―――ロンドン、『イギリス清教』女子寮前佐天「…………」ボーッと佐天は目の前の古めかしい建物を見上げた。ステイル「おい、何を呆けているんだ」佐天「……いやぁ、あれよあれよという間に連れて来られたから、実感が沸かなくって」ステイル「まあ無理もないが、君は今日からここで暮らすんだよ」佐天「そうだよね、私、ロンドンで生活していくんだよねぇ……」ボーッステイル「もちろん。だからもっとシャキッとしらたどうだい」佐天「う、うん……! 今からここに住んでる人達と会うんだよね。 うぅ……何か今度は緊張してきた……!」ステイル「面倒な性格だね。何をそんなに緊張することがある?」佐天「これから一緒に生活する人たちに会うんだよ? 緊張もするって」ステイル「そんなものかね……」
そう言ってステイルは、佐天と同じように目の前の建物、『イギリス清教』女子寮を見上げた。ステイル「しかしおかしいな。駅に迎えが来てくれると聞いていたのに」佐天「……もしかしてあたし、歓迎されてない感じ?」ステイル「そうかもね。ここにいる連中は皆魔術側に属する人間ばかりだ。 科学側にいる人間を忌み嫌っているかも……」佐天「…………!!」ステイルのその言葉を聞く佐天の顔は見る見る真っ青になり、小刻みに震えだした。佐天「あたし、やっぱり学園都市に帰ります……」クルッステイル「待て。ただの冗談だよ、冗談」佐天「冗談でもそんなこと言わないでよ!! 人がナーバスになってんのに!! それにあながち『科学側の人間を嫌ってる』って間違いじゃないかも知れないし……!」ステイル「心配しなくていい。少なくともここにいる連中は科学側を嫌ってはいない。 むしろ恩義すら感じているかもね。いや、科学側というよりも、あの男一人に、か……」佐天「?」
ステイル「さあ、ぐずぐすしてないで中に入ろう。 日が暮れるまでここに突っ立ってるわけにも行かない」佐天「そ、そうだね。よし!」そう気合を入れてた佐天は、一歩下がってステイルに力強い眼差しを向けた。そしてビシッとドアを指さす。佐天「お先にどうぞ!」ステイル「はぁ……。先が思いやられる」そう言いながらも、ステイルはドアノブに手を掛けた。ギィーと見た目の古さ通りの音を立てて、女子寮のドアを開けた。ステイル「誰か、誰かいないのか?」女子寮の中はシーンと静まり返り、ステイルの声に応えるものはない。佐天「……お留守、なのかな?」ステイル「そんなはずはない。ここには数十人が生活を―――」『ギャアアアアアァァァァァァ!!!』ステイル「ッ!?」佐天 「ッ!?」佐天「な、何ッ!?」ステイル「まさか、敵襲? クソッ!!」ステイルは叫び声が聞こえた方に走りだした。佐天「ま、待って!」その後を佐天が追う。ステイル「どうした! 何があった!」「す、ステイル!? それが……」飛び込んだ部屋には惨状が広がっていた。壁は爆発の跡なのか所々煤けており、床はなにかヌメヌメとした液体で溢れていた。そして学園都市でよく見かける清掃ロボットが、無残な姿でそこに転がっていた。「シスター・アンジェレネ! だから言ったでしょう 便利だからと言ってまとめて使えば良いものではないと!!」「うぅ……。でもシスター・ルチアだって 『清掃ロボット、万能洗剤、無音サイクロンジェット掃除機…… これが科学における三位一体なのですね!!』って興奮してたじゃないですか!!」「あ、あれは、ただの冗談で……」「普段冗談なんて言わないくせに!! 私だけのせいじゃないですよ!!」
佐天「……どういうこと、これ?」「もしや貴方が佐天涙子さんですか?」佐天「は、はい。そうです」神裂「お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありません。 私は『必要悪の教会』に所属する神裂火織と申します」佐天「あッ! わ、私が学園都市から来た佐天涙子です!! どうぞよろしゅく……」佐天(か、噛んだ……)ずぅぅんステイル「それで、一体何があったんだい?」神裂「それが、彼女のために空き部屋の清掃をしていたんですが 学園都市から送られてきた清掃器具を使っていると、このような、原因不明の状態に陥ってしまって……」アンジェレネ「清掃ロボットが凄い速さで部屋中疾走し始めて、その拍子に洗剤が床にこぼれてしまって シスター・ルチアの持っていた掃除機が洗剤を吸い込んで持ち手だけ残して爆発したんです」佐天「どんな状況なんですかそれ!?」神裂「相変わらず、科学というものは不可思議なものです」佐天「いや、それはちょっと違うような……」ルチア「正直に申し上げれば、調子が悪いと言って 神裂さんがあの機械にチョップを連発したのがそもそもの原因だと思うのですが」神裂「し、しかし調子の悪い機械にはそうすれば良いのではないのですか!? 四五度の角度で、こうッ!」ブンッ!アンジェレネ「聖人の力でバシバシやったら壊れるに決まってるじゃないですか!」神裂「なッ!? 私のせいだと言いたいのですか!? そもそも貴女が三つ同時に使ったらいいと提案したのではありませんか!!」アンジェレネ「だってシスター・ルチアが『科学の三位一体』だと―――」ルチア「もう『科学の三位一体』は忘れてください!!」ギャアーギャアーと騒ぐ三人を、佐天は為す術も無く眺めることしかできなかった。佐天「……す、ステイル君、これ……」ステイル「はぁ、まったく。君たち、いい加減にしたらどうだ。 新しく僕達の仲間になる彼女を、ずっとここに立たせておくつもりかい?」神裂「うッ……」ルチア「確かに……」アンジェレネ「うぅ……でも問題がありますよぉ」佐天「問題?」神裂「はい。実は最近入居者が増えてきまして、空室はここ一つしかないんです」佐天「えッ!? ってことはあたし、この部屋で生活するんですか!!」ルチア「さすがにそんなことはできません。しかし当分この部屋を使うのは無理でしょうね。 この床一面に広がった洗剤だけでも、どうやって片付ければいいか分かりませんし」ベトォステイル「仕方ない。君にはこの部屋が使えるようになるまで、別の場所で生活してもらおう」佐天「別の場所って?」ステイル「そうだね。マンスリータイプのアパートを借りるか、ホテルに泊まるかだな」神裂「しかし彼女はロンドンに来るのは初めてなのでしょう? 数日とは言え、そんな彼女を一人にするのは些か親切心に欠けるのではありませんか。 ロンドンは都会ですし、地理も複雑ですよ」アンジェレネ「そうですよね。私も初めてこっちに来たときはよく道に迷いました」ルチア「それは貴女が方向音痴だからでしょう、シスター・アンジェレネ」佐天「じゃあ、どうしたら……」
ステイル「困ったな。男子寮なら部屋が開いているんだが。ちょうど僕の―――」神裂はその言葉を聞いて、唖然とした表情でステイルを見つめた。神裂「はぁぁぁぁッ!? だだだ、男子寮ですって!? し、しかも自分と同じ部屋に、か、彼女を連れ込むつもりですか!!!」佐天「へ、ヘッ? す、ステイル君の部屋に、つ、連れ込む……////」ステイル「そ、そんなことは言ってないッ!! ただ僕の隣の部屋が空いていたと思っただけで……!」ルチア「……不潔です」ギロッステイル「だから、違うと言っただろう!!」神裂「ステイル、貴方も年頃の男性なのは分かります。 しかしそのような歪んだ願望をぶつけるなど、到底許されることではありませんよ!」佐天「願望を、ぶつける……///」あわあわその言葉の、神裂は意図していない意味を想像して、佐天の頭はさらに混乱した。ステイル「言ってないッ!! 誰も言ってないぞ、そんなこと!!」ルチア「……汚らわしい」
アンジェレネ「あれ? こういうのって『欲望のはけ口』っていうでしたっけ?」神裂「『欲望のはけ口』!? 土御門ですかッ!! 貴方がそんなふうになってふうになってしまったのは、土御門に毒されてしまったからなのですか!? あの猫真似アロハ野郎ォ!!」ジャキッステイル「落ち着け神裂ッ!! 奴は同情の余地もない人間だが、この問題には無関係だッ!!」佐天「『欲望のはけ口』とか、そんなの、無理ッ!!///」ブンブンステイル「君もいい加減に落ち着けッ!!」神裂は刀を持って今にも飛び出していきそうだし、ステイルはそれを止めるのに必死だしルチアはそんなステイルに軽蔑の眼差しをくれているし、アンジェレネは状況がよく分かっていない。そして佐天の頭の中では、『欲望のはけ口』という言葉が、具体的な妄想を伴って暴れまわっていた。「あの、女教皇(プリエステス)、頼まれていた帯揚げを持ってきたんですが……。 どうかされたんですか?」控え目な声が、その騒ぎの外から聞こえた。神裂「い、五和! いいところに! 今ステイルの邪な欲望をどうすれば消すことができるか話し合っていたんです!」五和「は、はぁ?」ステイル「そんなことは一度も話し合っていないぞ!! 本題に戻れ!!」神裂「そ、そう言えばそうでしたね。私としたことが……」五和「それで、一体どうされたんですか?」神裂「いえ、ちょっとした手違いによって、彼女が住むはずだった部屋が使えなくなってしまったのです」五和「彼女?」五和と呼ばれた少女は、そう言って首を傾げた。佐天「あッ、はい!! え、えっと、今日から『必要悪の教会』の一員になる、佐天涙子と言います! 学園都市から来ました」五和「学園都市!?」ピクッ神裂「はい。この土地に不慣れな彼女を一人で生活させるのも心苦しいので どうすればいいか考えていたのですが……」五和「そ、それなら私たちのアパートに来てもらえばいいんじゃないでしょうか!!」佐天「私たち?」神裂「天草式の、ですか?」五和「は、はい、そうです。天草式はいくつかのアパートに分かれて生活しているんですが ちょうど私のアパートに一つ空室があるんです。 佐天さんにはそこに来てもらえばいいんじゃないでしょうか!」ルチア「確かに、それは名案かも知れませんね。 同じ日本人である天草式の皆さんとなら、彼女も暮らしやすいでしょうし」ステイル「という申し出みたいだけど、君自身はどうなんだい?」佐天「へ? 確かに部屋もこんな感じだから、願ってもない話だけど……」五和「なら決定ですね! あ、私は天草式十字凄教の五和と言います。 よろしくお願いします!」佐天「よ、よろしくお願いします……」妙に押しの強い五和の言葉にやや圧倒されながら、佐天はぺこりと頭を下げた。神裂「しかし五和、やけに積極的であるように見えるのですが、どうかしたのですか?」五和「えッ!? べ、別に、あの人に会いに行く時のために 学園都市のことを沢山聞きたいとか、け、決してそんなことは……」佐天「?」五和「と、とりあえずですね! 佐天さんのことは私にお任せください!」
神裂「分かりました。それでは彼女のことは貴女にお任せします。 五和、彼女はまだこちらに慣れていなのですから、貴女がしっかりと助けてあげるのですよ」五和「はい、分かりました」「どうしたのでございますか? 先程から何やら騒がしいようでございますが」のんびりとした声が、廊下の向こうから聞こえた。神裂「ああオルソラ、こちらは私たちの新たな仲間となる佐天涙子さんです」佐天「よろしくお願いします」ぺこりオルソラ「ああ、学園都市から来たという方でございますね。 私はオルソラ・アクィナスと申し……ふぁぁぁ……」オルソラの言葉は欠伸の中に吸い込まれた。神裂「随分眠たそうですね。どうかしたのですか?」オルソラ「昨日起きた件について、徹夜で調べ物をしていたのでございますよ。 ですから、ふぁぁ……ねむねむなのでございます」神裂「そうだったのですか。それはお疲れ様です」ステイル「何かあったのかい」
神裂「ええ、『イギリス清教』の関係施設で盗難がありまして。 資料閲覧中の魔術師がたまたま現場に居合わせて、交戦になったとのことです」ステイル「賊はまだ捕まっていないのか?」神裂「残念ながら」オルソラ「昨日の深夜に連絡を受けたものでございますから シェリーさんと一緒に資料と格闘しながら朝を迎えることになったのでございます。 私たちだけで手に負えない場合は、助っ人に来てもらう可能性も…… それで『まるで科学の三位一体やぁ』とは一体何なのでございますか?」アンジェレネ「本当に眠いんですね。いつも以上に話題が前後してます」ルチア「ですから『科学の三位一体』はもう忘れてくださいッ!! しかもちょっと言葉も変わっていますし!!」佐天「…………」さっきまでの掃除機がどうした、アパートがどうしたという聞き慣れた言葉とは違うかけ離れた会話。佐天は今いる場所が、数日前とは全く別の世界であることを改めて実感させられた。佐天「あのー……」神裂「どうかしましたか?」佐天「えっと盗難とか事件が起こってて、今は緊急事態ってことなんですよね? なんていうか、こんな風にのんびりしていて大丈夫なんですか?」アンジェレネ「?」ルチア「…………」ジーオルソラ「ZZZZ……」アンジェレネは不思議そうに、ルチアは怪訝そうに佐天を見つめた。オルソラはすでに夢の中へ旅立っているようだった。神裂「クスッ」佐天「えッ!? あの、すいません! 何も知らないあたしなんかが生意気なこと言って!」神裂「いえ、そういうわけではありません。改めて言われてみると、そうなのだな、と」佐天「へ?」ルチア「『ローマ正教』にいた時も忙しくはありましたが 今はあの頃と比べてさらに忙しいですね」アンジェレネ「ですねー。私も忙しさの余り、九時課のお祈りをちょいちょい忘れてしまいますから」ルチア「それは貴女に敬虔さが足りていないからです! シスター・アンジェレネ」佐天「え、えーと……」不安そうな表情で、佐天はステイルに助けを求めた。ステイル「常に何か起こっているってことだよ。「非常事態」は「日常」の一部なのさ。 ここ、『必要悪の教会』にとってはね」神裂「『必要悪の教会』とは、そのようなところなのですよ」佐天にはその神裂の言葉が、「非常事態」を「日常」として過ごせる余裕で満ちているように聞こえた。佐天「あたしなんかが上手くやっていけるか、何だか不安になりますね。 アハハハ……」神裂「…………」
神裂「貴女がどのような理由があってここに来たのは詳しくは存じませんが 学園都市を離れ、単身『イギリス清教』に身を寄せたということは それ相応の覚悟があったのだと思います」神裂の表情でとても真剣で、しかしどこか包みこみように柔らかだった。佐天はその言葉に、ゆっくりと頷く。佐天「はい」神裂「そして貴女が所属することになる『必要悪の教会』は 決して楽でもなければ甘いもない組織です。 しかし、貴女が私たちとともに戦う仲間であり 最初の決意と覚悟を失わない限り、私たちは貴女のことを全力で助けます。 改めて、『必要悪の教会』にようこそ。佐天涙子さん」そう言って、神裂は佐天に向かって微笑みかけた。佐天「はい! よろしくお願いしますッ!!」
―――この日を以て、日本で生まれ、『科学』の元で育ってきた佐天涙子の 『魔術』と共に生きる物語が始まる。
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