少女たちの方を振り返らずに、僧は続ける

『信長、織田右府どの、本朝(わがくに)おいて最も魏武※に似た、そして法敵であり…』

『堕ちた道理、道理なき理(ことわり)のもと、その才を発揮した方』

『相国入道どの、つまり平清盛の才を思わせ、また、それを超えるほどの方。
 入道どのはじめ平家一門も無道を行い、寺社を焼いた方もありましたが…』、

『ただ、入道どのには神仏への崇敬がありました』

『かたや、右府どのにはこれがない。卿※以上に任ぜられた者としては、本朝にて稀なる修羅です。
 下々の者ではそのような者も、ままありましょうが…』

律(修羅ってことはほめてるんだよな?)

紬(たぶん、貶されてると思うわ…)


※魏武…中国は三国時代の魏の武帝いわゆる曹操
※卿…日本では、参議および三位以上の太政官の位を指す
   ようするに身分が特に高い人

法敵…仏教に対する敵

『そして、入道どのも、右府どのも、この地で、
 苦しんで、あるいは愉しんで、おりまする』

『どこにおわすかまでは分かりませぬが…』

澪「えっと、あの、苦しんで…」

澪「あるいは、たのしんでる、というのは?」

『この地は地獄ではないのです、秋山どの』

『苦しむのも愉しむのも、その者たちが、そう欲するからなのです』

『だいぶ進みましたが、もう少しです』

少女たちはどのくらい進んだのだろうか?
この世界に来てより、時間の流れを掴むことができない

紬「崖、それとも丘?」

一行は見晴らしのよい場所に出る
このあたりが特に高地であることが分かる
目下は緩やかな下り坂で、その先の低地のほうを窺い知ることが出来る


少女たちの目下もまた荒涼とした場所
けれど、数百メートル四方の範囲のなか、数十の物体が臨める
この距離ではまだ、点としか認識できないが
各点から成る総体は、一定の図形を形成しているようにみえる

梓「何かありますね…」

澪「一定の間隔で、何十個か並んでるみたいだ」

『八十一尊になります』

紬「はちじゅういちそん?」

『はい』

僧は首肯すると、坂下へと歩みを進める

『まずは、ここを下りましょう』

下り坂を少女たちは続く

そして、降りはじめて数十歩来たとき

『水辺傍に…伸び…る、実りの時節に…豊か…な…果実を…生む木…ではなく…
 物事を…飲み…込んでは…決して…吐き戻すこと…なき…、すべてを呑む…渦流…』

澪の耳元に聞こえてくる声
先導する僧のものではない

澪「え…??」

律「ん、なんかあった…か?」

警戒心を少し強くして、律は体に力を込める

澪「あ、ええと…声が聞こえたんだ、私たちや和尚様のとは別人の…」

『乱されることのないように』

これは澪だけに聞こえた先ほどのものではなく、僧の声だ
振り向かず、歩みを止めぬまま、僧は続ける

『この地においては、目に見えるものだけではありません』

『六処(五感と意識)すべてに訴えかけてきましょう』

下るにつれ、風はいよいよ砂塵を巻き上げるが
視界を妨げられるほどではない
先ほど高所から眺めた物体に近づいていく
数百メートルの範囲で、まず正面に七つが、水平かつ等間隔に並んでいる
そしてその後方に、点々といくつもの物体が控えるようにして見える

紬「真ん前のは、人のかたちをした像?」

梓「傘みたいなのを持ってますね」

澪「他のも、人型をとってるような…」

律「…」

律は数秒視線を凝らし、

律「!!」

目を剥いた

律「ちがう、そんなんじゃない、あれは骸骨だ」

梓「り、りつせんぱい…?」

律「よくみろ、あれは、何かの像なんかじゃない」

律「服だか布だかを着てるけど…人の骨だ」

律「並んでるほかのも、たぶん…」

目をさらに細める律

律「たぶん似たようなもんだ」




律「坊さん、あれをあたしたちに見せたかったのか?」

律「あれは…なんなんだよ?」

僧は足を止め、体を返し、少女たちに向き直る

『田井中どのの申されるとおり』

『かの方々は、愚僧が紬どのたちに見ていただこうとしたもの』

『この地におわします、無量の御仏(みほとけ)のうちの…』

『八十一の御尊です』

少女たちは、"それら"に近づき、"それら"の間を縫うように進む
"それら"の一つ一つの前で立ち止まり、畏れと恐れと惧れをもって"それら"を眺める
少女たちの視線に、"それら"が応える素振りはない
"それら"は、骨、というわけではなく、乾き切った死体のように見える
胡坐か、それに近いかたちで座したまま、煌びやかな、あるいは簡素な布―さまざまな法衣を纏い、
宝具を手にし、あるいは指と手で印相を結び…

『諸仏はこの場で、入定されております』

『ここには八十一の如来と菩薩がおわします』

『ここを中心として、諸方に、無量の諸仏が、』

『さらには、無量の声聞、縁覚までも座しております』

僧の言葉にも少女たちの視線にも
この者たちが応ずることはなく…
この者たちは、死んでいるのか、生きているのか?
いや、輪廻の環を離れ出た抜け殻?
それとも衆生救済のための媒介なのか?

荒ぶ風は、目前の、胡坐で座る"仏"の法衣を 
小さく、はためかせる
(この"仏"は、肋浮く胸部を肌蹴るようして納衣を纏い
 丸めた手は逆手をとって、四指と四指を合わせ、
 足の上に置かれている)



干からびた姿を眺め通すことに耐えかねて
少女のうちの一人は、顔と視線を上空のほうへ逸らした

梓「…」

雲のなく、やや暗い、夕暮れのような空
不安をいや増すような空も、今はそれほど目に重くはない

梓「?」

空を望洋するうちに、少女が何事かに気づく

梓「あ…」

梓「なにかが…動い、てる?」

雲なく赤い空に、透き通すような半透明ともいえぬ
何か、が蠢いていた

梓「あれは…何?」

律「…ん?」

紬「?」

澪「…」

他の少女たちも空を見上げる


かたちあるようで、かたちなく
緩やかに、けれど領(し)り踏むように

梓「何か、分からないものが動いてるんです…」

澪「…」

何ものとも分からないのは、この地も、この地にある/いるものたちも、また同じく

紬「透明なアメーバみたいな…」

『あそこにおわされるのは、五十八十(いおやそ)の、我々の神々です』

紬「あの蠢いているようなものが…かみさま?」

『神々は原初(はじめ)のころのかたちへと還りました』

僧は目前の人型から視線をはずし、上空へとうつす

頭上のはるか上にうごめく
くらげのような浮脂のような、半透明の流体
体を湾曲捻曲させては、ただようよい流れる

しばらくの間、目を細めるようにして上空を仰ぎ見続けたかと思うと
僧の視線は地へとかえり

『この仏の御顔に目を移してご覧ください』

目前の"仏"へ少女たちの視線を誘う

『この、御顔の、眼のあたりです』

そこは空洞となった眼窩
若緑色の小さい芽、のようなものが、すっと生えていた
大きさは、少女たちの小指の先ほど

紬「これは何かの…植物の芽?」

『その葦芽こそが』

僧の厳峻とした顔つきは柔やかさを帯び

『神々の生まれ出でようとするはじめ』

『はじまりのかたち、です』

その右手は緩く開かれて、この葦芽へと差し伸ばされる


しかりけれど

その心根が浄化さるるまで

人の生は全うし得る値無き




紬「え?」











汝らは神々しくありて

その言葉(ことは)は 汝らを見入る人垣に満ち

彼らが苦悶をやさしく鎮める






仏の眼窩にあった、葦芽のようなものが
急に背丈を伸ばしたかと思うと
次々と幹を生やし葉を生やし、胴を肥やして大樹となり
八色の花々を無数に咲き宿して…
「メタモルフォーシス」

「今朝の足元の夏蝉の抜け殻と屍骸の」

「八年瀬の殯から這い出て、八日のうちにに死する」

「八苦を覚えるものなく」

「咲いては枯れ、鳴いては朽ちる」

「君(きみ)が覚えぬのなら、童(わたし)が覚えましょう…」

大和人の古里、我々の想うアルカディアがあるならば、それは今ここ

木々の覚めやらぬ新緑、そのいろかたちの映えること

木々の連なる森、林に沿うように低木と葦の栄える

一季には花々が、また一季にはその果実(くだもの)が成し生える

七五歌にうまく納まるような景色

紬「…」

紬「ここは…」

紬「…」

紬「みんなが…いない!?」

そこは世界のかたちだけでなく、その中身、中のかたちさえも、
先ほどに少女たちがいた場所とは違う

『ここは未だ踏まざる美神の在る野所(ところ)』

紬「慈円和尚さま!?」

聞いたことのある声

紬が振り向くと、そこには族父とは姿似つかぬ男が立っていた

『紬どの、ままなりませ』

声こそは慈円和尚そのものであったが、
姿かたちは髪は金色で顔かたちは彫り深く、縦に細い
明らかにヨーロッパ人種のそれであった

紬「あなたは…?」

紬は体を向きかえると、そう尋ねた

『私は、ティトゥス・ルクレティウス・カルス』

『貴方の母君の遠き父祖の、弟にあたるものです』

紬「!?」

紬「お母さんの、ご先祖様…!?」

『正しくは、あなたやあなたのお母様の族父(おじ)でありますが、
 些細なことでしょう』

ティトゥス・ルクレティウス・カルス…大カエサル(ジュリアス・シーザー)とほぼ同時代の人
                  エピクロスの哲学を叙事詩のかたちでまとめあげた


『紬どの』

『神々の戦い(テオスマキア)の場へ、ようこそ!』

神々の戦い…すなわちテオスマキア。
      概念の、人間の実体的行動以外の戦いの、つまり対立と争いの概念


紬「テオスマキア…?」

少女には意味不明の言葉

『紬どの、人間は次第に神々の戦いについて明晰になりつつあります』

『かたや人間自体は一寸たりとも、”まし”なものにはなってはいませんが…』

『私の生きた時代から紬どのの時代まで二千年が過ぎていますが、
 人間は、そのかたちも中身もまったく変えておりません』

『表情だけはかなり変わったようですが』

『けれどこれも狼と飼い犬の違い、のようなものでありましょう』

『Homo homini lupus(人間は人間に対し狼である)』

『と、世間に膾炙しております』

『人間の尊厳、これがために、テオスマキアは一層激しく繰り返されてきました』

紬「…」

この男の口にすることを、少女はほとんど理解できない

紬「それよりも、みんなはどこに…」

深い緑と、所々の花々や果実の彩り
周りの木々、花々が友人たちの居所を教えてくれるはずもなく

紬「みんな…」

『紬どの、それでは参りましょうか』

紬「え、えっと…」

『友人方のところへ』

密集した樹冠のために空の色さえ伺えうことができない

ほの暗さとも違う、森林の昼間(ちゅうかん)

どこまで、どこまでも、続くのか途切れるのかも分からない

そんな嫌気と不安がうずき始めるまでもなく…

深いと思い込んでいた樹海は突然にひらける


紬「え…」



アリアードネー!!

アリアードネー!!

血濡れた双斧

迷宮の奥の奥

雄牛の密儀、ティターンの子ら



英雄と姫

賢者と暴君

勝者と敗者

神々と犠牲

厭わしきは倣岸

Festina lente

sat celeriter fieri quidquid fiat satis bene...


律「あぁ…、ロミオ、ロミオ…どうしてあなたはロミオなの…?」

律「あなたのお父様に屈せずに、その家名をどうか捨ててください…
それとも、あなたがその名を捨てぬというのなら、
あなたが私を愛すると誓ってくれるのなら…
私がキャピレットの名を捨てましょう」

少女が独白する中、もう一人の少女は物陰で自問する

澪「このまま聞きつづけようか?、
  いや…すぐさま声をかけようか?」


※未完