『ホントに、ホントにアンタは後悔してないのか?』
そう問われて、一瞬逡巡。
後悔しているのかと聞かれれば、間違いなく後悔している。
あそこであーやってたら、いっそこーやってたら。
そんな、もしの話なら、頭の中で擦り切れるほどくり返した。というか今でも絶賛上映中。
でも、"別の"、後悔以外の気持ちも自分の中でぐるぐると回ってるのだ。
その気持ちは、自分の中で、生きてきた中でたぶん一番かっこわるい気持ち。
だから、ちょっとだけかっこつけて。
『今でもずっと後悔しているし、同じ場面に遭遇したら、次も同じ事が出来るなんて保証はない。だけど、あの時は、本当にこれが一番正しい事だと思ったんだ』
と、半分だけ、嘘を吐いた。
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「うへぇ、さすがに、暑いなぁ」
右手におみやげをガサガサ提げて、オッレルスはイスラエルのエルサレムにいた。
十字教の聖地であるイスラエル。
しかし、もちろんオッレルスは十字教徒ではない。
では、なぜか。
「聖地巡りの人かい?」
バスステーションでファラフェルをピタパンに挟んだファラフェルサンドという、まぁ名前まんまな食べ物を買いながら、
「んーまぁそんなところです」
魔神になりそこねた男、オッレルスがここにきたのは、つまるところ――聖地巡り。
十字教、しいてはその魔術に関して最高峰といえるこの場で、なにか、"魔神"に繋がるがあるのではないか。
イエスが処刑された地。魔術的にも大きな、大きすぎる意味を持つエルサルム。
数多の魔術師、宗教家が研究し、研究し尽くされたかに思える場所でも、一度は魔神に迫った自分であれば新たに何かを発見しうるのではないか。
そんな考えを持って、オッレルスはエルサルムやってきた――の"ではない"。
「あ、ファラファルサンドおいしい」
オッレルスが来たのは、あくまで"聖地巡り"。
キリスト教徒でも、ユダヤ教徒でもイスラム教徒でもない日本人が、観光でやってくるようなもの、というか、つまり観光だ。
上記の長々とした理由はオッレルスが家を出る際にシルビアに対して言った言い訳で、嘘。
彼は、魔神になれなかったのではなく。ならなかったのだから。
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オッレルスの評価は人によって様々で、"優しい"とか"勇気がある"とか、中には"馬鹿"なんてのもあるが、だいたいが好意的な評価だ。
なぜなら、オッレルスは、目の前に殺されそうになっている者があれば当然のように助けるし、傷つく少女がいればそれも助ける。
そうして彼に助けられた人々は、彼を"英雄"として評する。
だから、彼の評価は、まぁとうぜんのことなのだ。
しかし、オッレルスの本質は"英雄"などではない。
むしろその正反対。
"臆病者"、なのである。
"臆病者"のオッレルスは、だれかが傷つくのも、自分が傷つくのも、全部まとめて怖かった。
でも、オッレルスには幸い才能があって、力を手にすることが出来た。
その力は圧倒的で、自分が傷つくことがなくなった。
そうなればオッレルスが誰かを助けるようになるのは必然で、オッレルス自身も誰かを助けるためならばと、圧倒的を絶対的に、確実を確定に変えようと努力した。
誰かが傷つくことのないように、この世から"怖い"ものが消え去るように、そうやって努力を重ねると、
――進む先に、"魔神"が見えたのだった。
魔を統べる神、ではなく魔術を極めすぎて神の領域に片足をつっこんだ人。それが"魔神"。
努力する中でいつのまにか隣にいた女性は、それを素直に、というかオッレルスよりも喜んでくれた。
『さっさと魔神になれば良いのに』と、はしゃぐその人に、タイミングがあわないと不可能なことを説明しながらも、オッレルスは内心ウキウキしていた。
遠足前の小学生のような、
クリスマスにサンタを待つ子供のような、
ともすれば、告白の返事を待つ女子高生のような、
そんな人生で一番の高翌揚とドキドキウキウキを感じながら着々とオッレルスが魔神になる準備は進んだ。
そうして、魔神になるためのすべてがそろった、数万年に一度の日取りだろうという日まで、一週間と迫った日。
なんとはなしに見た、一つの本に書かれた一文、
『重すぎる星は、自分の持つ強大な重力に耐えきれず、その身を崩壊させて最期を迎える』
それを見た瞬間、オッレルスの中で知らぬ内に押さえ込んでいた"恐怖"が爆発した。
魔神、魔の神、まじん。
サタン、バール、モレク、アバドン、ベルゼブブ……etc。
改めて見ると、なんて恐ろしい言葉なのだろうか。
"魔"とは人の心を迷わし害をおよぼす悪神。では、魔神は? それ以上って?
そうでないのはわかってる。"魔"とは魔術のことで、魔神とはそれを極めたもの。
ああ、でもイギリス清教では魔術は汚れだったっけ? じゃあ魔神は汚れすぎた人? 汚れすぎて人じゃなくなった人?
ああ、うん違うそうじゃない。そうじゃないとわかっているのに、やっぱりとっても怖い。
だって、いや、うん。でもしょうがないじゃないか、だって魔神だもの。
魔神なんだもの。
"臆病"が、止まらなかった。なんとか、シルビアに知られることはなかったが、一週間、オッレルスは体のふるえが止まらなかった。
そして、当日。
"魔神になる"のが怖いなんて、かっこの悪いことを話して侮蔑されるのが怖くて、シルビアに話すこともなく、当日を向かえた。
時刻は深夜の二時。街頭なんてない自然で囲われたその場所は、なんだかオッレルスの不安を表してるよう。
「ほら、時間的にも余裕なんかないんだ。早く場所まで行くぞ!」
「……あぁ」
近づく時に、増えゆく恐怖。
シルビアに対する応対も、どこか遅れがちになった。
「? どうした、どこか悪いのか?」
心が痛いです。
「っ、あ、いや別にそんなことはないさ。ただ、魔神になるのかと思うと、いろいろ思うところがあってね」
「ふーん……まぁそんなもんなのか」
「そんなもんなのさ」
キリキリと胃が痛む。先導するシルビアが前を向くのを確認して、胃を押さえ少し前のめりになった。
あ、涙がこぼれそう。
一週間前のウキウキ感は欠片も残ってなくて、そこにいるのはただただ臆病に犯された、なさけない気持ちだけ。
怖くて怖くてたまらなくなって、オッレルスがさらに下を向いたとき、暗がりに、――黒い子猫が横たわっているのが見えた。
前のめりになって、下を向くことがなければ決して見つけることができなかったであろう闇に紛れるその黒猫。
よくみると、怪我をして、衰弱している。
それを見つけて、オッレルスは、一週間ぶりの"微笑み"を見せた。
『ああ、なんて幸運なのか』と。
あとのことは、詳しく覚えていない。黒猫を胸に抱え、シルビアが止めるのも聞かずに駆けだした。
その黒猫を病院に預けた後。焦るシルビアにもう一度引っ張られ、儀式を行った。
途方もなく繊細なその儀式が、成功するはずはない。
中途半端に終わった儀式は、オッレルスを"魔神"にはしなかった。
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中途半端に終わった儀式は、オッレルス自身を中途半端なものにしてしまっていた。
操る力は本来魔神が操るべき力の十分の一にも満たないだろうし、
多くの普通の魔術は使えない。
その上、体の機能や運気は大きく乱され、
有り体に言えば、不運に、やっかいごとに巻き込まれやすくなったのだ。
ちょうど、
「……い、いや!! 止めてください」
こんな、路地を歩けば女性の悲鳴が聞こえてくるように。
「っよし、行くか」
紙屑をおみやげ袋の中に仕舞い込み、"説明できない"力の働きでひとっとび。
魔神になれなかったことは今になって思い返すと、たぶん失敗だし後悔もしている。
でも、魔神に"ならなかった"ことに対しては、今でも"安心"している。
だって、オッレルスは臆病者だから。魔神なんて強烈なものになった先で自分がどうなってたかなんてわからないから。
かっこわるいとは思いつつも、あのときはアレが正しいと思った。
でも、自分は次もたぶん同じ事をするんだろう。
中途半端になったおかげで、こんなに素敵な、誰かを助けられる不運を手に入れたのだから。