「総領娘様はもう少し世間を知るべきです」

ある日、天界の深海魚、永江衣玖さんがそんなことを言い出しました。
対象はもちろん非想非非想天の悪餓鬼、天子ちゃんです。

「断るわ」
「何故?」
「私こそが世間だからよ。今更自分探しなんて馬鹿らしいわ」

天上天下唯我独尊なる言葉は彼女のためにあります。
此の世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば

「そうですか。でももう予約してしまったのです。行って来てください」
「どこに!? ていうか予約って何?」
「総領娘様が世間を知る7泊8日の研修プログラムです。八雲さんのお宅で」
「断固拒否よ! 行くもんですか!」

八雲の名を聞いた途端天子ちゃんが震え上がります。でもちょっと嬉しい。乙女心と秋の空。

「そんなに行きたいならあなたが行ってくればいいじゃない。…まぁ、行ってやってもいいけど…」
「そうですか、残念です」

涙声で言い、衣玖さんは立ち上がります。

「天界のお父様、お母様、申し訳ございません。衣玖如きでは総領娘様のお相手は務まりませんでした…」

断崖に近寄り、天を仰いで呟きます。靴を脱いできちんとそろえて脇に置きます。

「い、衣玖!? あなた一体何を!?」

天子ちゃんは驚いて衣玖さんに駆け寄ります。心の優しい女の子なのです。

「来るなあーっ!」
「ひっ!」
「それ以上近寄らないで! それ以上近寄ると飛び降りますよ!」
「おち、落ち着いて衣玖! 話し合いましょう」

何か切羽詰った様子で天子ちゃんを威嚇する衣玖さん。
訳がわからずとりあえず説得する天子ちゃん。

「何が不満だって言うの? 要求があるのなら言いなさいよ!」
「いえ、特には。…ああ、でも一つだけお願いがあります」
「…なに? 何でも言って。何とかするから!」
「いなくなってしまった秋姉妹のこと、時々でいいから思い出してください…」

ふわりと衣玖さんの体が宙に浮きます。
「さようなら」と、幽かに言い衣玖さんはそのまま落ちていきます。

「衣玖? 衣玖ぅーーーー!?」





「というわけでそこはかとなく断られてきました」
「それは残念だわ」

八雲邸。
お茶を啜りながら八雲紫と衣玖さんが向かい合います。

「私の考えが甘かったようです。総領娘様の世間は想像以上に強大でした」
「その場しのぎな調教じゃやっぱりだめなのねえ。
 そう思って今回は降伏点越えを狙ったプログラムを組んでいたのだけれど。残念だわ」
「およよ。私はてっきり破断点越えを狙っているものだとばかり」
「何を物騒な話をしているんですか」

お茶菓子を持って八雲藍が現れます。お盆をちゃぶ台におき、若草を紫と衣玖の前に出します。
ついでに自分の前にも置きます、お茶と一緒に。居座る気満々です。

「ただの例え話よ」
「総領娘様、比名那居天子を社会に慣れさせる訓練をお願いしていたのです」
「何もこんな社会に慣れさせなくても。知らないほうが良い世間もあると思うんだが」
「でもどうしましょう。困ったわ」
「仕方がないので私が研修を受けようと思うのですが」

何か決心した様子で衣玖さんが研修を申し出ます。
突然の申し出に驚く八雲二人。当然です。自分から責め苦に遭おうとする妖怪なぞ見たことがなかったのですから。

「どういうこと?」

震える声で紫が聞きます。藍は何かに怯えるような目で衣玖さんを見つめています。
衣玖さんは真剣です。自分が言い出したことなのです。
それなのに天子ちゃんを説得できなかったなんて失態以外の何者でもありません。
責任感の強い衣玖さんは何かしらの形で責任を取らなければと考えたのです。

「わざわざ時間をとっていただいたのに総領娘様を連れてこられなかったのです。
 この責任は私自身の身をもって取らせていただきたいのです」

静かに、だが力強い声で宣言する衣玖さんに八雲二人は一瞬で心を握られました。
今の今までこんなに責任感あふれる妖怪に会った事があるだろうか。…案外あるかも。

「…なるほど。天子が世間を知る研修ではなくて、永江衣玖が天子に世間を知らしめられるようにする研修にするのね」

涙を拭きながら紫が提案を受け入れます。だが藍は冷静です。

「いやいやいや。普通にキャンセルすれば良いじゃありませんか」

衣玖さんの身を案じてやんわりと断ろうとしてあげます。

「もう代金もらっちゃったのよ。今更キャンセルなんて泥棒だわ」
「返せばよいではありませんか。そんな無理しなくても」
「口に入れたもの返せだなんて、藍ってば以外と卑しいのね」

ポロリと藍様の爪楊枝からお菓子が落ちます。
にっこりと紫が笑います。もぐもぐ。

「え? これ? 代金?」
「ええ、そうよ。美味しいでしょう」
「美味しいです。じゃなくて」
「貰う物貰った以上やることやらないといけないわ。社会のルールよ」
「よろしくお願いします」
「えぇー!? なにこれぇー?」
「うるさいわよ藍。いつもの事じゃないの」
「そうです。いつもの事です。
 あ、お茶菓子追加いかがですか?」
「あら、今度は山川? 良いわねえ。藍、お茶の追加もお願いね」
「いや、だから…、…ああ、いつもの事か、いつもの事ですね、わかりました…。少々お待ちください」

何か吹っ切れたのか素直にお茶の補給に立ち上がる藍様。
じゃあ私も、と空気を読んでお手伝いを申し出る衣玖さん。
それを笑顔で見送る紫。
庭から不思議そうな顔をして様子を見ている橙。
家族愛あふれる素晴らしい光景。



こうして衣玖さんは八雲さんちで研修を受けることになったのです。

「まずは基本の炊事洗濯からよ、自分の世話が出来ない者に他者の世話なんて出来ないもの」

紫はまず衣玖さんの基本能力を測ることにしました。
現状把握をしっかりすることが目標達成への第一歩だからです。
しかし、我らが衣玖さんにとって基本的な家事など朝飯前です。
てきぱきと片付け、ついでに食材の調達や橙の世話などもやってその実力をまざまざと見せつけます。

「あなたがこんなに優秀だとは思わなかったわ!」

衣玖さんの仕事っぷりを見た紫はそう言って涙を流しました。
どじっこ衣玖さんがあわてふためき、
藍様が手取り足取り教えてやる微笑ましい光景を期待していた紫にとってこれは嬉しい誤算でした。
衣玖さんは藍様の手を借りなくとも十分過ぎるほどのスキルの持ち主だったのです

一方、面白くないのは藍様です。

「衣玖の料理は藍のよりも美味しいわ。特に味噌汁なんか」

なんて目の前で言われるのです。
今まで一身に紫の世話を担っていた藍様にとって面白いわけはありません。
先駆者としてこの状況を黙ってみているほど藍様は大人しくありませんでした。
つまり何か。凄惨ないぢめが始まるのです。

「誰が厚揚げなんて買ってこいなんて言ったよ、薄揚げだよ!」
「私のものと一緒に洗濯するなんて何やってるんだよ!」
「その靴下は別カテゴリだって言ってるだろ!」

何かにつけて細かいところをねちねちと指摘していきます。
分かるわけ無いだろう事もさも当然のように指摘していくのが鬼女クオリティ。怖い。

しかし、衣玖さんには味方がいます。基本的に正義は勝つのです。それは絶対に絶対です。

「藍、あなた少しうるさいわよ。何を神経質になっているの?」
「藍様怖いー」

思わぬ方向からの反撃に藍様はうろたえてしまいます。
味方だと思っていた者に後ろから撃たれる。そう言う衝撃。

「紫様、橙。そんなことを言ってはいけません。藍さんは私に至らないところを色々教えてくださっているのです」

そして、ここぞとばかりに藍を庇い、擁護する振りをしてその実蹴落とし自らの評価に持っていく衣玖さん。
実際衣玖さんにそのつもりはないのですが、藍様はそういう風に受け取ってしまいます。
ここで、黙っておけばよいものを余計なことを言ってしまいます。

「自分の垢で出汁とってる癖に…」

ぼそっと呟かれたその言葉にその場の空気が一変します。
ぴんと張り詰めた空気が辺りに充満します。

「そうね、でもだからこそ衣玖の汁は美味しいのよ」

そんな空気を一瞬で振り払ったのは紫でした。
衣玖さんの行為をあっという間に受け入れます。
そもそも知っていたのか、それとも今知ったのか。
どちらにしても藍様にとっては予想外の反応でした。それはそれは残酷なお話ですわ。

「橙、あなたは?」

縋り付くような目で藍様は橙を見ます。
いきなり駒を振られた橙はびくりと硬直し、あうあうと辺りを見渡します。
しばしの葛藤。その場の視線が橙に集中します。

「ごめんなさい」

しばらく後、橙が出した解答は藍様にとどめを刺すものでした。
すそそと衣玖さんに近寄り裾をキュッと掴む橙。

「衣玖様のお味噌汁の方がおいしいです」

背景に雷鳴が鳴り響き、藍様が硬直します。
信じていたものに裏切られる藍様は素晴らしいと思います。

「橙…」

悲しそうな声で一泣きし、目に涙を浮かべる藍様。
夏毛を纏ったたおやかな尻尾が力なく垂れ下がります。

「うわーんっ!! 家出してやるぅーーー!!」

泣きながら彼方へ飛んでゆく藍様。
途中でちらりと振り返り、誰も追ってこないことを確認すると一層むせび泣いて飛んでいきます。

「藍様…」
「藍…」
「藍さん…」

残った三人は可哀想なものを見る目で藍様を見送ります。
真っ青な夏の空は何処までも続いていました。



「かくかくしかじかで地上に落ちていったリュウグウノツカイを探しています」

博麗神社。
霊夢を前に天子ちゃんがなにやら説明をしています。
頭には大きなこぶ×2。桃でなくて。

「あのリュウグウノツカイね。この前紅魔館にいなかった?」
「いやいや、昨日今日の話で」

そんなのどかな日常会話が繰り広げられているところへワンワン泣き崩れる藍様が飛び込んできます。

「霊夢ー」
「おやスキマ妖怪の式。そんなに泣いてどうしたの」
「紫様がー、橙がー」
「まず涙と鼻水を拭きなさい。滞りなく終わったなら賽銭箱に賽銭を入れなさい。話はそれからよ」

ずびー、ちぇーん、ちゃりーん。

「終わったわ、聞いて頂戴」
「よし聞いてあげるわ。何の話?」

~少女説明中~

「良かったわね、リュウグウノツカイ見つかったじゃない」
「何?」

そこはかとなく説明が終わり、霊夢が天子ちゃんに笑いかけます。
そこでようやく天子ちゃんに気付く藍様。必死な人って周りにあまり気付かない。不思議。

「あなたの家に衣玖がいるのね」
「お前は!」

嬉しそうな天子ちゃん、驚いた様子の藍様。
それを見つめる霊夢は面倒ごとが一挙に解決してほくほく顔。

「お前が元凶だな!!」
「へ?」

ところが世の中とはそんな単純なものではなかったりします。
世間知らずな天子ちゃんにはなんで目の前の九尾の狐が自分を睨み付けているのかわかりません。

「お前が世間知らずでさえなかったらこんな事にはならなかったんだ!!」

天子ちゃんに飛びかかる藍様。訳が分からないままあっという間に捕縛される天子ちゃん。
霊夢はお茶を啜りながらその様子を面白そうに見守っています。

「どういうこと!? 何で私縛られてるの!?」
「お前を犯人…じゃなかったお前が犯人だ! 責任とれ」

目が血走っている藍様は天子ちゃんの言うことなんかお構いなしです。
一人でどんどんお話を進めていってしまいます。

「まあまあ、藍。落ち着いて。結局あなたは何をしたいの?」

冷静になだめながら突っ込む霊夢。

「決まっている。復讐だ!」
「天子にリュウグウノツカイを引き取って貰うのでなくて? 何でそんなことを」
「このまま終わったら紫様と橙の私への評価は低いままではないか! どっちが優れているか思い知らせてやる!」
「無駄に努力家ねえ。人からの評価を気にしすぎると小物に見えるわよ」

復讐に燃える藍様に対しあくまで冷静な霊夢。
スマキ状態の天子ちゃんは涙目で藍様と霊夢のやり取りを見つめるしかありません。

「で? 具体的にどうするつもりなのよ」
「分かり切ったことを。たっぷりといたぶってその動画をあの魚類に送りt」
「まてまてまてまて、捕虜虐待は国際条約で禁止されているわよ」
「日本語を話せ、ここは幻想郷だ。構うものか」
「私が構うわ。もう少し平和的な方法をとりなさい」

目の前で繰り広げられる怪しげな会話が天子ちゃんの精神を蝕みます。
地上って恐ろしいところ。

「あのリュウグウノツカイの目的は天子に世間を教えることなんでしょう?
 ならあなたが天子に世間を教えてやればよい」
「何故そんな利敵行為を」
「それで天子をあなたに懐かせればよいのよ。
 信じていたものが他人に懐く悲しみはあなたさっき味わってきたばっかりなんでしょう?」
「それだ」

相手がヒートアップしているのを良いことにうまいこと言って丸め込む霊夢。世間って厳しい。

「天子ーっ!」
「ひゅいっ!!?」
「私がお前を矯正してやる! いいか、これから私のことは藍様と呼べ!」
「はいぃ!」
「はい、ではない! いいか、これから返事をするときh」

ごすん、と御幣が藍様の後頭部に直撃します。
どさりと崩れ落ちる藍様。その背後から現れる霊夢の額には青筋が浮いています。

「やれやれ、少し冷却期間が必要ね」

藍様の両手両足を縛り、足にロープをくくり付けます。
ずるずると引きずって行き、ロープのもう片方を手近な気にくくりつけます。

「怪奇「釣瓶落としの怪」~」

ぽーい、と藍様を井戸に放り込む霊夢。
どっぱーんと水音が聞こえてきます。世の中ってホント怖い。

「さて天子、世間を知るためにはお仕事をしてみるのが一番よ。
 と言うわけであなたには一週間ほど巫女をさせてあげるわ」
「巫女!?」
「世話は藍に頼むわ。せいぜい頑張って世間を知りなさい」
「え? 霊夢は? 霊夢は面倒見てくれないの?」
「何で無償で面倒見無いと行けないのよ、
 私は神社を貸す報酬として天界で一週間のんびりとさせて貰うわ」

嬉しそうに笑って霊夢はどっかに飛んでいってしまいます。霊夢の世間はそれで良いのか。



こうして、八雲邸には衣玖さん、博麗神社には天子ちゃんと藍様が居座るという謎の構図が完成しました。

「いいか、天子。博麗神社の巫女として生きていくためにはまず金に貪欲であることだ」
「サー、イエッサー!」
「いや、それはもういい」

帽子を脱ぎ、脇を露出させた巫女服を纏った天子ちゃんと藍様。
形からはいるのはとても大事なことです。

「ここは何時から稲荷神社になったのか」

天子ちゃんと藍様が気勢をあげている時、神社にやってきた者が居ます。

「おや、どこぞのハクタク。何か用か?」
「いや、定期的に参拝しておかないとここの巫女は孤独死していそうなのでな。餓死的な意味で」
「見たか天子、これが世間の優しさだ。厳しい一方でこういう優しさもあるんだ」
「何の話をしている。その前になんでお前が巫女をしている。あとそっちのちびっ子は誰だ」
「天界から世間を知りに来た天人だ。よろしくしてやってくれ」

一方、八雲邸。
衣玖さんはわずか数日ですっかり八雲邸になじみ、とても平穏な暮らしを謳歌していました。

「ここの障子は空気の流れを遮っています。出来るだけ開けるようにしておきましょう」
「衣玖、頼んでいた結界の補修はしてきてくれたの?」
「午前中に終えました。ついでに近くに住む妖精に日常的な点検をしておいてくれるように頼んでおきました」
「うう…、優秀だわ…」

「衣玖様ー」
「おや橙、どうしたの?」
「河童さんにお魚を貰ってきました。御夕飯にどうですか?」
「まあ、良かったわね。今夜はこれを使ってご飯を作りましょうか」

流石どっかでメイド長の経験もあると噂の衣玖さん。パーフェクトです。

こうして、各自目的達成のための充実した一週間が経過していくのです。



「本当に帰っちゃうの?」

一週間がたって、研修を終えた衣玖さんが天界へと帰る日がやってきました。
残念そうな声で衣玖さんに訪ねる橙。
そんな橙に衣玖さんは優しく話しかけます。

「ええ、衣玖はただ研修に来ただけなのです。
 名残惜しいのは私も同じだけれどずっといるわけにもいかないもので」
「そうよ橙、今生の別れというわけでも無し。また来るわよ」
「うう~」

衣玖さんと紫の説得に不服そうながらも渋々下がる橙。
伏せった両耳が橙の思いを代弁しているようです。

「また来ますから。その時はまた三人で楽しくお茶でも飲みましょう」
「本当に? 絶対だよ」

微笑ましい会話。そんな良い雰囲気に乱入する者が居ます。

「そこまでだこの深海魚!」

言わずもがな。藍様と天子ちゃんです。
巫女装束でどーんと登場です。

「藍!? どうしたのその格好?」

紫が驚きの声を上げます。息が荒くなり肌が上気します。息切れでしょうか。

「橙と紫様のハートを鷲掴みにしたつもりだろうがそうはいかない。
 こちらはお前の大切な天人を人質にとっているんだ!」
「藍様ぁ~。お慕いしておりますぅ~」

ごろごろと喉を鳴らしながら藍にすりすりしている天子ちゃん。

「総領娘様、地上に降りて一体何をしていらっしゃるのですか」
「うふふ~、天子ねぇ。衣玖が構ってくれないから浮気しちゃったぁ~」
「なにあの気持ち悪いの。藍の調教の趣味は全く持って理解できないわ」

冷めた目で見る紫。怯えている橙。真っ青で何か震えています。

「馬鹿なことやってないで帰りますよ」
「嫌~。天子は藍様と一緒にいるぅ~」

衣玖さんの呼びかけに対し天子ちゃんは子供のようにだだをこねます。
そんな天子ちゃんを見て衣玖さんの怒りが有頂天になります。

「天子様、あまりふざけていると本当に見捨てますよ。私は別に構わないんですからね」

ゴゴゴと背景に書いてありそうな雰囲気を醸しだし衣玖さんが笑顔のまま告げます。

「それでは、少し邪魔が入りましたが一週間ありがとうございました」

紫を振り返り最後にお礼を言う衣玖さん。
橙に笑顔で手を振ると、そのまま宙に浮き空へ飛んでゆきます。

「え? あれ?」

驚いたのは藍様です。嫉妬してくるかと思ったのに淡泊な反応しか返ってこなかったからです。

「え? 衣玖? 衣玖ー?」

同じように天子ちゃんも驚きます。
もうちょっと真剣になって心配してくれるかと思って演技していたのに拍子抜けです。
天子ちゃんが地上から衣玖さんに呼びかけますが衣玖さんは聞いている風も見せません。

「衣玖ー、衣玖ってばぁー!」

大声を張り上げますが衣玖さんは振り向きもしません。ぐんぐんと空を上っていくのみです。

「ほらほら、置いていかれちゃうわよ。天子ちゃん」

ニヨニヨしながら紫が天子ちゃんに話しかけます。
あうあうしながら衣玖さんと藍様、そして紫を順番に見る天子ちゃん。

「あなたのしたいようにしなさいな。そうでしょう? 藍」
「…。そうですね。天子、自分に素直になりなさい」
「藍様…。いいの?」

不安そうに藍様を見上げる天子ちゃん。
そんな天子ちゃんに藍様は微笑んであげます。

「…。あ、あの。今までありがとうございました」

そんな藍様を見て天子ちゃんは不安そうな顔から一転笑顔に戻ります。
ぺこりと藍様にお辞儀をして、衣玖さんの後を追いかけます。

「衣玖ー! 待ってー!」

元気の良い声を上げて衣玖さんに追いすがる天子ちゃん。
衣玖さんはその声に動きを止め振り返ります。
追いついてきた天子ちゃんとなにやら二言三言言葉を交わし、
今度は二人仲良く手をつないで空に上っていきます。

地上では八雲一家が皆そろいもそろって優しそうな目で見送ります。

「さて、振られちゃったわね、藍」
「紫様…。いえ、構いませんよ。これがきっと一番なのでしょう」

そう言って、藍様は紫に背を向けます。

「藍? どうしたの?」
「紫様、藍は家出中の身です。おいそれと戻るわけにはまいりません」
「そんなこともうどうだって良いじゃないの、ねえ、橙」
「藍様。戻ってきてください。橙はまた藍様のお味噌汁飲みたいです」

優しく語りかける紫と橙。
藍様はそれを聞いて肩を震わせます。
けれど再び振り向こうとはしません。

「藍。戻りなさい。これは命令よ」
「藍様」

紫が命令口調で言い、橙が藍様に抱きつきます。

「…はい」

涙声で藍様の声が聞こえてきます。
それを聞いて紫と橙に笑顔が戻ってきます。
八雲一家もこれで元通り。
紫は嬉しそうに藍様の頭を撫でてやります。





「はい、ご飯ですよ」

その日の夜。食卓には久しぶりに藍様の作った食事が並ぶことになりました。
藍様にとってはいつも通りの、紫と橙にとっては久しぶりの献立です。

「うん、いつも通り良い臭いだわ。それではいただきましょうか」
「いただきまーす」

紫と橙が嬉しそうに箸を付けます。
それを見守る藍様もとても嬉しそうです。

「…?」
「………」

しかし、まず一口味噌汁に口を付けた紫と橙の手が止まります。
何か思うところがあるのかそっと椀を置きます。

「紫様、橙?」
「何か違うわ」
「むー」

難しい顔をして味噌汁を見つめる二人。

「美味しいことは美味しいのよ。ただ、何か違うのよ」
「むー」

衣玖さんの味噌汁の味が忘れられないのでしょうか。不満をこぼす二人。

「今度は藍の研修が必要かしら」
「藍様、ごめんなさい。不味いって訳じゃないんです」

そんな二人を見て藍様はショックから立ち直れません。
がくがくと震えて畳の目を数えています。

「それによく見たらこの味噌汁毛が入っているわ。藍…、あなたまさか…」
「えっ!?」

追い打ち。びくんとふるえる藍様。何か酷く怯えています。

「嘘よ、毛なんて入っていないわ。冗談よ、冗談」
「びっくりしたー」

紫がけらけらと笑いますが、藍様の様子は変わりません。
次第に紫からも笑い声が聞こえなくなってきます。

「…藍? …あ、あなた…、まさか本当に…?」
「…藍様?
「え? ちょ、ちょっと? 藍? あれはリュウグウノツカイだから出来る芸当なのよ?
 フナ女房って話聞いたことあるでしょう? 魚類だからこそOKなのよ?」

肩を掴んでがくがく揺さぶる紫。さーっと青ざめる橙。
そんな中で藍様のふるえが大きくなっていきます。
口元が歪み、堪えきれないように声が出てきます。

「…プッ、ク、クク、フフッ」

突然笑い出す藍様。笑い声は次第に大きくなり、やがて腹を抱えて笑い出します。

「信じましたか? 冗談に決まっているでしょう。いくら何でもそのくらいの分別はありますよ」
「ら、藍!? あなた謀ったわね!」
「藍様!?」

ほっと安堵したような声が響き食卓に笑いが戻ってきます。

「でも、彼女の味噌汁の方がおいしいのは事実ですね。
 研修まではするつもりはありませんが私も日々腕を磨いていこうと思います」
「流石は私の藍だわ! その意気よ!」
「ついては紫様も一緒にどうですか? 橙は強制で」
「えー」
「えー」

初夏の涼しい空気の漂う八雲邸。
その食卓からはいつも通りの楽しそうな声が聞こえてくるのでした…。










  • なんていい話しなんだ -- 名無しさん (2009-05-29 21:08:49)
  • あったけぇ -- 名無しさん (2009-05-30 12:43:07)
  • いいねぇ -- 名無しさん (2009-05-30 15:27:52)
  • これはいい -- 名無しさん (2009-07-05 16:37:47)
  • てんことテンコー・・・ -- 名無しさん (2009-07-06 01:48:20)
  • いい話だが藍さまいぢめのような。。いや可愛いからいいが -- 名無しさん (2009-08-14 09:48:26)
  • ・・・ところで秋姉妹は? -- 名無しさん (2010-02-25 22:13:05)
  • 藍さまの巫女装束・・・ -- 名無しさん (2010-04-15 23:30:27)
  • ずびー、ちぇーん、ちゃりーん。
    に吹いたww -- 名無しさん (2010-07-13 17:04:19)
  • 今回は平和だったな -- 名無しさん (2011-02-28 17:17:43)
  • 八雲藍にはざまぁだか後半は気の毒しか思えんな。 -- 動かぬ探求心 (2013-10-02 08:56:50)
  • 平和だねぇ -- ルパン三世 (2016-06-17 19:00:33)
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