ファンサカ2ch辞典 @wiki ファンサカ選手列伝
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あいうえお順

チーム2ちゃんねる掲示板より

アンデルソン・リマ(元新潟)

新潟のFK要員。
本来は右SBだったがファビーニョ、エジミウソンと共にFWで起用されたこともあり、
FW登録のDFとして人気を博した。
アルビレックス新潟→ADサンカエターノ→コリチーバFC
ファンサカスレでの愛称はリマたん。

ウェズレイ(元大分)

2003年度Jリーグ得点王、2010年8月現在Jリーグ歴代外国人最多総得点者。
2003年より7年連続でチームを問わず開幕戦ゴールを決めている。 
2007シーズンにはファンサカ史上初となる、いい位置でのCKから直接ゴールを決めて17fpを叩きだしcapに指名した者を歓喜させた。 
しかし同年の広島の失速とともにパフォーマンスが低下。
実況では「チワワ」と呼ばれ始め、広島降格の一因にもなった。
2009年シーズン中にJリーグを引退し、翌年からはブラジルのECヴィトーリアと契約。

内田篤人(元鹿島)

2006年のJリーグ開幕戦(対サンフレッチェ広島)で鹿島史上初となる
高卒ルーキーでスタメン出場を果たす。
スタメンの鹿島DFが安価で獲得できることから人気が殺到。
序盤の資金稼ぎに大きく貢献した。
同チームの小澤英明とともに「みんなの1号2号」と呼ばれた。

遠藤保仁(ガンバ大阪)

卓越したサッカーセンス、技術から常時高fpをたたき出し、
「ファンサカの申し子」などと呼ばれる。
流れからのゴールこそ多くはないものの、アシストやFKで確実に暫定fpを
稼いだ上、ボーナスをコンスタントに3fp以上出すのが特長。
代表から帰ったばかりで西野監督が先発起用しないことを明言したため多くの人が
起用を見送った際にも、途中出場ながらもいつも通りの高fpを出してみせ、
「さすがミスターファンサカ!」とため息と歓喜を呼び起こした。
だからと言って、あまりいい気になってはいけませんぞ。

小澤英明(元鹿島)

2006年鹿島のGK曽ヶ端準が怪我のため開幕からスタメン出場する。
内田と同様に年俸が安く人気があった。
第3節には自身で与えたPKを止め13fpを稼いだ。
同チームの内田篤人とともに「みんなの1号2号」と呼ばれた。

金正友(キム・ジョンウ)(元名古屋)

2006年はイエローカード17枚に加え、レッドカードは2枚。
出場停止試合は7試合を数え不名誉な個人年間警告数のJリーグ記録を作ってしまった。
実況板では金にカードが出ると「国民的行事」や「いつもの」と言うのが恒例化し、1つの盛り上がりどころにもなった。

登尾顕徳(元京都、現徳島)

2006年シーズン、単なる数合わせの選手に過ぎないとみなされていた登尾だが
"0の付く日は登尾チャンス"なる謎のメッセージで一躍人気選手になる。
が、結果はあえなく撃沈。
該当節には毎回このメッセージが書き込まれるものの、貧乏ユーザーの「次こそは…」の期待も空しく
0の付く節に低fpを連発し、次第にこれがガセイベントであることが判明。 
その後はネタ選手化し、実況板では「次節活躍する選手1000の人教えて」というレスに対し「登尾」
と書き込まれ、「登尾かよww」「1000の人ナイスww」など誰一人として活躍を信じなくなっていた。
いつものようにネタ選手扱いされた次対象試合の第23節、9fpながらベストイレブンに選出されるというミラクルを起こし
汚名返上に成功した。

保坂一成(元甲府、現岡山)

2007年前期の甲府vs神戸で決勝点、甲府vs柏で同点弾と逆転弾を決め(決定率100%)、無名ながらも多大なfpをもたらした。
しかし、無名の控え選手であるためか起用率は異常に低く、1、2人がウハウハするだけであった。

マルクス(元川崎)

2005年にジュニらとともに上位進出の原動力となった。
FW登録ながらトップ下で起用されることが多く、
試合でMF登録の洗う神、古橋らとともに人気を博した。
アルビレックス新潟→川崎フロンターレ→東京ヴェルディ1969→横浜F・マリノス→不明

山田卓也(元東京ヴェルディ1969、現サガン鳥栖)

2003年、攻撃的ポジションにコンバートされ、大ブレーク。
自身初の年間得点10点を記録する。当然FSでも人気を博し、
起用率は現在の憲剛に匹敵した。
合言葉は「山卓キャップ」。
東京ヴェルディ1969→セレッソ大阪→横浜FC→サガン鳥栖