『時の砂』


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「頼む、わしの邪魔をせんでくれ」

砂埃の舞うゴミ溜めのような街の外れ、年老いた男の悲痛な叫びが響く。
拳銃を手にした老人は、歩数にして十足らずの隔たりの先にいる若い男二人に、凄まじく憎悪のこもった視線を向けている。
彼らの間に表情を失ったかのような女。
取り立てて目を引くような特徴はないというのが女の特徴だった。
その身なりは薄汚れていたが、容貌には高い理性が輝いていた。
闇色の気配を漂わせている。

「邪魔をするつもりはないわ。 好きにすればいい。
 でもね、人を殺すってことは自分を殺すことでもあるのよ。 あなたにその覚悟があるの」
「構うものか!! そいつらが孫の命を奪ってから、私の娘は生きる屍も同然の状態だ。
 娘だけじゃない。 私の時間もあの日のままでずっと止まったままだ。 …何がおかしいんだ」

女の貌にうっすらと笑みが浮かんだのを見咎めて老人が詰る。

「気を悪くしたのならごめんなさい。 でもね時間を止めることなんて誰にもできないわ。  
 たとえ神がいたとしても。 ましてこんなくだらない男たちに時間を止めることなんて」
「今でも胸が締め付けられるんだ。 あの時もしも私が車で迎えに出ていれば、娘たちはあんな事故に遭うことも無かった筈だと」

老人の悲痛な叫びを聞いた若い男達の一人が言葉を発した。

「いかれた爺さんがいきなり突っかかって来たと思ったら、そうかお前はあの時のガキの身内かよ。
 お前の孫娘はよく跳んだぜ。 肌の色が黒いだけにまるでボーリングのボールを撥ね飛ばしたかと思ったぜ」

男の仲間が下卑た笑いで追従する。
男の言葉に老人は震える手を男達に向ける。

「爺さん、そんな震える手で銃の引き金が引けるのか。 ヘイヘイッ、心臓発作を起すんじゃねえぞ」


老人が激した様子で銃の引き金を引くが、銃声は響かない。
いつのまにか老人に歩み寄っていた女が銃の遊底部を握ってしまったからだ。

「放せ、放してくれ」
「時は動いているじゃない。 
 あなたは悲しみで気付かなかっただけ。
 流れるというにはあまりにも緩やかにだけど。
 砂時計の砂を一粒一粒積み重ねていくようにゆっくりと動き続けていた。
 あなたは残された家族と今日まで懸命に同じ時間を過ごしてきたんじゃないの。 
 今あなたがしようとしてることは、その時間を壊してしまうことなのよ」
「それはっ」
「いいからあなたはお帰りなさい、あなたを待っている家族の元に」

女は男に手を差し伸べる。

「それは私が預かっておくから。」

男は小さく首を振っていたが、やがてうなだれると、拳銃を女に差し出した。

「そいつらはどうなるんだ」
「私がさっき言ったでしょう。 
 人を殺すっていうことは自分を殺すということだって。
 こいつらはもう終わってるわ、人として」
「し、しかし」
「いいから行きなさい」

その場を去りがたそうにしていた老人だったが、女の眼差しに促されるようにして、踵を返し立ち去っていく。
一瞬の静寂を打ち破ったのは若い男の声だった。


「とりあえず礼は言っとくぜ」

女は汚いものを見る目つきで若い男を一瞥するが、愚かな男はその視線に気づかない。

「ただ、あの爺さんは逃がすわけにはいかないけどな。 
 折角俺の親父が揉み消した事故のことを、今さら蒸し返して貰っちゃ困るしな。」

男の手には鈍く光る拳銃が。
老人から女の手に渡った拳銃よりも大型だ。

「行かせないわよ」
「けっ、何ぬかしてやがる。 この銃が見えないのかよ。 いいからそこをどけっ。」

銃口で女を威嚇する男に仲間が囁く。

「なあ、この女薄汚れた格好してるけどよく見りゃルーシー・リューに似てねえか」
「同じアジア系ってだけだろうがよ、ったく。 それでどうしたってんだよ」
「俺がチャーリーズエンジェルズのアレックス好きだってのはお前も知ってるだろ」
「知らねえよ、そんなこと。 大体エンジェルズで一人選ぶならドリュー・バリモアだろうが」 
「いや、それもおかしいって。 キャメロンじゃねえの普通は」

自分たちの低俗さを女に平気で晒しながら話す男達。
拳銃を持った男が言った。

「で、ルーシー・リューに似てるから、どうなんだっていうの」
「その女、好きにさせてくれよ」
「ゲッ、こいつホームレスっぽいぜ。 身体も何日も洗ってなさそうだぜ」
「なあ頼むよ。 あの事故の時だって俺が身代わりになってやったじゃねえか」
「アホか。 あの時は俺の親父が署長に金を掴ませたからお前も二時間で無罪放免されただろうが」

銃を持ったリーダー格の男は、それでも一頻考えると下っ端の男に言った。


「いいぜ。手早く済ませろよ」

歓声を上げる下っ端の男に笑いかけながら、女に告げる。

「まあ、そういうことなんでこいつの相手をしてもらおうか。 俺は遠慮しとくがね」
「お願いだから、人間の言葉で喋ってもらえないかしら。 この獣どもが、っていうと獣にあまりに失礼ね。
 虫けら、滓、屑、産業廃棄物、クソ野郎。 どんな表現でもあなた達には勿体な過ぎるわね。」

「うるせえっ! さっさとその銃を地面に降ろして手を上げろ」

女は男の言葉に抗いもせず、老人から預かった銃を安全装置を確認したうえで地面に落とし、両手をゆっくりと上げていく。

「そうだ、大人しく言うことを聞いてれば、こいつが可愛がってくれ…」

男の言葉が滞ったのは、女が自分の胸の前に上げた手の中指を立てていたから。

「あなた達下等生物の観察もこれで終わりにさせてもらうわ」
「てめえっ」

激した男が銃の引き金を引く。 
威嚇のつもりなのかその軌道は女から僅かに逸らしているようだ。

「時よ止まれ、闇色の輝きと共に…」


密度を増した闇が男たちの周囲にまとわりつく。
まるでコールタールに絡みつかれたように動きを止める男たち。
男の手にした銃の銃口から銃弾がその先端を覗かせたところで動きを止めている。
機関部から排出された硝煙も形を崩すことなく留まっている。

女は男たちの方に歩み寄っていく。
男たちに近づくにつれて、女の動きも緩慢なものに替わっていく。
その額に汗を見せながら、まるでパントマイムのようにゆっくりとした動きで男の手にした銃に触れる。
次にその傍らで動きを止めていたもう一人の下っ端の男の腕を掴み、その身体の位置を銃口の前に移動させた。
よほど体力を消耗したのか激しい息遣いをしながら、男たちから距離を取る女。
男たちから遠ざかるほどに、その動きは速くなる。

そして数メートル離れると地面に膝を付いた。

「…そして時は動き出す」

響く銃声、着弾する音、男の悲鳴、そして苦悶。

「てめえ、何をした」
「私は何もしてないわよ。 ご覧のとおり救いがたいおバカさんのあなたがバカな友達を間違って撃っただけ。
 ただそれだけの、取るに足らないこと」
「ふざけるな、こいつは…」
「今ならまだ間に合うわ。 今すぐ911に連絡して救急車の手配をすれば、あなたのバカなお友達の命は助かるかもしれない。
 そしてあなたはあなたのバカなお父さんにお願いして警察のバカ署長に手を回してもらえば、誤射ということで罪を免れられるかもしれない」
「やろう、殺してやる」


男は引き金を引いた。
女のもう一つの能力“創造”によって銃口は銃弾よりも小さな口径に改造されていた。
行き場を塞がれた銃弾は銃身内で炸裂し、破壊された機関部は周囲に撒き散らされた。
銃を手にしていた男の絶叫が響く。
破損した銃の残骸の一部は女の方にも飛んできたが、女の前に輝いた光に吸い込まれるようにして消えていく。
それを目にして女の頬が僅かに歪む。

瀕死の男たちの息遣いが聞こえる。
そんな男たちを汚いものを見るような目付きで眺めていた女は声を上げる。

「ちょっといつまで見物してるつもり。 さっさと来なさいよ」
「ほいほーい」

その場にそぐわない暢気な声を出しながら、若い女が現れる。
凄惨なまでに美しいというのが、若い女の特長だろうか。
その手には紙袋が。

「行って来たよ~、お使い」
「まったく酒を買って来いっていったらどこまで出かけるんだか。 捜しに行こうとしてとんだトラブルに巻き込まれちゃったじゃないの」
「えへっ、圭ちゃんカッコよかったよ」

若い女から紙袋をひったくると、仲からウィスキーのボトルを取り出し開封しようとするがひどく手が震えて開けられない。

「ああ、もうっ」とボトルの先端を地面に叩きつけようとすると、若い女が取り上げて封を開け優しく手渡した。
「はいっ」
「最初からそうして渡しなさいよ」


若い女は地面に座り込み強い酒をラッパ飲みにする年上の女に尋ねる。

「で、こいつらどうするの。 まだ息があるようだけど私が処分しとく?」
「止めておきなさい。 チカラの無駄遣いは。
どちらも即死ではないけれど、時間が1分経つほどに延命率が1パーセント下降していく。 
この結界を解除せずに放置しておけば、親切な能力者が通りかかりでもしない限り時間が処理してくれるわ。
その時が来るまで精々苦しめばいいのよ」

その言葉を聞いた若い女は、「おお、怖っ」と全然恐れていない様子で肩をすくめる。

「じゃあ行こうか」 と酒に夢中な女に声をかける。
「そこに小さめの銃が落ちてるでしょ、拾っといて。 それとその男たちが乗ってた車のキーがある筈だから、それも回収しておいて」

若い女は言われたものを手にすると、年上の女に手を貸して男たちの車まで連れてゆく。

「さあっ」
「勿論あんたが運転するのよ。 私に飲酒運転させるつもり」
「えぇっ」

車の後部座席で走り去る車外の光景を眺めながら、女は考えていた。

…全く何であんなことを言ったのかしら。
砂時計の砂を一粒一粒積み重ねていくようにゆっくりと動き続ける時間。
自分を師匠と慕うこの女と共に積み重ねていく時間の果てに何が待ち受けているのか。
それは私にも判らない、ただ…。

「とりあえず次の街に辿り着いたら、ガレージのあるモーテルを捜して。 そこでこの車から創造して売り飛ばすから」

そうしたら暫くのんびりとした時間が過ごせるだろうか。

「でもその前に頭を洗ってあげるね。 そんなクシャクシャ頭の人が私の師匠だなんて許せない」
「…遠慮しとくわ」 
「着いたら起すから眠ってなよ」

能力を発動した疲労と酒の酔いが回ってきたのか、圭ちゃんと呼ばれた女の瞼は重たそうだ。
それでも暫くの間、その目はゴミ溜めのような街に舞う砂埃を捉えていたが、やがて固く閉ざされた。