万歳!
私にも終に志願受領証が届きました。
傲慢にして野蛮な地球人に対して、鉄槌を下す先駆けとなるのです。
役目は士気将校。
実質的命令権は持ちませんが、隊の象徴となって、
勇む者を先導し、怯える者を狂気で戦闘者に変えるのが私の役目。
私の力で、敵を倒せる!

その時は、そう信じて疑いませんでした。



出征の日、私は閲兵式に立ちました。
私は、神に、この時代に生まれたことを感謝したのです。
何百万という月の民が、最後の血の一滴まで戦い抜くと覚悟して、
自由と未来と平和のために、杵と臼を銃と剣に持ち替えて、
自発的に御旗の下に立ったのです。

戦争は、すぐに済むと皆思っていました。
野蛮な地球人など、優れた月の技術をもってすれば、
駆逐することは児戯に等しいと。
二週間。
中秋の名月までには全員が戻れると信じていました。

「中秋の名月にまた!
 お団子用意して、待っていて!」



向こうを、敵が歩いています。
まだ、こちらには気づいていません。
士気将校は、初めの一撃を撃ち込み、隊の象徴として敵を撃つこと。
それが、私に課せられた使命でした。
狙う必要などなく、
彼らに向けて、引き金を引けばそれで済みました。

パーン

乾いた銃声。
それを皮切りに、仲間が次々と駆けていきます。
私も、撤退命令を忘れ、駆けました。
弾を詰め、撃つ。
地球人は次々と倒れていきます。
気がつくと、ブレザーもミニスカートも返り血に染まり、
敵と味方が死屍累々と横たわっていました。

人を殺すことを、初めて実感した時でした。



塹壕は、ひどいものです。
乾いた土は、掘る側から崩れていくのです。
時々起こる雨と、湧き上がる地下水は、
冷たい泥となって、私たちの行く手を阻みました。
「塹壕を掘る」
たったこれだけのことに、
何万人という人間が動員され、
何千人かが、敵の狙撃に倒れました。
冷たい水は、皆に凍傷を起こさせ、
足が動かなくなった仲間から、敵の銃弾に散っていきました。

一人の、少年がいました。
私と同じように、志願して入隊したのだと言います。
「戦争が終わったら医者になって、沢山の人を救うんだ」
将来の夢を熱っぽく語ってくれた彼は、眩しく見えました。
隊の中で唯一、年下だったので、よくなついてくれました。
彼も、倒れました。
花を愛した彼は、
塹壕の側に咲いた一輪の花に気を取られた一瞬の隙を突かれたのです。

それでも、戦争は続きました。
遺体は、放置されました。
頭を一瞬でも出せば撃たれるこの状況で、
遺体回収などは、とても考えられなかったのです。
一週間。
少年の遺体は、ほとんどをネズミに喰われ、原型を留めなくなりました。
二週間。
少年の遺体に、わずかに残った肉から、ハエが生まれました。
三週間。
もはや白骨化し、見る影もありません。
傍らには、一輪の赤い花が、小さく咲いていました。

私は、彼の分まで生きようと決意しました。



私たちは、一つの街で、敗北を喫しました。
士気将校ゆえに、私は、護衛を付けられて、最優先で脱出を目指しました。
街の混乱は、頂点に達していました。
大通りも狭くて暗い路地も、財産を手押し車を乗せ逃げ惑う人でいっぱいで、
長い包囲により食糧は枯渇し、倒れ伏したまま動けずに、
手押し車に引かれていく子供たち。
人々の黒ずんだ眼下から覗くのは、憂鬱と絶望。
文字通り骸骨のような姿が ぞろぞろと際限もなく流れてゆくのです。

その時には、すでに敵が街の西の方へと入り込んでいました。
叫び声と泣き声が上がっていました。
彼らの、住民への残酷さといったらありません。
家から住民を叩き出し、家財道具はごっそり持って行き、
男は苦役、女は慰み物として、
子供と老人は、役に立たないものとして処理。
それが、日常と聞きます。
何人もの子供たちが母親から引き離されていきました。
母親はその場で拘束され、
子供たちは、車に詰め込まれています。
その車も、人が折り重なって人間の塊と化していて、
時折、ぴくりと痙攣のように動くほかはなく。

守るべき者たちが、そのような状況にある中、
私一人逃げなければならないのは、耐え難いものでした。



私たちの部隊は、敵軍の一部隊を孤立させることに成功しました。
そして、あれを見たのです。
彼らは、戦闘機に爆薬を詰め、特攻してきました。
カミカゼ、と言うそうです。
彼らは、死ぬのを覚悟していました。
私とて、入隊時に覚悟していましたが、まさか、あんなやり方で・・・。
敵軍の捨て身の特攻で、多くの死者が出ました。
敵の攻撃がやみ、総攻撃でその基地を占領した時、
もはや、生きている地球人はいませんでした。
総大将以下数人を残して突撃し、
数人は基地内で自殺を図り、全員戦場の露と消えたのです。
総大将は、その執務室の上で、
左手にピストル、右手に家族なのでしょう、
若く美しい女性と、幼い子供の写真を持って、
安らかな顔で死んでいました。
机の上の、
「すまない。帰れなくなった」
という書置きを残して・・・。

これが、「戦争」なのです。



多大な犠牲を出して、先年失った街を回復することに成功しました。
その、総攻撃の前日。
夕食時に、珍しく饒舌になった隊長は、
左薬指の指輪を見せて、
「俺、この戦争が終わったら、故郷の幼馴染と結婚するんだ・・・」
と、言っていました。
きっと、何か予感があったのでしょう。
隊長は、翌日の総攻撃で、帰らぬ人となりました。
即死でした。
指輪を握り締めたまま、前に進もうとうつ伏せになって死んでいました。
初めて戦陣に立った時から、
戦場の作法、料理、応急措置をはじめとして、
一つ一つ教えてくれた、私にとって父みたいな人でした。
私たちは、あの物静かで、やさしかった隊長の面影を思い浮かべながら、
唇を噛みしめて、遺体を故郷へと送りました。

ごめんなさい、許婚さん。
昨日、隊長が見せてくれた写真に、そっと謝りました。



もう、何年戦ったでしょう。
私の所属する部隊は、戦果が大きかったこともあって、
常に最前線に配属されました。
隊長は、3回、いや4回代わったでしょうか。
すべて、戦死でした。
仲間も、閲兵式の時に勝利を誓い合った戦友は、
既に全員、不帰の人となっていました。
私の「行こう!」の一声で、
何万もの味方が奮い立ち、全員突撃を敢行します。
一回の戦闘で、何千かが死亡し、
そして何千かの補充兵が送られてきます。
私は、「行こう!」の一声で、
いったい、何人の人を殺したのでしょう。
最低でも、二十万は下りません。
敵や民間人を含めれば、百万をゆうに超すでしょう。
私は、生ける死神でした。
たった一言で、大量の味方を殺し、敵を殺してきた少女。
周りが、士気将校としての役目の遂行を褒めるたびに、
私の心は、どんよりと暗く曇っていきました。
でも、一度戦場に立つと、私の中の獣の血が、
「殺せ、壊せ!」
と囁くのです。
自分の中の残虐性は、日々高まっていくように感じます。
それもまた、私にはつらいことでした。



そして、私は、戦場から逃げたのです。





               ――鈴仙・優曇華院・イナバの回顧録













  • WW1がモチーフかな? -- 名無しさん (2009-04-19 23:36:27)
  • いいよいいよ
    うどんげの『行こう』ならどこでも行っちゃるよ
    でも映姫様んとこは勘弁なッ! -- 名無しさん (2009-04-20 06:43:41)
  • NHKのドキュメンタリー「映像の世紀」のナレーション改変だな -- 名無しさん (2009-09-02 00:51:03)
  • 感動です -- 山美古 (2009-10-17 19:32:03)
  • WW1のドイツが元かな。
    よく出来てる -- 名無しさん (2010-04-06 21:11:31)
  • ↑追記
    なんとなく総帥っぽいんだよな。ウドンゲの立ち位置が。 -- 名無しさん (2010-04-06 21:13:44)
  • テレビで戦争のドキュメンタリー見ててさ祖父が深い溜め息吐いたんだ


    何か呟いてたけど聞こえなかった -- Aーfd (2010-04-06 21:35:33)
  • 皆フラグ立てすぎィ! -- 名無しさん (2014-08-23 00:10:11)
  • 死ww亡wwフwwラwwグww -- 名無しさん (2014-08-25 08:13:23)
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最終更新:2014年08月25日 08:13