積み上げられた知識が、燃える。
高く聳え立つ巨大な書架の林が、松明の様に燃えて倒壊していく。
もはやそれらは本棚ではなく、燃えながら倒れゆく巨木。
その間を縫うように、小悪魔は飛ぶ。
数十人ものメイド達も、その後に続く。
視界に入る色は二色のみ。
炎のオレンジと、暗闇の黒。
小悪魔の記憶では、過去数百年の間で、これ程この図書館内が明るく照らされた事は無い。

主から借り受けた水符は既に使い果たした。
見切りを付けた区画の書架を、延焼を防ぐ為に金符で切り壊した。
それでも炎の勢いは全くおさまらない。
まるで山火事。
何故、水符も自動消化術式も思うように効果を成さないのか。
それはこの炎が、水などで消せる<<まともな炎>>ではない事を意味していた。
今 図書館を飲み込んでいる炎は、書物に蓄えられた魔力を燃料にして燃える、特別な炎。



『―――マジックアイテムは一箇所に集めると、それぞれが干渉して性質を弱めたり強めたり、
 また、別の性質を持つ事がある。』
いつか、黒白の魔法使いが口にしていた言葉を小悪魔は思い起こす。
強い力を秘めた魔道書、呪術書、巻物。
そういった曰く付きの品々が一箇所に集められ、永い年月の間、狭い空間に集積されていた。
だが、それが出火の原因か否かを考える事は、今の小悪魔の仕事ではない。
彼女の主が望むのは、一冊でも多くの書物を無事に確保する事。

今、小悪魔達が居る場所は、図書館中央区画の最深部。
他の場所よりも、価値の高い書物が多く収められている。
小悪魔は黒く煤けた頬を拭いながら、懸命にメイド達に指示を出し、自らも手の届く範囲の書物を抜き取る。
書物をこんなに乱暴に扱ったのは、小悪魔にとっては初めての事だった。




 *




飛行している小悪魔達よりも、なお高くそびえる頭上の書棚で爆発が起きた。

「こぁ!?」
上から殴りつけるような熱風になぶられ、小悪魔の身体が木の葉の様に舞った。
背中から、燃えている本の壁に叩きつけられる。
熱さと痛みに呻いたのも束の間。
すぐに小悪魔の両目は驚愕に見開かれた。

爆風で棚から弾き出された魔道書が、無数の燃える礫となって降り注いで来た。
元々、一冊だけでもかなりの重量と質量を持つ書物。
普通に加速がついて落ちて来るだけでも危険なソレが、火炎を纏い、うなりを上げて飛んで来る。

「ふぐッ…!」
小悪魔は強引に体をひねった。
次の瞬間には、それまで小悪魔の体が有った棚に炎の塊がぶつかる。
飛び散る火の粉と、岩が激突するような衝撃に、小悪魔の表情が引きつる。
幾つもの悲鳴と絶叫が、小悪魔の耳に飛び込んできた。
見渡せば、何人ものメイド達が炎の礫の雨に打たれ、燃えながら落ちていく。
「あ… ぁ…」
同僚達の悲惨な姿を目にし、小悪魔は手で押さえた口の奥に悲痛な呻きを漏らした。
その小悪魔自身にも、無数に炎の<<弾幕>>が降り注ぐ。
小悪魔は必死にそれを避けるが、その全てを避け切れるはずも無く。

「ごほ…ッ!」
背に、翼に、炎の塊が直撃し、燃える紙片と火の粉が飛び散った。
小悪魔の翼が力を失い、はばたきをとめた。
頭から落下する。
ただの炎ならば、悪魔たる彼女の身にそれほど大した損傷は与えられない。
だがこの炎は彼女に激痛を与え、彼女の生命を滅ぼし得る。
「ぐ…ぎぃ…ッ」
小悪魔は歯を食いしばって意識を持ち直し、体を空中に静止させた。
燃える上着のベストを引き千切って投げ捨てる。
炎の雨から死角になっている巨大書架にふらふらと回り込み、体をもたれさせた。
そして残ったメイド達に、一箇所に集まって身を守る陣形を取る様に指示を―――

「そんな…… うそ……」
―――指示を出そうとして、小悪魔は絶句した。

大量の燃える魔道書が、獣のくちの様に、ぱっくりと開いたまま小悪魔へ襲い掛かって来た。
カーブを描いて飛来するその様は、まるで意思を持った炎の牙。
何の作用で、こんな事が。
それを考える間も無く咄嗟に上体を反らし、<<噛み付いて>>来る一冊の魔道書を避ける。
間髪入れずに正面から襲ってくる三冊を魔弾で撃ち落とす。
その動作の隙に、別の一冊が背後下方から小悪魔の翼に<<噛み付いた>>。
先程、炎の礫が当たって火傷を負った方の翼に。

「あ"あ"ァッ!!」

悲鳴を上げ、小悪魔は空中でよろめいた。
その右足と左腕に、一冊づつの魔道書が、ゆらめく炎の牙を剥き出しにして飛び掛り噛み付いた。

「――――~~~ッ!!!」

あまりの痛みに、小悪魔は声すら出せずに痙攣した。
喉の奥が震えて、息を吸う事はできても吐く事ができない。
それで小悪魔の動きは完全に止まってしまった。
更に肩、わき腹、太腿に、燃える魔道書が喰い付く。

「あ……」
小悪魔は気の抜けたような小さな呟きを漏らした。
意識が遠のく。
体の感覚と一緒に、熱さも痛みも無くなっていく。
視界が黒ずんで、周囲の音が消えた。

―――そうか、この子達は、生きてるんだ。
   燃えたくない、死にたくないって、もがいてるんだ…。

小悪魔は、ぼんやりとそんな事を考えながら落下していった。

上下が反転した視界の中に、全身を燃える本に喰いつかれているメイドの姿が見えた。
<<くち>>を開けた本達が、次々とそのメイドに群がっていく。
その様子が、小悪魔には酷くゆっくりとした動きに感じられた。
すぐにメイドは、いびつな形で燃えるミノ虫になった。
脱力した片腕だけが、その中から生えて見えている。
そのまま落ちて小さくなっていくが、遥か下の床に激突する前に、本もろとも炭になって熱風に巻き上げられた。

落下を続ける小悪魔にも、大量の燃える<<くち>>が向かって来た。
だが既に小悪魔の意識は危うく、体も翼も動かない。

炎の牙が小悪魔の体に迫り、噛み付かんとするその寸前。
緑色の光弾が閃き、燃える本が砕け散った。
何が起きたのか把握できないまま、小悪魔は落下しながらその様子を呆然と眺める。
意思を持って小悪魔に襲い掛かる魔道書達が、緑色の閃光に次々と撃ち落とされていく。
何者かの攻撃が自分を救った事を、小悪魔は認識した。

―――助かるかもしれない。

そんな希望が、僅かな力を小悪魔の体に呼び戻した。
気付けば、翼や脚、身体中に噛み付いていた魔道書が大分燃え尽きていた。
小悪魔は気力を振り絞って落下の速度を緩め、床に着地した。




 *




爆発の音と巨大書架が倒れる音が、遠くから鳴り響いている。
火の勢いも未だおさまらぬ書架の林。
小悪魔は床に両手をつき、火傷の痛みに喘ぎながらも考える。

咲夜さんか、それとも美鈴さんが助けに来てくれたのか。
もしかしたら、パチュリー様が喘息を押して駆けつけてくれたのかもしれない。
そう思うと自然と顔が綻ぶ。
だが、灰になってしまった同僚達の事を考えると、すぐに小悪魔の瞳は悲しみに濡れた。

最初は、火災の現場から本を持ち出すだけの仕事だと思っていたのに。
それが、こんな大変な事になるなんて。
しかし考えるまでも無く、この魔法図書館は膨大な数の魔具が存在する場所。
極端な表現をすれば魔力の火薬庫とも言える。
そんな場所を管理する事もまた、小悪魔の仕事であった筈だ。
その責務を果たせなかった事と、その為に同僚を失った事に、小悪魔の心は苛まれた。

呼吸を整えた小悪魔は上空を仰ぎ見た。
途端に、その表情が固まる。

図書館の上空には、もう燃えながら飛び回る本は一冊も無かった。
その代わりに、淡く光る魔方陣に包まれた本が無数に浮かび、小悪魔を上空から取り囲んでいた。

「 え………? 」

それらは、図書館の自動防衛用の施術をした魔道書群。
小悪魔に噛み付こうとした本を撃ち落としたのも、あの魔道書群だろう。
しかしその様子が、どこかおかしい。
本が放つ魔弾は、書架の防御結界を突き破らぬように、せいぜい侵入者を痛めつける程度の出力に調整されている筈。
だが先程 小悪魔が見た魔弾は、当たればただでは済まない程の殺傷力を持っていた。
その魔道書が全て、小悪魔の方を<<向いて>>いた。
明らかに、魔弾の照準を小悪魔に定めている。

「 ちがう、の…  わッ、わたし、ちが…… 」

魔道書を包む魔方陣が、無機質な白い光を放ち始める。
小悪魔は嗚咽を漏らしながら、座った姿勢から尻を引きずって後ろへ下がり出した。
しかし全方位を囲まれている為、その行為は全く無意味である事にも気付かない。
何かが腰にぶつかる。

「あひッ!」
それは原型を留めぬ程に魔弾を打ち込まれた同僚の亡骸だった。
ひとつだけではない。
目をこらせば、辺り一面に同様のモノが幾つも幾つも転がっていた。

「 や…だ……  いやあぁーーッ! 」

小悪魔はその亡骸から離れるように、元々自分が居た方向へ這って戻り出した。
その小悪魔の前方上空で、魔道書が放つ白い光が、緑色の輝きを帯びる。

小悪魔はもう這うのをやめ、座ったままそれ見上げていた。
歯が噛み合わずにカチカチと音を漏らす口から涎が垂れる。
恐怖に瞬きを忘れ、見開かれたままの目から涙が流れる。
流れ降りてきた涙と、涎の流れが合わさり、煤で汚れた小悪魔のシャツの首周りを濡らした。

「 ひ… き……ッ」

おかしな声を漏らしながら、小悪魔は弱々しく首を左右に振る。
その表情は、まるで笑い顔の様に歪んだ泣き顔。
床につけた尻の周りに生暖かい液体が広がるが、小悪魔はそれに気付いていなかった。

緑色の閃光が無慈悲に弾けて、小悪魔に降り注いだ。




 *




ヴワル図書館の入り口前廊下。
かなりの広さを持つその場所が、大勢の怪我人と、それを介抱する者で埋まっていた。
そこに新たな怪我人が次々と運ばれて来る。

「中の様子はどうなっているの? 中央区画の小悪魔達は、まだ戻っていないの?」
苛立ちを含むパチュリーの声が、喧騒の中に響く。
一人のメイドが重苦しく口を開いた。

「……内部は高熱及び高魔力が充満しており、個別の生体反応の探知は不可能です。
 加えて魔道書と自律防衛用術式が暴走しており、非常に危険な状態です……。」

「咲夜と美鈴からの連絡は、まだなの!?」
問うパチュリーの声は、もう悲鳴に近い。
パチュリーは再び何かを叫ぼうとして、激しく咳き込んだ。
「パチェ、落ち着いて…」
駆け寄ったレミリアが、廊下に膝をついて喘ぐ友人の背中をそっとさする。

パチュリーは荒い呼吸を繰り返しながら、絨毯の一点を凝視する。
図書館内部の魔力の『うねり』が強過ぎる為、己の従僕と念話を交わす事も叶わない。
今は、中へ直接入っている者達に託すしか無かった。
こんな時に満足に動かない己の身体が憎く、情けなかった。
血が滲みそうになる程に、唇を噛む。
図書館内で起こりうる事態を予測できずに、何が幻想郷の知識人か。
己の大切な使い魔一人の安全も確保できずに、どうして使役主が務まろうか。
きつく閉じた瞼が、涙を目尻に押し出す。


突然、パチュリーはビクリと体を震わせると、ゆっくりと立ち上がった。
驚くレミリアを背にしたまま、おぼつかない足取りで図書館の扉へ歩き出す。
呆けた様な表情で歩くパチュリーの異様さに、周りのメイド達は声ひとつ掛ける事ができない。

未だ暗闇の中にオレンジの炎が揺らめく図書館の内部。
その中へ向かって飛び立とうとするパチュリーを、レミリアが慌てて背中から押さえた。
「駄目よパチェ! 落ち着いて!」
「離して! 今、小悪魔の、小悪魔の声が聞こえたの!」

パチュリーは確かに小悪魔からの念話を捉えた。
図書館内に荒れ狂う魔力の渦が弱まった訳ではない。
その渦を障害としない程、強い念が込められた小悪魔の叫びだったのだ。
その叫びが伝えて来る感情は、恐怖。

「行かせて! あの子が、小悪魔が危ないの! お願い離して!!」
レミリアは、これ程取り乱し大声を上げる友人の姿を見るのは初めてだった。
困惑しながらもパチュリーを押さえつけ、懸命になだめる。
「今の貴女が中へ行っても、逆に貴女の身が危なくなるのよ…判るでしょう?」
「 それでもッ! それでも行かせて! 早く、行かないと、あの子、が…  あ……  あ……… 」

パチュリーの中で、何かが ―――切れて、離れた。
それは、あの使い魔との<<繋がり>>。
それが断ち切られ、永遠に失われた事が、パチュリーには はっきりと感じられた。
どうしようもなく大きな喪失感が、胸中に広がっていく。

「……パチェ?」
暴れるのを止め、急に脱力したパチュリーを、レミリアは心配そうに覗き込む。

「………。」
パチュリーは何も答えない。
ズルズルと、レミリアの腕の中からずり落ちていき、床に座り込んだ。
「パチェ? どうしたの!? しっかりして、パチェ!!」


誰かが必死に何かを呼び掛けてくる声が、妙に遠くから聞こえる。
それもすぐに、パチュリーには届かなくなった。
パチュリーは放心した表情でうなだれる。
その眼下の絨毯に、幾つもの温かい雫がこぼれ落ちた。
紅い絨毯に広がていく染みは、元の色よりも、なお濃く紅い。
それはまるで、パチュリーが血涙を流しているかの様に見えた。








  • うわあああぁぁぁぁぁ -- 名無しさん (2009-03-18 02:01:06)
  • すばらしい -- 名無しさん (2009-05-20 00:03:42)
  • レミリアなんとかしろよ -- 名無しさん (2009-05-30 19:52:19)
  • 完成度高いな -- 名無しさん (2009-05-30 22:44:24)
  • レミリアへたれすぎるよ。
    何かやれよ。
    吸血鬼、燃えたくらいで死なないだろ。 -- 名無しさん (2009-08-23 03:05:42)
  • これ発火の原因って図書館への侵入を試みた魔理沙なんじゃね? -- 名無しさん (2009-09-18 18:36:17)
  • そうか魔理沙か……凄くあり得る -- 名無しさん (2009-09-23 02:39:57)
  • 魔理沙のマスパですね。わかります。
    ↑↑↑吸血鬼だって、少しは体が残らないと、復活できねーぜ?
    第一、復活能力だって「満月の夜」じゃないと発揮できないし。 -- 名無しさん (2009-10-08 13:07:08)
  • ゅにくろかりぃごまんぇん -- 赤屍奇 (2014-08-16 11:43:48)
  • おのれ魔理沙ゆ゛る゛さ゛ん゛!!! -- 名無しさん (2015-11-09 18:06:04)
  • こぁ様"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ -- こぁとにとりんは嫁 (2016-02-26 22:39:57)
  • …レミィさんや。


    運命で見ることは出来んかったのかい…? -- 名無しさん (2016-02-28 12:41:01)
  • レミリアの運命を操る程度の能力は
    役立たずだって言う事は東方ファンなら
    知っているはず。つーかただの勘違いだし -- 名無しさん (2016-02-29 01:29:30)
  • おいどんも東方ファンなのですが、本家はあまり知りませんな。
    運命を操る程度の能力って勘違いだったんでごわすか? -- キング クズ (2016-06-18 10:28:15)
  • レミィは友人としてパチェが危険な目に合うのを避けたのに・・・
    目から塩水が・・・ -- パエリア (2020-05-26 15:05:56)
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最終更新:2020年05月26日 15:05