とある世界の残酷歌劇 > 第一幕 > 3


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ウィ――――――ン…………、

小さくモーターの駆動音が響く。

微かに感じる重力は、つまり上への上昇を意味している。

狭い空間は沈黙が満たされていた。

順番にランプが点灯し、それはゆっくりと右へと流れていく。

ウィ――――――ン…………、

そしてようやく、灯火が右端に達し、甲高い音を立てて静止した。

両足に感じていた重さは消え失せ、どこか喪失感にも似た感情を呼び起こさせる。

滑らかに眼前の扉が両に開き、目的の階に到着した事を実感する。

彼はエレベーターから一歩外へ。
狭く、小さい廊下が僅かに伸び、その先には重々しい鉄の扉があった。



「………………」

前方。扉の方へ向かってゆっくりと歩く。

かつ、かつ、

革靴が床を叩く音が響く。
長期間そこは人の通る事がなかったのだろう、微かに積もった埃がその僅かの振動に身を震わせ、ほんの少しだけが宙に身を躍らせる。

――こつ、こつ、

それに遅れるようにして、背後から、別の足音。

足音は彼にぴったりと張り付くように聞こえるが、そこに人が存在する気配はない。
彼の靴の奏でる音とは違う、確かな足音が空気を震わせ、それはまるで彼の足跡を一つ一つ踏むようにゆっくりと追従していた。

けれど彼は振り返らず、歩みを進める。



かつ、かつ、

――こつ、こつ、



異なる質感を持った足音が壁に、天井に、反響する。

背後で微かにエレベーターの扉が閉まる音が聞こえ、再びモーター音。
無人の箱はゆるやかに下降していった。





かつ、かつ、

――こつ、こつ、



足音。二つ。

彼の歩みに合わせ重なるように聞こえるそれは、僅かにずれていた。

まるで影が遅れて付いてきているような感覚。
彼は振り返らず、しかし確かに背後に意識を向けて、歩む。



かつ、かつ、

――こつ、こつ、

かつ、かつ、

――こつ、こつ、



そして、扉の目の前。

ほんの僅かに手を伸ばせば取っ手に届く距離。そこで彼は足を止める。



かつ、



足音が止まり。



――こつ、



遅れて、背後で足音が一つ、響く。





「………………」

背後に向けられる意識を隠しながら、彼はゆっくりと手を伸ばし、扉のノブを掴む。

ひやりと冷たい感触。
だが、それに構わず握り締め、ぐいっと捻った。

がちゃり、

湿った金属音が響き。

ゆっくりと押す。

ぎぎぃぃ――――…………、

と、扉は耳障りな錆びた音を立てて開かれる。

ほんの少しだけ、それこそ指が一本入るか入らないか程度の空間から、どっと冷たい空気が溢れる。
それは彼の腕を這い、脇を滑り、背後へ流れる。

確かな風を受け埃が歓喜するように舞い上がった。

その事に彼は委細構わず、さらに力を籠める。

甲高い、悲鳴のような擦過音を伴い、扉はその口を広げる。

指がようやく通る程度だった空間は、握り拳が収まる程度になり、頭一つ分ほどの隙間となり、そして――。



「………………」

彼の前に灰色の街が現れた。
鉄と、コンクリートと、ガラスと、多種多様な建材を用いられて築かれた人口の森。

曇天にそびえるそれらはいつもの煌びやかな印象とは異なり、鈍くその身を冬の近い空に晒していた。

墓標のようだ、と彼は初めて思う。

見慣れたはずの景色だというのに、立つ位置によってこうまで違って見えてしまうものなのだろうか。

ひぉぉぉ――――…………、

ビルとビルの谷間を縫うようにして駆け抜ける寒風は、どこか物悲しいような音を立て、頭上を通過する。
              バンシー
まるで古い洋館に住む泣き妖精の叫びにも聞こえる身震いさせるほどの寒気を伴うそれに身を晒し、彼は扉から外へ一歩足を踏み出す。

ごう、と一際強い風が吹き、髪を撫でた。

右手で扉を開け放ったまま、彼は眼前の景色を微かに首を振り見回し――。

そうして、ようやく振り返る。

「――――――」

彼の背後だった場所には、確かに人がいた。

まるで幽鬼のような印象を覚えるその人物は、無機質な仮面めいた顔を彼に向け、硝子玉のように澄んだ眼球に彼を写す。

その瞳を彼は見つめ返し、そして、



「――――どうぞ、御坂さん」



ふっ、と優しく笑み、海原光貴は少女に手を差し出した。





そこは屋上だった。

特に何かがあるわけではない。狭く、がらんとした、寒々しい空間だった。
あるのはただ、コンクリートのタイルが敷き詰められた床と、転落防止用の金属の柵だけだ。

その柵も元は白く綺麗に塗られていたのであろうが、手入れする者がいなくなって久しいのか、
風雨に晒されそこかしこが剥げ落ち赤錆の浮いた地肌を覗かせていた。

もし寄りかかれば腐った根元からぼきりと折れ、それは本来の仕事を果たさないだろう事が容易に見て取れたが、
そもそもそれに寄りかかるような人物が存在しないのは明白だった。

――風が強い。

海原が最初に思った事はそれだった。

ビルとビルの間を、ぶつかり、混ざり合い、加速した空気は突風となって海原の頭上を吹き抜ける。

空飛ぶ鳥を拒絶するような荒々しい対流は恐らく計算されて人工的に作られたものなのだろう。

一直線に吹き抜けるそれを受け止めるように、向かいのビルの屋上にそびえる風力発電の羽が緩やかに回転運動を続けていた。



見上げていた視線を下ろす。

目の前には窓のないビルの壁面。

隣接する建物の存在を意識してだろう、意図的に窓が設けられていないそれに、海原は『窓のないビル』の名で呼ばれる建造物を想起する。
もっとも、本来のそれはここからかなり遠い位置にあり、乱立する無機物の柱に遮られ見えないのだが。

海原の立つビルの屋上は辺りの他のそれらよりも低い位置にある。

他と明確な差がある訳ではない。ほんの二、三階の高さの差だ。
けれどそれが分厚い壁のように立ちはだかり、妙な圧迫感を覚える。

振り返る。

その回転する三枚羽を彼女は何を思うのか、じっと見ていた。

まるで廉潔な宗教画でも見上げているような気配を纏いながら、彼女は高い位置にあるそれを仰ぐように見上げている。

それこそが清廉な偶像のようにも見え、海原はしばらくの間彼女を呆然と見つめていた。

ふっと影が落ちるように、彼女は視線を水平に戻す。

その事に海原の顔は緊張に彩られた。

ぴりぴりと張り詰めたような空気が場に満ち、それは風では吹き飛ばされなかった。

かつ、と靴底が屋上を叩く。

歩み寄るように、こちらに視線を向けられない事を確信しながら海原は彼女に近付く。

そして隣に立ち、海原はゆっくりとそちらを向いた。

彼女に、ではない。

――重々しく閉ざされた、屋上とビルの内部とを繋ぐ鉄の扉。

その向こう側。決して視界に入る事はない空間を見据え、海原は息を吸い。

「――――ええ。ここなら邪魔も入りませんし、どうぞ」

告げ、しばらくの沈黙の後、扉が再び開かれた。

ゆらりと、そこから姿を現したのは。



「こんにちは――――絹旗最愛、さん」



名を呼ばれ、暗澹とした視線を絹旗は二人に向けた。







――――――――――――――――――――







探していた人物の一人、海原光貴は休日の人混みで溢れるモノレール駅前の、洒落た喫茶店で暢気にコーヒーを啜っていた。

「なんでこんな街のど真ん中をうろついてるんですか……!」

予想外の出来事に絹旗は思わず小さく叫んだ。

思いがけず目的の人物を見つけてしまい、絹旗は混乱していた。

大きく取られた窓際の、外が一望できる――外から丸見えのスペース。
二人掛けの丸テーブルの片方に座り、彼はカップを離すと味を確かめるように少し口の中で液体を転がす様子で、そして納得したのか小さく微笑んだ。

(どこのお貴族様ですかコンニャロウ)

鼻につくその仕草に顔を顰め、絹旗は歯噛みした。

滝壺。麦野。垣根。浜面。
昨日今日のこちらの苦労や心労や、その他諸々の苦悩が馬鹿のようだ。

そんな事をまったく分かっている様子もなく、海原はまるで映画のワンシーンのようにしてそこに座っていた。

念のため絹旗は物陰に身を隠した。

少しだけ深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
そして再び店内を見てみれば、相変わらずそこには海原が座っていて、これが夢や幻でない事を物語っていた。

絹旗はようやく冷静さを取り戻した脳で思考する。

――よく考えれば、あまりにも出来すぎていた。

絹旗は確かに彼らを探していた。

けれどそれは実を伴わず、素振りだけのような、意志を伴わないものだったはずだ。

だが現に目の前には目的の人物の一人がいた。

まるでお膳立てされたように。

(――――罠、か)

そんな様子はまったくないのに。
こちらを誘っている。そんな気さえした。



しかし考え直す。はたしてそうだろうか?

そもそも彼らがこちらの動きを、意図を知っているとは思えない。

何らかの目的があって姿を隠したのだろうが、だからといってそれが絹旗たちに関係するという確証もない。

――もっと別の理由があるのではないか……?

――事と次第によっては、もしかすると協力関係を築けるかもしれないのではないのだろうか……?

そこまで考えて絹旗は頭を振る。

(超ありえないです)

こちらが相手を利用する事ができても、こちらを利用する事ができるはずがないのだから。

暗部とは、そういう場所だ。

利害関係が一致するのは同じ場所にいる相手のみ。少なくとも彼らはそこに位置するとは思えない。

通りを挟んだ対岸。喫茶店の中を見ながら絹旗は思う。

矢張り一度麦野たちに連絡を取って指示を仰ぐのが定石だろう。

自分一人の判断では行動し辛い。
タイムリミットが明確に存在している訳ではない。
無論、時間が経てば経つほど状況は悪化していくのだろうが、その程度の余裕はあるだろう。

そう思い絹旗はポケットから携帯電話を取り出し、アドレス帳を呼び出す。

五十音順に並ぶ登録された名前。数は少ない。
元々絹旗に連絡を取るような相手は数えるほどしかいないのだから。

ボタンを操作して文字の羅列を流していく。

垣根の番号は登録していない。
滝壺は――悪く言うつもりはないが、指示を出せるとは思えない。

となると残りは――。



「……、……」

そこに現れた名を見て、絹旗は動きを止める。

片仮名四文字だけで簡素に記された名前。

彼女は一体何をしているのだろう。

一週間前の混乱で消えてしまった少女。

その足跡は杳として知れない。

彼女の身に何があったのか、絹旗は知らない。

もしかすると麦野や、もしくは垣根あたりならば知っているのかもしれないが、それを尋ねる事は絹旗にはできなかった。

知るのがどうにも恐ろしかった。

まるで自らの末路を垣間見てしまう気がして。
そんな覚悟はとうの昔にしていたはずなのに。

目を瞑り、小さく、ゆっくりと、臓腑に沈殿したものを出すように息を吐く。

元々がそういう世界に生きているのだ。
人が消える。そういう事がままある業界だ。

だから彼女はきっと、そういう事なのだ。

そう、諦念にも似たものを己に言い聞かせるように心の中で繰り返し、絹旗は目を開く。

どうしてだか、世界がさっきよりも無彩色じみたものに見えた。



手にした携帯電話。

それを見つめる視線を、ふと上げる。

順当に行けば浜面の名前が画面に表示される。
しかし、彼に連絡を取っていいのだろうか。

……いや。別に問題はないはずだ。
今や彼は正式な『アイテム』の一員で、少なくとも絹旗の仲間であるはずだった。

だが、どうしてだか気後れしてしまう。

理由は分かっていた。

彼の座っている席。
それは、あの金髪の少女のものだ。

後から割って入った少年。
浜面仕上。

そんな事はないのに、そう思ってしまう。

奪われた、と。

妥当だ。そうは思う。

けれど理性では分かっていても、心が、納得できないでいた。

『アイテム』という四つの椅子。

誰かが席を追われれば、また他の誰かがそこに座る。

絹旗が今座っている椅子も元はきっと別の誰かのものだったのだろう。

そういう風にできているのだ。



――そんな事を考えてしまう自分に吐き気がする。

絹旗は得も知れぬ嫌悪感に苛まれていた。

自分は彼女の事を体のいい逃げ道にしている。
頭の片隅でそう自覚していた。

本当はそんな綺麗な感情ではない。

きっとそれは滝壺の存在だ。

――――浜面の、恋人。

詳しい経緯は知らない。けれど確かに二人は恋仲だった。

傍目には仲睦まじい――地獄には似つかわしくない光景。
しかし絹旗は直感としてそれを知っている。

依存と、贖罪と、代替行為。

恋愛感情とはそういうものなのだろう。
恋とは決して清らかで誉れ高いものなどではない。
むしろ汚らしくて、醜悪で、吐き気がするほどおぞましい感情でしかない。

そう、絹旗が今胸に得ているものが違いないのだから。

それは嫉妬だ。

二人を見ていると、そんな感情を抱いていいはずもないのに、抱きたくもないのに、心の奥底からふつふつと湧き上がってくるのだ。

小さく、細かい気泡でしかないそれは感情の水底から浮かび上がり、ぷつり、ぷつりと音を立てて爆ぜる。
泡の中身は透明のように見え、しかしまるで腐敗したガスのような質量をもって確実に沈殿していった。

もうどれだけ堆積しているのか。分かりはしないけれど。



それははたして浜面に向けられたものなのか。

それともその眩しすぎる光景に向けられたものなのか。



――――それとも滝壺に向けられたものなのか。



判断のつかぬまま、絹旗は仄暗い熱にじりじりと精神を侵されていた。





……そんな絹旗の感情と葛藤とは関係なく、世界は進み続ける。

目を上げ、絹旗は暗澹とした瞳を道路の対岸へと向ける。

人の行き交う歩道と、自動車の行き交う車道のその奥。

ガラス板に区切られた店内の、丸テーブルの二人席。

そこに――――。



海原光貴の姿はなかった。



「っ――――!」

最悪の失態に絹旗の頭は真っ白になった。

よりによって物思いに耽っている内に目的の人物を見失うなど、あってよいはずもなかった。

慌てて人混みを掻き分け、車道ぎりぎりまで駆け寄る。

歩道と車道を区切る鉄柵を鷲掴み、半ば乗り出すような格好で反対側の歩道を見回した。

――――いない。

ぎり、と歯が軋むほどに噛み締めた。

最悪だ。最悪にも程がある。
まさか子供の使いでもあるまいに、こんな馬鹿みたいな理由でせっかく掴みかけた手懸かりを失ってなるものか――!



もはや車道に飛び出しかねない形相で絹旗が掴んでいた鉄柵の横軸が、めきりと悲鳴を上げたとき。

喫茶店の扉が開いた。

そこから出てきた人物の顔に、絹旗は胸を撫で下ろす。

「会計をしてただけでしたか……」

ほう、と安堵の息を吐いて、あわやその場にへたり込みそうになる。

それを慌てて堪えて、絹旗は苦笑する。

もしかして疲れているのだろうか。
精神面はそれほど弱くないとは思うが、矢張り先日の一件が祟っているのだろうか。

全部終わったら、少し休暇を取るのも悪くない。
元々あってないようなものだが、そう思うだけでも少しは違うだろう。

そんな事をぼんやりと考えながら絹旗は海原を目で追い――――、

「っ――――――!?」

絶句した。

彼女の視線の先には、開けた扉を支える海原と、丁度そこから出てきたところの、



「――――御坂――美琴――!!」



携帯電話を握る指は思わず通話ボタンを押し、そして当然のように携帯電話は直前まで表示されていた相手へと発信を開始した。









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