そろそろ電車が来る時間だ。
「行かなくちゃ」
「行くな」
「ここにいろよ」
「明日は仕事だ」
「サボっちゃえよ」
「ダメだよ、そんなの。大人として」
「いいだろ、それくらい」
律は手を離してくれない。
「律…ありがと」
「大丈夫。もう大丈夫だ」
律は何も言わずに下を向いたまま私の手を握っている。
「本当だ。本当にもう、大丈夫だから」
本当。私は大丈夫。
生きてゆける。
こうして律が…強く私の手を握ってくれた。それだけで。
律の手の温かさを忘れずにいられたら、私はきっと、大丈夫。
律のカバンから軽快な音が鳴り出す。
「オイ、律。電話じゃないのか?」
「…いい。大丈夫」
「私のことはいいから電話に出ろよ」
「いいってば」
「…アイツからなのか?」
「…」
律は電話に出ようとしなかった。
けれど一瞬、私を握る力が弱くなった。
その時私はスッと手を引き、
私たちの手と手が離れた。
電話が鳴り止む。
「電話、してやれよ」
「ああ、あとでな」
冷えきっていた手は律のおかげで温かさを取り戻していた。
「行くよ」
「…」
何も言わず俯いたままの律に背を向けて、私は歩き出した。
「…信じていいのか?」
後ろから律が私に声をかける。
「本当に大丈夫なんだな?」
振り返ると、律は顔をあげていた。
気のせいか、瞳は赤くうるんでいる。
「うん、本当だ」
「そっか」
律は笑った。私も笑った。
「そうだ、律」
「なんだ?」
「さっき言わなかったことだけどさ」
「うん」
「私さ…
律のことが好きだ、」
ようやく、言えた。
「近くにいても、遠くに離れていても。
昔も、今も、
これからも、ずっと。
律のことが好きだ」
律は一瞬ちょっと驚いた表情をしたけれど、すぐにニカッと笑って言った。
「うん。知ってた」
「そっか」
「あったりまえだろ!わかるよ、澪のことは……なんだって…でも」
「でも?」
「うれしい!すっげーうれしい!」
「そっか」
「私も、澪のこと大好きだぞ!」
律がどういう意味で私の言葉を受け取ったのか、それは私にはわからない。
ただこれだけはわかる。律の好きと私の好きは違う。
律が恋をしている相手は、私じゃない。別の誰かだ。
そしてその誰かも律に恋をしている。
二人は愛し合って、結ばれる。
いいんだ。もういいんだ。
踏切の信号機が鳴りだした。
雪のせいで電車が遅れていたらしい。
どうやら間に合ってしまいそうだ。
「じゃあな。少しだけど、律に逢えてよかったよ」
「私も澪に会えて嬉しかった。次はゆっくり会おうぜ」
別れの挨拶を交わし、振り返ることもなく、急いで電車に駆け込む。
電車が出発してからしばらくたつと、指先はまた冷たくなっていった。
律の体温はもう、残っていなかった。
おわり。
おしまいです。
以前書いたものの加筆修正ですが、一応澪誕SSです。
お付き合いくださりありがとうございました。
最終更新:2015年01月18日 23:11