原賠審の「子どもたちを放射能から守る、福島ネットワーク」中手さんと宍戸さんの発言の書きおこし

委員長
「それでは続いて、子どもたちを放射能から守る、福島ネットワークから、中手代表、それから宍戸さんからお話を伺いたいと思います。」


中手さんの発言


「中手聖一と申します。

子どもたちを放射能から守る、福島ネットワークというのはですね、5月1日にできました。

福島県内で主に子育てをしている親たちが中心になりまして、集まりつながりあったものでございます。

私自身もそういうものの一人です。

先ほど瀬戸市長がご紹介いただきましたが、福島市の渡利地区という所に私は住んでおります。

また、渡辺弁護士と同じように、私の子供二人、また妻もですね、いわゆる母子疎開という形で、今は岡山県の方に疎開をしております。

実はあの、これ子どもたちへの明日のお土産に、今持っております。

これ見よがしに持ってきたのではなくてですね、今日こちらに伺うということで、職場にお休みをいただきました。明日もう一日お休みをいただいてということで、明日子どもたちにあってくる予定なんですね。

私の場合ちょっと遠いので月に一回が限界です。

それでも、子どもたちが安心して向こうで暮らしているのかと思えば、まだしもそういう困難はですね、乗り越えられるかなと思っております。

そのような困難を我々の仲間も乗り越えて、いわゆる自主的な避難、私もあんまりこの言葉は好きでありませんが、今日はその言葉で説明をさせていただきます。

自主的避難をしているのか。しかも何万人もの人たちがしているのか。そういった判断決断をするにいたったような理由、あるいは背景というものについて、私自身の経験、そして仲間たちの経験を踏まえて、今日はお話をさせていただきたいと思っております。

3月4月というあたりはですね、本当に一部の方々だけが、こういった事故が起きて、放射能・放射線が怖いものだということを知りませんでした。

自主避難という風にした人たちもですね、本当にごく一部でありました。

そして地域の中では、いわゆる変人扱いをされるのが当たり前だったんです。

何を一人だけ騒いでいるのだと、そういう扱いをうけながらですね、周りからも理解されずに、それでも子どもたちを守りたいという一心で、避難をして行ったわけであります。

それが今、変わってまいりました。

確かに自主避難について充分な理解が地域にあるでしょうと言えない所があるでしょうが、しかし、3月4月に比べれば随分と理解が変わってまいりました。

先ほどらい話があるように、たいがいはですね、こういうパターンが多いんです。家族の中で、家庭人である、まあたいがいは妻でありますかね、子どもから言えばお母さんがですね、先に心配になるということが多かったんです。

そして、たいがい仕事をしてらっしゃる、社会人である、失礼、お父さんとの間でですね、意見が食い違うというようなことが、よく言われておりました。

それがだんだんと家庭内でも、父親の方も理解が進んでゆく。今度はおじいちゃんおばあちゃんです。おじいちゃんおばあちゃんも理解が進んで、今度は地域全体と、こんな風にこの7か月間変わってきました。

いまではですね、「子どもがいるんだから自主避難するのもそれもしょうがないねぇ」と、「あんたんところは奥さん妊娠したんだない、避難しなくていいのかい?」こういう会話がですねされるようになってきたんです。

そうやってようやく周りの理解も進んだ中で、あらためて自主避難を決断するという方も今もいらっしゃいます。

私非常にこれまでのですね、口はばったいこと申しますけれども、この審査会の議論の中で「おや?」と一つだけ思いましたのは、自主避難に二つのカテゴリーを設ける、これはなるほどなぁと私も思いました。しかし、それが日付ということと併せて議論されるということを聞いた時に、「おや?」と思ったんです。

私出させていただいた資料の中に、3月11日から、自主的な避難に決断を与えた出来事ということで、思いつくままに書いてまいりました。

ズーッとつながっているんです。

震災で電源が失われた。翌日にはベント・爆発。県内各地のですね放射線量が数百倍に跳ね上がる。水道水や、雑草や野菜や原乳から、とんでもない聞いたこともないような値の放射能が観測というニュースを耳にする。

こんなことでですね、どこで本当に境目をつけたらいいかと思うほど、日付でということに違和感をもちました。

またその時系列の中にありますことで、もうひとつ大事なことを述べさせていただきますが、何故地域の理解が変わってきたかということであります。

政府の方がいらっしゃる中で、これまた申し上げにくいことを、でも今日ははっきりと申しあげます。

政府や東京電力などの発表などに対して、信頼がどんどん落ちて言ったんです。

3月の時点で、内閣が記者会見で「ただちに健康に影響はない」。また福島県にいらっしゃった専門家、アドバイザーの方々がですね、通常通りの生活をしてよろしい、子どもたちを外で遊ばせて問題ないと、3月の段階では非常にこれが権威をもち、また信じられておりました。

3月の15日から、福島県の中通りという一体でですね、放射性のガスが充満し、20マイクロシーベルトの空間線量をですね、超えるような状態が続きました。

この中に、子どもたちが外で水汲みに並んだんです。

何も知らずに、大丈夫だという話を信じて、私の住んでいた所は一人④リッターというような制限が付いておりましたから、おじいちゃんもおばあちゃんも子どもたちも並んでしまったんです。

またガソリンが手に入りませんでした。入れていただくために車の列に何時間も並ばなくてはならない。寒い中ではありましたけれども、待ってるだけでもエンジンをかけているのはもったいない。外に出て背伸びをしながら、そして家に子どもを預けられない人は、子どもも一緒に連れて行ってしまったんです。

それくらいに信じられていました。

ところが見ていただいて分かりますように、当初、「空間線量で100マイクロシーベルトでも大丈夫だ」と、「健康に影響を及ぼさない」という講演会をしておりましたアドバイザーがですね、後に県のホームページに、あれは10マイクロシーベルトの誤りでしたというような訂正文を載せるようになる。

また、別なアドバイザーではですね。3月の31日に、福島来福いたしまして、開口一番記者会見で、避難区域になっている所以外は、避難指示区域以外は、学校は平常通り行ってもいいですよと、もちろん安心を与えようとしてくれたのかもしれませんが、しかしその後、計画避難区域、たちえば飯館村とか、これは私 の妹がおった村であります。こういうことになってですね、次々に信頼を失ってゆく。

また東京電力におきましてはですね、事故後随分たってからですね、メルトダウンをしていたのは実は震災後16時間後だったんだ。あるいは保安院からはですね、数カ月もたって、放出された放射能は実は2倍だったらしいと、こういう訂正入ります。

こういうもろもろ含めましてですね、政府や県、あるいは東京電力の発表というのが非常に信頼が低下していった。

またそれに変わってですね、いわゆる市民団体やNGO、研究者、チェルノブイリの経験を知らせてくれるインターネットなどが、非常に信頼を増しました。

ここにも年表、あるいは資料つけましたけれども、政府の発表、あるいはそれを伝えるマスメディアがですね、本当に大丈夫かと疑われる中で、自分で勉強しようといった時に、こういった情報が市民の中に受け入れられ、また信頼を増していったということがあります。

そしてそんな中で、非常に辛いと言いますか、大変な思いだなと思ったのが、専門家でさえ、正しい答えが出せないものを、親である我々が。答えを出さなきゃいけないということなんです。

立派な学説を勉強すればするほど、どちらが正しいとはいえないというのが分かってまいります。

しかし、親として、避難を例えばするのか?あるいはそれを思いとどまるのかを、判断しなければならない。こんな、人生の中で、今までで一番大きいような決断をしなければならない。

当然親でありますから、子どもを守りたいという気持ちで、安全側に立とうという気持ちは、これはどなたにでもお分かり頂けると思います。

多くの避難した親たちはですね、自分の中で判断つかないものは安全側に立とうと、いう風に思った人が多いわけです。

そんななかで、先ほども夫婦の中でという話がありましたけれども、後から母親の立場でもあります、私たちの仲間の宍戸さんがお話して頂きますが、私のほうからは、実はお父さんからよく聞かれた意見というのを、ご紹介したいと思います。

男はですね、どうしても頭でっかちなのか、じゃあどうなんだろうと数字を知りたがるんです。お母さんのように、肌で感じる、子どもをしっかり見て、そこから感じるもで動くというのではなく、どうしても、よくよく考えてみよう、もうすこし調べてみよう、一体何ミリならば大丈夫だろうという風に、いろんなこと に頼ろうとします。

そんな中で、安全側に立って考えようという時には、一体事故の前はどう考えていたんだろうか?そういうことに思いが至るという仲間たちが、多くいました。

つまり事故の前は、公衆の被ばく限度、つまり我々はどのくらいまで被ばくは許されています。逆にいえばどれくらい以上の被ばくはしなくていいという風に言われていたんだろうか?

あるいは法令の基準の中で、ここにあります管理区域というようなですね、18歳未満は入れない、入ってはいけませんと言われるようなところは、どういう空間線量、あるいは状態の所なんだろうか。

こんな一つの判断基準というのが、よくですね、お父さんたちといいますか、私の職場などでもされたところであります。またしてきたところであります。

こういった法令、事故前からありました、社会的な一定の合意があったと思えるような、また遵守されてきたようなですね、すでにある法令基準というものもですね、一つ自主避難の合理性というものを考える時に、ご参考にして頂きたいという風にぜひ思います。

最後に、私のほうからは最後に、もう一つだけ。

先ほどらい言われていますように、事故が起きてから、なんでと思うほど、私たちは地域の中で絆をですね、引き裂かれるような思いをしてまいりました。

避難を決めるもの。とどまることを選ぶもの。最近ですと、また戻るというような判断をするものもおります。

その都度私たちはですね、まるで何者かによって、あるいは放射能によって引き裂かれようとしているんではあるまいかと、いう思いにならざるをえません。

せめてこういった賠償のことだけでもですね、人々の絆を裂くのではなく、人々の絆をもう一度結び合えるような、自主避難に関しましては、幅広く、可能な限り幅広くというような、そういうお気持ちで、これからご議論をして、私たちにとって一番いいですね、結論を導いて頂ければと思います。

ではここから先、宍戸さんの方に変わります。

宍戸さんの発言

「北海道に自主避難をしています。宍戸と申します。

今ここにいるのは私一人ですが、私の後ろには北海道に自主避難している自主避難者。引いては全国にいる自主避難者がいると思って聞いてください。

私はそれだけの気持ちを持って今ここにのぞんでいます。

ただ、私は北海道に避難しているので、北海道の実情からしか話をすることができません。

私が自主避難させて頂いている所は、実は自主避難者だけで160世帯おります。500人を超えます。

その中のほとんどは母子避難です。

お父さんは福島に残って生活を支えています。

住宅ローンを必死にかえしています。

あの、すごく小さなお子さんのいる家庭が多いんですね。

福島って、子どもが生まれたらなんか家建てなきゃなって雰囲気があるんですよ。

で、この事故によって小さな子を持つ親御さんたちはすごくみんな悩まれました。

もう住宅ローンはじまったばっかり。

事故の2ヶ月後に家が建ったなんてお宅もあるんです。

それでも、子どもたちを、子どもたちの命を守りたいと、お父さんと別れて、お母さんと子どもたちだけでも安全な所へと、逃がした家庭ばかりです。

うちのように家族避難できたところもあります。

ただ、家族の理解を得られず、お母さんが頑張って子どもを連れ去るような形で逃げてきた家庭もあります。

それは実は福島だけではありません。

東京の方も、関東の方も、関東6県かな全員いらっしゃいます。

宮城の方、他の東北の方もいらっしゃいます。

その人たちもみな、お子さんの命を第一に考えて、北海道に避難した方たちです。

今日の資料5の2の後ろにあります、これは実は、泊原発が再開される時に、私がいる自主避難者の宿舎になっている所で、意見を募集したものです。

お母さんたちは、すごく一生懸命、沢山のことを書いてくださいました。

今日新たに、2枚資料をお渡ししています。これは、実は昨日自治会をやっているものですから、その自治会のメーリングリストで、意見持って行くから書いてといって、書いてもらったものです。

4月の段階で自主避難者の保障を振り分けるという話を私も聞きました。

4月の初めまで、保障を認めようというのは、その時点まではちゃんとした情報が出ていなくて、お父さんたちやお母さんたちが不安になるのも仕方がなかったから、避難を認めよう。そういう風に言われていたと思います。

だけど、避難をしたお父さんお母さんというのは、ただやみくもに不安になったわけではありません。

みんな一生懸命情報をえようと頑張っていました。

政府の発表、テレビ新聞の発表だけでは足りなくて、ネットからもいっぱい情報を拾っていました。

その情報を拾った上での避難です。

それに対して、4月の半ばの前と後ろに何の差があるのか、私にはさっぱり分かりません。

みんな、本当に考えた末に自主避難を決定しています。

こちらの自主避難者の身体状況という資料をご覧いただきたいんです。

ここに避難された方々が、子どもたちが、あの爆発の後どういう状況になったのか、私聞きました。それがまとめてあります。

目の前で、自分の子供に明らかな異変があって、それを見過ごして、「ああ、これは国が言っているから安全だって」、見過ごすことができるかって、考えませんか?

今いきなり目の前で、娘や息子が鼻血をだした。

なんか、いきなり具合が悪いって寝込んでしまった。その状況がずっと続く。

これは何かおかしいんじゃないか?それは避難の判断基準にならないでしょうか。

それはただやみくもに自主避難したというのとは違うと思うんです。

4月の半ばで避難の保障を分けるのは、本当にナンセンスとしか言いようがありません。

先ほど、弁護士の先生が自主避難できている人たちは、ある程度お金に余裕があるのではないかと言いましたが、それも私は一概には言えないと思います。

私は北海道で自主避難者の自治会を立ち上げました。

その中で、シングルマザーの人がすごく多いんですよ。

たぶん、旦那さんとのしがらみがない分動きやすかったというのもありますが、本当に経済的には苦しい。これは本当です。

もう、北海道に避難したその日から、就職探してました。

その就職紹介できないかと思って、私は本当に同調の方にもお願いしましたし、自分たちにできることは何かをずっと考えて、いろんなところに働きかけもしました。

命を守る、その一点において、自主避難を決めているんです。

私が自治会を立ち上げたのは、福島で皆さんがとても傷ついてでてきたってことを知ったからでした。

本当にコミュニティがバラバラにされています。

自主避難を決める。福島から避難するっていうだけで、「何を考えているんだ」「頭おかしいんじゃないのか」。

初めのうちは本当にそう言われました。

自分の知人、友人、親類縁者、実の親、夫。

「国が言っていることに逆らうのか」そういう風にも言われたんです。

「非国民」とすら言われることもあったんです。

そういう人が何人もいます。

それでも命を守りたかった。

そこをくんで下さい。

お父さんが、連休に北海道に会いに来るんです。母子避難している家庭に。

本当に交通費が大変です。

数日親子で過ごして、お父さんは帰ってゆくんですけど、飛行場に見送りに行って、誰が一番泣くと言ったらお父さんだそうです。

もう離れて暮らすことが、家族と離れて暮らすことが本当に切ない。

これが、もうちょっと、その交通費の援助だけでもあったなら、もっと会いに来れるのに。

そういう風に何人ものお母さんにも言われました。

「二つかまど」っていうのは、想像以上にお金がかかります。

本当にみんな苦しい生活をしています。

幸い北海道の受け入れ態勢はとても素晴らしくて、本当に道庁の支援もあれば、ボランティア団体の手厚い支援もあります。

それで何とか生きているような状況です。

自主避難者の保障をするっていうのは、お金の保障だけではないと思うんです。

自主避難の保障、それ自体が、自主避難の権利を認めてくれることなんです。

福島に残っているお父さんやお母さんと話をすることがあります。

国が駄目だっていう。国がそれを認めてくれないから、うちのお爺ちゃんお婆ちゃんはそれを認めてくれないんだ。

国がうんとさえ言ってくれれば、私は避難できるのに。

あとちょっと、何がしか援助があれば、私も飛びたてるのに。

本当にそういう風に言われます。

お金の話だけではないんです。

自主避難の権利がほしいんです。

福島に残っている人全員が避難を望んでいるとは思いません。

どうしても逃げられない人もいます。

あの場所を何とか復興させようと思っている人もいます。

人の思いは様々です。一概に避難しろっては絶対に言えません。

でも、避難する権利は

命を守りたいという権利は

認めてほしいんです。

福島に残っている人たちも、子どもの命を犠牲にしたいなんて誰も考えていません。

あの場所に残っていれば、生活は安泰だっていうわけでもありません。

私の住んでいた所は農業地帯でした。

みんなおいしいものを作ろうと一生懸命頑張っていました。

北海道でいつもの半値だって言われた桃を見た時悲しくなりました。

もう福島の生活は成りたたないんです。

それだけ追いつめられています。

私は自主避難者の保障を求めると同時に、福島県全体の保障を求めます。

本当にみんな傷ついています。

その傷ついた分の保障だけでも、是非お願いしたいです。

よろしくお願いします。

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子どもたちを放射能から守る、福島ネットワークMLから転載。

中手さん宍戸さんそして書き起こしというしんどい作業をしてくれたIさんに感謝です。

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最終更新:2011年10月28日 23:21
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