上条「まきますか?まきませんか?」(2)


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真紅、という名前の彼女が語った内容は、上条にして意外ではあったが、驚きにまで値するものではなかった。

 ローゼンという人物に作られた人形であること。

 ローゼンは、上条が言うところの魔術師のような人物であるということ。

 ローザミスティカと言うモノで動いており、それが人間で言うところの魂であるということ。

 ローザミスティカは元々ひとつのものを分割したもので、自分以外に六人(六体?)の姉妹がいるということ。
 
 そのローザミスティカを集めてアリスになることが目的であり使命であり、姉妹同士で戦っている、ということ。

 真紅の要請によって淹れた紅茶が、上条のカップで冷めたしまったころに、何度か脱線を繰り返した彼女の話は終わった。

「と、いうわけよ。わかってもらえたかしら」

 カチャリ、と音をたてて、真紅はカップをソーサーの上に置いた。

 カップは真紅の手でも扱える、小さなものだ。

 以前、インデックスと買い物に出かけた際に、彼女が面白がって購入したものである。

「いや、わかったけど・・・」

 もう湯気を立てなくなった自分の紅茶に目を向けながら、上条は左頬を掻いた。

 先ほど真紅にひっぱたかれた場所だが、もう痛みはない。

「?」

 言いよどむ彼の様子に、真紅が不思議そうな視線を向ける。

 上条はややバツが悪そうに視線をうろうろとさせ、

「いやなんつーか、結構にヘビーなお話で、上条さんとしてもなんとコメントしていいのかわからないのですよ、はい」

 と、言った。

 色々と覚えることがあったようだが、とりあえず上条の心に堪えたのは『姉妹で戦っている』という点だった。

 話によれば、ローザミスティカは真紅を含む姉妹たちの命、ということである。

 それを集めるということは、結局、奪いあうということだ。



 やっていることは、殺し合いに等しい。



 なるべくなら争いごとをしたくない、話し合いですむならそれに越したことはない。

 そんな思考が基本である上条にしてみれば、いくらそれが真紅たちの使命とはいえ、あまりにもあまりにもだと思ってしまうのだ。

「・・・・・・」

 だが、そんな彼の思考を読んだかのように、真紅はふわりと、微笑みを浮かべた。

「大丈夫よ、当麻」

「え?」

「貴方の考えていることよ。きっと、姉妹で殺し合いをするなんて、とか、考えているのでしょう?」

「な、なんでわかったんだ?」

「顔に書いてあったのだわ。話し合いや他の方法はないのだろうか、って」

「う」

 完璧ピタリと言い当てられ、上条は若干狼狽した声を上げた。

 それを見て、真紅がくすくすと笑う。そして、続けた。

「安心しなさい。私は、戦って奪おうとか、そういうことはもう思っていないわ」

「そうなのか?」

「ええ。私は私のやり方でアリスを目指しているの」

 そこでいったん言葉を切り、紅茶に口をつける真紅。それから、続けた。

「私たち姉妹の争い・・・アリスゲームと言うのだけれど、その結果で得られるのは、あくまでもローザミスティカよ」

「・・・・・・」

「でもよく考えて当麻。もし私が他の姉妹を倒し、ローザミスティカをひとつに纏めたとして・・・それで本当にアリスになれるのかしら?」

「え? でもだって、真紅を作ったそのローゼンってのが、そう言ったんだろ? じゃあそうなんじゃないのか?」

「そうかしら? 私が初めて目を覚ましたときには、もうお父様は傍におられなかったわ。直接聞いたわけじゃないの。・・・それに何より、もしローザミスティカをすべて集めてアリスになれるなら」

 真紅はちらり、と上条を見る。

 上条は真剣な瞳をこちらに向けてきていた。争いごとをしない、という真紅の言葉に、それだけの真剣さを持ってくれているのだろう。

「・・・お父様は、私たちを創らずにアリスを作れば良かったのだもの」

「あ、なるほど」

 得心したように、上条はうなずいた。

 実際、そうだ。

 完璧なローザミスティカが手元にあるのに、わざわざそれを砕く必要はない。

 完全にすればアリスになれるのであれば、初めから完全なものでアリスという存在を作ればいいのだから。

「そう。だから私はアリスゲームに依らない方法でアリスを目指す。それが正しいのかはわからないけれど、ね」

「・・・・・・」

「・・・当麻? どうしたの?」

 軽く目を見開き、驚いてますよー、という感じの表情を浮かべる上条に、真紅が眉をひそめる。

 だが彼はそんな真紅の視線にかまうことなく、はー、と安堵のこもったため息をついた。

「当麻?」

「あ、すまん。ちょっと力が抜けちまった」

「・・・・・・」

 そしていまだ眉をひそめたままの真紅を見て、パタパタと左手を振る。

「いや馬鹿にしたとかそういうんじゃなくて、よかったな、と思ったんだよ」

「よかった?」 と、真紅。

 上条は頷き、

「ああ。だって真紅はわざわざ戦うつもりはないんだろう?」

「ええ」

「俺もはっきりいって、誰かが誰かと揉めてるのなんか見たくないし、それが多少なりとも知ってるやつならなおさらだ」

「・・・・・・」

「もし真紅がアリスゲーム? にノリノリで他の姉妹を探してデストローイってことを平気で言うやつだったら・・・インデックスには悪いけど、真紅とは笑って話をするのが難しそうだったからな」

 そう言って、ああよかった、などと呟きながらカップに手を伸ばし、冷めた紅茶を飲む上条。

 その様子にはまるっきりこちらの言葉を疑う風はなく、完璧に安心を楽しんでいるように見えた。

「・・・ねえ、当麻」

「ん? なんだよ」

「貴方、周囲の人からお人よし、とか、にぶちん、とか、単純、とか、馬鹿、って言われること、多いと思うのだけれど・・・どう?」

「ぐっ! な、なんでほとんど初対面の真紅がこの上条さんの被対人評価を的確に把握しているのでしょうか・・・!」

「ふふっ、それはわからないほうがおかしいのだわ」

「だ、だからなんでだよっ?」

「それは自分で考えなさいな。もっとも、私にこの言葉を言わせている時点で望み薄だと思うのだけれど」

「・・・・・・」

 数秒間、様々な思いの篭められていそうな沈黙を放ってから、上条はやおらやけっぱち気味に紅茶を飲み干した。

 そんな彼を横目に、真紅も自分のカップに手を伸ばす。

 ゆっくりと口元に持ってきた紅茶はもう冷めていた。

 だがこれは、上条が他でもない自分に入れてくれたものだ。すべて飲んでから、温かいものを所望するのが礼儀というもの。

(・・・私が紅茶で妥協を許すなんて、ジュンに会う前なら考えられないことなのだわ)  くすり、と笑う真紅。

 その目の前で、上条が綺麗に空いたカップを下ろした。

「ところで」

 と、上条は真紅に目を向けた。

「なに?」

「いや、真紅はなんで今頃、こっちに寄越されたんだ? やっぱりインデックスがそっち側に頼んだからか?」

 上条として、これは気になっていた点だった。インデックスのお気に入りなら、もっと早く送ってきてもよさそうなものだが。

 だが、

「え?」

 と、真紅。

「ん?」

 とは、上条。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 お互いに、変な顔。

 やや沈黙があってから、真紅が首を傾げる。

「ごめんなさい当麻。私には貴方が言っている意味がよくわからないのだわ」

「いやいやいや、だって真紅、いきなりここに着たじゃん。昨日、つーか今朝まで、こんなでかい鞄はうちになかったし」

「それはそうだけれど・・・でも、インデックスというのは何かしら? 何かの目録?」

「は?」

「え?」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「ちょ、ちょーっと待ってください。この上条さん、ちょっと混乱してきましたよ」

「え、ええ」

(・・・なんで敬語になるのかしら)

 

 

「えーと、真紅さん。貴女はインデックスさんの持ち物であり、そのインデックスさんが向こう側に送ってくれ、とか言って、こっちに寄越されたんではないのでせうか?」

「違うわ。私を呼んだのは当麻、貴方の方だもの」

「俺ぇ!?」

「そう。貴方はホーリエの問いに応えたでしょう。だから私がここに来たのよ」

「ほーりえ?」

「ええ。巻くか巻かないか。貴方がそこで巻くことを選択したから、私はここにいるのだわ」

「・・・・・・」

 上条の脳裏に、さきほどまでの自分の行動がリピートする。

 朝起きて、顔を洗って、そんなことをしていたらインデックスが「ご飯食べに行って来る!」と泊まりにいくとは思えない言葉でスフィンクスを連れて出て行って、これ幸いと家事を片付けようと布団を干そうとして―――

「あ」

 思い出した。あのときだ。

 確かに自分は、あのうさんくさい手紙に書いてあったとおり『巻きます』に丸をして紙飛行機をした記憶がある。

「・・・・・・」

「心当たりがあるようね」

 その表情を見て取って、真紅が言う。

「え、じゃあ真紅さん。もしかして真紅さんは・・・インデックスさんの関係者じゃない・・・?」

「それはこちらが聞きたいことなのだわ。インデックス、というのは、貴方の口ぶりから察するに人名のようだけれど・・・」

 問いかけの視線を向けてくる真紅を無視して、上条は頭を抱えた。

(またかーっ! またこんな感じで何かに巻き込まれたのか俺っ! いやでも巻きますに○したの俺だし、紙飛行機したのも俺・・・うあああ、お、俺が原因じゃんっ!)

(いやまてまて早まるな上条当麻! 学園都市の生徒は早まらない! ここはしっかりと事実関係の確認をとらねば! またいつものように怒涛の面倒ごとコースにいくのはごめんですよっ!)

「当麻? 大丈夫?」

 心配そうな表情の真紅。

 だが上条はその声色をとりあえず置いておいて、顔をぐっ、と振り上げた。

「真紅、ちょっと確認したいんだけど・・・」

 と、上条が口を開く。

 それと、同時。

「―――っ!」

 真紅がいきなり、己の背後の窓に振り返った。

「!?」

 突然の動きに言葉を飲み込む上条。

「危ないっ! 下がりなさい!」

 そんな彼に、真紅がソファーを蹴って跳びついた。

「くっ!?」

 反射と、そしていままで幾多の修羅場をくぐってきた上条の経験が、彼の体を突き動かす。

 上条の左腕が真紅の体に回り、その身を強く抱えた。同時に足で床を蹴り、背後に跳躍。

 そしてその右手―――それが異能であるならば、あらゆるものを打ち消す力を宿した右手が握りこまれ、目の前にかざされた。

 上条がさきほどまで座った位置から距離にして5歩分後ろに下がった、ちょうどそのとき。

 

 

破砕音!

上条家のベランダ。そこに面した窓が外からの衝撃に一気に砕け散った。

 

室内に撒き散らされたガラスが、幸いにも上条のいる位置までは飛び散ってこなかった。

 曲がりなりにも能力者を預かっている学園寮だ。何かの災害、もしくは能力の暴発で窓が割れることは想定されている。

 車のフロントガラスのように、多少の衝撃ではヒビが入るだけ。砕けても、ばらばらにあって周囲に飛び散らない材質のものが使われている。

 しかし、その代わりというかのように、飛び込んできたものがそこにいた。

 黒色のドレス、黒色のヘッドドレス、黒色の靴。そしてその背に生える黒色の翼。

 真紅の赤に対してなお、その身に纏った黒が映えるのは、その透き通るような見事な銀髪のせいだ。

 真紅と同じような小さな体、真紅と同じような白い肌、真紅と同じような、整った顔立ちのそのモノは、真紅とはまったく違う妖艶な微笑を口元に浮かべ、真紅が先ほどまで座っていたソファーの真上に浮翌遊していた。

「・・・水銀燈!」

 上条の腕の中で、赤が小さく、しかし鋭く囁いた。

 それに応ずるように、黒がその目を真紅に向ける。

「お久しぶりね、真紅」

 口元に浮かぶ妖しい笑みは変えないままに、艶味を帯びた声がリビングに響いた。

「な・・・」

 上条の口からあっけにとられたような声が漏れた。

 いきなりの窓の破壊。それと同時に飛び込んできた影。

 問答無用で、敵である。少なくとも上条には窓ガラスを突き破って訪問してくる知り合いはいない。

 約一名、ベランダにひっかかっていたという訪問者も過去にはいたが、その訪問者は不可抗力でひっかかっていただけで、今のように能動的な破壊を伴っていたわけではな
い。

 その敵と思しき相手が、真紅と見た目は親しげに挨拶を交わしている。上条が一瞬だけ戸惑うのも無理はない。

「・・・やっぱり、窓というのは不便なものだわ。こうして容易に侵入を許してしまう。英国で窓税があったのも頷けるのだわ」

 真紅が散らばる破片と、黒―――水銀燈とを交互に見ながら言った。

 その言葉はただの軽口なのだろうが、しかし、その内容とは裏腹に、口調には緊張感が満ちている。

「真紅、その男が新しい主人なのぉ? ・・・ふふ、相変わらず男が好きなのね。いやらしい」

 くすくすと笑うその仕草は真紅のそれに通ずるところを持ちながら、しかし、まったく異なった破滅的な色を帯びている。

「大きなお世話よ水銀燈。当麻は私のネジを巻いた。それ以上侮辱するなら、許さないわ」

 ぎゅっ、と上条のシャツを、その小さな手で握る真紅。

 それは不安に駆られた行動のようにも見え―――逆に、上条を少しでも守ろうとするような、そんな仕草にも見えた。

「うふふふふ・・・怒った顔も相変わらず、不細工なのね」

「・・・・・・」

 真紅は挑発に乗らない。ただ沈黙を返すのみだ。

「・・・つまんなぁい。あなたなら絶対に乗ってくると思ったのに」

 何も言わない真紅に、水銀燈は、ふん、と詰まらなさそうに鼻を鳴らした。

「・・・おい、真紅。こいつが、お前の言った『姉妹』なのか?」

 上条はわずかに腰を落とし、油断なく水銀燈と呼ばれた人形を見ながら問うた。

 相手の黒い翼は羽ばたいていない。それでもなお空中に浮かんでいるのは、何かしらの能力が作用しているのだろう。

 それに、窓ガラスは相手が入ってくる前に割れ砕けたのだ。何か飛び道具のようなものをいきなり飛ばしてくることだってあり得る。

 慎重すぎて困ることはない。

 魔術師との戦いで身にしみた教訓が、上条の右手を下げさせなかった。

「そう。彼女の名前は水銀燈。私と同じ、薔薇乙女よ」

「いやだわぁ真紅。自己紹介くらい、自分でさせてほしいものねぇ」

 そう言って、水銀燈は真紅から上条に視線を移した。

「はじめまして、人間。わたしの名前は水銀燈。誇り高き薔薇乙女の第1ドール」

「・・・・・・」

「よろしくねぇ。そして、」

 その言葉に合わせ、ぶわっ、と音をたてて、黒い翼が持ち上がる。

「!」

「さようならぁ」

 水銀燈の翼から、数条の黒い羽が飛び出した。

 その鋭利な根元を前に向け、一直線に上条に向かう。

「うおっ!」

 床を左に蹴る上条。一瞬遅れて、いままで上条の頭があった場所を羽が凪いでいく。

「あら残念。その不細工な顔を、もっと見れるようにしてあげようと思ったのに」

 羽をかわされた水銀灯が、ばさり、と再び翼を羽ばたかせた。

 移動した上条に正対し、まだカップが載ったままのテーブルに着地する。

「やめなさい水銀燈!」

「おばかさぁん。なんでやめる必要があるのぉ?」

 翼がさらに大きく羽ばたいた。

「もうアリスゲームは始まっているのよぉ? わたしと会えばこうなることくらい、わかってたでしょう」

 再びの射撃。

「くっ!」

 対する上条は崩れたバランスを床に手をつくことで整えると、再び床を蹴る。

 一閃する黒羽を横目に、リビングからキッチンに飛び込んだ。

 置かれている棚に手を突き、さらに跳躍。キッチン中央付近で体制を立て直すと、右手を構えながら真紅に視線だけ向けた。

 


「真紅、大丈夫か!?」

 相手の放ってくる羽は、とてもじゃないが目でおえる速度ではない。上条は反射だけで羽をよけているのである。

 飛んでくるシステムはわからないが、おそらく魔術によるものだ。もしくは、能力か。いずれにしても異能には間違いない。

 だが、それが異能であり、打ち消すことができると言っても、それと上条の防御行動とは繋がらない。

 超電磁砲を上条が防御できるのは、指の向き先で射角がまるわかりなこと、電気的特性ゆえに突き出した右手に電撃が集中すること、コインとともに放出される電撃の一部に幻想殺しが触れればそれだけで全て無力化できること、という好条件が揃っているからだ。

 黒い羽に、そんな特性を期待するほど楽天家ではなかった。

 何より右手はひとつだけだ。同時に複数飛んでくる羽には対処できないのである。

「ええ、私は」

「人のことの心配をしている余裕があるのぉ?」

 水銀燈の声が、真紅の言葉を遮った。

 慌てて視線をあげる上条。

 テーブルから飛び立つように、水銀燈がこちらに文字通り『飛び掛って』きていた。

「!?」

 さらに、その姿を見た上条の顔が引きつる。

 いつのまに取り出したのか、どこに持っていたのか、その両手には大振りの剣が握られていたのだ。

「ちょっ、どこからっ!」

 そんな抗議の声を無視して、一飛びで間合いを詰めてきた水銀燈の手が、剣を振り下ろした。

「くうおおっ!」

 全身全霊で身を捻り、真上からの一撃を回避する。

 左肩を引き、半身になった上条。その左頬、左肩、そして抱えた真紅のドレス裾ギリギリを通って、剣先が床に傷をつけた。

 回避成功。だがその代償は大きい。

 元々上条に格闘経験はないのだ。けんか慣れしているせいもあって下手な格闘家よりもずっと荒事には強いが、だからと言って技術的に卓越しているわけではない。

 無理な方向転換。そのせいで、上条の脚がもつれる。疲労ではない。元々、回避できるタイミンや体勢ではなかったのである。

 バランスが崩れ、右手を床についた。

「っ!」

 捻挫した手首が痛み、上条の体がこわばった。

 それを見逃す水銀燈ではない。

「うふふ」

 ぞっとするような笑みを浮かべ、黒い人形が剣を構えた。

 バッターのように肩に担ぐ構え。位置関係は、上条から見て左斜め上。

 そのまま斜めに振り下ろせば、真紅ごと彼の体は両断される。

 右手は床についてしまい、すぐには振り上げられない。左手は真紅をかかえている。まさか彼女を盾にするわけにはいかない。

 振り上げられた剣が下ろされれるまでの一呼吸。

(くそっ! なんかないのか! あれを防げるような・・・!)

 上条は諦めない。視線をめぐらせ、現状を打破できるものを探す。

 だがその努力をあざ笑うかのように。

「さようならぁ」

 上条の耳に、剣が振り下ろされる、ぶん、と小気味よい音が響いた。

 剣が振り下ろされる。

 もしもここで戦っているのが上条だけだったならば、ここで彼の物語は終わっていただろう。

 生身で刃を受け止める術はなく、剣が魔術の産物であったとしても右手を向ける暇はないのだ。

 だが。

「させないわ!」

 真紅が己の体に巻きついている上条の腕を掴み、その輪から滑り落ちるように下方に体を引っこ抜いた。

 ちょうど逆上がりをするような形で、真紅の両足が弧を描く。

 赤みを帯びた黒い靴。その裏側が、剣を握る水銀燈の両手部分を真下から蹴り上げた。

「!?」

 まったく予想していなかった方向からの一撃に、腕ごと剣が持ち上がる。

「いまよ!」

「っだあああ!」

 左腕にぶらさがる真紅の声に応え、上条が右手で床を強く突いた。

 床を押すその反作用を利用して、一瞬で腕を持ち上げる。動きは、そのまま右ストレートに変化した。

 包帯を巻かれたコブシが、掬い上げるように水銀燈の左肩に突き刺さる。

「きゃあっ!」

 大きな衝撃が走り、弾き飛ばされる水銀燈。真紅に不意を突かれたところに、さらなる一撃だ。 体勢制御をすることもできず、キッチンの壁に背中から叩きつけられた。

「くっ・・・!」

 壁に寄りかかるように落下しかけ―――すぐにまた浮上する。

 コブシはまともに受けたが、場所が良かった。ダメージはそう多くない。

 それよりも『たかが人間』に一撃を受けたことの方が、よほどに彼女の精神にダメージを与えていた。

 だが、精神的な動揺はむしろ、

(まだ動けるのかこいつっ!)

 上条の方が大きい。

 コブシは間違いなく当たったはずだ。剣の方はわからないが、水銀燈本人は間違いなく異能に属する存在だ。

 幻想殺しをまともに受ければ良くて機能停止、悪ければ崩壊するはずである。

「くそっ!」

 だが現実に相手は動き、戦闘は続いている。

 上条は胸中の疑問を握りつぶし、再び右手を構え―――そして、気がついた。



 右手には、いまだ包帯が巻かれていることに。



 幻想殺しの大前提。直接触れること。それが、この状態ではできない。

 さきほど真紅の平手のときに気がついていたはずなのに、完璧に失念していた。

 しかしそれは無理もない。

 平手の後は、真紅の存在にまつわる話を聞き、その直後にいきなりの戦闘である。おまけに相手は飛び道具を使ってくる存在だ。

 敵から一瞬たりとも目が離せず、しかも飛ばしてくる羽は幻想殺しを試す気になれないほどの早さがある。いまの今まで、右手に気を払う余裕などなかったのだから。

「当麻!?」

 追撃、もしくは逃走のチャンスにいきなり硬直した上条に、真紅が焦りをたたえた瞳を向ける。

「くっ!」

 上条は左手で再度真紅を抱えながら一瞬だけ包帯に目を向け―――そのまま、水銀燈に向けて突進した。

 包帯の巻き方はかなりうまくなっている。結び目を適正に引っ張れば、片手でも、あるいは口ででも外す事が可能だ。

 そして相手は間違いなく自分を殺そうとした相手。話し合いもほかの手段も、通じそうにない。

(でも、だからって、殺せるかよ・・・!)

 それでも上条は、幻想殺しを振るいたくなかった。

 相手が人格を持つ存在であること。そして何より、腕の中の真紅が姉妹と呼んだ相手だ。

 さっきは余裕がなかったこと、左手がふさがっていたこと、利き腕が右だったことで殴りつけてしまったが、気がついてしまったいま、自らの意思でそれをするのは、やはり無理だ。

 そういう意味では、包帯は巻かれていたのはむしろ幸運と言える。

 今から倒そうとする相手が無事なことに内心で安堵する上条。

 上条は痛む手首を無視して、コブシに更なる力を込めた。

 まずは相手を戦闘不能にする。その上で、真紅に説得してもらう。これしかない。

 間合いが詰まる。

 キッチンは狭く、上条にして一足飛びで端から端まで移動できる。

 水銀燈はまだ体勢を立て直しきっていない。構えたコブシを叩き込むだけの余裕は十分にあった。

 しかし。

「このっ、人間めええええ!」

 ギンッ、と音が聞こえるかと思うほどの鋭い視線を向け、水銀燈が吼えた。

 同時に彼女の翼が、大量の羽を放つ。

「!」

「危ない!」

 真紅の声が響くが、突進している上条に回避の方法はない。

(―――っ!)

 上条の目が、今朝掃除をしようとして壁に立てかけていたテーブルを捉えた。

 折りたためない脚がこちらを向いており、それは左手側、ちょうど手の届く位置で―――

「うおおっ!」

 踏み出した左足。そこを軸にして、上条は背面に体を回した。

 突進の勢いがそのまま、回転の速度に変わる。

 大きく弧を描いた彼の右手がテーブルの脚を掌握。回転の勢いを殺さず、引っこ抜くようにして正位置に回り戻る。

「「!」」

 水銀燈と真紅の息を呑む音が同時に上条の耳に届いた。

 視界を塞いでいるのは、テーブルの天板の内側。そこからいくつも羽の先端が突き出した。

 だがそこまでだ。羽は分厚い板を貫通することまではできない。

「っ!」

 上条は止まらない。

 素早くテーブルの脚を放し、床についた右足に体重移動。身代わりに浮き上がった左足で、天板裏の中央付近を真正面に蹴りつけた。

 テーブルが真横に跳ね、

「きゃあああっ!」

 水銀燈に叩きつけられる!

 バキン、とテーブルにヒビが入る音が響き、それを聞きながら、上条は即座に身を翻した。

 己の攻撃の結果がどうなったのか確認せず、キッチンからリビング、そのまま玄関に続く廊下に跳び出していく。

「当麻!? どこにいくの!?」

「部屋の中じゃ無理だ! 広いところに出ないと!」

 叫びながら廊下を抜け、脱ぎっぱなしにしていた靴に足を突っ込む。

 そのまま蹴りあけるようにして玄関を出た。

 人の気配はない。

 今日は連休初日。みんな街に出て遊んでいるのだ。こんな時間でも部屋にいるのは、インドア派か、街に出て遊ぶ金のない上条くらいのものだ。

 だがそれは上条にとっても都合がいい。

 相手は飛び道具を使う。

 狭い室内でかわせたのは、運が良かったからにすぎない。もっとも上条の運は幻想殺しに遮断されているので、この場合は真紅の方の運なのかもしれないが。

 どちらにしてもあの攻撃に晒されて、自分以外の誰かを護る余裕はないのだ。

「・・・・・・」

 腕の中の真紅は上条の言葉に否と言わない。もう倒したのではないか、とも言わない。

 彼女は知っている。

 自分の知る水銀燈は、あの程度でなんとかなる相手ではないということに。

 そしてその予想を裏付けるように。

「許さない! 許さないわ! 人間! 真紅っ!」

 開け放したドアを、怒気に満ちた声が通り抜けた。

 怒声を背中に受けながら上条は走る。目指すのは廊下先にあるエレベーターだ。

 確かに外に出たが状況はそれほど好転したわけではない。

 廊下にいたのでは、部屋の中とそれほど変わらない。いや、遮蔽物がないだけ、室内よりもまずい可能性がある。

 屋上。
 
 あそこなら十分に動き回れるスペースがあり、落下防止用のフェンスもある。

 出入り自由で誰か来るかもしれないが、何もないコンクリート打ちっぱなしに好んで人が来ることはまずないだろう。

 上条は走る。

「と、当麻。少しで、いいから、ちょっと、話を・・・」

「ごめんわりぃすまんちょっと待ってエレベーターに乗るまでは!」

 揺れているせいできれぎれに真紅がなにやら言ってくるが、残念だがいまは構っていられない。

 小さく「左手の指輪・・・」とか聞こえた気がしたが、左手は真紅自身を抱えている。確認するのは無理だ。

 そしてエレベーターが近づいてくる。一度中に入れば水銀燈も追ってこれまい。何らかの力で破壊するにしても、そこは能力者用の寮。耐久性も折り紙つきだ。

『魔女狩りの王』級の攻撃翌力でもなければ、すぐには突破できないはずである。

「よし!」

 エレベーターの前に到達する。背後ではまだ水銀燈は出てきていない。テーブルサンドイッチが余程に聞いたのか、それとも、室内を探していたのか。

 ともあれ、上条は殴りつけるようにして上昇ボタンを押し―――

「!?」

 驚愕に、目を見開いた。

 彼の視線の先。なんの変哲もないエレベーターのボタン。

 普段であれば何も意識せずとも押しこむことのできるボタンが、まったく動かない。

 それは機械的に反応しないと言うわけではない。本気に近い力で押したにも関わらず、ボタンが1ミリたりとも押し込まれていかないのだ。

(なっ・・・! こいつはっ・・・!)

 その光景に、上条は覚えがある。ちょうどいまのように、エレベーターが使えなかったときと同じ状況。

 

 

 

 三沢塾。

 

 

「ちくしょうっ!」

 バン、とボタンを本当に殴りつける上条。だが帰ってくるのは、硬い硬い感触と、捻挫に響く衝撃だけ。

「どうしたというの?」

 真紅が上条の顔を見上げてくる。

 疑問と焦りの見える表情。無理もない。彼女からしてみれば、エレベーターまで来たというのにボタンに八つ当たりをしているように見えるのだ。

「結界が張られてやがる!」と、歯を噛み締めて上条が応じた。

「結界?」

「ああ、コインの表と裏で―――」

 言葉は途中で遮られる。

 ドゴッと鈍い音が背後から響き、

「しぃんくゥゥゥ・・・にんげェん・・・!」

 ゆらり、と黒い影が、上条の部屋のドアから姿を現した。

 

 

「・・・おいおい、ちょっと見ないうちにずいぶん派手になってますねぇ、あの人」

 振り返った上条が口元に虚勢の笑みを浮かべる。

「・・・!」

 その腕の中で、真紅が息を呑んだ。

 黒い人形は、さらにその色を増していた。

 背の羽は大きく開き、その面積を3倍ほどに膨らませている。さらに周囲には、彼女を護るように、無数の羽が散らばり、渦を巻いていた。

 少し離れてみれば、黒い渦巻きのようにも見えただろう。

 だが何より真紅の危機感を煽ったのは、

(人工精霊・・・!)

 水銀燈の目の前に浮いている紫色の光球の存在。

 あれを出してきたということは、もはや水銀燈に遊ぶつもりがないと言うことだ。
「当麻、もう時間がないわ」

「ああ、わかってますよ真紅さん。あんな熱い目で見られたら、もうかなりテッペン入ってんだろうなぁ、ってことぐらいは」

 軽口をたたく上条だが、内心はそんな余裕はまったくなかった。

 状況は最悪だ。

 遮蔽物のない直線廊下の、完全な端。さらにやっかいなことに、コインの結界によって脱出口はなくなっている。

 目の前には大層ご立腹な様子のクールビューティー。しかも、下手をすれば水銀燈とは別に魔術師だか錬金術師だかがいる。

 仮に水銀燈がこの結界の主だとしても、核そのものが近くにあるとは限らない。水銀燈自身が核だったとしても、上条には彼女を破壊することはできないのだ。

 だが、真紅の言葉は、上条の軽口に応えるものではなかった。

「そうじゃないの。お願い、聞いてちょうだい」

「真紅?」

 穏やかだが切迫した口調に、上条はつい、水銀燈から視線を外して真紅を見た。 真紅は上条をじっと見上げたあと、代わりとでも言うように、水銀燈に視線を移す。 そのまま、続けた。

「水銀燈は本気よ。さっきまでは私が契約してなかったことと貴方がただの人間だったから、油断もあったようだけれど・・・もう完全に力を振るうつもりでいるわ」

「・・・・・・」

 さっきまでのは本気じゃなかったのか、と上条は口元をさらに引きつらせた。

「このままじゃ私も、貴方も助からない。だから当麻。もしも貴方が自分と私を護りたいと思うのなら」

 すっ、と真紅は、自分を抱える上条の左手に、小さな手を這わせた。

「えっ、なんだこれ」

 上条は状況も忘れて、自分の指を見た。

 いつからそこにあったのか。

 左手薬指に、小さな指輪が嵌まっている。

 もちろん上条にこんなものをつける趣味はない。趣味はないどころか、買うようなお金もない。その上、こんな位置に指輪をつけるような相手もいないのだ。

 真紅は上条の疑問に応える事なく、言葉を紡ぐ。

「誓いなさい。薔薇の指輪と、貴方の誇りにかけて。私のローザミスティカと、私の意志と、私自身を護ると」

 まるで場にそぐわない、厳粛な声が上条の耳に届く。

 そして真紅は、もう一度指輪にその繊手を這わせながら、

「そうすれば私は私の意思と誇りを持って、貴方を護るわ」

 と、告げた。

「あはははははっ!」

「!」

 真紅の言葉に上条が何か反応するその前に、廊下に大きく哄笑が響いた。

 視線を転じれば、大きく広がった翼をはためかせ、水銀燈が空中をすべるようにしてこっちに向かってきている。

 彼女の手の中の剣は魔術の作用か、彼女の怒りに反応したのかさらに一回り大きくなっており、周囲に滞空していた羽は、残らずこちらに先端を向けていた。

 さらに彼女の目の前に浮かぶ光球が見るからに強力な光を纏ってそれに続く。

「やべえっ!」

 上条が真紅を抱く腕に力を込めた。


 どこに逃げる?


 完全に直線コース。こっちは廊下の端。背後のエレベーターは開かない。剣と羽すべてを幻想殺しで受けるのは不可能。

 飛び降りることはできない。真横にある別室のドアもドアノブに触れることすらできない。

 この場所で回避しきれるほど弱い相手じゃない。光球の正体がわからない。


 どうする?


 どうする!?


 どうするっ!?

「当麻、どうするの?」

「―――」

 真紅に目を転じる上条。

 見上げてくる彼女の瞳は、真摯で、まっすぐなものだ。

「貴方が私の言葉を信じてくれるのなら、この指輪に口付けなさい。それが誓い。私と貴方を結ぶ、糸となるわ」

「・・・・・・」

 言葉と、視線。それを受けた上条の頬が、場違いに緩んだ。

(やっぱりお前、インデックスの持ち物なんじゃねえ?)

 そう言いたくなるほど、真紅の瞳は白い少女のそれと通ずるものがある。

 あの、全幅の信頼を寄せてくる、瞳に。

「・・・・・・」

 上条は真紅から目を逸らし、水銀燈に向き直った。

 黒衣の人形はあと数呼吸で上条にその剣を振り下ろせる位置に到達するだろう。彼女の周囲を渦巻く羽は、すぐにでも射出されそうな気配がある。

 だがそれでもなお、上条の動きは緩やかだった。

「・・・・・・」

 真紅は何も言わない。ただ、上条は自分の腕を掴む彼女の力が強くなったのを感じた。

 

「いいぜ、真紅」

 上条の左手から力が抜ける。下げられた彼の腕から解放され、真紅がひらりと廊下に飛び降りた。

 その代わりに上条は、左手を己が口元に近づけた。

「この誓いが、お前とお前の意志を護ることになるってんなら」

 視線の先では、水銀燈が剣を真上に掲げている。あれで斬りかかると同時に、羽を打ち出すつもりなのかもしれない。光球で、何かの攻撃をするつもりなのかもしれない。

 前に出ても、後ろに飛んでも羽。横には逃げられない。その場にいれば剣の餌食。目に見えるそれらをなんとかしたとしても光球の攻撃はいまだ何かわからない。



詰みだ。



 そしてついに、水銀灯がその剣の間合いに上条と真紅を捉えた。

「死になさぁい!」

 黒の腕が振り下ろされ、羽が弾かれたように上条と真紅に向かった。

 だがそれが上条を割り、真紅を蜂の巣にするほんの数瞬前に、

「俺が、その礎になってやる!」

 上条の唇が指輪に触れた。

 変化は一瞬で、効果は絶大だった。

「っ!?」

 足元にいる真紅。彼女の体が、口付けと同時に眩い赤光を放ったのだ。

 そのあまりの光量に、上条は思わず顔を腕で隠してしまう。

 それは愚か極まりない行為。ただでさえ敵が正面にいる状態で、さらに必殺の攻撃が今まさに彼らに降りかかろうとしているのだ。少しでも目を見開いて、防御に努めなければならない。

 だが上条の心には、なぜか不安も焦りも存在しなかった。それどころかその赤い光は安心感すら与えてくれる。

「・・・ありがとう当麻。私を信じてくれて」

 光の中、真紅の声が上条の耳に響く。

 薄く目を開ければ、いつの間に前に出たのか、自分を護るように両手を拡げて立つ真紅の背が見えた。

 真紅の体から溢れる光は、バリヤーよろしく彼女を中心に球形に展開している。その直径は廊下を天井まで覆う、大きなものだ。

 殺到していた黒羽は、どういう理論なのか赤い光が展開している領域に侵入したところで推進力を失い、それだけではなくボロボロと崩れ落ちていっている。

 剣は光の珠に阻まれて、まったく動いていない。紫の光球が赤い光を嫌うように、水銀燈の影に隠れた。

 

「真紅・・・!」

 光の向こう側。剣を打ち下ろした姿勢で空に浮かぶ水銀燈が、驚きと憎しみのこもった表情を浮かべた。

「・・・水銀燈」

 応ずるように名を呼び、真紅が右手を水銀燈にかざす。

「っ!」

 水銀燈は剣を引き、それを盾にするように顔の前に構えた。一瞬遅れて飛来した何かが、ギンッ、と音を立てて剣に弾かれていく。

「くっ」

 歯を噛み締め、距離をとる水銀燈。

 対する真紅はゆっくりと両手を下ろした。その腕が角度を失うに従って、彼女の体から放たれていた光が収まっていく。

 だがそれは消えていっているのではない。外に出すのではなく、内に、内に。

 光が集まってその光量を増すように、真紅から感じられる力はむしろ上がっていっている。

「・・・真紅、大丈夫なのか?」

 上条には何がなんだかわからない。変わったこと言えばただひとつ、左手の指輪が一回り大きくなったという、それだけだ。

「ふふっ、心配性なのね、当麻」

 真紅が首を少しだけ巡らせ、視線を向ける。さきほどまでとまったく同じ、平静な横顔。

 しかし上条にはなぜか、真紅がどこか喜んでいるようにも見えた。

「安心しなさい。大丈夫だから」

 それだけ言って、真紅は目を正面―――水銀燈の方に戻した。

 

「ふ、ん・・・間一髪、契約したってわけねぇ」

 目を細める水銀燈。その表情を彩っていた怒りが消えていく。

 契約者を得た真紅は、感情に任せて相手ができる存在ではない。

 相対する赤は、そんな黒に静かな瞳を向けた。

「水銀燈。貴女はまだ、アリスゲームを続けるつもりなの?」

 と、真紅は水銀燈に問うた。

「・・・貴女、ながく眠りすぎて頭のネジでも錆びたんじゃない? アリスになってお父様に会う。それ以外に何の目的があるって言うのぉ?」

 応える声は冷たい声。

 何を当たり前のことを。

 そう言っているように、水銀燈は口の端に嘲笑を浮かべた。

「そうじゃないわ」

 真紅は首を横に振り、

「アリスになる。それについては何も言うつもりはない。だけど、姉妹で争うことをやめるつもりはないのか、と聞いているの」

「・・・・・・」

「水銀燈?」

「・・・真紅、貴女正気ぃ? お父様のお言葉に背いて、それで本当にお父様が喜んでくださると思ってるわけぇ?」

「背くわけじゃないわ。私はアリスを目指す。ただ、アリスゲームに依らない方法で、というだけよ」

「・・・あっきれたぁ。お父様に疑問を持つなんて」

「そうじゃないわ、私は」

「黙りなさいっ」

 それまでの、嘲りの響きはあっても穏やかだった水銀燈の声が一転、厳しい怒りを帯びたものに変わった。

「・・・・・・」

 叩きつけるような言葉と視線に沈黙する真紅。

 水銀燈は続ける。

「お父様を愚弄するなんて・・・真紅、貴女には薔薇乙女の資格なんかない。いいえ、貴女が薔薇乙女であることそれ自体が、お父様に恥をかかせているのよ」

「・・・・・・」

「決めたわ真紅。貴女は手足をもいで殺してあげる。顔をぐしゃぐしゃに潰して首を落としてあげる。貴女のローザミスティカは、かみ砕いてから飲み下してあげる」

「・・・・・・」

「どんなに泣き叫んでも手を緩めたりしないわ。貴女をがらくたにしてアリスになり、お父様には貴女という失敗作を忘れるよう、お願いすることにするわ」

「そう・・・なら、仕方ないわね」

「だったらなぁに? どうするっていうのぉ?」

「こうするのよ。・・・ホーリエ!」

 真紅の声が無人の廊下を叩き、一拍の間を置いて上条の部屋の中から、バン!と音が響いた。

「!」

 真紅の背後にいた上条が驚いた様子で自分の部屋に目を向ける。

 開け放たれた玄関。そのドアを撃ち抜こうかと言う勢いで、赤色の光球が飛び出した。

 水銀燈を避けるように大きく楕円の軌道を描き、下げた真紅の左腕に、寄り添うように纏わり付く。

 それは大きさ、光量ともに、水銀燈の背後に浮くモノと比肩するモノ。

 何のために呼び出したのか、そんなことは考えるまでもない。

「真紅」

 呼び掛けたのは上条。

「お前、戦うつもりなのか?」

 姉妹同士で殺しあわない。彼女は確かに、そう言ったはず。

 だが真紅は振り返らない。

「当麻。貴方もわかっているのでしょう? 話し合いだけですべてを解決するのは無理だということくらい」

「それは、」

 事実だ。

 いままで上条自身、何かを護るために多くの者にそのコブシを振るい、様々なモノを破壊してきている。

 誰かを護るために戦ったという言葉は、裏を返せば護るために誰かを傷つけたということなのだから。

「・・・・・・」

 上条は口をつぐむしかない。

「当麻」

 真紅は肩越しに振り向き、上条に向けていた微笑んだ。まるで信じてほしい、とでも言うように。

「・・・・・・」

 そうだ。

 リビングで聞いた言葉と、ここで投げ掛けられた言葉。

 上条はそのどちらも信じたから、指輪の誓いを結んだのだ。

 ならば自分がいま出来ることは、たったひとつしかない。

 軽く頷き、右手を握る上条。

 そのコブシには、包帯が巻かれたままだ。

「・・・人工精霊を出されたら面倒ね」

 対する水銀燈は、上条と真紅の様子に顔をしかめながら、左掌を上に向ける。

「おいで、メイメイ」

 呼ばれ、メイメイがふわりとその掌の上に移動する。

 続いて水銀燈の右手の剣が、先端からひび割れ―――羽毛に変わって砕け始めた。ハラハラと落ちるその羽毛を、大きく羽ばたいた翼の風が吹き飛ばす。

 舞い上がり、意思持つように真紅と上条に群がりかけたその羽毛は、しかしホーリエが音なく放った光の矢に射抜かれて、一瞬で燃え尽きた。

 その間に、水銀燈は距離にして大人数歩く分、距離をとっている。

「逃げるつもり?」と、真紅。

 どこか挑発的にも聞こえるその声に、

「そうよぉ?」

 水銀燈はニヤリと笑みを浮かべた。

「いまの貴女を相手にするには、ちょっと手駒が足りないわ。そっちの人間に邪魔されても不愉快だし・・・今日はここまでにしておいてあげる」

 再び翼をはためかせ、ふわり、と浮き上がる水銀燈。

「じゃあねぇ、真紅。次に会ったときはジャンクにしてあげるわ。人間も、あのテーブルの借りは必ず返すから楽しみにしていなさい」

 バサリ、と翼が羽ばたき、黒の体が外廊下の手摺りを越える。

「・・・待てよ」

 だが黒衣の人形が飛び去ろうとするその直前に、それをとめる声があった。

 真紅ではない。その背後に立つ、上条だ。

「・・・・・・」

 水銀燈の動きがピタリと止まり、視界の端で真紅が見上げてくるのが見える。

 それに構わず、上条は続けた。

 彼には聞くべきことがあるのだ。

「この結界は誰の仕業だ?」

 言いながら、ダン、とエレベーターのボタンを叩く上条。

 コブシに押しつぶされ、それでもやはり微動だにしないボタンが、硬い感触を返してくる。

 だが上条の視線に対して、

「結界? 何の話ぃ?」

 黒は眉をひそめただけ。

「とぼけるな! お前か、お前でなけりゃ仲間の魔術師がいるはずだろ!」

「・・・ねぇ真紅。この男、何を言っているの? 結界? 魔術師? ふふっ、おかしいんじゃないのぉ貴方」

 上条の言葉を鼻で笑いとばしてから、水銀燈は真紅を見た。

「真紅、狂った貴女にぴったりの契約者だと思うわ。あはははは、とんだ人間を選んだものねぇ」

 視線には嘲りの色。

 その色のままの声で、上条に目を向けた。

「でもそうねぇ、人間、貴方が可哀相だから一応教えてあげるわぁ」

 クスクスと笑い、水銀燈が言った。

「わたしには仲間なんかいないわよぉ。わたし、おばかさんも足手まといも大嫌いだからぁ」

 そしてそれ以上話をするつもりはないと言うように、翼を羽ばたかせ、身を翻す。

「くそっ、待ちやがれ!」

 上条は手摺りに駆け寄って手を伸ばすが、届くわけがない。離れていく背中を見送るだけだ。

 黒い背中は瞬く間に小さくなり、すぐに視界から消えた。

「・・・行ったようね」

 真紅が軽く息を吐き、体から力を抜いた。感じていた水銀燈の気配が消えたのだ。

 どこか手近なところからNのフィールドに入ったのだろう。

「・・・・・・」

「・・・当麻?」

 何も言わない上条を見上げる真紅。

 だが上条は応えない。視線さえ向けず、水銀燈が飛び去った方向を凝視している。

「・・・・・・」

 もう、水銀燈の翼は見えない。戻ってくる気配もない。

 戦いは終わっている。

 しかし上条は、左手を手摺りに叩きつけた。

「っ」

 返ってくる感触がいつもよりもずっと硬いこと―――つまりいまでも結界が機能していることを確認してから、真紅に目を向ける。

「真紅、教えてくれ。お前やお前の姉妹に、魔術を使えるやつはいないのか?」

「・・・当麻の言っている魔術がどういうものなのかは、私にはわからない。だけどもし、この廊下にその『魔術』がかかっていて、それが人の出入りを限定するような種類なのだとしたら・・・」

 真紅は一度言葉を切り、

「私たちには、そんな力はないのだわ」

「・・・・・・」

(力が、ない)

 どういうことだ?

 水銀燈が自分たちを逃がさないために結界を張ったわけではないのか?

 いやそもそも・・・彼女はこの結界の存在を知らないのか?

 もちろん水銀燈が嘘をついていない保証はない。

 水銀燈自身が魔術を行使できないのなら、別の第三者が介入する以外にないではないか。

 単に仲間というカテゴリーに属さないだけで、利害が一致する『敵ではない』相手がいる可能性も十分にある。

 だが、上条の目に映った水銀燈という存在は、そういったくだらない言葉遊びをするタイプではないように思えた。

 仮に協力者がいるとしても、おそらく今回の戦いに参加させただろう。

「だったら、」

 魔術師は、水銀燈と繋がりがない?

 いやそもそも、この戦いと『結界が張られていること』自体に関係がなかったとしたら・・・

 

「!」

 上条は目を見開いた。

 インデックス。

 朝から出掛け、上条の傍にいない少女。

 禁書目録と呼ばれ、全世界の魔術師が恐れ、欲している存在。

 出掛けた先は、比較的訪れる頻度が高い場所だ。

 上条がいないため、待ち伏せの魔術を仕掛けることが容易な場所だ。

 その先にいるのは特定種族以外には一切効力を持たない能力者と、魔術師でも能力者でもない、本当にただの一般人だけだ。

「そっちかよっ!」

 上条が奥歯を噛み締め、再び手摺りを殴り付けた。

 ガンッと音が響く。

 結界の中。

 返ってくる感触は、いつもよりずっと、硬い。

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