とある世界の残酷歌劇 > 終幕 > 06


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街は、死んだように静かだった。

先程までの喧騒は嘘のようで、まるで絵画の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。
耳を擦る音は自分のものだけだ。風の音も、木々のざわめきも、動きは何もかも失われてしまっているように思える。

「晴れたる青空ただよう雲よ――だっけ」

口にした句は邦訳のものだ。
元となった詩とは大きく掛け離れたものだが本来の意味は失われていない。

よろこびの歌――と呼ばれるそれは、この場には随分と相応しくないものだ。
そう自嘲の笑みが漏れた。

胸に歓喜はない。
まして悲嘆や慙愧もなく、あるのはただ渺茫とした虚ろだ。
そういう感情を胸に得て、彼女は少しだけ目を細めた。

「ま、結局、分かってた事だけどね」

自分の行いに意味などなく、何をしてもただ無為でしかない。
世界はそういう風に出来ているのだと悟ったのはいつのことだっただろうか。

幸福と不幸は常に等価で、どれだけ行っても差し引きゼロにしかならない。

まるで熱力学のような絶対的な法則の檻。
もしこの世に絶対の法則がただ一つだけあるとすれば、これを措いて他にないだろう。

そう、世界は平均化を望んでいる。

人の生はきっと幸福に分類されるのだろう。
生まれてきたことそのものが幸福の印なのだ。

だからこそ人はその生に於いて己の誕生のツケを払わされる。
時折舞い込む幸福は借金のようなもので、当然のごとく利子をつけて返済を求められる。

けれど、そうでもしないと人は生きていけない。
幸いがなければ人は簡単に絶望してしまう。

幸不幸の自転車操業。鼠車のようにくるくると。
一歩も進めていないのも分からずに、ずっとその場で走り続けるだけ。



「……アイツはどうだったのかな」

口癖のように不幸だ不幸だと言っていた少年。

何処かの宗教家が言うには、彼のその奇妙な能力こそが不幸の元凶なのだという。
一度そんな話を彼の口から聞いた。

人にとって幸福と不幸の絶対量が同じだとしたら。
きっと、彼の身に降り掛かる不幸の根源であるその右手こそが幸いの形で。

彼の持つそれは、誰かの不幸を肩代わりする救済の手だったのかもしれない。

眉唾ものの寓話に出てくる救い主。
もしそんなものが実在するのなら。



あの少年は、もしかするとそういう存在だったのかもしれない。



化石となった神話に出てくる英雄のような。
あるいは陳腐な漫画に出てくるヒーローのような。

本当はこの世界にある理不尽でふざけた部分を倒すためにいたのかもしれない。

人の世に降りかかる厄災を祓う奇跡の右手。
結果、自分が不幸になったとしても。それが原因で不幸になろうとも。

不幸な誰かを幸せにすることが彼にとっての幸せなのだと、きっとそう笑える少年だった。

――そう思うのだ。



けれど彼はたった一人を守るためにその身を犠牲にしてしまった。
もしかすると世界を救うはずだった少年は、たった一人の少女の命を守るだけでいなくなってしまった。

結果、世界は相変わらずふざけた理不尽を強要してくる。

――結局、何一つ変わっていない。

ご都合主義なヒーローは存在せず、都合の悪いことばかりが起きる。

それもそのはず。幸福は人の生の数だけ存在するのだ。
世界には七十億人分の不幸が渦巻いている。

この世界は不幸で出来ている。

彼が祓うはずだった不幸は世に蔓延り、泥沼のように人々を引きずり込もうとする。
逃れることなどできはしない。世界そのものが不幸で形作られているのだから。

「そう。つまり、結局は」

「誰も彼もが不幸に呑まれるしかない、って?」

肯定の代わりに肩を竦めて答えた。

「馬鹿言うんじゃないわよ。
 幸福とか不幸とか、そんな幻想みたいなものなんかに理屈があって堪るもんですか」

「幻想、ね――アンタはそれが全部、錯覚みたいなものだって言うの?」

「そうかもね」

頷いて、彼女は幸せそうな笑顔を浮かべるのだ。

「だって私は、幸せだから。私はアイツに救われたから。
 これが単なる思い込みに過ぎないとしても、私がそう感じるんだからそうなのよ。
 だから私は不幸なんかじゃない。それはアイツを否定する言葉だもの。
 誰にもそんなこと言わせない。たとえカミサマにだって――そんなこと、言わせたりしない」

怒っているような、あるいは泣いているような。
喜怒哀楽が綯い交ぜになった笑顔を浮かべて、彼女は微笑んだ。



「…………」

彼女の言うように、幸不幸などというものは主観によって幾らでも姿を変えてしまうものかもしれない。
彼にとってそうであったように、彼女にとってもそうなのかもしれない。

けれど客観的な、この世界を外から眺める視点から言ってしまえば。

「……そっか、うん」

彼女の言葉の本質を理解して。
頭に乗ったベレー帽の位置を整えて。

「結局、アンタはそれでいいんだ」

言って、笑った。

彼女にとっての不幸は、もう存在しない。
自身の死すらも彼女にとってはどうでもいい無価値なものでしかない。

ただ一つだけ彼女にとって価値あるものは、彼の行いであり、彼の歴史そのものだ。
死は覆らない。人は生き返らない。過去は変わらない。

彼女の幸福は、彼の死によって完結している。

――でも、と言外に思う。

彼女にとっての幸福が確立していて。
それは絶対に否定されず。
他の全てが無価値なのだとしたら。

彼女はこれ以上の幸福も不幸も得ることがないとしたら。

そしてもしも、幸福の絶対値の法則が本当にあるとしたら。

――それは結局、死んでるようなものじゃない。



惰性で生きているに過ぎない自分が言うのも馬鹿馬鹿しくて、言葉にはしなかった。

(結局、それを言うなら私も似たようなものだもんね)

だから代わりに、と。
本当に馬鹿馬鹿しい、それこそ幻想のようなと思うことを言おうとして。

「ねぇ」

と、先に言われ、言葉を飲み込んだ。

「……何?」

問い返すと彼女は、矢張り笑っているような泣いているような、奇妙にちぐはぐな顔で言うのだ。



「もしかしたら、常盤台でアンタと普通に出会えてたら――友達になれたかな」



「――」

最初に彼女と出会ったときには既に敵同士だった。
そもそも自分はこういう成りだし、こういう性質だ。

前提条件からして間違えている。
終始一貫、彼女のような存在とは相容れない。
この世界に於いて、彼女の言うような可能性は絶無なのだ。

だから、最初から答えなんて決まっている。

「――さあね。結局、ifの話なんてしても仕方ない訳よ」

笑って肩を竦めた。



暫くの沈黙の後、ふ、と溜め息を吐く。

もう充分だろう、と思う。
これで自分の役目は終わった。最初から、自分の出番はここまでだ。

これ以上舞台に上がっていても仕方がない。
下手に残っていたところで自分にはもう役もない。

だから大人しく退場しよう。
それが一番賢い選択だと、そう思う。

踵を返し、彼女に背中を向ける。

「それじゃ結局、私の出番はここまで。
 アンタは精々、この理不尽で不幸な世界に塗れるといいわ」

そう捨て台詞を遺し、立ち去ろうとした。なのに。

「――――――ねえ!」

けれど彼女の声に呼び止められ、足を止めた。

「……何よ」

振り向かず、背を向けたまま言う。

少しだけ不機嫌そうに。
折角演出した最後の場面を台無しにされたのだ。
それなりの理由がないのなら怒ってもいいだろう。

けれど肩越しに聞こえた声は、完全に予想外のものだった。

「名前、教えて」



「……結局、私はただの、どこにでもいるモブキャラよ?
 第一、私の名前なんてとうの昔に消えちゃったわよ」

「それでも、たとえ形だけだとしても、あるでしょう?」

「どうしてそこまで知りたがるのよ」

「だって」

言う彼女の表情は分からない。

「友達なら名前で呼びたいじゃない」

――――――。

「……そうね。まあいっか」

被った帽子の位置を直し、肩越しに言う。

「どうせこんな些細な事、暴露したところで結局なんてことないもの」

そして最後まで振り返らず、顔を見せぬまま告げた。





「私の名前は――――――[禁則事項です]」





「え――?」



――世界は不幸で出来ている。そう思う。

「じゃ、私は一足先に舞台を降りさせてもらうわ。グランギニョールはもう見飽きたもの」

だからこそきっと、誰もが幸福を望んでいるのだ。
それが儚い幻想だとしても人は幸福を羨望し、憧憬を覚えてしまう。

「結局さ、私だって他の連中と大して変わらないのよ」

人が幸せであることに罪などない。
間違っているのはきっとこの世界の在り方なのだ。

誰もが幸福であれるような世界は幻想に過ぎないとしても。
実際がどうかとか、そういう下らないことは別にして。
そう願うことくらいは赦されてもいいだろう。

だから、と。

言うつもりのなかったもう一つの捨て台詞を言ってやるのだ。

「私だってね、俗っぽくてご都合主義で情け容赦なく皆が皆残らず幸せになるような。
 ――舌が蕩け落ちるような、とびきり甘い幻想物語の方が、好みな訳よ」

だから『もしも』があるとしたらその時は。



「じゃあ――またね、御坂」



そう、普通に彼女の名を呼べるようにと。

愚にもつかない願掛けのようなことを思いながら、その場を後にした。





――――――――――――――――――――





「はいどーも。お疲れさん」

早々に仕事を片付け、大した疲れも見せぬまま麦野が最後に合流する。

「んで、例のブツはどこかにゃーん」

「超問題なく回収しましたよ」

指に挟んだデータメモリを顔の横で揺らしながら絹旗は憂鬱そうな顔で答えた。

「小細工はどうにも超面倒です。正面から突破した方が楽ですよ。
 そもそも私たちって力押しの方が得意な面子じゃないですか。
 なのに最近の仕事ってこんなのばっかり。私たちが出張る意味があるんでしょうか。
 どうせならもっとそういうのが超得意そうな連中に任せればいいのに」

「文句言わないの。結局、下働きに選択権なんてないんだから」

不満そうに愚痴をぼやく彼女に、フレンダが意地悪そうな顔を浮かべて茶化した。

「それはまぁ、そうなんですけど。
 もっとこう、どかーんばきーっぐしゃーっ! って感じにやれる方が楽です。あと超ストレス解消にもなります」

「それができるのは結局アンタだけだって……」

「えー。麦野なんか、素の体術なら私より上じゃないですかー」

「アンタ私にスニーカー履けっての」

「「…………」」

少しだけ想像してみて、即座にありえないなと結論付ける。
そもそも彼女の能力からして前線に出るのは如何なものかと思うし、反論すると面倒なので素直に納得しておくことにした。



そんな四人の中、一人だけ言葉のない少女がいた。

「どうしたの滝壺。具合でも悪い?」

先程からどこか呆けた様子で棒立ちになっている彼女の顔を覗き込む。
滝壺は少しの間視線を宙に彷徨わせていた後、やや焦点のずれた眼でフレンダの顔を見返し。

「ちょっと疲れた……っていうか気持ち悪い」

「体晶使ったからねえ」

「吐き気は?」

「あ、うん。それは大丈夫」

そう言って滝壺は弱く笑って見せた。
その顔がいつもよりも白く見えるのは路地の薄暗く青褪めた街灯の所為ではないだろう。

「うーん。それじゃあさっさと帰った方がいいかな」

「帰った方が、って。何か超あったんですか?」

絹旗の問いに麦野は「別に大したことじゃないけど」と肩を竦めた。

「お腹空いたからご飯でも行こうかなーって」

「ご飯……!」

その言葉を聴いた途端、滝壺の顔に生気が戻る。

「大丈夫だよ、むぎの。問題ない。ご飯食べに行こう」

「……現金な子だねぇ、アンタ」

顔を見合わせ苦笑した。



「それにしても超遅いですね」

「何が?」

「車を手配してるんですけど。何やってんでしょうか……」

「溜め息吐くと幸せが逃げるっていうぞー」

茶化す麦野に苦笑して絹旗は携帯を取り出し、手早く発信する。

「………………、どこで何やってんですかっ! 超早く来いっ!」

「おおぅ……」

電話に向かって怒鳴る彼女の剣幕に思わず顔が引き攣った。
少なくとも表面上だけは丁寧な絹旗が(と言っても端から見れば随分と妙なものだが)こうまで粗野な口調になるのも珍しい。

「……これは」

「もしかすると……」

「ごはんー……」

麦野とフレンダは互いに顔を見合わせる。

「は? 迷っ……ナビも付いてないんですか!?
 そっちに位置送りますからさっさと来てくださいっ!」

苛立ちを隠そうともせず、返事を待たず通話を切った。
親の敵のように高速で指がボタンを叩き手早くGPS情報をメールで送る。



「まったく。超使えねー」

そう吐き捨てる絹旗に。

「……絹旗ちゃぁーん?」

「ひぃっ!?」

甘ったるい猫撫で声で呼ぶ麦野に何故だか悲鳴を上げて絹旗は思わず後退りした。

そこには溶けたヌガーのようなべっとりとした甘さを醸し出す笑顔の麦野とフレンダがいて。
二人はゆっくりと、得物を前に舌なめずりをする肉食獣のような気配で絹旗ににじり寄ってくる。

「ど、どうしたんですか二人とも…………はっ!?」

二人の位置はこちらを包囲するようで、そして絹旗はいつの間にかビルの壁面を背負っていた。

端的に言えば逃げ場がなかった。

「さっきの電話の相手、誰なのかにゃーん?」

「結局、なんかすっごく仲良さそうだったんだけどー?」

「は、はは、何をそんな超馬鹿なことが」

どうにかこの窮地を脱しようと逃げ道を探すが、さすがというか何というか、二人にはまったく隙がない。
……もちろん能力を使えば強引に逃げられるのだろうが、そうすると後が怖いので当然ながらその手は使えない。



最終手段として残る一人に助けを求める。

「た、滝壺さん……!」

「今日はなんか、クリームっぽいものが食べたいなぁ。グラタンとか」

「駄目だこの人、超トリップしてる……!」

一縷の望みも絶たれ絹旗は愕然とする。

既に二人の頭の中では結論付けられていてしまっているのだろう。目を見れば分かる。
あとは冤罪を捏造するための魔女裁判だ。恐らく火刑台に送られるところまでシナリオは出来ている。

「絹旗ぁ……もしかしてアンタ」

「何を超勘違いしてるんですか。別にカレシとかそういうのじゃ……」

「「ほう……?」」

二人してにやりと猫のように笑ったところで自分の失策に気付いた。

「やっぱり男なんだ」

「結局、男だった訳」

(超しまったああああ――!)

顔が引き攣るのを自覚しながらも何とか体裁ばかりの笑顔を浮かべるが、眼前の二人の笑みの方が恐ろしい。
感情の極致には笑顔しか浮かばなくなるというのはどうやら本当だったらしい。

「さて、アシが来るまでもう少しあるみたいだし」

「ゆっくりお話を聞かせてもらおうじゃない。ねえ?」

二人に同時に左右の肩を掴まれ、絹旗はどうしてだか猛禽の爪に捕らえられた兎の気分が分かった気がした。



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