とある世界の残酷歌劇 > 第二幕 > 05


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「――――はまづら!!」

滝壺の叫びはどこか掠れていて、けれどはっきりと浜面の耳朶を打った。

「滝壺――オマエ――どうして――」

他方、浜面の声も似たようなものだった。
喉はごろごろと痛いし息は鉄臭い。おまけに舌もろくに動きやしない。
滝壺に向ける言葉もどこか錆びたような響きを持つ。

――――――待、てオイコラ、

思考はぼやけてしまってまともに動いてくれはしない。
こちらに駆け寄ってくる滝壺の姿もふらふらと揺れていて。

――――――待てよオイ、

頭が上手く働かない。
先程、海原の一撃を受けて鉄柵に突っ込んだ時にでも打っただろうか。
生憎ここは病院だ。手っ取り早く診てもらうのもいいだろう。目の前のコイツをぶち殺してからだが。

――――――待て、

滝壺の両手が触れる。どこか遠慮さえ見える手の動きは浜面を支えるものだ。
胸と肩。二点に触れる滝壺の手は、寒さの所為か冷たい。
肌も白くなってしまって、唇だけが赤く、

――――――待、

唇が赤いのではない。

口の端に僅かに残る擦れるような血の跡が。

赤い。



「――――――っ!!」

直後、浜面の思考は反射的に正常を取り戻す。
背中に氷水をぶち込まれたような、そんな寒気――否、怖気が浜面の全身を震え上がらせた。

『ナニガ』とか、『ドウシテ』とか、そんな事は分からない。
ただ焦燥感にも似た漠然としたもの。
思考するのも拒否してしまうような、直視するのも拒絶したくなるような、そんなどうしようもなく最悪な気配がそこにあった。

鉄錆の臭いがするのは、

壊れかけているのは、

自分か、

それとも彼女か、

「――――はまづら」

滝壺はいつもの眠たげな目ではなく、酷く真剣な眼差しで浜面を見、笑顔で頷いた。

その笑顔がどうしてだか浜面には泣きたくなるほどに狂おしいものに思えて。

「大丈夫。大丈夫だよ、はまづら」

彼女は頷く。

滝壺は紙のように白いその顔で浜面に微笑む。

「ありがとう。でも、もう大丈夫だよ」





――――やめろ、

「こんなにボロボロになるまで頑張って」



口は動かない。まるで顎が凍りついてしまったかのように少しも動いてくれやしない。
頭ははっきりとしているのに体がどうしてだか言う事を聞いてくれないのだ。

体の時は止まったようになってしまっているのに。
世界は無情にも足を止めようとはしない。そして最悪な事に頭はそれをはっきりと認識している。



――――やめろ、

「でも、だからこそ、私が間に合った」



滝壺。なあ滝壺。オマエは一体何をしようとしてるんだ。
俺が今まで必死に足掻きまわっていたのは何のためだったんだ。

全部全部全部全部たった一つのどうしようもない最後の一手を回避しようとして。
たった一つの冴えないやり方をどうにかしたくて。



――――やめろ、

「大丈夫。だって私は、大能力者だから」



今まで必死で抗ってきた俺は。

これじゃあまるで道化師じゃないか。



――――やめろ!









ありがとう

それから ごめんなさい

私はやっぱり こういうやり方しかできないみたいです
あなたがしてくれた事を全部無駄にするとしても 私はこれ以外に何もないから
だから ごめんなさい

でも ありがとう

あなたがいてくれたから私はこうして決断できる

あなたと出会うまで 私はきっと燻る火だった
このまま燻り続けて その内ゆっくりと消えてしまうんだろうなって そう思ってた

でもあなたが理由をくれたから 私に生きる意味を教えてくれたから

あなたの隣が私の居場所 それを失いたくない
あなたが決して望まないっていうのは分かってるけど
ごめんなさい ただの我侭です



やり方は彼が教えてくれた
きっとこうなるのが分かってたんだろう
きっと全部 最初から最後が分かってたんだろう

頭いいし れべるふぁいぶだし 格好付けだけど
もう少し優しくしてあげればよかったかな

でも私にはあなたがいるから いいや ごめんね

ありがとう ごめんなさい

いっぱい いっぱい ありがとう

キスしてくれた時は うれしかった
強く抱き締められて しあわせだった
困ったような笑顔が いとおしかった

好きになってくれて ありがとう

好きになっちゃって ごめんなさい

ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい

私はたぶん ただ理由が欲しかっただけなんだ
その役割をあなたに求めただけ
犬に噛まれた方がきっとましな そんな理由

でもあなたは きっと分かってたんだろうな
れべるぜろのあなたでも 他の気持ちには鈍感だけど
こういう事だけは聡いから



私はあなたに いっぱいいっぱい 貰ったのに
でも私には 他にあなたにあげられるものがないから

せめて 『       』 を あなたに

きっとあなたはいらないって言うけど
いいじゃない せっかくだから ね?

ごめんなさい

ありがとう

だいすき









そして、彼女はジャージのポケットから、

おもむろに、本当に何でもないような動作で、

シャーペンの芯を入れておくプラスチックのケースみたいな容器を、
                  、、、、、
がしゃりと、擦れて音を立て、五本纏めて口を切り、










私は ねえ はまづら



「無能力者のはまづらを、きっと守ってみせる」



私ははまづらのために燃え尽きるよ










中に込められた粉末をざらざらざらざらと喉に流し込み咳き込みそうになるのを気力で抑え残らず嚥下した。









びくん! と滝壺の背が跳ねる。
胸を逸らすように彼女は顎を上げ天を凝視する。
目尻からは堰を切ったように涙が流れ、口の端からも似たようなものだった。。

「ぎ――――か――――」

喉からは何だか分からないものが溢れてくる。

「――――gy――ghjr」

みしみしと全身の関節が嫌な音を立てる。
首がぶるぶると震え、口から吐き出される音は果たして意味を持っているのか。

「――――grrweor――――gyorhkam――」

浜面はそんな様子を停止した思考で呆然と見つめるしか。
強く彼女の体を抱き締めるしかできなかった。

どうしてそんな事をしているのかは分からない。
どこかに行ってしまわぬように引き止めてるのかもしれない。
彼女が弾けてしまわぬように支えてるのかもしれない。
単純に幼子のように縋り付いているだけかもしれない。

ただ一つだけはっきりしているのは。

浜面の切な願いは当の本人をして断たれ、僅かな可能性すらもう、どうしようもなくなった。





そんな様子を海原は、今にも泣き出しそうな笑顔で見つめている。
黒曜石のナイフを握る右手は力なくだらりと垂れ下がり、今にも取り落としそうだ。

彼は滝壺の様子にゆっくりと、小さく頷き、傍らの、御坂美琴と同じ顔をした少女に笑み。

「――――――」

何かを言おうとしてほんの少し口を開き、それでも止めたのか唇を引き頭を振った。

そして手に持った鉱石の刃物を投げ捨てる。
からん、と硬く、乾いた音を立てたそれに視線を向けることもなく海原は目を瞑る。

視覚は失われ、聴覚には相変わらずの風の音と、そして声。
それは慟哭か産声か。そこに込められた感情は分からなかったが、そこに込められたものの強さだけははっきりと分かる。

――――自分が、壊したんですね。

たった二つ、小さな小さな世界。
きっと自分が何もしなければそこで完結していた。
それを、この手で。

「ええ、分かってます。どうせ手加減なんてできないですよ。慣れてないんですから、こういうの」

自嘲して彼はつい、と腕を振り上げ。

「――――ごめんなさい」

そこにどんな想いを込めて握り締めたのか。
拳で空を殴りつけるように振り下ろした。



放たれた不可視の力。

虚空に現れた力の塊は風を押し退けるように空間を抉る。
人体くらいなら軽く挽肉にする程度の質量を持つ力の塊は、二人を潰すように頭上から降り注ぎ。



「――――――imz砕rke」



ばぎん、と砕けて風を生んだ。

「………………」

何が起こったのか、海原は直感的に理解する。
力が砕けた。内側から爆ぜた。自壊するように。

前方、視線を向ける。
そこにはまるで十字架に縋りつく修道士のように少女を抱く少年と。

人体の限界まで折り曲げられた背首をなおも曲げようとぎしぎしと関節を軋ませる少女の血走って真っ赤になった目が合い、

「――――――kwl壊squv」

錆び付いた歯車が軋んだような耳障りな音が少女の喉から溢れ。

己の意志を伴わず生まれた力は、彼の右手をぐしゃりと砕き圧し折り曲げ纏め縮ませた。



耳にするのは二度目。
一度目よりも大分近い場所から聞こえた音は自分の腕が発したものだ。

湿った音と乾いた音。血肉の音と骨の音。
それが纏めて砕けて圧縮される音。

その音を海原はどこか納得したまま聞いた。

きっとこうなるだろうと、どこかで理解していた。
絹旗の腕を潰したあの瞬間、きっと全部が終わって全部が失われた。
そして、彼女が目の前で爆ぜた瞬間、壊れてしまった。
世界とか、心とか、何か大切なものが。

だからだろうか。
激しい痛みは感じるけれど、どこか他人事のように思える。

肘から先を丸ごと肉団子にされている。
何やらその様子が滑稽で海原は力なく笑った。

ずるい、と自分でも思う。
夕方、海原が腕を潰した少女は痛みに吠えながら真っ赤に焼けたような感情を自分に向けてきたというのに。
今、海原自身が同じ境遇にあってその感情は凍りついたように動かず痛みに叫ぶ事もない。

でもそれは、人として失格なんだろうと思って。

ここは地獄だから仕方ない、と納得した。





抱き締めていた温もりが消えた。

一瞬遅れて浜面は腕の中の感触が消えた事に気付く。
気付いたからといって何もない。浜面の感情は麻痺したままだ。
機械的に、普通きっとそうだろうという理由で浜面は力なく崩れ落ちそうになりながらも視線を前方へ投げる。

宙を、滝壺が舞っていた。

背を逸らし胸を空に向け、緩やかな放物線を描き彼女は跳ねた。
支えるのは不可視の力だ。つい先程浜面を撥ね飛ばした力が、今は彼女の体を捧げるように宙へと持ち上げている。

「――――――」

その先は、海原光貴。
両手は手はだらりと下げられ、その顔は笑んでいる。

宙を跳ねる彼女は海原に抱きつきキスするように両の手を伸ばす。

浜面はその様子をただ見ているだけしかできない。
どうしてだか両の目からは涙が溢れ頬を濡らしていた。
それが何故なのか、浜面の凍り付いた感情は理解できず――理解しようとしなかった。

そして彼女の両手は、海原の頬を両側から挟むように触れ。

力を奪われた少年は柔らかく笑みを向け。

そのまま顔をごしゃりとコンクリートの床に叩きつけられた。



何かが割れるようなひしゃげるような砕けるような音。
屋上の床面には放射状に皹が走り、中心部には彼女と、そして叩き伏せられた海原。

浜面の位置からは彼女の姿が陰になって何が起こっているのか正確には分からない。

「――――たき、つぼ」

ただ、今し方響いた音はもし人体の立てたものであれば。
それは人の耐えられるものではない事だけは容易に理解できた。

見えるのは少女の着た自分のウィンドブレイカーの背と、少年の足と革靴。
組み伏せた海原の体に馬乗りになった彼女は右手を上げ緩やかに五指を広げる。

「――――やめ」



――――ごしゃっ、



浜面の呟きは直後再び響いた音に掻き消された。

潰れる音。圧力に広がる音。コンクリートの割れる音。
それが一緒くたに響いて、気味の悪い不協和音を奏でる。

手は何度も何度も振り上げられ、その度に音が響く。
彼女の手が上がる度に何か赤い液体が尾を引く。
それが一体何なのか、理解したくもなかった。



何度も。何度も。何度も。

振り降ろされる度に振動が足を伝わってくる。
もはやそれは乾いた音ではなく、どこか湿ったような粘っこい音になっていた。

ぐちゃ、ぐちゃ、にちゃ。

どこかで聞いた事があると思ったら。
一度だけ、ついこの間だが、滝壺が手料理を振舞ってくれるというので。
その時にキッチンから聞こえてきた。

ええと。なんていったっけ。

ああ、そうそう。

ハンバーグだ。

そんな音を生きてる人間が立てられるはずもないのだが。
叩きつける音は止まない。

――――違和感。

こんな音を彼が立ててるのであれば、当然生きているはずもない。
生きていられる訳ないのだが、生きていなければならない。

AIM拡散力場というのが死人から出ているはずがないのだから。

そして素手で人体を捏ね回す事などできるはずもない。

だから、力を奪い取るためには、生きていなければならないのだが。



「――――――、」

どうしてだろう。

気付いてしまった。

風に乗って少女の意味を成さない呟きが耳に届く。

彼女の振るうその力は。





「――――――orh窒fzz――awf装甲nmv」





ぐぢゅ、とイキモノが立てられるはずもない音が鼓膜を震わせる。

振り上げられた少女の掌は。

どうしてだか汚れ一つなくて。

べしゃりとまた叩きつけられ、何か赤っぽいものが飛び散った。







どこか機械的な作業にすら見えるその『行為』を浜面は呆然と立ち尽くしたまま茫と見続けていた。
何が起こっているのかは分かるのだが、脳がそれを受け入れるのを拒否していた。

余りに残酷で、悲惨で、救いようのない事態を。



最悪の地獄という世界が今まさに目の前にあった。



今まで自分がいたと思っていた地獄はなんて生温かったのだろうと思う事すらできない。
この最悪な世界を認める事を生存本能にも似た心の装置が受け付けなかった。

ただ、目の前にいる彼女はどうしようもなく滝壺その人で。

その事実が鋭い刃のように心の隙間から入り込んで深々と突き刺さった。

びゅうびゅうと泣いているのは風か、それとも自分なのか。
涙は不思議と出なかった。



「――――たき、つぼ」

そんな地獄を直視できなくて、目を瞑れば声が出せた。

ゆら、とよろめくように浜面は一歩、足を進める。

耳に響く湿った肉の音は続いている。
けれど視覚がなければ幾分かましだった。

呼ぶ名に応える声はない。

きっとそうだろうとどこかが分かっていた。
だとしても、彼女の名を呼ぶ以外になかった。

まるで縋るように浜面はその名を呼ぶ。

「――――たきつぼ」

それはある意味自分への投げかけだった。

その名が浜面の心に突き刺さる刃であると同時に。
その名は浜面の心を繋ぎ止めている最後の糸だった。

「――――滝壺」

その名が辛うじて浜面の正気を保っていた。

そして、その名が歩みを進ませた。



ふらり、ゆらりと夢遊病の様に、けれど確かに彼女に近付いていった。

そして不意に、かくり、と糸の切れた人形のように膝を突いた。

ぐちゃりとどこかで音がした。

その音がどうにも耳障りで、耳を塞ぎたかったけれど。

「――――滝壺」

浜面は己の顔の両脇に手を向けはせず、前へ伸ばした。

触れる感触がある。

いかにも安っぽい、合成繊維の手触り。
知っている感触だ。何か知らないべっとりとしたぬめるものもある気がしたけど無視した。

「――――滝壺」

無機質のそれは凍るように冷たい。
柔らかい氷を触っているような気配。
手の感触がみるみる消えていくような、指の先から溶け落ちてしまうような錯覚。

だがその先に確かに何かがあるのだ。
それが何かと知りたくて、でもどうにも怖くて、粉雪で作った細工を扱うような繊細な指の動きで確かめた。

恐る恐る、指でなぞる。

もはや手の全ては硝子になってしまったように覚えがなかったが。

仄かな感触があった。

――――ああ。

それは暖かかった。

血と肉の熱さだ。

そして人の肌の温度だ。

「――――滝壺――っ!」

引き寄せ、抱き締めた。



「――――twsegra――」

何か声が聞こえた。

聞こえたけれど、構わなかった。

構わず抱き締めた。

「滝壺――滝壺――っ!」

腕の中でもぞもぞと肉が動く感触。
それを逃がさぬように、強く抱き締める。

「――――hartqdpe――」

また声が聞こえた。

それが何を意味しているのかは分からない。
言葉として理解するには何かが圧倒的に欠落していたし、思考も失われていた。

けれど。

「――――――ham浜zzl」

感情も思考も思慮も想念も、お互いに失くしてしまっているはずなのに。

どうしてだかその音が。



「――――――hlw助dep」



知らないはずの、彼女の泣き声に聞こえた。





圧倒的な地獄で、殺戮的な否定を前にしても。

浜面も。

滝壺も。

どうしようもなく、まだ生きていた。

何もかもが嫌で嫌で仕方なかった。
いっそ死んでしまった方が幾らか楽だっただろう。

人としての最低限の部分まで犯されるような世界の只中に二人はいたし、
当人たちも――望むと望まざると――それを自ら選択してしまったのに。

それでもまだ彼と彼女は、どうしようもなく人だった。

心が破壊しつくされるような現実を前にしても、最後の最後で壊れきれずにいた。

「滝壺! 滝壺! 滝壺ぉっ!!」

それこそが最悪だというのに。

「くそ! ちくしょう! 死ねっ! みんな死んじまえっ! 残らず呪われてしまえっ!!」

愛とか夢とか希望とか、そういう大切なものがあったはずの少年はそれを全部かなぐり捨てて呪いの言葉を叫んだ。



ばち、と何かが爆ぜた。

「殺す! 皆殺しにしてやる! 俺と! 滝壺と!
 世界中の何もかも壊しやがったヤツら全部全部全部!」

ばち、ばぢ、ばぎん。

風が、地面が、大気が、世界が悲鳴を上げた。

それは炎だったかもしれないし、氷だったかもしれない。
雷だったかもしれないし、そうでもない別の何かかもしれなかった。

ただそれは、彼の、どうしようもなく原形を失ってしまったのに砕けてしまわないココロの罅割れの隙間から漏れ出したものだ。

薬でも電流でも言葉でもなく。

地獄の毒を以ってして壊された彼の心はようやく自分だけの現実を手に入れた。

「――――こんな最低最悪な世界なんて滅ぼしてやる!!」

ただの少年だったはずの彼は、もしかしたらその時。

人が悪魔と呼ぶモノになってしまったのかもしれなかった。



そうして人の大事な何かと引き換えに、人として不要な何かを手に入れた少年の腕の中。

「――――――ham浜zzl」

彼女は涙を流していた。
涙を流せない彼の代わりにとでもいうように、人形のように無機質めいた表情の上を涙滴が伝う。
少年の慟哭に包まれながら涙で濡れた唇が震えるように動く。

何を言っているのか、彼も、そして当の彼女も分かっていなかった。
分かるための心は壊れ崩れる寸前の辛うじて形だけが残された状態だというのに、どうしてだか勝手に声と涙は溢れてきた。

「――――――olv好yew」

誰にも理解されない音の形で、失い切れなかったものが溢れてきた。

「――――――lojf愛txsk」

機械的に、そこにあったはずの感情を自ら否定しながら、彼女は泣く。

「――――――ham浜zzl」

その音は彼の耳には届かず、行方を失い吹き付ける風に流され消えていった。



既に人の形を失った、血と肉と骨を叩いて引き伸ばした舞台。
文字通りの屍山血河の上で、少年だったものは少女だったものを抱き締め吼える。

「呪われろ! 呪われろ! 呪われろ!
 壊してやる! 微塵にしてやる!
 何もかも俺が残らず殺しつくしてやる――――!!」










「実に魅力的な提案ですが、先約はこちらですので譲っていただけますか」











応える声があった。

それはすぐ傍。

上品なブレザーとスカートの制服を身に纏う。

御坂美琴の姿をした少女の形。






手には、黒曜石で作られた刃があった。





そして、殺戮と狂気と呪いの神の力を模した光が、少年だったものを貫いた。

























びしゃ、

























何か水っぽいものが一杯に詰まったバケツをひっくり返したような音と同時。

ずるりと、それが滝壺と呼ばれた少女の上に降り注いだ。

生暖かいというには熱すぎる、人の温もり自体だ。
命そのものの熱がぶちまけられ、同時に冷却が開始される。

急速に失われてゆく生の残滓を肌に得ているのに彼女は微動だにできなかった。

ごとり、と、一瞬遅れて地に付けられた膝の上に何かが落ちてきた。

「――――――」

彼女は、まったく揺れない瞳でそれを見て、それからゆっくりと手を伸ばした。
両手で優しく包み込むように抱き、持ち上げる。

「――――――」

それが何か。

彼女は理解したくてもできないし、できたとしてもしたくないだろう。

それなのに彼女の体は勝手に動き。



「――――――ham浜zzl――――?」



矢張り全くの無表情のまま、頭一つ分の大きさのそれを胸に優しく抱き締めた。





「まったく見向きもされないというのは寂しいですね」

表情を失った少女の隣に立つ人影が言う。

常盤台中学のブレザーにスカート、そして手に黒曜石のナイフを持つ少女が――いや、
少女の姿をした、魔術師の少年が借り物の面貌に薄い笑顔を浮かべ血肉の海に座り込んだ少女を見下ろしていた。

「駄目ですよ。いくら必死だったからって、考えなしに行動するのは。
 ……AIM拡散力場でしたっけ。あなたの能力が感知するというもの。

 能力を暴走状態にしたはいいですけど、彼はそれでどうにかできたようですけど、
 視覚も聴覚も、五感のほとんどを最小限以下にまで抑えてそれに頼りきりになるのは駄目ですよ」

「――――――」

少女の姿をした少年の言葉は彼女の耳に届いてはいない。
彼女は虚ろな目をどこかへ投げながら腕の中にそれを抱き締め続けている。

そんな様子に全く構わず、彼は続ける。

「ええ、残念ながら自分はそのAIM某が無いので」



「――――――」

身動ぎ一つしない彼女を前に、彼は独白じみた言葉を続ける。

「そもそもあんな院内放送をしておいて他に誰も来ないという状況がありえませんよね。
 あれ、自分が人払いの魔術を布いたからなんですが。見る人が見れば分かるでしょうけど、
 この街の住人はどうにもそういう方面は否定的で。だからこそ付け入る隙になる訳なんですが」

言葉に少女は反応しない。

「ともあれ邪魔になりそうなので先手を打たせてもらいました。
 なんとなく、一番怖いのは彼とあなたのような気がしたので」

彼はそんな少女を傍らで見下ろし、手の中で転がしていた黒曜石のナイフを一度宙に弾き、ぱしっと掴み直す。

「……彼女には釘を刺されましたけど、海原光貴も、戦闘不能にする程度で済ませるつもりだったようですけど。
 そんな生易しい事で済ませられる訳が無いですよね。あなたも、『アイテム』なんですから。
 まあ、そうですね――運が悪かった――とでも思ってください。
 あなたも、彼も、自分も。誰も彼もが不幸だった。そうじゃないですか。ねえ?」

そう薄っぺらい笑顔で微笑み掛け、軽く振りかぶるように右手に持つ刃を掲げ――。

「…………お喋りすぎるのもいけませんね。金星が沈んでしまいました。まぁ――」

彼は前屈するように腰を折り、動かない少女の顔を覗き込むようにして見る。

少女の顔に表情は無く、虚ろな視線はどこか虚空を見詰め、僅かに開いた唇から言葉が紡がれる事もない。

ただ。

とろ――――、と。

言葉の代わりに、そこにあった熱の名残のように赤黒い液体が零れ落ちた。

「――その必要もないようですが」

彼はどこか満足げに頷いて、桃色のジャージを染めつつある赤から視線を逸らした。



「さて、それでは自分もそれに倣うとしましょうか」

誰にともなく彼は呟いて歩き出す。

その先は屋上と院内を繋ぐ扉ではなく、逆。
転落防止用の鉄柵のその先だった。

「夜の空、夜の風、夜の翼、黒煙の化身、霜の王、捻れた鏡。姿は見えず、それはどこにでもいて、どこにもいない」

とん、と背に翼の生えたような軽やかさで跳躍し、彼は鉄柵の上に立つ。
前方からは風。方向は南への北風。

スカートを風に翻し、少女の姿をした少年は肩越しに一度振り返り。

「――それではまた、曙の頃に」

再び軽やかに跳躍し、その姿は夜闇の中へと落ちていった。







後には吹き続ける風に身を晒す、血肉の海に座り込む少女だったものだけが残される。

胸の中に大事そうに少年の形を抱きかかえて。









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