『■ エンチャンター -譜久村聖- ■』


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 ■ エンチャンター -譜久村聖- ■

薄闇に翠玉色の炎が舞い上がる。

大量の蟲が焼け焦げる悪臭の中にあって尚、彼女の周囲だけには蜜のような甘い香りが満ちているかのようだった。

―譜久村聖―

―少女と呼ぶにはあまりに早熟な肢体の―少女がそこにいた。


「おどろいた…。あなたの能力って【残留思念感知(オブジェクトリーディング;object reading)】じゃなかったの御嬢ちゃん?」
譜久村は答えない。
かわりに車内へ目を向け、手をかざす。

ゴォッ!
車内が一瞬で緑の炎に包まれる。
市井など意に介さずが如く運転席側へまわる。
不思議なことに緑炎は運転手の服も身体も、車内内装も焼くことなく、蟲だけを焼き殺していた。
よかった、まだ息はある。
それだけ確認すると、あらためて市井へ向き直った。

市井は落ち着きを取り戻していた。
現役だった頃から彼女は慎重な戦い方をしてきた。決して無理をしない。
たしかに、蟲使いである自分にとって、火炎能力者は最悪の相手だった。
単独での戦闘ならばとっくに市井は撤収している。
だが、後方に矢口が控えている限り、「どんな能力者であれ」無力化出来る。
そう、市井は目の前の能力者を単なる【二重能力者(デュアルアビリティ)】と思っていた。
すぐに矢口が無力化する。それからゆっくり料理してやればいい。

「矢口、たのんだ。」
沈黙、いや、かすかな息遣いは聞こえる。矢口に似合わない、逡巡、躊躇。

そう、市井は知らない。
「和田彩花」の存在を。矢口の能力の及ばぬ能力者の存在を。
目の前の相手もまた同様の存在ではないとはいえない。その可能性を。

「どうした矢口、やれよ。」

矢口は我にかえる。
大丈夫だ。あのガキは「あの化け物」じゃない。
「あの化け物だけ」が特別なんだ。
だが、どういうことだ?あれは「能力の増強」なのか?まるで別の能力じゃねえか。
いや、なんであれ無効化できるはずだ。
それに「あの化け物」に効かなかったカラクリだってもうわかってる…わかっているはずだ。
あのガキは「あの化け物」じゃない。大丈夫だ。やれる。

矢口は【能力阻害(インぺディメント;impediment)】を発動した。


突然、譜久村のまとっていた緑炎が消えた。
瞬間、世界に闇が戻る。

市井はニヤリと笑みを浮かべる。
炎におびえるかのごとく距離をおいていた蟲達が再び勢いを取り戻す。

「さぁて、どうする御嬢ちゃん?」
譜久村は動かない。
市井はわざとゆっくりと蟲達の包囲陣をせばめていった。

「安心なさい。おとなしくしていれば殺したりしないわ。そこでじっとしてなさいね。」

睡眠薬入りの注射器を取り出しながら優しく声をかける。
譜久村は答えない。おびえきっているのか?
まあいい。もともとこのコを殺すわけではない。
恐怖を与えおとなしくさせればそれでいい。
事実目の前の少女はおとなしかった。
いや…、おとなしすぎた…。
少女は空を見上げる。静かに、ただ静かに。
その顔に恐怖はない。不安も決意も諦めもない…。

「?…」

空を見上げたまま、譜久村はポケットから何かを取り出した。
その小さな何かを片手で器用にめくる。
四角く白く小さな何か。
文房具?…
かわいらしいキャラクターの表紙の付いた、どこにでもあるようなそれは…単語帳だ。

市井は異変に気づいた。
この御嬢ちゃん…、「まだ何かする気」だ。
何かはわからない。だが、あの手に持つ単語帳…あれが鍵だ。あれは危険だ。
市井の直感がそう告げる。
いますぐ取り上げなければ!
急いで蟲達に念を送る。
一気に輪が縮まる。少女が黒い濁流に飲み込まれる。


そのとき、
世界に再び、緑の光が満ちた。

ゴォッ!

地を這う蟲が焼き尽くされる、空を舞う羽虫が消し炭となってパラパラと落ちる。
翠玉のごとき煌めき。エメラルドグリーンに輝く、緑の焔。

「ザーッ…なんだ…ザーッ…!くそっ!ザーッ…なのか!?」
インカムから矢口の罵声が聞こえる。
だめだ。矢口らしくもない。完全に取り乱してる。
市井は作戦の失敗を悟った。
市井は現場であれこれ考えるタイプではない。失敗の原因など後で調べればよい。
失敗したなら即座に撤収する。それだけだ。
「矢口、あたし逃げるわ。あとで合流な」
矢口の答えを待たず市井は遁走した。
蟲達が瞬時に市井を覆い尽くし…。
再び散り散りに蟲が四散したとき、すでにそこに市井の姿はなかった。


先ほどまで世界に満ちていた翠玉色の炎はすでに消えさっていた。

だが、月明かりと、ぽつぽつと付き始めた街灯が、都会から暗闇を消しさっていく。

すでに敵の気配はない。

譜久村聖は単語帳、その中の一枚のカードに目を落とす。
カードには大きく手書きでなにかが書かれている。「…in …in 」誰かの名前だろうか?
そっと文字をなぞる。
ほとんど自動的に【残留思念感知(オブジェクトリーディング;object reading)】が発動する。
だが、そこからは何も読み取れない、なにも浮かんでこない…
特に気にする様子もなく、少女は胸ポケットからペンを取りだす。
そのカードに小さく×をつけた。
そして、ページをめくり何枚かのカードに×を書き加えていく。

「このカードは、あと、二枚か…」

そう…これが彼女の能力。

もともと、彼女の能力は人や物に触れることでその残留思念を読み取る力だった。
だがその能力は「処置」によって拡大され、残留思念を物体から物体へコピーする力へ…、
そして、いまや能力者の能力を物体にコピーする力へと進化していた。

【残留思念感知(オブジェクトリーディング;object reading)】の拡大された真の姿。
言うなれば、これは【能力複写(リプロデュスエディション;reproduce addition)】だった。

だが、どういうことか譜久村にはこの単語帳に関する記憶が無い。
単語帳に能力を封入したのはまさに譜久村の能力、それはわかっている。
その使い方も戦い方もすべて完ぺきに理解している。
しかし譜久村にはその記憶がない、この単語帳を作る以前の記憶がすっぽりと抜け落ちている。
当然、封入された能力の持ち主も知っていたはずだ。が、その記憶もない。
自らの思念感知を用いてもなぜかこの単語帳からは何も読み取れない。

単語帳や能力のことだけではない。
彼女の記憶は不自然な記憶の抜け落ちだらけだった。
普通ならばこのような状態で平気でいられるはずがない。
自分はいったい何者なのか?今の自分はなんなのか?
疑念と不安に押し潰され、精神を病んでもおかしくはない。
しかし、彼女は信じられないほど楽観的だった。
なぜか、まったくそこに疑問を感じることが出来ないのだ。
虫食いだらけの記憶のまま、そのままで彼女はこの一年を過ごしてきた。

だが、それでも、それでも心の奥底で、彼女にはわかっていたのだろう。
今の偽りの生活が長くは続かないことを…、必ず訪れる平和な日々の終わりを。
そして、もしかしたら、平和な日々の終わりが、
失われた記憶を取り戻す可能性への扉が開くきっかけになるのかもしれないことを。

譜久村聖は夜空を見上げる。

夜空には、月が輝き、星は、やさしくまたたいていた。




『(56) 442 翠玉色の炎』




                                







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