~コールド・ブラッド~ <Ⅰ>


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カーテンの向こうで何かが揺らめいた気がして、少女はベッドから体を起こした。

目をこすり、枕元の目覚まし時計を見る。
針は午前2時を指していた。
睡眠は割と深い方で、いつもは朝まで熟睡するタイプであるはずの自分がどうしてこんな時間に目を覚ましたのか、少女は寝ぼけた頭で訝しく思った。

そのとき、再び視界の隅に何かが揺らめくのを感じ、少女は無意識に視線をめぐらせた。

瞬間、まだぼんやりとしていた少女の目と頭が一気に醒めた。
それと同時に大きく開かれた口から悲鳴が飛び出しかける。


だが、その悲鳴がひんやりとした真夜中の空気を引き裂くことはなかった。

そのときにはすでに、その悲鳴の元となった黒い影が覆いかぶさり、少女から全ての自由を奪っていた―――


      *      *      *



「はぁ?吸血鬼(ヴァンパイア)?」

思いもかけない言葉を聞いた…という表情で、新垣里沙が頓狂な声を上げた。

「そう、吸血鬼」

それに対し、高橋愛は表情を変えず冷静に頷きを返す。

「れいなたちいつからお化け退治屋になったと?」
「れーな、せめてかっこよくゴーストスイーパーとか言いなよ」

呆れと困惑がない交ぜになったような田中れいなの言葉に、いつものようにどこかズレた指摘をする亀井絵里。
そしてそれをきっかけにして、喫茶「リゾナント」に様々な声が飛び交いだした。

「個人単位に止まらない、不特定多数に及ぶ甚大な人的被害を出したか、又は出す怖れの極めて高い者の捕獲、もしくは“除去”……」


まず口を開いたのは、最年少の光井愛佳だった。

「それがうちらの役目でしょう?そやったら、対象がたとえお化けやろうとエイリアンやろうと、うちらの仕事なんやないですか?」
「愛佳サンの言う通りです。大切なのは相手が何であるかではなくて、目的が何かだと思います」

その言葉にまず追随したのは、昨年中国から派遣されてきたリンリンこと銭琳。


「小春もそれに一票。大体、結局のところ対象が“普通の人間”だったことなんて数えるほどじゃん?この前の“狼男”とか、吸血鬼なんかよりよっぽどお化けだし」
「……久住、それは私に対する挑戦か?」

久住小春の言葉に、銭琳と同じく中国から来たジュンジュンこと李純が反応する。

「別にぃ。でもそういう風に聞こえたんならそれでもいいけど?」
「コラ、やめなさい。そういうのは後でよそでやんなさい」

いつもの不毛な言い争いが始まりそうな空気を、里沙がすかさず抑え込む。

「新人は活きがいいね。わたしたちも見習わないといけないな」

僅かに笑顔を浮かべてそう言った後、愛は再び表情を引き締めた。

「愛佳やリンリンの言う通り、わたしたちの仕事…そして目的は“人間を守る”こと――」

再び静まった空気の中、凛とした愛の声が響く。

「たとえ相手が何であれ、不特定多数にとって危険な存在であるのならば、わたしたちはすべきことをしなければならない」

愛の言葉に、全員から力強く頼もしい頷きが返ってくる。


 ――――リゾナンター


この“業界”でその符牒を持つ彼女らの仕事は、人間社会に甚だしく悪影響を及ぼす存在やその芽を人知れず取り除くこと。
テロリストやシリアルキラー、またスプリー・キラーとなり得る者等の“除去”のために10数年前に発足した。
だがいつしか、主としてその対象となる存在は、自然に一つのベクトルを示し始めた。


 ――――サイコフォース


いわゆる“超能力”を持った人間。
能力の種類やその強力さの程度によっては、容易に社会に致命的なダメージを与えかねない存在。
現在では、“リゾナンター”の責務対象となる者のうちの9割は、そういった“普通ではない”人間となっている。

常人とは異なるチカラを持った故に、サイコキラーやスプリー・キラーとなってしまう者が多いのもその理由の一つと言えるかもしれない。
しかし、一番の理由は“リゾナンター”を構成しているメンバーそのものにある。

すなわち――メンバー全員がサイコフォースを有した“能力者”である――それこそが、そういった案件の回ってくる機会を必然的に高めているのは明らかだった。

とはいえ――

「それはその通りだと思うんだけどさ。でも、現実的に吸血鬼なんてものが本当に存在するわけ?」

愛の言葉自体に異論はないものの、今回持ち帰られたあまりに荒唐めいた案件に対して懐疑的な思いの消えない里沙は、その思いを直接口にした。
先ほどはあのような「オトナ」な文言を口にした愛佳や銭琳も、実のところ思いは同じらしく、黙って愛に視線を注いでいる。

“普通ではない人間”が対象となることが多いとは言ったものの、それらの者にしたところで当然生物学上は“普通の人間”であった。
先刻小春が口にした「人狼」や、メンバーの一人である李純のように“獣化”の能力を持った人間もごく稀にいる。
だが吸血鬼という存在は、それらとはまたまったく違った意味合いを含んでいる。

「う~ん……どう思う?さゆ」

実際のところ自身も半信半疑であった愛は、一番後ろの席でパソコンモニタに向かっている道重さゆみへと視線をめぐらせた。

「その存在を裏付ける確かな証拠があるか…と言われれば、それは否定せざるをえないと思います」

先ほどの喧騒にも加わっていなかったさゆみは初めてモニタから顔を離し、緩やかに首を横に振った。

「でも、だからといって短絡的に存在自体を否定するべきかというと、それもまた正しいとは言えないと思います」
「相変わらずまわりくどいよさゆ」
「もうちょいストレートに喋れんと?」

あんたの物言いは食傷だと言わんばかりの絵里とれいなの言葉など気に掛けた様子もなく、モニタに視線を戻したさゆみはキーボードとマウスを操作する。

「吸血鬼の伝承は古くから見られます。有名なのはやはりヨーロッパにおけるものですが、アジアやアラビアなど世界各地に存在します」
「中国にも、少ないですがいくつか言い伝えはありますね」
「みたいだね。そして、それらの伝承の元となる逸話は近代…いえ、現代に至るまで見られます。非常に…数多く」

そう言いながら、さゆみは再びモニタから愛の顔へと視線を移す。

「つまり、火のないところに煙は立たない……ということ?」
「はい、わたしは実在していてもおかしくはないと思います。もちろん、本当にコウモリに化けたりニンニクが苦手だったりするのかというところまでは分かりませんけど」

「なるほど………」

そのさゆみの言葉を受け、愛は中空に視線を泳がせてしばし沈思した。

「道重さん、この国では吸血鬼に類する伝承とか民話ってあるんですか?うちはあんまり聞いたことない気がするんですけど」

訪れた沈黙を縫うように、そう言いながら愛佳が首を傾げる。

「うん、確かにあまりないよね。ゼロってことはないんだけど、吸血鬼に類する存在の具体的な逸話となると数えるほどしかないかもしれない」
「だったら何で今さら急に出てきたわけ?昔ならまだともかくこの21世紀になってさ」
「…いや、そんなことわたしに聞かないでくれるかな、小春ちゃん。わたしには吸血鬼の気持ちまでは分かんないよ」
「久住、トマトジュースでも飲んで吸血鬼の気持ちになってみれば分かるんじゃないか?」
「はぁ?小春トマトジュース嫌いだし。そっちこそ黙って笹でも食べてれば?」
「なんだと?」
「やめなさいっつってんでしょうが!…で、リーダー、どうする?…って言っても、もうこの件を引き受けることは決定済みなんだよね?」

再び子どもじみた言い争いを始めた2人を一喝し、里沙は顎に手を当てて考え込む愛を振り返った。

「うん、中澤さんルートからの依頼だからね。……でもそれとは関係なく、早い段階で動いた方がいい。万一本当だったことを考えると、少しでも…早く」

視線を皆の顔に戻した愛の表情には、責任感や使命感と共に、気付かないほどの微かな危惧の色が浮かんでいた。
唯一――さゆみだけがその意味に気付き、同時に同じ思いを抱いていた。

これまでに果たしてきた“除去”の任務は、大小こそあれど常に危険をはらんでいた。
“リゾナンター”が当たる案件の性質を考えれば、それは当然といえる。
だが、今回の件は、過去の任務における危険とは比べ物にならない。
いや、抱えている危険の本質的な意味合いが違っていると言った方がいいかもしれない。
何故ならば――


 ――“吸血鬼”は伝播する――


各地の吸血鬼伝承が物語る、様々な言い伝え。
その中にどの程度の真実が含まれているのかは分からないが、その可能性を切り捨てることはできない。

すなわち、特定の対象を“除去”すればいいという馴染みのある任務とは、完全に性質を異にしているのが今回の案件だ。
対処が遅れれば遅れるほど“除去”の対象は拡大し、下手をすれば―――


――前例がないほどの最悪の事態となるかもしれない


立ち上がり、各メンバーに指示を与えながら、愛は形容し難い嫌な予感が足元から這い上がってくるのを感じていた―――