『異能力-faith-[15]』



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―――れいな。

声が聞こえた。
笑いを含んだそれは、どこからともなく響いてくる。
世界は一面の闇だというのに。
星明りが消えた夜空の色に似ている其処で、名前を呼ばれた少女は、目を開けた。

―――やっと起きた、もー皆待ってるよ
―――待ちくたびれたーっ
―――こんな時間まで寝てるなんて有り得ないの
―――ジュンジュンモハラヘタ!
―――リンリンモデース!

傍らに視線を巡らせ、会話をする面々の顔を見る。
どれもこれもが知っていて、あまりにも嬉しそうに笑う仲間達。

―――ほら、主賓がこんな所で寝てどうすんのさ。

突然、眼前には大きなテーブルが置かれていた。
綺麗に飾られたケーキの上には、数本のろうそくが赤々と燃えている。
真ん中にあるチョコレートの板には白く『誕生日おめでとう』の文字。
口々に「誕生日おめでとう!」と祝いの言葉を述べ、闇色の天井に向かってクラッカーの音。

―――何固まっとんの、皆に答えてあげなきゃあかんよ、ほら

ソッと背中を押され、仕方がなくそのケーキに在るろうそくを一息に吹き消した。
どっと沸きあがる歓声。
何も知らされず、メンバーそれぞれが飾りつけ、ケーキ作りと励んでくれた。
いつまでも目の裏にこびり付いて離れない、生誕の時間。
それは目にした事がある自分の―――誕生日パーティだった。



得意満面に、背後へと振り仰ぎ、周りの笑顔をもう一度見ようとし。

 ―――涙の様な黒い雫が、周りの視線から零れ落ちた。

瞬きをする暇もなく顔全体が黒に塗りつぶされる。
まるで融け落ちるかのような其れは、水音と共に衣服だけを残して身体さえも消していく。
跳ね飛ぶ黒い滴がれいなの顔を濡らし始め、背中からゾクリと恐怖が張り付いた。

不意に、口の中に血の味が広がり始め、熱を帯びる肺がギリギリと痛み出す。
伸ばしかけた手は、"人の枠"から外れていた。
肘から融け落ちる黒い触手。まるで泥のようになって行く自分の腕を見て目を見開く。
闇に向かって踏み出そうとした足も同様に。
その結果、体重を支えるものを失い、バランスを崩した身体が闇の中へ倒れこむ。

水風船が割れるように、地面に叩きつけられた身体は―――爆ぜた。

薄皮一枚の皮膚を突き破り、溢れた『黒血』が、闇へと染み込んで行く。
胸から上だけになった身体からチカラをかき集め、必死に顔を上げる。
一面の闇を、星明りが消えた夜空の色が見えた。
叫びの形に開いた口からは、声と共に水が溢れてくる。

黒黒黒黒黒黒黒。
目から、耳から、鼻から、口から、あらゆる所から噴出した漆黒の水が、意識を塗りつぶす。
其れは崩壊、喪失に近いものへの邂逅。
自分が自分で無くなっていく。何も感じられない、何も得られない、何も、何も。
得体の知れないものによって引き摺り込まれる無限回廊。
"死"の畏怖。それが、叫びとなって吐き出される。

 ―――誰か、ねぇねぇ誰か



 「誰か―――!!」

そう言えば来てくれた、助けてくれた、あの人の面影を、強く、強く。
願い、そして―――目が覚めた。



弾かれるように身を起こし、途端に鈍い痛みが肺の奥を走った。
れいなは胸元を強く押さえ、何度も細い呼吸を繰り返す。
身体中に伝う冷や汗があの『血』が粘着しているようで気持ちが悪い。
汗を拭おうと手を伸ばしかけ、そこでまた恐怖が走る。
両手を大きく広げ、指を動かしながら全てを確認した。

だが其処にはちゃんとした人間の手と、十本の指が存在している。
安堵の息を吐き、もう一度ベットの中に身体を沈ませた。
喫茶「リゾナント」の二階にあるリビングの隣に増設された其処は、リゾナンター内では
通称「れいな城」と呼ばれる田中れいなのプライベートルームだ。

元々荷物置きだった場所を無理やり改築した事で、小柄なれいなであるからこそ成り立つ部屋。
その上、ほぼ其処は寝床としての機能しかしておらず、布団の隣には大きなMDコンポが在るだけ。
壁に取り付けられている大きな姿見は、れいなの姿をしっかりと捉えている。

 ―――『黒血』は原型細胞の集合体。

元々任意に進化と退化を繰り返すこの細胞は、宿主である人間の体内で独自の構造を
形成し、最終的には拒絶反応を起こして『暴走』の現象を引き起こす欠陥品とされた。
だがそれは、『黒血』と人体の齟齬修正をする事で正常に機能させる事に成功している。



正常に機能しているそれは、『主』と『従者』の関係を持って共存していた。
脳の思考演算による『黒血』の維持、脳素や栄養を供給すると同時に、脳に対する外的の攻撃防御。
特殊な回路を備えた細胞は、独自に呼吸をすることも出来れば食物から栄養を取り込める。
細胞同士を繋ぎ合わせばどんな形状でも思いのままに進化する。
回路によって保護された『黒血』はあらゆる物理的損傷を瞬時に修復し、あらゆる攻撃を遮断した。

  ―――だが、ここで疑問が浮かぶ。

その原型細胞がまるで"生命体"としての活動をする為に
『人間』という形態をとり続ける事にどんな意味があるというのか。

例えば目が見えずとも物が見える生物は目を必要としない。
肺がなくても呼吸できる生物は肺を必要としない。
胃や腸がなくても食物から栄養を取り込める生物は消火器を必要としない。
手や足も、生物の肉体という者はごく一部の例外を除いて無駄なく、ただ『生存』の為に存在している。
『黒血』で構成されている被験者の身体は、もはや『人間』という形態を必要としていない。

筋肉、骨格、内臓、皮膚―――それらの『不要物』を構成し続けるということは、その活動を
している細胞にとって単なる負担でしかない。
細胞の進化はいずれ効率な利用法を学習し、肉体の状態にも適した形へと変貌する。

  ―――結果、『黒血』は"人間の枠"から外れ、『宿主』の身体を崩壊させる。

それを取り除く方法は無い。
その状態がいつ発作として起こりうるのかも分からない。
被験者である後藤真希は、ダークネスでの薬物投与によってその速度を遅らせているようだが
れいなの身近にはそのような人間は居ない。

 だから紺野あさ美は現れ、真実を教えた。
 自身の命と引き換えに、そのチカラを預けろと。



だが、れいなの異能力である共鳴増幅能力(リゾナント・アンプリファイア)がその補佐的役割を
持って生まれたのだとすれば、それがあちらへと渡るのは危険すぎる。
紺野あさ美の誘いに揺れているのは、ほぼ仲間の存在だった。

確かにこのチカラを分析し、異能力の消去と共に延命治療の為に提供すれば
自分の寿命は少なからず長引くかもしれない。
だがそれは、ダークネスの力を強める事となる上にメンバーの裏切り行為だ。

死にたくも無い、だがそれ以上に、独りにもなりたくない。
どちらを選べる訳が無い、特にれいなにとっては、どちらもが大切な事だった。
ただの"野良猫"だったら、もしかしたら自分の命を優先していたかもしれない。

だが自分一人のわがままでもう―――大切な人達が死ぬのは嫌だった。

 「もー、れーな、行かんもん!!」

それが全ての始まり。
電話が鳴り響く音、警察官の冷静な声、事故、喪失感、罪悪感。
自分があんな事を言わなければ、自分が、自分が、自分が…―――!!

 「…どこまでも親不孝やね、れいなって」

くしゃりと前髪をかき上げながら額に滲む汗を拭う。
ダークネスで研究員をしていたという両親に憎悪を抱いた事等たくさんある。
だが、家族としての"パパ"と"ママ"に、そんな感情を抱いた事は無かった。
どんな事があったにせよ、あの二人が自身と血の繋がりがあり、『家族』としての
枠から外れていなかったのは事実。


 「――――――」

声が、した。
それは、元々あの人が自室として使用していた部屋。
れいなの提案としてリゾナンターは一人での行動を自粛し、最低でも二人で居ることとなった。
絵里はさゆみと、小春は愛佳と、ジュンジュンはリンリンと。

 そしてれいなは―――里沙と。

一瞬の自失から立ち直り、青ざめた顔で立ち上がった。
被っていた毛布を乱暴に払い捨て、ロフトの梯子を降り、その部屋へと駆け寄る。
鋭い痛みが肺の中でいつまでも回り続け、心臓の鼓動がけたたましく鳴る。
震える手でドアのノブを掴み、回す。
その動作だけでも、まるで1分は掛かっているかのように、遅い。
開く。開いて、目を見開いた。

 「―――あ、起きちゃった?」

それは、あまりにも、のんびりした声で。

 「少し話に夢中になってたかな、ごめんね、うるさかった?」
 「紺野……あさ美………っ!」
 「…今はDr.マルシェだよ。リゾナント・ブルー」

吐き捨てるかのように言ったその名前の人物が、椅子に座って平然と佇んでいる。
にこりと音が出そうなほどの笑顔を浮かべて。




最終更新:2010年11月13日 18:43