春休み最終日、宿題も補講もない長期休みに悔いを残さないようにと学生たちが夜の街へ繰り出そうと賑わっている大通りの片隅で、当麻はいつにも増して上機嫌で帰路へついていた。 学園都市はその人口の大半が学生と言う性質上、他ではあまり見られない様なセールも行っている。今日は軒並みどの店も『春休み最終日セール』を銘打って、浮かれ気分な学生をターゲットにしているのだ。普通の学生ならカラオケ、ボーリング、ビリヤード等々レジャー施設へと金を注ぐのだろうが、常に火の車な家計をなんとかやりくりしている当麻は違う。遊びよりも何よりもまずは食糧なのだ。そんな当麻にとってスーパーでの全品値下げセールは非常に心強いものだった。(インデックス喜ぶだろうし、今日はお代わり自由にしてやるか) 指の肉に食い込むレジ袋の中身を頭に描いて、思わずニヤケる。大量の野菜に調味料各種、財布の味方鶏肉に普段は絶対買わない国産の黒毛和牛。そして一番うれしいのがレジ袋の重みの大半を占める米10キロ×2。ハラペコシスターが在住している上条家にとって主食の大量確保は大海で浮木に出逢うようなものなのだ。総重量20キロオーバーと言う負荷も今の当麻にとっては心地よく、地を蹴る足はいつもに増して力強い。 今にもスキップをしてしまいたい衝動にも駆られるがそれはグッとこらえる。唯でさえ欲しいものが格安で手に入って幸福なのに、空前絶後の不幸体質たる自分がそれに加えそんなウカレトンチキな事をすると絶対何か不幸が起こる事を当麻は知っているのだ。幸福の中にも当麻は当麻でしか体感出来ない独特の緊張感を持って帰路についていた。 例えば今、目の前で点滅している歩行者用の青信号。いつもなら小走りで渡ってしまう所だが今日に限っては右折車が突っ込んでくるかも知れないし、走り出した瞬間レジ袋が裂けて米が落下し、地面に落下した衝撃で米粒が辺り10メートル四方に散乱し挙句国産の黒毛和牛は通りすがりの猫に持って行かれる可能性だって当麻に到っては無きにしも有らずなのだ。よって当麻はこの両腕の幸福を自宅まで確実に届けるため、次の信号を待つことにしたのだった。「あれ?」 信号待ちの間、自分の向かう先に目をやると電柱の陰に何やら見覚えのある背中がちらついていた。 学園都市屈指の名門お嬢様学校、常盤台中学の制服に茶髪、スカートの裾からはお嬢様には似つかわしくない短パンが見えている。顔はこちらからは見えないがアレはまさしく……「……美琴?」
常盤台中学校のエースにして学園都市第三位の超能力者、御坂美琴だ。信号が青に変わっても美琴は動かず、電柱の陰からコソコソと明後日の方向を向いている。当麻にとって美琴の行動は年がら年中、特にこの春休みに入ってからはほぼ毎日何らかの形で顔を合わせているのだが未だ理解しきれない。このままスルーしてもいいのだが、そうすると見つかった時に噛みつかれそうだし、美琴の視線の先は自分の家だし、春休み最終日のこんな時間にこんな場所で一人で何をしているのかも気になる。横断歩道を渡り終えてから、当麻は美琴に声をかける事にした。「おっす、何してんの?」 神経を研ぎ澄ませていた逆方向からの当麻の声に美琴の肩はビクンと跳ね上がる。「おおおお、おうおうおおおおお……」 美琴がスローモーションのようにゆっくりと振り返る。未だ動揺しているのか声が声にならないでいた。「何おうおう言ってんだよ。セイウチ?」「お、お久しぶりです」「は? 昨日も一昨日もその前もその前の前も会ってんだろ」「そ、そうねっ! 昨日も一昨日もその前もその前の前も会ったわねっ!」 オウム返し。素直に「今日もアンタと会えたらいいなって思って待ってました」などとは言える訳はないし、「昨日会ったのも一昨日会ったのもその前も、その前の前も会ったのも待ち伏せしてたからです」なんて事は言えないのだ。「あ、あんたこんな所で何してたのよ?」「何って、買い物だけど」 ズッシリと重たいレジ袋を美琴に見えるように上げる。袋の底の方が伸びて少し薄くなっている気もするがそこは見なかった事にした。「遊びに行かないの? 今日春休み最終日よ?」「上条さんにとっては遊びよりも日々の生活が大事なんですよ。それに春休みは色々支出多かったし……」 当麻が遠い目で空を見上げる。無自覚ではあるものの、当麻の言葉は美琴の胸にチクリと棘を刺した。ダブルデートのニットワンピースに始まり、二人で遊びに行った時は払うと言ってるのに支払いはほとんど当麻だったし、待ち伏せして上手く当麻と会えた日のカフェの料金も半々。当麻が拒んでいたとはいえ、当麻の首を絞めているのは間違いなく美琴なのだ。「……ごめん」「へ? ……いや違うぞ!? そんなつもりで言ったんじゃないですよ!?」「でも、私が強引に誘ったのもあるじゃない」「本当に嫌だったら断ってるっての」 当麻が右手に抱えていた袋を左手に持ち替える。そして空いた右手で美琴の頬をぺチペチと優しく叩いた。「疑ってる?」「疑ってはないわよ……」「うーん、そうだ。今日ウチにメシ食いに来るか?」「へ?」「材料もたんまりあるし、お前と一緒にいるのが嫌じゃないって証拠にさ」「え……あ、えーとっ」 当麻の急な申し出に美琴は少し戸惑う。しかし、このままついて行けば当麻の家に遊びにいけるのだ。いつも偶然を装って会う時はカフェで喋って終わりだしこれはチャンスか……美琴のテンションはついさっき刺さった棘の事も忘れて一気に上昇気流に乗るのだった。「い、行く!」「よし、決まりだな!」 なら早速ウチに行こうぜ。と当麻が歩き出す。その瞬間、美琴は当麻の腕を引っ張った。「なんだ?」「袋、重たそうだしかたっぽ持ってあげるわよ。」「いいのか? これホントに重いぞ?」「大丈夫、大丈夫」
言いながら美琴は当麻の指に食い込んでいる袋の取っ手を掴んだ。心の中では、これで空いた手と手を繋ぎたいんだけど……、と零すがそんな事は口が裂けても言えないのだ。「なら手、離すぞ?」「どーぞ」 当麻が袋の取っ手から手を抜いた瞬間、美琴の腕に予想以上の負荷が圧し掛かる。 「きゃっ」「みこっ……!」 当麻の伸ばした手もむなしく、レジ袋は美琴の指をすり抜け地面へと落下した。美琴に渡したレジ袋の重量は米を筆頭に10キロ超。美琴の細い腕で支え切れないのは当然と言えば当然なのかもしれない。それでも……それでも当麻はこれだけは言っておく必要がある。 「ふ、不幸だ……」「ご、ごめん」 二人を中心に10キロ分の米粒は放射状に散乱し、滅多に買えない国産黒毛和牛は通りすがりの猫に持って行かれたのだった。 * * *「最近、とうまの帰りが遅いんだよ」 インデックスが飼い猫スフィンクスの肉球をプニンと押す。スフィンクスは嫌がるように身体をくねらせるが、両腕でがっちりとホールドされていて中々抜け出せない。それに加えいつもは感じられない後頭部の柔らかい隆起物も邪魔してストレスバリバリだ。 当麻が安売りセールで貧乏学生たちと戦っている間、インデックスは上条宅で大人しくお留守番をしている訳だがなにも一人でと言う事ではない。さっきの言葉も当麻のいない寂しさ余っての独り言ではなく、ちゃんと話し相手がいるのだ。
「帰りが。遅い?」 黒髪ロング、胸にはケルト十字架、そして何故か巫女服。インデックスの前に座りスフィンクスを両腕と胸(けして巨乳ではない)で押さえているのは姫神秋沙だ。「そうなんだよ! 前は18時には帰ってきてご飯作ってくれたのに、今は19時とか、たまに20時まで帰って来ない事もあるんだよっ。もしかしたら不良少年になっちゃったのかも」「それは高校生としては。普通なんじゃないかな」「でもでも春休みになってからイキナリなんだよ? これはちょっと怪しいかも」「春休み……」 姫神は少し前の、デパートでの個室の時の事を思い出す。女の子が叫んで、その後聞こえてきたのは当麻の声だった。何でデパートの女性用化粧室から当麻の声がするのかと焦ったが、それよりもその時気になったのは個室のドア越しで行われた当麻と自分は痴女でヤリマンだと叫んだ少女の会話の内容。盗み聞きする様で悪いとも思ったが、個室から出れる雰囲気ではなかったし、二人の会話をシャットアウトする事も出来ず結局最初から最後まで聞いてしまった会話。 上条当麻の事だからあの言葉の意味にそれ以上も以下もなく、本当にそのままの意味な可能性もあるが、姫神からすると告白、どんなに過少評価しても好意駄々漏れの言葉だった。「にゃー!」 「あっ……。ごめんね」 いつの間にか手に力が入っていたらしい。スフィンクスが姫神に抗議するように強引に腕から抜け出す。「スフィンクスこっちにおいでー」「にゃー」 姫神の腕から抜けた瞬間今度はインデックスに捕まる。もう止めてくれと思うがそれを伝える手段もなく、スフィンクスは大人しくインデックスの膝の上に納まった。「私。そろそろ帰る。夕飯の用意もしなくちゃいけないし」 化粧室での時は上条当麻だからという理由で深くは考えないようにしていたが、帰りが遅いとなると付き合い始めたのかもしれない。全ては憶測だが少し気持ちの整理がしたかった。たとえ春休みに入ってから一度も遊びに誘われなくても、学校でもあまり話さなくても、姫神だって当麻の事が好きなのだ。
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