『リゾナント殺人請負事務所録』 FILE.1~殺し屋たちは共鳴の夢を見るか~






一回目


「でもさ、まさは考え方しだいだと思うんだよ、世の中って」

怒りを露わにする遥に対し、優樹はやや的のはずれたことを無邪気に返してくる。
いつものことだった。

「何だよ、考え方次第って」

話逸らしてんじゃねーよと思いながらも、つい律儀に訊き返してしまう。
それもいつものことだった。

「どぅーどぅーはさ、いっつも自分の能力『うざい』って言うじゃん?」
「自分でほしいと思ったわけじゃないからな。うざいもんはうざいんだよ。で、それが何だよ」
「でもそのおかげでどぅーどぅーはまさと出会えたんだよ」
「それが何だよ」
「えーっ」

途端に優樹は悲しげな表情を作る。

「なんでそんなこと言うのー?どぅーどぅーはまさと会えてうれしくなかったの?」
「この状況でよくそんなことが言えんな。つーかだからそのどぅーどぅーってのやめろっての」
「なんでー?まさはこの呼び方好きなのに」
「だーかーらー、こっちが嫌だってんだよ。絶滅した鳥じゃねーんだから」
「鳥?ぜつめつ?あのおっきいダチョウみたいなやつ?」
「それはモアだろ」
「……ウルトラマン?」
「それはノアだ。っつーかそんなことどうでもいいんだよ!」

完全に話が脇道へと逸れていることに気づき、遥は再び声を荒らげる。

「シーッ!ダメだよどぅーどぅー、大きい声出したら。他のお客さんのめいわくになるって」
「誰のせいだと思ってんだよ」


苛立ちを込めてそう言い返しながらも、遥は声を低める。
他の客に迷惑がかかろうが知ったことではないが、それは結局自分たちの首を絞めることになる。

新幹線のぞみ205号N700系新大阪行。
平日ということもあってか、車内はさほど混んではいない。
というよりも空いている。
遥と優樹のいる7号車も、現状せいぜい4割程度しか埋まっていない。

他人の目が少ないのは都合がいいとも言えるが、その分目立ちやすいとも言える。
これからやろうとしていることを考えれば、誰かの印象に残るような行動は極力避けなければいけない。
やろうとしていたことが―――やらなければならないことが、この後予定通りに実行できるのならの話だが。

「消すか?普通。消さないだろ。っていうか消えないようにしとくだろ。っていうかしとけよ」

畳みかけるように言いながらも、それが明らかに暖簾に腕押しであることを途中で否応なく感じ、最後は完全にため息まじりになる。

今回の標的(ターゲット)の顔を、遥は知らない。
顔写真が優樹の携帯に送られ、遥はそれを落ち合った車内で確認する手筈になっていた。
だが。

「しょうがないじゃん、まちがって消しちゃったんだから。まちがいくらいだれにでもあるじゃん」
「だから間違って消さないようにしとけっつってんだよ。っていうか間違えんなよ。どう間違えんだよ」
「もー、どぅーどぅーおこってばっかりでやだ。もうやだ。きらい」

それはこっちのセリフだと言い返しかけ、遥はその言葉を飲み込む。
こうなったら、もう何を言っても無駄なことは嫌というほど分かっている。
子どものように膨れたまま、シカトを続けるだけだろう。

優樹と組んで―――すなわち「リゾナント」の構成員となって、もう2年以上が過ぎた。
優樹の性格は、十分に理解している。


遥がこの歳でこういった非合法な仕事を主とする組織でやっていけるのは、生まれ持った特殊な能力のおかげだ。
優樹が言うように「考え方次第」ということでいくと、その特殊な能力のせいでこういった非合法の仕事をする組織でしか生きていけない…ということになるのかもしれないが。
ただ、遥は自分のそのような現状について、そう悪いものでもないと思っていた。

「譜久村さんにもう一回画像データを送ってもらうわけにはいかないのか?」

無駄だと思いながら一応聞いてみる。

今回の依頼は、「上司」であるところの譜久村聖を介して遥と優樹に下りてきている。
依頼主が誰であるかも遥と優樹には知らされておらず、ただ「仕事」の内容が告げられているだけだった。
それそのものはよくあることで、だから遥もある意味では「油断」をしていたと言えるかもしれない。

「ふくぬらさんはもう別のおしごと中だからムーリー」
「あ、そう」

それが可能なら、いくら優樹でも既にやっているだろう。
ダメ元で一応訊いてみただけだったが、「そんなことも分かんないの?」という顔の優樹にまた腹が立つ。
誰のせいだと思ってるんだまったくテメーはよ。

「だったらどうすんだよ。顔が分かんねえじゃ殺りようもないだろ。何人いると思ってんだよこの車内に」
「だからー、どしたらいいか今かんがえてるとこじゃん!」
「考えてるように見えませんがね」
「かんがえてるもん!どぅーどぅーこそちゃんとかんがえてよ!まさ1人がかんがえるのとかふこうへいだよ!」
「ハァ?不公平とかそういう問題じゃないだろ」
「1人でかんがえるより2人でかんがえた方がいいに決まってるんだからどぅーどぅーもかんがえてよ!」

コ・ノ・ヤ・ロ・ウ……
いくつもの罵詈雑言が腹の底から湧き上がり、喉から出かけたが、ぐっと我慢する。

間もなく発車の時間だ。
本来であればできるだけ新横浜までに仕事を終え、すぐに下車したいところだった。
車内に長くいればその分目撃される恐れは増える。


だが、最早そうも言っていられない。
発車まではもうあと2分を切っている。新横浜に着くのは約20分後といったところだろう。
その間に顔も分からない標的を16両編成の車両の中から探し出し、騒ぎにならないよう始末して降りる…というのは実質難しい。

それに、「仕事」を終えたらできる限りすぐに降りなければまずい。
万が一、降りる前に異常に気付かれてしまえば、足止めをされる可能性がある。
首尾よく自然死に見せかけられればいいが、殺しを疑われてしまえば具合が悪い。
時速300㎞で走る密室の中で誰かが殺されれば、その密室の中に犯人がいるのは自明なのだから。

終点の新大阪までは約2時間半。
その150分の間に、標的を特定し、いいタイミングを見て始末し、終わればすぐさま降りなければならない。
それができなければ少々……いや、かなりまずい。

「データは消えたとしても標的の顔は見たんだろ?見たら分かるか?」
「う~ん…自信ないかも」
「マジかよ……」
「だってまだちゃんと見てなかったんだもんー。でもう~んとね……あ、女の人」
「それは知ってるっつーの。知らなきゃ『わーい一気に2分の1に絞れたぞ!』って喜ぶところだったんだけどな」

皮肉たっぷりに言ってみるが、無視される。

「あとね、まさたちより年上の人」
「そりゃそうだろうな。ハルたちより年下が標的だったらちょっとびっくりだ」

標的が今年14歳になったばかりの2人よりも年下……絶対にありえないことではないが、そうそうないだろう。

「でもふくぬらさんよりは年下かなあ。ちょっと大人でおばさんじゃないくらいの人」
「……ちなみにお前は譜久村さんをいくつだと思ってるんだ?」
「んー……25さいと9か月くらい?」
「なんだよその9か月って半端な数字は。っていうか16だよ。16歳。あ、もう17になったんだっけ?怒られるぞお前」
「うそー!どぅーどぅーとあんまり変わんないじゃん!でもおっぱいの大きさぜんぜんちがうよ?」
「ほっとけ!ってかだからそんな話してる場合じゃないんだよ!ほら、もう出んぞ新幹線」


間もなく発車する旨を告げるアナウンスが流れたことで我に返り、遥はまた脇に逸れた話を元へと戻す。

「譜久村さんからは他に何も聞いてないのか?つーか聞いてるだろ普通。特徴とか習慣とか癖とか…とにかくなんか参考になること」

その問いに、優樹は眉間にしわを寄せてしばらく考え込んだ。

やがて車体は動きだし、窓の外の景色がゆっくりと動き出したが、優樹の眉間のしわはそのままで変わらない。
いかにも頑張って思い出していますよといったその様子に、考えてるフリじゃないだろうなコイツと遥が思ったとき、ようやく“愁眉”が開かれた。

「そうだ!タバコめっちゃいっぱい吸う人だって言ってた。ふくぬらさんタバコ吸う人あんまり好きじゃないんだってー」
「タバコ……か」

それは案外大きな判断要素になるかもしれない。

N700系は全席禁煙になっている。
喫煙したければ、車内に数ヶ所設けられた喫煙ルームに行かねばならない。

「喫煙ルームは確か……」

プリントアウトしておいた車内図を確認する。
3号車、7号車、10号車、15号車にそれは設けられていた。

「標的は終点まで乗るって話だったよな?」
「うん」
「標的がヘビースモーカーだとしたら、長旅の間に途中で吸いたくなるだろうな」

長旅とは言ったものの、せいぜい2時間半ではある。
だが、ニコチン中毒者にとってそれはきっと長い時間だろう。
煙草を吸ったことのない遥には、完全に想像することは難しいが。

「ってことは、喫煙ルームがある車両の席を取るんじゃないか。この通り空いてるんだからどの車両の席でも好きに取れたろうし」
「おー!どぅーどぅーすごーい!さえてるね!」


能天気に拍手する優樹に真面目にやれと言いたくなったが、褒められて悪い気もしなかったのでそのまま話を続ける。

「問題は、さっき挙げた4つあるうちのどの車両かってことだけど」

再び手元の紙に目を落とす。

「…3号車はないな。1~3号車は自由席だ」
「なんで自由席だとちがうの?」
「標的がこの列車に乗るって分かってたってことは当然指定席だろ。自由席だったらこの時間だって確実には特定できない」
「おお!そっかー」
「7号車もないな。ハルたちがいるこの車両だからな。標的と同じ車両に乗せるなんてこと、譜久村さんはまずしない」

この席を手配したのは聖だ。
何も考えず(もしくは考えた上で敢えて?)同じ車両に乗せそうな人もいるが、聖はそういうタイプではない。
ちょうど真ん中あたりの車両を選んでいるのも、前後どちらにも行きやすいようにとの配慮だろう。
…逆に言えば、そのせいで特定が難しくなっているとも言えるが、そのことについては仕方がない。
そもそも標的を特定しないといけないというこの事態そのものがイレギュラーなのだから。

「じゃあ残りは10か15かー。ねえ、どぅーどぅーはどっちだと思う?」
「お前もちょっとは考えろよ」
「かんがえてるもん」

再び頬を膨らませる優樹にこれみよがしなため息を吐く。
それに対し、優樹は睨み返すことで不満を表した。

「10号車はグリーン車だな。それに関しては譜久村さんは何か言ってなかったか?」
「みどりがどうとかそういうことは何にも言ってなかったよ」
「緑じゃなくてグリーン車」
「それも言ってなかった」
「それもっていうか最初からそれしか聞いてねーよ」


例えば標的がいつもグリーン車に乗っているのだとすれば、聖はきっと一言添えただろう。
それがなかったのなら、普通車である15号車の可能性の方が高いのかもしれない。
だがそれは、あまりに多くの不確定要素の上に成り立つ推論でしかなく、自信は到底持てない。

むくれていた優樹が、そこでふと何かを思いついたというようにポンと手の平を拳で打つ。

「10号車と15号車の人ぜんぶ殺しちゃうのはダメ?」
「恐ろしいことを平気な顔して言うなよ。ハルたちは無差別大量殺人鬼じゃないんだぞ」
「ぜんぶって言っても女の人だけだよ。あと、ちょっと大人でおばさんじゃないくらいの人」
「…どこまで本気で言ってるんだ?」
「じょうだんに決まってるじゃん」
「冗談言ってる場合じゃないんだけどな」
「じゃ、とりあえずどっちも見に行ってみる?見たら思い出すかも」
「ほんとかよ。ま、どっちにしろ最後はそうするしかないけどな」

とはいえ、あまりに無計画に車内をウロウロし続けるわけにはいかないだろう。
大した理由もなさそうなのに動き回っていては、不審に思われかねない。

天を仰ぐ。
優樹と組んで仕事をするときに10中8、9は必ず漏らしてしまう言葉を、今回も遥は言わずにはいられなかった。


「やれやれだ」






投稿日:2013/10/28(月) 16:04:57


二回目


    ◆    ◆    ◆ 

「席番までは望まないからさ、せめて何号車かだけでも覚えてないのかよ。ってか覚えてるよな普通?」

品川駅に到着したことを告げるアナウンスが流れる中、遥は優樹に問いを向ける。
問いと言ったものの、実際のところそれは完全に「苦情」であり「愚痴」だった。

「おぼえてたら言ってるにきまってるじゃん。言ってないってことはおぼえてないってことだよ」
「何威張ってんだよ」
「まさはいばってないもん。いばりんぼはどぅーどぅーの方じゃん!」

言い返しかけたところで発車を告げるベルが鳴り、同時にバカバカしくなってやめる。
こんなガキ全開のやつと張り合っていても仕方ない。
ハルはオトナにならないとな、14歳になったんだから。

添付されていた標的の顔写真とともに、簡易情報の書かれた聖からのメールは優樹の手によって消去されていた。
そして、それを「てきとうにバババッてよんだだけだもん」な優樹の記憶領域からも、同じく消去されてしまっているらしい。
本来なら何のことはない簡単な仕事の難易度をえらく上げてくれるものだ。

「…お前が覚えてないだけで、メールに席番が書いてあったことはあったんだよな?」

列車が動き出し、外の景色の流れがだいぶ速くなった頃、まだ頬を膨らませたままの優樹に再び問う。
今度は純粋な問い掛けだった。

「書いてあった……きがする」
「気がするってお前なあ…。それによって前提条件が変わってくるんだよ。断言しろよ」
「だっててきとうにバババッてよんだだけだもん」
「それはもう最初に聞いた」
「じゃあきかなきゃいいじゃん」
「………っの野郎……」



……オトナになれハル。

だが、標的の座席を聖が正確に把握していたかどうかは、推論を展開するにあたって重要なファクターになる。
おそらくはそうだろうという前提で、これまでも思考を重ねてきている。
自分たちと同じこの7号車には標的はいないはずというのも、その前提がなければ成り立たない。

「大切なことなんだよ。頼むから頑張って思い出してくれ」

下手に出て拝むようにすると、少しフフンという表情をした後、また眉間にしわを寄せ首を傾ける。

大したことでもないのにいちいちアクションが大げさなんだよテメーは。
苛立ちの波が我慢の堤防を壊しそうになるのを、オトナの度量でなんとか持ちこたえる。

やがて、眉間のしわと首の角度を元に戻した優樹は、自慢げな顔と共に言った。

「うん、書いてあった。でも何ばんかはわすれた」
「…そうか」

大きくため息を吐く。
何とか堤防を決壊させずに耐え切った自分を褒めたい。

「だってじぶんの席おぼえる方がだいじだもん」

遥の吐いたため息を自分への非難だと受け取ったのか、優樹は睨むようにしながらそう言ってくる。
もう一度吐きかけたため息を飲み込み、遥は努めて優しく返した。

「あのさ、自分のは切符に席番書いてあるからさ、次からは他の何かを犠牲にしてまで頑張って覚えなくていいからな」

「なるほどー」と素直に感心する優樹にはもう構わず、遥は再び思考を巡らせた。
まずは優樹からの情報を元に組み立てたこれまでの推論を再検証してみる。



ヘビースモーカーらしき人物像から、喫煙ルームのある車両が怪しい。
16両編成中4両あるその車両のうち、自由席である3号車、自分たちの乗る7号車の線は薄い。
残るはグリーン車である10号車、普通車である15号車のどちらか。

あくまで蓋然性が高いというだけに過ぎないが、大筋では間違っていないと思える。
この先はもう、行動で確認するしかないだろう。

「よし、じゃあとりあえず確認に行くか」
「おっけー」

親指と人差し指で作られた小さな輪っかが優樹の頬に押し当てられ、遥は再び心の中でため息を吐いた。

体を伸ばすような素振りとともに席を立ち、通路へと出る。
振り返った遥の目に、細長い半透明のガラスが嵌め込まれたドアが映った。
16両編成の車両にはそれぞれ1~16号の番号が振られており、東京発――すなわち下りの際には進行方向から順に数字が増えてゆく。
つまり、10号車や15号車を目指すのならば、「後方」へと向かって歩いていくことになる。

遥たちの乗る7号車は、先にも言ったように喫煙ルームと、そして奇数車両である故にトイレも設置されている。
そのため座席は15列までしかなく、そして遥たちが座っているのがその15列目、すなわち最後列だった。
そのことから考えても、標的は「後方」にいる公算が大きい。

優樹と視線を交わし、ドアを開けてデッキへと足を踏み入れた。
デッキに出てすぐが乗降口になっている。
ドアの外に覗く景色は、当たり前だがどんどんと流れている。
あまりゆっくり構えてもいられない。

視線を正面に戻すと、8号車へのドアが見えた。
喫煙ルームやトイレの前の廊下は想像したよりも長く、ドアはまだ小さく見えた。
無言で歩を進め、上部にグリーン車のマークが書かれたそのドアを目指す。
辿りついたそれを開くと、先ほどまでの普通車とは異なる色合いの内装が目に飛び込んできた。



(やっぱ標的のいる方向はこっちで合ってるな)

それと同時に、座席が――すなわち乗客の顔がすべてこちらの方向を向いていることに改めて気付き、遥は内心で小さく頷く。

これであれば、移動しながらごく自然に顔がチェックできる。
いちいち振り返っていてはあからさまに怪しい。
聖ならばそのくらいの気遣いは当然のようにしているだろう。

「ねえ、どぅーどぅー」
「なんだ?」

標的の顔を発見したのかと、遥の体に僅かに緊張が走る。
だが、優樹の口からは緊張とはほど遠い言葉が飛び出した。

「このイスめっっちゃ座りごこちよさそうー。いいなー」

言葉とともに、手前の空いた席の座席を撫でまわしている。

「…そりゃグリーン車だからな」
「まさこっちがいい」
「ハルたちの切符は残念ながらグリーン席のじゃない」
「えーー。なんでみどりにしてくれなかったの?」
「ハルに言うな。っていうかどっちにしろゆっくり座ってる場合じゃないだろうが」

名残惜しそうに座席を見ている優樹の肩を小突き、先を促す。
多分怪しまれないように「車内探検を楽しんでいる無邪気な少女」を演じているのだ……と信じたい。
だが念のため、優樹にそっと耳打ちする。

「ちゃんと客の顔チェックしろよ。お前の記憶が頼りなんだからな」
「わかってるってば」



その割にはまだ客よりも車内の様子に気を取られているように見えなくもなかったが、それ以上言わずにおく。
必要以上にしつこく言って本格的にヘソを曲げられる方がよっぽど厄介だ。

その後は何事もないまま8号車を抜け、続けて9号車を抜けてゆく。
座っているのは多くが男性客や年配の客で、優樹が言っていたくらいの年代の女性客はほとんどいない。
もうグリーン車には飽きたのか、不必要なほどきょろきょろするのをやめた優樹からも特に合図はないまま、ドアに辿りついた。

公衆電話が置かれた9号車のデッキが目に映る。
無言のままそこを抜け、10号車のドアに手を掛けた。

「次は本命の一つだからな、より注意深く見とけよ」
「まかしとけ」

軽く答える優樹に何かを言うことはもうせず、ドアを引き開ける。
見慣れてきたグリーン車の内装と、まばらな客の顔が飛び込んでくる。

優樹は再び顔を輝かせてきょろきょろを始めた。
最初のはどうか怪しいが、優樹が一度飽きたものに再度興味を示すとは思えないので、今度のは間違いなく芝居だろう。
事実、ウキウキした様子や表情に反し、さりげないながらも鋭い目が次々座席へと注がれている。

「どうだ?」

ドアまであと少しというところでそっと訊いてみるが、小さく首が振り返される。

「…いないか。ならまだ先だな」

呟いたところでドアの前に着く。
開けると、ガラス張りの喫煙ルームがすぐそこにあった。
誰も使っている者はおらず、それを示すかのように空気は澄んでいる。
7号車の喫煙室より狭いんだなと、遥はそんなどうでもいいことを思った。



    ◆    ◆    ◆ 

「どぅーどぅーどぅーどぅー、まさちょっと思ったことがあるんだけど」

再び普通車となった11号車を縦断し、12号車との間のデッキへと出たところで優樹が遥の背中をつついてきた。
振り返った遥に、優樹は真剣な顔を向けてくる。

「なんだよ」
「トイレとかチェックしてなくない?」
「……してないな」

優樹の指摘に思わず舌打ちする。

ここまでの間にトイレは2回通過しているが、中に人がいたかどうかは確かめていない。
万が一、たまたま標的がトイレに行っていたとしたら、やり過ごしてしまっている可能性はある。
本来であれば見落としてはならない点だが、標的の特定にばかり気が行ってしまっていたことが腹立たしい。

「じゃあさ、一回まさがもどるよ。どぅーどぅーはここでまってて」
「そうだな……」

見落としていたとはいえ、実質的に運悪くやりすごしてしまった可能性は微々たるものだろう。
一度このまま最後尾まで行く方が効率的かもしれないが、万が一ということもある。
優樹の言うようにしておいた方がいいかもしれない。

…と考えたところでふと気付く。

「お前さ、まさかと思うけどジュース飲みたいだけとかないよな?」

11号車の前方側のデッキに設置された自動販売機をもの欲しそうに見ていた優樹の視線を思い出し、遥はそう訊いてみる。
「おかねもってきたらよかった…」と小さく呟いていたのを聞いているだけに、訊かずにはいられなかった。



「…そんなわけないじゃん」
「目を逸らすな」

自分の責任をまるで感じていない優樹に、怒りを越えて脱力が襲う。
それと同時に、チャイムが鳴り車内にアナウンスが流れた。

 ――まもなく新横浜です。横浜線と地下鉄線は……

「分かった。ハルはここで待ってる。ちゃんと確認して来いよ。トイレもだし、もちろん座席ももう一回な」

アナウンスが終わるのを待ち、半ば諦めの境地でそう言う。
新横浜を出れば、どうせ名古屋まで乗り降りは不可能になる。
長期戦が避けられなくなった今、どうせ同じことなら優樹が満足する選択肢を選んだ方がいいだろう。

「でしょ?それがいいよねぜったい」

嬉しそうにする優樹に、「ああそれがいいそれがいい」と気のない頷きを返す。
そして付け加えた。

「ただ、新横浜を出発して、ある程度客が落ち着いてからな」

乗り降りの前後でゴチャついている中では、移動もしづらいし何より確認が難しい。
降りる客はさほどいないだろうが、乗ってくる客はある程度いるかもしれない。

「わかったー」

素直に頷きながらも、優樹は既に退屈そうにあたりを見回している。
釣られたわけではないが、遥も視線を左右に動かしてみる。
デッキ部分は、近未来的…とでも言えばいいだろうか、メタリックなデザインになっている。
部屋を四角く区切るのではなく、円形にしてあるのも近未来感を感じさせた。



「おお…もくてきしつ?ここ何?」
「多目的室な」

目の前の円形の部屋を指差して首を傾げた優樹に、まずは訂正を入れる。

「体の不自由な人とか気分が悪くなった人が使うんだって。あと授乳のときとか」
「ふーん」
「ちなみに鍵かかってるらしいから勝手には入れないぞ、言っとくけど」
「ふーん」

訊いてみたものの特に関心はなかったらしく、あからさまにおざなりな声が返ってくる。
ちょうどそのとき、車両が新横浜駅に滑り込んだ。

「あーお客さんちょっとふえるね」

ちょこちょこと開いたドアに駆け寄り、外を覗いていた優樹が振り返ってそう言う。

「だろうな。だからできりゃここまでに終わらせたかったんだけどな」

言外にあからさまな非難を込めたが、今度は優樹には伝わらなかったようだった。
多分もうジュースを買いに行くことで頭が一杯なのだろう。

「ねえどぅーどぅー、もう行っていい?」
「どうぞ」

そわそわと言う優樹に、諦めたようにヒラヒラと手を振る。
どうせ優樹は一度自分の席まで戻る。
席まで戻るときはまだゴチャついているだろうが、再度こちらへ向かう頃には落ち着いているだろう。

許可を与えられた優樹は、いそいそと「前方」へと戻って行った。



その姿を見送り、遥は「後方」へと向かう。
先に進もうと思ったわけではもちろんない。
11号車には、多目的室とともに多目的トイレが設置されている。
「仕事」を行なうのに都合がいいかもしれないと目をつけていた場所の一つなので、下見をしておこうと思ってのことだった。

先ほどの多目的室同様に丸みを帯びたドアの前に立ち、その脇のスイッチを押す。
自動で開いてゆくドアの向こうに、トイレの空間が現れる。

「おおっ、広いな」

思わず感心の声が出た。
車いす対応になっているため、列車内のトイレとは思えないくらいのスペースが広がっている。
中に踏み込んで見回してみると清掃も行き届いていて綺麗で、「ここを血とかで汚したら悪いな」とちょっとだけ思った。

「――!?」

不意に背後に気配を感じ、遥は振り返った。
出入り口のところに、遥や優樹よりは年上と思しき少女の2人組が立っている。

「使うのか?こっちはちょっと覗いてただけだからすぐ出るよ。悪いな」

言いながら、外へと出ようとする。
だが、遥の体は逆にトイレの中へと引きずり込まれた。

「なっ……?」

「見えない力」に体を引っ張られ、そのまま奥の壁へと叩きつけられる。
壁に張り付けられたようになった体は、まったく動かせなかった。

「手間が省けたね」「だね」と笑い合う少女たちの背後で、トイレのドアが閉まる。
確かここは自動施錠方式だったなと思いながら、遥は小さく「やれやれだ」と呟いた。






投稿日:2013/11/02(土) 14:21:37.09 0


三回目



「ホールドアップ」の体勢のままで壁に抑え付けられた遥は、筋力では抗えそうにないと知ると、小さくため息を吐いた。
そして、不穏な笑みを浮かべる2人の少女へと、できる限り平和な声を向ける。

「なあ、これは一体何が起こってるんだ?オタクらは何なんだ?」

気安い表情を作りながら、少女たちを素早く観察する。

一人は、いかにも女の子らしい白を基調としたワンピースに、これまたかわいらしいロングカーディガンを羽織っている。
ゆるくウェーブのかかった髪をふわっとまとめ、左肩から前に持ってきてあるのも女の子らしい。

もう一人は、黒のトレーナーに白のフレアスカートを合わせるという少し変わった格好をしている。
それとも案外これが今の流行なのかもしれない。
髪の毛はいわゆるおかっぱに近い短めで、前髪パッツンになっている。

髪色は2人ともに黒で、モノトーンが主体の落ち着いた色彩の服装と相まって、どこか陰を感じさせた。

(ま、髪や服だけの話じゃないけどな)

今の2人からは、完全に遥にとって馴染みのある雰囲気が発散されている。
すなわち―――

「うちらは同業者だよ。あんたの」

おかっぱの方が、意味ありげな笑みとともにそう言う。
やっぱりなと遥は思った。

このような「仕事」に「業界」があるというのは冗談のような話だが、事実あるのだから仕方がない。
遥や優樹の属している「リゾナント」は、移り変わりの激しいこの「業界」の中でも割と「老舗」に当たると言えるだろう。
他の「店」の人間と直接顔を合わせることはほとんどないが、やはり「業界」内で有名な者の噂は自然と耳に入ってくる。


だが。

「同業者ねえ…。こっちはお前らのこと知らないけど。で?何の用だよ」

こんな2人組の噂は聞いたことがない。
言外に「つまりその程度のランクなんだろ?」というニュアンスを込め、遥はめんどくさそうに言った。
2人の顔色が分かりやすく変わる。
浮かべていた笑みも、すっと引いた。

カーディガンの方が右手を挙げる。
同時に、遥の喉が見えない力で締め上げられた。

「立場をわきまえた方がいいよ?あなた、私たちに捕まってるんだから」
「わ、わる…かった…。くる…しいって…」

素直に謝ると、締め上げる力が緩まる。
大げさに咳込んで「暴力反対」という表情を非難がましく示すと、2人の顔に余裕が戻った。

「……それで、同業者さんが何の用なんだよ」

先ほどの問いを再び向けると、2人の口元が揃ってどこか嬉しそうに歪んだ。
ああ、こいつらは心底楽しみながらこういうことやるタイプなんだなと遥は思う。

「あんたさ、仕事中だったんでしょ?」
「お前らんとこでは仕事のこと誰にでもペラペラ喋っていいって言われてんのか?」
「痛い思いする前に素直になった方がいいんじゃない?」
「何だよ、痛い思いって」
「とりあえず指、折っちゃうか」

「それは痛そうだな」と言おうとした瞬間、遥の左手の小指に見えない力が加わる。
そして、関節とは逆の方向に一気に折り曲げられた。


「……ッ!」

思わず睨み付けると、2つの嫌らしい笑顔が返される。

「えらーい、よく声出さずに我慢できたね。あと9回、我慢できる?」
「…一体何が聞きたいんだよ」
「あれ?もうギブアップなの?」
「苦手なんだよ、こういうの」
「なんだつまんないなー。ま、いっか」

“おかっぱ”が小さく肩を竦め、含み笑いをしながら何かを呟く。
そして楽しそうな顔を遥に向けた。

「あんたらの獲物なんてさ、最初からいないよ」
「は…?どういうことだよ」
「鈍いなー。嵌められたんだよ、あんた」
「はぁ?嵌められた?誰にだよ」
「ほんっとに鈍いなー。ちょっとは自分で考えてみたら?って無理か。頭悪そうだもんね」

余計なお世話だとムッとする。
そう言う“おかっぱ”もさほど頭が良さそうには見えなかったが、それを口に出すと面倒そうなので黙っておく。
指を折られるよりは、バカにされるのを我慢している方が多分マシだろう。
オトナにならなきゃな、オトナに、うん。

「しょうがないから教えてあげる。あんたのとこの譜久村だよ」

だが、その次に“おかっぱ”が口にしたその言葉に、遥は唖然となった。

「あはは、びっくりしてるよ」
「ねー、見た今の顔。超ウケる!」


顔を指差して笑ってくる2人にイラッときたが、それよりも別の感情の方がずっと大きかった。

「ありえねーよ」

その思いを一言で表す。
遥としては事実を事実のままに口にしただけだったが、2人にとってはまた違う意味を持ったらしい。

「なになになに?ありえないって?聞いた?ありえないんだってー」
「ありえるからこういうことになってるのにね。バカだね」

まさに喜びを爆発させる…といった感じの2人に、遥の苛立ちは募る。

「何でありえないの?ねえ、何で?」
「ありえねーからありえねーっつっただけだ」
「心から信じ切っちゃってるんだね、可哀想に」
「ま、なんか聞いたとこによると、この業界に入る前からの関係らしいからね。信じたい気持ちは分かるよ」
「…詳しいんだな」
「どっかの施設かなんかで一緒だったんだって?あの『店』で働くことになったのも譜久村の口利きで」
「そんな強い絆で結ばれてるのに裏切るなんてありえない……って言いたいんだ。うぶだね」
「………」
「あれー?黙っちゃった」
「ふふ、黙っちゃったね」

さすがに我慢の限界が近くなってきたために途切れさせた言葉も、2人にとっては楽しみのネタになるらしい。

「ってことでさ、あんたは裏切られて自分たちからノコノコ殺されに来たってわけ。あ、あんた“ら”か」
「ちょ、待て。お前らあいつにも手を出す気か?」

一瞬、苛立ちを忘れて思わず目を見張る。
話の流れからすれば当然にすぎることだったが、目の前のことに気を取られて、優樹の存在をすっかり忘れてしまっていた。

そんな遥に対し、2人はまた顔を指差してくる。


「ふふ、またあんな顔してるよ」
「ウケる!マジでウケるね。手を出す気かって当たり前じゃん。本物のバカだよこいつ」

再び苛立ちが戻ってくる。
無駄とは知りながら、一応言うだけ言ってみる。

「あいつには手を出すな」
「なになになに?なあに?手を出すな?聞いた?ねえ聞いた?手を出すなだって!」
「相棒愛かぁ。泣けるね」
「手を出すなっつってんだよ。いや、出さない方がいい」
「今度は『出さない方がいい』だって」
「固い絆があるんだねー。なんだか可哀想」

さすがにいい加減、付き合うのが苦痛になってきた。
なんでもかんでも我慢するだけがオトナじゃないよな、うん。

「なあ、さっきから絆とかどうとかバカなのか?お前らほんとに業界の人間?さすが能力者のくせに無名なだけはあるよな」

一瞬で2人の顔から笑みが消える。
自分たちがマイナーであることをよっぽど気にしているらしい。
その豹変ぶりはいっそコミカルなほどだ。

「…まだ自分の立場が分かってないの?」
「分かってないのはお前らだろ。あ、分かるわけねーか。頭悪そうだもんなお前ら。無名にはやっぱり理由があるってことか」
「黙れ!」

激した“カーディガン”が右手を挙げる。
遥の左手の薬指が、小指に続いておかしな方向に曲がった。

「あーあ、また折れちゃったじゃん。でさ、そもそもお前らさっき『ありえねー』って言った意味勘違いしてね?ってかしてるよな?」
「どういう意味だよ」


「答え教えてほしい?それか自分らで頑張って考えてみるか?」
「うるさい!うるさい!うるさいッ!!」
「おい、ちょっと、落ち着きなって」

“おかっぱ”の静止を聞かず、“カーディガン”は感情を暴走させ続ける。
外見に似合わず、えらく興奮しやすい性質らしい。
おかげで、遥の左手の指はすべて力を失いぶらさがった。

「あーあ、全部プラプラになっちまったじゃん」

他人事のように言う遥に、“おかっぱ”の方はさすがに不気味さを感じ始めたらしい表情を覗かせる。
だが、“カーディガン”の方はいまだ感情を昂らせ続けている。
興奮すると分別がつかなくなる傾向にあるようだ。

「うるさいしか言えないならもう答え言うぞ?」
「黙れ!黙れ!黙れぇ!」

今度は、右手の指が折られていく。

「はは、ちょうどカウントダウンみたいだな。3、2、1……じゃ、正解発表」

すべての指がバラバラの方向を向いたところで、遥はニヤリと笑った。
そして、ずっと言いたくて仕方なかった「正解」を口にする。

「『譜久村さんがよりによってお前らみたいなカスを差し向けるなんて死んでもありえねー』っつってんだよ、バーカ」
「だまれぇぇッッ!!!」

言い終わるとほぼ同時に、これまでで最大の力が遥を襲う。
何かが頭部に巻きつくような感覚の直後、目に映る景色が高速で動き、気付けば、頭の後ろにあったはずの壁が目の前に在る。
張り付けられた体はそのままに、遥の首は180度回転させられていた。

    ◆    ◆    ◆ 

「あーあ、殺っちゃったか。まあいいよ。どうせそう長くも遊んでられないし」

「拘束」が解け、首をぐにゃりとさせたまま床に尻をついた遥を見下ろした後、“おかっぱ”は“カーディガン”に向き直る。
まだ少し目を血走らせ、息を荒くしている“カーディガン”に、呆れたようにため息を吐く。

「だけどさ、そのすぐ興奮するくせ、いい加減直してってばもう」
「だってこいつムカつくんだもん」
「ま、確かに生意気なガキだったけどさ。もうちょっと冷静になってよ」
「ああいう口ばっかのやつ大っ嫌い」
「分かるけどさ。そうカリカリばっかりしてないで、絵画でもゆったり楽しむ心の余裕を持てっていつも言ってんじゃん。いいよ、芸術は」
「退屈だからイヤ。同じ絵ならアニメ見てる方がずっといい」
「分かってないなあ。漫画では絶対得られない一瞬を捉えた美しさをさ。動きがないのに確かにそこには動きがあって」
「漫画じゃなくてアニメ!そっちこそ分かってない!」
「あー分かった分かった。興奮すんなって話をしてんのに。それにまだ仕事は半分しか終わってな―――」

言いかけた“おかっぱ”の表情が一気に緊張する。
数人くらいは十分に立てるスペースがあるこの多目的トイレ。
その空間内――出入り口の扉すぐのところに、いつの間にか一人の少女が立っていた。

「……!おい!」
「分かってる!」

しかも、それが他ならぬもう一人の「獲物」だと知り、2人は戦闘態勢を取る。
“おかっぱ”の声に合わせ、“カーディガン”が素早く「触手―エア・テンタクルス―」で「獲物」を捉える。
捉えようとした。

「……ぇ?」

だがそれは叶わず、代わりに微かな声が“カーディガン”の口から洩れる。
何が起こったか理解できないといった表情を浮かべ、そのまま崩れ落ちる。
そして、おそらくは自分がどうなったか理解できないままに、カーディガンの少女の意識は永遠の闇に落ちた。


    ◆    ◆    ◆ 

「何こんなとこであそんでんのさ、どぅーどぅー」
「年がら年中遊んでるやつに言われたくないけどな」
「まさはあそんでないもん!」
「今もジュース買いに行ってたくせに」
「ジュースはあそびじゃない!」
「…何だよその迷言。つーかやっぱりか」

そう言いながら遥は立ち上がり、倒れた女のカーディガンの裾で、指先に付いた血を拭う。

「そん……ど、なんでだ!お前、何で生きてる!?こんな……おい!おいって!起きろよ!」

殺したと思った相手が生きていて、目の前で相棒が殺された―――
その事実が、まだ完全に事実として受け入れられていないらしい。
“おかっぱ”は、明らかにパニックになっていた。

「何で生きてるかって、お前らがアマチュア以下のカスだからだろ」

特に聞き出すこともないのに、不必要にいたぶり殺すようなことをするなど、「同業者」が聞いて呆れる。
はっきりいって一緒にしてほしくはない。
殺すのならば、今の遥のように迷いなく一瞬で終わらせるのがプロの鉄則だ。
大体が「標的」を「獲物」などと呼んでいる時点で、完全に何かをはき違えている。

「だけど…首を…首が…」
「折れてたのに…ってか?漫画好きなのお前の方だっけ?ゴムゴムの実って知ってるよな。ハルあれ食べたんだよね」

言いながら、首を360度捻じってみせる。
絶句する“おかっぱ”に笑いかけながら、首を元通りにぐるんと戻す。


もちろん、本当に「悪魔の実」を食べたわけではない。
遥の持つ能力「物質変性―ディネイチャー―」によるものだった。
先刻、“カーディガン”の盆の窪を指で貫き通したのも同様だ。

「さて、お前には聞かなきゃいけないことがあるな」

言いながら、一歩踏み出す。
“おかっぱ”の顔が引き攣った。

「う、『動くな』!」
「……?」

上ずった声で“おかっぱ”がそう言った瞬間、遥の足が実際に止まる。

(これは…「催眠―ヒュプノシス―」系の能力者か?)

“おかっぱ”の言葉通り、体が動かない。
その一瞬の隙に必死で横をすり抜け、“おかっぱ”は優樹へも言葉を向ける。
向けようとした。

「……んぐっ?」

だが、それは叶わず、代わりにくぐもった声が“おかっぱ”の口から洩れる。
“おかっぱ”の口には、いつの間にかゴムのボールがすっぽりと嵌まり込んでいた。

「にがすわけないじゃん」

目を白黒させる“おかっぱ”に、優樹がくしゃっと笑う。

“おかっぱ”は今はまだ知らない。
だが、この笑顔が何よりも恐ろしいことを、遥はよく知っていた。





投稿日:2013/11/11(月) 17:16:56.52 0


四回目


※不快に感じる人がいるかもしれない描写を含みますのであらかじめご了承ください


“おかっぱ”は必死で口内のゴムボールを吐き出そうとしている。
だが、文字通り死活問題となるそれはまるで達成できていない。

実際、顎でもはずさない限りはまず無理だろう。
もしくは歯を全部ぶち折るか。
どちらも痛そうだ。

「この人がちょうどいいものもってた。はい、どぅーどぅーこれ」

“カーディガン”のポーチを物色していた優樹が、そう言いざまに何かを投げてよこす。

「危ねっ!投げ方が雑なんだよ。もうちょい丁寧に渡せよ」
「めんごー。はいもういっこ」
「うおっ!だから!危ねーってのに!」

顔面に向かってきた2個目の手錠も何とかキャッチし、いまだ悪戦苦闘している“おかっぱ”の首根っこを無造作に掴む。
そして、便器の方へと思い切り突き飛ばした。

「ぐむっ…!」

背中から激突した“おかっぱ”は、声にならない声を上げた後、便座の上に腰を落とした。
その両手を、素早く左右の壁の手すりに2つの手錠で片手ずつ繋ぐ。

「さて」

“おかっぱ”を拘束し終えた遥は、優樹の方を振り返った。

こいつには色々と喋ってもらわなければならない。

誰に雇われたのか。
目的は遥と優樹を殺すことなのか、それ以外にもあるのか。
他に仲間はいるのか……等々。


とんだ時間ロスだが、こっちの「仕事」を滞りなく遂行するためと、自分たちの身を守るためにはやむを得ない。
もっとも、曲がりなりにも「プロ」の意識がある人間なら、いくら何でもこれらの内容を易々と漏らしてしまうとは思いにくい。
「尋問」に使える時間は十分とは言えない。
願わくば、覚悟までアマチュアレベルであってほしいものだ。

ともかく。
何にしろ、ゴムボールを咥えたままでは答えてほしいことにも答えてもらえない。
顎もはずさず、歯も折らずにボールを取り出すには、嵌め込んだ本人に頼むしかない。

だが、無言で促す遥に「まだだよ」と笑顔を返し、優樹はその表情をそのままに“おかっぱ”へと顔を向けた。
パニックも収まって腹を据えたのか、便器の上で拘束された“おかっぱ”は挑戦的に睨み返す。
もっとも、口はパンパンに膨らんでいるので、せっかくだがだいぶマヌケだ。

「まずは、まさの能力せつめいしとくね」

緊張感の欠片もないその第一声に、敵意に満たされていた“おかっぱ”の瞳が、僅かな拍子抜けと困惑の色を浮かべる。
敵に対してわざわざ自分自身の能力を説明することの意味が分からないのだろう。
そう、今はまだ。

「まさの能力はしょーとるーぷっていって…」
「ショート・リープな」
「…どっちでもいいの!とにかく自分とかものとかを……びゅんっってできるの」

擬音や擬態に頼る説明はやめろっつーのに。

「転送―ショート・リープ―」が優樹の持つ能力だ。
短距離間に限られるが、自分自身や物体を、空間を“跳び越え(リープ)”させて一瞬で任意の場所に転送することができる。
鍵のかかったこのトイレ内に入って来たように。
“おかっぱ”の口内に、ゴムボールを詰め込んだように。

「たとえばこのくぎでやってみるね」


優樹の手には、五寸釘…ほどではないが、太くて長い釘が乗せられている。
おそらくは、これも手錠とセットでこいつらが用意していたものだろう。
何にどう使うつもりだったかは分からないが、まあ大よそのところは想像がつく。
本当に趣味の悪いやつらだ。

「いくよー」

どうリアクションをすればいいのかいまだに分からないでいるらしい“おかっぱ”に構わず、優樹は自分のペースで話を進める。
敵ながら気の毒だなと少し思う。

「ぉご!?」

次の瞬間、“おかっぱ”は激しいリアクションを返した。

「こんなかんじー」

笑顔を絶やさないまま、優樹は無邪気な口調でマイペースを貫く。
対して、体内のどこかにバカでかい釘を刺し込まれたのだろう“おかっぱ”は、表情を一変させている。

同じ言葉の繰り返しになるが……敵ながら気の毒だ。
ま、同情する気にはなれないけどな。

「もういっぽんね」

笑顔で、優樹はまた釘を取り出す。
“おかっぱ”の目が恐怖を湛えて見開かれ、次の瞬間また声にならない絶叫が漏れる。

「もういっぽん」

笑顔。恐怖の表情。引き攣る体。くぐもった絶叫。


……やっぱりちょっと同情するかもしれない。
こういうの苦手なんだよな。
まだ痛そうなとこが見えないだけだいぶマシだけどさ。

「もういっぽん」

優樹がそう言ったところで、“おかっぱ”が必死に首を横に振った。
直後にまた体を痙攣させ、悲痛でいて間抜けな声を漏らす。
あーあ、だから「あいつには手を出さない方がいい」って教えてやったのにさ。

「まさの能力わかった?」

最初からまったく変わらない笑顔のままそう訊く優樹に、“おかっぱ”は今度は必死に首を縦に振る。

「じゃ、いろいろきくからちゃんとこたえてね?はんこうしたら殺すから」

必死の頷き。
どうやら割と早く片付きそうだと心の中でほっと一息吐く。

それにしてもと遥は思う。
“カーディガン”にしろ“おかっぱ”にしろ、あの能力を持っているなら、上手く立ち回れば十分以上にこの「業界」で名を上げられていたはずだ。
彼女らが「殺人者」ではなく「殺し屋」として襲撃してきていたら、もしかすると結果は違っていたかもしれない。

もちろん、それは全く意味のない「たられば」だ。
それができないからこそ彼女らは「アマチュア」なのであり、「無名」だったのだから。
だが、遥自身、聖や今の「店」との出会いがなければ案外似たようなものだったのかもしれないと思うと、目の前の少女が少しだけ本気で哀れに思えた。
このあたり、自分でも「プロ」失格な甘い部分だと思っている。

「どぅーどぅー、ちょっともってて」
「は?何を……ってうおっ!汚ねえ!何すんだてめー!」


思わず放り投げたゴムボール――今しがたまで“おかっぱ”の口に嵌っていた――が、べちょりと床に落ちる。
それは唾液だけではなく赤いものにも塗れていて、生々しく痛みと苦しみを伝えてくる。

ほんと気の毒だわ。
だが、汚いものは汚いので、再度“カーディガン”のカーディガンで手を拭く。
よく考えりゃ、これまで散々他人にやってきただろうことが自分に返ってきてるだけだしな。

口が自由になったことで“おかっぱ”の能力は使用可能になっただろうが、おそらく過度の警戒は必要ない。
先ほどの使用場面から推測するに、能力は一度に複数の相手には使えないとみてまず間違いないだろう。
どのレベルまで相手の体もしくは意思を支配できるかは分からないが、完全に操れるなら同士討ちをさせるなりできたはずだ。
それをせず、動きを止めて逃走にかかったということは、せいぜいそれくらいしかできない程度ということなのだろう。

また、その効果はせいぜい数秒程度だった。
命のやり取りの中でのその数秒は致命的なものになるだろうが、この状況下ではまず生かしきれない。
ましてや「催眠―ヒュプノシス―」系の能力は、相手が警戒して構えていれば効果は薄れる。
そんなものをものともしないほど能力が強ければ別だが、まあまずそれはない。

そして……何よりそれ以前に、“おかっぱ”はほぼ戦意を喪失している。

「じゃ、最初の質問な」

手を拭き終えて立ち上がり、“おかっぱ”に視線を向けた。
最初は答えやすい質問にしておく。

「お前らの受けた『依頼』は、ハルたちを殺すことか?」
「……そう」
「その『依頼』を受けたのはお前ら2人だけか?」
「…知る限りはそう」

この程度の質問ならボールを口に押し込んだままでも答えさせることはできたが、それでは真偽の判断が難しくなる。
今の答え方からして、どちらも嘘は吐いていなさそうだ。
ただ……それがすべてでもなさそうだ。


「具体的にはどういう『依頼』を受けた?いつ、どこで、どうやって殺せとか、そういう指示はあったのか?」
「それは……」

言いよどむ。
当然だろう。
「依頼」の内容について詳しく漏らすなど、この「業界」に身を置くものとして最もやってはいけないことの一つだ。
そうなのだが。

「んむっ!?」

再び自分の口にゴムボールが「転送」されたことを知り、その表情が恐怖に歪む。
続けて、これまでで最大の痙攣と「絶叫」とともに、歪んでいた表情がさらに歪んだ。
手錠で傍らの手すりに繋がれた“おかっぱ”の左手親指から、太い釘の先が突き出ている。
おいおい、見えるとこやんなよこっちまで痛いっつーの。

「ゆったじゃん。だめだよ、はんこうしたら」

そうだぞ、ダメだぞマジでこいつに逆らったら。

「見える」恐怖とストレスは“おかっぱ”も同じだったらしく、完全にその表情が怯えに支配された。
必死で「分かった」というように何度も頷く姿からはもはや、抵抗の意志はまったく感じられない。
だが。

「もういっぽん」

鬼かこいつ。
……いや、「プロ」だよな。

笑顔。恐慌。苦悶。絶叫。苦悶。恐慌。懇願。


もう、“おかっぱ”は完全に優樹の支配下に置かれている。
「拷問」はただ痛みを与えればそれでいいというものではない。
実際、単純な痛みだけで言えば、優樹が“おかっぱ”に与えたものはたかが知れている。
だが、きっとそれを遥かに越える恐怖が、“おかっぱ”を絡め取っている。

「生」を諦めさせたり、意志や思考を完全に剥ぎ取るほど痛めつけてしまっては、逆に尋問ができなくなる。
ただ痛みを与えるのではなく、何をすればそうされるのか、どうすればされないのかを、無意識レベルで相手に植えつけることが重要だ。
加えて、今ならまだ取り返しがつく、でもこれ以上逆らったら取り返しがつかないことになる…と、心から思わせることが。
痛めつけることを楽しんでも、躊躇してもそれはできない。

「やめて、もうやめて、お願い、何でも喋るから…!」

再びボールがはずされた口から、泣き声が漏れる。
身悶えしながら乞うその姿には、もはや一片のプライドも感じられない。

「じゃ、さっきの質問に答えろ」
「こ、この新幹線の中で殺せって。殺し方はあたしたちの好きなようにしていいって…。それだけ。本当にそれだけ」
「好きなように……ね」

やり方は任せるという「依頼」自体はごく普通だ。
というよりも、それがこの「業界」の暗黙の「マナー」だ。(マナー違反者も多いけどな)

だが、この場合の「好きにしていい」からは、それとは違う感触を覚える。
こいつらは、ただ殺すのではなく、肉体的にも精神的にも相手を痛めつけながらゆっくり時間をかけて殺すのが趣味のようだった。
確証はないが、「依頼者」はそれを分かっていてこいつらを使ったのではないだろうか。
遥や優樹たちをそのように殺したかった……ということでは多分ない。
他の理由がありそうな気がしてならない。

「で、誰だよ、依頼者」


「業界」の人間にとって最大の禁忌(タブー)をぶつける。
重大な「契約違反」が「依頼者」側にあった場合は別として、これを漏らすことはこの「業界」での死を意味する。
最もやってはならないことの中でも最もやってはならないことだ。
だが、もう“おかっぱ”はその禁忌を破ることに躊躇したりはしないだろう。

「知らない。ほ、本当だよ!本当に知らないんだってば!『仲介業者(メディエーター)』を通して受けたから…」
「仲介業者?お前らフリーか?どっかの『店』には属してないのか」
「……今回は…『店』を通してない」

なるほど、そういうことか。
それは不幸中の幸いというか、面倒中の小さなラッキーだ。
「店」同士が揉めるのは、できることなら避けたい。
小金を稼ぎたかったのか名を上げたかったのか殺しそのものを楽しみたかったのかそれら全部だったのかは知らないが、単独行動なら揉める心配は少ない。
こいつらの「店」にとっては、こいつらの行動は明らかな「契約違反」だ。

「で、どこの仲介業者だ」
「五反田の『サン事務所』とかなんとかいう小さいところ。あたしらも初めてだったから詳しくは…」
「聞いたことねーな」
「う、嘘じゃないって!」
「携帯借りるぞ?」

“おかっぱ”の携帯を操作し、通話履歴を表示させる。

「番号これか?」
「そう」

直近の履歴を示すと、“おかっぱ”は即座に頷く。
黙秘や虚偽で対抗する気はもう完全にゼロになっているようだ。

再び携帯を操作し、その番号にかける。
耳に当て、反応を待つ。
やがて、平板な女性の声が耳を打った。


――おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上……

「う、嘘だっ!そ、そんなはず…!嘘じゃない!本当だよ!本当にその番号なのっ!嘘じゃない!こんなはずない!こんなの嘘だ!」

受話口から漏れ出て聞こえたらしいそのアナウンスに、“おかっぱ”は真っ青な顔で必死に言い募る。
嘘なのか嘘じゃないのかはっきりしろよどっちだよ。

「別にお前が嘘吐いたとは思ってねーよ。通話履歴として残ってるんだから」

そう言うと、“おかっぱ”は安堵の表情を浮かべ、優樹の方をチラリと見遣る。
すると「イヒヒ」と笑い声を返され、大げさなぐらいビクリとなって遥の方へと視線を戻した。

「“嵌められた”のはお前らの方らしいな。多分、そんな仲介業者元々いなかったんだよ」
「いな…かった…?」

その五反田の事務所とやらは、とっくにもぬけの殻だろう。
こいつらに件の「依頼」をすることだけが目的だったに違いない。

「その仲介業者の風体は?」

聞いても無駄なことだろうとは思いつつ一応聞いておく。

「中身はどこにでもいる普通のオッサンで……ただ、とにかくピンクだった」
「……は?ピンク?」

聞き間違いかと思ったが、そうではなかった。

「そう、ピンク。髪の毛とかサングラスとかシャツとかスーツとかパンツとか革靴とか……とにかく全部ピンク色で固めてた」
「全身ピンクのオッサン……」


「業界」でそんなヤツの噂を聞いたことはない。というか当たり前だ。そんなヤツいるわけがない。
服や見た目のインパクトを強くすることで、それを纏う人間自身の印象を消そうとしたのだろう。
おそらく、「ピンクじゃなくなったオッサン」を、もう“おかっぱ”は認識できないに違いない。
たとえそこから辿れたとしても、きっとどこかで手がかりの糸は途切れ、大元に辿りつくのは難しいだろう。

そこまで考えたとき、遥の携帯が振動した。
画面を見ると、聖の名前が表示されている。

「はい」
「どぅー、もう終わっちゃった?」
「いえ、まだですすみません」
「よかった。『依頼』は取り消し」
「はぁ?何ですかそれ」

前置きもなくいきなり「仕事」の中止を告げた聖に、遥は憮然とした声を返す。
だが、正直なところ、どこかでそうなりそうな予感もしていた。

「ちなみに理由は教えてもらえますか?」
「『依頼者』が死んじゃったみたいなんだよね」
「死んだ?どういうことですか」
「殺されちゃったんだ」
「誰に。何でまた」
「どこかの『プロ』だろうね。何でかは思い当たることが多すぎて分かんない」
「まあ依頼者がいなくなったんじゃどうしようもないですけど。ってか死なせちゃダメじゃないですか。譜久村さんは何やってたんですか」
「別の『仕事』でどうしても抜け出せなくて。それは片付いたんだけど」
「あ、まーが言ってましたねそういえば。そっちは無事終わったんですね」
「うん、キンバク好きのおじさんだったのがちょっと…って感じだったけど、まあそのおかげで楽だったのもあるし」
「はぁ、金爆好きのおじさんすか」

遥もそのビジュアル系エアバンドは嫌いではなかったが、聖は否定派なのかもしれない。
どうしてそのおかげで「仕事」が楽だったのかはよく分からないけど。
あの人、ああ見えて天然なとこあるんだよな。


「それはいいんだけど、えらく遅いね?なんかあった?もう絶対終わっちゃったと思ってた」
「ええ、それなんですけど」

電話中はお静かにとばかりに再びゴムボールを口に嵌められている“おかっぱ”をチラリと見遣る。
“おかっぱ”は電話の内容も気になるようだったが、それ以上に退屈そうにしている優樹が気になるようだった。
退屈しのぎに「もういっぽん」をやられたりしないかと恐れているのだろう。
お前らじゃねーんだから目的もなくそんなことしたりしないっつーの。…多分。

「実は襲撃を受けたんですよね。誰かに『依頼』を受けたって2人組に」

起こったことを、順序立てて話す。
まず優樹がメールを消してしまったことを報告したら、聖は呆れ、優樹は膨れ、それを見て“おかっぱ”は怯えた。

そこでふと気づく。
優樹がメールを消したのも、もしかすると“おかっぱ”の能力によるものかもしれない。
例えば、近くで“カーディガン”としている何気ない会話の中で、「メールを消せ」という「命令」を乗せて、その部分だけを優樹に届けられれば。
メールを消す動作自体は簡単なことなので、他人の意志が介在していると気付かずに誤って消したと思ってしまうかもしれない。
…優樹なら。

後で確かめてもいいが、まずおそらくはそういうことだろう。
それによって「長期滞在」を余儀なくされ、今に至っているのだ。
ある意味、あの時点から「襲撃」は始まっていたのだと言える。

ただ、こいつらがそんな作戦を立てたと考えるのは違和感がある。
おそらくはそれも「仲介業者」を通じて与えられたものだろう。
遥と聖の関係をそれなりに知っていたことも同様である気がする。

そういった推測も含めた報告が、ようやく現時点の時系列に合流する。
“おかっぱ”の表情から見て、推測したことは大筋で合っていそうだった。

「なんだよー、おまえのせいだったのかよー」


優樹は舌っ足らずな口調で“おかっぱ”に絡んでいる。
ってか敵にいいようにやられてる時点でお前の失態だよバカまー。
怯えきった表情がデフォルトになった“おかっぱ”は、すっかり刻み込まれた恐怖に失神寸前になっている。

「襲撃は時間稼ぎ…だね」
「やっぱりそう思いますか、譜久村さんも」

少しの沈黙の後に返ってきた聖の言葉に、遥は2度3度と頷く。
遥や優樹を殺すための襲撃ではなく他に理由があるのではないかと考えていたところに、「仕事」中止の知らせ。
それはおそらく繋がっている。

2人組に遥たちの殺しを“依頼”した誰かは、同時に遥たちの「依頼者」への殺しも「依頼」していたとみてまず間違いはない。
後者は遥たちの「標的」を殺させないため、そして前者はその時間稼ぎだと考えるのが妥当だろう。

「そうなると…打ってあった手はこいつらだけじゃなさそうですね」
「多分ね。もう『標的』を殺す理由がなくなったことはあっちも分かってるだろうから大丈夫だと思うけど、一応気を付けてね」
「分かりました」

遥たちの「依頼者」を殺すまでの時間稼ぎが目的であったのなら、あの2人だけにそれが任されていたわけではまずないと見た方がいい。
結果的に役目は果たされたが、他にも複数“保険”をかけてあったと考える方が自然だ。
一体「標的」は何者で、またそれを守ろうとしたのが何者かということを知りたい気持ちもあるが、それは深入りしない方がいいだろう。
聖でさえ「標的」の特殊性に気付かなかったらしいくらいなのだから。

「それと」
「はい」
「分かってると思うけど、“後始末”はくれぐれもしっかりね」
「…はい」

電話を切る。


「っつーわけだ。『仕事』はお終いだってよ」
「なんだよなんだよむだ足かよー」
「お前がメールさえ消さず、とっとと終わらせときゃ無駄じゃなかったんだけどな」

言いつつ、まあそれはありえなかったろうなと思う。
漠然とした勘だが、それがなくともどのみち何らかの足止めを受けていた気がする。
もしかすると、こっちが無事なままなのは幸運でさえあるのかもしれない。

「まさのせいじゃなくてこいつのせいだもん」

優樹は頬を膨らませ、“おかっぱ”を指差す。
またビクリと体が震えた。
怯えきったその表情は変わらないが、その瞳には不安とともに微かな希望の色が浮かんでいる。
遥たちの「仕事」が終わりだと知り、もしかしたらこれで解放してもらえるかもしれないという期待が顕れたのだろう。

「やれやれだ」

いつもの呟きが漏れる。
優樹と一緒だから漏れるのだと思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。
この因果な商売そのものへの嘆息なのかもな。

唐突に腕を伸ばす。文字通り、普通ではありえない長さに。
伸ばした腕の先の手を“おかっぱ”の頭に絡める。
そして一気に収縮させた。

首の骨が折れる音が、そして感触が伝わり、びっくりしたような表情を浮かべていた“おかっぱ”の頭がぐにゃりとなる。

「……まー、譜久村さんが『“後始末”はくれぐれもしっかり』ってさ」
「そうだよどぅーどぅー、あとで怒られないようにちゃんとやっとくんだよ」
「お前もだよバカ」

次の停車駅――名古屋まではまだ長い。



    ◆    ◆    ◆ 

「よくグースカ無防備に寝れるもんだ」

傍らで寝息を立てる優樹に、遥は呆れと感心が半々になった呟きを漏らす。

“カーディガン”と“おかっぱ”は、タイミングを見計らって優樹の能力で車外に「転送」した。
やつらは「標的」ではないので、わざわざ車内に残して面倒の元になるよりはその方がいいだろう。
死体が見つかったときには騒ぎになるだろうが、闇の世界の人間だと分かればいつものように最後はうやむやになる。

多目的トイレ内も、(微妙に血痕は残ったが…)可能な限り綺麗に掃除しておいた。
何が悲しくて新幹線のトイレ掃除なんてしなきゃいけないんだよまったく。

それでも時間は余ったので、席に帰ってきた。
そして帰ってくるなり、優樹は「まさつかれたからねる」と眠ってしまい今に至る。
もう襲撃される理由はないはずだが、必ずしもそうとは限らない。
まだ気を抜いていいわけではないことは優樹も分かっているだろうに、なんとも太平楽というか豪胆というか。

「ホットコーヒー、お茶はいかがでしょうか」
「あ、お茶ください。冷たいやつ」

通りかかった車内販売のお姉さんを呼び止め、ペットボトル入りのお茶を求める。

「まさもなんかほしい。こんどはしゅわっとしたやつ」
「なんだ起きたのかよ。あ、炭酸のやつって何かありますか」
「炭酸のお飲み物はコーラのみとなっております」
「えー、まさサイダーがいい」
「すみません、気にしないでください。コーラでいいです」
「大変申し訳ありません」

まとめてお金を払って品物を受け取り、コーラの缶を優樹に手渡す。


「あーあ、サイダーがよかったのにー」
「まだ言ってんのかよ。奢ってやってんのに文句言うとか何様だ」
「だってさやしすんがサイダーサイダーいっつも言うからのみたくなるんだよー」
「ああ、そういやよくサイダー飲んでるな、鞘師さん」

「リゾナント」の「同僚」である里保は、言われてみれば、見かける度にサイダーの瓶を持っている。

「ねーどぅーどぅー、まさ、ゆめ見てたんだけどどんなゆめか聞きたい?」
「どこまでお気楽なんだよお前は」
「ねえ聞きたい?どぅーどぅーも出てきたよ。ふくぬらさんもさやしすんも」
「勝手に喋れよ。聞きたくないっつってもどうせ喋るんだろうが」
「ゆめの中でね『リゾナント』ってきっさ店なんだよ、まさたちがいるとこ」
「は?喫茶店?なんだそりゃ」
「ゆめだよ。でね、まさやどぅーどぅーたちはせいぎのヒーロー」
「正義?ヒーロー?意味わかんねーよ。なんだよそれ」
「だーかーらー。ゆめっていってんじゃん。まさたちはせかいをすくうためにたたかってんの」
「世界を救うねえ……殺し屋にゃ多分無理なんじゃないか?」
「だからせいぎのヒーローなんだってば!」
「そうだったな。…でもよく考えりゃ似たようなもんじゃないのか?どっちも。ヒーローだって敵殺すときあるし」
「……かもしんない。にてるかも。だってゆめの中でもさやしすんサイダーのんでたし」
「それ関係あんのか?」
「ってことは殺しやもせかいをすくえるかもしれないね」
「多分無理なんじゃないか?」
「ぜったいむりだね」
「なあ、何の話だよこれ」
「だからゆめのはなしだってゆってんじゃん」

窓の外の景色は、勢いよく流れ続けている。
名古屋までは、あとまだもう少し。

「やれやれだ」と今日何度目かに呟きながら、遥はペットボトルの蓋を開けた。



                    ―― 完 ――





投稿日:2013/11/18(月) 12:29:44.91 0





















最終更新:2013年11月27日 11:02