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20時ちょっと前。律から電話がかかってきた。

『悪い!今近くまで来てるんだけど、雪のせいで渋滞しちゃっててタクシー動かないんだ…悪いけど間に合いそうにない!』

「…わかった。私も急に会いたいなんて言って悪かったよ。
 今後帰ってくるときは前もって連絡するようにするな」

『ホントごめんな…次はゼッタイにこの埋め合わせするから!』



それでも私は待っていた。

律はもう来ないって、わかっているのに。
私はまだ店を出る気にならなかった。

もう少し待とう。
もしかしたら律が来てくれるかもしれない。
律は近くまで来てる、って言ってた。

あと少し…あと少し待っていたら律が…。



……
………
…………
……………
………………
…………………
……………………


20時半を少し回った。律は来ない。

私は店を出た。外では雪がちらちらと降っている。


私は風邪を引いたのだと嘘をつき、仕事を休んだ。
いや、風邪気味だったのは本当だ。
やっぱり半乾きの髪をそのままに、冬空の下、あわてて帰ったのはよくなかった。

有給休暇を使うのははじめてだった。


寒いので少し早足で駅まで向かう。雪のせいか、人通りが少ない。

着の身着のまま帰郷したものだから、手袋を忘れてきた。
そのせいで、手が冷たくて仕方ない。

律の言った通り、道は混んでいる。
ついてない。こんな日に限って雪が降るなんて。


昔はいつでも一緒にいたのになぁ。
あの頃、逢いたい時に律に逢えない日がやってくるなんて想像もできなかった。



サク



 サク


サク

   サク
サク…
  サク…サク…



雪を踏みしめる足音が近づいてきたことに気がつき、私は立ち止まった。
そして空を見上げて大きく息を吸う。

それから、うつむいて息を吐き、唇をきゅっと結んで、振り返った。


「よ、久しぶりだな、律」

「うわっ!なんでわかったんだ!」

「…わかるよ。律の足音は」

「ハァハァ…エスパーかよ…せぇーっかく驚かせようと思ったのになぁー」


そう言って律はいたずらっぽく笑った。

きちんとメイクをして、カチューシャなしに前髪を綺麗に整えた律はすっかり大人の女性の雰囲気をたたえていたけれど、
笑顔は私の知る明るくてキラキラした律の笑顔そのものだった。

どれくらい走ってきてくれたのだろう。
随分と息が荒い、いくつもいくつも白い息を吐きだした。


「お、おい、大丈夫か?」

「…いや…もう…走った方が…ゼェゼェ…早いと思ってさ。
 店に寄ったらもう…澪いなかったし、急げば間に合うかなーって…」

「まったくもう…無理するなよな…」


胸の奥の方から温かいものが広がっていくのを感じた。


「だって…澪に会いたかったから。
 このチャンスを逃したら今度いつ会えるかわかんないし」

「おおげさだな、律は。逢おうと思えばいつだって逢えるだろ」

「何言ってんだ。けいおん部OGの集まりにもぜーんぜん顔出さないくせに。
 唯もムギも梓も、みんな寂しがってるぞ」

「ああ、ゴメンな…忙しくてな…」


ずっと逢うのが怖かった。
律に逢うことで、自分の本心に気づいてしまうのが怖かった。

律だけ避けて他のみなに会う不自然をごまかすために、私はずっとけいおん部の誰とも会わないようにしてきた。


「6年振り…だったっけ?」

「7年振りだ。梓の卒業以来」

「ありゃ?そうだったっけ?…そぉかぁー私たちも年取るわけだよなぁー…」

「そうだな。でも律も大人になったな」

「そう?」

「うん。ホント。それにきれいになった、びっくりしたよ」

「…な、なんだよ急に…///誉めたって何にも出ないぞ?」


頬を赤く染めながら照れる律。こういうところは昔から全然変わらないな…。


「いいよ。何も要らない。律に逢えたんだから。私は十分だ」

「おっと、忘れるところだった。渡すものがあったんだった」

「なんだ、やっぱり誉めたお礼に何かくれるのか?」

「いや…そうじゃなくて…」


そういいながら律はカバンの中をごそごそとあさると、可愛らしくラッピングされた小箱を取り出した。









「澪、誕生日おめでとう!…はい、これ」

「え…」

「ごめんな。今日会えるってわかってたら、もっといいもの準備できたんだけど」

「プレゼント買うために寄り道してて澪に会えなかったら元も子もないところだったぜ…」


「あれ…澪?」


「あらら?」


「…あれー…泣いてるの?秋山さん?」


「泣いてない!ちょっと風邪気味なだけだ!」

「ホントかなぁー??もしかして感動しちゃったー??」



鼻をズルッとすすって私は顔をあげた。



「律のバカ」

「バカとはなんだ、バカとはー!」


バカ。こんなことされたら、もう…私…


「誕生日プレゼントなんて、もうそんな歳じゃないだろ、私たち」

「ま、そうかもな」

「…でも」

「…でも?」

「…すごくうれしい。ありがと、律」

「…へへ」

「覚えてくれてるとは思わなかった」

「覚えてるに決まってるだろ。毎年ちゃんとメールしてるじゃんか」

「…そうだったな」


言わなくちゃ。
今、言わなくちゃ。

これを逃せば、きっと一生伝えられない。


「なぁ、律」

「なんだ?澪」

「今日帰ってきたのには理由があるんだ」

「どうしたんだよ、改まって」

「約束…覚えてるか?」

「約束…」

私は覚えてるよ。

「ああ、覚えてる」

…覚えてて、くれたんだな。

「伝えたいことが…あるんだ」

「実は、私も」


まさか、まさか、ね。でも、律も…律も私と同じ気持ちなら。


「澪から言えよ」

「いいよ、律から言って」

「澪から」

「律から」

「いや、ここは『秋山さん』からでしょう!」

「学校か!バカなこというな。じゃんけんするぞ。負けたら先に言う」

「わかった。じゃーんけーん…」

「「ぽん!」」

私はグー。律は…チョキ。

「私か…」

「なんだ?伝えたいことって?」

「うん…私な…」

「うん」

「私…」
























「結婚するんだ」






















「…え」

「って言ってもまだもうちょっと先のことだけどな…」

「…そうか」

「まず誰よりも先に、澪に伝えたかったんだ」

「約束…しただろ?」

「…うん」私は小さく返事をした。

「あ、ちなみに相手は……」


大学時代からずっと付き合っていたらしい。
初めて付き合った相手と結婚か。よかったな、律。


「ゼッタイ別れると思ってたよ」

「うお!ひどい言い草!…ま、でも確かにアイツに私はモッタイナイかもな!」

「逆逆!愛想つかされないように気をつけろよ」


落ちてゆく気持ちを持ち上げて、必死で軽口を叩く。

足ががくがくと震えるのはたぶん、寒さのせいだけじゃない。
私、ちゃんと笑えているかな?


「おめでとう…律」

「ありがと、澪」

「よかったな、好きな人と結婚できて」

「ん…ああそうだな。ずっと…好き………だったからな」


年甲斐もなく頬を真っ赤に染める律。
いくつになっても少女のようだった。


「式では澪に何か余興をやってもらいたいなー」

「それはヤダ」

「思い出ビデオには伝説の学園祭のライブを…」

「やーめーろ」

律…律…もう手に届かないところに行ってしまうんだな…律…。

「じゃあ次は澪の番だな」

「ん?」

「いや、だから澪の番」

「何?」

「何か伝えなきゃいけないことがあるんだろ」

「あ、ああ…」

それはもう、何の意味もないことだった。

「やっぱりいいよ」

「は?なんだそれ…」

「大したことじゃないから。ちょっと律をからかいたかっただけだ」

「はぁ!?久しぶりに会ってすることかよ…」

「昔から散々からかわれてきたんだ。たまにはいいだろ?仕返ししたって」

行かなくちゃ。もうすぐ電車がやってくる時間だ。

「私はてっきり…

 澪も結婚するって話だと思ってたよ」


「……知ってたのか」


「澪ん家のおばさんに聞いた」

風が。冷たい風が吹いている。

「なぁ~んで言ってくれないんだよ?」

「…別に、大したことでもないから」

「大したことだろ」

「大したことじゃないよ。結婚くらい、ほとんどの人がしてることだろ?」

「まあそりゃあ…そうだけど…さ」


伝えなくちゃいけないことは、伝えられない。
知られたくなかったことは、知られてしまった。


「お祝い…したいじゃんか」

「…ありがと」

「結婚式、日取りがかぶらないようにしないとな」

「…そうだな」

「呼んで…くれるよな?」

「…もちろんだ」

この話、やめようよ、律。こんなこと伝えるために帰ってきたんじゃないよ。

「あのさ」

「ん」

「もしかしてだけど…」

「…嫌なのか?」

「え?」

「結婚、したくないのか?」



したくないよ。
私は律といっしょにいたい。
昔みたいに律といっしょにいたい。
今ままで我慢してた分、これからずっと、側にいたいんだ。


「そんなわけないだろ」

「なら…いいけど」

言えるわけない。律のしあわせを壊したくない。

「大丈夫か?」

「何が?」

「いや、その…いろいろと。急に帰ってくるしさ。
 結婚するのにちっとも嬉しそうじゃないし…心配になるだろ」

「やさしいな、律は」

大きく息を吸い込んで、吐き出して、言葉を紡ぐ。
笑顔をつくりながら。

「私は大丈夫。元気だよ」

ちゃんと、笑えているかな?

「…なあ澪」

「その…相手のこと…好きじゃないのか?」

「…」

なんで…なんで…どうして?「好き」って言えないのだろう?
どうしても言えない。
やっぱりこういうときに…嘘がつけない。
だって好きじゃないもの。私が…好きなのは…


「辛かったら…結婚、やめちゃえよ」


「無理だよ、今さら」


「好きな人じゃなきゃ、イヤなんだろ」



律…あのときのこと…、覚えててくれたのか?



「逃げちゃえよ」


「できないよ」

律は私の手を握った。ぎゅっと、力を入れて強く握った。

「…つめた。凍っちゃいそう」

「…心があったかいんだよ。私は」

「ハハ…唯がそんなこと言ってたな、高校ん時だっけ?」

律は俯いてじっと手を見ている。重なった手。私と律の手。



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