トロイカ体制(トロイカたいせい;ロシア語:Tройка;ラテン文字表記の例:Troika)

1. ソビエト連邦で、スターリンの死後、権力が書記長一人に集中するのを防ぐために、3人に権限を分散させた集団指導体制。最初の分散先役職は第一書記、最高会議幹部会議長(国家元首)、首相。名前の由来はロシアの3頭立ての馬橇であるトロイカ。

2. 転じて、3人の指導者で組織を運営する体制のこと。#転用を参照。

スターリン死後

1953年にソ連でスターリンが死去すると、ゲオルギー・マレンコフが党第1書記、首相を兼任し権力を掌握した。しかし集団指導体制を目指すマレンコフは党第1書記をニキータ・フルシチョフに譲った。最高会議幹部会議長にはクリメント・ヴォロシーロフが就任しトロイカ体制が成立する。

権限の分散を狙ったマレンコフであったが、党が国家を指導するという共産主義国家では必然的に党第一書記の発言力が強くなった。フルシチョフとの対立の結果マレンコフはわずか2年で首相の座を追われた。後任にはニコライ・ブルガーニンが就いた。フルシチョフは1956年に自身の失脚を画策したマレンコフらに反党グループの烙印を押し逆に完全に失脚させ、実質的なソ連の最高権力者となった。ブルガーニンはこの時フルシチョフ支持を明確にしなかったことが原因で1958年に首相を解任させられる。首相職はフルシチョフが兼任することになり、トロイカ体制は終焉する。

ソ連以外の社会主義国

ベトナム社会主義共和国では、現在も最高指導者の共産党中央委員会書記長、名目上の元首の国家主席、実務を担う首相の3職を分離させるトロイカ体制を敷いている。

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最終更新:2010年09月01日 11:04