シコ・ブアルキ_年表_作品入り


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シコ・ブアルキ 年表_個別作品入り

1944年──7月19日にリオデジャネイロで生まれた。本名は、フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ。社会学者/歴史学者のセルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダとピアニストのマリア・アメリア・セザリオ・アウヴィンの間の7人の子供のうちの4人目として生まれた。

1946年──父セルジオがイピランガ博物館の館長に任命され、一家はリオからサンパウロへ転居。

1949年──音楽への興味を示しはじめ、ラジオ歌手の写真の切り抜きを集めたアルバムを作る。

1953年──父セルジオへのローマ大学での講師の依頼があり、家族でイタリアに転居。シコは作曲するようになり、カーニヴァルのマルシャ調の曲を書いた。学校では英語を、街ではイタリア語を話し、3カ国語を操るようになった。

1954年──イタリアのブアルキ邸には、ブラジル文化を代表する著名人が訪ねてきて、その中に、後にシコの共作者かつ良き友人になるヴィニシウス・ヂ・モライスもいた。またこの年、イタリアからブラジルへ戻った。

1955年──ブアルキ一家は再びサンパウロで生活を始めた。家は、有名なサッカースタジアムのパカエンブスタジアムの近くだった。シコは、コレジオ・ダ・サンタクルス(初等・中等学校)に入学した。

1956年──最初のオペレッタを書き上げ、年下の妹たちと一緒に歌い演じた。

1958年──文学少年で、特に古典を愛好していたシコだが、父の書斎から取ってきた、マリオ・ヂ・アンドラーヂの『Macunaíma』のとても貴重な初版本を、廊下で見せびらかして学校で叱られた。宗教運動の「Ultramontanos」に加入した。

1959年──ボサノヴァから、特にジョアン・ジルベルトから強い影響を受けて、初めて作曲した。曲名は「Canção dos Olhos」。しかし、シコは自分の音楽家としての作品集の最初の作品は、1964年の「Tem Mais Samba」からだと考えている。両親は、シコをミナスの地方の学校で1学期学ばせた。サンパウロに戻ると、ホームレスに食事と毛布を配るOAFという団体に参加した。

1961年──学校で発行していた新聞でエッセイを初めて発表。彼と友人が「朝のサンパウロをドライブするために」車を盗み、逮捕される。一晩、留置所で過ごし、18歳まで夜の外出を禁じられた。

1963年──サンパウロ大学の建築都市計画学部に入学。3年後に、母方の祖母の孫が街をデザインしているのを見たいという願いにフラストレーションを感じて、退学。他の退学の要因としては、1964年の軍事クーデター以降の大学の重苦しい雰囲気も理由だった。

1964年──コレジオ・サンタクルスで初めてコンサートを行った。
「Tem Mais Samba」をはじめ、ミュージカル「Balanço de Orfeu」用に作曲した。同年、コレジオ・ヒオブランコのホールで、「Primeira Audição」という、若い世代の音楽家が披露するためのコンサートがあり、シコは「Marcha para um Dia de Sol」など数曲披露した。

1965年──デビューシングルをリリース。収録曲は「Pedra Pedreiro」と「Sonho de um Carnaval」。
ジョアン・カブラル・ヂ・メロ・ネトの戯曲『Morte e Vida Severina』のミュージカル化のために、詩にメロディーをつけた。
サンパウロ州のカンピーナスで行われた「O Momento É a Bossa」というイベントに出演し、初めて出演料をもらった。
●デビューシングル発売 

1966年──「A Banda」が、テオ・ヂ・バロスとジェラルド・ヴァンドレーが作曲した「Disparada」とともに、Record社の主催の第二回Festival de Música Popular Brasileiraで第一位に選ばれた。リオに引っ越し、デビューアルバム『Chico Buarque de Hollanda』を発表。また、舞台『O Patinho Feio』のために、はじめて子供向けの曲を発表した。後に結婚するマリエタ・セヴェーロ・リンスと知り合う。
●デビューアルバム発売 Chico Buarque de Hollanda
●アルバム発売 Morte e Vida Severina

1967年──サンパウロに滞在しTV Record社の音楽番組『Pra Ver a Banda Passar』にナラ・レオンととともに出演。レオン・イルスズマン監督の映画『Garota de Ipanema』に、トム・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モライス、ナラ・レオン、ホニエ・ヴォンらと共に出演し、俳優デビュー。演じたの彼自身の役。サンパウロの名誉市民の称号を受け取り、ミロー・フェルナンデスが70年代のシコに存在感を評した「única unanimidade nacional(唯一の全国全階級に愛される存在)」に変わっていく。
●アルバム発売 Chico Buarque de Hollanda vol. 2
▲舞台公開 Roda Viva(脚本)

1968年──リオデジャネイロで、軍政に反対する「10万人デモ行進」に参加。すぐに自宅にて勾留され、軍部へ連行されデモ参加への理由を問いただされた。「Benvinda」が第4回ブラジル歌謡音楽祭で優勝した。12月に「すべての狂気が生まれつきではないし、すべての英知が使い古しでもない」という文章を発表。伝統的なサンバに拘る彼への批判に対する彼からの回答だった。
●アルバム発売 Chico Buarque de Hollanda vol. 3

1969年──妻のマリエタ・セヴェーロと共にイタリアに亡命。そこで、夫婦の三人の娘のうちの長女の、シウヴィア・セヴェーロ・ブアルキ・ヂ・オランダが生まれ、ヴィニシウスが代父になった。トキーニョをイタリア公演で共演するために呼び寄せた。またアメリカの女性ジャズ歌手のジョセフィン・ベイカーの前座としてツアーを一緒に回った。反軍政色の強かった週刊誌の「O Pasquim」に、時々記事を寄稿した。

1970年──ヴィニシウスの助言があり、ブラジルに戻るが、とても騒がしい帰国となった。空港では多くの友人がシコの帰国を歓迎した。2人目の娘の、エレーナ・セヴェーロ・ブアルキが生まれた。軍政を批判の曲「Apesar de Você」を作曲。奇跡的に検閲を通過し、禁止されるまでに多くの人に届いた。「Cento Recreativo Vinicius de Moraes」を設立。サッカーチームのPolitheamaを発足。
●シングル発売 Apesar de Você
●アルバム発売 Chico Buarque de Hollanda - Nº4

1971年──検閲とコンクールを広告に利用とした軍政の試みへのプロテストとして、第6回国際歌謡曲コンクールの登録を他の参加者とともに抹消し、TV Globo社と絶縁した。アルバム『Construções』を発表し、当時としては爆発的に売れた。
●アルバム発売 Construção

1972年──サルヴァドールのカストロ・アウヴィス劇場で、カエターノとともに歴史的なコンサートを行う。カカ・ヂエギス監督の『Quando o Carnaval Chegar』にナラ・レオン、マリア・ベターニアとともに主役として出演。全曲の音楽を書き下ろす。ミュージカル『Homem de la Mancha』をルイ・ゲーハとともに翻案する。
●アルバム発売 Quando o Carnaval Chegar
●アルバム発売 Caetano e Chico Juntos e ao Vivo
▼映画公開 Quando o carnaval chegar(脚本共作、出演、音楽)

1973年──ルイ・ゲーハとともに舞台『Calabar - Elogio da Traição』を書き上げるが、検閲で禁止された。ジルベルト・ジルとの共作曲の「Cálice」が、所属レーベルPhonogramから禁止された。イタリア亡命中に考え出した、サッカーを題材にしたカード・ゲームのLudopédioを発売した。カカ・ヂエギス監督の映画『Joanna Francesa』のために曲を書き下ろす。
アルバム発売 1973: Chico Canta
▲舞台 Calabar (ルイ・ゲーハとの共作)(完成するも検閲により公開できず。上演許可が出たのは80年。)

1974年──1作目の短編小説となる『Fazenda Modelo』を発表。音楽面では、検閲を通過するために、偽名のジュリーニョ・ダ・アデライヂという人物を考え出した。この名前で「Acorda, Amor」「Jorge Maravilha」「Milagre Brasileiro」を登録した。1975年に、ジョルナウ・ド・ブラジル紙で真実が明かされた。
●アルバム発売 Sinal Fechado
■著作出版 Fazenda Modelo

1975年──9月17日に、3番人目の娘のルイーザ・セヴェロ・ブアルキ・ヂ・オランダが誕生。マリア・ベターニアと、リオのカネカォンで、長期間にわたった公演を行った。ギリシャ神話から着想を得た戯曲「Gota d'Água」を執筆。公演では、ビビ・フェレイラが主役を演じ、シコはこの年の最優秀演劇作家としてモリエール賞を受賞。ウーゴ・カルヴァナが監督した映画『Vai Trabalhar, Vagabundo』に同名の曲を作曲し提供した。
●アルバム発売 Chico Buarque & Maria Bethânia ao Vivo
▲舞台公開 Gota d'Água(脚本共作)

1976年──ブルーノ・バヘト監督の映画『Dona Flor e Seus Dois Maridos』に「O Que Será」を作曲し提供。
●アルバム発売 Meus Caros Amigos

1977年──71年の一件以来、TV Globo社の番組で6年間シコの曲が使われなかったが、「Maninha」がノヴェーラ『Espelho Mágico』で取り上げられた。ウーゴ・カルヴァン監督の『Se Segura, Malandro』のために「Feijoada Completa」を作曲。戯曲『Ópera do Malandro』を執筆し、同戯曲のための各曲も作曲した。
▲舞台公開 Os Saltimbanco(脚本、音楽)
●アルバム発売 Os Saltimbanco

1978年──2月にはじめてキューバを訪れた。Casa de las Americasの文学賞の審査員として。ブラジルに戻ると、妻のマリエタと共に、軍政府の尋問に苦しんだ。
●アルバム発売 Chico Buarque
▲舞台公開 Ópera do Malandro(脚本、音楽)

1979年──映画のために多くの曲を作曲した(ミゲル・ファリアJr監督の『República dos Assassinos』やカカ・ヂエゲス監督の『Bye Bye, Brasil』などを含む)。演劇用には、ヂアス・ゴメス監督の『O Rei de Ramos』ために「Dueto」を提供するなどした。イラストはドナテラ・ベルレンヂスが描き、始めてとなる子供向けの絵本を発表した。絵本のタイトルは『Chapeuzinho Amarelo』。
●アルバム発売 Ópera do Malandro
■著作出版 Chapeuzinho Amarelo

1980年──バレリーナのマリレナ・アンサウヂの依頼で、演劇『Geni』への曲を作曲した。ポルトガル共産党の公式組織である「Avante」のイベントや、アンゴラでプロジェクト「Kalunga」に参加した。そのプロジェクトには国中の計64人以上のブラジル人アーティストが参加した。そのコンサートの売り上げは、病院の建設に使われることになっていた。アルゼンチン人の映画監督マウリシオ・ベルーが『Certas Palavras』というシコ・ブアルキについてのドキュメンタリー映画を完成させた。同映画にはカエターノ・ヴェローゾ、マリア・ベターニア、ヴィニシウス・ヂ・モラエス(最後の映像記録となった)、トキーニョなども出演した。
●アルバム発売 Vida

1981年──セルジオ・バルドチやアントニオ・ペドロ、テレーザ・トラウチマンとともに映画『Saltimbancos Trapalhőes』の使用曲を作曲、脚本を執筆。映画には、ヘナート・アラガゥン、デデー・サンタナ、ザカリアス、ムセンらが出演し、歌はルシーニャ・リンスが歌った。
●アルバム発売 Almanaque
▼映画公開 Saltimbancos Trapalhões(脚本共作、音楽)
●アルバム発売 Saltimbancos Trapalhões


1982年──エドゥ・ロボとともにバレー『O Grande Circo Místico』のために曲を書き下ろし、それらの曲を収録したアルバムは翌年リリースされた。父のセルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダが79歳で永眠した。
●アルバム発売 Chico Buarque en Español

1983年──サンバ「Vai Passar」が大統領の直接選挙を求める運動「Diretas Já」のテーマ曲のようになり、自身も運動に積極的に関わった。9年ぶりに、アルゼンチンのブエノスアイレスのルナ・パークでコンサートを行った。
●アルバム発売 O Grande Circo Místico
▲舞台公開 O Grande Circo Místico
▼映画公開 Para Viver um Grande Amor (脚本共作)

1984年
●アルバム発売 Chico Buarque

1985年──シコの演劇をベースにしたルイ・ゲーハ監督の映画『Ópera do Malandro』の製作に全面的に関わり、脚本と新曲を執筆した。また、エドゥ・ロボとアウグスト・ボアル脚本・演出の舞台『O Corsário do Rei』のために新曲を書き下ろした。
●アルバム発売 O Corsário do Rei
●アルバム発売 Malandro
▼映画公開 Ópera do Malandro

1986年──テレビ番組『Chico e Caetano』でカエターノと共に司会をした。同番組は7ヶ月間続いた。
●アルバム発売 1986: Trilha Sonora do Filme "Ópera do Malandro"

1987年
●アルバム発売 Francisco

1988年
●アルバム発売 Dança da Meia-Lua

1989年──「Trapaças」をウーゴ・カルヴァナ監督の映画『Amor Vagabundo』ために書き下ろした。同映画に、かつての偽名だったジュリーニョ・ヂ・アデライヂの役で少しだけ出演した。
●アルバム発売 Chico Buarque

1990年
●アルバム発売 Chico Buarque ao vivo Paris Le Zenith

1991年──Companhia das Letras社より、処女小説『Estorvo』を発表し、同作は名誉ある文学賞のJabuti賞を受賞した。同作はすぐに、フランス、イタリア、イギリス、ドイツ、スペイン、アメリカ合衆国、ポルトガルの7カ国で出版され、ポルトガルでは三日間で7500冊売り上げるという記録的な売り上げを記録した。
■著作出版 Estorvo(初の小説)

1993年
●アルバム発売 Paratodos

1994年──93年末にリリースされたアルバム『Paratodos』のコンサートを行う。社会学者のエルベルチ・ヂ・ソウザが牽引した国家規模のキャンペーン「Campanha Nacional contra a Fome e Pela a Cidadania(飢餓撲滅と市民権を求めるキャンペーン)」に参加した。

1995年──2作目の小説『Benjamim』を発表。批評家からの厳しい批評にも関わらず、ベストセラーとなった。
●アルバム発売 Uma Palavra
■著作出版 Benjamim

1996年──8月24日に、リオデジャネイロで、初孫であるフランシスコ・ブアルキ・ヂ・フレイタスが誕生。長女のエレナ・ブアルキとバイーア出身の音楽家のカルリーニョス・ブラウンの間に生まれた。「Paz no Futebol(サッカーにおける平和)」キャンペーンに参加。

1997年──30年続いたマリエタ・セヴェーロとの結婚生活に終止符。
●セバスチアゥン・サウガドの写真集「Terra」の付属CDを制作

1998年──マンゲイラが、シコへのオマージュをテーマにたパレードを行った。ワールド・カップ期間中に、パリから新聞に寄稿した。長女とカルリーニョス・ブラウンの間に、シコにとって2人目の孫となるクララ・ブアルキ・ヂ・フレイタスが誕生。
●アルバム発売 As Cidades
●アルバム発売 Chico Buarque de Mangueira

1999年──『As Cidades』のコンサートを年間を通じて行う。ブラジル国内以外にも、アルゼンチン、ウルグアイ、ポルトガル、フランス、イギリス、イタリアで公演を行った。
●アルバム発売 1999: Chico ao Vivo

2000年──シコの処女小説に着想を得た、ルイ・ゲーハ監督の映画『Estorvo』が公開され、カンヌ映画祭でも高い評価を受けた。出演は、キューバ出身のホルヘ・ペルゴヒアや、レオノル・アロシャ、トニコ・オリヴェイラ、ビアンカ・ビントンらのブラジル人俳優。

2001年──アドリアーナとジョアン・ファウカゥン演出の舞台『Cambaio』ために、エドゥ・ロボ作曲の曲に歌詞をつけた。シコを追ったドキュメンタリー映画『Chico e as Cidades』のDVDがリリースされた。
●アルバム発売 Cambaio
▼ドキュメンタリー映画公開 Chico e as Cidades

2002年──200を超えるデュエット曲の中から14曲を選んだアルバム『Duetos』をリリース。
●アルバム発売 Duetos

2003年──モニキ・ガルデンベルギ監督による映画『Benjamin』が公開される。出演は、パウロ・ジョゼー、クレオ・ピレス、ダントン・メロー、シコ・ヂアスら。3作目となる小説『Budapeste』を発表。
●ドキュメンタリー映画公開 Chico ou o país da delicadeza perdid
■著作出版 Budapeste

2004年──リオデジャネイロの国立図書館で、シコへオメナージュを捧げる「Chico Buarque: O Tempo e o Artista」展が行われた。キュレーターは、ゼカ・ブアルキ・フェヘイラ。

2005年──フランスの「Le Nouvel Obervateur」紙がシコを南アメリカの最も優れた作家の1人に選出。
●全10刊のシコを追ったドキュメンタリーDVDシリーズが発売開始

2006年──8年ぶりとなる新作アルバム『Carioca』をリリース。12曲の中には、エドゥ・ロボ、イヴァン・リンス、トム・ジョビンとの共作曲も含まれていた。カルロス・サウラ監督の映画『Fados』に出演。同作にはカエターノも出演していた。
●アルバム発売 Carioca

2007年──アルバム『Carioca』のコンサートツアーを行い、同コンサートの模様を収録したDVDがリリースされた。
●アルバム発売 Carioca ao Vivo

2008年──4作目の小説のために家に籠っていた。

2009年──4作目の小説となる『Leite Derramado』を発表。ヴァルテル・カルバーリョ監督による、小説『Budapeste』をベースにした同名の映画が公開された。レオナルド・メデイロス、ジオヴァナ・アントネリ、ガブリエラ・アモリらが出演した。
■著作出版 Leite Derramado

2010年──『Leite Derramado』で3度目となるJabute賞の受賞。52年の同文学賞の歴史の中で、3度受賞したのはシコが初めて。