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私は恐れていた。

同性愛者として、世の中からどのような目で見られるのか…その視線を恐れた。

恋をすることなく、普通に生きることに退屈さを感じながら、
「普通」からはみ出し、
「みんな」から違ってしまい、
「異端」として罵られることを。
好奇と嫌悪の目に見られることを恐れていた。



あれから…曜子との関係は続いている。

但し、二人きりで逢うのは、一週間で一度だけ。
曜日は決まっていない。
私から誘うことはない。
でも彼女に誘われたら私は断らなかった。
その日が無理なら別の日に必ず二人で逢うことにした。

再会したあの日と同じように、レストランで食事をし、ホテルのバーでお酒を飲み、夜を明かした。
周囲から見れば仲のよい友人にしか見えなかっただろう。

曜子は私にまとわりつくような行為は一切取らなかった。

困らせるようなことは何もしない。
逢うのは必ず一週間に一度。
メールも電話も必要最低限。
どこに行きたいとも、言わない。
逢うのはいつも同じレストラン、ホテル。

彼のことをとやかく言うような愚かなことも何一つしなかった。



それが却って不気味だった。




私は曜子の手のひらの上でもて遊ばれているようだった。
ゆっくりと、しかし確実に絡めとられてゆく。
そうして彼女から離れられないようにさせられていった。


私はいつのまにか、曜子から連絡が来るのを、彼女に逢う日を、心待ちにするようになっていた。


私は曜子に恋をしていたのだろうか?


未だに恋とは何かわかりかねている私にとって、
そのときの自分の心の動きを恋と名付けてよいものかどうか判別できなかった。

もし私が曜子に恋をしているのだとしたら、長年の疑問に答えを出すことができる。私が今まで恋をしなかったのは…相手を男性に限定して考えていたからだ、と。

けれどそれは私にとって恐るべき真実だった。

恋を知らぬこと以上に、世間から白眼視されることの方が、
私にはよほど恐怖だった。
だから私は真実をねじ曲げ、奥底に押し込めようとした。


「ねえ澪。私、あなたの彼に会いたいわ」

ある日、曜子の口から、恐れていたひと言が漏れた。

「やあね、そんな引きつった顔をして。何もしやしないわよ」

曜子はカラカラと笑った。私は嫌だと断った。

「嫌ならいいわ。その代わりもう澪とは二度と逢わない」

私は押し切られるようにして、二人を引き合わせた。
彼は、私と曜子の偶然の再会を興味深く聞き入って相づちを打った。
へえ、そんな偶然もあるものなんだね、と。

昔から仲が良かったの?と聞く彼に、曜子は笑顔で答えた。


「そうなんです。私たち、高校時代親友だったんですよ」

「でも大学が別々になってから連絡が途絶えちゃって…再会できたのは運命なのかもしれませんね」

「最近よく澪には付き合ってもらってるんです…私、澪のことが大好きなんです」


そういって曜子は私の方を見た。
その表情にはいつも通り蠱惑的な笑みが浮かんでいた。



彼は私の高校時代を知らない。
昔、音楽をやっていたこと、女子高にいたことくらいしか知らない。

唯のことも、ムギのことも、梓のことも、そして、

律のことも、知らない。

曜子と私が高校時代親友だったと言われて信じてしまうくらい、
彼は私のことを知らない。


その日の晩。曜子から電話がかかってきた。
シャワーを浴び終えたばかりだった私は、慌てて電話を取ると、職場から呼び出されたと嘘をつき、まだ湿っている髪もそのままに彼のアパートを飛び出した。


曜子は私のアパートの前に立っていた。

「ごめんね、急に」

「困るよ」

私は不愉快な感情を隠さなかった。
曜子がこんな行動を取るのは初めてだった。
私は今まで私が築いてきた「普通」の生活が揺らぎ始めていることに恐れを感じていた。


「あら、髪、湿っているじゃない」

「いいよ、そんなこと、どうでも」

「よくないわ、風邪ひくわよ。冬だもの。1月よ、今」

「そんなことどうだっていいって言ってるだろ。なんで急に電話なんてしてきたんだ」

「何を怖がっているのよ」

「何も怖がってない」

「怖がっているわ」

「怖がってない!」

「大きな声を出さないで…取りあえず中に入れて。いいでしょ?」


扉をあけて、私が先に部屋に入る。
私について部屋に入った曜子は後ろにまわして右手で鍵を締めた。


「ねえ、澪」


後ろから声をかけられて振り向くと、不意をつかれて唇を奪われた。


「キス、したくなっちゃったから♪」

「やめろよ、そういうことするの」

「あら、何言ってるの?こういうことするの、大好きなくせに」

「バカなこと言うな」

「何怒ってるのよ。本当なら澪が私に怒られなきゃいけないところよ」

「なんで私が怒られなきゃならないんだよ」

「私は今日一日、恋人が別の男といちゃつく様子を見せられていたのよ、
 つらかったわ。とてもつらかった」

「お前が会わせろって言ったんじゃないか!」

「そうよ。でもいざ会うと、やっぱりつらいものよ」

「勝手だな」

「勝手よ。でも恋ってそういうものじゃない」

「私にはわからない」

「そうね、澪にはわからないわ。嘘ばっかりついてる澪にはね」

「私は嘘なんてついてない」

「そうね、澪は正直なところもあるわ。だって私の誘いを絶対に断らないもの」

「…それは」


「認めたくないの?
 そうよねずっとそうやって大事なときに嘘をついて、
 自分を偽って、逃げるのね。
 『まとも』じゃなくなくなっちゃうのが怖いんでしょ?
 無理よ、あなた。もう『まとも』じゃなくなっちゃっているわ。

 今更なによ。

 昔からずっと、あなたは嘘ばっかり。
 そしてこれからも嘘をつき続けるの。

 『まともな』フリをし続けるためにね」

「…何が言いたいんだ」

「本当にわからないの?」

「わからない」

「結婚するんでしょ、あの男と」

「…聞いたのか」

「聞いたわ。あなたが席を外した時にね。喜んでいたわよ、彼」

「…」


私はため息をついて、ソファに座り込んだ。
曜子はコートも脱がず立ったまま、私を見下ろしている。


「隠していたわけじゃない。そのうち言おうと思っていたんだ」


「別に私、そんなこと気にしないわよ。澪が結婚しようが、しまいが」

「…そうなのか?」

「関係ないわよ。だって私、澪と結婚したいわけじゃないもの」

「それに結婚してもしなくても…

 どうせ澪は私を捨てるわ」

「…そんなことは」

「あら、本当?
 じゃあ一生、私の側にいてくれる?」

「…」


何も言い返すことができなかった。曜子はいつものように私の瞳を見て、言った。






「うそつき」










「…用事はなんなんだ。呼び出したんだから何かあるんだろ?」


私は話題を変えた。こんな話をするために、呼び出したんじゃないだろう。


「来てくれて嬉しい、本当に嬉しいわ。
 少なくともあの男よりは私のことを愛していてくれるのね」

 それともなにかしら。
 私があなたたちの『しあわせな結婚』を邪魔するとでも思った?
 それで必死になって駆けつけたのかしら?」

「本気で怒るぞ」

「怒りなさいよ。
 澪、あなたには本気で私を怒ったりなんてできないわ。
 だってあなた、私を愛していないもの。

 愛していないことに後ろめたさを感じているわ。
 欲望に溺れてただそれを目当てに私と付き合っていることに、
 罪の意識を感じているでしょう。違う?」


私は我慢ができずに曜子の頬をはたいた。
乾いた音がして、彼女の横顔が赤く腫れた。


「あら。少しはかっこいいこともできるのね」

「…バカにするな」

「ついでだから、もう一つ教えてあげるわ。

 私ね、言っちゃった♪」


曜子はたのしそうに、本当にたのしそうに笑って言った。


「あなたの彼にね、『私は澪と付き合っているんです』って♪」

「な…」

「最初はね、理解できなかったみたい。
 だからね…丁寧に説明してあげたの。
 私と澪が、どれだけ逢瀬を重ねているか…
 どれだけ互いを求めあっているのか…。

 ウフフ…傷ついてたみたいね~♪自分の婚約者が浮気してた…しかも『女』と」


私は何も言い返すことができない。


「あら?もしかしてまったく気づいてなかったの?
 さっきまで彼と一緒にいたんじゃなかったの?」


いたさ。でも…わからなかった。私の目にはいつもと変わらないように見えた。


「あらあら…澪ったら、本当に彼のこと、何一つ見ていないのね。
 どうなっちゃうのかしらね?あなたたち。
 結婚、ダメになっちゃうかもね」


音を立てて崩れていく。
大切なものを代償にして、手に入れたいと願った『まともな』人生が。


「アハハ、いい気味よ。罰が当たったのよ」


曜子の甲高い笑い声が、部屋中に響いた。


「澪、あなたはこれまで一体、どれだけ多くの人を傷つけてきたのかしら?これはね、その報いよ」


私の目を強く見据えて、言い放つ。


「あなたは、きっと誰にも愛されない。
 目の前の相手を愛したフリだけして…それが嘘って気づいたとき、
 相手がどれだけ傷つくと思う?
 ずっと嘘をついて、たくさんの人を傷つけて…
 どれだけ罪を犯したかわかっているの?
 それなのにまるで純粋無垢なフリをして、
 これからも嘘をつき続けて…『まともに』生きていこうなんて…」








『わたしはぜったいゆるさない』












今まで必死で守ろうとしてきたことが、全て壊されてしまった。
恋を知らず、そして「まともに」生きていくことも叶わず。


「でもね澪。私はそんなあなたが大好きよ。愛しているわ、澪」


曜子は私を…自分から離れられなくしようとしているのだと思った。

私はもう、それでもいいような気がしていた。
「まともに」生きていくことができないのなら、曜子と生きてもいいように思えた。彼女なら…彼女だけは、私を愛してくれる。

誰か一人でも私を必要としてくれたなら、それだけで私は生きていける。


「だからね、あなたのことが大好きだから…今日はね、どうしても伝えたいことがあったの」









「私たち、別れましょうか」
















「澪に逢うのはこれで最期。もうあなたの前には現れないわ」

「なんで…私が結婚するからか…?」

「ううん」

「じゃあなんで…」

「傷つけてやりたかったからよ」


「なんで…なんでそんな…」


「私だけは、あなたのことを愛していると思った?」

「……」


「そうよ。愛しているわ、澪。
 だからあなたと別れるのよ、あなたのためよ。

 狂ってしまいなさいよ、外れてしまいなさいよ。
 『まともに』生きようなんて…あなたには無理なのよ。

 恋をしたらね、狂ってしまうの。

 澪、あなたはずっと、恋をしていたでしょう?
 狂っていたのよ。それなのに本心を閉じ込めた。
 だからあなたの恋心はいびつに歪んでしまった。

 そうやって苦しんでるあなたを見ているの…ツラかったわ。
 だからなんとかしてあげたかった。

 無理をするのはやめなよ…そんなのちっとも『まとも』じゃないわ。

 私はね、傲慢なことを言うようだけど、これが私の役目だと思っているの。

 あなたのこと、大好きだから。愛しているから。
 澪を愛している私だから、あなたを縛り付ける鎖から解き放ってあげなきゃいけないって思っているの。



 素直に、なりなよ」






曜子の瞳は赤く潤んでいた。
彼女が泣くの見るのは、はじめてのことだった。



「ねえ、澪。
 少しは…ほんの少しくらいは…私のこと、好きだった?」

「…………ああ」

「そう。ありがと。
 でも…『好き』って言葉に出して言ってはくれないのね」


私は自分でどうにもならないくらい残酷らしい。
いつも嘘ばかりついているくせに、なんで肝心なときに…やさしい嘘をつくことくらいできないのだろう。


「わかってるわ。私は澪を抱くことを、澪は私に抱かれることだけを望んだ。
 ただそれだけの関係でしょ。それも今日でおしまい」

「…ごめん」

「いいのよ。私が澪をそうしたんだから。

 …こうしてね、まだ澪が私に抱かれたいと思ってくれているうちに、
 澪の身体が私を覚えているうちに、別れを告げようと思っていたの。

 それに…あなたを傷つけてやりたかったの。

 そうすれば、澪は私のことを覚えていてくれる。
 ずっと忘れずにいてくれる。
 忘れられるのは悲しいもの。高校生のときみたいに。

 今日だって、呼び出せば必ず澪はやってくるってわかってた。
 あなた、ホントにエッチなんだから」


曜子は笑った。
でもその瞳にはいつものように私を惑わせる光は宿っていなかった。


「私…こうして澪のこと…『秋山さん』じゃなくて『澪』って下の名前で呼ぶことができるだけで…本当に幸せだったわ。

 ありがとう、澪」


「ありがとう、曜子。曜子に逢えて、私、よかった」

「うそつき。あなたのうそにはもう、うんざりだわ」


そう言いながら言葉とは裏腹に、曜子はフッとほほえんだ。
そして、スッと手を伸ばし、私の二の腕を掴んだ。


「ほら、行くわよ」

「え?どこに!?」

「決まってるじゃない。
 桜ヶ丘に帰るのよ」

「はぁ!?何で?!」

「はいこれ、高速バスのチケット」

「おい!いつの間にこんなもの…何なんだよ一体!」

「善は急げっていうでしょ、ほら、もたもたしない!」


曜子は強引に私を連れ出してマンションの外に出た。
そこにはもうタクシーが待ち構えている。


「思ったより待たせちゃったわ。悪いことしたわね」

「ちょ、ちょっと!わけがわからないよ!ちゃんと説明してくれ!」

「いつまでもうじうじしてたら何も変わらないの。
 私みたいに行動に出さないとダメ」

「え?」


そうして私をタクシーに押し込むと、駅に向かうよう運転手に言付けた。


「さよなら、秋山さん。
 ちゃんとお膳立てしたあげたんだから、気持ち、伝えないとダメよ」



『さよなら。秋山さん』



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