常に張り巡らす。自分は力を温存し相手を分断し内部に手を突っ込んで混乱させてから、おもむろに平らげることを上策とする 。 唐が高句麗や突厥を滅ぼした時もそうだったし毛沢東が現体制を築いたときも同じ事をしている。孫子呉子の兵法書にも戦は下の下策とある。 今、中国は盛んにダライ・ラマを陥れる謀略戦を国際社会に対して仕掛けている 。 戦前の日本に対しても同じことをしていた筈である 。( 当然今の日本に対しても、である ) 昭和初期の日本の対中外交方針が迷走を重ねたのは、当時の日本人にも今とそれほど変わらない中国に対する(中国の現実とは遊離した)甘い手心があったため である。(そういう意味では、日本も中国も全然昔と変わっていないといえる。) 甘い手心や根拠のない和平への期待と、現実の中国の無法さの合間で日本は翻弄され、その間に中国側には米国への謀略工作を着々と進められて、日本はあの無謀な戦争に追い込まれていった ・・・私達はそういう風には学ばない(それどころか日本が一方的に悪かったとばかり教え込まれる)が、調べればそれを示唆する資料は沢山ある。 |
| 満州に限らず
「現在においても失敗を繰り返す」可能性が高い
のは、 ① 日本人は「共存共栄」志向で行動するのが当たり前だと思っている 一方、 ② チャイニーズには「共存共栄」などという言葉は無く、「弱肉強食」志向で行動する ことです。 日本 が 「共存共栄のサイン」 として 譲歩を繰り返し ても、 弱肉強食のチャイニーズ にとっては、それは 「弱者が自らの肉を強者に差し出した」としか見ない のです。 |
|
満州政策
において
日本政府の幣原喜重郎
は、いわゆる
幣原外交
と呼ばれる
平和外交路線
で
チャイナに譲歩
し、
満州
についても
「侵略の意思を持たない証」
として
「満州において日本軍がほとんど軍事行動できない」ようにしてそれを国際社会に約束
しました。 それは 「共存共栄思想をもつ人々」の間でならまさに平和外交となったかもしれません が、 弱肉強食思想のチャイナ政府 にとっては、 「満州で何をやっても日本軍は動けないし、もし動いたら国際社会に訴えればよい」 という 「侵略の絶好の機会」を提示してしまった にすぎませんでした。 (人民解放軍が侵略するまで独立国であったチベット同様、満州もチャイニーズの国ではなく、清朝時代は満州にチャイニーズが立ち入ることすら禁じられていました)※注1 |
| そしてチャイナが何をやったかといえば「数千万人の棄民を満州に送り込んだ」のです。もちろんチャイナ政府は棄民たちに「資金」や「土地」を渡したりはしません。 要するに「生き延びたければ騙し暴行し殺して満州人や特に日本人居留民から資産も土地も奪い取れ」ということです。 かくして満州各地で詐欺や暴行殺人レイプ放火が相次ぎましたが、日本人の生命財産や通商路を守るべき日本軍は日本政府の政策によって手足を縛られたまま有効な対策を取ることはできませんでした。リットン調査団が満州を視察したときには「満州の人口過半数をチャイニーズが占める」だけでなく、調査団に対して満州人が口々に「日本人の悪辣さを訴えさせる」ようにしました。 |
| かくして
日清戦争・日露戦争を戦い抜き、膨大な犠牲と莫大な戦費を支払って満州に生き延びる道を得ようとした日本
は、
「チャイナの謀略によって大陸から追い落とされる寸前」にまで追い込まれました
。そして
結局、現地の日本軍が泥を被る形で「満州事変が起きた」ことで、かろうじて「日本はその命脈を保つことになった」
のです。 しかし日本政府は日本軍に手を合わせるどころか「平和外交をぶち壊した」と非難し、目の前で多くの日本人居留民が殺され暴行され日本の生命線である通商路まで奪われかけたのを見てきた日本軍は、「もはや政治家に日本の命運を任せて置けない」と思いつめ始めたわけです。(その結果はよく知られる通りです) |
|
結局何が悪かったのか
といえば、 ① 「チャイナとはそういうもの」だと理解して取り扱わなかった日本の「政治家」の責任 であり、 ② 当時もマスコミに踊らされてそのような政策を歓迎していた「国民」の責任 でもあります。 (ちなみに「国家権力者」はあくまで「幕府」や「政府」であり、天皇はそれを担保する権威者です) |
| そして、この チャイナのメカニズムは現在もまるで変わっておらず、日本のお花畑の政治家やそれを応援する市民も、その危険性にまるで気づいていない ようで、 「歴史が隠蔽されたまま」では「過ちは繰り返される」 でしょう。 |
(1)日韓併合は韓国側の要請によるもので、日本が侵略したのではない。 (2)大東亜戦争(太平洋戦争)の目的は、①国家の自存と②東亜の安定(解放)であり、東南アジアを侵略したのではない。以上は、教科書やマスコミ報道はともかく、ネット上ではもはや多数意見と言っていいでしょう。しかし、ここまでは理解できている方でも、現状では未だ多数が
(3)しかし、中国に対しては日本は侵略を行った。という固定観念から抜け出せていないように見えます。
清朝の下で自治を許されており、清朝崩壊後には日本と結ぶ等の手段で各々独立を志向した諸民族を、日本敗戦後に中共が侵略・併合した、というべき⇒下図参照)
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