旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室突如現れて状況を覆したシェリーに対し、建宮が静かに問いかける。「お前さんは、一体…?」「フン。あなたたちの女教皇と同じ、『必要悪の教会』所属の魔術師よ」「…まあ、謹慎処分を食らってる私の顔は、知る訳もねえか」建宮に答えたというよりも、むしろ独り言を洩らすかのようにシェリーが呟いた。「…確かに『必要悪の教会』の魔術師を呼びはしたが、幾らなんでも来るのが早すぎるのよな」「それに…イギリス清教の魔術師が、こうもハッキリとローマ正教と戦闘行為をするのはマズイはず」警戒を解かず疑問を口にする建宮を、シェリーは鼻で笑った。「私がここにいるのは、依頼を受けたからじゃないのよ」「?」「言ったろ?私は謹慎処分を食らってるって」シェリーの持つオイルパステルが、流れるように紋様を描く。「――つまり私が暴れても、イギリス清教は全く関係ねえって事なんだよォ!!」呆然とする職制者たちを、エリスの巨大な腕が文字通り叩き潰した。壁の染みとなった彼らを一瞥もせず、シェリーは氷の寝台を眺めてチェックする。(これは…聖ブラシウスの氷拘束術式の応用)(聖ニコラオスの抗電術式、十字架の特性を利用した拷問術式…ちくしょうキリがねえぞ)天草式の2人を無視しながら分析作業を続けるが、背中に刺さる視線に耐えられなくなったシェリーは、溜息と共に告げた。「そんなに私がいる理由が気になるのかよ…」「私が戦う理由は、そこで捕まってる馬鹿にお説教するため。もういいわね?」「じゃ、じゃあ…あなたはレイの事を知ってるって事すよね?」おずおずと尋ねる香焼だが、シェリーはそれ以上詳しい事は喋らない。やがてシェリーは舌打ちをすると、踵を返して部屋から出て行こうとする。「どこへ行く気なのよ?」「…レイを拘束しているこの寝台は、術式を全て解除するのにえらく時間がかかる」「さっきの天井みたいに、魔法陣で溶かす事は出来ないすか?」「無理ね。こいつは大量の術式を複合させた力技で、解除術式を迎撃してくるから」「これが暗号による隠蔽術だって言うなら、私が解読してやるんだけどな」「だから、こういう事に打ってつけの“専門家”を呼んでくる」それだけ言い残すと、シェリーはエリスを連れて今度こそ部屋を後にした。
旗艦『アドリア海の女王』船底のとある小道その時インデックスは、自分を容赦なく狙う氷像や大砲から逃げ回っていた。オルソラがアニェーゼの部屋へ入れるように、その場にあった防衛機能を引きつけたからである。大量の敵に襲われながらも、『強制詠唱』を使う事でなんとかうまく立ち回っていたが…。「こ、これ以上は厳しいかも…」体力が限界に近くなり、足がもつれてくる。その隙に自分を囲んだ氷像へ、インデックスが『強制詠唱』を唱えようとして――その必要は無くなった。「全部ぶっ壊しちまいな、エリス」恐ろしい速度で突進してきた氷のゴーレムが、周りの氷像へ体当たりしたからだ。そして後ろにいたシェリーが、オイルパステルを一閃して“場”を整える。砕いた氷像を吸収して、より巨大なゴーレムが誕生。まるで産声をあげるかのように、おぞましい咆哮が辺りに轟いた。突然の出来事にポカンとするインデックス。尤も、それも当然のことと言える。かつて学園都市で自分を襲ったゴーレム使いが、何故かこの場に現れたからだ。「…どうして、あなたがここにいるの?」「説明は後。それよりもあなたの助けが必要だから、とっとと行って頂戴」「え、え?」「いいから。見りゃあ分かるからさ」一方的に会話を切り上げると、シェリーは再びオイルパステルを振るう。途端にゴーレムがインデックスを掴み上げ、フルチューニングのいる部屋へ進んでいった。(…もう、私が行く必要は無いな)ほんの一瞬だけ、シェリーは不出来な弟子のいる方へ目を向けた。(……)それでも、彼女の歩みは止まらない。以前インデックスを襲った時と全く逆の理由が、彼女の足を推し進めたからだ。――すなわち、戦争を起こさせないこと。ただその一点のため。「…しまった、先にオルソラがいる場所を聞いとくべきだったわね」そう独り言を漏らして、かつて戦争の火種を求めた魔術師は船内を走り出した。
旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室建宮たちがフルチューニングへ回復術式を施していると、ゴーレムに掴まれたインデックスがやってきた。事態が把握できずインデックスは混乱していたが、部屋にいるフルチューニングを見て慌てて駆け寄る。「酷い…!しっかりしてレイ!」「そうか、あの魔術師はお前さんを呼びに行ったのか!」その事に気付いた建宮が、インデックスに頭を下げる。「頼む、この拘束術式を解除して欲しいのよ!」「分かってる」インデックスが、氷の寝台を睨みつけたまま頷いた。「絶対に助けるから!」微塵の迷いも無い断言。建宮には、その言葉を聞いたフルチューニングが微かに笑みを浮かべたように見えた。
旗艦『アドリア海の女王』最下層の部屋未だ無事な姿のアニェーゼを見つけて、それでもオルソラは絶望を感じていた。理由は1つ。その場に現れたビアージオが告げた、この計画の真の目的。対ヴェネツィア用大規模攻撃術式『アドリア海の女王』。アニェーゼを犠牲にして、その術式の照準制限を解除する。その標的は、学園都市。――いや、科学サイドそのものだった。「始めるぞ。喜べシスター・アニェーゼ」「君は十字教の歴史上、最も多くの敵を葬った名誉を得る!」狂気の笑い声が部屋に響き渡る。それでも。すでにビアージオに叩きのめされ、満足に動けないはずのオルソラが立ちはだかった。かつて自分を殺そうとした、アニェーゼを守るために。「私は、そんなつまらない事を実現するために、アニェーゼさんが使い潰されるのが納得できないと言っているのでございます!」「それによって多くの人が傷つくのが耐えられないのだという事が、何故信じられないのでございますか!!」オルソラの放つ魂の叫びは、しかしビアージオには届かない。「終わりだ、シスター・オルソラ」迷いなき宣言と共に、ビアージオの十字架がオルソラを襲う。「笑えシスター・アニェーゼ。君の夢が砕ける様を眺めて!」こんな自分を助けに来てくれた、オルソラが抵抗も出来ずに殺される。ビアージオの嘲笑に、アニェーゼの意識が爆発した瞬間。その場の全てを蔑むような冷笑が聞こえてきた。「醜いわね。…“砕く”ってのはこうやるのよ」巨大化して飛んでくる十字架を、壁から出現した腕がゴギュリ、と握り潰す。「ふん、随分酷い格好してんじゃねーかオルソラ」「シェリーさん…」予想だにしない人物の登場に、オルソラもアニェーゼも呆然とする。只1人ビアージオだけが、さして驚いた様子も無くシェリーを睨みつけた。「また邪魔者か、面倒臭い。わたしは面倒臭いのは大嫌いなんだ」「だから…全員まとめて潰す事にしよう」ゴーレム・エリスがビアージオを襲うよりも早く。「――シモンは『神の子』の十字架を背負うッ!!」その場にいた3人が床へ崩れ落ちた。さらにゴーレム・エリスまでもが倒れ伏し、再び船と一体化して消滅していく。「クソ…この術式は…!?」オイルパステルを動かす事も出来ず、シェリーが悔しげに呻く。オルソラやアニェーゼも同様に全く動けない。しかも諦めずに何とか起き上ろうとするアニェーゼの顎を、悠然と歩くビアージオが思い切り蹴り上げた。「どこぞの魔術師が侵入している事ぐらい、最初からお見通しだよ」今度はシェリーに近づいて、オイルパステルを握ったままの左手を踏み砕く。「ガ、ア…テメェ…!」「邪魔者は全て消す。己の無力さを知ると良い」自らの勝利を疑わず、ひたすら殺戮という悲劇へ向けて進むビアージオ。だが、その悲劇を破壊するヒーローが近づく足音に、彼は気づいていない。
旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室インデックスが、フルチューニングを助けるための作業を始めて5分。この部屋で再び異変が始まった。先ほど戦ったのと全く同じ氷像が、続々と復活してきたのだ。その氷像が狙うのは、作業中で動けないインデックス。咄嗟に構えたフランベルジェで氷像を砕きながら、建宮は質問した。「作業終了まで、あとどれぐらいかかるのよ!?」「…後10分は欲しいかも」冷たい汗を流しながら、インデックスはそう言った。その言葉を受けて、建宮と香焼は互いに目を合わせる。「分かった。必ずここは守るから、お前さんは作業に集中してくれ」「教皇代理だけに、良い格好はさせないすよ…!」天草式の真骨頂はその支え合いだ。仲間と戦う事で、その戦力を何倍にも引き出せる。ましてや、戦う理由がフルチューニングという大切な仲間を救うためなら尚のこと。何十体もの氷像に囲まれて、それでも2人は迷わずに突撃した。
同時刻、窓の無いビルいつもと同じく、闇に包まれたその空間。『人間』アレイスターは、送られてくる情報を吟味していた。情報の送り主は、意識の無いフルチューニング…の脳内チップである。だが、アレイスターは『アドリア海の女王』による攻撃を警戒している訳ではない。そんな事は“最初から”眼中にないかのように、別の事に集中している。(ふむ、検体番号00000号の損害領域が87%を超えたか…)(だが3時間以内に死亡する可能性は、“たった”65%でしかない)(学園都市への輸送時間を考慮しても…『彼』ならまず救命できる)(まあ仮に死んだところで、肉体を第三次製造計画(サードシーズン) へ流用してしまえばいい)アレイスターの口元に、誰もその意味を窺い知ることが出来ない笑みが浮かぶ。(それにしても、計画以上の働きだ)(天草式十字凄教、予想を超えて役に立つ)(あるいは、このまま検体番号00000号をプランへ組み込めるかもしれんな…)常人には計り知れない思惑が、遠い異国のフルチューニングを狙っていた。
旗艦『アドリア海の女王』最下層の部屋シェリー・クロムウェルは、目を見張った。絶対的に優位だったはずのビアージオが、一撃で倒されたからだ。それをしたのは、かつて学園都市で自分を同じように殴り飛ばした少年。「テメェが思ってるより、俺の右手は甘くなんかねえんだよ!!」その右手に『幻想殺し』を持つ無能力者、上条当麻だった。上条はオルソラとアニェーゼに声をかけた後、シェリーにも手を差し出した。「…何してんのよ?」「ありがとうな。お前が、オルソラたちを守ってくれたんだろ?」「チッ!」上条の手を振り払って、シェリーは1人で起き上がる。「相変わらず、気持ち悪い育ち方してるのね」「ひでえ言い草だなオイ!」ショックを受ける上条を無視して、シェリーは無事な右手でオイルパステルを握りしめた。「…レイの所へ行く前に、こっちを片付けた方がいいのかしらね」「え?」シェリーの呟きに、上条がキョトンとした。思わぬ2人の繋がりに驚いたからだ。だが、そんな事はお構いなしにシェリーが話を続ける。「とっととこの『アドリア海の女王』を破壊しちまった方が良い。放っておくのは目覚めが悪いでしょう?」「ああ。アニェーゼを二度と利用させないために、完全に破壊しよう。でも、そうするにはどこを壊せばいい?」上条の問いかけに、アニェーゼが静かに返答した。「私たちがいるこの部屋だけは、替えが利かねえそうです。現在の技術ではもう作れないそうなので」「なら、この部屋を片っぱしからぶっ壊そう」船を海水に戻して、後は天草式のみんなに引き上げてもらおうと考えた上条が、右手を構える。オルソラが、アニェーゼ部隊250人のこれからを心配して独り言を漏らした。「船から降りた後どうするか、それぞれご自分でお考えにならないと…」その言葉が終わる前に、アニェーゼが崩れ落ちた。「い、ぎ。がァァあああああああああアアアアアアアアアアアアア!!」そして苦痛に満ちた表情で、絶叫する。理由は1つ。先ほど敗北したビアージオが、強引に『刻限のロザリオ』を発動させたからだった。その目的は、自爆。自分1人が負けるぐらいなら、全てを巻き込んでやろう。恐ろしくねじ曲がった執念が、ここにいる全ての人間に悲劇をもたらそうとしている。そんなことを、許すわけにはいかない。上条は迷うことなく叫んだ。「オルソラ、アニェーゼを連れて先に甲板へ出ろ!」「シェリーも、レイの所へ行きたいんだろ!? 早く行ってやってくれよ!」「…本気かよ。あれか、左手潰れた私は戦力にならねえとか思ってんのか?」右手でもゴーレム・エリスは作り出せる。単純な事実として、この場において最も戦力となるのはシェリーだ。その自分を頼ろうとしない上条に、シェリーが詰め寄ったが…「違う!」上条は力強く断言した。「一度命懸けで戦ってんだ、お前の強さは身に沁みてる」「アイツは、俺1人で十分なんだよ!」「…な、に?」「まだ近くには、レイに天草式のみんな、修道女部隊の人間がいるんだ。そいつらを助けてやってくれ」「それは…俺には出来ないことだから」議論は、そこで終わった。アニェーゼを抱えたオルソラと一緒に、シェリーもその部屋を後にする。(どこまで馬鹿なヤツなんだよ…)(…くそ、ちくしょう)(あんな根拠のない戯言に、この私が乗せられちまうなんて…)(いや、そういうのも私らしいのかもな)シェリーは一瞬だけ笑うと、フルチューニングの待つ部屋へ向かった。
同時刻、旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室全ての術式を無効化し、フルチューニングが寝台から解放された。だが、それで全てが解決したわけではない。幾らでも復活してくる氷像との戦いは、未だに終わっていないからだ。フランベルジェを振りまわしながら、忌々しそうに建宮が言う。「ようやくレイを取り出せたっていうのに、このまま釘づけにされたら意味が無いのよな!」「倒しても倒してもキリが無いし、どうするんすか教皇代理!?」建宮がチラリとフルチューニングに目を向けた。すでに彼女の呼吸音は、ほとんど聞こえない。得体の知れない方法で体から数十もの部品を奪われた彼女は、傍目から見ても危険な状態だと分かる。(クソ、こんな結末を認めてたまるかっていうのよ!)(どうやってここを切り抜ける?)(…助けを呼んで、助けが来るはずもない)(当然よな…そもそも我らが助けに来たというのに、そこから助けを求めるようでは本末転倒だ)氷像は砕いてもすぐに修復される。だが、体力に限りのある建宮たちはどんどん消耗していく。確実に敗北が待っている悪夢のような戦場。その中で、建宮たちはあるはずのない助けが差し伸べられたのを感じ取った。「…イの…間に、手を…な…!」この場で戦うのは、どんな状況でも救いの手を差し伸べる天草式の人間。その“3人目”が、動かせない体でズルリと立ち上がる。すでに声が出ないはずのフルチューニングから、音無き叫びが放たれた。「レイの仲間に、手を出すな!」
旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室唖然とするインデックスを庇うように、フルチューニングが前に出る。(レイは、レイは、レイは……!)(建宮さんたちを、助けたい!)体中に走る痛みを無視して、フルチューニングがオイルパステルを構える。「無茶だレイ、ちょっと待っていろ!」「必ず助けて見せるから!」建宮の懇願も、朦朧としているフルチューニングには届かない。そして。これ以上は無いと思われた悲劇が、さらに続く。(……、…)フルチューニングが、近くにあった氷像へオイルパステルを走らせた。だが、もはや意識のはっきりしないフルチューニングが、適切な魔法陣を描けるはずはない。(レ…イ…う…あ…?)(ああああアア…!?)(――ふむ、土より出でる人の虚像、か)それなのに、フルチューニングの魔法陣は極めて正確に氷像を支配した。何故ならば、その魔法陣を描いたのは彼女ではなく――。(幸い、既にこの“場”は魔術師シェリー・クロムウェルが属性を書き換えた異空間)(検体番号00000号に残るわずかな魔力でも、接続を断ち切ることは可能だ)脳内チップを使って彼女の体を操った、歴史上最大の魔術師。(どうせ死ぬかもしれない体なら、少しばかり“使って”将来の予測に役立てる事にしよう)アレイスター・クロウリーその人だったからだ。途中見かけた人たちを、片っぱしから船の外へ放り出す。シェリーがその作業をしながら、ようやくフルチューニングのいる部屋にたどり着いた時。信じられない光景に彼女は絶句した。(何だよ、これは!?)氷の部屋の至る所に正確な魔法陣が浮かびあがり、氷像の動きが止まっていく。満身創痍のはずのフルチューニングが、シェリー以上の正確さと速度でそれを行っていた。「どういう事だ!?」「俺が聞きたいのよ!」シェリーの怒声に、建宮がそれ以上の大声で怒鳴り返した。「今のレイは明らかに普通じゃないのよな! 一体何が…!?」「…シェリーが教えたんじゃないの…?」建宮の言葉を遮って、インデックスが静かにシェリーに尋ねる。「ここまで正確なカバラの魔法陣を描けるのは、私の知る限りあなたぐらいだもん」「確かに術式だけなら教えたけど、この子がここまで出来るはずない!」「でも…」「ハッキリ言うが、この魔法陣は私以上の使い手が描いたとしか思えねえんだよ!」「クソ!」疑問が解決されない事に業を煮やした建宮が、フルチューニングを背後から抱きしめて動きを止めた。「おい、しっかりしろレイ!」「…みや、さん…?」「レイ!?」建宮の体に、完全に意識を失ったフルチューニングが倒れこむ。「教皇代理、今は早くここを逃げるべきすよ!」「…ああ。全員でこの場を離れるぞ!」とりあえず疑問を脇に置いた建宮が、フルチューニングを抱っこして走り出した。その時遠く離れた学園都市で、魔法陣を描いた人物がどこか楽しそうな表情をしていた事を誰も知らないまま。(わずか5分も操れないとはな…)(最後の最後で、意識を取り戻されてしまった)(ふふ…だが収穫は有ったし、良しとしよう)(『科学』と『魔術』の融合…第三次製造計画(サードシーズン) に大きく利用できる)
旗艦『アドリア海の女王』「テメェらがまたアニェーゼを達を狙うってんなら、俺は何度でも歯向かってやる」上条の一撃が、ビアージオの持つ十字架を粉砕した。それと同時に、旗艦が音を立てて崩れていく。甲板に出た建宮たちも、それを察知して慌てだした。「術式が崩壊していく…?」建宮の言葉に、シェリーが呆れたように吐き捨てた。「あの気持ち悪い馬鹿が、『アドリア海の女王』の自爆を止める為に術式ごと破壊したみたいね」「ま、まずいんだよ! このままだと船が海水に戻って沈んじゃうんだから!」「んなこた分かってんだよ!」わたわたと動くインデックスに、シェリーが怒鳴る。「けどな、幾らなんでも只の海水を、人形として使役出来るはず無いでしょう!?」「じゃあ、このまま沈むしかないのかも…」「心配しなくて良いのよな」そう言い放つと同時に、建宮が和紙を海水にばら撒いた。和紙はあっという間に木製の浮き輪となって、辺りに浮かぶ。「それに捕まっていれば、溺れる事は無いのよ」「わ、分かった!」インデックスと香焼が、躊躇い無く海へ飛び込んだ。「お前さんも早く行け。他の人間も、我ら天草式の仲間が救助を始めている」「…分かった。“その馬鹿”を放すんじゃねーぞ?」それだけ言い残すと、シェリーも船から身を躍らせた。この場に残った建宮が、フルチューニングを抱える腕に力を込める。(放す訳、ないのよ)(…絶対にな!)ドボンッ!氷の船が崩壊する直前、最後の2人が脱出した。
キオッジアの、とある沿岸意識の無いフルチューニングを連れて、何とか建宮が陸地にたどり着いた。背負っていた彼女を地面に降ろすと、急いで呼吸の確認をする。(…クソ、止まってやがる!)フルチューニングの呼吸は、完全に停止していた。(死なせてたまるか…お前さんを死なせてたまるか!)建宮は急いでフルチューニングの気道を確保すると、迷わず人工呼吸を始めた。(悪く思うなよ、レイ)幾度となくそれを繰り返す。だがフルチューニングからは体温も感じられず、まるで本当に人形のようだった。「ゴフッ」「!」「ガバ…ッ!」「レイ!」ようやく呼吸が戻り、フルチューニングは海水を吐き出した。「良かった、本当に良かったのよな!」「…ごめん、なさ…い……ニ…ーゼさ…」「大丈夫だ、さっき連絡を受けた。アニェーゼも他のみんなも、全員無事に引き上げた!」「…良かった…」「……です」フルチューニングが最後に言った言葉は、誰にも聞こえないまま。ゆっくりと彼女は意識を失った。さらに、体力の限界に達していた建宮も。(やばいな…俺の意識も持たないか…!)(救援信号を…)フルチューニングが蘇生したことで安堵した所為か、その意識が漆黒の闇に沈んでいった。「やれやれ、えらい事になったもんだにゃー」こうして倒れ伏した2人へ、1人の魔術師が近づいてきた。一見すると、能天気な足取りにしか見えない様子で。「とりあえず面倒くさいことに、こっちのクローンは回収しないといけないんだぜい?」「それとも、俺とやり合う気か?…シェリー・クロムウェル」「回収してどうする気なのか、によるけどね」近づいてきた魔術師――土御門元春に、ボロボロのシェリーがオイルパステルを向けた。「そーんなマジな顔しないで欲しいにゃー」「……」「このクローンの体は、学園都市じゃないと助ける事は出来ないって分かるだろう?」「……」それでも厳しい顔をするシェリーに、土御門はへらへらと笑った。「安心するにゃー。“都合良く”1時間で学園都市に到着する飛行機がイタリアに来てる」「こういう事にピッタリの凄腕の医者が待機してるから、こっちに任せて欲しいんだけどにゃー」そう言うと、土御門はシェリーの返答を待たずにフルチューニングを担いで歩きだした。「…ちくしょう…」「ちくしょう!!!」結局、そこで戦闘は起こることなく。イタリアを舞台にした1つの戦いは幕を閉じた。癒える事の無い、傷跡を残して。
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