韓国はなぜ反日か?

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◆西岡力氏:日韓歴史問題の真実(分かり易い動画)

以下は概略

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【2】韓国はなぜ反日か?
【3】なぜいろんなことが誤解されたままになっているか? cache

<目次>

序文

 韓国が日本に対して反日感情を持つようになったのは、何が原因なのでしょうか。解明してゆきましょう。

中華思想

 中華思想とは、支那・漢民族が世界の中心であり、他国・多民族は道から外れた禽獣(きんじゅう)に等しいものとして、差別する思想。「中華」とは「世界の 心・文化の精 」という意味を持っている。そのため、支那の周辺国は、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と呼ばれます。全部、侮辱的な意味を持つ漢字が使われています。古代日本の国号「倭国」というのも同じです。
※(中華思想(wikipedia) )

 この中華思想に基づいて、支那が宗主国となって周辺国を属国にする体制が置かれました。属国は宗主国に朝貢(ちょうこう)という貢ぎ物を持ってゆきます。支那はそのお返しに、周辺国の君主に国を統治する資格を認めてあげるのです。これを冊封体制(さくほうたいせい)と言います。
※(冊封(wikipedia)

 歴代の朝鮮も、この冊封体制の支配下に置かれ、ずっと歴代の支那王朝へ朝貢を続けました。明治30年(1897)に日本が日清戦争に勝利して下関条約を結ぶ際、朝鮮が大韓帝国として独立しました。なんと、朝鮮はこの時まで何千年も朝貢し続けたのです。しかし、中華思想そのものは、大韓帝国になっても大韓民国になってもあまり変わっていません。

 この中華思想では、「中国に近ければ近いほど偉い」とされていたため、「中国>朝鮮>日本、の順番に偉い」とされていました。これが反日感情の根底にあるものなのです。

「小中華思想」が「本家」を超えた?

引用元・朝鮮民族を読み解く7つの鍵 森羅万象の歴史家(大東亜戦争の名著から萌えるフィギュアまで)

 過去が現在を生むのだから現在の謎を解明するには過去を調べないといけません。古田博司氏の「朝鮮民族を読み解く―北と南に共通するもの 」を一読した者が把握できる真実は、嫌韓派から「チョウセンヒトモドキ」と揶揄される現代韓国人の不可解な行動様式を解明する鍵が、李氏朝鮮が行った朱子派儒教の国教化にあるということです。

 李氏朝鮮は、孔子派もしくは孟子派の儒教ではなく、あくまで朱子派の儒教を国教としました。これが現代韓国人の行動様式を生み出したのです。

 朱子(1130-1200)は存在というものを理(道徳志向性の根拠となる自分の正しさ、理の具体的内容は仁義礼智信で、ことに君臣父子の上下関係の秩序を重んじた)と気の合体から説明しました。

 万物には鏡のごとく明瞭な「理」が天より分有されています。しかし万物の素材をなす「気」に清いものと濁ったものがあるのです。これが鏡を曇らせます。一番濁ったものは器物、モノです。次は草木であり、頭(根のこと)を下にしているほどに劣っています。次にましなのは禽獣、動物のことです。禽獣は気が濁っている分、頭がまちがって横についています。

 次は人間ですが、これも気の濁った者がいます。卑しい小人です。君子は気が澄んでいます。澄んでいる分、「理」鏡の光がまし、道徳の知性が輝きます。したがって彼にこそ卑しい他の物どもを徳治で率いる資格があるといいます。そして小人から君子になり、さらに君子から賢者、賢者から聖人になるためには、ひたすら朱子の儒教注釈を学び朱子の礼教を実践しなければなりません。

 自分たち(李氏朝鮮)は、東方の野蛮国ですが、中華文明の師であり上国である支那(明)に侮辱されたくない、漢民族から常に「東方礼儀の国」として賞賛されたい。

 支那に対する強烈な劣等感から生じた彼らの大望を成就するために、李氏朝鮮の王族および両班は、朱子派儒教を国教と定め、本場の支那以上に忠実に純粋に過激に「朱子家礼」(朱子の礼教)の定める葬礼、喪礼、祭祀、衣冠などを実践し、これに反する者すなわち土着の慣習に基づく葬儀や招魂を司っていたシャーマンや僧侶を暴力をもって徹底的に弾圧し、さらに朱子の礼教を実践しない者すなわち二夫に仕えずという貞操道徳を守らない再婚女を拷問し、不葬者を斬殺し、喪に服さぬ者を百叩きにしました。

 かくして李氏朝鮮は「東方礼儀の国」を自称し、朱子派儒教政治を約500年のあいだ(1392~1910)実行したのです。この朱子派儒教政治が現代の韓国人の行動様式に繋がる次の現象を生み出しました。

1.小中華思想
2.現実を無視してホルホルと観念的な優越感に浸る妄想癖
3.職人および商人を蔑視する職業差別観と希薄な環境保全意識、日本人を猿と呼ぶ侮日的な民族差別観
4.両極端な韓国の国民性。韓国では礼儀正しさでは韓国人の右に出るものはいないと誇る人がいるかと思えば、礼儀とは無縁の下品きわまりない人が無数にいる。
5.政界の常時内紛。過去の真実や法の支配よりも自分および朝鮮民族が道徳的な高みにあることを優先する、似非歴史学と非罪刑法定主義(事後法の遡及適用)の蔓延
6.息を吐くように嘘を吐き、日本国および日本民族にたかる悪癖
7.日本国および日本民族を侮蔑しながら日本国に入ってきて、やれ公務員権(就官権)をよこせ、やれ参政権をよこせなどと要求して日本国民を支配したがる征服
※(小中華思想(wikipedia) )

 朱子の礼教を無視する日本国のみならず李氏朝鮮ほど忠実には朱子の礼教を実践しない支那王朝(明、清)をも侮蔑するようになり(1446年頃から)、李氏朝鮮こそ中華の正統であると自負するようになりました。

韓国併合

 大韓帝国は明治38年(1905)に日本の保護国になり、5年後に併合されました。中華思想の観点から見れば、「朝鮮より劣っているはずの日本が、日本より優れているはずの朝鮮を支配した。」という事になります。朝鮮にしてみれば、嫉妬や憎悪が湧き上がってきたのでしょう。しかし、韓国併合は当時の世界情勢と国際法から見ても至極真っ当な物であった事は明らかなのです。

大東亜戦争敗戦

 大東亜戦争で日本は敗戦しました。当時の朝鮮は日本の領土であり、当時の朝鮮人は国籍上は日本人なので「朝鮮系日本人」でした。大東亜戦争とは枢軸国対連合国の戦いであるのに、なぜか朝鮮系日本人たちは「我々は戦勝国だ」と言って暴れだしました。

現在

 大韓民国成立は、中華思想に基づいた反日感情に加え、日本の朝日新聞等の革新派勢力から宣伝された「従軍慰安婦問題」等を真に受けた為、ますます反日感情が強くなっていく事になります。親日発言をした言論人などは、社会的地位を失います。キム=ワンソプなどがその例です。

 イラクでは、韓国軍の一人の兵士が「独島は大韓民国の領土です。」と朝鮮語で書かれた板を掲げて自衛隊員2人と並んで撮った写真があります(平成17年8月15日付け朝鮮日報より)。自衛隊員は朝鮮語が読めなかったそうであり、もし意味が分かっていれば撮影には応じなかったでしょう。

 また、韓国の抗議方法は常軌を逸しており、焼身を試みる者までいます。(平成17年3月18日付け朝鮮日報より)。その他、「子供をだしにする」「指を詰める」「蜂を身にまとう」等など、卑怯な物から奇怪な物まで様々です。

全斗煥の対日姿勢

 全斗煥は、韓国の歴代大統領としては初めて、自分の国にも責任があったと認め、当時日本でも大きく報道された。

 1981年8月15日の光復節記念式典の演説では、「我々は国を失った民族の恥辱をめぐり、日本の帝国主義を責めるべきではなく、当時の情勢、国内的な団結、国力の弱さなど、我々自らの責任を厳しく自責する姿勢が必要である」と主張している。

 また、翌年の光復節記念式典においても、歴史教科書問題により、日本人に対するタクシーの乗車拒否が起こるなど、反日感情が渦巻いていた韓国において、前述の通り強硬的な姿勢を見せながらも、「異民族支配の苦痛と侮辱を再び経験しないため確実な保障は、我々を支配した国よりも暮らし易い国、より富強な国を作り上げる道しかあり得ない」と述べ、「克日」を強調した。

 (以上全斗煥 - Wikipedia (2008年8月2日現在)より引用)

跋文

 朝鮮の反日感情というのは、朝鮮民族が伝統的に持っている中華思想に、朝日新聞らが捏造した歴史問題等が加わって、より強固になっています。歴史問題を説得できたとしても、伝統的な中華思想を変えていく事は非常に難しいです。真の日韓友好はまだまだ遠い道のりでしょう。韓国人が正しい歴史認識を持ち、中華思想を理性で抑える事が可能になるまでは――。

補足説明

◆崔基鎬氏:日韓併合の真実を語る(動画)

崔基鎬氏:武士道の覚醒と強い日本を願う(講演記録)
私は80歳になります。ここまで生きてきて、やはり韓国のためにも日本のためにも、自分の思うことを正直に語りたい。それが本音です。ご承知の通り今の韓国では、植民地時代の日本統治を肯定的にとらえて発表することは、相当の覚悟がいります。極端な話、身の危険も覚悟しなければなりません。しかし私の使命として、どうしても言わなければならないと思っています。なぜなら、歴史を歪曲するということは、国の進むべき方向を間違わせてしまうからです。
  実のところ韓民族は、いつも身勝手な解釈で歴史を解釈し、これがもとで幾度も実態を見誤り、国を滅ぼしてきたのです。とくに危惧するのは、それが韓民族の宿痾であるということです。だからなおのこと私は、歴史の真実を見る重要性を訴えたいわけです。
  一つ最近の現象をいえば、北朝鮮寄りの韓国政府の動きがそれです。日韓併合前の朝鮮は李氏朝鮮によって支配され、それが500年続きました。その時代がどんなであったか。日本人はそれを知らなすぎます。大多数の国民が飢餓に苦しんでいても、一切顧みることなく自分の体制を守ることだけに専念する、そういう時代でした。いうならばいまの北朝鮮と同じです。
  北朝鮮は日本時代の遺産をすべて壊し、李氏朝鮮の時代に戻っているにすぎません。

中国のいう歴史認識の共有は、中国のいう通りにしろということです。そんなことはすべきでないし、できるはずもない。支那事変というのは、日本が中国共産党と戦った防共戦です。これをはっきりと認識しなければなりません。向こうはアジア、中国、日本を共産化しようとしていた。背後にはソ連のコミンテルンの野望がありそれと日本は戦った。日本の軍隊がいたからこそアジアは、日本が敗れるまで共産化されなかった。日本が敗れたために中国も満州も朝鮮も共産化されてしまった。
  それを知っている人は世界にいなかったわけではありません。ローマ法王のピオ11世はよく分かっていた。支那事変が始まった年の10月にメッセージを出しています。全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、日本の支那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよといっています。だからこそ戦後マッカーサーが靖国神社を解体しようとしたときに、カトリックのビッター神父、バーン神父は反対した。
  靖国神社の近くに白百合学園という女学校があります。靖国神社の前を横切るときに生徒は頭を下げる。どうしてかと気になっていた。それはローマ法王にお伺いをたてたら頭を下げるようにと指導があったという話でした。
  結局中国共産党は戦争を一番望んでいた。昭和7年、満州事変の2年後に対日宣戦布告を出しています。昭和9年にも同じようなものを出しています。蒋介石の国民党軍と日本を戦争をさせて、その間に自分たちの勢力を伸ばして中国を共産化するという戦略だったわけです。
  支那事変が始まった後、毛沢東が出した指令があります。日本との戦争では、七分の力をもって党勢を拡大せよ、二分の力をもって国民党と妥協せよ、残りの一分の力をもって日本と戦争せよというものです。

◆崔基鎬氏:新羅の統一で民族性に歪み(新羅が半島を統一した事によるモラル・ハザード) ・・・「堕落の2000年史」(崔基鎬著)より引用

高い徳と輝かしい文化を誇った朝鮮半島の三国時代は、一つの予期しない大事件によって終止符を打った。新羅による朝鮮半島の統一である。新羅による統一は、外勢である唐と結託して、同胞の国であり、当時、アジアの強国であった高句麗と、世界の最高級の文化と芸術の国であった百済を、不意打ちする事によって滅亡させたものだった。(百済が660年、高句麗が668年)
民族反逆の末に、自らを唐の属国としてしまった。ここに韓国人の意識構造に、異常を招く事態となった。
新羅は自ら進んで唐の属国となる事によって、卑怯、利己主義、機会主義、事大主義をはびこらせ、韓民族を転落させたのだった。これは朝鮮半島に禍根を永久に残す事になった大事件であるが、「無頼漢(ムレハン・ごろつき連中)」が他民族の勢いを借りて、自分たちの民族国家を打倒したのだった。
(中略)
「統一新羅」という言葉は美しく響く。新羅が自らを「大唐国新羅郡」と卑下して読んだ事を記録している。このような環境のもとで、国を失った高句麗と百済の遺民の心境は、その後、卑屈に落ち、紳士どころではいられなかった。その結果、中国に対する「事大思想」は、今日でも、未だに韓国で幅を利かせている。
(中略)
韓族は旺盛な活力を持っていたのに、新羅による統一を機として衰退し始めた。仁・義・礼・勇が充溢した独立自尊、高徳の国は、民族内部の裏切り者によって、かつて敵であった隣国の属領に成り下がったのである。
その事が何を意味するかというと、中国は今日に至るまで、どの時代をとっても孔子をも絶望させたように、社会が常に腐敗していたが、この深い泥沼のような中国文化に組み込まれてしまった事が、韓民族に最大の不幸をもたらしたのである。
新羅は中国の属領となる事によって、唐の元号を用いるかたわら、名前や服装を唐風に改めた。韓人の姓は三国時代までは二字姓だったが、創氏改名(注・日本が韓国に対して行ったものは氏を創り名を改めるものだがここでいう創氏改名は氏を創るのではなく姓を改めるので改姓と呼ぶのが正しい)が強いられ、一字姓となった。
(中略)
李光末は、新羅の朝鮮統一と、李朝の成立によって、韓民族の民族性が次のように歪められたと指摘している。

1. 虚言と偽騙の行為がはびこることによって、相互間の信頼性が失われた。このために詐欺的な態度が広まるようになった。
2. 空理空論を弄び、美辞麗句を連ねる。頂上の権力者は生殺与奪の権をはじめ、不可能な事がないほど、思うままに権力を振るい、一切の責任を負わない。
3. 表裏不同だ。人の面前ではへつらい、背後では悪し様に言う。恥をまったく知らない。
4. 卑屈、物事に怖じけ恐れる。他人の思惑ばかりを気にして、決断する能力が低い。
5. 反社会的利己心によってのみ動かされ、公益には無関心だが、自己、家族、党派については極端な利己主義を発揮する。

これこそ、現在の韓国を深く蝕む「韓国病」そのものにほかならない。
歴史は教訓に富んでいるものである。韓日交流史を古代に遡って学ぶ時には、韓民族が歴史の過程に於いて、中国的なものに囚われてしまった民族の悲劇を、覚るものにならねばならないと思う。
明治期の日朝外交史

1300年前、中国の属国に成り下がった「新羅」から「韓国病」の悲劇が始まった cache )を基に作成。
(同様の文章は「反日主義者の精神構造」にも掲載されています。)
崔基鎬氏が朝鮮半島が新羅に統一されて以降自民族に対する誇りを捨てさせられて、事大することを強要させられた結果、
このような環境のもとで、国を失った高句麗と百済の遺民の心境は、その後、卑屈に落ち、紳士どころではいられなくなったことを指摘しました。
この中国に対する「事大思想」は、今日でも、未だに韓国で幅を利かせています。
(詳細は、「反日主義者の精神構造」・「韓国人の国民性」を参照。)
当サイトで非難の対象にされています韓国の地域を支配していた百済は、朝鮮半島の文化を日本に伝えてきた文化的に優れた国家でした。
ところが668年、新羅が隋・唐に援軍を要請し、勝ったあかつきには自ら唐の属国となることを約束し、ついには統一してしまったのです。
これが韓国人が世界中で嫌われる原因となっている、いやしい民族性を培ってしまったのです。



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