とある世界の残酷歌劇 > 幕前 > 12

「とある世界の残酷歌劇/幕前/12」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

とある世界の残酷歌劇/幕前/12」(2012/08/04 (土) 19:16:38) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

「――さってと」 軽く体を解すように御坂は伸びをする。 一日中重いものを提げていたからか肩が凝ってしまった。 その疲労感は心地好いものだったが、だからといって疲労が消える訳ではない。 彼女が今いるのは公園だ。 とはいっても彼女のよく知るものではない。 その存在こそ知っていたものの言われて初めて意識する彼女の人生において背景だった場所。 場所は第七学区のほぼ中央。 ジョギングに訪れる運動部員もなく、まして小学生以下の子供のための遊具がある訳でもない。 小ぢんまりとした、どこにでもあるような緑地スペースとしての場所。 第七学区の中でも一等地に数えられるこの場所に単に美観目的などという名目で公園を拵えるのはどうにも理に適っていない。 いかに学園都市が広大だからと言ってもその数には限りがある。 学園都市の人口、二三〇万。 それだけの人数を抱えながらも世界一の先進都市としての機能を損なわず、 かつその名が示すように多くの教育・研究機関に十分な場を割き、十全にその機能を賄うには土地がいくらあっても足りない。 まして――市民の憩いの場とするには些か立地が悪過ぎた。 人気の無い寂れた公園。 恐らくこの場を日常的に意識する者など皆無に等しい。 都市の中心にありながらもさながら幽霊のように人々の意識から切り離されている。 この場に敷かれた仕掛けは『人払い』の魔術に近い。 凡愚のように安易にモスキート音を発生させている訳でもない。 行動心理学を始めとするあらゆる観点からこの公園は意図的にデッドスポットと化すように作られているのだ。 ただ辺りの地形や建造物、道路標識などを組み合わせ複雑な印象操作によって心理的に民衆から隔絶されている。 それだけで人は無意識の内にこの場所の事を意識しようとはせず、まして近寄ろうなどとは思わない。 けれど本屋などで市販されている地図に載ってないわけではない。別に存在そのものを隠されてはいないのだから。 だから極稀に酔狂な者がこの場所を訪れる事はあったが、それでも大抵の場合ベンチが一つだけぽつんと置かれた小さな公園の存在などすぐに忘却してしまう。 それでも頭の片隅に残るものがあるとすれば――今御坂が抱いている感想と同じようなものだろう。 何しろ風景が最悪だった。 公園内にたった一つとして設置されたベンチ。御坂が腰を下ろしているものだ。 そこに座れば誰だろうと意識せざるを得ないのだ。 天高く聳える真黒な建造物。 遠くから見れば影がそのまま立ち上がったかのような印象を覚えるそれが嫌でも目に入る。 まるでそれに見下ろされているような――見下されているような、ただ不快でしかない妙な重圧を感じさせられる。 その影色をした直方体をこの街の住人は『窓の無いビル』と呼ぶ。 「…………」 夜の闇に溶けるように、けれど何故だかはっきりと認識できるそれを御坂は暫く見上げていたが、やがて興味を失ったのか意識から除外した。 膝の上に抱えた大きなクーラーボックス。 強力な冷蔵機能を持ち内部を設定した温度に保つ高価なものだ。 ジュースや冷凍食品を入れておくこともできるが――どちらかと言えばそういう使い方をする者は少ない。 多くは研究目的として細菌やバクテリア、諸々の医薬品などの保管や運搬にも用いられる。 その中には――用途を鑑みれば当然なのだが――例えば事故で指を切断してしまった場合など、 生体部品の鮮度を保つために収納されるというケースも存在する。 だからこのクーラーボックスの中に、白井が初めに想像したようなものが入っていなくてもおかしくはないのだ。 御坂はこれ本来の使い方に忠実であったと言ってもいい。 「……ふふ」 小さく笑みを零し御坂はクーラーボックスの淵を愛おしむように指でなぞる。 蓋を開けたりはしない。そうすれば内部の冷気は外に流れ出てしまう。 それに、別にそんな事をしなくても彼女は今のままで充分だった。 彼女は今朝未明からずっと、片時たりとも手放そうとしなかった。 一日中。 ずっと。 彼女は満たされていた。 たとえ箱の外枠に隔てられていようとも一緒にいられる。 別離を恐怖しなくてもいい。これからもずっと一緒にいられる。 ただ――少々物足りなくはあるのだ。 満たされていると感じながらもその内に僅かな気泡があるような、そんな空隙を感じる。 その正体が何か。考えずとも分かる。今や二人を引き裂くものはこのクーラーボックスだけなのだから。 「――お姉様」 呼ばれ、御坂は顔を上げる。 二人きりの時間を邪魔されたが不思議と腹は立たなかった。 「お待たせしました」 いつの間に現れたのか。 御坂のすぐ眼前に現れた白井は小さく一礼する。 気配無く立つその姿はさながら幽鬼のよう。 どろりと濁った目は普段の彼女を知る者からしてみれば異常以外の何物でもなかっただろう。 けれど彼女の事を最も知っているであろう御坂は委細構わず、白井の顔を見て破顔した。 「ごめんねー黒子。持ってきてくれた?」 「……はい」 握った手を差し出され、御坂もまた平を上にして手を伸ばす。 白井の細い指の間から零れ落ちたのは――銀色のコインが何枚か。 ゲームセンターで用いられる安っぽい合金製のメダルだ。 「ありがと」 柔らかな笑顔を向け御坂は受け取ったコインを、学ランの下、ブレザーのポケットに無造作に突っ込む。 「やっぱりこれ、いつも少しくらいは持っておかないと駄目ね」 「…………」 何に使うのかと今さらとやかく聞くまでもない。 それに――この後の事を考えれば。備えておくに越したことはない。 「はいこれ」 入れ違いに渡された折り畳まれたメモ用紙。 それを受け取り白井は無言で開いた。 中には走り書きのような筆で数字と記号の羅列がいっぱいに描かれている。 少しでも教養のある者ならばそれが何かの計算式であろう事は容易に想像がつくだろう。 だが――それが何を指しているのかまでは分からない。 この街でも数えるほどしかいない、極限られた分野に精通する者のみが使う数式。 それは暗号文にも等しい。外国の言葉などそれを知らぬ者には何を示しているのか分かるはずもないのだから。 「――これがあのビルへの経路を示すものだとすれば、随分と簡単ですわね」 「そうなの?」 御坂にはそれがどういうものだったのか分からない。 如何に彼女が年並外れた才女だったとしてもまともな科学では推し量る事すらできない分野だ。 当然、それは至極まともでない分野のものだ。 十一次元空間と呼ばれる認識不可能な高次元を現す計算式。 二次元、三次元までは認識できる。けれど四次元空間、本来世界があるべき座だとしても、それを正しく理解する事ができるものすらそういない。 十一次元ともなればまともな思考では及びも付かない。まして観測するなど、どだい不可能でしかないのだ。 けれど白井は――白井の『自分だけの現実』は遥か高みにある事象を観測する。 正確には『十一次元座標を用い三次元空間の制約を無視して移動する事が出来る自分』を観測しているのだが、結果として大差はない。 「別に結標でなくとも、わたくしにもこれくらい造作も無いことですの。  精々が大能力者――自分を移動できるほどの空間移動能力者ならこの程度は初歩の初歩に過ぎませんし」 「ふーん」 然程興味のない様子で御坂は適当に相槌を返す。 彼女は白井と会話をしながらもどこか上の空だった。 「それはまあ、いいんだけどさ。黒子ができるっていうならそれでいいし」 でもちょっと困ったなあ、と御坂は首を捻る。 今さら言うまでもない事なのだが。 「空間移動――能力を使わないと無理なのよねぇ……」 「……」 「当麻を置いていかないといけないのかな、やっぱり」 白井とて何度かそれを目にしているし、実際に自分も体験した。 上条当麻――正確には彼の右手にはあらゆる能力が効かない。 白井の『空間移動』もまた然りだ。既に二度、白井は彼に能力が効かない事で歯痒い思いをしている。 御坂があの『窓のないビル』に行くと言うのならば。 当然、彼女の膝の上にあるクーラーボックスは置いていかなければならないだろう。 まさかここに放置する訳にもいかない。となれば白井に預けるのが良策なのだが――。 別に御坂は白井を信用していない訳ではない。                        、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 彼女は間違いなく大切な存在だし、そんな事をすればどうなるかが分からないほど愚かでもない。 ただ純粋に――離れたくないと思うだけなのだ。 御坂は二度と離れたくないと思うのだ。 逢瀬の最後に恋人が別れを惜しむのとはまた別の意味がある。 御坂美琴という少女は常に置いていかれる存在だ。 禁書目録の少女と似て非なるもの。彼女は常に蚊帳の外だった。 八月三十一日。 九月一日。 九月八日。 九月十九日。 九月三十日。 一〇月三日。 そして数日前。 二週間と間を置かない、頻繁に起こる事件の数々。 御坂はその中心まであと一歩の所にいながらもついに物語の核には触れられない。 僅かに及ばない。まるで世界がそれを拒むかのように。 そして――世界の中心には常にあの少年がいた。 物語における主人公とはそもそういう存在であり、世界の構造としては極ありふれている。 しかし。 彼が主人公の物語において御坂美琴とはどのような役だったのだろうか。 脇役と称すにはあまりに重要で、かといって助演と称すほどでもない。 酷く曖昧な場所でただ見ているだけしかできない存在。 どれほど努力しても本当に願うものには届かない。 まるで世界がそういう風に出来ているとしか思えない。 だからこそ――主人公不在のこの世界は不安定で、定まった視点を持つ事ができない。 ……、……。 ともあれ、御坂は今までずっと叶わなかった願いがようやく成就し――それがどのような形だとしても――そして二度と手放したくないと思うのだ。 そうすれば今度こそ二度と会えないような気がして。 「どうしたもんかなあ……」 心底困った様子で御坂は眉を顰め呻くのだ。 大きなクーラーボックスを膝に抱えたまま。 二律背反による停止を終わらせたのは振動だった。 「ん……?」 ブレザーのポケットの中、携帯電話が着信を告げていた。 マナーモードに切り替えているため音は鳴らない。 昼過ぎまで面倒な相手から頻繁に着信があったために切り替えていたのがそのままだった。 その後、ぱったりと途絶えてしまって清々していたのだが。 既に深夜。 この時間に電話を掛けるような者はそういない。 けれど――直感があった。 それが正しかった事を証明するように、取り出した携帯電話のディスプレイには電話帳に登録している名が表示されている。 ――――『上条当麻』 やっぱり、と御坂は思うのだ。 本来在り得ない事だった。 何故ならその番号を持つ電話回線は羽織った学ランのポケットの中で壊れたままだ。 だが御坂は何の躊躇いもなく通話ボタンを押し携帯電話を耳に当てる。 そして普段のままの口調で応えるのだ。 「――――もしもーし」 この番号と、そしてこのタイミング。 相手など一人しかいない。 『こんばんは、『超電磁砲』。説明は必要かね』 「ううん、別にー。ただこの番号から掛けてくるのはちょっとやりすぎよね」 『そうかい。悪い事をしたかな』 「だから別にって言ってるでしょ。……それで用件は何?」 『君が少し困っているようだったのでね。少し助言をしようかと思ったのだよ』 「ん……?」 『悩まずとも一緒に来ればいい。歓迎しよう』 「一緒にって、アンタ」               、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 『何も問題ないとも。それはそういう風に出来ている』 「……なーんだぁ」 それまでの表情が嘘のように御坂はぱっと顔を綻ばせた。 「それならそうと早く言ってよね。心配するだけ損だったじゃない」 『いや、君のそういう表情もまたいいものだ。  恋する乙女の面持ちだ。実にいじらしい』 「覗きなんて悪趣味ね」 『怒ったかね』 「いいわよ。助言とやらでチャラにしてあげる」 『それは有り難い』 そんな相手の言葉がどうにも可笑しくて、御坂はくすくすと笑ってしまう。 電話の相手と談笑する御坂に白井は訝しげな視線を向け尋ねる。 「お姉様、いったいどなたと――」 「――――」 御坂は目尻を下げたまま問いには答えない。 けれど電話を持つのとは逆の手の人差し指を立て口元に沿える。 そしてそのまま指を前方へ向ける。 指の先は夜闇に浮かぶ漆黒のビルに向けられていた。 「何よ。そっちから歓迎してくれるなら最初からそう言ってくれればいいのに」 『そう言わないで欲しい。面倒な手続きが必要なのだよ、何事にも。  君がここへ至るまでの道程は必要なものだったし、そうでなければ私もこうして君と電話で会話することもなかっただろう』 「よく言うわ……黒子」 携帯電話を耳に当てたまま、もう片方の手でクーラーボックスの肩紐を持ち上げ、御坂は立ち上がった。 「このままでいいってさ」 彼女の言葉に白井は眉を顰めるのだが、それでも無言で頷いた。 電話の相手が嘘を言う必要はないし、例え嘘だったとしても能力が不発するだけだ。 「……わたくしはここでお待ちしております。ご用が済みましたらお呼びください」 「うん。分かった」 白井はゆっくりと――恐る恐る手を伸ばし、御坂の胸元に触れる。 ……恐らくこれが最後のチャンスだろう。 全てを信じ切っていて最も無防備なこの瞬間、彼女を殺すなら今しかない。 けれど白井は頭の片隅でそんな事を思いながら自嘲を返すのだ。 そんな域は既に通り越している。あるのは達観とどこか機械的な思考だけだ。 白井は彼女にとってきっと大事な存在だが、それはもう異質なものとなってしまっている。 必要ならば死ねと言われる存在。慣れ親しんだ道具に愛着を感じるようなものでしかない。 けれど白井はそれでいいと思ってしまうのだ。 彼女の中で価値観のベクトルががらりと変わってしまったとしても、それは間違いなく自分を向いている。 白井の目は殉教徒のそれだ。盲目的な思考停止を自覚しながらも開き直りにも似た充足感を得ている。 だから白井は目を伏せこう言うだけだった。 「――いってらっしゃいませ、お姉様。  月並みですが、ご武運をお祈りしております」 そして、御坂美琴の見る世界は切り替わる。 慣れ親しんだ独特の浮遊感と世界が裏返しにひっくり返ったような錯覚の後。 ちかちかと目の裏側が瞬いたような気がして顔を顰め。 「…………」               、 、 ゆっくりと顔を上げるとそれと目が合った。 「初めまして、『超電磁砲』――超能力者第三位、御坂美琴」 「こんばんは。統括理事長、アレイスター=クロウリー」                             、、 巨大な試験管の中で逆しまにたゆたう存在がにぃと笑った。 それは、一言で言うならば奇妙な存在だった。 緑色の手術衣を身に纏い、腰まで届くような銀色の長い髪は容器の中の液体に揺れながら広がっている。 可笑しな表現の仕方だが、重力が今感じているままに働いているのならば――それは落下するかのように上下逆さに容器に満たされた液体の中に浮いていた。 男性のようにも女性のようにも、子供のようにも老人のようにも、聖人のようにも罪人のようにも見えるちぐはぐな印象を与える。      、 、 だからそれを正しく表現する言葉は固有名詞以外に存在しないのだが――ここでは代名詞として『彼』と呼ばせて貰おう。 彼は統括理事長、アレイスター=クロウリー。 学園都市という大規模コロニーを表裏共に牛耳る唯一の存在であり。 そして総ての発端――と称しても構わないだろう。 彼が何故、また如何様にして途方もない規模の計画を考案し、狂いを正し、時には不確定要素までをも取り込み、今まで推し進めていたのか。 この時点、あるいはこれから先も御坂は知る由もないのだが、彼女が彼に抱いている印象は全く間違ってなどいなかった。 学園都市に関わる有象無象総ての事件、一般的には事故と考えられているようなものまで。                                             、 、 、 、 、 、 、 些細なものから重要なものまで、およそ出来事と一言に括れるそれらをそうあるように仕組んだ存在。 神の見えざる手というものが実在するのであれば、即ちこれこういうものを指すのだろう。 黒幕。 あるいは元凶。 アレイスター=クロウリーとは終始一貫そういう存在である。 「ようこそ、御坂美琴。私が招き入れたのではない此処に訪れる者は君が君が始めてだ」 「よく言うわ」 くすくすと笑う御坂にアレイスターは達観したような嗤いを浮かべ彼女を見上げ――あるいは見下ろす。 「とりあえず掛けたまえ。立ち話では疲れるだろう」 そう言って彼は視線を逸らし御坂の脇を目で示す。 ふとそちらを向けば、いつのまにかそこには椅子が用意されていた。 合板とパイプでできた、教室に生徒の数だけ並べられているよくあるタイプのものだ。 直前まで御坂は椅子の存在を知覚できていなかった。 まるで映画のフィルムが切り替わるように、突如湧いて出たとしか思えない。 けれど御坂は、にこりと彼に笑顔を返すと何の疑いも持たず椅子に腰掛け、携えたクーラーボックスを膝の上に置いた。 「それで――私に何の用かね」 巨大な水槽に満たされた正体不明の液体に浮かぶ彼の口から直接聞こえたものではない。 海獣でもあるまいし、人が水中で喋る事などどだい不可能なのだ。 けれど彼の声は、不思議とはっきりと聞こえた。 頭の中に直接響くような声。もちろん比喩表現ではあるが、どこから声が聞こえたのかが分からない。 適当に、液中の振動を読み取って音声変換し見えない位置から指向性を持たせた空気振動を直接耳に打ち込んでいるのだろうなどと納得しておく。 「結標淡希は君にとって然程重要な存在ではないだろう。  それを、危険を冒し助けてまで手に入れた私との直接対話だ。君は私に何の用があるのだね?」 「んー、用っていうか確認作業? みたいな」 小首を傾げ御坂は華やぐような笑顔を絶やさぬまま続ける。 「アンタなら知ってるでしょ。昨日、戦ってたのは誰?」 「第一位『一方通行』と第二位『未元物質』だよ」 事も無げに、まるで天気の話でもするかのように彼は即答する。 「土御門元春からそう聞いていないのかね、第三位」 「あの金髪サングラス? だってあれ、平気で嘘吐きそうじゃない」 「まったく、君の直感は正しいよ。  そうとも。あれは信用に値しない。呼吸をするように虚実を騙る天性の詐欺師だ」 「それはアンタも似たようなもんでしょ」 「ふむ。確かに君の言う通りだ」 くつくつと彼は可笑しそうに嗤う。 「しかし今君に返した私の答えに虚言は一切含まれていない。  ――『あのビルを破壊し瓦礫を落下させ上条当麻を死に追いやったのはこの両者である』。これは間違いなく、厳然たる事実だ」 「そ」 「わざわざ私にまで確認を取りに来たにしては随分と興味がなさそうではあるね」 「んー……まあ、そうかな」 どこか曖昧な返事を返しながら御坂はアレイスターから視線を逸らし空中へ向ける。 何かを思い出そうとするように。 「第二位……垣根帝督、だっけ? じゃあ別にいいか」 「いい? 何がかね?」 「だって、当麻を殺したのが例えば黒子だったりとかしたら、私はあの子と一緒にいれないじゃない」 華やかな、見様によっては凄惨な笑みを顔面に貼り付けたまま御坂はそう答えた。 「さすがに自分の彼氏殺した相手となんか仲良くお喋りしたくないしね」 「……それだけかね」 「うん。まあこっちはついでみたいなもんなんだけど」 「ほう……?」 お互い形は異なるが性質は同じような笑みが交差する。 「アンタ、さっき言ったわよね――そういう風に出来ている、って」 無意識に指でクーラーボックスの淵をなぞり御坂は続ける。 「あれどういう意味?」 「そのままの意味だよ、『超電磁砲』、御坂美琴」 そう言うと彼は目を伏せ、詩吟するように語り始めた。 「君を例えにしようか。御坂美琴、『超電磁砲』。『超電磁砲』と呼ばれる君をだ。  御坂美琴の持つ異能は『超電磁砲』と呼ばれ、そして御坂美琴もまた『超電磁砲』と呼ばれる。  その名が指すものは君の持つ異能なのか、それとも君自身なのか。考えてみた事はあるかね?」 「私は御坂美琴よ。それ以外の何者でもないわ」 「そう。確かに君は御坂美琴だ。君を指す名はそれ一つだけ。  だが――『超電磁砲』とは何か。『超電磁砲』の主体はどこにある。能力なのか、それとも御坂美琴なのか」 「アンタと禅問答をするつもりはないわよ。そういうのは哲学者気取りの連中とでもすればいいわ」 「君が訊いてきたのだ。付き合いたまえよ」 「…………」 それももっともだ、と御坂は納得し、そして暫く沈黙する。 『超電磁砲』。発電能力の頂点。序列第三位の異能。 それは御坂美琴という少女のみに扱える、謂わば才能だろう。 似た性質のものは数多あれど、彼女が他者のそれを観測する術を持たない以上、 そして他者もまた彼女のそれを観測できない以上、『超電磁砲』という現象は唯一にして絶対だ。 故に一括りに纏められている能力は本来それぞれに固有名詞が与えられるべきである。 ただ有象無象のそれら全てに逐一名付けてなどいられないので総称、分類として『発電能力』や『発火能力』などの名が割り振られているだけである。 マッチの火もライターの火もガスコンロの火も、同じ『火』として扱われる。 結果として起きる現象に大差はないのだから見た目には変わらない。 彼ら彼女らの持つ能力に贋作などありえない。 全てがオリジナル――模倣などできるはずもなく、たまたま同じ結果が出ただけに過ぎない。 「そうねえ……そう考えてみると、『超電磁砲』っていうのは私の能力を指すって事すらおかしくなるわ。  『超電磁砲』って言葉は、私だけの現実を指すものよ。  ――『御坂美琴のみが観測し得る御坂美琴だけの現実』。他の誰でもなく、私だけの世界。  だから主体は私。能力は起きた結果に過ぎない。『超電磁砲』は私を指す代名詞」 「素晴らしい。実に模範的な解答だ」 「それって褒めてるの?」 「褒めているとも。君は実に優秀な学生のようだ。  ……さて、ここで君の問いに戻ろう。即ち『幻想殺し』――上条当麻についてだ」 そして数瞬だけ間を置いて、彼、アレイスター=クロウリーは僅かに目を細めて言った。                           、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 「結論から言ってしまおう。『幻想殺し』は上条当麻の能力ではない」 「……どういう意味よ」 「彼にとっての『幻想殺し』は君にとっての『超電磁砲』とは少々性質が異なるという意味だよ。  そういう風に出来ている――と言っただろう? だから彼の右手は、君と一緒にこのビルに『空間移動』によって入る事ができた」 「いまいちよく分かんないんだけど」 「ふむ……では順を追って説明しようか」 彼はゆるりと両手を動かし胸の前で組むと、まるで出来の悪い教え子を諭す教師のように僅かに顔を顰め嗤った。 「上条当麻という名の少年は自分だけの現実を持っていない。  何しろ彼は能力開発を受ける前からその力を持っていたのだからね」 「原石……って事?」 学園都市の学生は皆須らく能力開発を受けている。 それは薬物だったり催眠だったり、あるいはもっと別の何かだったりするが、目的は常に同じところを向いている。 『自分だけの現実』と呼ばれる事象の観測。 御坂の言うところの『超電磁砲』を認識するために人為的に人格、あるいは精神を破戒するというものだ。 人という種はこの惑星で唯一の知的生命体である――と、少なくとも現在のところはそう認識されている。 ――そういう世界だ、と人は定義している。 定義、である。 世界の法則、もしくは在り様。 世界とはこういう風に出来ていると人は知らず知らずに定義する。 こう考えてみるといい。ある者には林檎が赤く見えるが、しかしある者には林檎が青く見える。またあるものには黒く見え、ある者には白く見える。 しかしそれらは飽くまで主観だ。客観、共通認識として『林檎とは赤いものである』とされる。 だから彼らが見る赤や青や黒や白は、総じて赤という名称が割り振られる。 認識は違えども『その色 』の名は赤なのだ。 世界はそのように定義付けられてゆく。 別の言い方をすれば――世界は定義の数だけ狭められ、自由性がなくなる。 林檎とは赤いものであり、青くも黒くも白くもない。 これが世界の法則である。 だが能力開発は世界法則を捻じ曲げるために存在する。 端的に言えば、能力開発を受けた者には『林檎は青いものだ』と認識できるようになる。 正確には『林檎は青いものかもしれない』という確信に近い疑問を持たせる事ができる、と表現した方が正しいだろうか。              、 、 、 、 、 、 、 、 、 林檎は赤いものだと決め付けられている世界の中で。 新たに林檎は青いものだと定義し、かく在る世界を観測する事ができる。 普通、常識的に考えればそのような者は狂人以外の何者でもない。 だが――少なくとも学園都市においては――彼らは狂人ではなく能力者と呼ばれる。 学園都市という外界から区切られた箱庭の中では『林檎の色は赤だけではないかもしれない』と定義されている。 それが共通認識であり常識であり世界法則だ。 そうして観測された『林檎が青い世界』が新たに誕生し、この街を基点に現実を捻じ曲げ変質させる。 能力開発とは、人格、精神、価値観、認識、常識、発想、思考、歴史、そういうありとあらゆる世界の枠組みを破戒するためにある。 例えば御坂美琴という名の少女は『自分が電気を操り電子を操作できるかもしれない』と疑問に思った。 そしてそれを現実のものとして認識してしまった。 だから彼女の世界では御坂美琴は電気を操り電子を操作できる。そういう世界なのだから。 例えば白井黒子という名の少女は『自分が十一次元空間を移動できるかもしれない』と疑問に思った。 そしてそれを現実のものとして認識してしまった。 だから彼女の世界では白井黒子は十一次元空間を移動できる。そういう世界なのだから。 例えば麦野沈利という名の少女は『自分が電子を粒子と波動の中間の曖昧なままに固定し操作できるかもしれない』と疑問に思った。 そしてそれを現実のものとして認識してしまった。 だから彼女の世界では麦野沈利は電子を粒子と波動の中間の曖昧なままに固定し操作できる。そういう世界なのだから。 例えば垣根帝督という名の少年は『自分が未だ発見されていない未知の素粒子を自由に生成し操作できるかもしれない』と疑問に思った。 そしてそれを現実のものとして認識してしまった。 だから彼の世界では垣根帝督は未だ発見されていない未知の素粒子を自由に生成し操作できる。そういう世界なのだから。 そう、常識のフィルターを取り払われれば世界は隙間だらけの欠陥品でしかない。 世界はかくも簡単に変質する。 これは何も能力開発、学園都市に限ったことではない。 極稀に能力開発も受けず学園都市にもなく『林檎は青い』と言い張る者がいる。 普通なら一笑にされて然るべきであろう妄言が、しかし他者の認識にまで侵食したら。 彼の言う事は正しいと認めてしまったら。 その時、林檎は青いものととなる。 そういう奇跡に等しい所業を行った者、ないし狂人の事をこの街では区別して『原石』と呼称する。 「それくらいは今さら言われるまでもなく知ってるわよ」 不満そうに言う御坂にアレイスターは小さく頷いた。 「しかし、だからこそ彼の事を指して原石とは呼べない」 「どうして?」 「では訊くが、彼の能力――と君が思っているものは、一体どのようなものかね」 「そりゃあ、私の『超電磁砲』だろうがあの『一方通行』だろうが、ありとあらゆる異能を問答無用で――、っ!」 言葉に詰まった。 改めて能力の定義を再確認し、口にすることで漸く気付いた。 「理解したかね。それは単体では何ら機能せず、他に依存するものだ。であるならば、異能がなければ観測のしようもない。  さながら暗黒物質。比較対象が存在することでようやく、しかし間接的に観測可能な事象に他ならない。  故に異能が『事実として存在しない世界』では『幻想殺し』の証明は、まず他の異能を証明しなければならない。  だが、学園都市に来る以前の彼の周囲に他の能力者、あるいは原石、はたまた未知の異能を扱う者はいない。  だから彼は、『どのような異能であろうとも触れる事で打ち消す可能性』など観測しているはずがないのだよ。  証明としてはこんなところでどうだろうか、第三位、『超電磁砲』、御坂美琴」 クーラーボックスに掛ける指に力が込められ指先が白くなる。 御坂は上条当麻という少年を愛してはいるが。 けれど『超電磁砲』からしてみれば彼は宿敵――否、天敵でしかない。 「――結論、『幻想殺し』とは異能ではなく上条当麻の持つ性質であり、上条当麻自身を指す言葉である」 「…………それじゃあ『幻想殺し』っていうのは」 「そうだとも。林檎は青くも黒くも白くもなく、赤いものだという普遍世界の観測者。  君らの抱いた幻想を下らない妄言だと一蹴する存在。彼こそが共通認識であり、世界の中心だ。  言い換えれば駄々を捏ねる子に説教をするようなものかね。あるいは、言っても聞かぬ者ならば――」 「殴って分からせるしかない……」 「然り。飲み込みが早い生徒だな、君は」 そして、だからこそ。 「彼の右手がそれ単体で機能するはずもないだろう?  世界の観測者、基準点がなければ比較ができない。だから私は言ったのだよ。何も問題はないと」 ……もちろん、『林檎が青い』という単一の常識は人全てが持つ共通認識を塗り替えるほどの浸透力は持たない。 既に『林檎が赤い』という世界が成立している以上、それに打ち勝つには全人類が皆等しく『林檎は青い』と認識しなければならない。 精々が周囲の認識を汚染する程度に留まる。 だが、言うなれば上条当麻という少年は決して他に汚染されない存在だ。 絶対普遍の現実を持ち、それが世界の共通認識と何一つ変わらないからこそ、変わりようがない者。 究極に自己中心的とも言えるだろうか。 人格、精神、価値観、認識、常識、発想、思考、歴史、そういうものを植え付けられた少女達とは正反対の存在。 たとえ記憶を失おうとも、世界がそうして存在する以上何一つ変われない。 もしかすると、この世界そのものですら彼の観測している現実なのかもしれないのだが――。 「……そっかぁ」 小さく、けれど晴々とした笑顔で御坂は破顔した。 「じゃあ――確かにアンタの言うように何も問題ない訳だ」 「ふむ?」 アレイスターもまた、疑問の声を発しながらも目を細め全てを達観するように微笑する。 「アンタの『プラン』ってさ――私や当麻も含まれてるのよね?」 「まったく、誰からそれを聞いたのか……君のネットワークも中々侮れないな」 「肯定と受け止めておくわ」 「構わないとも」 『滞空回線』と呼ばれるナノマシンで構築されたネットワークはその機能を停止している。 一人の少女の世界を壊すほどの現実に押し潰された、学園都市第三位に数えられる能力の暴走状態によって、さながら粉塵爆発のように連鎖的に破壊されている。 それでも彼の目が失われた訳ではないのは前述の通りである。 如何様な手段か彼は御坂らの行動を把握している。『滞空回線』は彼の持つ手段の一つに過ぎず、代替など幾らでもある。 だから深夜の病院の敷地内で交わされた会話の内容など、彼が知らぬはずもないのだ。 「じゃあさ――『幻想殺し』にいなくなられちゃ、アンタすっごい困るわよねえ――」 あの時。御坂が初めて人を殺し、元の自分とすっかり変わってしまった事を自覚した直後。 彼女は愛する少年の姿をしたものに唆された。 まるで悪魔の誘惑。けれど対価は魂ではない。 どうでもいいようなものを要求された破格の取引だった。 果たして悪魔は彼か、それとも彼女か、あるいは眼前で容器に浮かぶ存在か。 そして御坂美琴は、にこやかに笑い言った。 「――私が代わりに『幻想殺し』になるっていうのはどう?」 [[前へ>とある世界の残酷歌劇/幕前/11]]        [[次へ>とある世界の残酷歌劇/幕前/13]]

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。